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2013年8月

2013年8月30日 (金)

日本国憲法9条からシリアへの懲罰的空爆を考える

軍事力では何も解決しない!

 シリアアサド政権が化学兵器を使った疑いで、アメリカ・イギリスが空爆を検討している。そもそも、実際にアサド政権側が化学兵器を使ったかどうか、証拠はない。国連査察団が来ているときに(来ると分かっているときに)、政権軍が使う判断をするかどうかは素人でも疑問に思われる。

 ベトナム戦争の端緒になったトンキン湾事件はアメリカの謀略であった。大量破壊兵器所持を理由にイラク空爆をアメリカが行い、泥沼のイラク戦争が始まったが、そもそも大量破壊兵器はイラクには無かった!

 アメリカは攻撃(戦争)したいから、もっともな理由(ウソ)をつけて軍事力を行使する。軍需産業と軍部の利権のためにだ。世界の平和のためなんて、ウソ・ウソ。

 仮にアサド政権が使ったとしても(僕には真相は分からないが)、軍事力では何の解決にもならない。そもそも根本的にはシリア問題は内戦、シリア人同士の争いである。他国が軍事介入すれば、ますます互いの攻撃が激化し、戦争が他の国にも飛火する恐れがある。

 2,3日の限定的空爆を米英が検討しているようだが、実際攻撃に踏み切ればシナリオ通りに行くわけがない。シリアの一般市民にも被害が及び、人道的攻撃が無差別破壊にもなりかねない。

憲法9条の精神から考えると

 

 日本国憲法第9条は、国際紛争の解決手段として、武力手段を使わない、平和的努力で解決すると謳っている。時間がかかり、即効性には欠けるが、長い目で見れば、これが人類の知恵だと思う。

 もし仮に来週、米英が攻撃に踏み切っても、日本政府は憲法の立場から支持を表明してはならない! 自ら憲法の精神を投げ捨てることになる。(もっとも歴代の自民党政権はアメリカの武力行使を真っ先に支持表明してきた。集団的自衛権行使のために、あの手この手で、憲法解釈を捻じ曲げ、ひいては9条そのものの改悪を目指している安倍政権は真っ先に支持表明するだろうが。。。。。。。。)

 新聞投書や政府へのメール・ファックスで、攻撃支持は憲法9条と矛盾するとのキャンペーンを張りたいと考えている。

2013年8月28日 (水)

韓流ブームの街 新大久保にある高麗博物館を訪ねて

コリアンタウン新大久保の人気は衰えていなかった

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 8月17日、コリアンタウン新大久保へ行った。目的は「ヘイトスピーチ」のデモが街にどうのような影響を与えたのか、今新大久保はどうなっているのかを知るためと、前々から行きたいと思っていた高麗博物館を訪ねるためだった。

 写真ではすごい人の群れが伝わってこないが、午後の熱い時間帯(上の写真を撮ったのは午後5時過ぎ)に着いた時には大久保通り・職安通り共に人・人・人。韓流スターのショップは、中年の女性だけでなく若い女性でいっぱい。人気が衰えていない、人が集まっていることを確認してほっとした。

 歴史認識問題や領土問題などで日韓関係はぎくしゃくしているが、それは政治の世界。庶民には関係ないのが実感できた。

高麗博物館

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 高麗博物館は職安通りに面している。韓国食品やスターのグッヅを売っている店は客でいっぱいだが、残念ながら真面目な施設には人は来てくれない。僕が約2時間滞在している間、訪れたのは僕を含めて3人だった。

 しかし、展示は充実している。企画展示では上の写真にあるように、在日カメラマン金裕氏が1960~1970年代に撮った写真が展示されていた。また日本と朝鮮半島の歴史的なつながり、関係、植民地支配の時代の展示もある。

 うわべだけの韓流でなく、歴史に根差した、近代の負の歴史を乗り越える本当の友好・親善・理解・交流を図る上で、とても良い施設だと思う。

 この博物館は一般の日本市民と在日韓国・朝鮮人によって、11年間の準備期間を経て2001年12月に開館した。日本人と在日の人々の共同作業で設立され、運営されているのは素晴らしいことだと思う。

 新宿に行く機会があれば、是非新大久保の高麗博物館にも足を運んでほしいと思う。僕はその日の夕方、博物館お勧めの「水宝館」というレストランで韓国料理を満喫した。

2013年8月26日 (月)

NHK朝ドラ「あまちゃん」

あまちゃんにはまってしまった!

