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2012年5月

2012年5月31日 (木)

ピースボートの実態ーージャパングレイス社とピースボートの関係

普通の人のイメージ

 僕もそうだったが、一般に地球一周クルーズをやっているのは、ピースボートと思われている。ポスターや新聞の広告で興味を持ち資料請求すると、ジャパングレイス社から届く。しかしその封筒にはジャパングレイスの文字は小さく、ピースボートの表示が大きく印刷されている。資料請求先はすべてピースボートセンターである。電話での問い合わせもピースボートセンターである。インターネットでもピースボートである。

 乗船を決意してお金を払い込む先はジャパングレイス。その後はすべてジャパングレイスから電話がかかってきたり、書類が届く。

 実際に乗船すると、乗客の前面に出るのはピースボートスタッフ。ジャパングレイスは受付業務、ツアー相談や変更、キャンセル業務を日常的に行う。、寄港地説明会で前面に出るのはジャパングレイス。しかしピースボートスタッフも出る。寄港地でのツアーリーダーは、ジャパングレイス社員・ピースボートスタッフ・時にはCCと呼ばれる通訳の若者が、必要に応じて共にやったり、単独でやったりする。

 実にややこしい。航海や陸地でのツアーの責任の所在が分かりにくい。明確になるのは、トラブルが生じた時。ピースボートは関係ない。旅行契約はジャパングレイス社と結んでいるから。しかしジャパングレイス社と契約関係にあることを意識している乗客はほとんどいない。4年前、僕もその一人だった。

 このブログを書くにあたり、改めてピースボート関連の宣伝や資料を丁寧に見た。[旅行企画・実施](株)ジャパングレイス   企画もジャパングレイスがやっていると表示されている。

 全てジャパングレイスがやっているなら、一般の旅行業者のようにやればよい。ところが実際は、宣伝や集客はピースボートが全面に出ている。

 各地で行われる旅行説明会(僕は4年前名古屋まで行った。今回は静岡市だったが)でも、全面に出るのはピースボート。昨年の説明会では、ピースボート共同代表のYさんが、黒海コースを企画したのは僕ですと話していた。

 伝統的に旅の企画はピースボートがやっている。実際4年前のトラブルでこのような説明を受けた。「ピースボートはあくまでも企画だけ。旅行業務は資格がないとできないので、ジャパングレイス社がやっている」

 こう説明すると分かりやすいが、組織・金・人がどうつながっているのか、外部からは見えにくい。僕も明確に把握しているわけではない。2回乗船し、何度も乗っているリピーターの話しや、他の人よりもトラブルを通して関係者と接触して、おぼろげながら見えてきたことがある。次回はそのおぼろげ(あやしげ)な輪郭について書きたい。

2012年5月30日 (水)

ピースボートの実態ーー船内トラブルの傍観は許されるのか

ピースボートスタッフは船内トラブルの傍観者

 62回クルーズでも75回クルーズでも船内は平和でなかった。いずれも船の故障や設備の不具合が主要な原因である。

 4年前は新しくチャーターしたクリッパー号の設備不具合から、横浜を出港してすぐトラブルが発生。しばらく使っていないエアコンをフルに動かしたので、空調設備のほこりが船内に出て、多くの人がのどを痛めた。冷房の温度を適切に調整できないので、風邪をひく人が続出。医務室がおおはやりとなり、マスクをする人が異常に増えた。964人の乗客中、4分の1ぐらいの人がマスクをつけていたように思う。

 75回クルーズでもそうだったが、水漏れ事故も相次いだ。キャビンが水浸しになる所が続出。廊下まであふれた個所もあった。4年前の僕の部屋もシャワー室の天井から水がもれた。部屋まで水浸しになったところは、フロアーに置いてあった持ち物が濡れる騒ぎに。

 エレベーターの故障も頻繁に起きた。体の不自由な人や高齢者は移動に困っておられた。ジャパングレイスの受付は、我慢ならない客の怒号が飛び交い、不穏な空気が船内に充満するようになった。

 そしてエンジントラブルによる遅れ。前回は漂流はなかったが、船足の遅れでツアーが短縮されたり、2日が1日になったり。4年前僕がトラブルを解消しようと動いたのは、「このままではピースボートの信用が失われる。なんとかしてあげたい。」との思いからだった。

 協力してくれる乗客のおかげで約550人の署名を集め、改善要求をまとめてジャパングレイス社と交渉した。署名はもっと集めることができたが、ピースボート共同代表の吉岡達也氏が「できるだけ要望にそうよう努力するから、もう署名は勘弁してほしい」というのでやめた。

 このときはかなりの点で改善がみられ、ほぼトラブルが解消に向かったが、その後船底に穴(亀裂)が開き、ベネズエラ寄港(2日間)の取りやめ、帰国10日遅れが原因で大変なトラブルとなった。

 75回クルーズでもそうだが、こうしたトラブルに対し、ピースボートスタッフは傍観するのみ。船内新聞でも一切報道しない。何度もトラブルを経験しているリピーターも、この点はおかしいと言っている。

 商業新聞やポスターでの「ピースボート地球一周の旅」の宣伝は、ピースボートの名前で行われる。実際、地球一周の旅を主催しているのはNGO「ピースボート」である。

 自らが呼び掛けているクルーズで、乗客がどんなに苦しみ、困り、不満と怒りをもっても、それは船の問題、つまり船をチャーターしているジャパングレイス社の責任と、知らん顔をする。

 ジャパングレイス社は船会社の責任と、自らの責任を回避する。これは「見事なぐらい」徹底している。

 75回クルーズではクルーズディレクターMさんの発案で乗客にスタッフ全員がおわびする場面があった。彼女は今回が最後のクルーズ(引退)なので、乗客とよい思い出を残したいとの思いが強かったのだろう。

 僕は個人的にはピースボートスタッフの何人かとは親しい。船内企画ではとてもお世話になっている。個々のスタッフは大変な状況下でもめげずに頑張っているのを知っている。

 問題は組織としてのピースボートだ。トップの姿勢の問題とみている。さらにピースボートとジャパングレイス社の関係だ。次回はこの問題にメスを入れたいと思う。

2012年5月29日 (火)

ピースボートの実態ーー75回クルーズの実像その3

先住民との交流

 2月25日パナマで、「先住民族の人々と出会う」というコースに参加した。定員110名、参加費8,000円。若者も含め人気のコースで、参加者は100名ぐらいだったと思う。

 先住民族エンペラの村を訪問し、伝統的な家屋や暮らしを見学し、音楽や踊り、料理を楽しんだ。日本の文化を紹介したり、村の子供と遊んだり、一緒に踊ったり、内容はそんなに悪いとは思わない。通常の観光より面白かった。ピースボートならではのツアーと言える。

 その村では午後3時ごろまでいた。村の人たちは僕たちへの接待で、食事をしていないことに気付いた。大人も子どもも。太鼓をたたいたり、踊ったり、遊んだり、彼らはとてもお腹がすいていたに違いない。

