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2014年8月

2014年8月31日 (日)

シリーズ「戦争と平和を考える」 5 辺野古新基地建設強行を考える

 沖縄の米軍基地は沖縄の人々を守るためではない、抑止力のためでもなく、単に米軍の既得権・居座りのためであることは、多くの人たちに理解してもらえると思う。

 しかし現在辺野古でやられていることをどう理解したらよいのだろうか? 政府(一部沖縄の推進派・仲井真知事はその筆頭)の大義名分は、普天間基地の危険性除去である。

 世界一危険な普天間基地を現在の位置から撤去させることは、万人の望むところである。特に宜野湾市やその周辺に住む人々には、長年の悲願である。

 問題はどこに持っていくかだ。沖縄の人々は県外か国外を望んでいる。強引にボーリング調査が強行されている現在でも、県民の8割強が今も県内移設反対である。県内自治体の長と議会の大半が、辺野古移設反対の構図は今も変わらない。

 民主主義国家なら、辺野古新基地建設はあり得ない。安倍政権は、沖縄の民意を完全に無視して、しゃにむに工事を急いでいるが、この背景・理由は何なのだろう?

 ① 対米従属。アメリカ政府の言いなり。日米安保で日本を守ってもらっている?から、やむを得ないとの考え。

 一般的にこの理由は間違ってはいないだろう。しかし僕は、日本政府(防衛省・外務省)や保守政治家、財界の意思が働いているとみている。将来的にこの投資は無駄にならない。自衛隊が使えると。

 ② 日本の支配層の深いところで、自衛隊の性格を根本的に変える計画があり、それが少しづつ具体化・現実化しつつある。専守防衛から、攻撃力をもった軍隊への転換である。

 オスプレイ・無人機の導入、水陸両用戦車導入準備、海兵隊機能を持つ部隊の創設、強襲揚陸艦の配備などなどは、完全に専守防衛からはみ出している。またすでに海外で戦争ができるよう、空中給油機・イージス艦・エイワックス・実質的にヘリコプターの航空母艦となりうる艦船を保有している。

 憲法9条を無視して、集団的自衛権行使ができるよう閣議決定したのも、海外で戦争ができる軍隊への転換のためである。

 辺野古新基地の機能は、日本の支配層にとりのどからよだれが垂れるほど魅力的である。武器弾薬・ヘリ・兵士を乗せて、海外に出撃できる拠点となるからだ。

 このどす黒い野望があるからこそ、沖縄の民意は無視されているのだ。

2014年8月28日 (木)

シリーズ「戦争と平和を考える」 4 沖縄の米軍基地はだれのため?

 軍事力で平和を守るという抑止理論の信奉者は、沖縄の米軍基地が抑止力となり必要である。従って、今最大の問題である辺野古新基地建設を容認・推進する。

 だが本当にそうなのだろうか? 辺野古新基地も含め、沖縄の米軍基地はだれのためのものなのかを考えたい。

 結論は米軍のためである。アメリカ人のためでもなく、もちろん沖縄の人々のためでは全くない。本土に住む我々のためでもない。

 軍隊は国を問わず、本質的に自己保身・増殖を目指す。分かりやすく言えば、縮小・解体を恐れ、絶対にそれを受け入れない。逆に増強(予算をたくさん取る。装備を近代化する。今まで持っていなかった武器=艦船・戦闘機・水陸両用戦車・ミサイルなどなどをもとうとする。

 そのためには軍事的緊張=敵≒脅威が絶対必要となる。平和な環境では予算が取れない。高度な武器を獲得する理由がなくなる。国会議員やマスコミ、国民の理解を得るには、絶えず軍事的緊張を維持しなければならない。

 米軍にとり格好の軍事的緊張は中国であり、北朝鮮である。さらには中近東(イラク・アフガン・シリヤ)である。在日米軍は、アジア・中近東・アフリカをカバーしている(にらみを利かせている)。

 この地域が不安定であればあるほど、米軍の存在価値が高まり、自己保身・増殖を図ることができる。アメリカ国民を守るためとか、世界の人々の平和な生活を守るためでは決してない!!!!!

 今、アメリカでは財政赤字のため、軍の再配置や海兵隊のありかたが問題となっている。軍事技術の発展により、海兵隊不要論も出ている。在沖海兵隊をグアムやオーストラリアに移転する議論も連邦議会で出ている(正確には全ての在沖海兵隊の移転ではなく、一部を移転。単なる議論の段階から、具体化しつつある)。これは沖縄の海兵隊にとり死活問題なのである。

 実は海兵隊にとり、沖縄の広大な基地は使いやすく、安上がり(日本政府の思いやり予算のため)である。絶対に手放したくない。普天間基地の移設は、全額日本の税金で作ってくれる。しかも軍港つきで。

 アメリカ空軍も極東最大の嘉手納基地は絶対に手放したくない。ここから中国・北朝鮮・南アジアへは、日帰りできる位置にある。世界戦略上必要なのであって、これまたアメリカ人や日本人を守るためではない。沖縄の人々を守ることなど、眼中にない。

 来年で戦後70年!  しかし沖縄には米軍が居座ったまま。しかも辺野古に軍港つき機能強化される新基地が作られようとしている。誰のためでもない。米軍のために。いつまでも沖縄に犠牲を強いることは絶対に許されない。

2014年8月26日 (火)

シリーズ「戦争と平和を考える」 3 軍事力で平和を守る概念は歯止めなき軍拡につながる

科学技術の進展に伴い、軍事技術も高度化している。アメリカ、ロシア、中国、日本などは、宇宙技術開発に力を注いでいるが、それは単なる平和利用のためだけでなく、ミサイル開発(宇宙空間で敵ミサイルを撃破、スパイ衛星の破壊、宇宙空間からターゲットへの正確な攻撃など)と固く連動している。

 人工衛星を打ち上げる技術力は大陸間弾道ミサイルの精度と速度を高める。そのミサイルに搭載する爆弾は、核兵器でなく通常爆弾であっても、敵軍事基地や都市などを完璧に破壊できるよう、威力=破壊力を増すよう日々性能の向上が図られている。