 NHK連続テレビドラマ「あまちゃん」が面白い。初回からほとんど欠かさず見ている。先日、加藤登紀子コンサートに行ったら、彼女も見ていると言っていた。

 日本全体では相当数の人が見ていると思うが、恐らくこの「あまちゃん」の魅力・面白さは、主人公「あき」を演じる能年玲奈の魅力と面白さからくるのだろう。

 それともうひとつの魅力・面白さは、わきを固める出演者達の魅力・面白さだろう。超一流、経験豊富な出演者ばかりだ。演技のプロ、本当にうまいなあといつも感心させられる。

 もう一つの魅力・面白さは脚本・ストーリー。ドラマの展開が小気味よい。さあこれからどうなるのか、次の展開を楽しみにさせてくれる。

 配役も絶妙だと思う。超一流の出演者がそれぞれの個性・持ち味にぴったりの役を演じている。脚本家(すみません。すぐ名前がでてきませんが比較的若い人)が演じる役者を頭に浮かべながら、台本を書いていると想像する。

 出演料を含めて製作費に多額のお金をかけて贅沢な番組を作れるのは、いまやNHKのみ。税金のように視聴料金を集めているのだから、本物の良い作品を提供するはある意味当然である。

 アキ(能年玲奈)の透き通ったような純粋さ・ひたむきさが好きだ。不自然さ・わざとらしさが全くない! 9月で「あまちゃん」が終わるのは寂しい。1年続いても視聴率は変わらないだろう。

 来年4月に、アキ(能年玲奈)も出演している映画「ひまわり」を友人たちと掛川市で上映する。今日は「映画ひわまりを観る会」立ち上げに必要な文書作成をする予定。沖縄に駐留する米軍の戦闘機が小学校に墜落して、学童11名、住民6名が死亡、重軽傷者210名という大惨事を題材にした映画である。

 アキ(能年玲奈)の人気にあやかって、多くの市民に観てもらえるよう、準備を進めていきたい。

2013年8月25日 (日)

雨・水・原発事故汚染水

雨・水・原発事故汚染水

 本当に久しぶりの雨が我が袋井市に降り注いでいる。大歓迎だ! 7月下旬からカラカラ天気。畑の野菜もぐったり。道楽山に植えた木も5本枯れ死。二日に1回の割合で、植林した木への水やりを続けてきた身には、涙が出るほどうれしい雨だ。

 この雨が集まって、水道水・農業用水・工業用水となる。地中にしみ込んだ雨は地下水となり、ミネラルウオーターとして価値の高いものとなる。

 ところが福島第一原発の放射性物質で汚染された水は、全く違う! やっかいな歓迎されざる水に留まらず、危険な水、人間を含めて生物・動物が体内に取り組めば高濃度に放射性物質が蓄積される有害な水である。

 天然の雨や地下水、海の水もその汚染水が混じれば、やっかいな汚染された水となる。飲むことはもちろんできないし、その水で育った魚介類を食べれば体内に放射性物質を取りこむ。

 福島県の漁業組合は9月に試験操業を予定していたが、最近明らかになった汚染水漏れで、とりやめを発表した。

 雨は局地的に大量に降り、災害を引き起こす。しかし一定量降らないと、人間も含めた生物界は困った事態となる。僕の住む静岡県袋井市はもっと降ってほしい。

 東京電力福島第一原発周辺は、大量でなくても一定量の雨水、いや地下水の水そのものが脅威となっている。

 人類が経験したことがない事態が起きている。このこと一つをとっても、原発はやめるべきだと思う。

 

2013年8月23日 (金)

核兵器廃絶平和都市宣言に基ずく袋井市での取り組み

地域から核兵器廃絶に向けての粘り強い取り組みの一端

 

 この地球上から核兵器を無くすのはそう簡単ではないのは分かっている。しかしその理想に向かって努力するのは大切であるし、また核被害・原発被害を経験した日本に住む僕たちは、その理想に向かって汗を流す義務もあると思う。

 袋井市でも僕たち憲法9条の会を中心とした働きかけにより、3年前に「核兵器廃絶平和都市宣言」をした。今では市の全ての封筒には、「核兵器廃絶平和都市宣言のまち」と印刷されている。

 そして市役所の前には、「核兵器廃絶平和都市宣言のまち」と書かれた大きな看板が立っている。しかし市当局が中心となって開催する集会や講演会・イベントはない。袋井市では市民団体が具体的な事業を実施し、それを平和推進事業費という名目で事業にかかる経費の一部または10万円を限度として全額補助している。