 帰るころになって、これが本当の交流になるだろうか?と疑問がわいた。いっしょに食事をしたかった! 大きな葉っぱでくるんだ魚を焼いた料理や果物、すいかはとてもおいしかった。飲み物はジャパングレイス社員が持ち込んだ缶飲料だったが。

 「どうして一緒に食事をしないのですか?」と通訳兼ツアーリーダーであるジャパングレイス社員に聞いたが、「彼らは後で食べるでしょう」という返事が返ってきた。

 この村は観光が一番の産業。観光客をもてなすために、一緒に食事をしないのも理解できる。しかし、ピースボートの旅はそれで良いのだろうか? 通常の旅行では出会えない先住民と心の触れ合いができる、それがピースボートの旅だと思っていた。しかし終わってみると、うわべだけの単なる観光だったように思う。

2012年5月28日 (月)

ピースボートの実態ーー75回クルーズの実像その2

憲法9条への思い 乗客とのずれ

 

 75回クルーズではカナリア諸島ラスパルマス、テルデ市にある憲法9条の碑を訪れるコースが用意されていた。ピースボートならではの企画。僕が75回クルーズに乗船しようと思った理由の一つが、このコースに魅力を感じたからだった。

 事前に送られてきたツアー案内のプログラム紹介にこうある。 「1996年、憲法9条の碑が戦争犠牲者の追悼と平和、非核を祈って建立されました。日本から遠く離れた地で、憲法9条について考えてみませんか」

 実際に7,000円を支払ってツアーに参加したのは20名ぐらい。船内でコース説明会があり、テルデ市に住んでいる日本人が現地で案内してくれる、テルデ市の関係者(市の職員)も来てくれるとの説明があった。

 この説明会に先立って、船内9条の会のメンバーでこのツアーに参加する5名で、ピースフラッグやTシャツにスペイン語や英語、日本語で僕たちのメッセージを書き込みそれを記念に現地に渡そうと計画していた。そこで説明会の時、ツアーリーダーとなるピースボートスタッフにその旨話しておいた。なおこのツアーには世界各地で被曝証言する被爆者(ピースボートでは”おりずる”という)3名も参加した。9条の碑と同じ場所に「ヒロシマ・ナガサキ広場」がある。

 3月15日、期待に胸を膨らませてテルデ市を訪問した。ヒロシマ・ナガサキ広場は直ぐ分ったが、9条の碑はどこにあるのか分からない。ピースボートスタッフに聞いても、自分も初めてなので分からないと言う。

 しばらく待っていると、現地に住んでいる日本人とテルデ市の職員がやってきて、簡単な説明があり、テルデ市の職員からお土産(バッジと絵ハガキ)が渡され、記念撮影をして訪問が終わった。その間、約15分ぐらいだっただろうか。9条の碑は実際には無かった。ただヒロシマ・ナガサキ広場とスペイン語で書かれた小さなタイルに、9条の条文がスペイン語で書かれていた。

 はるばる日本からやってきて、「え、これだけ、、、、、、、」  9条の会のメンバーは驚いた。思いを込めて書いたピースフラッグ(船内でツアー参加者以外の方にもメッセージを書いてもらった)とTシャツを、皆の前で現地の人に説明したうえで渡したかった。被爆者の人も自分の思いを伝えたかったに違いない。そのような交流が広場であるものと予想していた。

 しかしツアーリーダーのピースボートスタッフは、その機会を作ってくれなかった。何のためにこのコースに参加したのか? 僕は怒りを通り越して、唖然とした。

 後でテルデ市の方に簡単な説明をして、ピースフラッグ提案者のFさんと、Tシャツ提供のキョンキョンさんが持ってきた物を渡したが、僕たちの熱い思いを充分伝えることはできず、大きな不満が残った。

 このあとテルデ旧市街を散策したが、結局観光がほとんどのツアーだった。

 

 

2012年5月27日 (日)

ピースボートの実態ーーー75回クルーズでの実像

 1月24日出港の75回クルーズは、洋上で3,11を迎えることになった。日本各地でも大震災・津波犠牲者の鎮魂セレモニーと、福島原発事故を振り返り脱原発に向けた集会やデモが行われた。

 洋上でもこの日は特別な日と位置づけ、普通の船内企画をやめ、3,11関連の特別企画のみが行われた。2月17日ごろから船内新聞で3,11企画準備の集まりが報道されるようになった。

 その集まりに参加すると、ピースボートスタッフのYさんが「3,11には亡くなった方の慰霊祭と震災復興に向けたイベント、脱原発に向けた企画を準備したい。その企画を乗客の皆さんと一緒に作って行きたい」と説明された。

 僕は今年1月に脱原発世界会議をピースボートが横浜で開催した際、出席こそ自分の運動でできなかったが、小額のカンパを送っている。船内でいい企画をともに準備したいと、実行委員になった。

 何回か会合を重ねるうち、本当にやる気があるのか疑問がわいてきた。最初の会合で、「3,11後、寄港地に入港する時には脱原発バナー(横断幕)を船につけられるようにしたいね」、と夢を語っていたYさんだが、次第にトーンが下がってきた。

 「乗客の中には電力会社社員の家族の方も乗っておられるかもしれない。ピースボートが前面に立って反(脱)原発を乗客に押しつけることはできない」 Yさんの説明に驚いた。

 確かに船内企画に出席するかどうかは、乗客は自分の判断・好みで決める。実際、核兵器廃絶のため被爆者が船内で証言する企画には、大半の乗客は出席してくれない。水先案内人として乗船された韓国人被爆者の講演会でも、約900名の乗客中実際に出席したのは200人から300人ぐらい。それも回を追うごとに少なくなっていった。

 ピースボートに理念と理想があり、それに基ずく企画を船内でやるのはなんら問題ない。乗客は自由に行動している。関心が無ければ参加しない。4年前もそうだったが、マージャン、囲碁将棋、ダンス、スポーツ、おしゃべり、デッキで寝そべるなどなど、大半の乗客は硬い企画にそっぽを向き、クルーズを楽しんでいる。

 僕はそれはそれで良いと思っている。クルーズと海外旅行を楽しむために参加したのだから。ピースボートのほうも脱原発企画を用意するのも自由だと思う。原発推進の人が乗船してもそれは日本社会の縮図だ。彼らも対抗して自主企画をやればよい。

 結局、脱原発企画は3,11のチーム(当初実行委員会でやると言っていたが、知らない間に実行委員会は無くなっていた。乗客が主体なのかピースボートスタッフが責任者となるのか、はっきりしないチームが3,11特別企画を作るようになってしまった)では、やらないことになった。

 僕は福島原発事故の1年前にお金を払いこのクルーズに乗船した。本当は地域で浜岡原発再稼働阻止・永久停止・廃炉にむけた活動をやらねばならないが、キャンセルすればキャンセル料をとられるし、再稼働にはまだ時間があるので、活動仲間に申し訳ない思いを持ちながら乗船した。

