あたり前の生活に感謝
普通に暮らせることのありがたさ
生きるために空気を吸う。水を飲む。食物を食べる。健康と気分転換に外をウオーキングする。子どもたちなら野外で遊ぶ。夜になったら自分の家で寝る。
あたり前の生活 今まで続けてきた日常生活ができない
しかしそうしたごく自然なあたり前の生活ができなくなるのが(脅かされるのが)、原発事故であり、戦争であり、中国で深刻になっている大気汚染だ。
福島の人々は未だに食べ物には気を使わなければならない。小さいお子さんがいる家庭では特にそうだ。祖父母が作った野菜や米でも、安心して食べてよいかどうか迷うそうだ。中にはいらないと断り、人間関係が気まづくなっているケースもあると聞いている。
昨年飯館村を訪問したが、人々は故郷の自分の家に住むことができないでいる。立派な家や新築したばかりの家もあったが、狭い仮設住宅やアパート暮らしではそうとうストレスが溜まってきていると思う。
農民は畑や田んぼ、牧場、つまり野外で働くからストレスが溜まらない。心身の健康に極めてよい。ところが放射能に汚染されたため、それを奪われてしまった。東京電力から生活金が出ても、健康に生きることを阻害されてしまっている。
中国の大気汚染もそうとう深刻だ。大都市ではマスクなしでは外に出れない状況だ。空気を吸う。この当たり前のことを心配しなければならない。
世界では未だに紛争や戦争、テロで、安心して暮らせない地域や国がある。自宅を破壊され、難民キャンプでテント暮らしをせざる大勢の人々がいる。
不条理・悲しい原因を根本的に取り除こう
原発事故は日本中どこでも起こりうる。僕たちの静岡県は特に心配だ。安心して生きるために、どうしたら良いのか。答えは明瞭だ。原発を無くせば良い。
戦争は最大の不幸をもたらす。だったら戦争をしなければよい。大気汚染を防止するには、かつて日本が苦しみそして克服したように、公害防止に本気で金と技術を投入すればよい。
答えは簡単だが、現実はそう簡単ではない。何が問題なのか?
金儲けを優先させる政治家・企業、そしてそれを支える人々
いまだに原発を推進しようとする人々は、人の命・健康・幸せよりも金儲けを優先させている。公害防止に力を入れないのも同じ。
僕たちは、自分たちの命や健康、幸せを守るために、この連中と闘わなければならない。
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