アーサー・ビナードさんのお話 3 平和の反対は?
平和の反対は?
ビナードさんは会場の僕たちに、「平和の反対は何ですか?」と問いかけた。 僕も含めて多くの人は、「それは戦争です」と考えた。しかし、ビナードさんは、「それはペテンです」と自らの問いに答えた。意外な答えに驚いた。以下彼の説明の要約。(僕なりに彼の講演を解釈した要約)
「 戦争を始める権力者は国民をだまして、つまりペテンにかけて戦争を引き起こす。具体例。大量破壊兵器を理由としたイラク戦争。トンキン湾事件を口実にしたベトナム戦争。9.11テロ事件を口実にしたアフガニスタン戦争。」
「 第一次世界大戦でアメリカ国民は戦争は庶民に何ももたらさない、若者が死ぬだけだと、反戦・厭戦気分になっていた。しかし、産業界、特に軍需産業は戦争を望んでいた。特に日本との戦争には国民を納得させるだけの大義名分を必要としていた。」
「 真珠湾攻撃は、アメリカのワナにはまった日本の攻撃である。パールハーバーには戦艦アリゾナがいたが、空母は”たまたま”いなかった。太平洋戦争は空母で決着がついたが、”偶然”その時にはアメリカの空母はハワイにはいなかった! 」
「 日米共に、現場の兵士は大変だった。しかし戦争を命令する上層部はほくそえんだ。 アメリカの新聞は翌9日、待ってましたとばかり、用意してあったと言わんばかりに、大々的に日本の卑怯な奇襲攻撃を報道し、アメリカ政府は対日宣戦布告をした。愛国心が吹き荒れ、戦争遂行が用意になった。」
「 以前アメリカは、現在の国防省を戦争省( departmennt of war )と呼び、その長を 戦争長官 ( secretary of department of war ) と呼んでいた。これではストレートすぎるのでイメージを柔らかく、国防省( department of defence ) と変えた。 戦争は全て”国を守る=国防”の名のもとに行われる。 」
「 1953年12月8日、アイゼンハワー大統領は国連で「原子力の平和利用 atoms for peace ]について演説をした。核を戦争のためでなく、人々の生活のために使う。 原発は核兵器開発の副産物であるが、核開発に膨大な投資が必要だった。その投資を回収するするため、企業の利益のため核輸出をする必要がある。そこで考え出されたアイデア(ペテン)が、”原子力の平和利用”である。」
「 英語では”原子炉”を nuclear reactor と言う。核分裂反応機。 しかし日本政府および御用学者が日本人の核アレルギーを解消するため、原子炉という言葉を発明した。当時日本の戦後復興のシンボルは、製鉄所の溶鉱炉であった。炉のイメージは日本人に温かく、力強く響く。夢のエネルギー、無限のエネルギーと宣伝され、ビキニ環礁での水素爆弾の核実験への非難は消えた。」
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