 せめて船内で反(脱)原発活動をするのが自分の役割と、同じ思いを持った乗客らと自主企画を始めた。勉強会、小出裕明京都大学原子炉実験所助教のDVD上映会、脱原発署名活動、展示などなど。

 これらの企画にピースボートが応援してくれることはなかった。脱原発署名文と3,11福島集会に向けたアピール文を1,000枚船内で印刷するときにも、特別な便宜を図ってもらえなかった。「印刷するかどうかは東京と連絡をとってから決める」。ピースボート事務局長の返事に驚いた。結局印刷はしてもらえたが、印刷代5,400円は支払った。

 乗客の中に福島県から乗船されている方が6名いた。0さんご夫妻は熱心に一連の脱原発企画に取り組んでくださった。ピースボートは僕らの働きかけで、小さな企画「福島のお話を聞く」会を用意してくれたが、船内新聞での扱いは小さく、出席者は50人ぐらいだった。

 脱原発署名は677人の乗客が応じてくれた。これはとてもうれしかったが、原発と核、再生可能エネルギーに関係する企画に出席してくれた乗客は、平均して30名前後だった。

 
 

 

2012年5月26日 (土)

ピースボートの実態ーーそのイメージ(虚像)と実像

 これから書こうとする内容は正直心が重い。恐らくピースボートに心を寄せる人たちや期待する人たち、そしてピースボートスタッフの人たちを傷つけ、怒りを感じさせるかもしれない。逆にピースボートに反感を持っている人たちは喜ぶかもしれない。

 先ず僕の正直な気持ちを書きたい。僕はNGOとしてのピースボートを評価している。2度目の乗船体験した今もそれは変わらない。憲法9条の世界化、脱原発、石巻での災害復興ボランティア活動、パレスチナ支援活動、カンボジアでの地雷撤去活動や開発途上国における自立支援活動など、よく頑張っていると評価している。

 その理念は僕が目指すものと全く同じだ。日本のいわゆる「平和勢力」のなかで、若者が最も多く参加している継続的な組織として、重要な役割を担っていると思っている。全国に沢山ある憲法9条の会は高齢化が進んでいる。袋井もその例外ではない。しかしピースボートは若者を取り組むのは上手だ。その手法は学ぶべきものがある。

 しかし世界一周クルーズとしてのピースボートはその役割を終えたと思う。新聞広告、ポスター、そしてそれを見て資料請求した後送られてくるピースボートのパンフレットなどでのイメージは、人をあこがれと夢の世界、自分を変えられるのではと、人々に大きな期待を抱かせる。

 かっこいい 僕も50歳から60歳までそのようなイメージを持っていた。4年前初めて乗船して、そのイメージが変わり、今回75回クルーズに乗船して完全にそのイメージは変わった。それは虚像だと思う。

 世界一周クルーズを主催するピースボートの実態は、日本国内(陸)とは大きく異なる。明日からその実像(あくまで自分の体験に基ずくものであり、僕なりの偏見が混じっているのを承知していただきたいが)を書いていきたい。

2012年5月25日 (金)

65歳のチャレンジ1,000

今日5月25日は僕の65回目の誕生日。人生65周年の記念日だ。その記念日に朝9時前から夕方5時半まで、昼食と午前・午後2回の休憩をはさんで署名活動をした。

 県民投票条例制定を求める署名が30人、浜岡原発永久停止を袋井市として求める署名が32人。1日回った割に数が少ないのは、理由がある。今日から隣町を回ったからだ。自分の町内なら顔なじみだが、隣町ではそうはいかない。

 説明に時間がかかる。直ぐ応じてくれない人が多い。しかし嬉しい反応もある。新聞テレビで県民投票の署名運動が始まったのを知って、「署名をしたかった・待っていた」と言う人が2人もいた。朝日新聞で僕の投書を読んだことがあるという人もいた。

 中には再稼働賛成です、原発が無ければ日本は困るでしょう、電気はどうするのですか、浜岡の人のことを考えると署名はむずかしい、自分には難しくてよくわからない、主人がいないのでちょっと、、、と、色々な人もいる。

 民主主義の世の中だから、署名に賛成するのも応じないのも自由。とにかく原発のことを皆が真剣に考える契機になればよいと思う。

 1,000人の署名を集めることにチャレンジすると決めた。13日から始めて今日の時点で、140人。袋井独自の署名は172人。道のりは遠い。

 息子夫婦から誕生日のお祝いが届いた! ビールとフルーツとミャンマーに旅したときのお土産。ありがとう。妻は今ごちそうを作ってくれている。こんばんは、これまで皆のおかげで元気に生きてこれたことに感謝して乾杯だ。

ピースボート75回クルーズ地球一周の旅に参加してーートラブルの実害

 

 2度に渡る漂流で受けた乗客の実害をまとめてみたい。個人差があるので、先ずは一般的な損害。

 ①冷房・シャワー・厨房機能ダウンによる、サービス低下。不快。 ②情報が与えられず、この先どうなるのだろうとの不安。 ③シンガポールでの滞在が3時間減。予定では朝6時入港、夕方7時出港。実際は午後2時入港、帰船リミット23:00.昼間充分な観光ができなかった。④台湾・基隆では予定では10時間滞在。実際はわずか3時間。お昼を食べ、町を少し散策できただけだった。 ④横浜帰着が1日半の遅れ。

 この損害に対し、船内ではジャパングレイス社からなんのお詫びも金銭的補償(お見舞金)の提示もなかったが、船を下りて1週間後に、以下の社長名による手紙が届いた。要約すると、

 「予期せぬ電気系統のトラブルにより、皆さまに多大な迷惑をかけたことをお詫びします。本社の対応に関して質問が寄せられていますので、手紙をもって回答とさせてもらいます。

 顧問弁護士及び海事専門弁護士の判断によれば、今回のような運輸機関のトラブルは当社旅行業約款上免責である、船会社に対しては国際海事法上、明確な違法行為や職務怠慢と特定できない航行中における故障について、その責任を問うことは極めて困難。

 弊社は法的には皆さまに補償を行う立場にないが、船内で対応した社員たちの皆さまのご苦労に対してできるだけのことをさせていただきたいという強い思いと、皆さまへのお見舞いの気持ちとして、今回のトラブル一切を解決するという趣旨の解決金として現金1万円とクルーズご優待券5万円分をご用意させて頂きます。

 封筒には5月末までに返信してほしいとの確認書が同封されていた。手紙の末尾に5月11日 ジャパングレイス代表取締役社長 要和弘 とあるのを見て、複雑な心境になった。

 4年前のトラブルで顧問弁護士を伴って船に乗ってきた交渉相手が要氏だった。年齢は40歳前後にみえた。「ああ、この人は今も社長なんだ。あのとき彼の目はうつろで、とても交渉相手とは思えなかったなあ。吉岡達也氏のロボットだと感じた。」

