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2012年8月

2012年8月31日 (金)

袋井市長・原田英之氏のメッセージ

「あの日の記憶~被爆地長崎から~」に寄せられた原田英之袋井市長のメッセージ

 本日、この上映会が関係者の皆様のご尽力で、このように開催されますことを心よりお慶び申し上げます。

 今年は、被爆・終戦から67年目になります。

 戦争という過ちの記憶は、非常に悲しく恐ろしい記憶ですが、同時に決して忘れてはならない記憶です。我々は、戦争や核兵器のもたらした恐ろしさを忘れずに、語り継いでいかなければなりません。

 

 そうした使命感から、袋井市は平成22年5月16日に核兵器廃絶平和都市を宣言しました。

 今日、増川さんのお話を伺う皆さんは、直接体験された貴重なお話をしっかりと受け継いでください。中には、目を背けたくなるような、悲惨な事実もあるかもしれませんが、その悲惨さ、恐ろしさこそ、平和の尊さを知る大切な事実なのです。

 

 戦争は、絶対に繰り返してはいけません。核兵器は、二度と使われてはいけません。

 増川さんのメッセージを受け取った皆さんお一人おひとりが、次は、皆さんの周りの方へ伝え、そのメッセージが更に広がっていくことを心から願い、開催に寄せるメッセージとさせていただきます。

                                平成24年8月26日

                                袋井市長 原田英之

 7月末に市長を訪ね、挨拶をお願いしたが、26日当日公用で出張が入り、メッセージを寄せてくださった。ありがとうございました。

 

2012年8月29日 (水)

川勝静岡県知事も住民投票に賛成

浜岡原発再稼働の是非を住民投票で問うことに、川勝県知事が賛成発言

 これまで住民投票条例案についてやや否定的な(消極的)な発言をしてきた川勝県知事が、9月議会に条例案を出す際、賛成の付帯意見をつけることが確定的になった!!!

 16万5千人の民意を無視できない、政治不信もあり直接住民の意見を聞くのも大切、と記者会見で述べた。署名を集めた僕たちにとり、当然の判断だが大歓迎発言である。

 今後は一人ひとりの県議会議員の姿勢が問われる。袋井では明日、山本たかし県議会議員との懇談会を開く。渡瀬のりゆき議員も当初同席してくれることになっていたが、自民党の緊急会合が入り、出席できないとの断りがあった。(彼に直接電話で依頼した時、拍子抜けするほど簡単にいいですよ、と承諾してくれただけに残念である。)

 

山本たかし県議会議員との懇談会

 

日時:8月30日(木)午後7時~9時

 

会場:南公民館(中央公民館)2階会議室

 

趣旨:浜岡原発再稼働の是非を問う住民(県民)投票条例案が、9月県議会で審議されます。

 

 

 

 受任者となり署名を集めた市民、住民投票で自分の意思を表したいと署名に応じた市民にとり、議会でどうなるのか、そのゆくえは重大な関心事です。

 

 

 

 そこで山本たかし県議会議員をお招きし、私たちの思いを聞いていただく機会を設けました。直接民主主義の一つである住民投票について、浜岡原発について率直な意見交換(懇談)になればと念願しています。

 

 

 

 進行は、まず住民の思いを聞いていただき、次に議員のお考えを伺い、その後懇談となります。

 

 

 

懇談会呼びかけ人

 

 県民投票街角ステーション 石垣雅設(野草広場)

 

                電話 48-8002

 

              竹野昇(砂本町)

 

                電話 43-3456

 

 

 

 

 

2012年8月28日 (火)

あの日の記憶~被爆地長崎から~

8,26「あの日の記憶~被爆地長崎から~」を終えて

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 ピースボート75回クルーズで出会った増川雅一さん(4歳時、長崎で被爆。NBC長崎放送ディレクター時代、数々の原爆・戦争関連の優れた番組制作。退職後、さだまさし提唱「ナガサキピースミュージアム」専務理事として、核兵器廃絶の運動をされている)を袋井市にお招きして、「あの日の記憶~被爆地長崎から~」を主催した。

 開始前に、世界のこどもたちの笑顔をスクリーンに映し出しながら、さだまさしの歌を4曲流した。「いのちの理由」という曲を聞きながら、こどもたちの笑顔を見ていると、「ああ、この子どもたちが戦争や飢餓に怯える必要のない地球を作るのは、僕たち大人の責任だ」との思いを強くした。

