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2014年4月

2014年4月27日 (日)

残業代ゼロ? 

今、猛烈に忙しい! 畑の管理、ジェームス三木講演会のチケット売り、色々な集会や裁判参加、浜岡原発を考える袋井の会の活動、朝の町内ラジオ体操、ウオーキング、主夫業(家事)などなど、やるべきことが山ほどあり、ブログの更新もままならない。

 僕の仕事(活動)は、退職者としての、また自ら進んでやっていることなので、労働時間や賃金、まして残業代など、まったく関係ない。逆にやればやるほど金が出ていく。しかし、これが自分の生きがいと思っているから、不満は全くない!

 しかし雇用されている人間、つまり労働者が、法律で定める労働時間を超えて働いても(残業)、「残業代ゼロ」になる制度を作ろうと、政府の産業競争力会議(議長・安倍首相)が検討をしている。

 むちゃむちゃである。今でもタダ働きを強いられている労働者が多い。これは労働基準法違反だが、組合もない職場で弱い立場の労働者は、泣き寝入りを強いられているのが現状である。

 それを合法化させ、労働コストを抑えて企業のもうけを増やす、結果として海外の安い人件費の企業との競争力に打ち勝つのが狙いである。

 経営者・産業界には好都合である。現在では管理職手当をもらっている人間は残業代ゼロだが、これからは一般社員も対象にできるようにしたいということだ。

 新聞報道によると、会社と労働組合の合意、さらに本人の同意が条件とあるが、今日本の労働組合は労使協調が大半である。労働者の側に立ち、働くものの権利・生活を守るためストライキまでやる組合はごく少数である。

 派遣切り、雇い止め、解雇が横行する職場で、会社の上司から「残業代ゼロ」の働き方を迫られて、堂々と拒否できる人間はどれぐらいいるだろうか?

 首になるよりましと、不利益を受け入れざるを得ないだろう。アベノミクスで労働者の賃金を引き上げる?と、マスコミをうまく使って宣伝しているが、消費税増税で金を巻き上げ、さらに残業代ゼロにする、これがアベノミクスの正体と言わざるを得ない。

2014年4月22日 (火)

集団的自衛権行使を国会の事後承認に?

今朝の新聞(朝日)に、「事後承認での行使検討」という見出しの記事が出ている。「安倍内閣は、集団的自衛権行使について、国会の事前承認がない場合でも可能にする方向で調整に入った」とある。

 とんでもない! そもそも憲法を改正せずに、自国が攻撃されてもいないのに、米軍とともに戦争はできないはずだ。軍隊を動かすのに、時の政権の判断でできるようになれば、まったく歯止めがなくなる。

 閣議決定で行使容認とか、事後承認も可とか、安倍政権はめちゃくちゃだ。与党内部や自民党内からも異論が出ていると記事にあるが、立憲主義の立場に立てば当然である。

 もちろん、これは検討段階であるが、このような議論が出ること自体、国会無視、国民無視の表れである。きな臭い芽は、早く摘み取る必要がある。

2014年4月21日 (月)

さだまさし原作映画「サクラサク」を観て

サクラサクを昨日観た。感動。もっと多くの人に観てもらいたい思いで、映画の感想やさだまさしについて、エッセー風に書きたい。

 監督・田中光敏。出演 緒形直人 南果歩 藤竜也 矢野聖人 美山加恋他。主題歌・さだまさし「残春」。

 簡単な内容紹介: 5人家族はバラバラ。認知症になりかけたおじいさん(主人公の父)の記憶を探すために、初めて家族全員で東京から北陸への旅に出る。その旅を通して、互いに背を向け理解しあおうとしなかった冷え切った家族が、ぬくもりを取り戻していく。

 ぼけかけた祖父役の藤竜也の演技がすばらしい。夫や認知症の義父に対して冷たい態度をとる妻役の南果歩さんが、憎たらしいほど光っている。息子、娘役の若者も、現代の一見何も考えていないようで実は心優しい若者を自然に演じていて、観終わってからとても好感が持てた。

 主人公大崎俊介(緒形直人)が、実の父親の垂れ流した小便や大便の掃除をしたり、風呂に入れてやる場面を観ながら、今日本中で同じような父・母を抱え悩み苦労されている人々のことを思った。

