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2012年11月

2012年11月25日 (日)

福島レポート 7 最終回 厳しい現実 原発を推進してきた政治家・官僚・電力会社・政府は責任を取れ

 わずか3日間だったが、伊達市の清野さん、飯館村の長谷川健一さん、南相馬市の三浦さん、浪江農場の吉沢さん、さらに帰途立ち寄ったいわき市の遠藤さん(双葉町から避難されている)、そして郡山市の小沼さんご夫妻とかつての高校教員仲間の皆さんたちとお会いし、案内していただき、お話を聞いて、また自分の目で現地を見て、分かったことがある。

復興の見通しが立たない厳しい現実 しかしそこに生き抜く人々の姿

 除染は地域により部分的には一時的効果があっても、安心して住める、そしてそこで農業や家業をできる状況にはならない。山林は除染不可能。

 仮設住宅や避難しているアパートや家から、いつ戻れるのか分からないし、家族でも若い世帯は帰らないだろう、家族がばらばらになる不安、戻るのは高齢者ばかりになりそれで地域社会が再生できるのか、見通しが立たない。

 先行きが見えないのは当事者には深刻なストレスだと想像するが、僕たちがお会いした皆さん方は、この福島県で生きていく、困難に負けない、東電に責任を取らせ、生活再建ができるよう補償をきちんと勝ち取る、そのような元気な方たちだった。

 交通事故で相手の車を壊したり、家を傷つけたら、元に戻るよう損害賠償が義務付けられている。車の修理ですまないなら、新車を買えるだけの賠償をしなければならない。

 東電は原発事故で、人々の生活を破壊し、家に住むことを不可能にし、田畑や農場で生産活動をできなくさせてしまった。

 原発を推進してきた政治家・官僚・電力会社・政府は、福島の人々が安心して元の地で住み、生産活動ができるよう、責任をもって原状復帰できるようにしろ!

 それができないなら完全な損害賠償しろ!

 復興の見通しがたたないほど過酷な災害をもたらす原発を絶対再稼働するな!

 原発ゼロ、再生可能エネルギー社会に転換するよう最大限の努力を払え!

 

2012年11月24日 (土)

福島レポート 7 2泊した伊達市のユースみさと

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 写真後列左がオーナーの清野英明さん。前列左から二人目が清野さんのお母さん。みさとユースホステルは、親子で38年間続けられてきた。とても家庭的で、リピーターが多い。

 伊達市霊山町ののどかな所にあるが、3.11以後環境が激変した。ここは原発から50キロも離れているが、かなり放射能汚染が高い地区になってしまった。清野さんによれば、「日本一放射線量が高いユース」になってしまった。

 僕たちが訪れる前ちょうど除染作業が終わったところだった。ユースの中は0,2マイクロシーベルトで問題ない。庭の土は入れ替えられた結果、0,28.しかしユースの周辺の草むらにホットスポットがあり、そこは1,28だった。

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 ユースから直線距離で150メートルぐらいの所に除染した土の仮置き場があった。線量は0,72.宿泊した翌日、清野さんの案内でユースの周辺を見学。除染作業しているところに遭遇した。

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 このあたりには柿の木やリンゴの木も多い。

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 りんごは線量が高くないので食べられる。しかし柿はダメ。霊山町は、干し柿の「あんぽ柿」で有名。ユースでも干し柿を作り客に出していたが、もうできなくなったとお母さんが嘆いていた。

 ユースで出された野菜は基本的に自家菜園で採れたもの。自分たちが日常食べるものを含め、全て町の測定機で計り、安全なものを食べているとのこと。

2012年11月23日 (金)

福島レポート 6 南相馬市小高区を訪れて

ゴーストタウンとなった町

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 南相馬市は北部のほうは人が住んでいるが、浪江町に近い小高地区は誰も住めない町になってしまった。地震で倒壊した建物はそのままの状態に放置されていた。

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 上の2枚の写真は日本国憲法の草案を作った鈴木安蔵氏の生家。中学生時代までここで暮らした。3.11までは子孫が暮らしていた。鈴木安蔵を描いた映画「日本国憲法」上映会を7年前ぐらいに開いたことがあるが、このツアーで生家を訪れることができ、大感激。僕たちの予定になかったが、案内してくれた郡山市の小沼さんの配慮に感謝したい。