 司会の挨拶のあと、原田袋井市長のメッセージが読み上げられた。次回紹介したいが、結構いいメッセージ内容である。

 増川さんが中心となり製作されたNBC長崎放送の被爆50周年記念番組「あの日の記憶」は良い映像だった。僕が印象に残ったのは、捕虜収容所で被爆したオランダ人被爆者やその遺族が、国際墓地を訪れた場面と、今軍艦島となっている島で石炭を掘り出す仕事を強制された朝鮮人被爆者(入市被爆)の証言場面だ。

 増川さんのお話は、パワーポイント(映像)をうまく活用してのお話でとてもわかりやすかった。原爆を投下したB-29爆撃機が第一目標の小倉(現北九州市)上空を40分以上も飛び、燃料が切れるのを恐れて第二目標の長崎に投下した状況を、機長の証言記録をもとに話された内容は、北九州市に4年間住んでいた僕にとり、印象深かった。

 ピースボートおりづるプロジェクトで乗船された10人の被爆者の証言活動も報告された。事前に聞いていなかったので、ちらしで宣伝できなかったのが悔やまれる。

 お話の後、さだまさしの「風に立つライオン」をスーダンで医療援助活動をしている川原医師の映像をバックに聞いた。

 内容・進行すべてよかったが、参加者が少ないのは残念であった。わずか50名。 遠く長崎から来ていただいた増川さんや、岐阜・愛知県から来てくれた人達には本当に申し訳ない思いだ。

 

2012年8月25日 (土)

浜岡原発永久停止署名と請願書を袋井市に提出

袋井市当局と市議会が浜岡原発永久停止の立場に立つよう署名を添えて申し入れ

 昨日(8月24日)午後1時半、袋井市役所で上記の申し入れ行動と署名の提出、さらに議会に請願書を出した。以下はそのときの写真。

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原田市長は公務出張だったので、副市長・池野良一氏が対応してくれた。署名数は3,716. 浜岡原発を考える袋井の会からは、代表・松倉次郎氏以下4名(計5名)が同席した。連絡したマスコミは4社(静岡・中日・朝日・毎日)全てが来てくれた。今朝の朝日新聞県内版に早速報道してくれてあった。

 この後議会事務局を訪れ、請願書を松井信雄・議会事務局長に渡した。

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議長・副議長が県外視察のため、事務局長が対応してくれたが、後日議長に面会できるよう、事務局長に依頼。

 9月議会で永久停止を求める請願書と議会の決議文採択が通るよう、個々の議員への働きかけが重要になる。

2012年8月24日 (金)

ひまわり

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 18日、袋井市と友好都市関係にある山梨県北杜市を訪れた。ひまわりの写真がブログに掲載できるか試したところ、うれしいことにアップ!!!

 

 息子にカメラの設定を変えてもらったところ、掲載できるようになった。

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上のバラの花写真は北杜市のハイジの村で撮った。

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浜岡原発再稼働の是非と問う住民投票条例案を可決させるために

県議会議員との懇談会

 9月静岡県議会でタイトルの審議が行われる。苦労して集めた署名を活かすため、住民投票を実現したい。そこで袋井市選出の県議会議員・山本たかしさんとの懇談会をひらくことになった。

 当初は自民党の渡瀬のりゆき議員も参加してくれる予定だったが、自民党県議団の会合が急きょ入り、山本さん一人となった。以下はその案内。

 

山本たかし県議会議員との懇談会

 

日時:8月30日(木)午後7時~9時

 

会場:南公民館(中央公民館)2階会議室

 

趣旨:浜岡原発再稼働の是非を問う住民(県民)投票条例案が、9月県議会で審議されます。

 

 

 

 受任者となり署名を集めた市民、住民投票で自分の意思を表したいと署名に応じた市民にとり、議会でどうなるのか、そのゆくえは重大な関心事です。

 

 

 

 そこで山本たかし県議会議員をお招きし、私たちの思いを聞いていただく機会を設けました。直接民主主義の一つである住民投票について、浜岡原発について率直な意見交換(懇談)になればと念願しています。

 

 

 

 進行は、まず住民の思いを聞いていただき、次に議員のお考えを伺い、その後懇談となります。

 

 

 

懇談会呼びかけ人

 

 県民投票街角ステーション 石垣雅設(野草広場)

 

                電話 48-8002

 