 一切の解決金としての表現も同じだ。違うのは前回は交渉の結果、いわば勝ち取った2万円と10万円のクルーズ優待券。

 今回僕は特別なことはしなかった。おそらくJさんたちのグループが粘り強く会社側に迫った結果、このような対応に会社側がでたものと想像する。申し訳ない。

 見舞金を受け取る旨のサインをして、確認書を返信した。

 

2012年5月24日 (木)

ピースボ-ト75回クルーズ地球一周の旅に参加してーー1日遅れの横浜で目にしたもの

新しい?船「オーシャンドリーム号」が横浜大桟橋に

 5月4日12時半過ぎに、無事横浜に着いた。当初予定では3日午前8時となっていたから、1日半遅れの帰着。

 接岸した大桟橋の反対側に、ピースボートと煙突に大きく書かれた船が。次のクルーズ船・オーシャンドリーム号だ。出発するときは、飛鳥が入っていた。クルーズファンやカメラ愛好家にとってはたまらない光景だろう。

 僕の心は複雑だった。4年前は10日遅れで戻った。船内でのトラブル交渉で心はぼろぼろだった。今回はそれを避けるため、慎重に対応した。つまり代表となって前面に出るのを避けた。

 乗客の中には会社の対応に怒り、シンガポールで日本大使館に駆け込み、漂流の件や会社の不誠実さを伝え、監督官庁である国土交通省から会社に指導してほしいと訴えた人たちがいる。

 そのグループは5月9日関係官庁や日本旅行業協会などを訪れて、ジャパングレイス社への指導を要請すると言っていた。裁判も辞さないとも言っていた。おそらく週刊新潮の記事はそのグループの人たちの訴えが基になっていると思われる。代表格のJさんは、船内でも何回か廊下で集会を開いていた。僕もそっと後方で覗いたことがある。集会の宣伝のため、彼女がダンボールに書いた宣伝物を体に着けてレストランを回ってきたとき、胸が痛んだ。

 漂流が考えられない頃、彼女と何回か話したことがある。真面目な方だ。どんな仕事をやってきたのか聞かなかったが、おそらく指導的な立場で責任ある職務を経験されてきた方と見受けた。

 2回目の漂流で会社側と交渉したとき、彼女のグループも来ていた。説明会を拒否され交渉が終わった後、そのグループからあるお誘いを受けた。自分たちのグループの顧問になってほしい、と。

 丁重にお断りした。もうこれ以上やるつもりはなかったから。ジャパングレイス社は何も変わらない。改善を求めてあれこれ努力しても徒労に終わると思ったから。

 このブログを書いている今もその気持ちは変わらない。横浜大桟橋で76回クルーズで使う新しい船?「オーシャンドリーム号」を見た時(この日は船内見学会が開かれていた)、次のクルーズ客が気の毒に思えた。

 同じようなトラブルが起きないことを祈るほかない。

2012年5月23日 (水)

ピースボート75回クルーズ地球一周の旅に参加し--横浜に何時に着くのか分からない

到着時間が分からない船

 5月4日横浜に着くと放送で連絡があったが、何時に着くのか2日になっても連絡が無い。北海道や四国、九州、沖縄、さらに東北や北陸、山陰、山陽地方の客にとり、朝早く着くのか、それとも午後着くのかで、飛行機や新幹線の手配が変ってくる。宿泊の手配も必要になってくる。

 1月24日出発以前に個人で3日の切符を確保していた人たちはすでにキャンセルしただろうが、キャンセル料はどうなったのだろうか? 国際電話は高くついたと思われる。残念ながら該当者に聞いていないので、正確な金額は分からない。

 ジャパングレイスを通じて3日の切符を手配した人に聞くと、キャンセル料は取られなかったが、申し込んだときの手数料1,000円は返金されなかったそうだ。

 船を降りて3時間以内で帰宅できる関東圏の乗客は、午後2時に横浜に着いたとしてもなんとかなる。通常下船するのに数時間要する。最上階の客から下船できるが、最下層の客はへたをすれば半日ぐらいかかる。僕が4年前クリッパー号で下船したとき、横浜には朝8時ごろ到着したが実際に下船したのはお昼を食べて午後1時半ごろだった。

 皆荷物が増えている。僕は大きな旅行かばん2個とリュック1つを持ってきたが、土産が増えたので手提げ袋3つが増えた。中には大きなダンボル箱5個の人もいる。下船する時それらを税関に検査してもらい(実際は簡単にすんだが)、宅配業者に預ける必要がある。

 到着時間がわからないので、皆いらいら。神奈川県の人で家族に車で迎えに来てもらう人もいるが、時間を伝えることができない。

 正確な到着時間を告げられないのは訳がある。船の速度が完全に回復していないからだ。台湾で電気系統のスーパーバイザー(管理者の意味)が乗り込むと放送で案内があったが、おそらく機関室では技師たちが悪戦苦闘しているのだろう。

 4年前を思い出す。あの時もアラスカから横浜に向かう太平洋上で、機関室では技師たちが懸命に修理作業をしていた。クリッパー号はすぐ次の航海に出るので、完全に直す必要がある。しかしドック入りすることなく出港したので、クリッパー号は地中海で完全に動かなくなり、63回クルーズの乗客は他の船に乗り換えることを強いられた。

 3年前トルコ・イスタンブールに旅行した時、港に放棄されたクリッパー号を見つけて本当に驚いた。今回のオセアニック号はこれが最後の航海。無事横浜まで帰りついたら、韓国の会社に引き取られるのだそうだ。

 3日の船内新聞でやっとおよその到着時間が分かった。午後1時ごろ。遠方の人は1泊する覚悟を決めた。

2012年5月22日 (火)

自分へのプレッシャー

 

 浜岡原発再稼働の是非を県民投票で問うため、県議会で県民投票条例制定請求の署名集めに取り組んでいる。日本を離れている間に、知人たちがどんどんことを進め、5月13日から7月11日までの署名活動が始まっていた。

 

 浜岡原発を永久に停止したいと願っている僕にとり、無関心ではいられない。まして知人たちが熱心に取り組んでいる活動だ。勝手連的に、袋井の「街角ステーション」を買って出た。

 意外に忙しい。署名簿を受任者(署名を集める人)に届けたり、受任者を集めたり、受任者登録をパソコンでやったり、実務的な仕事が沢山ある。

 最も大変なのは、署名集め。静岡空港建設の是非を住民投票で決めようと、前回やった署名活動では520名の署名を集めた。今回は退職しているから時間があるからと、自分で勝手に1,000人の署名を集めようと決めた。

 自分にプレッシャーをかけるために、何人かの人に1,000人の署名を集めたいと言っている。 「チャレンジ1,000」
 

 

 いざやってみると、結構大変。まず時間がかかる。一軒ごと尋ねて署名の依頼をするのだが、説明に数分間、署名は生年月日や印鑑も必要、家族でも直筆でないと無効なので、書いてもらうのに一軒7分から10分要する。

 