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 浜通り農民連の三浦広志さんの案内で、津波と地震、さらに放射能汚染された海岸部を視察した。上の写真は三浦さんの自宅。少し高いところに位置しているので津波は免れたが、放射能汚染のため住むことができない。まだ新しい家なので、ローンが残っているそうだ。

 一番上の写真は彼の田んぼ。5ヘクタールこの辺りに所有しているが、もう作ることができない。機械も全てダメになってしまった。

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 排水施設がやられたので、水が引かない田んぼ。宮城県や岩手県の海岸部の田んぼも昨年前半は同じような状況だったが、放射能汚染がないから復興は進みつつある。しかしこの小高区は、全く復興のメドが立たない。

 三浦さんは田の地区に土地を購入して農業を再建する計画だそうだ。

2012年11月21日 (水)

福島原発災害視察ツアー報告会の案内

ブログでのレポートはまだ途上だが、25日の報告会に合わせてビデオ編集が9割方完成した。カットするのがおしく、約1時間半と長い作品になったが、困難な状況に置かれている福島県の現実の一端を、理解してもらう一助になると思う。

 多くの袋井市民や県内の人に見てもらうため、案内文を作成した(本当は10日前に作成)。

 

福島原発災害視察ツアー報告会

 

時:11月25日(日)午後2時~3時半

 

所:ふらっと (袋井市総合センター南ななめ前。交差点の東側)

 

 

 

 11月7,8,9日、7名で福島県伊達市・飯館村・南相馬市を訪れてきました。宿泊した「みさとユースホステル」は原発から50キロも離れているが、周りには放射能ホットスポットがあり、地区の一部は避難勧奨地区に指定されています。

 

 飯館村は1月に講演していただいた長谷川健一さんの案内で、ご自宅や村役場、多くの方が避難した公民館、村のたんぼや畑、誰も住んでいない家々などを見学しました。

 

 南相馬市では、津波と原発により住むことも復興のメドも立たない小高区に農地と家がある三浦さんの案内で、消防車や車が今もたんぼに残っている海岸部地区や誰も住んでいない町、さらには浪江町との境界部で政府の殺処分に従わずに牛を300頭飼育している牧場を見学しました。

 

 マスコミでは報道されない衝撃の実態も知ることができました。宿泊した「みさとユース」には、NHK福島放送局が12月20日午後7時半から放映する「日本紀行」の取材できており、私達が到着して出発するまでの3日間の様子をテレビ取材されるハプニングもありました。

 

 報告会ではビデオ録画ではセミプロの技術を持つHさんが撮ってくれた映像を中心に、私たちが見たこと、聞いたこと、感じたことを、ありのまま伝えたいと思います。

 

 入場は無料。会場「ふらっと」の駐車場が狭いので、総合センターまたは袋井市役所の駐車場を使って下さい。

 

 

 

  浜岡原発を考える袋井の会

 

2012年11月17日 (土)

福島レポート 4 南相馬市と浪江町にまたがる農場

え、ここで牛を飼っている!!!

 11月8日午後、飯館村からで南相馬市を訪れた。ピースボートで親しくなった郡山市の小沼夫妻が農民連の三浦さんや、退職した元高校教員仲間とともに僕らを迎えてくださった。

 「希望の牧場」へ案内されて驚いた。高線量の所で今も牛を飼っている。下の写真は牧場の入口。

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                  本物の馬の頭骸骨

 

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 この牧場では約400頭の牛が飼育されている。

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 牧場場長の吉沢正巳さん。彼は政府の殺処分は証拠隠滅であり、牛を飼育する農民が自ら手塩にかけて育てた牛を殺処分したり、手放すことは、「農民の心が折れる」と話された。

 商品価値はないが、放射能に汚染された牛がどうなるのか、生き証人として残したい。大学とも提携し、医学的な見地から観察、死んだら解剖してもらうことになっているそうだ。

 吉沢さんにもらった「希望の牧場」のちらしにはつぎのように書かれている。

『みなさんはご存知でしょうか。警戒区域に取り残された家畜の多くが餓死した上に放置されミイラ化していることを。生き残った家畜についても政府が殺処分の決定を下したことを。「殺せ」これには私は納得などできません。

