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2013年5月

2013年5月31日 (金)

日韓友情ウオークレポート 三島から小田原まで31キロ

5月17日(金)、三島から箱根を越えて小田原まで31キロを歩いた。幸運なことに富士山をきれいに見ることができ、普段富士山を見ることができない日本人はもちろん、韓国から来た人たちは大喜び。

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 箱根超えはすてきなコースではあるが、楽ではない。江戸時代の人々、通信使の一行の難儀は容易に想像できる。

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 箱根峠を下ると芦ノ湖。箱根マラソンの像のところで、案内役が辺津さんたちの伊豆のウオーキングの会に交代。

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 昼食後、関所を抜け、畑宿方面に向かう旧東海道を歩く。4年前は大雨だったが、今回は天気に恵まれ幸いだった。

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 早雲寺で休憩。ここまでくれば小田原は近い。小田原駅には5時ごろ着いた。この日の宿は熱海。小田原駅周辺には適当な宿がないので。時間のロスはあるが、おかげで温泉宿に泊ることができた。

2013年5月29日 (水)

日韓友情ウオークレポート 吉原から三島まで31キロ

5月16日(木)、自宅からJR吉原駅まで電車で行き、ウオークに参加した。袋井から日帰り参加はこの日が限界なので、夜は三島に宿泊するため17日の宿泊の分も含め手荷物かばんも持って行った。かばんは伴走車に預けた。

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吉原からのコースは主として海岸部を歩く。防風林の松林の中や、右手に駿河湾を眺めながら歩くコースは、さった峠や箱根越えと並んですばらしい。

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 三島大社で休憩。東部のウオーキングの会がここでビールや冷たい飲み物を差し入れてくださった。ウオーキングの熟練者は昼食や休憩時にビールを飲んでも、平気で歩くことができる。鍛え方が足りない僕にはとてもまねができないが。

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 翌日の箱根超えは大変なので、この日のうちに一部の箱根路を坂公民館まで歩く。上りばかりで疲れた体にはとてもきつい。ブログを書くために写真を調べたら撮ったのはこれだけ。よほど疲れきって写真を撮る余裕が無かったのだろう。

 坂公民館周辺には宿がないので、ホテルのバスで三島駅近くの宿舎に戻る。夕食の際、ウオーク参加者2名の誕生日を皆で祝った。

2013年5月27日 (月)

日韓友情ウオークレポート 清水から吉原まで32キロ

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 5月14日は旧東海道でも最高にすばらしい”さった峠”超え。写真では富士山がうっすらとしか見えないが、肉眼でははっきり見える幸運に恵まれた。道中3回も地元の人々による差し入れもあり、思い出に残るウオークとなった。

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 1回目は興津のNPO法人「AYUドリーム」雨宮さん達が冷たいお茶とアイスを提供してくださった。写真を撮り忘れたのは残念である。上の写真は峠で民団清水支部のフャンヘジャさんと娘さん(左側)がドリンク剤をふるまってくれる様子。

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 峠を下ると油井宿に入る。寄りたい施設や店、宿がいくつかあるが、32キロの行程上、どんどん進む。いつか妻と二人でゆっくり歩きたいコースだ。

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 上の写真の白いビニール袋の中には冷凍させたミネラルウオーターが。民団清水支部の青年(前日夜の夕食会にも参加)が差し入れしてくれた。

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 富士川を渡る。通信使が来ると、幕府は近郷からたくさんの船を集めて、船橋を造った。

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 富士市役所の屋上で歓迎を受けた。夕方は曇っていたので、残念ながら写真のような富士を見ることができなかったが、ここからの富士の眺めは素晴らしいとの説明だった。

2013年5月26日 (日)

日韓友情ウオークレポート 交流日続き

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 5月14日午後3時過ぎから、清水区テルサ8階レストランで、交流日のイベントの一つである北村欣也先生による講演会が行われた。演題は「箱根までの朝鮮通信使史跡あれこれ」。上の写真右が北村先生、左が通訳を務めてくれた増田さん(北村先生の教え子)。講演の内容を再現するのは大変なので省略するが、興味深いお話だった。ソンサンギュ韓国隊長から「通信使が日本の文化に与えた影響は?」との質問があった。非常に興味深い問いだ。北村先生は「ほとんどない」と答えたが、僕にはよくわからない。

