福島に行こう 福島ツアーレポートその3
郡山の仮設に避難されている双葉町の方からお話を伺う
26日、知人の案内で郡山市富田若宮前仮設住宅を訪れた。ここは富岡町・双葉町・川内村から避難されている方々1,000名弱が暮らしている。



双葉町仮設自治会長・小川さんから約1時間半お話を聞いた。印象に残った事のみ、箇条書きで報告したい。
①自宅は原発から3,4キロ。3.11の時、双葉北小に避難。その時点では深刻な危機感はなかった。その日の夕方、東電の社員の家族は夫から連絡があり、どこかに逃げて行った。
②家族は6人だが、妻と子ども2人は本宮の仮設に。両親は郡山の別の仮設に。自分は親の世話もあり、一人でここに住んでいる。
③仕事はハチを飼っていたが、今は休業状態。戻って仕事を再開するのは無理だと思う。
④この仮設はできて1年半になるが、すでに5名が心不全で亡くなった。
⑤双葉、富岡、川内村の住民はそれぞれまとまって住んでいる。3地区全体が一緒にやるイベントはない。日常的にも横のつながりはない。
⑥仮設に住めるのは26年度まで。そのあとどうなるのかは分からない。
⑦故郷は今も毎時20マイクロシーベルトの線量。山田地区は40マイクロシーベルトもある。
⑧お寺にどろぼう。自分の家もやられた。ねずみが家を荒らしている。
⑨自分の家に帰るのに、10日前に許可申請をしなければならない。


上のめがねをかけた人が自治会長の小川さん。下の2人の女性は同じ双葉町から避難されている。
僕は最後に「何が一番困っていますか?」と訪ねた。
⑩将来の展望が見えない。仮設の期限は来年度まで。故郷へいつ戻れるのか。仕事も含めて、全く先が見えない。宙ぶらりんの状態である。ここではやることもない。
将来の展望が見えないのは、全ての原発避難者に共通していると思う。地震・津波災害なら、ある程度将来の生活設計はできる。しかし原発事故は今も汚染水もれ、放射能もれ、いつまた爆発するかも分からない状況が続く。故郷に降り注いだ放射能は、完全には除染できない。
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