              竹野昇(砂本町)

 

                電話 43-3456

 

 

 

 

 

2012年8月23日 (木)

福島ツアーの準備

福島の現実を知り、学ぶツアーを企画

 浜岡原発を考える袋井の会では、11月上旬福島ツアーを計画している。先日その案内文を作成した。昨日、放射能除染実証実験をされている田崎和江さんから、8日は北海道での授賞式が入ったので、自分は案内・説明はできないが、一緒にやっている会社の人が説明してくれるとの連絡が入った。残念だがやむを得ない。

 

福島原発災害視察ツアーの案内と参加申込書

 

 会として今年11月7,8,9日、2泊3日で福島県に行きます。内容は① 1月に講演してもらった長谷川健一さんの案内で飯館村を訪れ、村民全員が避難している村の田畑や農場、民家が現在どうなっているのか、長く避難生活を強いられている村民の生活・感情、政府が村を5年以上戻れない帰還困難区域、しばらく戻れない居住制限区域、帰還が見通せる避難指示解除準備区域に再編したが、実際にはどうなっているのか、現地を見学しながら長谷川さんから直接お話を聞く ② 南相馬市の水田で放射線量低減と除染実証実験をしている金沢大学名誉教授・田崎和江博士を訪ね、土地の除染が可能かどうか詳しくお話を聞く ③ 2泊する伊達市霊山町の「みさとユースホステル」オーナーご夫妻(自然と健康にやさしい農業をやりながらユースを経営されている)から、原発災害が夫妻の生活にどのような影響を与えているのかお話を聞く、さらに郡山市憲法9条の会の小沼さんから福島県の脱(反)原発運動の現状や福島県民の意識についてお話を聞く、以上です。時間があれば、南相馬の海岸部で津波被害と放射能汚染のため無残にも生き埋めになり救出されなかった地区もまわる予定です。

 

 日程: 11月7日(水)、午前7時半袋井市役所出発。8日(木)、飯館村・南相馬市訪問。9日(金)、午後6時ごろ袋井帰着。宿 みさとユースホステル(TEL 024-586-1828

 

 

 

 経費: 3万円

 

 交通 :参加者数によりマイカー、レンタカー、小型観光バスいずれか使用。

 

     観光バスを使用した場合経費が若干高くなります。

 

 申し込み先 浜岡原発を考える袋井の会 事務局

 

袋井市砂本町2-10 竹野昇 FAX 0538-43-3456

 

2012年8月20日 (月)

あの日の記憶 被爆地長崎から

袋井市の核兵器廃絶平和都市宣言を市民に定着させるための取り組みがまじかに迫ってきた。焦りを感じながら、多くの人に参加してもらうため、下記の案内文を作成し、これから郵便やファックス、戸別訪問し手渡しする予定である。最低でも200名の市民に参加してもらいたいと考えている。

 

『あの日の記憶~被爆地長崎から』

 

長崎の被爆者・増川雅一さんのお話と、被爆50周年記念番組『あの日の記憶』上映会にご参加ください

 

時:8月26日(日)午後2時~4時半

 

所:月見の里うさぎホール(袋井市上山梨 TEL 49-3400

 

  入場無料 どなたでも参加できます

 

 

 

*講師 増川雅一さんの紹介

 

 さだまさしが提唱した「ナガサキピースミュージアム」専務理事。元長崎放送ディレクター。「あの日の記憶」を含め、多くの原爆・戦争関連の番組を制作。4歳時被爆。父、祖父即死。戦争放棄を定めた憲法9条を広める活動に熱心。今年ピースボートで竹野と知り合い、核廃絶・脱原発・9条・さだまさしで意気投合し、袋井に招待することになりました。ピースボートの「おりづるプロジェクト」でチェルノブイリを訪れた映像を、会終了後、ホテル観世で見せてもらいます。

 

 

 

*映像『あの日の記憶』紹介

 

 NBC長崎放送が被爆50周年記念番組として制作。TBS系列で全国放送される。長崎原爆の全容を被爆者6人の記憶証言と被爆した建物などの映像を通して簡潔に紹介。カラー 56分。

 

 

 

*開場1時30分。1時40分からさだまさしの歌4曲を世界のこどもたちの笑顔の映像を観ながら聞きます。休憩のときもさだまさしの「風に立つライオン」の歌を映像とともに流します。

 