 幸い僕自身は、そのような体験をせずして、父・母を見送った。しかし、自分自身が介護を受ける立場になるかもしれない。(今はその心配がないが。。。。。。。。)そのような意味で、他人ごとではない!という気持ちで映画を観た。

 これでさだまさし原作の映画は5本観たことになる。「精霊流し」「解夏」「眉山」「アントキノイノチ」、そして「サクラサク」。どれも素晴らしいが、今回の作品は社会性があると思う。

 誰でも老いは来る。認知症になりたい人はいないが、だれでもなりうる。その時、自分は、家族はどう向かい合うのか?

 落ち込むのか、絶望するのか? 認知症になっても、与えられし命を前向きに生きるのか。いろいろ考えさせられる映画である。

 是非多くの人に観てもらいたい。インターネットで「サクラサク」を検索すれば、どこで上映されているか情報が得られる。

 

2014年4月18日 (金)

ジェームス三木講演会を成功させるために

5月3日、袋井市でのジェームス三木さんの講演会がまじかになってきた。尊敬するジェームス三木さんの講演会をぜひ成功させたい。

 この講演会は、憲法記念日袋井市民のつどい実行委員会の主催で開催する。今年で28回目を迎えるが、これまで招いた講師の中でもっとも著名な方である。それだけに講演の謝礼も相当必要だが。。。。。。。。。。。

 先日実行委員会を開き、入場整理券の売れ行き状況を確認した。チケット販売は3か所の預り所と、実行委員が知人・友人に販売する。会場の定員は380人。入場整理券は1,000円。

 市役所売店 1枚。会場の月見の里学遊館 3枚。スーパーパディ内の花屋 0枚。 市の広報4月1日号にお知らせとして講演会の案内を掲載してもらったが、また3月上旬から市内全ての公民館・図書館に、ポスターを掲示してもらい、ちらしを置かせてもらったが、袋井市民で自ら足を運んでチケットを買ってくれた人はわずか4人!

 衝撃だった。これが袋井市の市民意識の実体かなと、悲しくなった。ジェームス三木さん脚本のテレビドラマや映画、また小説は多くの人が接している。そのジェームス三木さんが初めて袋井市に来てくれるのに、市民の反応は低い。僕のところに問い合わはゼロ。

 集まってくれた実行委員が販売した枚数(見通しを含む)は、170枚。 僕は30枚。まだまだである。会場が満席にならないと、ジェームスさんに申し訳ない。また僕たち主催者も大赤字を抱え込むことになる。

 結局、一軒一軒訪ねてお願いするほかない。講演の演題は、「憲法と私」。今日から毎日、戸別訪問をして、最近の憲法をめぐる世間話をしながら、講演会への参加をお願いするつもりである。

2014年4月16日 (水)

新パソコン  恐る恐る

ウインドウズがセキュリティのサービスを停止するというので、4月上旬から新しいパソコンを使いだした。

 

 以前はNECだったが、今度は富士通製。入力作業は問題ないが、機種が変わると分からないことが多く、困っている。

 このブログに掲載するため、写真をパソコンにデータとして取り込む必要があるが、そのやり方がわからない。説明書をしっかり読めばいいのだが、忙しくて(面倒なので、こちらが本当かも?)、先延ばしにしている。

 メールアドレスも最初から入力しなければならない。まだほんの数人分しか入力してない。息子に何回かメールを送ったが、エラーの表示が出るばかりで、届かない。

 このぶんでは一度にたくさんの方にBCCで情報を送ることができるのは、5月3日ジェームス三木講演会が終わった後になるかもしれない。

 昨日ブログアクセスが21万5,848となっていた。2年前の5月に息子に新しいホームページを立ち上げてもらったが、実に多くの人がアクセスしていただき、うれしい限りである。それだけに内容面、更新頻度ともに、充実させたいと願っている。

 試しに絵文字に挑戦。 ダメでした。。。。。。。。。。。。。。

 

2014年4月14日 (月)