 戦車や艦船から発射する大砲に劣化ウラン弾を使用するのも、貫通力=破壊力を増すためだ。

 アメリカは兵士の死傷者を減らすため、戦闘ロボットの開発に力を注いでいる。コンピューターで制御し、敵兵士や攻撃目標を正確に探知して自動小銃で攻撃できるロボットだ。市街戦での戦闘を想定している。

 人工知能を備え、アパートや家などの捜索にも使えるようになれば、ゲリラ戦に最適である。味方の人的損害ゼロで、戦争ができるようになる。

 ステルス戦闘機の開発も進化している。敵のレーダーに捕捉されないから、攻撃を受けることなく、相手を攻撃できる。アメリカがこの技術の先頭に立っているが、ロシア・中国・フランス・イギリス・日本なども血眼になって開発競争している。

 無人機も進化しつつある。アメリカ軍はアフガニスタン・イラク・パキスタンで、実際に無人機攻撃を頻繁に行っている。撃ち落とされても、人的被害はゼロ。民間人が誤爆され、殺害されるケースが相次いでいるが、謝罪や補償はない。

 日本も無人機導入を検討している。中国やロシアの無人機開発・実戦化の状況はわからないが、対米・対日抑止力を高めるため、持とうとするのが自然である。韓国も日本に対抗するため、開発するだろう。

 やられたらやり返す。やり返す十分な軍事力を持つ。しかも相手を上回る軍事力を。それでもお前は俺を攻撃するのか。これが抑止理論である。理論というのは恥ずかしい。暴力団の理屈である。

 人類よ、いい加減に目を覚ませ! 愚かな軍備拡張に税金と技術力を注ぐのはやめて、まずは自国民の救済に力を注げと言いたい。

 アメリカには膨大な貧困層がいる。失業者や医者にもかかれない人たちがたくさんいる。中国の農村や辺境部には発展に取り残された膨大な人たちがいる。

 日本だって貧富の格差が増大し、社会的弱者が増大している。ロシアも同じ、いやそれ以上だろう。互いに、軍事費に膨大な国家予算をつぎ込む余裕などないはずだ。

 しかし抑止理論に立つ限り、この悪のスパイラスから抜け出ることはできない。

2014年8月25日 (月)

シリーズ「戦争と平和を考える」 2 軍事力が平和を守るという古典的な考え 続き

軍備増強、集団的自衛権、軍事同盟の推進論者(政治家・学者・官僚・マスコミに籍を置く人間たち)は、抑止力という言葉を好んで使う。

 核抑止力、在日米軍の抑止力、沖縄基地の抑止力、中国・北朝鮮に対する抑止力としてミサイル防衛や離島への部隊の配備・海兵隊機能を持つ部隊の創設と水陸両用車や敵前上陸を可能とする艦船の配備、無人機やオスプレイの配備、イージス艦の増強、ステルス戦闘機の配備、空中給油機の導入、などなどこれら軍拡の理由は日本の平和のための抑止力と説明される。

 原発維持政策も核抑止力論が絡んでいる。いつでも核武装できる能力・技術・材料を持っていることが、抑止力となるという考えだ。

 沖縄県民の大半が反対しているにもかかわらず、辺野古新基地建設を強行しているのも、海兵隊の抑止力が理由となっている。

 この抑止力理論は、1国だけでは見れば、「そうだ。安全・安心、国民の平和と生活・財産を守るために、強力な抑止力を持つのに賛成だ』ということになる。

 しかし相手も同じことを考え、同じような備えをする。一番わかりやすいのは、核抑止論だ。核兵器を持っておれば、相手が核攻撃や侵略をしてこないだろうとの考えで、米国に対抗してソ連(当時)が、中国が、そして英国、フランス、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮が、核兵器を保有している。

 国名をあげないが、その準備をしている国がいくつかある。核兵器が平和を守る考えを認めると、どんどん核武装国が増える。原発の平和利用を隠れ蓑に、プルトニウムを取り出す技術を開発する国が増える。

 世界がかえって危険=不安定になってきたから、今、核廃絶=核兵器は非人道的兵器として使用を禁じる国際条約の創設の動きが進んでいる。

 つまり核抑止論が破たんしつつある。米ロ核軍縮の動きもそうした流れの中で始まった。しかし核兵器以外の武器(軍事力)は、残念ながら増強の一途である。次回はこの問題点にメスを入れたい。

2014年8月24日 (日)

シリーズ「戦争と平和を考える」 2 軍事力で平和を守るとういう古典的な考え

治安や平和は、警察力や軍事力で守るというのが一般的である。世の中には悪い人もおり、拳銃(武器)をもった警察官が市民の生命や財産を守る。そのため税金で警察という組織を維持する。警察は権力を守る側面も併せ持つが、警察という組織(拳銃を持つ武装集団)が市民生活の平和・安定(つまり治安)を維持していることは否定しない。

 しかし国家が持つ軍隊及び核兵器やミサイル、戦闘機、航空母艦、戦車など高価で最新鋭の武器が、本当に庶民の平和・生活の安定に役立っているのか、また他国の侵略を未然に防いでいるのかは、色々な角度から検証する必要がある。

 20世紀までは、そうした古典的考え(軍事力が抑止力)はある意味やむを得ないことかもしれなかった。人類の歴史は戦争の歴史であり、強い者(国)が弱い者(国)を侵略・支配・従属・植民地化するのは、当たり前のように思われていた。

 冷静に考えると、小学生でもわかる野蛮で不正義な歴史だ。こうした誤った歴史の反省の上に、21世紀を生きる僕たちがいる。

 書く時間が無くなった。これから袋井市核兵器廃絶平和都市宣言を実現する市民の会の活動に出かけるので、この続きは夕方か夜書きます。

2014年8月22日 (金)

シリーズ「戦争と平和を考える」 1 平和という言葉の使われ方武器輸出

 今日から「戦争と平和を考える」と題して、何回かにわたって自分の考えや意見、思い、さらには直接自分が関わっていることなど、関連するあらゆる分野に及ぶ事柄を題材に、自由に色々な角度から書いていきたい。

