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戦争は国家指導者・権力者が始めるが、巧妙に国民・民衆も戦争に進んで参加・協力させられるーキーワードは愛国

 戦争は一部の人だけでやれない。戦争を起こす連中=国の指導層=権力者たちは、愛国をキーワードに、国民・民衆を戦争継続のため、巧妙に罠にかけ、自ら進んで軍隊に志願したり、戦争協力の資金供出、戦争賛美・軍隊・軍人賛美の呼びかけ人にさせる。

 自国民に被害・戦死傷者が出れば出るほど、自国が空爆や砲撃でやられればやられるだけ、国を守ろう、愛する兄弟を守ろう、郷土を守ろう、そのために尊い命をささげて戦っている兵隊さんたちに感謝しよう、との大キャンペーンが国の機関・地方行政の機関・全国の学校、報道機関などを通して、連日、繰り返し繰り返し、行われる。

 国民・民衆は、同じことを違う立場の人々から聞かされ、それが本当だ、従うのは当然・義務だと信じ込むようになる。ちょうどオウム真理教や統一教会の洗脳と同じだ。

 愛国=国を守るのを、批判・否定するのは難しい。こんなことが国を守ることにつながるのか?と疑問を感じても、政府が言っていることに不信感を抱いても、それを口に出して言えない雰囲気=世間が出来上がっている。我慢をこらえるほかない。

 それでも毅然と政府を批判する人がおれば、法律でそれを禁じる。それでも屈せず批判を続ける人は、警察が逮捕・監禁・拷問し、裁判所が有罪判決を出し、監獄にぶち込まれる。

 これは世界中どこも同じ。日本も戦前はそうだった。今のロシアもそうだ。戦争継続のため、国家はあらゆる手段を使う。権力を持つとなんでもできる。都合の悪い法律は改悪する。時には憲法も。

 ウクライナの状況を冷静に見れば、このことがよく理解できる。国民がゼレンスキー大統領に逆らえない、批判できない、不満を口外できない。逆に、ロシア憎し、ロシアに勝つまで戦おうとの気持ちに染まっている。

 ロシア国内も同じ状況だ。

 

2023年5月31日 (水)

戦禍のウクライナに車椅子

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 写真が横になってしまったので見にくいが、日本のNPO法人「希望の車いす」が中心となり、日本各地から寄贈された車いすをボランティアが修理したり新品どうように磨き上げ、戦争で車いすが不足しているウクライナへ送る記事だ。

 5月末で計500台を送る。輸送費は日本郵船や商船三井など日本企業が負担。車いす生活を余儀なくさせられているウクライナの負傷兵や傷ついた市民にとり、良いニュースだと思う。マスコミは美談として報道している。

 僕はこの記事を複雑な思いで読んだ。さらに夜のテレビで、ゼレンスキー大統領が「いよいよロシアに対する反転攻勢の命令が下された」と全世界に伝える映像を見て、本格的な激しい戦闘が始まれば、もっとたくさんの車いすが必要になる。新聞の記事にもウクライナから追加の500台を送ってほしいとの要望に応えて、ボランティア団体が募金を呼びかけ、追加支援の準備をしていると書かれている。

 車いすだけでなく、義足や義手も必要になるだろう。膨大な負傷した人々への治療薬品や手術に必要な器具類も不足するだろう。善意で、人道の観点から、困っているウクライナを支援することを僕は否定しない。

 しかしそれでよいのだろうか?と根源的な疑問が抱いている。欧米諸国が大量に送った武器・弾薬・ミサイル・攻撃ドローン・戦車など、さらに戦闘機などを使い、これからウクライナの反転攻勢が始まる。「頑張ってください」と戦争拡大を支援する。今でも大変な犠牲者が出ている。ロシア側も同じだろう。殺され、傷つくのは普通の市民・兵士だ。

 戦争を止めるのでなく、戦争継続の支援が、「何か平和のため」、「ロシアによる不正義の侵略を跳ね返すウクライナ応援」の美しい支援になっている。

 車いす寄贈は、銃後の支援になる。日本政府は負傷兵の治療を引き受ける方針を決めている。戦闘が激化したら、ますます銃後の支援が必要となる。そして美談のニュースが流れる。

 絶対に戦争をしないと誓った日本国憲法の精神が、忘れられつつある。僕はこの点を憂いている。

2023年5月28日 (日)

議会で浜岡原発の再稼働を止める そのための議員の会 樋口英明元裁判長の講演

 脱原発自然エネルギー推進静岡・議員の会の総会及び関西電力大飯原発運転差し止めの判決を下した福井地裁裁判長樋口英明氏(定年退任後、弁護士)の講演会を、昨日5月27日午後1時半から4時半まで、静岡県男女共同参画センター「アザレア」2階大会議室で開催した。

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 うっかり2枚も写真をアップしたが、挨拶をしているのは、会の代表三上元さん。彼に僕が議員の会を立ち上げようと相談して、約半年準備し、2年前の12月に、このアザレアで結成集会を開いた。現在議員・元議員の会員は40名。

 事務局長として、講師との連絡・会場確保・宣伝チラシ作成・その他諸準備に当たり、当日を迎えた。参加者は54名。内、議員は16名。再稼働反対の市民運動団体関係者や裁判を担う弁護士などに、樋口英明氏講演会のちらしをたくさん配付した。メールやフェイスブックなどでも参加の呼びかけをした。