 私たちは政府や自治体に対し警戒区域の家畜を被ばくの研究・調査に活かしてほしいと訴えています。今後の日本の復興のために家畜の命を活かすことができるはずです。』

 飼料は放射能汚染され使えなくなった干し草をもらって与えている。

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 牧場の線量は3~4マイクロシーベルト。地面だと6~10の所もある。驚くべきことに彼はこの牧場に住んでいる。

 吉沢さんによると、同じ思いで商品価値が無くなった牛を飼っている農民が10人いるそうだ。

2012年11月14日 (水)

福島レポート 4 飯館村の現実  線量

政府が設置したモニタリングポストの放射線量は実態を表していない

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 前田区公民館と消防の近くに設置された線量計。1,89マイクロシーベルト(毎時)を示している。しかし長谷川さんによると、実際の線量はもっと高い。鉄板がさえぎっているから低い数値が出ているにすぎない。

 僕たちが持参した線量計と長谷川さんの線量計を地面に近づけて計ると、11,6マイクロシーベルトだった!!!

 たまたま車検が終わった消防車を消防団員が戻しに来た。帰りの車は奥さんが運転して消防車のあとについてきたが、まだ30代ぐらいと思われる奥さんはしっかりマスクをつけていた。

 おそらく福島県に設置されている空間線量を計測するモニタリングポストは、似たような作りになっているのだろう。

 人間は鉄板の上を歩くわけではない。地面の上を歩く。特に農村では畑や田んぼ、牧草地、庭などの土の上を歩く。福島市や郡山市のこども達も運動や遊びで、グランドや公園の土の上で活動する。

 福島県民が実際に浴びる放射線量が、政府により低く計測されている。長谷川さんによると、将来病気になったとき、どのくらい放射線量を浴びたかが補償の問題で重要になってくる。

 飯館村の空間線量は、僕たちが持参した機械では平均2,6マイクロシーベルト。しかし長谷川さんの裏山は4,7だった!!!

2012年11月13日 (火)

福島レポート 飯館村の現実 3 この事実を伝えることに迷う

ピカピカの飯館村役場と図書館そして老人ホーム

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 立派な村役場。村に住めなくなったので、現在は管理のため2名の職員が村外から通勤しているだけ。

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 上の地蔵さんの頭をなでると、飯館村の歌が流れる。役場前のモニュメント。飯館村の豊かな自然を歌っている。

 写真を撮り損ねたが、役場に隣接して立派な図書館と老人施設がある。図書館は閉鎖されているが、老人施設は今も運営されていた!

 長谷川健一さんによると、村長は村を愛するがゆえに、政府に老人施設と工場(約250人が働く)の存続を全村避難を受け入れるのと引き換えに認めさせた。村の雇用を守る。しかし、そこで働く人々は低線量の放射能被曝の心配がある。老人施設で働く職員には若い女性が少なからずいる。

 安心して住めないとされた所に、おじいちゃん・おばあちゃんが住んでいる。個人なら理解できる。チェルノブイリでも、村を離れたくない老人が政府が居住禁止にしているところに住んでいるのを知っている。

 自分の家に、自分の判断で住み続けるのは、個人の自由だと思う。いわば自己責任。しかし、行政が老人ホームに住む人々を避難させづに、全村避難してもそこに居住を認めるのはどうかな?と思う。

 マスコミは一切この事実を伝えない。僕も迷いながらこのブログを書いている。難しい問題だ。原発から20キロ圏内の老人施設から非難を余儀なくされた人々で、逃げる途中バスの中で死亡した人がたくさんいる。また元いた場所では命を落とすことが無かったのに、環境が変わったせいで死亡した人がたくさんいる。

 原発で死んだ人がいないと言うのはウソだ。僕はこの事実を知っているがゆえに、飯館村の老人施設に入っている方々が自らここに留まる決意をして住んでいるなら、部外者は何も言えないと思う。

 「わしらは若い人に比べてそんなに放射能を心配する必要はない。どうせあと10年、20年の寿命。住みなれたところが一番。知らない所で不自由な生活をするより、故郷で命を全うしたい。」