 朝鮮通信使を世界遺産(記憶遺産)登録する運動を進めるためには、この文化的影響を掘り下げて研究する必要があると思う。

 このあと17時30分から20時30分まで歓迎夕食会。48名が参加し、なごやかに夕食を食べながら歓談した。

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          写真は間違いでした。司会進行役で忙しかったので、写真を撮るのを忘れていました! 最後は全員でアリランなどを歌い盛り上がった夕食会でしたが、写真でレポートできないのが残念です。

2013年5月24日 (金)

朝鮮通信使日韓友情ウオークレポート 交流日続き

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 上は歓迎の挨拶をする天野一(はじめ)県会議員(朝鮮通信使研究会会長)。彼は4年前は県議会議長としてパーティーに出席してくれた。下の写真ののぼりに「朝鮮通信使をユネスコ登録へ」とあるが、世界遺産登録に向けての運動は始まったばかりである。遠藤靖夫隊長はこのあとの挨拶のなかで世界遺産登録に向けての協力の呼びかけを行い、新しいのぼりを天野氏に手渡した。

 

 世界遺産にするにはもっと多くの人に通信使の役割・意義を知ってもらい、かつて宿場町だった市町村議会が動き出す必要がある。この運動はまだ始まったばかりである。2年後に向けて、まずはウオーク参加者の認識を深める必要性を感じる。

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 午後は清見寺見学。このお寺には通信使が遺した書・詩・扁額がたくさん残っている。今日の朝日新聞に駐日韓国大使のシンガクスさんが、通信使が清見寺に残した扁額について触れた記事が出ている。「けいよう世界」 ”けいよう”の漢字の変換がうまくできないが、意味は大使によると、『二つの玉は、お互い光を照らしあってこそ、自らの美しさを出せる」という意味である。

 今回の見学会ではその扁額の説明が無かったので、次回は是非本物を見たい。

 3時から北村先生の講演会、続いて夕食交流会を行ったが、続きは明日にしたい。

2013年5月23日 (木)

日韓友情ウオークレポート 静岡市での交流日

5月14日は交流日。中西さんと相談して、午前駿府城ウオーク。午後清見寺見学と朝鮮通信使に関する講演会、夜歓迎夕食会を企画した。

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            通信使の休息場となったほう泰寺。

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            駿府城内の徳川家康に対面。彼は賢明にも秀吉の朝鮮出兵命令を拒否、侵略に加担せず、政権をとってから朝鮮王朝と国交回復を果たした。その結果、朝鮮通信使が12回江戸を訪問した。

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 11時から県庁を表敬訪問することになり、出迎えてくれた県の職員。

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県庁8階の和室で県文化政策課の課長らが対応してくれたが、どういうわけか写真がうまく掲載できない。この続きは明日レポートしたい。

2013年5月21日 (火)

藤枝から清水まで 日韓友情ウオークレポート

5月13日は藤枝市からJR清水駅まで36キロを歩いた。8時の出発式には副市長や市の職員、韓国の姉妹都市から派遣されている通訳担当の職員、地元商店街の人々、玉虫愛好会の人たち大勢が見送りに来てくれた。恐らく静岡県内では一番多かったと思う。

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 歓迎の挨拶をする藤枝福市長。右はきれいな日本語で通訳してくれた韓国人職員。

 4年前、岡部宿で原田国会議員(当時)の奥さんや後援会の人達が有名な柏葉屋で柏餅とお茶の接待をしてくれたが、今回は市の職員と玉虫愛好会の人たちがお茶の接待をしてくれた。

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 一緒に歩いた市の職員はウオーキングはここまで。柏葉屋で見送ってくれた。韓国では地方自治体が出迎えや見送りを積極的にやってくれるが、日本では少ない。藤枝市が一番進んでいる。

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 岡部宿から丸子宿までは明治時代に作られたトンネルを抜ける。平安時代からの「つたの細道」もあり、ウオーキングにはいいコースである。