 市内の平和団体で原爆展を実施しているのは新日本婦人の会と勤労者協議会。僕が立ち上げた「会」は、2年前は「被曝ピアノ平和コンサート」、昨年は「長崎の被爆者のお話と映像上映」。

 今年の企画は詩人アーサー・ビナードさんの講演会。下は印刷屋に渡したちらしの原稿である。

 

  核兵器廃絶平和推進事業

 

詩人アーサー・ビナードさん講演会

 

   『平和ぼっぱつのお祭り!』

 

時:1021日(月)午後6時半~8時半

 

所:袋井市総合センター4階大会議室

 

      入場無料

 

   アーサー・ビナードさんご紹介

 

 1967年、アメリカのミシガン州デトロイトに生まれる。ニューヨーク州のコルゲート大学で英米文学を学び、卒業と同時に来日。2001年に詩集『釣りあげては』(思潮社)で中原中也賞。2005年に『日本語ぽこりぽこり』(小学館)で講談社エッセイ賞。2007年に『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)で日本絵本賞。2008年に詩集『左右の安全』(集英社)で山本健吉文学賞。詩集に『ゴミの日』(理論社)、エッセイ集に『出世ミミズ』『空からきた魚』(ともに集英社文庫)、絵本に『くうきのかお』(福音館書店)、翻訳絵本に『ダンデライオン』『どんなきぶん?』(ともに福音館書店)、『あつまる アニマル』『ふしぎの国のアリス』『キンコンカン戦争』(ともに講談社)など多数。

 

 ラジオパーソナリティ、講演など幅広く活躍中。

 

 

 

    事業の趣旨・内容

 

 袋井市平和推進事業費の補助を受けての講演会です。核なき世界、本当に安心して住める地球にするにはどうしたら良いのか、ビナードさんのお話を通して一緒に考えたいと思います。

 

 アメリカ生まれの日本語詩人・ビナードさんが原爆・核兵器、日米関係、福島原発事故について、率直に語ってくださいます。堅苦しい講演会ではありません。ご自身が和訳した絵本『キンコンカン戦争』から話が始まります。

 

 絵本や詩に興味がある方も是非ご来場ください。

 

 

 

主催:袋井市核兵器廃絶平和都市宣言を推進する市民の会

 

後援:袋井市・市教育委員会、静岡新聞・静岡放送、中日新聞東海本社

 

連絡先:竹野昇 電話・ファックス 0538-43-3456

 

 ポスターの原案は今日作成する。多くの市民に来ていただけるよう、宣伝を工夫したいと思っている。

2013年8月21日 (水)

沖縄への思い

政府・官僚・政治家のように沖縄の民意を無視する醜い人間にはなりたくない

 沖縄戦では本土の捨石にされ、戦後はアメリカが好き勝手にできるように本土から切り離され、1972年の本土復帰後も米軍が好き勝手にできる状態がなんら変わらない沖縄。沖縄の人々の苦難・被害は今も続いている。

 今、沖縄の民意は「もうこれ以上の基地負担は我慢ならない! 危険なオスプレイ配備は絶対認められない! 辺野古への新基地建設絶対反対!」 「日本の安全保障のため米軍基地が必要と言うなら、本土に持って行ってくれ!」 「民主主義のルールにのっとり、オール沖縄が反対しているのに、沖縄の民意を無視する本土政府・官僚・政治家は沖縄をバカにしている。これは沖縄差別だ!」、以上に集約できる。

 僕たち一般市民も黙っている限り、沖縄の苦しみを傍観する卑怯者と言えるだろう。そうはなりたくないが、何もできないもどかしさがある。オスプレイ追加配備抗議で普天間基地ゲート前に立ちたかった。オスプレイ用着陸帯(ヘリパッド)建設工事が再開された高江に行きたいが、車を飛ばして1時間というわけにはいかない。

 沖縄に申し訳ない思いでいっぱいだが、せめて本土の人間でもできることがある。関心を持ち続けることだ。本土のマスコミはきちんと報道しないが、沖縄のマスコミ報道をインターネットで読むことは簡単である。高江や辺野古などのブログを読めば、今沖縄で何が起きているかリアルタイムで知ることができる。

 日本政府や米軍がやっていること、それに対し沖縄の人々がどのように闘っているか、まずは知ることから始まる。

2013年8月20日 (火)

参議院選結果にめげづに

民意はどこ?

