2023年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

2012年6月

2012年6月29日 (金)

浜岡原発再稼働の是非を住民投票での署名集めの現場からー政治不信の声

政治・政治家不信の声

 大飯原発再稼働を決定した野田首相の記者会見発言や、消費税増税を衆院が可決してから、署名を集めに行った先で政治・政治家不信の声が強まっている。

 「もう何も信じられません。政府・政治家は何を考えているのでしょうか? やっぱり民主党もダメですね。」

 その怒り・不信は、時に署名集めをしている僕にも向けられる場合がある(極めて少数だが)。「 あんたらは脱原発という世間の浮かれたムードでやっているのでは? 本気で今後の日本の電力供給をどうするのか考えているのか?」

 玄関先で20分ぐらい政治談議をする。本当は早く切り上げて隣の家に向かいたいのだが、議論をぶっかける人は話し相手を求めているし、こちらも相手の疑問に誠意をもって答える必要があるので、付き合うことにしている。

 僕自身も日本の政治にがっくりしている。絶望感に近い。2年前の9月、民主党と社民党・国民政党連立政権が誕生した時、僕は「新政権に期待する」長い文章を連載でブログに書いた。旧ブログを読み返すと、そのことごとくが裏切られている。

 政治への絶望感は深いが、だから何もしないのはもっと政治を悪くすると思っている。政治家が信頼できないからこそ、

直接民主主義のひとつである住民投票の必要性を考える。地方議員も国会議員も民意をかならずしも反映しない。住民・市民の利益に反する決定をしている場合が多い。

 静岡空港建設もそうだった。原発再稼働もしかり。そして消費税の8,10%値上げ。黙っていたら我々庶民は不利益ばかり。住民投票で直接私たちの声・意見を政治に反映するようにしましょう、と訴えている。

2012年6月27日 (水)

ピースボート75回クルーズ船内企画レポート 4

福島県郡山市Oさんのお話を聞く

 2月4日、第7回「ねえ聞いて 私の体験」に出てもらったのが、郡山市から乗船されたOさん。ピースボートに乗るとき、まさか福島県の人に出会えるとは全く想定していなかった。Oさんもまさか原発事故が起きるとは夢にも思っていなかったので、2年前ご夫妻で乗船契約をされていた。

 Oさんは福島県で憲法9条の会や反原発運動をされている。郡山市に避難してきた住民への支援活動もされている。原発事故があって大変な状況下で予定通り乗船するかどうか迷ったそうだが、お金も払ってあることだし休養も兼ねてクルーズに参加された。

 Oさんのお話は多くの乗客が聞いてくれた。100数十名ぐらいの参加者があったように思う。たくさんの項目について質問したので、ここでは印象に残った2つの内容を紹介したい。

 ① 事故後、原発に対する福島県民の意識が変わった

  Oさんはもともと原発反対の立場だが、従来原発賛成だった郡山市の保守的な政治家や商工会議所、企業人も、原発事故の深刻さを体験して意識が大きく変わったそうだ。昨年10月30日に福島市で脱原発県民集会があった時、郡山市から保革を問わず市民がバス10台で参加したとのこと。

 

 ②北海道の親戚が福島産の米受け取りを拒否

 

  昨年夏、Oさんは北海道の親戚を訪ねた時、お土産として福島の米を持参した。福島産の米はブランドとして人気も高く味も良い。原発事故以前に収穫されたものなので、放射能の汚染の心配は全くない。

 ところが親戚の人はやんわり受け取りを辞退したとのこと。ここまで風評被害があるのかと、怒りに震えたそうだ。

 0さんも元高校教員。年齢は僕より上だが、一緒に3,11脱原発企画や船内9条の会の活動、トラブル対処での活動など、一番僕と一緒に活動してくれた方である。

 その0さんに今年の秋11月に、福島県で再会したいと思っている。できれば袋井のメンバーに福島県の全体的な状況を語ってもらうよう依頼する予定だ。

2012年6月26日 (火)

浜岡原発再稼働の是非を住民投票での署名集めの現場からーー県営住宅団地を訪ねて

メンテナンスをしていない県営住宅団地(アパート)に驚く

 僕の住んでいる袋井駅南にひろがる住宅団地は県が開発・分譲した住宅地だが、その一角に県営住宅団地(アパート)がある。一棟が100世帯の5階建てアパートが5つと60世帯が入るアパートが2つ。昨日(6月25日)、署名のお願いに久しぶりに訪れた。

 築30年。静岡空港建設の是非を問う住民投票のときも訪れたが、10数年ぶりに内部に入って驚いた。鉄製のドアのペンキはあちこちはげ、コンクリートの階段もボロが目立つ。外から見える外壁は塗装をやり直ししてあるが、内部は建設した当時のまま。あちこちはがれ、みすぼらしい。

 僕たち一戸建ての住宅も築30数年経ち古くなったが、大半の家はメンテナンスをしている。外観だけでなく、玄関に入らせてもらってもこぎれいな家が多い。

 ところが県の住宅供給公社が建てたアパートは、明らかにメンテナンスがしっかりなされていないのに気づき、怒りが込み上げてきた。入っている人がかわいそうだ。鉄筋アパートは大事に使えば40年から50年はもつと思う。メンテナンスに金がかかっても、新築するよりも経済的だし、資源を大切にすることにつながる。僕の家は木造で築35年だが、立て替える計画はない。一生この家に住むつもりだ。

 役人は自分の仕事に責任を持たない。担当を外れたら、『後は知らん』態度だ。後任の担当も住んでいる人のことを考えない。快適に住んでもらいたいとの気持ちがあれば、予算を取ってきて改修するはずだと思う。

 10年ほど前からこのアパートに日系ブラジル人家族がたくさん住むようになった。しかし不況で帰国した家族が多く、アパートは空室が目立った。日本人は年配の方が多い。入居に所得制限があるので、いわゆる中流の家族は住めない。

鉄製ドアのぶきみさを痛感

 ホテルでよく体験するが、分厚い鉄製のドアはカギをかけると安心感がある半面、誰かがドアをノックすると怖い感情が立つ。「 誰だろう? 不審者が入って犯罪に巻き込まれたらやっかいだ。 」

 一戸建ての家でもカギを架けてある家が多い。インタホンで確認してから出てくる人に何人も出会った。アパートでも同じだった。ドアに安全チェーンをかけてある人もいる。僕は突然の訪問者の立場。相手の立場に立てば、警戒する気持ちはよく分かる。

 袋井市は比較的犯罪が少ない安心して住める街だが、テレビのニュースでは日本も絶対安全な国とは言えない事件が連日報道されている。見知らぬ男の突然の訪問をどう受け止めるだろうかと考えると、署名集めが苦痛になる。

うれしい出会いもある

 平日の昼間故、留守の家庭が多く、また日系ブラジル人世帯は選挙権がないので、結局1日で26人しか署名を集めることができなかった。しかし嬉しい出会いや反応もある。

 定年前勤めた袋井商業高校の保護者宅訪問。クラス担任した保護者なら顔を知っているが、単に授業で教えただけの生徒の保護者は全く知らない。表札を見て、「あれ、どこかで見た姓だなあ」と思ってブザーを押すと、出てきた女性は目を輝かせている。これまでにない反応に不思議だなあと思いながら趣旨を説明していると、「袋井商業に勤めていた方でしょう」と言われた。子どもが4人とも袋井商業でお世話になったと話す。もちろん心地よく署名に応じてくれた。

 畑を借りて農業で顔見知りの人もこのアパートに住んでいた。互いに知っていると安心感があり、話も弾む。署名の説明も簡単で済む。

 20代の青年との出会いも嬉しかった。納得するまでじっと僕の話を真剣に聞いてくれる。原発を無くしたら日本の電気や雇用・産業がどうなるのかに関心があるようだ。20分ぐらい話しただろうか。ようやく納得して、住民投票のための署名と永久停止を求める署名に応じてくれた時は本当に嬉しかった。

 

 