主催:袋井市核兵器廃絶平和都市宣言を推進する市民の会

 

 代表 竹野昇 電話/FAX 0538-43-3456

 

後援:袋井市・袋井市教育委員会

 

2012年8月19日 (日)

沖縄高江レポート その3 オスプレイの致命的欠陥

オスプレイについて学ぶ

 高江のテントで座り込んでいると、沖縄の新聞(沖縄タイムスと琉球新報)が毎日読める。オスプレイについても本土の新聞に比べて格段に詳しく報道・解説されている。雨で延期されたが、8月5日の県民大会に合わせてオスプレイ特集号も編集されていた。

 また高江の住民の会で、「オスプレイ 配備の危険性」(真喜志好一・沖縄平和市民連絡会

リムピース+非核市民宣言運動・ヨコスカ共著 七ツ森書館 1200円)という本を売っていたので購入した。

 新聞や本と通して、オスプレイの危険性と配備強行の本質・裏がよく理解できた。

海外で戦う軍隊にとりオスプレイは夢の飛行機?

 敵がいる戦闘地域(海外)に、従来の輸送ヘリに比べて搭載量約3倍、行動半径約4倍、速度約2倍のオスプレイは、軍隊にとり夢のような・喉からつばきがわき出るほど手に入れたい飛行機(武器)である。

 自国で純粋に防衛のためのみ使うなら、オスプレイは不要である。重装備した兵士と武器・弾薬を運ぶにはトラックのほうが効率が良い。外国軍の侵略を防ぐのは戦闘機や軍艦である。そもそもアメリカ本国や日本に外国軍が上陸して戦争が始まることなぞ考えられない。

 飛行場や整備された道路がない海外の戦闘地域に、必要な兵士と武器・弾薬・食糧を大量に早く運ぶ(または撤収する)のに、ヘリコプターと飛行機を兼ね添えたオスプレイは、理想の軍用機である。

 米軍はこの夢の軍用機を開発するのに、アポロ計画の2倍以上の年月(25年)と200億ドル以上ものお金をかけてきた。引きに引けない投資だ。

夢の飛行機には無理がある

 離着陸やホバリング(空中で停止状態)のときは通常のヘリコプターのようにプロペラが回転する。移動するときはそのプロペラが90度向きを変え、普通のプロペラ飛行機のように飛ぶ。滑走路が無くても、輸送艦上から飛び立ち、戦闘地域に侵入するのに確かに好都合だが、原子力が制御できないのと同様に、現代の科学技術をもっても無理があるのがオスプレイである。

 通常のヘリのプロペラの大きさだと、飛行機モードで飛ぶと胴体にぶつかる。このため、オスプレイのプロペラは小さいのが2つついている。このプロペラではオートローテーション機能が無い。

 オートローテーションとは、エンジンが故障その他の理由で停止しても、落ちるときにプロペラが竹トンボのように回転して揚力ができ、ゆっくり緊急着陸できる空き地に降下できる機能のことだ。機体が地上に激突するのを避ける、つまり乗員と落下地点の人々の命を守る、極めて重要な機能である。

 民間のヘリコプターは全てこの機能を義務付けられている。米軍のヘリもオスプレイ以外は全てこの機能が備わっている。ところがオスプレイは構造上この機能が無い。欠陥品なのである。

 さらにヘリモードから飛行モードにプロペラの向きを変えるのに、12j秒かかり、この間、高度500メートル下がる。低空飛行しているときエンジンが故障すれば、間違いなく墜落する運命にある。

 機体がヘリと飛行機を兼ねているので、パイロットにとり極めて操縦が難しい。バランスをとるのが難しいのだ。このため、米軍は墜落事故は人的ミスにする。モロッコでの墜落原因も、パイロットのミスと報告された。

 日本政府がアメリカの報告に基づいていくら安全だと宣言しても、オスプレイは構造的な欠陥品であり、日本の空で訓練のため飛べば、必ず事故が起きる。米軍の訓練は実戦のための訓練である。危険な飛行機を危険な実戦用訓練(低空飛行・離着陸・ホバリングなど)をする、さらに操縦するのはオスプレイが初めてのパイロットなのだから、危険極まりない。

 沖縄の人々は皆このことが分かっている。だから本気で猛反対しているのだ。分かっていないのは本土のマスコミと、人間。オスプレイについて、分かりやすく多くの人に知ってもらう必要があると痛感している。

 