 もちろん断られる場合もある。7割から8割の確率で署名してくれるが(今は自分の町内故)、留守の家庭も多い。まだ63人しか集めていない。

 こんなことで目標が達成できるのかと、内心あせっている。人に言った手前、あまり少ないと恥ずかしい。僕は自分にウソをつくのは嫌いだ。言行不一致だと、自己嫌悪に陥る。言ったからにはやるしかない。

ピースボ-ト75回クルーズ地球一周の旅に参加してーーこれでも旅行業というサービス会社のやりかたか

 

 5月1日台湾に着く前日に、船内に基隆寄港についての案内掲示が張られた。すべてのツアー中止。昼食はジャパングレイス社が用意する。入港8時半予定。帰船リミット12時半。準備が整い次第出港。

 当初は4月29日正午12時入港。午後11時出港だった。これに合わせて6つのコースが用意され、参加する乗客は6,000円から9,000円の旅行代金をすでに支払ってあった。さらに船内で新たに、「被爆者とともに台湾の反原発住民団体と交流する」ツアーも募集され、10数名が申し込んであった。

 

 フリーで行動する乗客の中には、台北市まで出かけ夜市や故宮博物院を訪れるのを楽しみにしている人たちが沢山いた。それぞれ最後の寄港地ということで計画を立てていたが、一片の紙切れで全てダメになった。

 

 レストランで昼食を用意すると掲示に書かれているが、具体的なことは記載が無い。夕食のとき、「900名の人間が一度に食べられる食堂なんかあるのだろうか?いろいろなレストランで食べられるよう会社のほうで手配するのだろうか?」と、乗客同士話し合った。

 1日目覚めると、台湾寄港地情報が差し入れられていた。ランチは港近くの「エバーグリーンホテル」の2つのレストランで。10時半から11時半までの間、各自で来るように、と記載されている。帰船リミットは12時半。

 これでは何も観光できない。ただ早い昼食を食べるだけ。しかも文書には、「お客様にご迷惑をおかけしました。楽しみのツアーができない分、お詫びとして台湾料理の昼食を用意させてもらいます。」との文言が一切ない。

 

 食べたい者は勝手に来い  乱暴ないい方をすればこんな調子。サービス業である旅行社でこのような会社があるだろうか? 普通の旅行会社なら、日程の遅れやツアーの中止となれば、責任者(担当者)が直接お詫びし、そうなった原因を説明し、変更した日程を丁寧に説明するのが当たり前。

 

 ところがジャパングレイスは放送と紙切れで事を済まそうとする。それだけではない。シンガポールから5泊6日で中国をオーバーランドツアーして、台湾で合流した乗客(僕と相部屋のHさんもそうだった)によると、、、、、、、、、、、、

「船の到着が遅れているのでホテル代を払ってください」 と1万2千円のホテル代金を請求されたとのこと。

 このツアーは中国本土に4泊し、1泊は台北にすることになっていた。船の漂流で結果として3泊台北で宿泊を強いられたわけだが、1泊してバスに乗り故宮博物院に向かう車内でこのように告げられたそうだ。

 

 「船の故障で本日も同じホテルに宿泊します。これは当社の責任でなく、船会社の責任ですので、宿泊代金はお客さんに払ってもらいます。イヤな人は自分でホテルを見つけてください。同じホテルに宿泊しない人はツアー離脱となります。船がいつ着くかは皆が宿泊しているホテルまで聞きに来て下さい」

 結局ツアー離脱者は一人もいなかった。しぶしぶホテル代金を払ったそうだ。翌日(4月30日)はフリーで台北市内観光。この日も船が着かないので同じホテルに宿泊。しかしこの代金は請求がなかったとのこと。

2012年5月21日 (月)

ピースB-ト75回クルーズ地球一周の旅に参加してーー説明会を拒否

普通の会社ではありえない対応

 4月28日(土)、朝目覚めると窓から波の音が聞こえる。船がやっと動き出したようだ。同室の人が深夜1時15分ごろ、動き出したと教えてくれる。しかし冷房は全くきいていない。

 散歩に出て船が波をかき分ける様子を見ると、いつもより波しぶきが立っていない。速度が落ちているのが素人でも分かる。デッキのいたるところに乗客が寝ている。

 朝食はたしかお粥だったと記憶しているが、おいしかった! とにかく漂流状態から脱したのはうれしい。船内放送が「修理が完了し、本船は台湾に向けて順調に航海を続けています。冷房も徐々に回復します」とアナウンス。

 今日は乗客が実施できる船内企画最終日。僕の企画「ねえ聞いて、私の体験」も25回の最終回。船内9条の会主催の映画「軍隊を捨てた国コスタリカ」上映会も入っている。したがってこの日は船の問題は忘れて、船内企画に集中した。

 

 29日(日)、本来は台湾寄港日だが、船内新聞には寄港地説明会の予定は入っていない。しかし3つのツアーコースの説明会が入っている。最後の寄港地・基隆のツアー(フリーも含めて。フリーのほうが多い。)は皆が楽しみにしている。それがいつ着くのか、どれぐらい滞在できるのか、そして日本にいつ戻れるのか、何の説明もない。乗客にはそれぞれ予定がある。家庭の事情、仕事が4日から入っている人もいる。3日午前8時横浜入港となっていたから、遠くの人は3日の飛行機や新幹線を予約してある。船内でジャパングレイスに頼んで切符を手配してもらった人もいる。

 しかし乗客にはなんの連絡もない。これはおかしいと、色々な人に働きかけ計20人ぐらいで、ジャパングレイスの受付に押し掛け、「説明会を開いてもらいたい。やるかどうか直接責任者に聞きたい」と交渉した。責任ある立場のものが出てこない限り、テコでも動かない覚悟で交渉した結果、2時間たってナンバー2のK氏がやっと出てきた。

 いろいろやりとりをしたが、最終的な回答は以下の通り。「説明会は開かない。台湾・日本にいつ着くのか、現在のところ正確な時間は分からない。台湾にどれぐらい滞在できるのかも目下調整中。分かり次第、放送で連絡する」

 乗客に不便と迷惑をかけ、大切な旅行日程も直接責任者が顔を出して説明するのでなく、放送で済ます!!!

 なんという旅行社だろう。怒りを通り越して、哀れを感じた。もうこんな会社と交渉しても意味が無いと思い、交渉を打ち切った。

 午後、船内放送が入り、「台湾寄港は5月1日午前8時ごろ。出港は午後1時予定。横浜入港は4日」と短いアナウンスがあった。

2012年5月20日 (日)

ピースボート75回クルーズ地球一周の船旅に参加してーー乗客に説明をしない

4月27日(金)、朝早くデッキに出る。例によって多くの乗客が雑魚寝をしている。もう船の秩序は全くない。中には抱き合うように眠りこけているカップル(?)もいる。その隣で年配の方も寝ている。後で聞いたが、船底に近い4階ではクルーも部屋で眠ることができずフロアーで寝ていたそうだ。

 幸い海は静か。遠くに通り過ぎる船影が見える。漂流している僕らの船を、他の船はどうみているのだろうか?