集団的自衛権行使を主張する立場の人たちは、沖縄犠牲の上に論理を展開

 昨日(4月13日)、沖縄の米軍基地問題を考える映画「ひまわり」を掛川市生涯学習センターで開催した。僕も「ひまわりを観る会」の事務局として、関わった。約500名の方が観てくださった。

 集団的自衛権行使を主張する人たちは、沖縄がすっぽり抜け落ちている。表現を変えれば無視。その立場の政治家・学者・評論家らがよく主張する「日本の存立」「日本の安全」「国民の生命と財産を守る」「世界平和に貢献」という言葉の背景には、沖縄の現状を固定化、さらには日米同盟強化のため辺野古新基地建設が必要という考えがある。

 テレビや新聞のこの問題での記事やコメントも、沖縄米軍基地固定化・強化の問題に全く触れていない。

 集団的自衛権をめぐる論争で一番重要なキーワードは、軍事力で平和を守るのか、それとも他の手段でか、という点だと思う。

 憲法解釈を捻じ曲げてまで行使できるようにすべきという立場は、古典的な「強大な軍事力が平和・国を守る」との固定観念にとらわれている。この立場からは、米軍基地被害に苦しむ沖縄が全く見えてこない。いや地政学的に沖縄が軍事拠点として重要である、自衛隊も今以上に配備すべきということになる。

 実際に那覇基地に尖閣警備の名目で航空自衛隊の戦闘機が増強されることが正式に決まっている。中国軍が離島を占拠するかもしれない、離島を守るため陸上自衛隊を離島に配備する準備が進んでいる。海兵隊的な機能を持つ部隊を創設しようとの声が自衛隊内部で出ている。

 安倍政権は、本気で辺野古新基地建設を着々と準備している。前回海上での阻止闘争で建設断念した失敗を教訓として、僕たちが海上での調査阻止行動ができないよう、地元の船100隻を監視船として借り上げる準備をしている。海上保安庁の船、状況に応じて海上自衛隊の艦船まで、出動させる準備が裏で進行している。

 力でなんとしても新基地を作る、この力の論理は、集団的自衛権行使の論理と共通している。米軍と共同で、中国を封じ込める、北朝鮮を抑え込むには、敵をはるかに上回る軍事力とそれを円滑にする体制が必要との論理である。

 東西冷戦・米ソ対決時代にもどる時代遅れの論理だと思う。力のバランスが必要と、双方の核戦力強化・軍事力増強合戦は、もう終わった。

 21世紀は新しい発想で、新しい手段で、平和を構築すべきだ。それには日本国憲法9条の精神・理念がぴったりだと思う。際限のない軍拡・不信感と敵意の増幅から、軍事費を抑制し、互いの国民が経済的に豊かになる道を模索すべきと考える。

 特に沖縄の平和と経済を考えると、集団的自衛権の発想はマイナスである。中国・朝鮮半島・東南アジアに近い沖縄にとり、平和な環境は絶対的に必要である。基地経済は沖縄を豊かにしないことは、歴史的に証明されている。

 

2014年4月13日 (日)

集団的自衛権行使や自衛隊の武器使用拡大を国民に認めさせるために、北朝鮮の脅威を過度に煽り立てている

拉致問題で、大半の日本人は北朝鮮に反感を持っている。一方的なマスコミの報道がそれを助長している。テポドン、ミサイル、核兵器開発などなど、国民の不安をかきたてる材料に事欠かない。

 安倍政権は(正確には安倍政権に限らず、小泉政権以降すべて)、北朝鮮の軍事的脅威を徹底的に大きく見せることにより、集団的自衛権行使、自衛隊の武器使用緩和・拡大、最終的には憲法9条を改悪して、国防軍創設、戦争ができる”普通の国”にすることを狙っている。

 北朝鮮がらみだと何でもできる雰囲気が日本にある。拉致問題で感情的になり、冷静に考えられないムードが、マスコミをはじめ、政治家・評論家・一般国民にある。

 最近では中国の脅威も同様に煽り立て、うまく利用している。軍隊を拡大したいと願う軍幹部や政治家にとり、平和な環境はまことに都合が悪い。脅威がなければ、軍事予算を増やし、高度な武器を手に入れ、軍事力増強を主張する自らの論理的基盤が崩壊する。