2012年8月16日 (木)

画像の挿入実験

沖縄で撮った写真をブログに載せたいが、これまでことごとく失敗している。再度挑戦してみる。

 

 やっぱりダメ。以前使っていたキャノンのカメラで撮ったものならうまくいくのに。。。。。。。

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高江レポート その2  沖縄の怒り

オスプレイ配備強行に沖縄の怒りが沸騰している

 本土のマスコミはオスプレイ岩国搬入の頃は、かなり大きくオスプレイ問題を取り上げたが、最近はほとんど報道しなくなっている。しかし沖縄にいると連日オスプレイの危険性やアメリカ本国でのオスプレイに対する評価の違い(軍と議会)が詳しく報道されている。

 41市町村議会の反対決議が示すように、オール沖縄がオスプレイ配備に反対しているのが手に取るように分かる。色々な人と話していて、沖縄の怒りが伝わってくる。

 これだけ反対していても、アメリカ軍と日本政府が世界一危険な普天間にオスプレイ配備を強行するなら、黙ってはいない、基地機能をマヒさせる闘いをやるしかない、多くの沖縄の人々はそう感じている。具体的な戦術はオフレコだが、アメリカ政府と軍、日本政府、そして物言わぬ本土の人間に衝撃を与える闘いが島ぐるみで展開されるだろう。

 僕も重要な局面に参加したいと考えている。

2012年8月15日 (水)

戦後67年目の夏に思う

敗戦そして戦後67年の夏

 今日は8月15日。無謀な戦争から67年が経過した。侵略戦争に駆り出された親父たちの世代は高齢化が進み、その多くは他界している。僕の親父も83歳で8年前に他界している。

 親父が生きている時、ちょうど戦後50年の夏に、戦争について親父がどう思っているのか、インタビューして録音に取ったことがある。そのテープは書棚のどこかにしまってある。探すのが大変なので再び聞くのは後日にするが、内容はだいたい覚えている。

 一番印象的な親父の言葉は、「戦争はあかん」 「中国の人々には迷惑をかけた」 この二言である。親父は20歳で徴兵され、中国に派兵された。幸か不幸か病気で内地の病院に送り返され、命を落とさずにすんだ。

 戦争の具体的な体験は語ってくれなかったが、生きた中国人を銃剣で突き刺す訓練を初年兵の時に強制されたことは、僕が小さい頃語っていたのを鮮明に覚えている。

 僕は父の体験から反戦主義者となったと言っても過言ではないと思う。同じ過ちを繰り返さないために。

 多くの日本人が広島・長崎に投下された原子爆弾の惨状を見て、「過ちを繰り返さないため」、核兵器廃絶を誓っている。

 戦争を憎み、平和を願う、これは全世界普通の人々共通の思いだ。しかし21世紀になってもこの地球上には戦火が絶えない。戦争への備え(国家指導者はそれを国を守るため、平和のための軍備と強弁するが)は、恐ろしいほど進行し、乏しい(苦しい)国家予算から国防費という税金のムダ使いが行われている。

 

 領土問題の加熱も、軍備増強に利用されている。マスコミが過剰に反応するから、おかしなことになる。独島(竹島)や尖閣諸島は、明治以前日本固有の領土だったのだろうか?

 おそらく朝鮮王朝のものでも中国のものでも日本のものでもなかったと思う。漁民や貿易船の乗組員が漂着や避難で上陸したであろうが、それはだれでも自由に使える島だったはずだ。

 明治以降、日本が武力を背景に一方的に日本の領土にしたために、おかしなことになった。明治以前にもどすのが、人類の知恵・解決の道になると思う。

 

2012年8月12日 (日)

沖縄高江の現状レポート その1

高江は元気

 8月3日から10日まで、沖縄県東村高江にオスプレイのためのヘリパッド建設反対座り込みに参加した。(10日は朝早く高江を離れたので、実際には9日までだが)

 7月19日、24日と工事が強行されたので、あわててかけつけたが、幸いにもその後は工事を阻止している。防衛局はこちらの動きを監視するため毎日車で様子を見に来るが、工事はできないでいる。

 高江の皆さんは元気だった!!!  昨年11月末に行って以来9ケ月ぶりの訪問だったが、住民の会の皆さん・いつもテントに座り込み参加している沖縄県各地および本土から来ている顔なじみの人たち、そして山城さんは、元気そのもの。防衛局がいつ工事に来るか分からないという緊張感があるものの、表面状はゆったりとやんばるの森の日常が続いている。