 ブリッジのマストにロープが船首から張られている。よく見ると黒い提灯のようなものが2つつけられている。ウオーキングしている人に聞くと、それは漂流している合図だそうだ。夜は赤い光が点燈するようになっているとのこと。夜外に出ると、確かに点燈していた。

 船内新聞には漂流の件、いつ台湾に着くのか、全く記載が無い。いつもの船内企画の情報のみ。この日の朝食はシリアル。簡単な食事になれてきたが、どうしてこんな状況になっているのか、不便をかけていることへのお詫び、最後の寄港地・台湾でのツアーがどうなるのか、全く説明が無い。

 船内9条の会有志とともに、ジャパングレイスに「年配の方が心配だから見回りをすること。説明会を開くこと」を申し入れる。見回りについては「やっている」との回答だったが、説明会については検討しますとの返事のみ。

 午後放送で、「エンジン始動に向けて最後の点検作業を行っています」と、まもなく動くかのような案内が入るが、誰も信じない。事実この日も漂流を続けた。

 

 「日本にいつ戻れるのだろうか?」 「台湾の観光はなくなるのだろうか?」 「いつまで漂流を続けるのだろうか?」 「この船はどうなっているのだろうか?」

 乗客に不安とあせりが出てくるが、旅行を主催したジャパングレイス社及びピースボートから何の説明もない。

2012年5月19日 (土)

ピースボート75回クルーズ地球一周の旅に参加してーー2度目の漂流

悪い予感と冗談まじりの期待(?)

 

 1日遅れはしたがコーチンでのワンデーツアーを各自楽しみ、船はシンガポールに向けて大海原を進む。洋上での生活に戻ると、乗客間で悪い冗談・軽口が交わされるようになった。

 「1度あることは2度起きる」「退職しているから早く日本に帰る必要が無い。漂流体験なんてそんなにできるものでない。もう一度あったら面白いのに」「ベトナムあたりで故障して、ベトナムで修理のため寄ってくれたらよいのに」などなど。。。。。。。。。。。。。。。

 人はどんな体験でも過ぎ去れば苦痛はやわらぐ。食事をしながら上記のような会話が交わされるようになった。しかし冗談が現実に起きた!

 4月26日(木)午前10時15分ごろ、「おりずると話そう」というピースボート主催の企画に参加していたら、突然プチーと音がして停電した。照明が消え、冷房も止まる。エンジン音もしなくなり、静かになった。しばらくして外を見ると、船は進んでいない。

2度目の漂流が始まった

 船内放送が「電気系統のトラブルで本船は停止しましたが、復旧に向け努力しています。安全面では心配ありませんので、ご安心ください。水道はしばらく使えません。トイレで使用した紙は、便器がつまりますのでゴミ箱に捨ててください」と、前回同様繰り返す。

 「ああ、またか、、、、、、、、、、」 複雑な心境になった。ピースボートスタッフは顔面蒼白になっている。メインエンジンは停止しているが、最低限の電気を確保する発電機は動いているので、この日の船内企画はそのまま実施された。

 

 冷房が泊まると船内は前回同様熱くなってきた。このあたりの海域はシンガポールを過ぎてベトナム南部の近く。熱い海域だ。多くの乗客は涼を求めて日陰のあるデッキへ。船内企画に参加する人は少ない。夜寝場所を確保するため、デッキのイス(体を伸ばして寝ることが可能)に自分の毛布やシーツを持ち出す人、フロアーにマットを早々と敷く人。早い者勝ちだ。

 夕食は簡単な物しか出なかった。結局、故障は直らず船は海面を漂って一夜を過ごした。

2012年5月18日 (金)

ピースボート75回クルーズ地球一周の旅に参加してーートラブルの波及

船の遅れで、ホテル代を請求されたオーバーランドツアー客

 

 エジプトからアフリカをオーバーランドツアーして、インド・コーチンで18日船と合流する予定の客約60名は、船が着かないのでコーチンで宿泊せざるをえなくなった。宿泊料金は通常なら旅行会社が負担する。

 ところが引率したツアーリーダー(ジャパングレイス社員)は、客にホテル代金を請求した。やむを得ず応じた人も出たようだが、大半の人は「それはおかしい。船の都合で宿泊せざるを得なくなったのだから、自分たちが支払う義務はない」と拒否した。幸いにも客の中にリーダー格の人がいて、皆をまとめたようだ。

 結局ジャパングレイス側は「とりあえず会社で立て替えるが、後日請求する」ということになったようだ。横浜に着くまで請求は無かったが、その後どうなったかは分からない。

 

 一方、コーチンから7日間南インドオーバーランドツアーに参加した乗客は、日程を1日減らされたそうだ。この1日分の返金があったかどうかは、残念ながら確認していない。

 75回クルーズには年配の方が多かった。冷房が利かない漂流中、体調を崩された方が多かった。中には暗闇の中階段で転び、骨折した人もいる。僕は一度も医務室に行ったことが無いが、医務室はおおはやりで診察待ちの行列ができていたとのこと。後で保険請求はできるが、船医に診てもらうと1回7,000円から1万円ぐらいかかったそうだ。

2012年5月17日 (木)

ピースボート75回クルーズ地球一周の船旅に参加してーー遅い説明会

船長からの経緯および航路説明会

 4月18日午後、やっと説明会が持たれた。通常、寄港地に着く2日前に、寄港地及び航路説明会がジャパングレイス社により開催される。今回はトラブルについて船長から説明があった。

 驚いたことに横浜出航の後、乗客に挨拶した船長と違う。途中で交代していたのだ!!!しかし何の説明もない。4年前のクリッパー号の時は、3人船長が交代した!!!!!通常ならありえない。飛行機同様、船長は船・空旅の最高責任者。安全な運行に支障をもたらすと判断すれば、乗客を強制的に降ろす権限を与えられている。イタリアで座礁した船長も無責任だが、ジャパングレイス社が契約する船会社の船長も無責任だ。途中何が起きるか分からない老船と分かっているから、いやいやながら乗っているのだろう。

 船長は英語で経過説明し、それをジャパングレイスのH事務局長が通訳した。僕の英語力はたいしたことはないが、船長の話しはだいたい理解できる。H事務局長の通訳は大きな間違いはないが、部分的に適当と感じられた。

 「電気系統の故障で、エンジンに油を送ることができなくなり、ストップした。船内は100ボルトと200ボルトの電気回路があり、エンジンが動かないと200ボルトの電圧が使えなくなる。米を炊いたり、シャワーのお湯を沸かしたり、冷房をきかしたり、電話・インターネットなども、200ボルトの電圧を使うがそれが機能しなくなったため、お客様に多大な迷惑をかけて申し訳ない。しかし懸命な修理の結果直ったのでご安心ください。」

 専門的な説明をくどくどしたが、要するに乗客が知りたい説明は上記のとおりだと思う。エンジンそのものが壊れていないのは真実だった。後で2回目の漂流を体験したが、計4日間進まなかったにもかかわらず、わずか1日遅れで横浜に戻れたのだから。