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 丸子の匠の館で昼食をとった後、安倍川を越えると韓国民団静岡県本部の人たちがすいかやお茶を用意して歓迎してくれた。

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 知人の民団関係者がたくさん歓迎してくださり、とてもうれしかった。

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 静岡市に入ると中西さんが通う韓国語教室の先生がアイスクリームを用意して待っていてくれた。

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 草薙では県立大学の学生らが出迎え。

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 この日は月曜日で授業があるため、若者のウオーク参加は無かったが、次回は是非一緒に歩きたい。

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 上の写真は半世紀ぶりにペンフレンドと再会を果たした金重石(キムジュンソク)さんと遠藤純代さん。真ん中は通訳の中西晴代さん。朝日新聞が金さんのペンフレンド探しを報道した結果、再会が実現した。この様子は翌日の夕刊全国紙で報道された。

2013年5月20日 (月)

掛川から藤枝まで  日韓友情ウオークレポート

5月12日、掛川から藤枝まで31キロを歩いた。朝8時の出発式には松井掛川市長、髙木市議会議員をはじめ、日韓親善協会の人たちなどが見送りに来てくれた。

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             挨拶をする松井掛川市長

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 この日の最大の難所であり、楽しみでもある小夜の中山峠越え。あえぎあえぎ登れば、きれいなお茶畑が広がり、韓国の人たちはさかんに写真を撮っていた。

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 やっと着いた峠の茶屋で一休み。焼津から参加している松村さんが、参加者全員に子育て飴をふるまってくれた。

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 金谷までは旧東海道の石畳みが残る道を歩く。

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 金谷を過ぎれば大井川。江戸幕府を守るため、当時は天竜川・大井川・富士川には橋がかけられていなかった。通信使一行は400名から500名ぐらいだが、警護の役人や荷物運びの人足など総勢4000名以上が橋のない川を渡る難儀に思いをはせながら、僕たちも川を越えた。

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 島田側に着くと、川越の人足の小屋や休憩所、宿が残っている。

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 午後5時ごろ藤枝に到着。嬉しいことに地元の人たちが迎えてくれた。

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 玉虫愛好会の人たちが藤枝市役所から情報を得て、自主的に歓迎をしてくれた。全く予定していなかったので、本当に嬉しかった。玉虫を飼育して、アクセサリー等を作り、町おこしをしているとのこと。この団体が6月に朝鮮通信使の映画を藤枝で上映すると聞き、驚いた。映画の内容や日時はこのレポートを終えてからブログに掲載する予定である。

2013年5月19日 (日)

橋本維新の会共同代表の暴言と日韓友情ウオーク

朝鮮通信使日韓友情ウオークに参加し、しばらくブログをお休みした。ゴールは20日東京だが、どうしても袋井で所要があり、昨夜藤沢から家に戻った。掛川からのレポートをまとめたいが、橋本維新の会共同代表の発言とそれに関係するウオーク参加者の会話について書きたい。

 軍人の性のはけ口のため、軍慰安婦は必要だった、との橋本氏の発言は決して許されるものではない。公職の身にある政治家(大阪市長、政党の共同代表)として、常識では考えられない暴言である。

 韓国からウオークに参加している人たちは日本に来てどのような思いでこの発言を受け止めたのだろうか。言葉の壁があり、直接この問題で話し合っていないが、怒りと失望でいっぱいだと思う。日本人として恥ずかしい思いだ。

 在日の参加者と昨日朝、ホテルでこの件について話す機会があった。僕は「橋本氏の意見は少数派であり、日本人全体がそのように思っていると考えないでください」と言った。

 それに対し彼女は懐疑的だった。「このウオークに参加して理解のある日本人もいると知ったが、これまで接した日本人は差別的だった。言わないだけで、心の中で橋本さんのような考えを持っている日本人が多いと思う」、と彼女は日本社会の体質・意識は変わっていないとの考えだった。

 阿部首相の「侵略」否定発言や、西村議員の「売春婦に韓国人が多い」との妄言を含め、日本人全体がこうした発言をどう受け止めているのか、正確なところは分からない。

 しかし、一連の暴言から、多くの在日の人々や韓国人、さらには被害を受けたアジアの国々の人々だけでなく海外の人たちは、「日本人はこのような考えを持っている」と受け止めたのは事実である。