 平和という言葉は、戦争を進める・実行する・準備する勢力=政権=政治指導者=それを支える民衆もよく使う。

 安倍首相も「積極的平和主義」という言葉を好んで使う。彼なりの平和主義の理念で、辺野古新基地建設強行、集団的自衛権行使に道を開く解釈改憲=閣議決定、自衛隊増強=日米軍事一体化=オスプレイ導入=海兵隊並みの装備と訓練を受けた部隊の創設、自衛隊海外派兵を恒久化させる法案の準備、武器輸出のなし崩し的解禁と、どんどん戦争ができる国作りを進めている。

 しかし、安倍首相に限らず、上記に挙げた政府が進めている政策を支持・賛成する全ての政治家や政党、経済界の指導者、自衛隊幹部、一部報道機関、学者、官僚、テレビコメンテーターたちも、日本の平和のため、アジアの平和のため、世界の平和のために、日本が積極的や役割を果たす必要があると主張する。

 そして憲法9条を擁護する勢力=政治家=政党=市民を、「平和ぼけ」と非難する。北朝鮮、中国の脅威を強調して、軍備増強に反対する立場の人間に、「何もしないで日本が攻撃されたら、侵略されたら、あなたたちはどうするのか?」と、せせら笑う。

 問題の本質は、『どうやって平和を維持するか』にある。簡単に言えば、軍事力か、それ以外の方法か、だ。

 次回はこの問題を掘り下げたい。

2014年8月21日 (木)

福島を理解するツアーレポート 9 最終回  希望の牧場

7月20日午後4時前に、希望の牧場を訪問した。当初予定に入れてなかったのだが、三浦さん案内の南相馬小高区の見学が短時間に終わったので、菅野さんにお願いして案内してもらった。

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 ここを訪れるのは僕にとり2度目。参加者の大半は初めてだったので、驚かれたようだった。

 事前に吉澤さんに連絡を取ってなかったが、幸運にも吉澤さんがおられた。ちょうど他の団体に説明をしているところだった。

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 2年前に訪れたときに比べて、吉澤さんのお話は厳しかった! 原発再稼働・輸出を進めようとしている安倍政権への怒りに満ちていた。 7月東京に被ばく牛を連れて行ったお話もされた。マスコミにも取り上げられたから、たぶん知っている人もいると思う。

 政府は証拠隠滅のため牛のと殺処分を進めたが、吉澤さんはそれに逆らい、放射能汚染の生き証人として飼育している。その数350頭。大学と提携し、放射性物質が牛にどのような影響を与えるのかを研究してもらっている。すでに白斑がでている牛がいる。

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 上の写真の牛に白斑が出ている。また吉澤さんは、原発事故で動物たちがどうなったのか、事実を事実として多くの人に知ってもらう活動もされている。

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 餓死した牛。

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 餓死した牛の頭蓋骨の展示。

 テレビや週刊誌では可愛い猫や犬がよく紹介される。そうしたペットを子供のように大切にしている家族や芸能人もよく取り上げられる。しかし、福島で実際に起きた、動物(ペットを含めて)の虐待(飼い主が飼育を放棄。結果としての餓死)は絶対に報道されない。

 もちろん飼い主を責めているのではない。原発事故による緊急避難でそうせざるを得なかったのだ。泣きながら、餌をいっぱい与えて避難した人が大半だと思う。きっといまだにそのことがトラウマになっている方も多いと想像する。

 この悲劇を繰り返さないためには、原発事故で何が起きたのか・事実を知る必要がある。伝える義務がある。戦争をなくすため、核兵器の使用を繰り返さないために、戦争展や原爆展が毎年開催され、資料館が作られ、教科書でも子ども達が学ぶのは、そのためである。

 吉澤さんは牧場主として、動物に愛情と感謝の気持ちを持つ人間として、被ばく牛を飼育し、全国を回って講演されている。希望の牧場の線量は高い。自身の被ばくを覚悟しての、いわば命がけの活動だ。

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 線量計は3,9マイクロシーベルトを示している!!!

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 治外法権という意味は、この希望の牧場は政府の命令を無視する(と殺処分を拒否)ということを指している。

 原発一揆は吉澤さんの気持ちを表している。これだけの被害を受けながら、何もしない・抗議・告発をしないのは、政府・東京電力の無策を容認することになる。

 かつて農民一揆があったが、今福島県民は原発一揆に立ち上がろう、との思いが込められている。

2014年8月20日 (水)

福島を理解するツアーレポート 8 双葉町から避難されている方のお話

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 7月21日、吉野さんのお話の後、双葉町から福島市に避難されている後藤さんのお話を伺った。吉野さんがインタビューする形式で。以下、後藤さんのお話で記憶に残っている内容を箇条書きする。

・ 自宅は原発から4キロメートル。海沿い。津波は自宅の200メートル手前まで来た。

・ 3月12日朝、家族9人着の身着のまま川俣方面へ避難。凄い渋滞で着いたのは午後3時。原発事故が起きるとは全く思っていなかった。原発事故災害の避難訓練はなかった。

・ 自宅は、線量が高く(3マイクロシーベルト)、今はねずみの巣。台所はこぼれた醤油がそのまま。とても戻ることは考えられない。

・ 私の個人的な意見だが、双葉町は放射性廃棄物の捨て場になっても仕方がないと思う。十分な補償と住民の合意が前提だが。

・ 息子に障害があり、今は息子がシャロームにお世話になっている。

・ 最近知人のだんなが仮設住宅で死亡した。

・友人は病院通い。元気がない。

・ 知人がいわき市で土地を買った。元は10万の単価が20万円(坪)。建設ラッシュで工事が遅れている。家を建てている地区の人から、「あなたたちとは付き合いをしない」と言われたそうだ。

・ 9人いた家族は今、ばらばらに住んでいる。

・ 補償の関係で、住民票を移すことはできない。

・ 以前仕事で第一原発の中に入ったことがあるが、その時東電社員に「ここは津波が来ても大丈夫か?」と質問したら、「大丈夫。安全です」との答えだった。

・ 避難生活中、自殺しようかと思ったことがあった。

・避難のとき、ヨウ素剤の配布はなかった(質問に答えて)。

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 9時から11時20分まで、内容の濃いお話を聞くことができた。最後にNPO法人シャローム代表の方からの挨拶があった。シャロームは、地域作り・障害者福祉を目的に設立され、障害者の手つくりパン販売や被災者支援など多様な活動を行っている。障害者コミュニティーサロン「まちなか夢工房」がその拠点となっている。

 帰り際、参加者の多くが「夢工房」の店内で色々な買い物をした。お昼用にパンを買った人が多かった。僕もその一人だが、とてもおいしかった!

