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2016年8月31日 (水)

韓国旅行 ナヌムの家を訪れて その3

 ナヌムの家の歴史観はすっかり展示が新しくなっていた。
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 上2枚はハルモニが描いた絵。以前は原画が展示されていたが、色があせるのを防ぐために収蔵庫に保存され、これは写真。
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 リアルな慰安婦の部屋。フラッシュで明るくなっているが、展示室は薄暗い。畳1畳半ぐらいで、隣とはベニアで仕切られた小部屋で彼女たちは生活し、またそこで日本軍兵士の性の奴隷にされた。
 異国の地に、騙され、あるいは強制的に連れてこられ、見たこともない知らない男に体を恥辱されたくやしさ・悲しみ・絶望を、この部屋で想像したら、本当に申し訳ない思いがした。 日本政府は10億円のお金で解決しようとしているが、安倍首相や岸田外務大臣、その他政府の高官がここにきて、彼女たちが受けた苦痛を理解し、心から申し訳なかったと謝らなければ、本当の解決にはならない。
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 3人並んでいる右の方が、彼女たちが暮らす生活館でお会いしたハルモニ。通訳のヘギョンさんが名前を教えてくれたのだが、その時メモしなかったので、名前を紹介できない。後でナヌムの家にメールして教えてもらうつもり。
 彼女が僕が帰る際、玄関まで見送りに出て、「また来てくださいね」と、言ってくれた。僕は来年、必ず彼女に会うため、再訪したいと思っている。
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 右のハルモニは、僕がペ・チュンヒさんの写真を見せた際、「なんで写真を持ってきたの?」と、日本語で尋ねた。その表情は、僕に不信感があるように感じられた。僕は、「スタッフの方たちが変わっているから、僕が11年前にここに来たことが分からないだろうと思って、持ってきました。」と答えた。
 少し納得されたようだが、短い面会だったので、とても心が通じたとは思えない。次回はこの方とも心が通じる会話ができたらなと願う。
 左の方はかなり高齢で、残念ながらあまり反応がなかった。日本の老人ホームに行くと反応がない方が多いが、これは加齢とともにやむを得ない現象である。だからこそ、お元気な時に、きちんと日本側が謝罪し、彼女たちの受けた心の傷をいやす努力をすべきだと思う。
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 この方が韓国で最初に名乗り出た方・キムハクスンさん。彼女の勇気がなければ、日本・韓国で彼女たちの苦痛の歴史が闇に葬られていただろう。
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2016年8月30日 (火)

韓国旅行 ナヌムの家を訪れて その2

 ナノムの家へ行くのは簡単ではない。地下鉄、バス、タクシーを乗り継いでいく。問題は、バス。地下鉄「カンビョン」駅を降り、バスターミナルへ。確か11年前はバスターミナルから広州行きのバスが出ていたのを記憶している。
 しかし変わっていた! ターミナルの職員と思われる人に尋ねると、彼も別の人に聞きながら、ターミナルの外まで僕を案内してくれた。言葉は通じないが、どうもかなり離れた反対側の通りのバス停のようだ。
 バス停はいくつかある。全てハングル表示だから、どこから乗車してよいのか、さっぱりわからない。おまけに「ナヌムの家」の本に行き方を説明してあったが、そのページをコピーし忘れて、何番のバスに乗車すべきかもわからない。
 バス停のある歩道に露店があった。そのお兄さんに尋ねた。ここで威力を発揮したのは、前日、ソウル大学院生のト・ヒョンさんに書いてもらったハングルのメモ。(彼女との出会いや、22日夜一緒に食事をした様子は後日報告したい。)
 すると彼は身振りでぶりで、ここからバスが出る、ここで待てと、教えてくれた。しかしそこはバス停の標識が無い。標識は5メートルぐらい離れたところにある。不安になったが、教えられたとおりやるほかない。
 10分ぐらい待っただろうか。露店のお兄さんが、メモに1113-1,1113-2、と書いたものを見せて、このバスに乗れて親切に教えてくれた。
 そこで安心してバスを待っていると、ほどなく1113-1のバスが来た。運転手にメモを見せながら、いくらですかと尋ねると答えが理解できない。
 1000ウオン札を3枚手にしていたのだが、彼はその2枚を取って機械に入れると、おつりが出てきた。正確に覚えていないが、400ウオンのおつりだったと思うから、運賃が1600ウオン。韓国ではバス代が安い。40分ぐらい乗って、日本円で160円!
 広州(クアンジュ)に近づいて、運転手に「ナノムの家に行きたいのですが」とハングルで書いたメモを見せると、タムシー乗り場で降ろしてくれた。
 もう一安心。運転手もメモで行先が理解でき、出発。ペ・チュンヒさんのお墓にいける花を買いたいと思い、窓から店を見るが花屋は見当たらない。英語と日本語と身振りで「花屋に寄ってほしい」と告げるが、さっぱり通じづ、運転手は車をどんどん走らせる。
 花は諦めて、お昼の弁当をどこかの店で買いこみたいと目を見張ると、運よくミニストップと書いたコンビニが見つかった。コンビニは本当に便利!だ。 サンドイッチやおにぎりは無かったので、パンを買う。
 ナノムの家に着くと、スタッフのチェ・ヘギョンさんが出迎えてくれた。2週間前に訪問する旨メールしてあったが、ちゃんと先方では覚えていてくれていたのだった。
 所長の安シンコンさんが応対してくれたのにもびっくり! チェ・ヘギョンさんの通訳のおかげで、僕の訪問の意図や昨年12月の日韓合意に関する僕なりの考えなどを伝えることができた。
 所長の安さんは、軍慰安婦に関する博士論文を本にしていた。その2冊を僕は金両基先生と韓国民団静岡県本部に届けることになった。
 静岡県で僕がどのような活動をしているのか話した所、是非渡してほしいとのこと。300ページの本2冊は、重い土産になったが、明日31日、静岡市に行く用事があるので、届けてきたいと思う。
 所長さんはペ・チュンヒさんが残した作品の写真をたくさん見せてくれた。石に描いた作品だが、今は保存のためその石の作品は倉庫に保管されている。
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 見事な作品だと思う。色彩が鮮やか。着物を着た少女が可愛い。彼女はどのような思いで、この絵を描いたのだろうか?
 前にペ・チュンヒさんの写真を掲載したが、もう一度掲載する。彼女の色彩感覚が着ている服に反映されている。
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2016年8月28日 (日)

韓国旅行 ナヌムの家を訪れて その1

 昨日韓国旅行から戻った。やるべきことがいっぱいたまっているので、本格的なレポートは後だが、写真でナヌムの家を訪れた時の様子を報告します。
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 ペ・チュンヒさんのお墓。きれいなお墓だった。手を合わせ、「また来ましたが、お会いできなくて残念です。天国で安らかに眠ってください。」と、お祈りをした。
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 所長さんの計らいで、ハルモニたちに会うことができた。中央のハルモニは、僕がお別れして外に出る際、見送りをしてくれ、「また来てくださいね」と、日本語で言ってくれた。この言葉で、また行きたいと思う気持ちが強まった。
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 歴史館の内部はすっかりリニューアルされていた。
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 真ん中が亡くなったペチュンヒさんの説明。
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 彼女が元気なころ、水曜集会に参加した写真。
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 彼女が石に描いた絵。所長さんが僕に「まだ非公開ですが」といって、見せてくれた。従ってこれは歴史館には展示されていない。
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 ペチュンヒさんの真新しいお墓。これは最初に紹介した。
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 中央が全ての犠牲者のお墓。左右が、ナヌムの家で亡くなった方のお墓。確か8つあった。

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