2012年6月25日 (月)

ピースボート75回クルーズ船内企画レポート 3

被爆者・さだまさしピースミュージアム専務理事増川雅一さん

 第3回「ねえ聞いて 私の体験」に出演してもらったのが、上記の増川さん。実は彼が乗船することは事前に知っていた。さだまさしのファンクラブ会員向けの「マサシングワールド」に、長崎貝の火運動ピーススフィアミュージアム専務理事の増川さんが、75回クルーズで地球一周することが掲載されていた。

 増川さんはピースボートが招待した「おりづる」として乗船されていた。「おりづる」プロジェクトとして、ピースボートは無料で被爆者を招待し、世界各地で被曝体験証言会を開いている。船内でも核兵器廃絶のさまざまな企画を、おりづる企画として行っている。乗客もおりずるパートナーとして、被爆者とともに船内企画に参加・協力するシステムができている。

 もちろん僕もおりずるパートナーに進んでなった。増川さんは長崎放送局の元ディレクター。原爆・核兵器・戦争関連のいい映像をたくさん製作されてきた方だ。

 退職してさだまさしのピースミュージアムにボランティアとして関わっておられる。「ねえ聞いて私の体験」では、増川さんとさだまさしの出会い、被爆体験、長崎放送局時代製作した番組、、戦争放棄をアピールするための胸に着ける「ほうき」の活用などを話してもらった。

 僕が彼の話しで一番驚いたのは、幼少のころ被曝した体験を外部に語らなかった点だ。別に隠す意図ではない。戦争番組を被害のみの視点ではなく、日本の加害責任の観点からも製作されてきた増川さんにとり、被爆者であると打ち明けることで自分に対して変な感情を持たれることを避けてきたのだろうと思う。

この夏袋井市で増川さんの講演会

 8月26日、袋井市核兵器廃絶平和都市宣言に基づく企画として、増川雅一さんの講演と長崎放送局制作『あの日の記憶』上映会を準備している。昨年は「被曝ピアノ平和コンサート」を袋井市と市教育委員会・市民の三者が共催という形で実施した。

 今年は市と共催という形になるのか、後援になるのか、まだ正式に決まっていないが、いずれにしても行政と協力して準備を進めている。

 ピースボートで出会った人を招いての企画は、増川さんが3人目。朝日新聞記者・伊藤千尋さんは「袋井憲法9条の会」の講師として3年前に招いた。

 アイヌレブルズの酒井美直さんは、2年前浜松市で「酒井美直公演」という形で招いた。増川さんの講演会準備作業は遅れている。まだ1回そのための会合を持っただけ。住民投票を求める署名活動で余裕が無いのが原因。7月11日、署名活動が終わったら本格的に取り組みたい。

2012年6月24日 (日)

ピースボート75回クルーズ船内企画レポート 2

27回実施した『ねえ聞いて 私の体験』

 4年前の62回クルーズでは、「トークトークトーク 私の人生」を自主企画した。今回は人生というタイトルは若者には重いと「体験」と名前を変え、船内で出会った人たちの体験をインタビューする企画を行った。

 何回かに分けて出演者の紹介をする。全ての人を紹介するのは大変なので、今現在僕の活動につながっている人たちを順次取り上げていきたい。

南相馬市で放射性物質除染実証実験をしている田崎和江氏

 4月28日、第25回に登場してもらったのが、金沢大学名誉教授・田崎和江博士。彼女は船内で毎日放射能測定をされた方である。

 船内では有名な方だが、この企画に参加してくれた乗客は50名ぐらいだった。実は75回クルーズでは残念なことに、「ねえ聞いて私の体験」を聞きに来てくれる乗客は62回に比べて少なかった。毎回平均すると30~50名ぐらい。前回は平均100名前後きてくれたのに。船内で有名な人だと200名を越えた時もあった。客層の変化が原因と思われる。

 田崎和江さんは異色の科学者だ。定時制高校を卒業し、独学で博士号取得。カナダで9年間教えた後、金沢大学で16年間。定年後はベトナムの大学で1年間。タンザニアの国立大学でも教えた経験を持つ。

 専門は地質学だが、ウラン鉱石の研究も専門の枠内にはいるので、放射能の問題にも詳しい。福島原発事故の後、南相馬市で水田の放射線量低減と放射性物質除染の2つの実証実験をされている。彼女も僕と同様、福島原発事故以前に乗船契約をすませてあったので地球一周の旅に参加された。

 インタビューでは専門的な話しは避け、彼女の人柄や人生、生活、乗客が興味を持つ内容について話してもらった。1時間のわくではとても収まらない多彩な経験を聞くことができ、内容的にはとても充実していたと思う。

今年11月8日南相馬市で田崎博士の実践を聞く計画

 今年1月22日に立ち上げた「浜岡原発を考える袋井の会」で、11月7,8,9日、福島ツアーを計画している。8日、午前は飯館村を酪農家・長谷川健一さんに案内してもらい、午後南相馬で田崎和江さんが実証実験をしている現場を訪れ、お話を聞く予定である。放射能と向き合う人々から、現場で直接お話を聞く機会を今から心待ちしている。

2012年6月23日 (土)

ピースボート75回クルーズ船内自主企画レポート 1

原発と核兵器の関係を考えるー原子力の平和利用と核兵器開発は結び付いているのかどうか考える 

 3,11企画の一環として、3月8日上記の自主企画を開いた。集まってくれたのは20数名ぐらい。核兵器開発の副産物として原子力発電が生まれたこと、中曽根元首相が中心となり、日本の原子力平和利用と言う名の原発開発が国策として決定された時、その背景には潜在的核武装の能力・技術開発という狙いがあったことをレポートし、参加者とこの問題を話し合った。

 イランや北朝鮮の原発開発が何故核兵器開発と疑われているのか、日本のプルトニウム蓄積が海外から日本核武装の疑惑を受けていることも取り上げられた。

 今、このことを証明する事態が起きている。原子力規制庁を新たに作る法案が自民・公明・民主の賛成で衆議院で可決された。なんとそのどさくさに原子力基本法が一部改正(改悪)され、『安全保障に資する』という文言が刷り込まれた。

 早速韓国の新聞がこのことを「日本核武装か」と、大きく取り上げている。日本は被爆国として原子力の平和利用を建前としてきた。ところが3,11の福島原発事故以来、脱原発の国民的世論の高まりに危機感を抱いた自民党を中心とする「核武装勢力」が、原発を廃止したら核技術の蓄積・発展が失われると、公然と原発推進が安全保障上必要と主張するようになってきた。

 その結果が今回の原子力基本法改悪である。ピースボート船内で取り上げたことが、現実となっている。社民党・共産党は参院で徹底的にこの問題を追及してもらいたい。同時に脱原発・原発再稼働反対の僕たち市民運動側も、原発と核武装の関係を市民に訴えていく必要があると思う。

 

2012年6月22日 (金)

浜岡原発再稼働の是非を住民投票での署名集めの現場から 続編

一人ひとりの有権者の思いを無視した東京都議会

 住民投票を求める署名は、集める方も署名するほうも気楽ではない。生年月日や印鑑(街頭では拇印)が必要だからだ。

 明確に原発反対の人ならためらわず進んで署名してくれるが、実際にはそのような人は少ない。こちらの説明に耳を傾け納得し、意を決したように「署名しましょう」と応じてくれるケースが多い。

 静岡空港建設の是非を問う住民投票条例を求める署名に応じてくれた人は2回目だが、大半の人は生まれて初めてこの種の署名を体験する。

 個人情報が漏れないか、署名が変に悪用されないか心配される人もいる。どんな団体がやっているのか質問する人もいる。原発を止めて日本経済は大丈夫かと議論を吹っ掛ける人もいる。それでも署名してくれるのは、その人なりに「再稼働の判断を政治家や一部の関係者に任せずに、住民一人一人が投票という形で態度を明らかにする」ことに賛同してくれるからだと思う。