 安倍首相や同調する学者・政治家が真に望んでいるのは、自衛隊の海外展開・武器使用を禁じている(制約を加えている)憲法9条を葬り去ることである。戦後日本が曲がりなりにも歩んできた”平和国家”を根本的に変えることにある

 一気にそれをするのは困難故、一つ一つ具体的に実績を作り、彼らが望む実態を作り上げ、憲法が現実から乖離している、だから時代に合ったように改正する必要があると、国民に思わせる戦略である。

 過度に煽り立てられた脅威キャンペーンに騙されないよう注意する必要がある。

2014年4月10日 (木)

集団的自衛権行使が必要と主張する人々が強調する北朝鮮の脅威は本当か?

北朝鮮の脅威?

 今、集団的自衛権行使ができるようにすべきだと主張するすべての人たちは、そろったように中国と北朝鮮の脅威を挙げる。

 昨日は中国を取り上げたので、今日は北朝鮮が原因で米軍が軍事行動を起こし、自衛隊が米軍とともに軍事力を行使する事態が起きるかについて考察したい。

 米軍が北朝鮮と戦争状態になるのは、韓国が攻撃された場合である。北朝鮮が遠く離れたアメリカに戦争を仕掛けることはあり得ない。

 アメリカ本土に届くミサイルと核兵器を開発した、敵が我が国を攻めれば反撃する、とよく北朝鮮が叫ぶ。しかしそれは、アメリカの攻撃、具体的にはイラク・アフガニスタンに対して行われた体制破壊のための攻撃を、させない・思いとどまらせるための宣伝に過ぎない。

 本気でアメリカと戦争をしようと思っているとは考えられない。力の差が歴然としている。対米戦争は、体制と国の崩壊を意味する。北朝鮮からすれば最大の脅威はアメリカである。だから核開発をし、やられたらやりかえす、言葉でなく物理力を必死に開発している。米本土に届くとされる弾道ミサイルの精度と射程はよくわからないが、おそらくこれからも対米交渉の切り札としてその開発に力を注ぐであろう。(国民の生活を犠牲にして)

 このことが日本にとっても脅威になるだろうか? 日本が何もしない限り、一方的にある日突然北朝鮮が日本を核攻撃する事態は考えられない。

 拉致問題という難しい壁があるが、北朝鮮は日本との国交正常化を必要としている。戦後補償としての賠償金(日本側は決してそのような言葉を使わないだろうが)を勝ち取り、経済を立ちなおしたいとの切実な願望がある。

 日本を攻撃するメリットは全くない。また日本本土に侵攻する軍事手段もない。自衛隊との戦力の差も、歴然としている。

 では韓国に対する北朝鮮側から仕掛ける戦争はあり得るだろうか?  確かに小さな衝突は起きている。砲撃事件などもある。

 僕は韓国に10数回行ったことがある。来年は21世紀の朝鮮通信使・日韓友情ウオークに参加して、ソウルからプサンまで歩く予定である。3年前もそのウオークに参加した。韓国の政権が保守政権となってから、南北の政治の世界は緊張しているのは確かだが、庶民はそうではない。

 北朝鮮が韓国を攻めてくると、本気で心配している人はいない。経済的に豊かになった韓国の人々は、北朝鮮に対しゆとりを持っているように思われる。核こそ持たないが、軍事力では圧倒的に韓国のほうが上回っているのを人々は知っている。

 経済的に南の支援が必要な北朝鮮が、ある日突然一方的に韓国に攻めてくるシナリオは無い。したがって、韓米軍事同盟により、米軍が北朝鮮と戦争状態となり、その米軍を日本が軍事支援するシナリオもない。

 では韓国が仕掛ける戦争は? これもあり得ない。韓国は時間をかけて平和的に南北統一をしようとしている。

 アメリカが一方的に軍事攻撃する事態は? 確かにこれまで戦後起きた戦争ではこのパターンが多かった。しかしそのツケがアメリカを苦しめている。国民の意識も世界の警察官ではなくなっている。