 人と人・民間交流で過去の間違いを乗り越え、友好・友情を深めたいと願っているが、水を差された思いである。

 黙っていれば日本人全体が醜い人間、冷酷で差別的な人間になってしまう。橋本氏の間違いを正す大きな世論形成を作って行く必要性を感じる。

 

2013年5月12日 (日)

第4次朝鮮通信使日韓友情ウオーク 浜松から掛川へ

5月11日、あいにくの雨の中、静岡県入りしたウオークの一行と共に掛川まで歩いた。今日は掛川から藤枝まで。余裕がないので、写真でレポートしたい。

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 浜松駅での出発前の様子。上は韓国からの参加者。一番下はこの日道案内をしてくださる人たち。

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       天竜川超え

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 磐田市見付公民館で昼食休憩。寺田伊勢男さん達がお茶を用意して接待して下さった。はっぴ姿が寺田さん。徳川家康と見付との歴史を説明してくれた。通訳は民団浜松支団長のイカンソンさん。彼も掛川まで一緒に歩いた。

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 袋井では青島さんが記念品を用意して市役所ロビーで待っていてくれた。

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 掛川市に入る旧東海道では掛川市日韓協会・国際交流協会の人たちがお茶と茶菓子を用意して迎えてくださった。雨の中、新茶はおいしかった! 袋井でも東海道ど真ん中茶屋で新茶の接待を受けた。

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 午後5時40分ごろ無事掛川駅に到着。ソン会長から1日完歩の証明書が地元の参加者に渡された。

 この日は約38キロ歩いた。僕の足の裏の皮は雨の関係か水ぶくれ状態となり、いまにも皮が破れそうで痛い。

2013年5月10日 (金)

朝鮮通信使日韓友情ウオーク静岡県受け入れ準備

今日夕方、第4次朝鮮通信使日韓友情ウオークの一行が浜松に到着する。僕は「浜岡原発を考える袋井の会」役員会があるので、残念ながら出迎えることができない。明日からは一緒に歩く。

 今14日の交流会や各地での接待の準備をしているところ。 さきほども民団からさらに1名参加したい(ひょっとすると2名追加かも)と電話が会った。

 全く面識がないIさんから電話があり、北村先生の講演会と交流会に参加したいがと問い合わせがあった。どうやら僕が作成した案内をだれかにもらったようだ。もちろん大歓迎ですと答えておいた。うれしいことに静岡県側から24名、ウオーク一行23名、当日韓国から到着する韓国人3名、計50名となった。ひょっとするともう少し増えるかもしれない。

 

 下の文章は案内文

 

第4次21世紀の朝鮮通信使 ソウルー東京 友情ウオーク

 

静岡県内企画の案内とご協力・ご参加の依頼

 

 

 

 2年に1度、江戸時代の朝鮮通信使がたどった道を歩く友情ウオークが5月に静岡県内入りをします。今回は韓国から7人、日本からは16名(在日の人を含む)計23名がやって来ます。出来るだけのもてなし・歓迎をして、暖かく迎えたいと思います。

 

 特に5月14日は交流日となっていますので、下記の企画を立てました。参加とご協力をお願いします。

 

交流日(5月14日【火】)企画内容

 

 駿府城址ウオーク ボランティアガイドの案内で通信使ゆかりのほうたい寺と家康の駿府城址をウオーカーの皆さんと共にめぐります。

 

集合 JR静岡駅北口 午前9時半 約2時間 参加申し込み不要 無料

 

 清見寺見学 ガイドの案内で通信使ゆかりの清見寺をウオーカー全員と共に見学します。拝観料300円は各自払い。

 

集合 現地 午後1時 約1時間 参加申し込み不要

 

 朝鮮通信使研究家・北村欽哉氏の講演会 午後3時~

 

演題「道端に残る朝鮮通信使」 会場 清水テルサ8階レストラン「オーシャンブラン清水」 参加申し込み不要 無料

 

 静岡県内における朝鮮通信使ゆかりの歴史的事実を分かりやすく解説していただきます。

 

 歓迎夕食交流会

 