 昨日は雨だったので7名しか署名を集めることができなかった。その中で、まだ3カ月ぐらいの赤ちゃんと2歳ぐらいの幼児を持つ20代前半の若いお母さんがいた。「原発は停止していても危険なのですね。どうしたらよいのですか? 浜岡の原子炉はどうなるのですか?」と、質問を受けた。10分ぐらい詳しく説明して、ようやく赤ちゃんを抱っこしながら署名してくれた。

 おそらくわが子を守りたいとの思いで署名してくれたと想像する。住民投票を求める署名には、色々な思いが込められている。東京では30万人の思いが。

 しかし都議会の自民党・公明党・一部の民主党所属議員は、その思いを無視して否決した。大阪市でも否決されている。

 静岡県議会ではどうなるか? 議員に真剣に考えてもらうためにも、先ずはたくさんの思い・声を集めたい。

2012年6月21日 (木)

浜岡原発再稼働の是非を住民投票での署名集めの現場から

住民の声

 政府・福井県が大飯原発再稼働を決めてから、署名を集めに行った家庭から政府への怒りの声が伝わってくる。それも普通のおばさんや高齢の女性から。

 「福島の人たちが大変な状況になっているのに、原発を動かすなんて許せない」 「私は後10年も生きられないが、子や孫にきれいな環境を残したい。放射能は怖い。原発はダメ」 「脱原発と言っていたのに、もう再稼働するとは政治家は信用できない」

 「電力不足とかいうが、節電すればよい。私らの子供時代はクーラーなど電気製品がなかった。我慢すればなんとかやっていける。我が家ではできるだけ電気を使わないようにしている」

 5月13日から署名活動が始まったが、最近積極的に署名してくれる人が増えたように思われる。福井県の状況で、危機感を持つ静岡県民が増えたようだ。

しのびよる高齢化

 戸別訪問をすると地域の実態が見えてくる。高齢化。平日の昼間でも家に居る人が多い。この点署名を集める側にはありがたい。一人暮らしの方も多い。昨日は92歳の方が署名してくださった。1昨日は93歳の方が。しっかりとした字でゆっくり住所・氏名・年齢を書いてくれる。

 中には病気で寝ている方や、自分で字が書けないので奥さんが代理署名してくれた家もある。よろよろと(失礼な表現だが)玄関に出てくる方、大きな声で話しかけないと聞こえない方、介護に訪れたホームヘルパーが代わりに出てくるケースもある。

 浜岡原発が爆発したらこの人たちはどうやって逃げるのか  高齢者のお宅でいつもこのとを考える。袋井市の人口は8万人を超える。このうち80歳以上の方が何人いるか正確には知らないが、おそらく数千人はいるだろう。

 袋井市は避難先を確保していない。全ての市町村がそうだろう。大飯原発が爆発したら影響を受ける福井県や京都府、滋賀県も状況は同じ。病院や老人施設はもっと深刻だ。にもかかわらず、原発を再稼働するのはあまりにも無責任だ。

 高齢者のお宅を訪問して、「浜岡原発は絶対に再稼働させてはならない。永久停止・廃炉まで頑張ろう!!!」との思いを強くしている。

 

2012年6月20日 (水)

官僚の無責任 個人責任を問うべき

 

 昨年福島原発事故による放射性物質拡散の詳しいデータが米軍から日本政府に提供されたにもかかわらず、住民の避難に活かされなかったことが判明した。

 

 僕はこれを知った時、この重要な情報を握り潰した官僚の精神構造はどうなっているのか、さらに事実を知りながら政府の上層部に伝えなかった官僚の個人責任を追及すべきだと考えた。

 3月11日以降、福島原発がどうなるのか、爆発してからは放射性物質放出の恐怖に、日本中、いや世界中の人々がおののいた。

 10キロ圏、20キロ圏以内の住民の避難も始まった。どこに逃げたらよいのか、米軍提供のデータはその判断を助ける貴重なものだということは、誰の目にも明らかなのに、文部科学省・保安院の官僚はそのデータ(地図)を役立てなかった。文部科学省は未だに上層部に情報をあげなかったのは過失でないと主張している。

 これをどう考えるか。普通の人ならありえないことだ。官僚の人を思いやる心がないことに慄然とする。保身・立身出世・事なかれ主義・自分の業務以外の面倒なことには首を突っ込まない・機転が利かない・指示がなければ動かない。

 住民(国民)がどんなに苦しもうと、自分には関係ない。自分の業務さえ淡々とやればよい。外務省の官僚は、情報を文部科学省にメールで伝えただけ。その情報が活かされていないのは無関心。

 文部科学省の官僚は保安院に伝えただけ。自分たち自身が放射能測定をやっているのだから、米軍情報に驚き、直ぐ政府上層部に伝えるべきなのに、握りつぶした。

住民に寄りそう心があれば、ありえないこと。これは一種の犯罪=重大過失だ

 スピーディの情報を伝えなかったのと合わせて、住民の被曝を最小限におさえようと努力しなかった関係する官僚の個人責任を追及すべきだと思う。

2012年6月19日 (火)

オスプレイ沖縄配備を許すな

沖縄の怒りを真摯に受け止めよう

 普天間基地へのオスプレイ配備に反対する市民集会が17日宜野湾市で開かれ、5,000人が参加した。静岡市の僕の友人も参加している。沖縄県北部訓練場に隣接する高江で、ヘリパッド基地建設反対運動を続けている人たちも参加しているだろう。

 自分も参加できないのを申し訳なく思っている。2年前から高江の座り込みに参加しているが、今年はピースボート乗船や浜岡原発再稼働の是非を住民投票での署名集めで、まだ一度も沖縄に行けないでいる。

 アメリカでの墜落事故で、オスプレイの危険性が決定的に明らかになった。沖縄では全島ぐるみの配備反対運動が起きている。1村議会を除き(この村も今後反対決議をあげる予定)、40市町村議会が反対決議をあげている。仲井間知事も反対している。

 このような状況下でも政府はアメリカに配備反対を言わず、普天間配備を強行しようとしている。大飯原発再稼働もそうだが、住民の命と安心・安全よりも米軍や電力会社の利益のほうを大切にする。

 多数の住民の声を無視する政府に対し、住民の意思を尊重させるには直接民主主義の手段によるしかない。沖縄では普天間基地ゲート前での座り込みが始まった。ヘリの搬入は空からだが、多数の住民が参加すれば基地機能をマヒさせる座り込みに発展する可能性をもっている。

 いくら抗議・反対しても本土は無視する態度に、沖縄の人々は心底怒っている。日本政府は本土の市町村議会や首長・知事が反対すれば、それを無視することはない。原発再稼働もしかり。

 しかしこと沖縄の米軍基地からみとなると、全く沖縄の民意を無視する。これは沖縄蔑視・差別だ!!!

 戦前の植民地支配を真摯に反省し、被害を受けた人々への補償に誠実に対処する姿勢が無いのと、構造的に全く同じだ。

 今日の新聞によると、普天間配備予定のオスプレイが九州・四国・本州の山間部でも訓練する計画が明らかになった。静岡県富士キャンプにも年に何回か訓練に来るそうだ。

 訓練上空にかかる市町村議会・首長・知事は、当然反対するだろう。この時、本土での訓練反対を主張するのか、オスプレイ配備そのものに反対するのか、僕は注意深く見守りたいと考えている。

 署名活動が7月11日終了する。袋井市で7月末、8月末2つの講演会を準備しているが、なんとか都合をつけて沖縄の座り込みに参加したいと思っている。

2012年6月17日 (日)

ピースボート 今後こうあってほしい

観光・娯楽・心身充実のクルーズと本来のピースボートの分離を求める

 僕はピースボートを全面的に否定する立場には立っていない。2回乗船して、その良さも人一倍理解している積りだ。個人的に知っているスタッフもおり、彼らのためにもなんとか改善してほしいとの願望が強い。