 浪江町訪問のところで、希望の牧場を訪れたことをうっかり報告し忘れてしまった! 次回(最終回)、レポートしたい。

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2014年8月19日 (火)

福島を理解するツアーレポート 7 保養プロジェクト

吉野裕之さんの保養に関するお話

 目的は①子ども達が自然と触れ合う時間と機会を作る  ②体力・免疫力の向上  ③精神的な安らぎを得る。

 これまで千葉、山形,会津、宮城県登米市に地元の方の協力を得ながら、子ども達を送ってきた。今取り組んでいるのは、伊達市教育員会の協力を得て、「移動教室」のプロジェクトである。

 

 福島市内の子どもが先生とともに、伊達市の小学校に移動して、伊達市の子ども達と一緒に、授業を受けたり、遊んだりする。先生方も一緒に授業する。

 子ども同士の交流だけでなく、先生方も交流でき、とても好評である。宿泊を伴う事業だが、幸いにも福島県教育委員会の応援(助成)をいただいて実施している。

僕の感想   県・市の教育員会の理解と協力・支援(助成)を取り付ける発想は、すごいと思う。ほとんどの保養プロジェクトは民間の善意で行われている。本来、行政(国・県・市)が子ども達を守るためにやるべきことだ。行政を動かすのは、市民。吉野さんの熱意とパワーが行政を動かせたと評価している。

( たしかチェルノブイリ原発事故では、ウクライナやベラルーシが政府として保養プロジェクトにとりくんでいると聞いている。ピースボートでキューバに行ったとき、キューバ政府が甲状腺がんの手術や子ども達の保養のため、キューバに招いている話を、キューバの医者が語っていた。)

 ただ問題もある。 伊達市は線量が比較的高い。2年前に訪れた霊前町のユースホステルは、日本一線量が高いユースだった。

 もちろん吉野さんたちが選んでいる小学校は比較的線量が低いところに違いない。しかし放射能を心配する保護者からすれば、伊達市の野山・自然が本当に安心できるか、不安もあるかもしれない。会津地方のほうがまだ安心できる(気分の問題かもしれないが)のではと思う。

 遠く離れた他県がベストだが、教育委員会の理解と助成を得るのは艱難だろう。文科省が動けば、スムースに行くのだが。。。。。。。。。。。

2014年8月16日 (土)

福島を理解するツアーレポート 6 吉野裕之さん

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 7月21日、福島市NPO法人シャロームが入っている「まちなか夢工房」で、吉野裕之さんと、双葉町から避難されている後藤さんのお話を聞いた。

 吉野さんを紹介してくれたのは、高江の座り込みで一緒になった東京の女性加代子さん。彼女自身、福島の子ども達の保養プロジェクトをしており、そんなつながりで福島の子供たちの保養プロジェクトに関わっている吉野さんを紹介してもらった。

 吉野さんは放射能測定の活動もされている。ちょうど出発する前、朝日新聞「プロメテウスの罠」に7回にわたって吉野さんの活動が紹介された。

 「福島の現状と在住子ども支援について」と題して、約1時間、吉野さんがパワーポイントを使ってお話しをしてくれた。

 まず彼の家族について。彼は福島市に住んでいるが、奥さんとお子さんは京都で自主避難生活をされている。時々夜行バスで娘さんと奥さんに会うため、京都に行っている。

 福島市にはあちこちにホットスポットがある。やむなく住まざるを得ない子ども達が無用な被ばくをしないですむように、吉野さんは「ホットスポットファインダー」という高性能放射能測定器を使い、学校や幼稚園周辺の放射能測定マップを作成し、その情報を学校の先生や保護者に伝えている。

 古いベビーカーの高さ50センチの箇所と5センチのところに測定器をセットし、自分の腰地上から1メートルに測定器を取り付け、子ども達の通園・通学路を歩く。するとパソコンに放射能測定マップが作成されるようになっている。

 子ども達の目線、体に合った測定結果が出る。例えば子ども達は道路の端、側溝のあるところや草むらに近いところを歩く。そこを3段階に分けて測定すると、同じ地点でも、1メートル 0,65、 50センチ 0,92、 5センチ 1,36マイクロシーベルト、 という具合に子ども達が影響を受けやすいことが判明する。地面に触れたり、草を取ったり、倒れたら危険ということがはっきり分かる。

 またコンクリート舗装された道路で除染が終わったところは、0,34,0,32,0,34マイクロシーベルトだが、レンガを敷いた歩道では線量が高い。同じ道でもレンガ歩道は、0,8マイクロシーベルトに達する。

 吉野さんは、放射能と向き合わざるを得ない福島市民にこうした情報を提供する活動をされているが、その情報は広く一般に公開していない。線量が高い地点のマンションや住宅の不動産価格が下落する恐れがあり、業者に配慮しているとのこと。

 学校の先生方もその測定マップを印刷して保護者に伝えることはしていないとのこと。これから先は僕の推測だが、ここに福島の微妙な問題がある。県当局・市当局は福島の復興のため、市民が県外に避難するのを極力抑えたい。県外に避難した人たちに帰ってきてもらいたい。そのため、放射線量がまだ高い、子ども達にとって安全・安心できる環境でない事実を隠したがっている。

 吉野さんは情報を提供するが、その先その情報を幼稚園や学校、PTAの役員がどう活用するかは、先方にまかせているとのこと。

 福島の子ども達は野外で遊べないため、肥満・運動能力低下の傾向がある。そこで吉野さんたちが始めたのは、屋外・野外で子ども達がのびのび活動できるプロジェクトである。これについては明日レポートしたい。

2014年8月15日 (金)

福島を理解するスアーレポート 5 浪江町の菅野千代子さん

菅野千代子さんには、飯館村見学のときからバスに乗ってもらい、長谷川健一さんの説明を一緒に聞いてもらった。飯館村の写真をづっと撮り続けてきた菅野さんだが、長谷川さんと直接お会いして話すのは初めてだそうだ。