 北朝鮮を攻撃すれば、中国との戦争になる恐れがある。北の体制はアメリカにとり我慢ならないだろうが、それを一方的に破壊すれば、北朝鮮難民が韓国や中国、ロシア、日本に押し寄せる。アメリカにとっても周辺の国にとっても、北朝鮮攻撃は何のメリットもない。

 したがって、冷静に考えると安倍首相や自民党が言うような事態は考えられない。しかし彼らは執拗に北朝鮮の脅威を煽り立ている。これはなぜだろうか?次回はこの問題に触れたい。

2014年4月 9日 (水)

集団的自衛権は中国の脅威に備えてとの論理に対して僕はこう思う

中国の軍拡、海洋権益の拡大、尖閣諸島をめぐる日中の対立などが、集団的自衛権行使を必要とする理由によくあげられる。また台湾有事になった場合も含めて、米軍が戦っているときに日本が何もできないのはおかしいと、安倍首相は言う。だが本当にそうなのだろうか?

 米軍は中国との軍事衝突を望んでいない。アメリカの国益は米中戦争を回避すること。

 中国もアメリカとの戦争を望んでいない。台湾を軍事的統一する選択肢は考えられない。

 冷静に考えると、アメリカが仕掛けた戦争で、中国と戦争状態になり、日本の自衛隊が軍事支援するシナリオは無い。

 中国がアメリカに対して仕掛けた戦争で、米中戦争となり、自衛隊が軍事支援するシナリオもあり得ない。

 考えられるのは、尖閣をめぐり日中の小競り合いが拡大する場合である。万が一海上保安庁や自衛隊の艦船から発砲があれば、あるいはその逆があった場合である。

 限定的であれ日中の軍事衝突を最も恐れているのは、アメリカである。尖閣は日米安保の領域に含まれていると、ヘーゲル国防長官が述べているが、それは対日関係上あるいは中国けん制のための言葉に過ぎない。

 アメリカの本音は、離島をめぐるつまらない戦争に巻き込まれるのは真っ平御免である。米軍が介入すれば、戦争の拡大は避けられない。米中全面戦争の危険性もある。それはアメリカの国益に反する。

 経済的に米中は、日米や日中をはるかに上回る相互依存関係にある。中国はアメリカの国債を大量に保有している。すべて売りに出たら、アメリカの財政は破たんする。中国も12億の民を食わせるため、経済成長を続けるためには、アメリカという巨大な市場を失うことは絶対にできない。

 さらに米中戦争となれば、アメリカは日本や韓国、EUなど友好国に対し、中国への経済制裁を求める。世界の先進国との貿易がストップする事態を、中国の指導者が望むだろうか?

 中国との関係においては、日本自身が問題なのである。安倍首相の歴史観、靖国参拝、武器輸出の解禁、自衛隊増強、そして憲法を改正せず解釈改憲で集団的自衛権行使容認と、中国側からすれば日本が脅威となっている。

 アメリカもそうした安倍首相の動きに懸念を持っている。集団的自衛権を必要としているは、日本の誤った政策である。

 

2014年4月 8日 (火)

集団的自衛権という言葉の意味すること

軍事同盟を結んだ国とのみ、集団的自衛権の問題が発生する

 日本はアメリカとのみ、日米安全保障条約という軍事同盟を結んでいる。日本が外国から武力攻撃を受けた時、アメリカが軍事支援をする、そのため日本に軍事基地を置く。簡単に言えばそのような内容に協定である。

 日本側にはアメリカを軍事支援する義務はない。憲法9条で武力行使が禁じられているからである。

 安倍首相は「これでは片手おちだ。日本もアメリカを軍事支援できるようにしないと、いざというときアメリカは日本を守ってくれないのでは」、「日本が軍事的にも積極的に国際貢献をするのが、積極的平和主義」、「米軍の艦船が攻撃されているとき、何もしない、何もできないのでは、日米同盟の信頼が揺らぐ」と、自衛隊が米軍を軍事支援できるようにしようとしている。

 ここで冷静に考えるべきなのは、アメリカ本国を侵略しようとして、外国の軍隊がアメリカに侵攻する事態があるだろうか?

 またアメリカの空母や軍艦、戦闘機などが、アメリカが何もしないのに攻撃される事態が起きるだろうか?