 しかし現在の状態では改善が望めないのも知っている。はかない願望だが、見出しのように分離しか方法はないのではと考えている。

 地球一周クルーズは今後も需要が望め、人気が高い。船内での企画も飛鳥Ⅱなどに比べ、色々多彩な自主企画ができる点が強みだ。食事もヘルシーで、中高年には極めて健康的である。料金も他と比べて安い。

 思い切ってピースボートの看板を外し、心身充実・リフレッシュ・若がえり・退職後の休養・観光・娯楽、そしてクルーズそのものを楽しむ、本来のクルーズに特化したらどうだろうか。

 低料金・低サービスが売り物の格安航空会社のようにジャパングレイスがなってはどうだろうか。ノウハウは蓄積している。問題は安心できる船の確保だ。

 これまでのように水もれやエンジントラブルが起きない程度の客船は用意してほしい。豪華客船は他の会社に任せておけばよい。ホテルやレストランもランクがあるように、クルーズ客船にランクがあって当然。客は自分の懐と好みで選択する。

 安心・安全・ノートラブルな船を確保するため、多少料金が上がっても需要は確実にあると思う。お金が無い若者の希望が減るが、これは仕方が無いと思う。宣伝や船内企画に協力する若者に対し、割引制度を活用すれば50名程度の若者が確保できるのでは。

 一方、NGOのピースボートは本来の目的・趣旨・原点に立ち返るべきだと思う。ピースボートの看板で客を集め、トラブル続きのクルーズを続ける今のやり方は、ピースボートの看板を傷つけるだけだ。

 僕は石巻での復興支援にピースボートが果たしている役割を評価している。多くの団体や若者を引き込み、まとめて支援活動を行うノウハウは、これまでの活動の蓄積が役立っている。9条世界会議・脱原発世界会議・地球規模での核兵器廃絶運動・非核地帯創設活動・地雷撤去活動・紛争防止など、ピースボートならではの活動は今後も継続・発展してほしいと願っている。

 若者が世界を旅して見聞を深め、世界と自分を見つめる方法は、個人旅行のほうが収穫が大きい。便利になった世の中、その気になればいくらでも格安地球の旅ができる。過保護社会故に、一人旅で苦労させ体験を積ませるほうが現代社会のニーズにかなう。

 洋上で勉強しながら紛争地や戦争の傷跡をめぐる、ピースボート本来の船旅を続けるなら、それ専門の船を出せばよいと思う。不登校や社会的ひきこもりの若者対象のグローバルスクールも、その船で開設すればよい。スタッフは無給のボランティアを募れば集まるだろう。

 問題はやはり船の確保だが、沈没しない限りオンボロ船でいいのではないか。漂流や遅れ、水もれ覚悟で乗船してもらえば、乗客とのトラブルはありえない。オンボロ船の運命共同体で苦労を共にすれば、友情も深まる。

 水先案内人は、原点に立ち帰ったピースボートに賛同してくれるだろう。有名人でなくてもよい。退職した大学教授やジャーナリスト、色々な分野の専門家が協力してくれるものと思う。

 経費の点で無理に地球一周しなくても、アジア・南米・アフリカ・中東と地域を限定したクルーズにする方法もある。こちらのほうが、現地に長く滞在でき本当の交流や体験、勉強ができるだろう。

 もしこのような船が出るのなら、無給のボランティアスタッフとして参加したい。団塊の世代に活躍の場を提供すれば、船長経験者や船員経験者、エンジン修理・メンテナンス専門家など、多彩な人材が将来の若者育成のため、ボランティアスタッフとして参加するだろう。

2012年6月16日 (土)

ピースボート75回クルーズこぼれ話し

寂しかったフェアウエルパーティー

 日本に戻る直前5月2日、船内で恒例のフェアウエルパーティーが開かれた。当日の船内新聞には、以下の案内が出ている。

 ” オセアニック号さよならパーティーです。本船専属の生演奏をお楽しみください。フェアウエルドリンクをご用意しております。”


 ” 今夜はフェアウエルパーティ&ディナーです。みなさま、思い思いのおしゃれをしてお越しください。”

 横浜を出港した後、ウエルカムパーティーがあった。このときはほぼ全ての乗客がおしゃれをして出席した。

 しかし最後のパーティーは寂しいものだった! 前後2回に分けて行われるのだが、僕が出席した1回目のパーティーは人が集まらない。会場は閑散としている。無料でワインが飲めるのに。。。。。。。。。。。。。

 船長以下クルーの幹部とジャパングレイスの事務局長、ピースボートスタッフが勢ぞろいし乗客にお別れの挨拶をしたが、会場は気の毒なほどしらけていた。

 漂流トラブルで乗客の心はオセアニック号を運行する人たちと離れていた。4年前のクリッパー号は10日も遅れたが、無事に帰れる喜びでフェアウエルパーティーはにぎやかだったのに。

 若者の出席も少なかった。漂流以前、彼らはイベント作りに積極的で船内を盛り上げてくれたが、彼らの心も離れていた。直接彼らから話を聞いたわけではないが、相当な不満が積み重なったようだ。

 船が古いのだから船にからむトラブルはピースボートにはつきもの。リピーターは多少それを覚悟で乗船している。しかし初めて乗船した人は、裏切られた感情になる。問題は船のトラブルだけではない。トラブル対処で乗客への誠意がないのが、最大の問題だと思う。

 

2012年6月14日 (木)

浜岡原発再稼働の是非を県民(住民)投票でーー署名集めの現場から

署名に応じてくれない人々の反応

 普通の署名と違い、生年月日や印鑑も必要、同じ家族でも本人の直筆、袋井の受任者は袋井に住んでいる人しか集められないと、制約の多い署名集めは時間もかかり苦労も多い。

 今回は署名に応じてくれない人々の反応をレポートしたい。 日本人、日本社会、今の社会の反映など、色々考えさせられる反応が多い。

 「主人が留守なので、私一人では判断できません」 これが一番多い。平日の昼間なので、ご主人が勤めに出ている場合が多いから、留守は分かるが原発災害がこれほど報道されていても自分で判断できないのは悲しい現実だ。

 「よくわからないから」 これも多い。色々と説明しても、もう少し考えさせて下さいと逃げられる。

「原発を止めたら電気が困るでしょう」 政府・電力会社・マスコミの宣伝に洗脳されている人も多い。こう反応する人たちとは、日本の電気事情や再生可能エネルギーの話しなど、長い話しあいになる場合が多い。みんなで日本のエネルギー問題を考える良い機会だと考えている。

 「原発のある地域の人々のことを考えると、簡単に署名できない」  雇用、地域経済を心配されている。中には浜岡出身や親せき・友人がいる人も。

 「原発を無くしたら、二酸化炭素が増えるのでは」  住民投票を求める署名は、永久停止や廃炉まで求めていないが、実はこの署名活動と並行して、袋井市独自の「浜岡原発の永久停止を求める」署名もあつめている。

 今年1月22日に立ち上げた「浜岡原発を考える袋井の会」で、袋井市議会が永久停止の決議をあげ、市の立場を公式に表明してもらいたいと要請する署名だ。まだ2,000人ぐらいしか集まっていないので、原発に反対のご家庭では家族全員の名前を書いてくださいとお願いしている。

 この署名に反発する人や同意できない人は、

「原発を無くしたら、日本の経済・エネルギーはどうなるのだ。資源が無い日本には、原発は必要だと思う」  「工場が海外に移転して雇用が無くなるのでは」  と、政府と同じことを言う。

 「原発の事故は怖い。しかし原発を無くしてしまっていいか、判断がつきかねる。自分として迷っているところだ。もう少し考えさせてくれ」  福島の事故でわが問題として真剣に考える人も増えてきた。

 単純な反応もある。 「署名はきらい」 「うちは原発賛成です」 「私は再稼働賛成です」 「電気関係の仕事をしているので署名は遠慮させてもらいます」  

 ご主人が中部電気に勤めている奥さんで、「私は原発は危険だから署名したいが、主人の関係で申し訳ないが署名できません」 というのもあった。

 公務員だから署名できないという人もいる。立場を利用して署名集めをするのはいけないが、署名するしないは個人の権利。憲法で認められている権利を理解していない。

 署名を強要することは絶対あってはいけないので、協力いただけない人にもにこやかに対応している。

 