 農作業・子育て・保育・カフェ経営・監視活動・テント当番・事務局の仕事などなど、高江の現状は相変わらず。訪れる人たちも多様だ。

県民大会にあわせ、沢山の報道関係者・カメラマンの訪問

 8月5日予定されていたオスプレイ配備反対県民大会は台風の関係で9月に延期となったが、取材のため沢山の報道関係者やカメラマン、あるいは大会参加の人たちが高江を訪れていた。

 僕が直接会ったのは朝日・東京・沖縄タイムス・琉球新聞社・赤旗の記者や、フォトジャナーナリストの森住さん、名前は今思い出せないが有名な自主映画監督らだった。東京からYさんも来られていた。

若者の参加

 多様な若者が高江の運動に参加している。沖縄大学や琉球大学の学生、本土からの若者たちが、テントに座り込み参加している。高江に長く滞在している若者もいる。若者が参加する運動は元気があって、こちらも元気がもらえるからうれしい。

 

2012年8月 2日 (木)

明日から沖縄へ

今日は静岡地裁で浜岡原発運転終了を求める裁判があり、原告として参加した。明日早く出発するので、詳しいレポートは後日にする。

 オスプレイ配備反対闘争に参加するため、3日から10日まで沖縄へ。高江の住民や山城さんに会えるのが楽しみだ。

3つの浜岡裁判

浜岡原発運転差止請求東京高裁裁判

 8月1日上記の裁判(午後3時開廷)に出席した。静岡市の仲間が青春18きっぷを購入し、5人一組計4組で普通電車で東京往復。料金は2,300円!!!  安い。全員が退職者なので助かる。もっとも袋井の自宅に帰ったのは、午後11時前だったが。。。。。。。。。

 中部電力は引きのばし作戦。こちらは「国会事故調報告書が求める新たな耐震設計審査基準と再調査」と題する準備書面を提出し、攻勢。

 福島の事故のあと、裁判官もこの訴訟に対する姿勢が変わってきたように思われる。中電側の引きのばしを認めず、9月20日進行協議、それまでに準備書面を出すよう、裁判官から提示があり、裁判は終わった。

 傍聴者は約70名ぐらい。大きな法廷なので全員入ることができた。裁判の前に高裁入口で、マイクでの訴えとちらし配布を行った。僕にもしゃべれと言うので、初めて東京で脱原発のスピーチを行った。

裁判終了後、弁護士会館で集会。同時に別の場所で原告代表と主任弁護士が記者会見。詳しい内容は、今朝の朝刊(多分全ての新聞)に掲載されている。

 この日の裁判には、浜岡原発運転終了を求める裁判(僕はこちらも原告)の弁護士と、同じ内容で集団住民訴訟の弁護士も参加されていた。

 弁護士同士がつながっていることをうれしく思う。できれば原告や支援者もつながることができればよいのになあ、とつくずく思う。

 

2012年8月 1日 (水)

原発災害と放射能 学習会レポート

聞間元医師の人間としての誠意を感じた学習会だった

 7月29日、浜岡原発を考える会主催の学習会を開催した。講師の聞間元(ききまはじめ)医師とは初めての出会い(メールでは何回かやりとりしたが)だったが、本当に誠実な方だった。

 質疑応答も含めると2時間20分以上も休まずに核兵器開発と原子力の平和利用(原発)の関係、原発の原理、原子炉の構造、福島原発の放射能拡散の状況、そして人体への影響について、パワーポイントを使用して分かりやすくお話してくださった。

 その内容が多岐にわたり、かつ豊富なのでまとめるのが困難なのが正直なところである。参考までに先生が用意してくださったレジメをコピーする。

 なお参加者は50数名。主催者として100名を予想していたのでもうすこし沢山来てほしかった。写真を撮ったが、うまくブログに掲載できのも残念である。

 

2012.7.29 浜岡原発を考える袋井の会

 

    原発事故と放射能

 

                  浜北医療生協きたはま診療所 聞間 元

 

 

 

1 福島原発事故によりどんな放射能汚染が始まっているのか

 

  ―原発から放出された放射能の種類と総量は?