 常識的にありえない! 世界最大最強の米軍に意味もないのに攻撃することは、自らからの破滅を招く。

 ありうるのは、米軍が自国領土外で軍事介入した場合のみである。

 ベトナム戦争、イラク、アフガン戦争を例に挙げると分かりやすい。

 韓国がベトナム戦争に参戦したのは、韓国と米国の軍事同盟に基づいてであったが、ベトナムそれを支援するソ連や中国から軍事的脅威は全く受けていなかった。

 集団的自衛権の行使でなく、アメリカに朝鮮戦争のとき助けられたお返しにすぎない。ベトナム戦争がアメリカにとっても、韓国にとっても、その他参戦したすべての国にとっても、まったく意味のない無益な戦争であったことは歴史が証明している。

 イラク、アフガン戦争もしかりである。アメリカが仕掛ける戦争は、アメリカ国民にとっても不利益であることがやっとアメリカ人にも理解されだした。

 安倍首相や石波幹事長などが、具体例を挙げながらこのようなときには日本として何もしないわけにはいかないと主張するが、米軍が海外で武力行使することはすべて善である、正しいと決めてかかっている。

 イラクに自衛隊を送ったのも同じ論理からである。かろうじて9条の歯止め=政府も海外での武力行使はできないとの認識があったから、あの程度ですんだ。

 今、安倍首相・自民党政権が目指しているのは、その制約を取っ払うことである。

 日米同盟が大切と、米軍が引き起こす戦争をともに戦うことができるようにするのが狙いである。

 これが日本の国益になるだろうか?

 

 

2014年4月 7日 (月)

集団的自衛権の名のもとに自衛隊の武力行使に道を開こうとする安倍政権

憲法9条は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」、と明確に定めている。

いかなる屁理屈を使っても、集団的自衛権は憲法上認められていない!

 安倍自民党政権は、憲法上無理とわかっているからこそ、閣議決定で集団的自衛権の名のもとに、自衛隊の海外での武力行使に道を開こうとしている。

 とんでもない! まがりなりにも戦前の過ちを反省して平和国家として歩んできた我が国の在り方を、180度転換させる危険な道に踏み出そうとしている。

 これから何回かに分けて、この問題を僕なりの立場・考えに基づいて、書いていきたいと思っている。

2014年4月 6日 (日)

調査捕鯨中止

国際司法裁判所の調査捕鯨中止命令に日本は従わざるを得ない事態になった。このことをめぐって様々な意見が出ているが、僕は時代の流れでやむを得ないことだと冷静に受け止めている。

 和歌山紀行のところでも書いたが、沿岸での伝統的な捕鯨は従来通りやることができる。別に鯨肉の捕獲が激減しても、日本人の普段の食生活はなんら困らない。

 遠く南極海まで出かけて行って、国際的に非難を浴びるより、ほそぼそと沿岸捕鯨を続けて伝統を守ったほうが、はるかに賢明だと思う。

 調査捕鯨といっても、実際は商業捕鯨である。日本は言葉のごまかしが多すぎる。海外では言葉のごまかしは通用しない。経済的にも止めた方がメリットがある。捕獲して売る利益よりも、税金で赤字を補てんする額のほうが多い。

2014年4月 2日 (水)

袴田事件即時抗告をした検察

権力はメンツのためのみ、裁判を長引かせる

 残念ながら、袴田さんの再審裁判の開始は先延ばしとなった。31日、静岡地検は地裁決定を不服として、東京高裁に控訴。検察側の論拠が完全に崩れたにもかかわらず、ただメンツのための裁判引き延ばしである。

 庶民の人権よりも権力の権威を守ろうとする人たちは、温かい人間の感情を持たない冷血鬼のようだ。

 東京高裁・最高裁で、再審開始の決定を下した静岡地裁判決が覆されたら、無実の袴田巌さんは再度監獄にぶち込まれ、死刑の恐怖にさらされる。

 裁判所は上に行けばいくほど、悪い判決が出る傾向がある。再審無罪を勝ち取るまで、多くの人の支援が必要だ。僕もこれまでは忙しいのを理由に、あまり深くかかわってこなかったが、自分が出来得る範囲で支援していきたいと思っている。

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