 3月に掛川でお話を聞いた時と、今回車内で話してもらった時の菅野さんとは、少し違う印象を受けた。

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 上3枚の写真は3月7日掛川市での菅野さんと、彼女が撮った被災前の飯館村の人々の写真。

 このブログ(3月)でも菅野さんのトークは紹介したが、あのときは淡々とした語りだった。請戸地区の助かる命が助からなかったお話は、悲しみに満ちていたが怒りがなかった。反原発の話もなかった。

 しかし今回自分が足しげく通った飯館村の変わりようを見て、長谷川さんのお話を聞いて、菅野さんの心に変化が出てきたように思う。

 『 原発災害は避難してからが地獄です。避難する過程で、また仮設住宅での避難生活の間に、多くの人が命を落としています。自殺した人もいます。津波で命を落とした人の2倍以上が亡くなっています。家族はバラバラ。病気がちになったり、認知症になったり、ストレスがたまっています。先行きが見えません。

 私はこれから浪江町がどう変わっていったのかを写真に収めたいと思っています。記録に残すためです。原発災害がどれほど多くの人々に苦しみをもたらすのか、写真を通して多くの人々に知ってもらいたいと考えています.』

 数年後、菅野千代子さんの写真展を袋井市でやりたい。

2014年8月12日 (火)

福島を理解するツアーレポート 4 南相馬市・浪江町

20日午後は南相馬市小高区と浪江町を見学した。道の駅南相馬で、農民連の三浦さんがバスに乗って小高区を案内してくれた。

 この日三浦さんは別の団体の案内も同時にあったので、駆け足・早口の案内・説明となった。2年前に訪れた時は田んぼに車や農機具がそのままになっていたが、それらは片づけられていた。農地の除染作業も少しづつ進んでいる。米の作づけもなされたところがあったが、昨年福島第一原発ガレキ撤去作業で放射能が飛び散り、その結果、コメが汚染され市場に出せなくなる事態が起きた。東電は放射能が広範囲に飛散したことを知っていたが、その事実は農民には知らされず、コメを出荷する段階で基準を上回る放射性物質が検出され、大きな騒ぎとなった。

 飯館村と同じようにたんぼの表土5センチを剥ぎ取り、別の土を入れるやりかたをしているが、ガレキ処理作業が行われるたびに、再度放射能汚染される恐れがある。そこで今年は米の作付けはしなかったとのこと。

 30分ぐらいの車窓からの見学のみだったので、写真を撮ることができなかった。下の写真は浪江町を案内してくれた菅野千代子さん。

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 今年3月掛川市で菅野千代子さんのトークと写真展があり、そのときにお会いして今回の企画を説明し、案内を頼んでいた。

 浪江町は今も線量が高く、立ち入り禁止区域である。住民以外は、浪江町の許可証なくして入ることはできない。事前に許可証発行の申請をしたが、手続きが面倒だった。

 全員の名前(バス乗務員を含む)とバスの登録ナンバー、車種まで記載しなければならない。名前の字が身分証明書(携帯を義務付けられる)と違っておれば、入れなくなると役場の職員が言う。しかも役場職員か浪江町議員の同行も必要だという。

 20日は日曜日なので役場職員は同行できない。地元の菅野さんに案内してもらうということで、なんとか許可証を発行してくれた。

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 写真は全て請戸地区。地震・津波・原発でやられ、時が止まったままになっている。182名が津波の犠牲となった。その中には助かる命もあったと菅野さんは言う。3月12日原子炉建屋の爆発で全町民が避難し、本来ならば救助できる人たちが見捨てられた(原発事故のせいでそうせざるを得なかった!)からだ。

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 その犠牲者たちに全員が黙とう。

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 この後、請戸小学校を菅野さんは案内してくれた。3.11当時そのままである。

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 卒業式の準備がされたままの体育館。

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 津波が校舎の2階まで襲ったが、幸いにも先生方の誘導で誰一人犠牲者が出なかったのは浪江町の誇りですと、菅野さんは話された。

 町の中心部も見学したが、ゴーストタウン。写真を取り損なったが、この町に人々が戻れるのはいつになるか、誰にも分らない。

2014年8月 9日 (土)

さだまさし 長崎稲佐山東北応援チャリティーコンサート

明日、長崎市でさだまさし東北応援チャリティーコンサートがある。追っかけファンである僕と妻は、今日から2泊3日の長崎ツアー。

 まさしのコンサートは面白い。トークに味がある。政治の話もちょっぴり。彼のおばさんは長崎で被爆している。長崎生まれのさだまさしは、核兵器廃絶をコンサートでも訴えている。

 台風の影響でコンサートや新幹線が順調にいくかどうか心配だが、これから出発。福島を理解するツアーレポートは、12日再開します。

2014年8月 8日 (金)

福島を理解するツアーレポート 3 飯館村

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 7月20日、郡山市のホテルアルファーワンから飯館村までバスは一般道で向かった。あいにくの雨模様の天気だったが、飯館村についたら雨があがってきた。時間はどんぴしゃり。約束の9時40分少し前に飯館村役場についたら、浪江町の菅野千代子さんがすでに来られて待っていてくれた。長谷川健一さんも、我々がついてほどなく来てくれた。

 長谷川健一さんは2012年1月、浜岡原発を考える袋井の会結成総会に記念講演してしてもらってからのお付き合いである。その年秋11月に袋井の会として飯館村を訪れた際にも案内をしてもらった。また昨年9月、市役所ギャラリーで長谷川さんが撮った飯館村写真展を開催した。

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 飯館村は今も全村避難して、無人。しかし夏1か月は一時的に帰村が許可され、何人かの村人が家の掃除や、庭の草取り、窓を開けて空気入れなどを行っていた。だが線量は今もって高い。前田区公民館前の国が設置した線量計は、0,8マイクロシーベルト。しかしその下の草むらは、11マイクロシーベルト!

 除染はあちこちで行われていた。汚染土を入れた袋(フレコ)は増えるばかり。

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 仮仮置場と表示されているが、どこに持っていくのか? 仮置き場も決まらず、まして最終処分場のメドは全く立っていない!