 福島レポートが長引き、参議院選挙結果について僕がどう思っているのか、極めて遅くなってしまったが、正直な感想と気持ちを書きたい。

 「がっかり」 沖縄の山城博治さんが当選できなかったのは残念である。このブログでも支持を広げるために取り上げ、また友人・知人に手紙で支持を訴えたが、当選には至らなかった。社民党全体の比例区得票数が、125万5000。.これでは一人しか当選できない。山城さんの個人名票は112,641.彼が当選できなかったことと、沖縄の反基地の闘いがリンクしないことについては後で触れたい。

自民党圧勝はおぞましいかぎりだが、それが原発や憲法に関しての民意を反映しているだろうか? 各種世論調査でも、原発再稼働や憲法9条改正には自民党に投票した人を含め反対のほうが多い。国民は全てを阿部自民党政権に委ねたわけではない。

 沖縄の基地問題も同じ。辺野古新基地建設やオスプレイ普天間配備も、是非やってくれと積極的に賛成して自民党に投票したわけでは全くない。本土の有権者の投票基準にその問題が抜けていただけである。

粘り強く、したたかに!

 自民党の比例代表の得票率は34,7%。全体の投票率は52%。国民全体のわずか15%しか自民党を支持していない。にもかかわらづ大勝したのは選挙制度とアベノミクスのごまかしが自民党に有利に働いたにすぎない。

 原発や憲法、沖縄米軍基地問題では、国民の意識は変わっていない! 市民運動をしている僕たちは、選挙結果にめげずに、地味だが粘り強く、したたかな地域に根差した運動をやって行こう。

2013年8月18日 (日)

福島へ行こう 福島ツアーレポート その13(最終回) 避難した高校の今

原発災害で避難した高校は今どうなっているのだろうか?

 福島レポートも今回で最終回としたい。参議員選挙結果と政局・沖縄オスプレイ追加配備・袋井での取り組み・その他、いろいろ書きたいことがたくさんあるので、今回で一応の区切りとしたい。

 見出しに避難した高校は今どうなっているのか?と書いたが、最近マスコミでは全く取り上げられなくなった。38年間高校で教員生活を送ったものとして、ずーと気になっていた。そこで、事前に知人を介して福島県立高等学校教職員組合にお願いし、その問題に詳しい組合役員・杉内清吉(県立安達高校)先生に、7月22日組合事務所でお会いし色々お話を聞いてきた。

 双葉町の双葉高、浪江町の浪江高・浪江津島校、富岡町の富岡高、大熊町の双葉翔陽高、飯館村の相馬農業飯館校、南相馬市の小高商業・小高工業・原町高・相馬農業、計10校が、原発事故で非難を余儀なくされた。

 県内各地に分散して、他校に間借りの不便な教育活動を続けてきたが、入学生が極端に減少し、生徒が県内外に引っ越して在校生も減少。現在、元の校舎に戻っているのは南相馬市原町区の原町高と相馬農業の2校のみ。存続が危ぶまれている学校もあるそうだ。

 生徒が避難した先でも授業が受けられるようサテライト校が2011年5月に県内26以上の高校で発足したが、現在は富岡高を除いていわき市の明星大学に一つに集約されている。富岡高はスポーツ科があるので、部活動が続けられるよう、4つのサテライト校を今も維持している。

 高濃度に汚染された地域の高校は将来廃校になるところも出る可能性がある。住民が戻らない。高齢者が戻っても、子どもがいる若い世帯の住民は戻らないので、募集停止・廃校の公算大である。同窓会が存続を求めて運動をしているところもあるとのこと。

 原発事故は全てを狂わせる! 個人の人生・将来を。地域の産業を。そして学校も。今回は高校しか取り上げなかったが、小・中学校も同じである。

 福島の復興の大変さが思いやられる。今後も福島に注目し続け、また機会があれば訪問したいと考えている。

 

福島HE

2013年8月15日 (木)

福島へ行こう  福島レポートその12  観光続き

温泉満足度日本一の高湯温泉

 7月21日、福島市郊外の高湯温泉に入った。当初予定にはなかったが、袋井から思った以上に早く着いたのと、ユースゲストハウスATOMAの主人の勧めで行ってみた。

 旅館協同組合が運営する「あったか湯」は入場料250円! 男女別の露天風呂がある。お湯はやや青みがかった乳白のにごり湯。熱からず、ぬるからず、体にぴったりの湯温。

 露天風呂といっても半分以上は建物内。シャワーや水道、石鹸、シャンプーも用意されている。外の森や源泉を眺めることもできる。結構客が入っている。

 約1時間ぐらい入っていたが、体がぽかぽかし、肌がすべすべ。気持ちがよい。ユースに帰り、ご主人から温泉地ベスト50が掲載された週刊誌のコピーをもらった。

 1位高湯温泉。 2位京都 夕日ケ浦温泉郷。 3位熊本 わいた温泉郷。 4位熊本 黒川温泉。 5位秋田 秋田八幡平温泉郷。 我が静岡県の土肥温泉は38位だった!

