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2014年3月16日 (日)

沖縄(高江・伊江島・普天間)レポート 2014年春 その5



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 わびあいの里理事・阿波根昌鴻「ぬちどう宝の家」代表の謝花悦子さんとは、12月名護市でお会いしてから2カ月ぶりの再会。お元気な様子で安心した。

 このわびあいの里に、3月1,2日と宿泊させてもらった。うっかり写真を撮り忘れたが、僕がふとんを敷いた所は、阿波根さんの祭壇の前だった。

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 阿波根さんの資料館には全国から多くの人が見学に来る。この日(1日)も10名ほどの団体が訪れ、謝花さんが説明と挨拶をされていた。

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 この建物の中に、阿波根さんが収集した戦争遺品や米軍の砲弾、伊江島の基地闘争の写真や資料などが所狭しと展示されている。僕は9月にもじっくり見学したが、今回も1時間ぐらい見て回った。

 感想ーー修学旅行や遠足で、多くの小・中・高生に見てほしい! 沖縄は言うまでもなく、全国の学生に。大学のゼミで、フィールドワークとして訪れてほしい。

 学生だけでなく、辺野古や高江・普天間を訪れる団体やグループ・個人も、少し時間のゆとりをとって是非伊江島まで足を運んでほしい。見る価値・訪れる価値が、いっぱい詰まっている!

 これから本格的に始まる辺野古新基地建設反対運動の原点は、伊江島・阿波根さんの闘いにある。ここで学び、その知識・感動を、各自の原点として、周りに広げ、運動を拡大させていけば、必ずや辺野古新基地建設反対運動は勝利できると確信する。

 3日の朝、謝花さんやわびあいの里スタッフの方と話す機会があった。僕は以下のお願いをした。

 「ここを始めて訪れる者にとり、案内が分かりにくい。伊江島観光協会のパンフレットには、「ヌチドウタカラの家」とあるが、道路に出ているのは「反戦平和資料館」の看板だけ。9月に初めて来たとき戸惑った。「わびあいの里」という名称もあり、混乱する。せめて道路の看板はここが阿波根さんの資料館と分かるよう改善してほしい。」

 「今は営業しなければ、つまりこちらから積極的に売り込まなければ人は集まらない時代。本土の大手旅行会社や大学に、伊江島修学旅行・スタディツアーを宣伝したらどうでしょうか。そのさい、阿波根さんだけでなく、伊江島の観光・学生の体験学習・基地見学・戦跡めぐりなど、色々な組み合わせを紹介し、沖縄南部・本島だけでなく、伊江島を拠点にいい学びのコースがあると、資料を添えて売り込んだらどうでしょうか」と。

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 このガマでは150名の村人が米軍が上陸した時集団死した。このいきさつは、伊江島郷土資料館に詳しく展示されている。

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 しかしこのガマを見つけるのに少し苦労した。観光協会のパンフレットには掲載されているが、道路には案内掲示が無い! このあたりだろうと思った地点で、農家の方に訪ねて場所が分かった。

 伊江島村当局は観光を村の財政基盤と位置づけているのだろうが、外部(伊江島以外の人の意)の人間には不親切だと思う。道案内・掲示が極めて不十分。

 例えば、城山(タッチュウ)観光。登山するに便利な駐車場へ行く掲示板が無い。狭い島だから最終的にはなんとかたどりつけるが、初めての人間には不親切。僕は9月に行った時、地元の人に訪ねてようやく分かった。

 基地に頼らずとも、伊江島は農業・観光・漁業で充分自立できると思う。たまたまハイビスカス園で、ある村議とあった。明日この続きを書きたい。

 

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コメント

米国統治下と今とでは基地の確保の仕方はまるで違うと思うから、「辺野古新基地建設反対運動の原点は、伊江島・阿波根さんの闘いにある」と言われましても理解不能でんなぁ。昔は銃剣を突き付けて地権者を追い払ったんしょ?今でもそんなことしてますの?

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