 袋(フレコ)は3年以上経てば破れる恐れ大。クレーンで釣り上げる際、中の汚染された土や落ち葉・草が破れ出る可能性がある。

 ビニールシートで覆われているが、線量計を近づけると、数値が上がる。除染した土・落ち葉・草の置き場の問題は、飯館村に限らず福島県全体の深刻な問題である。農村はまだ土地空間があるが、都市部だと家の庭に置くことを条件に除染が進められている。

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 田んぼの除染も少しづつ進められている。表土5センチを剥ぎ取り、山の土を入れる方法がとられている。しかし飯館村は山に囲まれている。

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 山は道路や家から20メートルの部分しか除染されない。広大や山全てを除染するのは厖大な金と時間、労力がかかるから、政府は20メートルしか除染してくれない。

 その結果、何が起きているか? 結局雨や風で山の放射性物質が舞い戻り、線量は高くなる。また農業用水は山の水だから汚染されている。安全なコメを作れる状況では全くない。

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 からっぽの長谷川さん宅の牛舎。

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 長谷川さんの息子さんが飼っていた牛のその後を黒板に丁寧に記録していた。もらわれていった牛、と殺処分された牛が一目でわかる。

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 一台1000万近くもする農機具もある。息子さんが酪農を継ぐため事故が起きる1年前に購入した新品。全く使わないと機械はダメになるので、草刈に使っているとのこと。

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 日本一美しい村と言われた飯館村の農地も、ほっておけば草ぼうぼうになる。村人たちは、作れないと分かっているが、農地を荒らすのは心が痛むので、8月3日に皆が仮設住宅から出てきて、一斉に草刈りをするとのこと。

 長谷川さんの家族は事故が起きる前8人が一緒に暮らしていた。しかし今は、息子さん夫婦とお孫さんは山形県に、次男はアパート暮らし、ご両親は伊達市の同じ仮設住宅地だが、別の仮設に。従って長谷川さんは奥さんとの2人暮らし。お母さんが最近認知症となり、徘徊するようになったとのこと。

 実はこの日の午後、長谷川さんは河合弘之弁護士と共に、福島市で記者会見をやることになっていた。

 スピーディでは汚染されていることが分かっていたのに、政府がその情報を隠したので、約1カ月も村民は放射能に汚染されたところで生活し、被ばくさせられた。今も村に帰ることができず、農業は全くできない。農民は土地を汚染されたら、仕事ができない。先行きが全く見えない。狭く不便な仮設暮らしで、心と体が疲れ、怒りが爆発寸前状態である。

 長谷川さんは村のリーダーとして、東電を相手に訴訟を起こすことに決めた。「原発事故糾弾 飯館村民救済申し立て」訴訟である。1人あたり月10万円の精神的損害賠償を35万円に増額すること、避難指示が出る前の初期被ばくの慰謝料として1人300万円の支払いを求める。1661人が集団で、10月に申し立てをする予定である。翌日出た新聞報道によると、最終的には村民の4割に当たる約2500人が参加することになる。

2014年8月 7日 (木)

福島を理解するツアーレポート 2 郡山の夜

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 19日郡山の夜は 地元の反原発運動をしている人たちとの交流会。写真上の挨拶をしている小沼さんが、全てをセットしてくださった。

 印象に残っているのは、同じ郡山市内で、線量の高い地区からそうでない地区に自主避難した馬場真左さんのお話し。

 「ここにいてもよいのか、悩んだ。夫はそんなに気にするなという。しかし子供を被ばくさせたら、母親として一生悔いが残る。考え抜いたうえ、自分の判断で子どもを連れて湖南町へ引っ越した。

 夫は一人になってから寂しくて眠れないという。酒量も増えた。しかし私は夫よりも母親の立場を選んだ。自主避難だから、なんの補償もない。自分の責任で判断するほかない。」

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2014年8月 6日 (水)

福島を理解するツアー レポート 1  郡山市

7月19,20,21日と2泊3日で、福島県への旅を企画し、29名の参加で、有意義な旅を行ってきた。UPZ市民交流会として初めての一緒に取り組む企画だった。予定した人数が集まらず、中日新聞の協力をいただき、広域に参加を呼びかけたところ、浜松市や静岡市の人も参加してくれた。

 郡山市につくまで時間があるので、コースの説明をした後、一人一人に自己紹介をしてもらった。バスは順調に走り、郡山ICで待っていただいた小沼さん(ピースボートで知り合った知人。これまで2回福島ツアーでお世話になっている)の案内で、稲川原・川内村仮設住宅の集会所を訪れた。

 立って挨拶をしているのは、被災者の支援活動をされている大橋利明さん。座っている人たちは、川内村の住民。

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 上2枚は被災者のお話を聞く参加者。真ん中の写真で、後列右二人の方は川内村住民。

 インタビュー形式でお話を伺った。印象に残る(記憶に残っている)お話をいくつか紹介したい。

・川内村の家はねずみの糞だらけ。ねずみを飲み込んだへび(青大将)が家の中にいた。とても住めない。

・川内村は山村だから、ほとんどの家は井戸水を利用している。家の周りは除染しても山の除染はしてくれない。放射能の汚染の心配がある井戸水は飲めない。

・村に帰っても農業はできない。仕事はない。買い物にも不便。医者もいない。政府や村当局は、帰村を進めるが、帰りたい気持ちはあっても、帰れない。

・家族はばらばらにすんでいる。時々孫が仮設に遊びに来るのが楽しみ。

・仮設では夜ぐっすり眠ることができない。私は睡眠薬がないと眠れなくなった。

・仮設の自治会長はいない。住民が集まるイベントは無い。皆で作る花壇や畑もない。ボランティアもこの仮設にはあまりこない。

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 ここの仮設住宅は他の地区と比較すると、作りがしっかりしているように見えた。しかし3年以上も故郷・我が家を追われた生活で、皆さん疲れた様子だった。

 集会所を出たとき、たまたま3人の小学生に出会った。「こんにちわ! 僕たちは静岡県から来ました」と声をかけたが、にこりともせず無言だった。僕はショックを受け、あとの言葉が続かなかった。

 参加者の大石さん(牧之原市議会議員)が養鶏業をされており、全世帯(69世帯)分の卵パックをお土産に持ってきてくれた。また袋井市の市議会議員高橋さんは農業をされていて、大きな米袋(多分20キロ入り)二つをプレゼントしてくださった。

2014年8月 4日 (月)