午後5時~8時 会場 清水テルサ8階レストラン(054-355-3388)会費 ウオーカー3000円。地元5000円。飲み物代は歓迎のため地元が負担。地元参加者は5月10日までに竹野まで連絡下さい。

 

*県内各地休憩所での接待をお願いします。*11日から17日までの県内ウオークに1日または部分途中参加お願いします。

 

連絡先 竹野昇 電話(原文は電話番号を入れてあるが、ブログではカット)

 

 天気予報によると明日は雨。残念だが自然現象はやむを得ない。18日藤沢まで一緒に歩く予定である。

 

 

 

2013年5月 8日 (水)

第4次21世紀の朝鮮通信使 ソウルー東京 友情ウオーク 彦根から垂井までを歩く

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               彦根市役所前

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             韓国からの参加者。中央はソン・サンギュ韓国隊長

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            荷物を運ぶ伴走車。長岡市からHさんが自分の車で縁の下の力持ちの

            役を担っていて下さる。

 5月3日、袋井での集会を終えて、新幹線で前原へ。そしてウオークの一行が宿泊しているホテルへ着いたのが午後7時20分ごろ。皆さん方に挨拶して、翌日4日、彦根市役所から垂井宿まで一緒に歩いた。

 中山道を垂井まで34キロ歩いたが、途中の宿場町が昔の面影を残している。

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             向こうが琵琶湖。この地点が琵琶湖が見える最後のところ。この後、関ヶ原方面へ山間を縫うように中山道が続いている。

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 多分ベンガラだと思うが彦根から垂井までの民家の柱や板壁には朱色(派手ではなく、落ち着いた色合い)の塗料が塗られている。

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 醒井宿で昼食休憩。素敵な所だった。上流から地下水が流れてくるので、川の水は本当にきれいだった。雨森芳洲も一首を残している。

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 ゴールの垂井宿ではちょうど祭りがおこなわれていた。こども歌舞伎を屋台の上でやる、全国でも珍しい祭りだ。

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 朝鮮通信使が休憩した宿で僕たちもお茶と柏餅の接待を受けた。僕は袋井に戻ったが、一行はこの後別会場で伝統的な雅楽の接待を受けた。

 今日8日は一行は鳴海から岡崎まで29キロを歩く。僕は11日浜松から18日藤沢まで歩く予定。静岡県内での接待の準備を進めているところだ。

2013年5月 5日 (日)

憲法記念日袋井市民のつどいレポート

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 代表・戸倉さんの挨拶。

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司会は娘。初めてだったのでかなり緊張している様子。

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講師・半田滋さん。

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109名の参加者。

 半田滋さんのレジメ

 

2013年5月3日

 

憲法記念日袋井市民のつどい

 

 

 

                              東京新聞

 

                              論説兼編集委員

 

                              半田 滋

 

 

 

 

 

 

 

「安倍政権で自衛隊はどう変わるのか」

 

 

 

 

 

 

 

1 自衛隊とは何か

 

  ・ 米ソ冷戦の落とし子として誕生(50年6月朝鮮戦争、8月警察予備隊)

 

 

 

2 冷戦後、冷淡になった米への歩み寄り

 

  ・ 91年4月~10月初の部隊派遣となったペルシャ湾への掃海艇派遣

 

  ・ 93年北朝鮮核開発疑惑による米軍の戸惑い

 

     ↓   ↓   ↓

 

  ・ 米国から求められた自衛隊の変化

 

 

 

3 対米支援としての海外派遣とは

 

  ①テロ特措法に基づく洋上補給

 

  ・ アフガニスタン攻撃は米国の戦争(2001年9月11日のテロ)

 

  ・ テロ特措法は「戦争支援法」(周辺事態法を踏み越える世界進出)

 

  ・ 三度変化した活動の意義

 

 

 

  ②イラク特措法によるイラク派遣

 

  ・ 米軍から離れることを考えた陸上自衛隊

 

  ・ 究極の目標はイラクにい続けること(宿営地にロケット弾13回22発)

 

  ・ 違憲とされた航空自衛隊の空輸活動

 

 

 

  ③海賊対処で自衛隊をソマリア沖に派遣

 