 週刊誌のランキングを見た時、正直日本一は信じられなかった。たしかにいいお湯には違いないが、その時はそれぐらいの認識だった。

 しかし福島県のいくつかのお湯に入り、これはうそではない、と赤湯温泉の魅力が少しづつ分かってきたように思う。裏磐梯の川上温泉・郡山の磐梯熱海温泉・いわき市の新舞子温泉に入ったが、比較すれば赤湯温泉のすばらしさがよくわかる。他の温泉は温泉に入った感じがしない。静岡県の温泉もそうだが、湯は無色透明できれい。しかし肌のすべすべ感や入浴後のぽかぽかがない。「温泉に入った!」という満足感がない。

 本当に日本一かどうかは全ての温泉に入った訳ではないのでわからないが、これまで各地で色々な温泉に入った記憶を呼び覚ましてみるに、確かに赤湯温泉は最高の部類に入るような気がする。

 もらったパンフレットでその訳が分かった。源泉かけ流し。温泉は自然湧出。地形の落差を利用して各浴場まで引湯。沸かしたり、水で温度調整は絶対せず、温度管理は「湯番」と呼ばれる経験豊かな人が、「湯とい」や「分湯箱」を使って調整している。

 湯の成分は酸性、含硫黄、アルミニウム・カルシウム硫酸塩温泉(硫黄泉)。神経痛・高血圧・皮膚病・婦人病・リウマチなどによい。

 いくつかの宿があるので、次回はぜひ宿泊して何度も入りたい。

2013年8月12日 (月)

福島へ行こう 福島ツアーレポートその11  観光ボランティアガイドさん

会津の観光ボランティアガイドさんは親切

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 飯盛山は上の写真のボランティアガイドHさんに案内していただいた。この地区に生まれ育った方なので、すごく詳しく色々勉強になった。

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 Hさんは先ず旧滝沢本陣に案内してくれた。当初、僕の予定にはなかった所である。説明を受けて歴史の知識が一つ増えた。本陣は一般には参勤交代で江戸を往復する大名が宿泊するところである。

 しかし滝沢本陣はお城からすごく近い位置にある。お殿様はここで旅衣装に着替え、ここから出発したとのこと。出発の起点として使われた施設だ。お城が起点とばかり思っていたが、そうではなかった! おそらく行列の隊列もここで組んだのだろう。国の重要文化財・国史跡となっている訳が理解できた。他の藩のお殿様はどこから出発したのだろう?歴史は興味深い。

 Hさんから歴史の闇の部分も聞いた。会津を攻略した政府軍は城を奪っただけでなく、大きな商家や家屋敷も自分のものとした。戦になれば、民は難を逃れて逃げる。だれもいない大きな家を占拠した政府軍の兵士たちは、戦後も占拠を続け、元の所有者は自分の家をお金を出して買い戻さなければならなかったそうだ。

 これは略奪である。いくら戦争とはいえ、民の財産を奪うのは許されていなかったはずだ。錦の御旗(天皇の軍隊の象徴)をかかげた軍隊の実態はかくもあさましいものかと、歴史の真実に触れた思いがした。

 Hさんから、政府軍は死んだ会津藩士の遺体を葬ってはならぬとの命を出し、そのため遺体が鳥や動物に食われたりした話しも聞いた。日本では死んだら仏様になるとの考えが昔からある。敵も味方も関係なく、死者を丁寧に葬り、霊を慰めるのが普通だ。

 ところが政府軍は「会津は天皇に逆らう賊軍」と、死者を冒涜した。薩摩・長州、とくに長州へのうらみが長く続いたのも理由があった。

 ボランティアガイドさんと話すのは楽しい。勉強になる。Hさん、どうもありがとうございました!

2013年8月10日 (土)

福島へ行こう 福島ツアーレポートその10 会津白虎隊

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すごい人気の白虎隊十九士の墓と寂しい他の地で戦死した隊員の墓

 上は他の地域で戦死した白虎隊員の墓。注目する人はほとんどいない。下は自決した隊員の墓。中高生と思われる一行がガイドさんの熱心な説明を聞いた後、神妙な表情で祈りをささげていた。

 

この人気の秘密は? どうしてこんなに知られるようになったのだろうか?