 

 ・放出前の放射能は原子炉内の燃料棒(110KW級の炉内に約48,000本)につめられた核燃料ペレット(燃料棒1本当たり約340個)の中にあった

 

 ・地震と津波による全電源喪失のため燃料棒を冷やす水が補給できず、燃料棒の被覆管が融けて放射能が鉄製の格納容器の底に溜り、穴が開いて容器外に漏れた

 

 ・燃料棒被覆管のジルコニウムの反応で水素が発生し、引火して爆発した

 

 ・そのため放射性のヨウ素、セシウム、ストロンチウム、プルトニウムなどペレット内に生成されていた約300の放射能(放射性核種)が煙雲として漏れた

 

 ・発電中の原子炉内にあった放射能の総量は―チェルノブイリ原発で放出された放射能の約7分の1、広島原爆の約170個分の放射能似相当

 

 ・放射能雲として流れ出した放射能は風に乗り移動し、雨粒や浮遊塵に含まれて地上や太平洋上に落下した、また大気圏高層の風の流れにのって地球を回った

 

   ・セシウム137の土壌濃度を指標とすると、国土の2025%が汚染された

 

   ・ストロンチウム90も降下した塵の中から福島、宮城以外10都県で検出

 

 

 

2 福島の原発事故で私たちの生活にどういう影響が出るのか

 

 ・大事なこと―小児期の被ばくの影響が大きいこと

 

 ・放射線に被ばくすると、胎児、新生児の死亡率(流産率)上昇や発育・発達障害として早期に影響が出る可能性がある。

 

 ・少し遅れて510年のうちに15歳未満の子どもに甲状腺がん、脳腫瘍、白血病などの悪性疾患の増加の可能性がある。

 

 ・さらに遅れて成人のがんや心臓病などの健康悪化への影響も否定はできない。但し低線量で被ばくした場合、放射線以外の要因(喫煙や飲酒、ウイルス感染症など)の影響が大きいことが普通で、放射線の影響は統計的に隠れてしまう可能性が大きい。

 

 ・外部被ばくと内部被ばくのどちらの影響が大きいかは、生活圏の汚染状況、暮らし方、食事内容などの生活習慣の違いで変わってくる。事故初期のうちは外部被ばくの影響が大きく、時間が経つにつれて内部被ばくの蓄積的影響が重くなる。

 

 ・原発の事故ではまず子どもを優先して避難させることに尽きる(福島では情報の混乱で避難地域の子どもの避難優先が不徹底だったと見られる)

 

 ・内部被ばくの防護は、水や牛乳、食物などの汚染の正確な情報を得ることが必要だが、チェルノブイリでは放射能汚染の情報が約3年間隠されていたため、多くの子どもたちが牛乳や食物からの内部被ばくを余儀なくされた。

 

 

 

3 放射能汚染の歴史の実態と教訓

 

 1986年と2011年、わずか25年の間に起った2つの原発苛酷事故は、このまま地球上に人工放射能(放射性廃棄物)を産み出し続けるとしたら人類はどうなるか、子どもたちはどうなるかという未来への警告である。

 

これまでの人工放射能による災害はとくに子どもに深刻な影響を与えた

 

 ⑴ 2つの原子爆弾投下による被害

 

  明らかになった急性原爆症(放射能症)、続いて起った晩発性放射能障害(白血病やがんの多発)、直接被ばくでなくとも起こる「遅れてくる死」の実態

 

  広島・長崎の調査で成人より小児期の被ばくの影響が大きいことが明確になる

 

 ⑵ 1950年〜60年代の核実験場周辺の住民被ばくの影響

 

  ビキニ(マーシャル諸島)、セミパラチンスク(旧ソ連)の子どもの被害

 

 ⑶ 湾岸戦争(1991年)で使用された劣化ウラン弾による放射能被害

 

  明らかになりつつある先天異常児、小児白血病など子どもへの被害

 

 ⑷ チェルノブイリ原発事故の放射能被害もまず最初に子どもに現れている

 

汚染地域の乳幼児の死亡が増加した

 

人工及び自然流産が増加し、出生率が減少している

 

奇形や遺伝子異常を持つ子どもが増加した

 

子どもの不健康、がん以外の疾患への易罹患傾向が見られる

 

子どもの甲状腺がん、脳腫瘍、神経芽細胞腫、白血病の増加

 

 

 

4 低線量でも放射線の被ばくは子ども達の未来を脅かしている

 

 ・「低線量の内部被ばく」の影響は、下記のような理由で分かりにくい

 

内部被ばくの線量の測定が困難なこと(ホールボディカウンター計測は限定的)

 

一過性でなく反復性で慢性的な被ばくになるため測定がさらに困難なこと

 

影響が現れるのに長期間要するため(晩発性障害という)、がんや、がん以外の病気や身体異常の原因として確定しにくいこと

 

病気の発生は一定の割合で起る(確率的影響)ので、その発生率が低い場合は他の原因(例;感染症、喫煙、ダイオキシンなど)との区別が困難なこと

 

・しかし「影響が小さい」というのは「影響があっても放射能の影響と証明できない」のであって、「影響が小さいからその被ばくは安全」と言う意味ではない

 

・放射線の人体への傷害は「遺伝子」の傷害として永続する可能性がある以上、常に「被ばくを最小限にとどめる」責任が使用者(原発業界)にある

 

 

 

5 子どもを放射能被ばくから守るために必要な対策

 

外部被ばくを防ぐための生活圏での放射能除染(本当は“移染”)

 

内部被ばくを防ぐための汚染食品の調査と情報提供

 

スウェーデンでは食品からの放射線被ばくを年間1ミリシーベルト(セシウム137換算で75,000ベクレル)以下に規定している

 

子どもは早く放射性セシウムを排泄する(成人は体内のセシウムが半分になるのに約3ヶ月、1歳の子どもは約1週間)。排泄を促進するため非汚染地で一定期間過ごす

 

 

 

7 静岡では、今何が必要か〜予想される災害に備えるために

 

浜岡原発は再稼働をせず、敷地内にある「核燃料」「高線量放射性廃棄物」を一日も早く安全に保管すること

 

 浜岡原発内の使用済み核燃料保管量は2010年度末で6,625

 

子ども達とその親に正しい放射線被ばくの知識を与えること

 

 国は小中高向けに3種類の教育用副読本を配布したが内容は不十分

 

SPEEDI(緊急時の被ばく予測システム)を活かすためモニタリングステーション(MS)を主要避難路にあわせて設置すること

 

 現在浜岡10km圏内のMS14カ所、気象局3カ所の17カ所のみ。

 

 国道150号線東西方面や牧ノ原菊川掛川方面の道路沿いに増設必要

 

周辺地域でのヨウ素剤の配置を分かり易く配置すること

 

  御前崎市の例:ヨウ素剤はオフサイトセンター(御前崎市池新田、原発から2.3km)に保管してある。紛失 、誤飲等があるため、各戸に配布はしない。周辺住民が避難した場所などにおいて服用することとしている。配布は医者と職員で防護服着用の上配布する。

 

 ヨウ素剤の取り扱いは国の指導・助言に基づき、県の現地災害対策 本部長がヨウ素剤の配布を市長に指示し、住民に配布、服用することになっている

 

 ⇒福島県でただ一つ安定ヨウ素剤を住民に配布した三春町の経験を今後に活かす

 

 

 

 地震列島日本で放射能から子どもを守るには原発の廃炉以外にない!

 

 

 

木村百合子さん公務災害認定訴訟 基金側控訴断念のニュース

久しぶりにうれしいニュースが飛び込んできた。このブログでも訴えたが、うつ病発症で自死した木村百合子さんの遺族が公務災害認定を求めた裁判で、被告基金側が控訴しないとのニュースが、今朝の朝日新聞静岡県版に掲載されていた。

 8月2日が控訴期限だから、本当に東京高裁勝訴判決が確定したら、支援してきた一人として心から喜びたい。同時にご両親や家族、弁護士の先生がた、中心的に裁判支援を続けてこられた方々に「ごくろうさまでした。おめでとうございます」と、言いたい。

 僕が裁判傍聴の形で支援を続けた裁判で、浜松自衛官人権裁判に続く2件目の勝訴となる。ささやかな支援が実ったことを率直に喜びたい。

 しかしよく考えてみると、自死された自衛官のHさん、そして木村百合子さんは裁判に勝っても戻ってはこない。お父さん、お母さん、家族のことを考えると、喜んでばかりおれない。遺族の悲しみは裁判に勝っても癒されることはない。

 二度と同じことが起きないよう関係者が最大限の努力をする、このことが自死された2人および遺族に報いることだと思う。

 今日、東京高裁で浜岡原発運転さし止め裁判がある。原告の一人としてこれから出かける。この裁判も是非勝訴したいものだ。

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