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2014年8月12日 (火)

福島を理解するツアーレポート 4 南相馬市・浪江町

20日午後は南相馬市小高区と浪江町を見学した。道の駅南相馬で、農民連の三浦さんがバスに乗って小高区を案内してくれた。

 この日三浦さんは別の団体の案内も同時にあったので、駆け足・早口の案内・説明となった。2年前に訪れた時は田んぼに車や農機具がそのままになっていたが、それらは片づけられていた。農地の除染作業も少しづつ進んでいる。米の作づけもなされたところがあったが、昨年福島第一原発ガレキ撤去作業で放射能が飛び散り、その結果、コメが汚染され市場に出せなくなる事態が起きた。東電は放射能が広範囲に飛散したことを知っていたが、その事実は農民には知らされず、コメを出荷する段階で基準を上回る放射性物質が検出され、大きな騒ぎとなった。

 飯館村と同じようにたんぼの表土5センチを剥ぎ取り、別の土を入れるやりかたをしているが、ガレキ処理作業が行われるたびに、再度放射能汚染される恐れがある。そこで今年は米の作付けはしなかったとのこと。

 30分ぐらいの車窓からの見学のみだったので、写真を撮ることができなかった。下の写真は浪江町を案内してくれた菅野千代子さん。

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 今年3月掛川市で菅野千代子さんのトークと写真展があり、そのときにお会いして今回の企画を説明し、案内を頼んでいた。

 浪江町は今も線量が高く、立ち入り禁止区域である。住民以外は、浪江町の許可証なくして入ることはできない。事前に許可証発行の申請をしたが、手続きが面倒だった。

 全員の名前(バス乗務員を含む)とバスの登録ナンバー、車種まで記載しなければならない。名前の字が身分証明書(携帯を義務付けられる)と違っておれば、入れなくなると役場の職員が言う。しかも役場職員か浪江町議員の同行も必要だという。

 20日は日曜日なので役場職員は同行できない。地元の菅野さんに案内してもらうということで、なんとか許可証を発行してくれた。

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 写真は全て請戸地区。地震・津波・原発でやられ、時が止まったままになっている。182名が津波の犠牲となった。その中には助かる命もあったと菅野さんは言う。3月12日原子炉建屋の爆発で全町民が避難し、本来ならば救助できる人たちが見捨てられた(原発事故のせいでそうせざるを得なかった!)からだ。

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 その犠牲者たちに全員が黙とう。

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 この後、請戸小学校を菅野さんは案内してくれた。3.11当時そのままである。

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 卒業式の準備がされたままの体育館。

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 津波が校舎の2階まで襲ったが、幸いにも先生方の誘導で誰一人犠牲者が出なかったのは浪江町の誇りですと、菅野さんは話された。

 町の中心部も見学したが、ゴーストタウン。写真を取り損なったが、この町に人々が戻れるのはいつになるか、誰にも分らない。

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コメント

居たくて居た人が追い出されれば戻りたいのは心情。でもその前に出て行った人もいる。人それぞれ。放射線を浴びてガン死の確率が高まったとしてもそれは20年30年後の話し。年寄りにはどうでもよさそうな事です。
放射線汚染で売れないのは規制値が厳し過ぎるから。そんな規制値でも怖がる理解不能な人がいるから。中国がウイグルで水爆実験をバンバンやってた頃は測定器も無かったから、実態はどうあれ誰も心配して無かったのにね。共産主義国の核は正義の核だから影響は無いとの嘘もあったし、笑っちゃいますよ。

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