 

2012年6月13日 (水)

ピースボート地球一周の船旅ーー75回クルーズこぼれ話し(ピースボートの実態の続き)

予定外のサウジアラビア・ジェッダの港で

 サウジ寄港のサプライズについては、吉岡達也氏に関係する所で書いたが、今回はサウジアラビア政府の乗客へのお土産について、こぼれ話しふうに書きたい。

 まずサウジ政府高官がおりづる(被爆者)の人たち一人ひとりにお土産を手渡した。次に会場に居た乗客にも配られた。サウジ側の職員が大きくて立派な箱に入ったココナツの実のお土産を配って歩く。

 乗客は大喜び。お昼をごちそうしてくれ、おまけに約900名の乗客全員にお土産までサービスしてくれるとは、さすが金持ちの国だなと、感心した。

 そのうち別のお土産も配られ始めた。説明が無いから、2つもくれるのかと入口の方に座っていた人たちはもらった。僕も期待したが、しばらくしてお土産は一人一個ということが分かってきた。

 配る職員は日本語が話せないから、一人一個とは説明しない。乗客の中にはその会場に来ていない同室の人のために、2個もらう人もたくさん出てきた。早く貰ったもの勝ち。狭い会場と出入り口付近は大混乱状態に。

 ピースボートスタッフ数名が一人一個ですよと声をかけるが、時すでに遅し。遅く来た若者たちは、何ももらえない。可哀想に思って、ピースボートセンターに行きその場に居たスタッフに、「放送で2個もらった人は、返すよう案内してください」と頼んだ。

 放送が流れなかったので、今度はピースボートスタッフ事務局長に「これではサウジ政府の善意も一部の乗客には届かない。もらった人、もらわなかった人が出ると、乗客同士の不和にもなる。2個もらった人全員が返してくれるかどうかは分からないが、放送で呼び掛けてほしい」とお願いした。

 反応は驚くべきものだった。「サウジ政府が全員分用意したかどうか分からない。お土産はピースボートが用意したものではない。全員にいきわたらないことをサウジ側がどう思うか、現地に確認する必要がある。」

 サウジのサプライズは僕たちが横浜を出るとき以前に計画されていたと思う。トルコを過ぎてから、船内では中東非核地帯を作るための国際会議が開かれていた。サウジの関係者も出席していた。これとの関連で、サプライズが用意され、吉岡達也氏が東京からサウジまで飛んできた。お土産はサウジ側の申し出だと思うが、乗客の数は伝えてあるはずだ。食事まで用意してくれたのだから。

 

 ずさん。サウジ側が配る時、ピースボートスタッフが立会って、「一人一個です」と声をかければこのようなことは起きなかった。

 

 

 

2012年6月12日 (火)

ピースボートの実態ーーリピーターを考える

リピーターはどんな人、どうして多いのだろうか?

 75回クルーズにはこれまで最多の約250名のリピーターが乗船した。全ての人にインタビューしたわけではないが、多くの人と話をする機会があった。62回クルーズで一緒だった人も17名乗船していた。どうしてピースボートはリピーターが多いのだろうか? またどんな人がリピーターに多いのだろうか?

 

 リピーターの多くはピースボートの理念に共鳴しているわけではない。逆に船内では、平和・環境・貧困問題などの硬い企画に参加しない人の方が多い。社会問題にあまり関心のない人が多いのには驚かさせられる。

 では彼ら彼女らはどうして、何が目的で、何が楽しみで、何度も乗船するのだろうか? 類型すると ① 趣味・船内企画 ② 船旅が好き ③ 人との出会い ④ 家に一人いるよりも刺激があり楽しいから ⑤ その他 の理由があげられる。

 ① ダンスの先生。指導者ではないが、ダンスを習っていて、船内で毎日無料で踊れるのを楽しみにしている人。 太極拳・空手・囲碁将棋・茶道・俳句・音楽・健康法など指導できる人。好きな映像をdvdに録画したり、市販のDVDを持ち込んで多くの人に観てもらいたい人。自分がリーダーでないが、そうした趣味的な企画に参加するのが大好きな人。マージャン好きの人。 気楽に、自由に、無料で企画でき、参加できるのが魅力となっている。陸にいると体を移動させる必要があるが、船では家庭同然。極めて便利。おそらくこの類型が一番多いと思われる。

 ② 飛行機なら重い荷物を持って乗り換える必要があるが、船旅はその必要がなく、のんびり海を見ながらゆったり旅を楽しむことができる。特に70歳以上の方は体力的に船旅が楽だ。

 

 ③ 職種・人生経験が異なる色々な人と出会える。恋人?も見つけられるかも知れない。狭い空間で100日以上生活を共にすると、陸にいるときよりも顔を合わせる機会が多く、濃密な人間関係を作ることができる。前に乗船した人と再会できる。

 ④ 夫や妻に先立たれた一人暮らしのリピーターが多い。家に居ると寂しいが、ピースボートは若い人も乗っており、賑やかで刺激がある。船内企画も多く、痴呆防止にも役立つ。75回クルーズでは70歳以上のリピーターが目立った。口の悪い乗客の中に、「ピースボートは老人船になった」と言う人もいた。

 ⑤ 積極的に陸でやることがないから。暇だから。家でいると自分で食事を作らなければならず面倒だから。

 リピーターの多くは金持ちではないが、経済的に恵まれている人が多い。

2012年6月11日 (月)

浜岡原発再稼働の是非を問う住民投票の実現を目指してーー住民の反応

住民投票実現まで、ハードルは高い。静岡県では6万2千人以上の有権者の有効署名が必要だ。署名を集める受任者は約6,000人。有効署名はなんとかクリアできるが、議会が可決するかどうかのハードルは極めて高い。

 このハードルを乗り越えるカギが、署名数。約30万近く集めることができれば、保守的な議員も無視できない。そこで毎日署名集めをしている。

 一軒一軒訪ねて署名のお願いをしていると、色々な反応がある。署名に応じてくださる肯定的な反応。

 「署名運動、テレビで見て知っていますよ。磐田の元市長さんが始められた署名でしょう」

「政府はひどいですね。原発再稼働なんて許せないですよ。私は原発反対のデモに参加したいと思っているぐらいです」 

 
「原発事故は怖いですね。福島の人々は本当にお気の毒ですね。」

「私は年を取って後10年生きられるか分からないが、子どもや孫のことを考えると原発は無くしてほしいですね」

「福島原発事故が起きるまで、日本の原発は安全だと思っていたが、とんでもないですね。地震も怖いが、放射能のほうがもっと怖いですね」

「ごくろうさま。こうして誰かがやってくれないと、何も始まらないですね。」

「大変ですね。ありがとうございます。」

 署名してくださる方のほとんどが、「ごくろうさん」「頑張ってください」「ありがとうございます」と、声をかけてくれる。こうして昨日までに510人の署名が集まった。チャレンジ1,000の目標まで、なんとか半分こぎつけることができた。7月11日まで余すところ1か月。

 こうして書くと順調に行っているようだが、実際には様々な困難・反応がある。ピースボートレポートを書きながら、否定的な反応も報告したい。

2012年6月10日 (日)

メールアドレスの間違い

自費出版「若者へのメッセージ」のブログで、本に興味のある方は以下のアドレスに連絡してくださいと書いたが、うっかりミスでアドレスが間違っていました!!!