  ・ 海上保安庁では能力不足のウソ

 

  ・ 護衛艦で挟み込む外国籍船 

 

  ・ ジブチにP3C哨戒機の基地

 

 

 

4 イラク戦地派遣の負債

 

  ①「憲法違反」のはてに

 

  ・ 武装米兵を空輸した航空自衛隊の隊員が1億2350万円の損害賠償訴訟。

 

  ・ 独立祈念日7月4日の事故。(2006年)

 

  ・ 米兵バクダッド空輸開始直前。けがをして放置された隊員

 

  ②過酷な任務からの自殺か

 

  ・ 8月までに25人の自殺が判明。陸自19人、空自6人。

 

  ・ 10万人あたりで陸自345.5人、空自は166.7人。自衛隊34.2人

 

  ・ 陸自派遣の04年から3年間は90人以上

 

 

 

5 過去の海外派遣がもたらしたもの

 

  ・ 武器使用基準の緩和(自然権的権利が拡大した?)

 

  ・ 防衛庁が防衛省に(2007年1月)

 

  ・ 自衛隊にさらなる力(ODA、植民地支配型、文民との連携)

 

 

 

6 米軍再編で日米一体化(06年5月日米合意)

 

  ・ 12年4月の2プラス2で、沖縄海兵隊の移転計画が逆転

 

  ・ 次に浮上する岩国問題(空母トライアングル?)

 

  ・ 「第一軍団は来ない」。米国の都合で変化する日米合意

 

 

 

7 過去の海外派遣と米軍再編が迫る自衛隊改造

 

   ・ 日本防衛、周辺事態から世界規模の紛争地へ

 

    ↓   ↓   ↓

 

   ・ オバマ大統領により、米国の軍事行使を見合せ

 

   ・ 米軍と自衛隊の一体化

 

    ↓   ↓   ↓

 

  ・ 米国の国力低下「地域の安全保障は地域で担う」

 

 

 

8 米国が狙う中国包囲網

 

 ①米国の新国防戦略(国防費縮小という制約下での安全保障政策)

 

 ・ 10項目の安全保障上の目的「対テロ作戦・非正規戦」など

 

 ・ 11年11月オバマのオーストラリア演説

 

  「アジア太平洋におけるプレゼンスと任務を重視」と明言。

 

   ↓   ↓   ↓

 

 ・ 空母6隻体制

 

 ・ オーストラリア海兵隊(250人から初めて2500人のローテーション部隊)

 

 ・ シンガポールに沿岸戦闘艦、インドネシアへF16戦闘機24機無償供与。

 

 ※2010年QDRで「統合エア・シーバトル構想」を表明

 

 ※2010年12月、日本が「防衛計画の大綱」改定、「南西防衛」「島嶼防衛」

 

   ↓   ↓   ↓

 

 狙いは中国包囲網の構築

 

 ※「米国の第一層の島嶼ライン」と「中国の第一列島線」は同一である

 

 

 

9 安倍晋三首相のおかしな憲法認識

 

 ①2月15日自民党憲法改正推進本部での発言

 

 ・ 「1977年ダッカ・ハイジャック事件で、服役囚釈放は憲法のせい」

 

 ・ 「こんな憲法でなければ、横田めぐみさんを守れたかも知れない」

 

 ②4月17日読売新聞インタビュー

 

 ・ 「各国の硬性憲法の中で、日本はもっと手続きが厳しい」

 

 ・ 「国会議員の3分の1をちょっと超える人たちが阻止できるのはおかしい」

 

 ・ 「米国のイージス艦を守れず、日本が防護できない」

 

 ・ 「自衛隊のままではジュネーブ条約で捕虜として取り扱われることはない」

 

 ・ 「自衛隊ではPKOで行っている人たちがからかわれる」

 

 ③4月23日参院予算委員会の答弁

 

 ・ 憲法前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」とあるが、自分たち国民の安全・命を他国の人たちの善意に委ねていいのか、このこと自体を疑問に思わない方がおかしい、というのが私の考え方だ。

 

 

 

10 地金を見せ始めた安倍首相

 

 ①「侵略の定義は国際的にも学術的にもさだまっていない」

 

 ・ 4月26日ワシントンポスト「日本が韓国、中国を侵略したのは疑いない事実」

 

 ・ 1974年国連決議3314「侵略の定義に関する決議」を知らない?

 

   第1条(侵略の定義)

 

 侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう。

 

   国連憲章第7章(平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動)

 

 (略) 

 

 

 

 ②靖国神社、春の例大祭に国会議員168人(自民党132人)が参拝

 

 ・ 中国、韓国の批判に「どんな脅かしにも屈しない」

 

 

 

11 もし自衛隊が「国防軍」になったら

 

 ・ えひめ丸事故にみる「軍法」の理不尽

 

 ・ 優秀な人材ほど逃げ出す→徴兵?それとも米国のような貧困層から志願?

 

 

 

12 憲法改正と「国家安全保障基本法」制定による集団的自衛権行使の2本立て

 

 ・ 2月の訪米でオバマ大統領からそっぽを向かれ、頓挫

 

 ・ 野党を利用して「国家安全保障基本法」上程の狙い

 

 ・ 危険水域に入った日本の政治(自民党、維新の会、みんなの党)

 

   ↓   ↓   ↓

 

 ※「集団的自衛権の行使」「海外における武力行使」で「国のかたち」が変わる

 

 ※消える日本への高評価(英BBC「世界によい影響を与える国」昨年トップ)

 

                                     以上

 

 

 

 

2013年5月 3日 (金)

憲法記念日

憲法記念日

 今日は憲法記念日。袋井市では憲法の精神を忘れず、平和憲法の理念が市民の心に定着するように、毎年5月3日に「憲法記念日袋井市民のつどい」を開催している。今年で27回目を迎える。

 4月26日には駅前で街頭宣伝活動。ちらしを配ったり、マイクで3日の案内をした。5月1日は宣伝カーで市内を回った。昨日は講師・半田滋さんから届いたレジメやアンケートの印刷。今日は、配布物や必要な物全てを用意。12時半、会場準備。どうか大勢の市民が来場してくれることを祈るばかり。

 メールやファックスで知人に送った案内文をコピーする。

 

第27回憲法記念日袋井市民のつどい

 

時:5月3日(金)午後1時半~4時

 

所:袋井市総合センター4階大会議室

 

講演:半田滋(はんだしげる) 東京新聞編集兼論説委員

 

演題:「自衛隊は憲法改正でどう変わるのか~海外活動の

 

  現状と将来、米軍との関係は~」

 

 『半田滋さんのプロフィール』

 

 1955年栃木県宇都宮市生まれ。91年中日新聞社入社。東京新聞編集局社会部記者を経て、2007年より編集委員。11年より論説委員兼務。1993年防衛庁防衛研究所特別課程修了。92年より防衛庁取材を担当。04年中国が東シナ海の日中中間線付近に建設を開始した春暁ガス田群をスクープ。

 

 07年、東京新聞・中日新聞連載の「新防人考」で第13回平和・協同ジャーナリスト基金賞(大賞)を受賞。著書に、「防衛融解、指針なき日本の安全保障」(旬報社)、「『戦地』派遣 変わる自衛隊」(岩波書店)=09年度日本ジャーナリスト会議章受章、「自衛隊VS北朝鮮」(新潮新書)、「闘えない軍隊」(講談社+α新書)などがある。

 

 

 

 安倍政権となり、憲法改悪が具体的な政治課題となりました。もし憲法が改悪されたら、自衛隊はどんな軍隊に変質するのか、そしてそれは日本の将来が変わることを意味しますが、防衛問題の専門家である半田滋さんのお話を聞いて、皆さんと共に考えたいと思います。

 

 入場無料 どなたでも入場できます。

 

 車は袋井市役所駐車場が利用できます。会場は袋井市役所の南側。JR袋井駅から北へ歩いて13分。

 

主催:憲法記念日袋井市民のつどい実行委員会

 

      代表 戸倉貢 電話 0538-42-3656

 

      事務局 竹野昇 電話 0538-43-3456

 

後援:袋井市・袋井市教育委員会、中日新聞東海本社、静岡新聞・静岡放送、

 

   朝日新聞浜松支局

 

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