平和な社会・地球を作ることの困難さと、理想を追求することの大切さについて
フランスでのテロ事件に衝撃を受けている。ドイツでも風刺画を掲載した新聞社が襲撃を受ける事件が発生している。
フランスでは17人が犠牲になり、犯人3人は射殺された。「反テロ」の大規模行進が、現地時間の11日に行われたが、僕は報復の連鎖を恐れる。
今回の事件を契機に、世界各地で同様な事件が起きるかもしれない。そして、テロを根絶するという名目で、シリア、イラク、アフガニスタン、パキスタン、イエメンなどの過激派の根拠地への空爆や地上部隊・特殊部隊の攻撃があるかもしれない。
またその攻撃に加わった国において、報復の自爆テロを含む凶悪な事件が発生するかもしれない。
暴力の悪循環。力には力で。殺されたらやり返す。力の論理では、警察力や軍事力をいくら強化しても、根本的な解決には決してならない。
幸い現在までのところ、日本ではこの種の事件=悲劇は起きていないが、安倍政権が自衛隊を海外にどんどん出し、米軍や多国籍軍の支援や戦闘に参加すれば、悲劇が起きる可能性がある。
「うらみを買わない」 「軍事力を行使しない」 「平和ボケといわれようが、海外の紛争や戦争に介入しない」 憲法9条を盾に、「我が国は武力行使には一切、協力しない』姿勢を貫くことが、僕たちの平和な生活・社会を守る最善の道だと思う。
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僕たちの平和な生活・社会という言葉に違和感を覚えます。
日本が、自分たちが平和なら、それでいいんでしょうか。
フランスのテロに衝撃を受けたとおっしゃっていますが、「幸い日本では」なんて言葉、まるで他人事ように感じます。
「海外で飛行機が墜落したが、幸い乗客に日本人はいませんでした」
みたいな。
ワシントンDCの朝鮮戦争慰霊碑に行ったことがあるのですが、慰霊碑には「Freedam is not Free」、自由はタダではない、と刻まれています。
そしてその言葉には続きがあり、「その対価は兵士の血によって支払わられている」と続きます。
私は憲法9条の理念にも賛成だし、日本の集団的自衛権の行使にも反対ですが、その慰霊碑を見たとき、先進国である日本として国際平和の対価に何が支払えるのかを考えさせられました。
投稿: | 2015年1月12日 (月) 11時26分
ありゃ?アラビア海だかどこかで海自に守って貰ったのは軍事力を行使したことにならないの?自分の命が掛かっている時は軍事力もOKなの?海外のそんな遠くに海自が居て軍事力を行使することは憲法9条に反してないの?
日本でのんびりと間の抜けた事を言い続けられるのも、軍事力や警察力のお陰って理解してますか?朝鮮戦争でアメリカが負けたらどうなっていますかねぇ?今の中国が大きいのは建国後に内モンゴル、ウイグル、チベットに侵攻して占領したからって知ってます?そこに抜けた東の日本は、それまでにさんざっぱらやられて強い事が分かっていたし、米軍もいたしで手が出なかったの。米軍もノー、自衛隊もノーならいつでも占領しに来まっせ。赤い旗を振ってお迎えしますか?
投稿: 雨上がりのロンパリ | 2015年1月15日 (木) 17時34分