 船長は謝ったが、ジャパングレイス社からの誠実な謝罪はなかった!!! 乗客の質問に最初ははぐらかした説明をしていたが、そのうち時間が無いからと質問や意見を遮った。

 最後にピースボートスタッフ全員が出てきて、乗客に迷惑と心配をおかけしましたと、頭を下げた。正直これは意外だった。このことについては、「ピースボートの実態」編で書きたい。

 インド・コーチンへは、予定では18日午前8時入港、午後10時出航となっていたが、結局1日遅れの19日午前5時半入港、午後6時過ぎ出航した。

2012年5月16日 (水)

ピースボート75回クルーズ地球一周の旅に参加してーー会社の対応

 

 4月16日(月)朝、目覚めると船は動いていた。僕の部屋は4人部屋だが、3人で使っている。同室に人によると、深夜1時半ごろエンジン音がして船は動き出したらしい。いつまで漂流するのかと心配していただけに、率直にありがたい、ほっとする思いだった。クルー、ピ-スボートスタッフ、乗客全員同じ安堵の気持ちだったに違いない。

 

 デッキに出ると、白波を立ててオセアニック号は快調に進んでいる。自衛艦の姿も見えない。危機を脱したのだから、船会社及び旅行契約を結んだジャパングレイス社から乗客にトラブルの原因や経過、今後の旅行日程に変更があるのかどうかの説明会があって当然だが、船内新聞にはその予定は全くない。「修理が無事終わりインド・コーチンに向けて本船は順調に進んでいます。冷房も序序に回復してきます。皆さまご安心ください。」と放送があったのみ。

 

 これはおかしいと、船内9条の会メンバー数名で、説明会開催要求に行く。ジャパングレイス受付のSさんによると、明日(17日)インド寄港地説明会があるので、そのとき合わせてトラブルの説明会も行われるものと思いますとの返事。

 

 予定では18日にインドに着くことになっている。当然前日17日に寄港地説明会があるものと、Sさんの言葉を信じた。

 

 ところが17日の船内新聞を見て驚いた。説明会が入っていない。2日も漂流したのだから、インド到着が遅れるだろうとは誰にも分かる。乗客の心配は、コーチンのツアーが遅れても予定通り実施されるかどうか、また南インドオーバーランドツアー(7日間)参加申込者はいつ旅じたくを始めたらよいのかも分からない。故障した船が無事日本まで帰りつけるか心配する乗客もいる。

 旅行会社として当然な乗客が納得・安心する説明会がない。しかも説明会開催要求は僕のグループだけでなく、100名以上の賛同人署名を集めたグループも行っている。個人で要求している人もたくさんいる。

 

 しかし一切無視。4年前もジャパングレイス社は不親切だった。「ピースボート光と影」の本を出版したとき、今後も乗りたいから改善の期待を込めて会社の対応の不適切を批判した。ジャパングレイス社は驚くべきことに、「社員教育に使用したいから50部買い上げたい」と電話してきた。

 500部印刷した本の50冊。買占めかもと思ったが、印刷費がかなりかかったので買ってくれるのはありがたい。5万円がちゃんと振り込まれてきた。

 今回の旅は本で指摘した部分がどれぐらい改善されているか、自分の目で確かめる目的もあった。しかし「何も変わってはいなかった!」。むなしさとともに怒りが込み上げてきた。

 仲間とともに受付へ。責任者を出せと申し入れる。4年前のK社員が出世して船の中ではNO2になっていた。Kさんは横浜を離れて数日後、ジャパングレイス社主催の「リピーターに感謝するパーティ」で、最高責任者のHさんと共に挨拶に来てくれた。互いににこやかに「今度はトラブルなしで愉快に船旅を楽しみたいですね。」と、挨拶を交わした。

 

 相手の人格を傷つけないよう冷静に、きちんと説明会を持つよう話したところ、「明日18日、説明会を持ちます」との返事が返ってきた。乗客の質問を受け付けるよう時間を十分取るように交渉してその場は終わった。

2012年5月15日 (火)

ピースボート75回クルーズ地球一周の旅に参加してーートラブルの内容

 4月15日(日)、朝6時ごろデッキに出る。船は漂流したまま。8階の屋根付きデッキには、およそ100名ぐらいが雑魚寝。後方のデッキや10階のプールサイド、11階のサンデッキでも寝ている乗客がいる。まるで難民船のよう。

 

 アースデー2日目だが、大半の乗客はイベントどころではない。体を休めている人が多い。食事は朝、昼、晩と御飯は出ない。乗客の不満が高まっている。肉体的苦痛に加えて、何の説明もないことへの不満が沸騰している。

 

 このままではまずいと、船内で立ち上げた憲法9条の会のメンバー計5名で、ジャパングレイスに船の状況説明会を開くよう要請。夕方5時までに回答を求めたが、返事はなし。無視されているようだ。

 

 同じように説明会を要請したグループもあった。こちらは船長に直接説明を求めてブリッジまで行ったが、中には入れてもらえず。このグループが中心となり、夜廊下で説明会開催要求の集会があった。色々な人が発言していたが、乗客に苦痛を与えながら責任者がおわびと状況説明をしないことへの怒り・不信が共通していた。

 

 船内放送がお昼頃「エンジン起動の準備に入ります」と告げたが、船は全く動かない。夕方も同じ放送が入ったが、ダメ。夜「本船は22時30分、エンジン起動に向けて最終準備に入ります」と放送が入る。しかし実際に動いたのは、深夜1時ごろだった。

2012年5月13日 (日)

ピースボート75回クルーズ地球一周の旅に参加して

一夜明けて

 

 蒸し暑い夜から目覚めて、状況を確認するするためにデッキに出た。畝は全く動いていない。漂っている。波は静か。ブリッジではクルーが双眼鏡で周りの海を監視している。後方に自衛隊の護衛艦が見える。なんと僕らは自衛艦に守られているのだ。

 (写真を挿入しょうと何度も試みているが、うまくいかない。海の様子。ブリッジで監視するクルー。海賊がよじ登ってこれないよう船体に張りめぐされた鉄条網。後方の自衛艦。キャビンで眠れない若者たちがデッキで寝ている状況。)

 

 朝食を食べに行って驚いた。わずかな野菜とシリアルと水だけ!!!  ご飯やパン、味噌汁、焼き魚、ゆで卵、コーヒーなど、いつもなら出るものが一切ない!!!  