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 70名ぐらいが目標だったが、50名を超える方に来ていただき、ほっとしている。樋口さんの講演は、簡明・明瞭・分かりやすい。

要するに原発は何故ダメなのかを樋口さんをこのように説明してくれた。

 ①原発事故は福島原発事故で分かるように、極めて甚大な被害を及ぼす。福島原発事故は奇跡的に東日本破滅に至らなかったが、あれは全くの偶然にすぎない。原発事故は生活・生産の基盤そのものを破壊する。戦争で原発を攻撃されたら、日本全体が壊滅的な被害を被る。放射能汚染の影響は長期にわたる。極めて危険なのが原発であることを認識すべき。

 ②それ故に原発には高度の安全性が求められる。

 ③地震大国日本において、高度の安全性を求められるということは、原発に高度の耐震性が求められる。

 ④しかしわが国の原発の耐震性は極めて低い。岩盤の上に直接建っている原発は約半数にすぎない。当初建設された原発耐震設計基準は、700ガル前後。今日では、震度7の地震なら1500ガル以上の耐震性が求められる。

 よって日本において原発の運転は認められない! 

 樋口さんは、原発の本質を、①人が管理し続けないといけない。運転要員が原発を離れることはできない。ウクライナのロシアに占拠された原発を見ればそれはよくわかる。福島原発事故が起きた際も同じ。吉田所長は死を覚悟して、安全3原則「止める」「冷やす」「閉じ込める」努力をした。

 車の事故や火力発電所の事故なら、止めるのは簡単。しかし原発は核燃料のエネルギーは膨大であり、止めることに失敗して格納容器が爆発したら、広島や長崎原爆の惨状に至る。仮に止めることに成功しても、冷やし続けなければならない。水で冷やすには電気が必要。津波や地震、戦争による原発攻撃などで電源を喪失すれば、冷やすことができなくなり、核燃料の崩壊熱で福島原発のように水蒸気爆発を起こし、大量の放射能が外に出る。つまり閉じ込めることができなくなる。

 これだけ原発は危険なのだ! 極めて明快な論理を展開して、樋口さんは僕たちに「原発をとめた理由」を語ってくれた。

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 講演会終了後、会場に残っていた関係者が樋口さんを囲んで記念写真を撮った。最前列左端が僕です。

2023年5月25日 (木)

今日、76歳の誕生日。今、心の中で複雑な思いが錯綜

 今日、5月25日は僕の誕生日。76歳になる。タイトルに書いたが、今、僕は、気持ち、気力と言ったほうが正確だが、複雑な心境にある。やること、やりたいことがいっぱいある。しかし、それらを一つ一つやれるのか、自信が揺らいでいる。

 時に心が折れそうになる。こんな面倒なことは止めよう。手を引こう。無理だ。課題を整理し、活動を縮小すべきと、心の中は自分に要求している。のんびりしたいと心が叫んでいる。

 60歳の誕生日を迎えた時を思いだす。希望に満ちていた。これで面倒なことから解放される。仕事から解放され、自由人になれる。好きなことができる。自分の時間を自分でコントロールできると夢に満ちていた。

 60歳定年退職だが、実際には60歳の大半はまだ教職の身だった。60歳10か月の時に3月になり、定年退職。61歳の誕生日はピースボート船上で迎えた。61歳から議員になる69歳までが、本当の意味で自由人。気楽に好きなことに取り組めた。何かを企画、やろうとするとき、面倒だ、無理だ、やめたいと思ったことは全くなかった。

 旅行、市民活動、農業、地域活動など、当時もやりたい事、やるべき課題がたくさんあったが、心が折れそうになることはなかった。気力が充実していた。体力もあった。

 しかし、最近は違う。医者通い。物忘れも時々ある。認めたくないが、世間で言うところの”後期高齢者”の仲間入りをして、今までと違う自分の実態に気づかされている。

 体の変化は受け入れるほかない。皆、平等に年を取っていく。逆らうことはできない。あるがまま、しかし健康に気を付け、食事や適度な運動で、健康寿命をできるだけ伸ばす。この点は、自信がある。実際にやっているし、やり続ける気力も揺らいでいない。

 問題は、議員活動や手を広げた市民活動だ。議員としての課題、やりたい事、やるべきこと、今取り組んでいることは多岐にわたる。市民活動も同じ。重圧を感じている。全部できるわけがない。体がもたないと気持ちが折れそうになる。

 このブログやフェイスブックへの投稿、ツイッターへの投稿も、時に面倒に感じる時がある。僕の性分として、何もしないで、批判だけをして思いや考えをブログなどSNSで発信することはできない。自分に無責任だと思う。感じたら、怒りを覚えたら、これは許せない、改めるべきだと思ったら、行動を起こす。

 議員としての活動もこのような性分に基づいている。結果として、市当局のいくつかの事業に反対している。ストップをかけている事業もある。何とかして、市民・住民の利益につながるように修正させたい、市に改善させたいと思い、活動している。

 任期は後1年11か月。仕事として議員活動はある。面倒だと手を引く、見て見ぬふりをすることは自分に、市民に許されない。気力を振り絞り、今までとおり頑張っていきたい!

 昨日夜、娘から誕生祝いが届いた。高島屋からギフトとして送られてきた。今日はその美味しそうなショコラを妻といただきながら、ここまで生きてこられたことに感謝しながら、誕生日を祝いたい。

«広島サミットで岸田首相は、ウクライナに自衛隊のトラック100台を提供すると約束