浜岡原発の再稼働を許さない静岡県ネットワーク発足集会

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 8月2日13:30より、静岡労政会館6階大ホールで、「浜岡原発の再稼働を許さない静岡県ネットワーク」発足集会を開催した。参加者は400名超。上は世話人の鈴木卓馬さんのあいさつ。41の県内市民団体が参加していることを報告。

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 来賓のあいさつとして、三上元湖西市長をお迎えした。三上市長は浜岡裁判の原告でもある。県内で一番、脱原発・浜岡永久停止を訴えている現職市長さんである。三上さんの話は元気が出る。

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 続いて元東芝原子炉設計技師・渡辺敦雄さんのあいさつ。県ネットの個人会員・署名呼びかけ人でもある。渡辺先生はすべてが終了後の反省会にも出ていただいた。浜岡を永久停止したら、御前崎市の財政は困窮するどころかあと100年は廃炉の仕事で潤う、とのお話をしてくれた。発足集会では時間がなかったので、今後この経済波及理論は、県内各地での学習会や署名とセットのちらしで、多くの県民に知ってもらいたいと思っている。

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 世話人の一人である桜井さんが、今後の県ネットの活動について説明。主として9月から取り組む「浜岡再稼働反対」署名について、話してもらった。

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 写真がぼやけているが、浪江町馬場有町長が1時間にわたって、「原発災害から住民の命を守る」と題してパワーポイントを使用して講演してくださった。子ども達のことに及ぶと、時に涙ぐみながら、心にしみるお話だった。

 

 印象に残った言葉を箇条書きにする。

・2011年3月11日、海岸部は津波で大きな被害を受けた。まだ屋根で助けを求めている人たちがいたが、暗くなり救助が2次災害の恐れがあたので、明日助けに来ると、その日の救出作業を打ち切った。

・3月12日午前5時過ぎ。テレビで原発が爆発し、緊急避難しなければならないことを知った。前日の夕方頃には、東電・政府・自衛隊・県当局などは、福島第一原発が危機的状況にあることを知っていたが、避難準備の指示や連絡は全くなかった!

 緊急避難を職員に指示したが、どこに逃げてよいかもわからない。病院の患者や老人ホームのお年寄りを運ぶバスも足りない。とにかく浪江町でも海岸から最も離れている津島地区へ避難した。そこには浪江町の支所がある。平時なら30分で行けるところだが、道路が大渋滞で3~4時間かかった。避難準備指示が出されていたなら、もっとスムーズに避難できていたと思う。

 海岸部(請戸地区)のまだ生きている、救助を待っている人たちを残して避難さぜるを得なかった。警察も自衛隊も約1カ月間、放射能汚染のため遺体の捜索活動をしてくれなかった。

 1か月放置された遺体の損傷は激しく、見るも無残だった。DNA鑑定でやっと身元確認ができた。助かる命を救えなかったことが、自分も含め町民の悲しみであり、それは今も心の傷として残っている。

・我々は津島地区に3日間避難していたが、食料はほとんどなかった。1回の食事にほんの小さなおにぎりが1個! 皆さん想像できますか。

 実はこの津島地区は高濃度に放射能で汚染されていた。政府・県当局はスピーディで放射能汚染予測の情報を知っていたが、我々には全く知らされていなかった! 浪江町民はそのため被ばくさせられた。今はまだその健康への影響がはっきりわからないが、今後が心配である。

 米軍にはいち早く情報を伝えた政府が、我々には危険を伝えなかったことに怒りを感じている。

・震災・津波による死者は182名。しかし原発災害関連死は、330名を超えている。昨日も30歳の町民が、仮設住宅で自殺された。

 今、浪江町の避難者は県内に14,640人。県外に6,442人。45都道府県に及んでいる。児童・生徒は、699校に分かれて学習している。家族もバラバラ。地域が崩壊している。

・避難先で子どもや町民がつらい思いをしている。例えば給食費。浪江町の子供は町が負担(補助)しているので、給食代を学校に持っていかない。そのことを他の子供はどう思うか。「ただで食べている」 そのように思われていないかと、子供の心は傷ついている。

 

 避難先の他の住民から、「税金を払わず、パチンコ・酒で遊んでいる。」と蔑まれる場合もある。

 全てが原発事故で狂ってしまった! 避難先の地区の組費(自治会費)を、「あんたたちは払わんでよい」と言われるケースもある。同じ住民とみられていない。男の老人は孤立しがちである。

・昨年8月の町民帰還希望アンケート結果。

 

 戻りたい 18,8%

 判断がつかない 37,5%

 

 戻らない  37,5%

 時間が経つに従い、戻らないが増えている。特に若い世代がそうだ。

・町の復興には課題がいっぱいある。しかし、「一人一人の暮らしの再建」「ふるさとの再生」を成し遂げていきたい。

・最後に静岡県の皆様へ。 福島原発事故は収束していません。事故の原因究明もなされていません。 浜岡で事故が起きればどうなりますか。

 憲法が保障する「文化的な生活」「財産権」「幸福を追求する権利」「人格権」,全てが失われてしまいます。

 原発事故の原因究明もされていないのに、再稼働するのは大きな間違いです。

・原子力保安院は、我々にとり「不安院」だった。現在の原子力規制委員会の委員長・田中さんは、福島県出身であることを恥ずかしく思っています。

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 続いて西原茂樹牧之原市長のお話し。パワーポイントを使い、約20分間、牧之原市がなぜ市として「浜岡永久停止」を訴えているのか、非常に説得力あるお話をしてくださった。

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 最後の講師は、小野登志子伊豆の国市長。県議会議員のころから環境問題に熱心に取り組んでこられた方だ。狩野川台風で伊豆地方が大変な被害をこうむった話から、危険な原発より再生可能エネルギーで電力を供給すべしとのお話に共感した。

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 時間が無くなったので、3人の首長対談はカット。ステージに並んでもらい、一言づつ話してもらって、4時に終了。

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 司会は世話人の藤原さん。一人で全てやっていただき、お疲れ様でした。

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 県ネットの活動費を集めるため、世話人の白石さんより会場カンパを呼び掛けてもらったところ総額215,399円が集まった! ありがとうございました。受付で県ネット参加申込書を出してくれたのは、個人参加10数名(正確な数はあとで報告します)。団体として参加するところも2つあった。