 

 シリアルはぱさぱさして食べづらい。水に溶かした牛乳をかけて何とか食べた。これからどうなるのだろう。説明は一切ない。

 

 放送でトイレの水の水圧が充分でないから、使用した紙は流さず、ゴミ箱に捨ててくださいとの案内が入る。

 

 この日は船内企画でアースデー初日。冷房が利かない船内はまさに地球(赤道に近い海の暑さ)を体感する。非常灯やマイク、映像を流すための最低限の電源を発電する補助エンジンが回復しているようなので、船内企画はそのまま実施された。

 

 船内は蒸し風呂状態。アースデーの企画に参加する乗客は少ない。涼しさを求めて風が入る出口周辺や屋根が付いたデッキにごろごろしている乗客の姿が目に付く。年配の方はぐったりされている。

 

 ランチは通常ならバイキング方式だが、クルーが皿にもった簡単な食事を一人一人に手渡してくれた。

 

 夕食は「えー、これだけ、、、、、」と驚くばかりに量が少ない。容器は紙トレーに紙コップ。使い捨てのプラスチックのスプーンにフォーク。ゴミ問題もアースデーで考える企画内容に入っていたが、皮肉なことに地球にやさしくないやっかいなゴミが大量に出る。

 

 夜9時ごろ、夜食を用意したと放送が入った。紙トレーの上に小さなロール状の食べ物とオレンジ一切れ。おいしかった!! これでひもじい思いをせずに寝れる。

 

 シャワーは水だが出るようになっていたので、汗べとべとの体はすこし楽になった。僕の部屋は幸いなことに窓側・小さな2つの窓を開けると海風が入ってくる。なんとか眠ることができたが、窓のない人たちは大変。毛布やシーツ、まくらをデッキに持ち出し、外で寝たようだ。

2012年5月12日 (土)

ピースボート75回クルーズ地球一周の旅に参加して

 1月24日から5月4日(予定では3日)まで、ピースボート75回クルーズ地球一周の旅に参加した。4年前、62回クルーズに参加したから、僕にとって2回目のピースボート乗船だった。

 

 色々なことがあった。寄港地での旅は充分楽しんだ。船内企画も積極的に参加。自らも色々な企画を主催した。船内での素晴らしい人々との出会い。その人たちとの共同企画もたくさんやった。

 

 138万円のクルーズ代金に見合う収穫はあったと思う。しかし2度にわたる船のトラブルと、そのトラブルに対処するジャパングレイスのやりかたに大いに失望した。5月9日発売の週刊新潮が『漂流も2回「ピースボート」 世界一周航海は平和じゃなかった』と報じている。

 

 長い旅のレポートをどうまとめるか思案していたが、①トラブルとジャパングレイス ②ピースボートの実態 ③僕の旅日記 の順で書いていきたい。

1 トラブルとジャパングレイス

 

 4年前の62回クルーズは、クリッパー号という船だった。トパーズ号から切り替えた新しい船(?)だったが、数々のトラブルが発生し10日遅れの横浜帰着。この時の出来事は『僕の地球一周の船旅 ピースボート光と影』と題して、自費出版の本にまとめた。

 

 この時のトラブルでは、僕は乗客の代表の一人としてジャパングレイスと交渉したことが原因で、「あなたはジャパングレイスの敵だから、今後の乗船は拒否します」と言い渡された。

 まあこれはこけおどしだから、2回目の乗船を申し込んだ時すぐ受理され、何の問題もなかった。オセアニック号は大きなトラブル無く運行されていると思い込んでいたので、今回は船旅を思い切り満喫したいと、大きな期待を持って乗船した。

 

 4月12日までは船は快調だった。しかし13日の夕方予期せぬハプニング発生。しかも「海賊が出るかもしれないから、乗客の皆さま夜はデッキに出ないでください。灯りが漏れないよう窓のカーテンをしめてください」、とジャパングレイスが注意を呼び掛けている海域で。

①トラブルの内容

 

 4月13日[金]夕方6時ごろ、突然停電。ソマリア沖をぬけだし、護衛の自衛艦が離れて行った後だった。船内は真っ暗。エンジン音がしなくなった。

 

 そのうち非常灯のみ点くようになった。僕はこのとき水先案内人アチン教授の「インドとパキスタンの核対決」という講座に出席していた。講座は中止。ピースボートスタッフが懐中電灯を持ってきて、いったんキャビンに戻るよう誘導してくれた。

 

 乗客の半数は早めの夕食を食べていた。暗がりの中でもなんとか食事をすましたそうだ。7時半からの夕食は、テーブルにキャンドルが置かれ、特に支障はなかった。むしろ風流と感じるぐらい、この時点では乗客に余裕があったように思う。

 

 しかしそのうち船内は暑くなってきた。エアコンは停止。トイレやシャワーの水も全く出ない。洗面所の水も最初はちょろちょろ出たが、しばらくして出なくなった。電話も通じない。インターネットもできなくなったそうだ。

 

 船内放送が、「修理点検作業をしています。乗客の皆さま、ご安心ください」と何回か流れる。夜の船内企画全てが中止。インド・コーチンの海域に着くまではデッキに出ることを禁じられているので、寝るしかない。蒸し暑いキャビンで一夜を過ごした。

2012年5月 9日 (水)

ぼやっとしておられない

 日本に戻って新聞・メール・自宅に届いていた書類・手紙類を読んで、旅行気分の余韻やら農作業をのんびりやっている場合ではないと、あせりを感じ始めている。

 

 政府・電力業界は関西電力大飯原子力発電所の再稼働を突破口に、またぞろ原発依存・推進に向けて本格的に動き出している。

 それに対し、たんぽぽ舎から送られてくる情報によると、各地で脱原発に向けた熱い運動・取り組みが進んでいる。みんな頑張っている!!!

 静岡県では、浜岡原発の運転再開を認めるか否か、県民投票で決めようと、県民投票条例の制定を求める署名活動が5月13日からスタートする。

 受任者の登録はすませてあるが、袋井市で署名を集めてくれる人を沢山増やす必要がある。「原発県民投票静岡」のホームページを開くと、袋井市にはそのための連絡所が置かれていない。静岡空港の是非を問う住民投票条例の制定を求める署名運動は、準備期間が充分あったが、今度は早急に取り組む必要がある。

 福島の悲劇(今も続いている)を繰り返さないため、全ての原発が停止している今年が脱原発社会を実現するための最大の山場だ。今やらないでどうする。

 

 ピースボート地球一周旅の記録は、署名運動と並行しながらぼちぼち書いていきたい。

2012年5月 6日 (日)

練習

 情けない事に新しいブログの更新に手間取っている。息子のヘルプが度々必要。本格的な旅の記録が書けるか心配になってきた。まだこれは練習の段階。写真の挿入がうまくいかない。

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新しいブログ

 インターネットの回線を光フレッツからkddiに変えたら、前のBIGLOBEのブログが更新できなくなった。連休で息子が帰ってきたので、同じタイトルのブログのホームページを立ち上げてもらった。

 おっかなびっくり記事を書いている。写真の挿入の仕方も違う。試しに色々旅の写真を入れて見ることにする。

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日本に戻って

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 102日ぶりに日本に戻ってきた。冬に横浜を出港したが、帰ったら日本は5月。新緑がまぶしい。久しぶりにブログを再開。これからボチボチ、75回ピースボート地球一周の旅の記録をまとめてみたいと思っている。002

ブログ引っ越しました

ブログ「僕の平和への思い」http://04773181.at.webry.info/

はこちらのブログに引っ越しました。

これからも宜しくお願いします。

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