2020年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

« 対テロ戦争という言葉に違和感 | トップページ | イスラム国人質事件に思う »

2015年1月19日 (月)

表現の自由をめぐって

表現の自由がどこまで許されるのかは、重要かつ、微妙で、難しい問題である。圧倒的な力(マスコミを操縦する力、規制をかけるためなら法律をねじまでてもやる力、さらには警察、軍隊という暴力装置を持つ)権力に対しては完全に自由であるべきだと思うが、今回のフランスの新聞社のような宗教に関わる風刺画掲載は、微妙な問題である。

 フランスでも掲載に反対する人が42%もいると、報じられている。差別やテロを公然と支持・助長する内容は、規制することに異論がないが、宗教がからむと難しい。

 イスラム教徒の多くが不快に思う、侮辱されたと思う、今回の風刺画掲載については、僕は批判的な考えを持っている。イスラム国などの過激派を風刺するのは、何ら問題はない。しかし、預言者は一連のテロとは無関係である。狂信的な一部のイスラム教徒が残虐な事件を引き起こしているに過ぎない。

 例えば、仏教徒、キリスト教徒、ヒンズー教徒の一部がある凶悪な犯罪を犯したとする。その犯罪者をいくら風刺しようが非難しようが、それは表現の自由である。

 だからといって、その宗派の祖やその宗教を信じる人たちが大切に思っていることを、落とし込める内容を自由に表現してよいだろうか?

 一定の影響力がある報道機関にあっては、当然自制が求められる。例が宗教とは異なるが、例えば海外の報道機関が、日本の現天皇を揶揄する・からかう・侮辱するような内容の記事や写真・風刺画を掲載したとしよう。

 天皇制を信奉する人たちは激怒するだろう。敬愛する人たち・親しみを感じている人たちは、不快を感じるだろう。天皇制に批判的な人も、決して愉快ではないだろう。

 このことが日本ですぐテロ事件に結びつくとは思わないが、その報道機関がある国に対しては、政治的・経済的・文化的に良好な関係を持つのは、様々な障害が出るかもしれない。互いに傷つくだけで、表現の自由を守ったと、胸を張れるだろうか?

 個人がやるのと、公器でもある報道機関がやるのとでは、影響力が異なる。マスコミは一定の品格と節度が求められると思う。

« 対テロ戦争という言葉に違和感 | トップページ | イスラム国人質事件に思う »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

影響力が異なるからと言って、個人の言いたい放題が許されるとも思えません。レッテル貼りや罵詈雑言は控えるべきでしょう。品格と節度にお互い気を付けたいものです。

こんにちは。細かいことを言うようですが、「天皇制」という言葉は、存在しません。ご存じないのでしょうか?

元先生の息子さんが誘拐されてさ、元先生の「狂信的な一部のイスラム教徒が残虐な事件を引き起こしている」発言後に、拘束している、金を出せと言われたら、この事件の責任はそんな発言をした元先生にあるの?発言後に誘拐されたとしても責任は誘拐者にしか無いんじゃないの?被告席に誰が立つのか考えれば分かることよね。
なのに安倍首相にはあるのかいな?

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 表現の自由をめぐって:

« 対テロ戦争という言葉に違和感 | トップページ | イスラム国人質事件に思う »