 講師の首長の方たちが帰られた後、枝村世話人の機転で約20分間ぐらい県ネットの集会をもった。主として、県ネットへの要望や意見などを聞くために。

 署名についての意見や疑問がいくつか出された。この問題は今後の県ネットの活動にとり、重要な問題だと認識している。世話人間で、また脱原発メーリングリストを使って、11月9日に設定した県ネット全体会で、繰り返し議論し、皆で力を合わせて署名活動に取り組めるようにしたいと思っている。

 なお、講師の人たちにお土産を用意していなかったが、牧之原市のお茶農家・増田さんが5人分のお茶のお土産を提供してくださった! ありがとうございました。

2014年8月 2日 (土)

沖縄レポート最終回 7 高江の粘り強い運動

N4地区の2つのオスプレイのためのヘリパッドは、残念ながら作られてしまった! しかし高江の闘いは、あきらめずにN1地区の2つのヘリパッド建設阻止に向けて続けられている。

 建設用重機・資材を入れさせないことが、勝利のポイント。ヘリパッド建設予定地に重機や砂利など資材を運び入れる道(2メーターぐらいの山道にすぎない)の入り口は2か所。

 その入口を車で封鎖している。そして2つの入り口のところにテントを立て、監視作業を続けている。全国から色々な団体や個人が、短時間ではあるが激励と見学を兼ね、訪れる。

 これまで高江の座り込みに参加した人たちが、何度も来るのが高江の運動の特徴である。僕が滞在した6月29日から7月7日早朝までの間に、懐かしい多くの人々に出会った。

 大阪のPさん。福岡のFさん。三重県のTさん。京都のTさん。愛媛県のKさん。横浜のHさん。もちろん、地元沖縄に住んでいる人たちとも。有名人?では、「標的の村」を制作した三上知恵さん。読谷の知花昇一さん。毎週水曜日にたくさんのごちそうを作って持ってきてくださる那覇のNさん。

 沖縄本島各地に住んでいて、高江に足しげく駆けつける人たちとの再会もうれしい。僕は年に数回しか来れないが、彼ら彼女らは、週に数回、中には月から金まで車に寝泊りして24時間、監視作業を続けておられる人もいる。本当に頭が下がる。

 その人たちが、高江支援現地連絡会を6月に結成した。僕も1000円の入会金を払い、入れてもらった。高江の住民と支援者が連絡を密にして、ヘリパッド建設工事をストップさせるのが目的である。

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 修道女の人たちも10数名駆けつけてくれた。しかもこれからは全国の修道会の人たちが、定期的に高江に来てくれるとのこと。写真には収めなかったが、埼玉県の自由の森学園の中学生約20名が、修学旅行で来てくれた。この時は僕も少し話をさせてもらった。

 沖縄の闘いは厳しいが、非暴力を貫いている。自然を愛し、人を愛し、音楽を愛しながら、平和な生活を守るため、皆が力を合わせ、頑張っている。党派や団体間の考えの違いを乗り越え、新たな基地を作らせない、この1点で大同団結して皆頑張っている!

 辺野古も同じである。幸いなことに、高江では防衛局の本格的な動きがない。安心はできないが、何とか持ちこたえている。辺野古は台風のおかげで、桟橋を撤去し、工事は完全にストップしている。しかし台風が去れば、浮桟橋を再度設置し、ブイの設置作業やボーリング調査の強行がありうる。

 毎日インターネットで沖縄の新聞や、山本英夫さん・めどるまさんのブログをチェクしている。すぐ駆けつけることができないのがもどかしい。申し訳ない。

 今日は、下記の大きな取組がある。9月上旬までは原発関連のスケジュールで動きが取れない。しかし9月中旬に再度辺野古・高江に行きたいと思っている。

 

浜岡原発の再稼働を許さない静岡県ネットワーク発足集会内容

 

『フクシマを教訓に何を学ぶのか~浜岡原発事故で逃げ切れるのか』

 

日時:82日(土)13:30~16:00

 

 

 

会場:静岡労政会館6階ホール

 

 

 

主催:浜岡原発の再稼働を許さない静岡県ネットワーク

 

  入場無料 カンパ要請あり

 

内容

 

 Ⅰ部 13:30~14:00

 

  主催者あいさつ  県ネット設立経過・趣旨

 

  三上元湖西市長来賓あいさつ

 

  渡辺敦雄元東芝原子炉設計技師あいさつ

 

  県ネット今後の取組について

 

Ⅱ部 14:00~16:00

 

  馬場有(たもつ)浪江町長 「原発災害から住民の命を守る」

 

   被災地の現状を映像を交えて報告 町長の思い

 

 

 

  西原茂樹牧之原市長・小野登志子伊豆の国市長

 

   浜岡原発再稼働について・原発災害住民避難計画などについて

 

 

 

  3人の首長対談

 

 

 

 浪江町等の被災地写真展も同時開催

 

 避難者を支援する志太榛原住民の会(田端勉代表)

 

 

 

 脱原発関連グッズ・本販売

 

 

 

 

2014年8月 1日 (金)

沖縄レポート 7 高江に集まる多彩な人々

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 6月30日の夜は、多彩な人たちが僕たちが宿泊してる「つーたんや」に集まった。ウクレレを演奏しながら歌うのは、ハルコニーさん。那覇でライブ活動をしている。上の写真でカメラをかまえているのは、写真家・森住卓さん。

 ピンク色の袈裟?に黄色いズボンの若者は日本山妙法寺の僧。彼はアメリカやインド、韓国などにも平和を祈りながらピースウオークを実践している。

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 広島のミュージシャン・川村さん。彼が作詞作曲した「明日晴れたら浜へ行こうじゃないか」は、なかなか良い曲だった。

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 チクサンさん。風貌はパッとしないが、結構彼のCDは売れているそうだ。

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 7月4日は、東京から2人のミュージシャンも。Kさん、Yさん。この2人は宿泊したので、つーたんやでも歌ってくれた。

 ピースボートの水先案内人を務めたこともある「ランボウ」さんも、N1のテントに来てくれた。今の関原発・祝島・水俣などへ環境ガイドツアーを実施している青年だ。

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