 直接聞いたわけではないが、そのようなお気持ちで暮らされているのだろう。老人ホームの駐車場にはそこで働く人々のたくさんの車が止まっていた。どのようなお気持ちで働いているのだろうか。

2012年11月12日 (月)

福島レポート 飯館村の現実 誰も住めなくなった村

原発から40キロも離れて、住めなくなった村

 昨日レポートしたが、長谷川健一さん宅は大きな家だが誰も住んでいない。立派な庭、紅葉がきれいな裏山、広大な畑や牧草地、全てが放射能に汚染された。全村民が避難を余儀なくされている。ときどき留守宅に泥棒が入るので、2日に1回見回りをされているとのこと。

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ここから下の写真は村の風景

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イノシシが増え、たんぼをほじくり返す。

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山が多い地区だが、比較的なだらかな山なので、このように田んぼや畑が多く、農業に適している。向こうの斜面は観光わらび園。

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前田区公民館。スピーディーではこのあたりも高濃度に汚染されていることが分かっていたが、公表されなかったので多くの避難民がここに寝泊まりし、長谷川さんたち前田区民は食事を作り世話をした。

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飯館村小学校。車窓から撮ったのでぼやけているが、まだ新しい立派な学校。子どもたちは福島県内外に散っている。

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除染実証実験を行っている田んぼと、表土の置き場。向こうの家は新しい建物が多かった。


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村長の計画では3200億円をかけて除染をし、村人が帰れるようにしたいとのこと。しかし山の除染は不可能。飯館村の水道水や農業用水は全て村の山に依存している。長谷川さんは、多額のお金をかけても果たして農業がやれるのか懐疑的だった。

 

2012年11月11日 (日)

福島レポート 1 飯館村の現実

長谷川健一さんに再会

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 1月22日袋井市に招いて講演してもらった長谷川健一さんの案内で、飯館村の自宅や牛舎、村役場、村内の田畑などを見学させていただいた。写真は自宅で3,11以後の村の全体状況を聞く場面。

 1時間ぐらいじっくりお話を伺ったが、このレポートでは写真を中心に僕が強烈に印象に残ったもののみをレポートしたい。

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 約30頭の乳牛を飼育していた牛舎。卒塔婆は福井県の住職が書いてくれたそうだ。12頭の牛を殺処分せざるを得なかった。がらんとした牛舎を見る度に、長谷川さんはどんなお気持ちだろうかと、胸が締め付けられる思いだった。

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 上の4枚の写真は、息子さんが酪農業を継ぐ決心をして、3,11のわずか4か月前に完成した新しい牛舎の外観と内部。ここには20頭の牛が飼育されていたが、たった4カ月しか飼うことができなかった。

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 長谷川さんの牧草地。放射能に汚染されたため、牛に与えることができない。それでも時々草刈りは行っているとのこと。

 大型機械や設備を整えるのにそうとうな資金が必要だったと想像する。農機具はいつでも使える状態。しかしこの牛舎で再び酪農業を営むのは困難。全く先が見えない。山が汚染されているから、除染しても効果ないだろうと、長谷川さんは悲観的だった。

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 長谷川さんの自宅前での記念写真。3.11が無かったら、この大きな家で息子さん夫婦や孫とともにゆったり暮らせるのに、今は長谷川さん夫婦は伊達市の仮設住宅で、息子さん夫婦は福島市で暮らしている。

 飯館村は全村民が避難。本当のくやしい気持ちは当事者でなければ分からないが、自分自身がおなじ状況に置かれたらと想像すると、少しはお気持ちに近ずくことができるような気がする。

2012年11月 7日 (水)

今日福島へ

NHK福島放送局からの電話

 11月7日今日これから、福島へ出発する。昨日NHK福島から電話があり、僕たちがみさとユースに到着するところから取材したいとのこと。

 ユースの清野さんがNHKの取材が入ると言っていたが、本当だった。いいですよ、と答えておいた。メインは今晩、ご夫妻からお話を聞く場面。

 ピースボートで色々な人の話を聞く自主企画をやったので、今回も僕のインタビューに答えてもらう形で、3.11以前のご夫妻の生活・思い・希望と、3.11以後の生活・感情・思いをじっくり聞きたいと思っている。