 正しくは takecbf21369@nifty.com

自分のアドレスを間違えるとは恥ずかしい次第です。以前のホームページでは訂正ができたのに、今朝訂正しようとしたらうまくいきませんでした。ピースボートの写真もエジプト以降に撮ったものはブログに掲載できず、パソコンでは苦労しています。

浜岡原発と関電おおい原発再稼働

野田首相の再稼働宣言

 6月8日夕方、野田首相が記者会見し、関西電力大飯原発3,4号機について、「国民生活を守るため、再稼働すべきだというのが私の判断だ。立地自治体のご理解をいただいたところで再稼働の手続きを進めたい」と、再稼働宣言をした。

 「電力供給の約3割を担ってきた原発を止めてしまっては、日本の社会は立ち行かない。エネルギー安全保障の視点からも原発は重要な電源だ。」

 「計画停電や突発的な停電が起きれば、日常生活や経済活動は大きく混乱する」「夏場限定の再稼働では国民生活は守れない」とも述べている。

 

 大きなうそ 電力・原発利権業界を守る

 僕はこのニュースを聞いて、「ああ、原発推進の経済産業省官僚が書いた作文だな」と直感した。電力不足危機を誇大にあおり、国民生活を守るため原発が必要と説くありふれたシナリオにすぎない。本音は電力・原発利権業界・原子力村を守るためだ。

 浜岡原発にはこの論法は通じない

 昨日(9日)いつものように、「再稼働の是非を県民投票で」署名活動を行った。隣町だったが、41名の方が署名に応じてくれた。普段よりも多い数だ。通常は朝9時から午後5時半まで戸別訪問して、20数名ぐらい。多い日で30名ぐらい。土曜日だったこともあるが、野田首相の発言を住民は冷めた目で見ている。

 中部電力管内では、昨年5月以降原発は停止しているが、電力不足は全く生じていない。夏場ピーク時も問題なかった。実は3年前の8月11日、駿河湾地震で浜岡原発3,4,5号機全てが停止。それが1カ月続いた。中部電力はあの時、計画停電はおろか節電要請さえしなかった!

 原発なしでも日常生活や経済活動に影響が無いことを、静岡県民は知っている。逆に福島原発災害で、原発事故の恐ろしさ、政府・電力会社・原子力村のうそを知ることになった。

 原発が経済活動に悪影響を与えると認識する経済人も増えつつある。ある地域大手スパーでは、経営者の理解で敷地内で署名活動が可能となった。またあるトラック業界大手の会社は、原発事故が起きれば自分たちの会社もこの地域で仕事ができなくなる、と社員の健康診断の日(2日間)に署名活動をすることに協力してくれた。会社の人が「社として協力している」と声をかけてくれるので、検診に訪れた約300名ぐらいのほとんどの人が署名してくれた。僕は7,8日とこの会社での署名活動に参加したが、「企業も変わってきたな」と実感した。

 とは言っても政府・電力会社・マスコミの「日本は原発が必要。原発停止が家庭の電気料金値上げにつながる」との宣伝・脅しは、結構浸透しているのも事実である。具体的な戸別訪問での会話を次回レポートしたい。

2012年6月 9日 (土)

自費出版『若者へのメッセージ』

『若者へのメッセージ』

 
 5月に上記タイトルの本を自費出版した。副題は「クラス担任として生徒に贈った記録」

 4つの高校でクラス担任となった時、クラス新聞やクラス文集を生徒と共に作り、そこに掲載した文章をまとめたものである。

 僕は教室では言葉で色々な自分の考えや思いを伝えてきたが、本当に伝えたいことは文章で伝えてきた。書くときにじっくり伝えたい内容を考えることができる。読み手も言葉だと消えてしまうが文章だと残り、受け取り方も違うだろうと考えたからだ。それから保護者の方にもクラス担任がどんなことを考えているのか知ってもらうことができる。

 最初の文章は1980年に書いたクラス新聞から。わら半紙の新聞は変色していた。本にまとめようと考えたのは、その変色だった。ほっておけばボロボロになり、読めなくなる。5年前退職したとき、教員時代の資料は倉庫に投げ込んだままだった。いつか整理したいと思っていたが、昨年夏整理してみると一部散逸したものを除きほとんど残っていた。

 全てを読み返してみると、恥ずかしいものもあるが今の時代を生きる若者、特に教職を志す人や若い教師になにか参考になるかも、と考え本にまとめることにした。

 4年前出版した『僕の地球一周の船旅  ピースボート 光と影』は、500部印刷して全て無くなったので、今回は1,000部印刷した。

 

 ブログを読んでくださっている方で興味のある方は下記のメールに連絡してください。

  cbf21369@nifty.com

なお代金は1,000円です。送料は290円ですが、切手で送ってもらうようにしています。

参考までに小見出しのいくつかを紹介します。

1980年代 「生きること」「僕の故郷」「ねむい平和」『安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから』「心の暖房」「君は何を誇りうるか」

 『竹の子一家の旅立ち』「ごくろうさまでした 高見山殿」「僕からの長い感想」「中古車と体」「ある親の選択」「進路と学習について」「現代の青年に求められているもの」「日本はこれでいいのか」「教師としての僕の原点」「高校の目的」

 1990年代  「弟」「担任からのアピール」「旅から学ぶもの」「我が思い」「生徒会活動の目指すもの」「一番訴えたいこと」「新緑と青春」「日本国憲法を誇りに思う」「強欲・欲張り・願望・そして意欲」「僕が最も憎むもの」「わが子」「限りある命」

 「人の心」「寒空の下で」「違うことこそ万歳」「マインドコントロール」「釜山のチェチョンウンさんとの再会」「地球環境問題を考える」「フジモリ大統領と日本人」「父・母」「日本の戦争責任と教師の責任」「日本の教育について思う」

 

 高文研「考える高校生」に掲載された記事「町に役立つ高校生の誇り」

 県教委「高校教育資料第36集」に掲載された記事「生徒会活動の現状と問題点ーー生徒の自主性・意欲を育てる具体的な取り組み」

 出版文化「教師の広場」に掲載された記事「わが校のボランティア活動とその理念」

 

 学校の研究紀要に掲載「部活指導実践記録」

2000年代  「21世紀を生きる若者へ」「クラス文集発行に寄せて」

あとがき 「38年間の教員生活を振り返って」

  ページ数 282

 

2012年6月 8日 (金)

ピースボートの実態ーー海賊海域で自衛隊の護衛艦に守られた時のこと

 NGOであるピースボートは自衛隊の海外派遣に反対している。袋井憲法9条の会でも全く同じ立場である。海上自衛隊は、海賊対策のためと称して、ジプチに恒久的な海外基地を建設している。戦後、日本が初めて海外に基地を持つ重大なできごとだが、国内でもあまり問題視されていない。

 それはピースボートの船内でも同じだった。スエズ運河を過ぎてソマリア、イエメンに近づいたころ、ジャパングレイス事務局長が航路説明会で以下のような説明をした。

 「これから大変危険な海域に入ります。夜は明かりが漏れないよう、部屋のカーテンをかならずしめてください。デッキに出ることは絶対にしないでください。もし海賊が現れたら、警告音を放送で流しますので、ただちに自分の部屋に戻ってください。部屋では窓のそばには立たないようにして下さい。銃弾が飛んでくる危険性があります。海賊が船に乗り込んで来れないよう、船体には鉄条網を着けてあります。ホースの水で海賊を追い払う対策や、ジグザグに進んで波を起こし、海賊の船が本船に近づけない対策も取ります。」

 これを聞いて乗客は緊張した。真剣な面持ちの乗客に、事務局長はさらに次のような発言をした。  「私が民間の船に乗っていた時2回襲われた経験があります。そのときよりも海賊の装備が向上しています。

 しかし皆さん、安心してください。自衛隊が守ってくれます。民間の船に乗っていた時も自衛艦の姿が見えたとき、ほっとしました。とても頼もしく感じられました。」

 僕はこれを聞いた時、これはまずいと感じた。おそらくこの発言は彼の本音だろうが、自衛隊が狙っている「国民に愛される自衛隊」「国民を守る頼もしい自衛隊」「海外でも国民の命と財産を守れる自衛隊」の宣伝に、利用されると感じた。