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 映画やテレビで何度も取り上げられ、白虎隊の悲劇については多くの人が知っている。僕も政府軍と闘い、自決した少年達というレベルの知識しか、持っていなかった。

 しかし自分で足を運び、ボランティアガイドさんの説明を聞き、認識が少し深まった。上の写真は、白虎隊をドイツ・ヨーロッパに紹介したドイツ人の墓の案内標識。

 

 明治時代に政府に雇われ、日本の大学で教えていたハイゼ氏が白虎隊の話を聞き、興味を持って、現地を訪れたり調べたりして本にまとめ、ヨーロッパに日本の武士道の鏡として白虎隊を紹介した。

 時代が下り太平洋戦争の時、日本はドイツ、イタリヤと三国同盟を結んだ。イタリヤ・ローマ市民はは日本との友好のあかしとして、自決した少年たちを顕彰する記念碑を送った。遺跡で出てきた大理石で作った立派な記念碑だ。

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 (写真を立てにすべきだが、元を直していなかったので。見ずらくてすみません。)

 お国のために命をささげる。君(最高責任者)のため自決することもいとわない。軍国主義の時代、青少年を戦場に駆り出し、勇敢に闘わせる、このために白虎隊十九士は大いに利用されたと思われる。

 ドイツでもイタリアでも有名になった! 軍国主義の指導者たちは、政府軍に刃向かった賊軍としてでなく英雄として白虎隊を讃え、広く国民にその名を知らしめたのだろう。

 僕は歴史学者でないから正確なことは知らない。明治時代、白虎隊は一般の国民にどのように知られていたのだろうか?  恐らく、会津の人々を除いて、そんなに知られていなかったのではないだろうか。

 「八重の桜」をきっかけに、今また白虎隊が注目されている。たくさんの観光客が飯盛山を訪れるのはいいことだ。しかし、「郷土を守るため、愛する家族を守るため自決した立派な若者」としてのみ受けとめられるなら、怖いと思う。

 

2013年8月 8日 (木)

福島へ行こう 福島ツアーレポートその7 観光

歴史・文化・食べ物・温泉・自然豊かな福島県

 福島県は観光客には魅力的な県だと思う。僕は原発事故が起きるずーーと前から、会津に行きたいと念願していたが、今回のツアーで悲願を果たすことができた。

 「八重の桜」の舞台、会津若松

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 7月24日、鶴ケ城と藩主松平家墓所を訪れた。お城は八重の桜ブームですごい人出。内部の展示は見るべきものが多い。お堀を含んで城全体が軍事要塞として作られている。政府軍に包囲されても1カ月籠城できた理由がよく理解できた。

 夕方5時ごろ松平家の墓所へ。あいにくの雨と時間が遅かったので、見物人は僕一人。うっそうとした森の中の墓所は歴史を感じさせられる。

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 カメの上に石碑があるのは興味深かった。韓国に多い石碑がなぜここにあるのか、機会があれば調べてみたい。

 会津藩の悲劇の原因は、前日藩校日新館を見学して納得できた。

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 藩校の中心に孔子を祭った大成殿があった! 「え! ここは中国なの?」と驚いた。徳川の血を引く松平家は「徳川に忠誠を尽くす」ことを最大の美徳と考え、そのため儒学を重んじた。「君に忠」 この思想を徹底的にたたき込み、いざとなった時役立てるよう、平和な時代にあっても軍事訓練を忘れなかった。

 「君に忠」 この美学が政府軍に徹底抗戦させた原動力になった。孔子の教えは「君に忠」だけでなく、人間として生きていく上で指針とすべき点が多いが、当時の時代状況の中で、為政者に都合よく利用されたと思う。

 藩校では切腹の作法も教えられていた。白虎隊の悲劇は藩校の教育にあった。次回、飯盛山をレポートしたい。

2013年8月 6日 (火)

福島へ行こう  福島ツアーレポートその7  誰もいない海

誰もいない海

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 いわき市四倉から少し南の海岸。26日17時ごろ撮影。ここは海水浴場だが、だれ一人いなかった。福島県の海水浴場で海開きしたところもあるという情報を得ていたので、水着は持って行った。体験として福島の海で泳ぎたかったが、まだ梅雨があけず海水浴をしたくなるほどの気温ではなかったので、あきらめた。

 この海岸からもう少し北側に四倉海水浴場があり、そこはオープンしている。浜風商店街の人の中に四倉に住んでいる方がおり、その人の話によると泳いでいる人はほとんどいないと言う。

 写真の海岸に海の監視員の腕章をつけた婦人がいた。誰もいないのにどうして海の監視員が必要なのか疑問に思い訪ねると、ここで泳がないように注意するための監視員だという。