 ビデオ録画セミプロの人も一緒に行くので、こちらのほうもしっかり記録に撮る積りだ。11月25日午後2時から、袋井市フラットで報告会を予定している。

 僕が最も知りたいのは、地元の人の生活と感情。飯館村の長谷川さんや南相馬市の農家の方のお話をしっかり聞いてきたい。

2012年11月 5日 (月)

男の料理教室地域の祭りに出店

卵焼き・カレーライスを調理販売 大盛況

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 11月4日、地域の公民館祭りに、町内の男の料理グループがカレーと卵焼きを作って格安で地域の皆さんに食べてもらうイベントに参加した。

 前日の3日に、カレーを作り、卵焼きは商品となるよう作り方を皆で勉強した。そのかいあって、飛ぶように売れ、大盛況だった。カレーライスは50円。卵焼きは1パック50円、チーヅ・ソーセージ入りは60円と、格安だったのであっという間に売り切れとなった!

 僕はカレー作りと当日販売担当。大忙しだったが、お客さんに喜んでもらえて大満足。僕たちの男の料理は結成6年目。僕はまだ2年目の新参者なので、もっと料理の腕をあげる必要がある。

2012年11月 4日 (日)

沖縄の現実 許せない米軍と日本政府

誰を守るのか?

 また米兵による犯罪が深夜、読谷で起きた。殴られた中学生がもしも女子だったら、もっと危険なことが起きていたかもしれない。

 藤村官房長官は米兵の身柄を日本側に引き渡すよう米軍に要請しないと、記者会見で述べた。住居不法侵入、傷害、器物損壊の犯罪者を日本の警察に身柄確保しないことが、米兵の犯罪を繰り返させることになる。

 日米安保で日本を守るというが、国民を守らないのが日米安保の実態であることを、今回の事件もさらけ出している。

 毎日沖縄の情報をインターネットで集めているが、普天間基地司令官が宜野湾市が使っている駐車場の閉鎖を通告した。以前このブログでレポートした1日200円の駐車場である。ゲート前抗議行動へのいやがらせのためだ。市民が健康や運動のために使っていた市民広場も閉鎖されたままである。

 沖縄の怒り

 オスプレイが我がものに頭上を飛び回り、米軍の夜間外出禁止も守られず、犯罪が起きる。日米合意が全く守られていない。自分たちの島がいまだ米軍に占領されている。この悔しさ・怒りを本土の僕たちはもっと理解・共有すべきだと思う。

 高江でも連日住民や支援者がオスプレイヘリパッド工事阻止の闘いを続けているが、広い北部訓練場の山のどこかから作業員が入り、残念ながら工事が進んでいる。10月上旬沖縄に行った時、1日だけ高江の座り込みに参加した。下はその時の写真。

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 北部訓練場のメインゲート。

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 その横に新しくテントを皆で建てた。ここがメインゲート前の座り込み拠点になる。この日はテント設置を祝い、沖縄平和センター事務局長の山城さんが、歌を歌ってくれた。

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粘り強い闘いが高江で続けられている。

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写真を間違えた! 上は普天間基地大山ゲート前でのもの。ここでも連日抗議行動が続けられている。

 問題の解決のためには、普天間基地閉鎖・オスプレイ撤去しかない。今静岡県での運動のため直ぐには沖縄に行けないが、基地閉鎖座り込みの重要局面には是非参加したいと思っている。

2012年11月 2日 (金)

福島ツアーの準備

線量計借用願

 今日市役所防災課に線量計を借りるため、下記の借用願を作成してお願いに行ってきた。

 

線量計借用願

 

 

 

 11月7,8,9日、福島県へ原発災害視察ツアーに行きます。伊達市のユースに宿泊。飯館村・南相馬市を地元の人の案内で視察します。11月25日午後ふらっとで、市民対象に報告会を行う予定です。現地の放射線量はどうなっているのか調べるために、線量計借用をお願いします。

 

 

 

 浜岡原発を考える袋井の会 事務局長  竹野昇

 

 

 

 上司と相談して来週連絡をくれるとのこと。原則市内での使用のため、特例として認めるかどうか検討させてほしいという係の話だった。

 

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