 船内9条の会のメンバーと相談し、事務局長に面会を申し入れ実現した。僕は以下のように話した。「船の責任者として海賊対策は理解できるが、自衛隊を賛美し過ぎではないのか。あなたはジプチに自衛隊が海外基地を作っているのを知っていますか」

 彼は知らなかった。そこでイラクへの自衛隊派遣、インド洋での給油、そして海賊対策としての自衛隊海外派遣が、本格的な自衛隊の海外展開であり、それは憲法9条に反すると説明し、今後の発言に注意してくれと頼んだ。

 この後、漂流が始まった。僕は漂流が始まる前、護衛艦とヘリコプターが僕らの船から遠ざかるのを目撃している。護衛艦の姿が見えなくなった夕方漂流が始まった。

 翌日の朝、護衛艦の姿が見えた。自衛隊に漂流を伝え、護衛を依頼したと後で聞いた。多くの乗客は、これで海賊に襲われることはないと安心した。

 正直、僕の心中は複雑だった。『事実として自衛隊に守られている!!!』  ソマリアからはるか離れた海域で、自衛隊の護衛する海域を越えているにもかかわらず、漂流のため護衛されている。おおくの乗客は自衛隊に感謝している。

 ピースボートスタッフで理念と現実のギャップに悩んでいる人はいないように見受けられた。ジャパングレイスの社員もそうだった。

 ボロ船故に、恥ずかしい事態になったと感じたのは、乗客のごく一部にすぎなかった。

2012年6月 6日 (水)

ピースボートの実態ーークルーズの大衆化と乗客の大衆化

156


 クルーズの大衆化が進んでいる。10年ほど前までは金持ちしか乗れなかったが、最近では料金も安価のものがでるようになり、だれでも楽しめるようになった。ピースボートも最近100万円を切るクルーズを宣伝している。

 実際4年前と今回では客層の大きな変化を感じた。普通のおじさん、おばさん、お兄さん、お姉さんという感じの人が多かった。

103


120


185


 多くの人が気楽に地球一周クルーズを楽しむ。これはいいことだと思う。特に定年退職された人には、これまでの働きづめの人生から解放され、さらに家事からも解放され、のんびり洋上で生活するのは、定年後の新たな人生に向かう谷間・転換点として良い機会を提供していると思う。

 ピースボートが変ってきたのはそうした時代の変化もある。早い段階から乗船しているリピーターによると、以前は知的な若者や中・高年、元大学教授や新聞記者が多かったそうだ。

 クルーズの大衆化にあうように、ピースボート船内企画も大衆化している。カラオケ大会、落語、ダンスパーティー、各種のスポーツ大会、囲碁将棋大会、マージャン大会、趣味的な企画、飲み会など、なんでもあり。なんでもありがピースボートの面白い点だったが、大衆的な物が多すぎ、僕などはうんざりした。別に参加しなければよいのだが、真面目な自主企画とぶつかる場面が多く、多くの乗客は気楽な方に流れ来てくれない。

 硬派の企画は敬遠されている。テレビの痴呆化同様、ピースボート船内企画もじっくり考える企画が減少している。実際多くの客から、「難しい事、面倒なことから解放され、のんびり旅を楽しむために乗船した」という声を聞いた。

 海外旅行(寄港地での旅行)も含め、乗客のニーズが変化している。その変化にジャパングレイス及びピースボートは答えていない。

 

2012年6月 5日 (火)

浜岡原発再稼働をさせないために

福島原発事故災害をくりかえさないために

 普通の常識ある人なら、福島原発災害の経験から原発再稼働にNO、またはまだ動かすのは早すぎる・事故の原因解明が先だ、と考えている。

 
 

 ところが政府・関西電力・関西経済界・関西圏の知事や市長たちは、大飯原発再稼働に向けて動いている。この人たちは福島の事故から何を学んだのだろうか?

 夏のピーク時に電力不足が生じるとの宣伝は、原子力村のしくんだ脅しにすぎない。東京電力でさえ、昨年の夏を乗り切っている。

 要は「原発なしでは日本はたちいかない」との古い固定観念にとらわれている。本気で脱原発社会を作る気構えがない。今、ある意味で日本は大きな実験をしている。原発による電気ゼロでどこまでやれるのかと。

 この壮大な実験の成功を願わない人々が、再稼働の実績作りにうごめいている。政治家や官僚、経済人、マスコミが電力不足危機をあおり、再稼働やむなしの世論作りをしている。

 再稼働に否定的だった橋本大阪市長や嘉田滋賀県知事も結局容認。政治家は信用できない。結局民衆が声をあげるしかない。僕は福井県まで行く時間的余裕がないから、自分が住んでいる静岡県で浜岡原発の再稼働を絶対認めない運動に取り組んでいる。

 再稼働の是非を住民(県民)投票で

 5月13日から7月11日まで住民(県民)投票条例案制定を求める署名集めが、静岡県全域で行われている。署名を集める受任者は5,000人を越えている。6月中旬段階でどれぐらい署名が集まっているか発表されることになっている。

 普通の人(原発利権に無縁の人)の声を署名という形で集約していくのが、この運動である。ピースボート船内でも脱原発宣言文に乗客677人が賛同署名してくれた。集会や学習会に参加しない人も、普段政治問題を話題にしない人も、福島原発災害以降原発問題には大きな関心を持つようになった。

 今、袋井市高南地区という自分の住んでいる地域で、一軒一軒訪ねながら署名活動をしている。昨日(4日)やっと300人を越えた。目標の1,000人までは、まだまだこれからだが、勇気を出して戸別訪問すると嬉しい反応が返ってくる。

 庶民の生の声、普通の人々が原発をどう考えているのか、近くレポートをまとめたい。

2012年6月 4日 (月)

写真の練習

これまでクルーズの写真を載せることに失敗していたが、息子のヘルプでうまく写真が掲載できるか試してみる。

 やっぱりだめ。野沢文夫さんがホームページで彼が75回クルーズでの漂流の様子を沢山掲載しているので、興味のある方は下記にアクセスして下さい。

http://peaceboat.nows.jp/

ピースボートの実態ーー初期の理想と現在の状況

学生・若者主体の学ぶ船

 早稲田大学学生の辻本清美さんや吉岡達也氏らが、「若者がアジアのことを知らなさすぎる。国際化の時代を迎えるにあたって、かつて日本が植民地支配した朝鮮半島や中国、ベトナム、東南アジアを訪れる船を出そう」、と始まったのがピースボートである。

 洋上で著名なジャーナリストや学者、文化人が講座を開き、学習する。現地では戦争の傷跡を尋ね、被害者から直接体験談を聞く。またアジアの若者と交流する。

 その後、世界の現実(貧困・紛争・人種差別・環境問題など)を学ぼうと、地球一周クルーズに発展していった。若者は金が無いので、ポスター張りなどボランティアスタッフをやれば安い金額で参加できる。退職した中高年層も知的好奇心を満たしてくれるクルーズに魅力を感じ、人気を呼びようになった。優秀な大学生などもたくさん参加するようになった。

 この目的、企画のねらいは今日でも通用する。大いに賛成だ。では現在の状況はどうか。僕は62,75回クルーズしか参加していないが、多くのリピーターと仲良くなったのでそれ以外のクルーズのことも間接的だが知っている。

観光船

 船内では当初目的の講座が開設されているが、常時熱心に参加するのは乗客の3分の1から4分の1ぐらい。他の乗客はそっぽを向いている。

 寄港地でのスタディツアーはあるが、これまでレポートしてきたように不十分なものが多い。75回でアウシェビッツとチェルノブイリを訪れたツアーは大きな成果があったが。そもそも乗船の動機は、観光とクルーズ、地球一周をしたい、が大半だ。

学ぶ意欲のない若者

 ピースボートの趣旨にそった船内講座に参加する若者は極端に少ない!!! 大半の若者の関心は、音楽・ダンス・ファッション・スポーツ・同世代との交流。したがってそのような企画には熱心に参加するが、真面目な企画に参加するのはごく一部と、地球大学の講座参加者だけ。

