ピースボート75回クルーズ地球一周の旅に参加して
1月24日から5月4日(予定では3日)まで、ピースボート75回クルーズ地球一周の旅に参加した。4年前、62回クルーズに参加したから、僕にとって2回目のピースボート乗船だった。
色々なことがあった。寄港地での旅は充分楽しんだ。船内企画も積極的に参加。自らも色々な企画を主催した。船内での素晴らしい人々との出会い。その人たちとの共同企画もたくさんやった。
138万円のクルーズ代金に見合う収穫はあったと思う。しかし2度にわたる船のトラブルと、そのトラブルに対処するジャパングレイスのやりかたに大いに失望した。5月9日発売の週刊新潮が『漂流も2回「ピースボート」 世界一周航海は平和じゃなかった』と報じている。
長い旅のレポートをどうまとめるか思案していたが、①トラブルとジャパングレイス ②ピースボートの実態 ③僕の旅日記 の順で書いていきたい。
1 トラブルとジャパングレイス
4年前の62回クルーズは、クリッパー号という船だった。トパーズ号から切り替えた新しい船(?)だったが、数々のトラブルが発生し10日遅れの横浜帰着。この時の出来事は『僕の地球一周の船旅 ピースボート光と影』と題して、自費出版の本にまとめた。
この時のトラブルでは、僕は乗客の代表の一人としてジャパングレイスと交渉したことが原因で、「あなたはジャパングレイスの敵だから、今後の乗船は拒否します」と言い渡された。
まあこれはこけおどしだから、2回目の乗船を申し込んだ時すぐ受理され、何の問題もなかった。オセアニック号は大きなトラブル無く運行されていると思い込んでいたので、今回は船旅を思い切り満喫したいと、大きな期待を持って乗船した。
4月12日までは船は快調だった。しかし13日の夕方予期せぬハプニング発生。しかも「海賊が出るかもしれないから、乗客の皆さま夜はデッキに出ないでください。灯りが漏れないよう窓のカーテンをしめてください」、とジャパングレイスが注意を呼び掛けている海域で。
①トラブルの内容
4月13日[金]夕方6時ごろ、突然停電。ソマリア沖をぬけだし、護衛の自衛艦が離れて行った後だった。船内は真っ暗。エンジン音がしなくなった。
そのうち非常灯のみ点くようになった。僕はこのとき水先案内人アチン教授の「インドとパキスタンの核対決」という講座に出席していた。講座は中止。ピースボートスタッフが懐中電灯を持ってきて、いったんキャビンに戻るよう誘導してくれた。
乗客の半数は早めの夕食を食べていた。暗がりの中でもなんとか食事をすましたそうだ。7時半からの夕食は、テーブルにキャンドルが置かれ、特に支障はなかった。むしろ風流と感じるぐらい、この時点では乗客に余裕があったように思う。
しかしそのうち船内は暑くなってきた。エアコンは停止。トイレやシャワーの水も全く出ない。洗面所の水も最初はちょろちょろ出たが、しばらくして出なくなった。電話も通じない。インターネットもできなくなったそうだ。
船内放送が、「修理点検作業をしています。乗客の皆さま、ご安心ください」と何回か流れる。夜の船内企画全てが中止。インド・コーチンの海域に着くまではデッキに出ることを禁じられているので、寝るしかない。蒸し暑いキャビンで一夜を過ごした。
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