 放射能が原因ではない。海岸近くに津波で被害をこうむった中学校があり、今取り壊し作業が始まっているので、危険だからここでは泳がないように指導するため、市から頼まれて監視しているとのこと。工事は泳ぐのになんら関係ないと思われたが、多分駐車場が工事のため使えないのでそのような措置をとっているのだろう。

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 上の写真は解体される中学校のそばに組まれたパイプ。津波対策の堤防がこの大きさ・高さで作られる。住民に理解してもらうための一種の展示である。

 堤防がいつ完成すのかは分からない。この海で泳ぐ人の姿を見られる日がいつ来るかもわからない。

 

2013年8月 5日 (月)

福島へ行こう 福島ツアーレポートその7  線量

郡山の放射能 開成山公園の線量

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 7月26日午前9時、郡山市開成山公園で郡山市に住む知人夫妻と待ち合わせた。すでに報告したが、仮設住宅に案内してもらうためだが、少し時間があるので公園を案内してもらった。

 知人Kさんは線量計を持参して計ってくれた。上2枚の写真は市当局が6月28日に計った線量。除染後、かなり減っているのが分かる。Kさんによると、毎時0,2~0,3マイクロシーベルト以下だと、年間線量は1ミリシーベルト以下に収まるそうだ。この値だと被曝の心配は減る。

 しかし郡山の現状は厳しい! 下の写真は行政が設置したモニタリングポスト。0,358マイクロシーベルトの表示。なんと1ヶ月後には線量が上がっていた!

 今日の朝日新聞に郡山の線量がでている。0,18. この数字の根拠は分からない。多分市内全域の平均値だろう。しかし開成山公園では行政の設置した線量計でも0,358.

 線量は計る場所と計る高さで異なる。行政は1メートルが多いが、この公園では50センチ。Kさんは地面付近を計った。0,3.0,5.0.8.場所により、0,8もある!

 さらに驚いたことに公園を歩いていると線量計がピーピーと鳴った。1マイクロシーベルトに達すると鳴るそうだ。この時は歩きながら線量計を手に持っていたから、高さは70センチ前後。コンクリート舗装の歩道の上での出来事だ。

 これでは小さい子どもは安心して遊べない。9時から9時半までの時間帯だが、実際、公園で遊んでいる子どもはだれ一人いなかった。

2013年8月 4日 (日)

福島へ行こう  福島レポートその6 海の汚染といわきららミュー

新鮮な魚介の市場と食堂が売りの「いわきら・ら・ミュー」を訪れて

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 27日、アクアマリン福島の近くにある「いわきラ・ラ・ミュー」へ行った。ここは小名浜港にあり、新鮮な魚介類を販売する市場と食堂、展示場がある。写真を見れば分かるが市場は残念ながら客が少なかった。

 販売している魚介類は全て県外産。東電原発事故で海が汚染され、福島県沿岸では漁ができないからである。食堂で出される魚も全て県外産。

 海がすぐそばにあり、立派な漁港を持ちながら、地産地消ができない悲しみ。漁師さんも辛いが、市場の関係者や食堂の人たちもどんなにか悔しい事だろうか。

 他県産なら静岡で買ったり、食べたりするのと同じだから、結局僕は何も買わず、食事はラーメンにした。

 昨日3日の朝日新聞によると、事故から2年半で放射性トリチウムの流失が20超~40超ベクレルに達している。高濃度のセシウム、ストロンチウムも相当海に漏れ出ていると考えられる。

 汚染水が海に漏れ出る危険性は事故直後から分かっていた。にもかかわらず本気で流失防止対策をとらなかった東京電力は犯罪者である。

 福島県の漁師さんたちが漁に出られる日はいつ来るのだろうか? 魚市場に福島産の魚介類が並べられる日はいつになるだろうか?

2013年8月 3日 (土)

福島へ行こう  福島ツアーレポートその5

原発に近い復興商店街・浜風商店街を訪れる

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 26日午後、広野町のJビリッジに寄った後、久之浜にある浜風商店街を訪れた。ここはいわき市でももっとも北のほうで、海岸部の住宅は壊滅的被害を受けている。小学校の敷地に仮設復興商店街が作られていた。

 お店の人の話によると、この地区の住民は地震による火災と津波被害に加え、原発事故で1カ月他地区で避難生活を送ったそうだ。放射能は主に北西方向に降り注いだので、幸いにもこの地区の線量は高くなく、1ヶ月後には戻った。

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 たまたま店の前にいたおばさんが撮った写真が展示場内にあると言うので、中に入ってみた。岩手県釜石や宮城県石巻・名取市で見たのと同様、すさまじい被害状況である。

 復興は進みつつあるが、まだまだ時間がかかる印象を受けた。海岸部では防潮堤の工事をやっていた。下はこの商店街に来る前に海岸部で撮った写真。

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 30~40分ぐらいおばさん達と話して、何か買っていこうと探したら、「復興の花を咲かせようプロジェクト」の花の種を見つけた。

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 金魚草の種と栽培するポット、それに布袋のセットで1250円。花を咲かせて写真にとりメッセージを添えて送ったら、3月11日の「献花の集い」で展示してくれるとのこと。今日この後、ポットに種をまきをする予定である。花が咲いたら写真におさめ、送ると同時にこのブログでも紹介したい。

 

2013年8月 2日 (金)

福島へ行こう  福島ツアーレポートその4

いわき小名浜の漁民2人と会う

 27日午前、いわき市小名浜港に行った。目的は原発事故で魚を捕ることを奪われた漁師さんに会ってお話を聞くため。幸いにも2名の漁師さんと話をすることができた。

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 網の手入れをしている手前の男性に話しかけた。彼の船は大きいので、ロシアの近くや北海道まで出かけて漁を続けているそうだ。今はさんま漁で北海道まで出かけているとのこと。

 

 円安で燃料費が高騰し、北海道で捕った魚でも水揚げした所が産地となるため、他県の港で水揚げせざるを得ず、非常に厳しい状況だとこぼしていた。

 もう一人話しかけた漁師さんは真ん中の写真の向こう側に座っていた60代の方。東電のせいで全く仕事ができない、今も汚染水が漏れ続けている、しかもすぐ事実を公表しない東京電力に怒りを感じていると、ストレートに話してくれた。

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 魚市場にはだれ一人いなかった。水揚げができない市場。漁に出れない漁船。そして海の男が海で仕事ができない。

 さんま漁の漁師さんはストレートには言わなかったが、漁に出ていたら得られる収入の8割をもらって何もしていない漁師さんたちに批判的だった。「自分たちは汗をかいて働き、円高で収入が少ない。一方、補償をもらっている連中は、なにもせずぶらぶらしている。」

 もっと多くの漁師さんと話したかったが、この日は静岡に帰る日だったので2人しかお話を聞くことができなかったのは残念である。

2013年8月 1日 (木)

福島に行こう  福島ツアーレポートその3

郡山の仮設に避難されている双葉町の方からお話を伺う

 26日、知人の案内で郡山市富田若宮前仮設住宅を訪れた。ここは富岡町・双葉町・川内村から避難されている方々1,000名弱が暮らしている。

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 双葉町仮設自治会長・小川さんから約1時間半お話を聞いた。印象に残った事のみ、箇条書きで報告したい。

①自宅は原発から3,4キロ。3.11の時、双葉北小に避難。その時点では深刻な危機感はなかった。その日の夕方、東電の社員の家族は夫から連絡があり、どこかに逃げて行った。

②家族は6人だが、妻と子ども2人は本宮の仮設に。両親は郡山の別の仮設に。自分は親の世話もあり、一人でここに住んでいる。

③仕事はハチを飼っていたが、今は休業状態。戻って仕事を再開するのは無理だと思う。

④この仮設はできて1年半になるが、すでに5名が心不全で亡くなった。

⑤双葉、富岡、川内村の住民はそれぞれまとまって住んでいる。3地区全体が一緒にやるイベントはない。日常的にも横のつながりはない。

⑥仮設に住めるのは26年度まで。そのあとどうなるのかは分からない。

⑦故郷は今も毎時20マイクロシーベルトの線量。山田地区は40マイクロシーベルトもある。

⑧お寺にどろぼう。自分の家もやられた。ねずみが家を荒らしている。

⑨自分の家に帰るのに、10日前に許可申請をしなければならない。

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 上のめがねをかけた人が自治会長の小川さん。下の2人の女性は同じ双葉町から避難されている。

 僕は最後に「何が一番困っていますか?」と訪ねた。

⑩将来の展望が見えない。仮設の期限は来年度まで。故郷へいつ戻れるのか。仕事も含めて、全く先が見えない。宙ぶらりんの状態である。ここではやることもない。

 将来の展望が見えないのは、全ての原発避難者に共通していると思う。地震・津波災害なら、ある程度将来の生活設計はできる。しかし原発事故は今も汚染水もれ、放射能もれ、いつまた爆発するかも分からない状況が続く。故郷に降り注いだ放射能は、完全には除染できない。

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