 62回もそうだったが、多くの若者は夜活動し、午前中は寝ている。生活が違うから、こんな若者もいたのかと驚くことがしばしば。

 彼らの多くはポスター張りなどボランティアスタッフをやって、正規の料金では乗船していない。その差額を中高年の正規料金が埋め合わせている。日本・世界の未来を託す若者が、世界・日本の諸問題をしっかり勉強してくれるなら、この不平等な料金制度に不満はない。しかし現状はひどすぎる。

ピースボートスタッフ

 設立当初の理想を継承しているスタッフが少なくなっている。これは時代の変化である意味やむをえないが、それにしても体育会系、文化祭系のスタッフが多い。僕からみればたわいのない遊びと思われる企画には熱心だが、沖縄の米軍基地問題や原発、紛争、差別問題など、硬派の企画は立てられないか、映画やDVDでお茶を濁す。乗客が自主企画しても、一般の若者同様参加してくれない。

 

テスト

画像
Green_sea_turtle


2012年6月 3日 (日)

ピースボートの実態ーー最高責任者の問題

これから書く内容は微妙である。人によっては個人攻撃と受け止める人もいるかもしれない。僕は下劣な個人攻撃をしたことが無い。ジャパングレイスとピースボートの関係の本質を解明するのに、その両組織の最高責任者の問題を避けて通ることはできない。

 吉岡達也氏に「あれ、変だな」と疑問を感じたのは、4年前、62回クルーズのトラブルで彼がフロリダ・タンパから乗船した時だった。週刊新潮に「ホテル難民」と揶揄されたように、ドック入りした船の修理が終わらず、乗客964名はホテルに滞在した。2,3日で直るとされた期間は特に問題なかった。豪華なホテル生活、フロリダ半島観光と、乗客は予期せぬプレゼントをもらったと喜んだ。

 ところが予定の日がきても船は出ない。ホテルフロントの掲示版に毎日このような内容の張り紙が出された。「本日の出港はありません。明日の夕方5時に船が出るかどうか分かりますので、それまではいつでも荷物をまとめておいてください」
 

 
 

 結局船が出たのは8日後だった。タンパは特に見るところが無い。乗客は退屈し、いつ出るかも分らぬ宙ぶらりんの状態。2,3日分の着替えしか持っていないから、着るものに困った。金が無い若者は、遠くに遊びに行くこともできず、中には「早く日本に帰りたい」と泣く女の子もいた。

 吉岡氏はこのような状況を強いられた乗客の前に、妻子を伴って現れた。「観光どころじゃないだろう!! 」  船体に穴が開くような古い船をチャーターし、乗客を「ホテル難民(帰るところが無いの意)」とさせ、楽しみにしていたベネズエラ2日間を断念させた責任者が、乗客に詫びるために奥さんや子供を連れてくる。僕は唖然とした。

 75回クルーズのあるリピーターから「息子がニューヨークに住んでいるが、息子が住む近くの高級住宅街に、吉岡さんのマンションがあるよ」と聞いた。

 ピースボートセンターは国内に6か所あるが、調べてみるとニューヨークにも海外事務所があった! そこが彼のマンションと同じ所かどうかは分からない。

 75回クルーズで、吉岡氏は2回乗客の前に姿を現した。キューバ・ハバマでカストロ元議長が演説をした会場と、サウジアラビア・ジェッダでサウジの政府高官たちが船に乗ってきたとき。

 いずれも予定外のサプライズ。おそらく「自分はカストロやサウジ政府を動かせる実力を持っているのだ」と、誇示したかったのだろう。

 個人的に彼と話して分かったことがある。とても調子が良い人だ。よく言えば明るく面白い。おおざっぱ。

 ここからは僕の想像(偏見)だが、責任感・緻密さに欠ける。いいかげん。ピースボートを立ち上げた時は、そうではなかったと思う。理想に燃えていたはずだ。

 どんな組織・人間でも、長い年月が当初の理念・理想を風化させる。特に長くトップ(最高実力者。言葉を変えれば最高権力者)の位置に立つ人は、傲慢になりやすい。

2012年6月 2日 (土)

ピースボートの実態ーージャパングレイスとピースボートの関係その2

一心同体

 結論から言うと、2つの組織は一心同体だと思う。互いに持ちつ持たれつ。ピースボートはその事業目的(次回詳しく書きたい)を実現するために、ジャパングレイス社を必要とする。一方、ジャパングレイス社は利益をあげるために、ピースボートを必要とする。

 ジャパングレイス社は国土交通省の認可を受けた正規の旅行会社だが、不思議なことにその業務はピースボートの地球一周の旅のみ。

 ピースボートは他の会社を使うこともできるはずだが、ジャパングレイス1社しか利用しない。高校教員時代、修学旅行でどの会社を選択するのか、毎回学年会議で議論した。同じ会社を使ったこともあるが、競争させたほうがサービスや価格が向上するので、色々な会社を利用した。

 ところがピースボートの地球一周の船旅は、ジャパングレイスのみ!!  組織・金・人がつながっているからだ。

 ジャパングレイスは、小さな旅行会社を買収して誕生した。その資金は、ピースボート設立者の一人である吉岡達也氏のお父さんが出したと聞いている。今も続けているか確認していないが、吉岡氏のお父さんはジャパングレイス社の専務理事。4年前クリッパー号でお目にかかっている。もっとも直接口を聞いたわけではないが。

 ピースボートは全国に6つのセンター(事務所)をかまえ、専従スタッフは30人を下らないだろう。クルーズでは非専従のスタッフも乗船する。その人件費(給料は安い!が)や事務所経費、宣伝費(新聞広告は巨額!!!)は、地球一周クルーズの収益から出している。

 NGOが収益事業をするのはおかしいと考える日本人が多いが、営利目的のためでなければ何ら問題ない。75回クルーズで水先案内人として乗船された日本福祉大学の斎藤千宏教授は、「NGOとは」の講座でこの点を分かりやすく教えてくれた。

 では何が問題なのか?  1つはトラブルが生じた時の責任の問題。もう1つは設立当初の理想・熱意が失われ(薄れ)、地球一周クルーズが営利化している点だと思う。

 この原因は2つの組織の癒着から生じている。見出しに一心同体と書いた。外部的には別組織だが、実質的には同じ組織と考えた方が分かりやすい。両方の組織を支配しているのは、吉岡家。最高責任者は吉岡達也氏である。

 人的つながりで、興味深い話しをリピーターから聞いた。62回クルーズに乗船した時のことである。6回も乗っている方が、「あのピースボートスタッフは以前はジャパングレイス社員だったよ」と教えてくれた。優秀な人材は両組織をいったりきたりするそうだ。

 62回クルーズでのトラブルで、僕が交渉したのは表向きはジャパングレイスだったが、裏ではピースボート共同代表のY氏だった。ピースボートを傷つけないため、矛先はジャパングレイス社に向けたが、船に乗っているジャパングレイスの責任者は当事者能力がなかったので、そうせざるを得なかった。

 Y氏は絶えず東京の吉岡達也氏と連絡を取っていた。その吉岡達也氏から下船後、自宅に電話がかかってきた。「週刊新潮が62回クルーズのトラブルに関して記事にする情報が入った。編集部から電話が竹野さんのところにあると思うが、記事にあなたの名前が出ないようにしてほしい」と。

 実際、週刊新潮の編集部から事実関係の問い合わせがあった。僕は内容に間違いが無いが、僕の名前は出さないでくれと電話を切った。二日後、「ピースボート、ホテル難民」と題した記事が掲載された。

 

2012年6月 1日 (金)

ピースボートの実態ーージャパングレイスとピースボートの関係その2

朝から上記のタイトルの記事を書いたが、どういうわけか保存をクリックしたら、パスワードの入力が必要との表示が出てきて、悪戦苦闘の末、1時間半もかけて書いた内容全てが消えてしまった!!

 
 

 署名集めをする関係で、今日は内容を更新できずすみません!!!

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »