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2015年3月

2015年3月30日 (月)

県知事の回答

 僕たちUPZ市民団体交流会が出した「浜岡原発事故避難計画に関わる質問及び要望書」に対する回答、さらに浜岡原発の再稼働を許さない静岡県ネットワークが3.11に県知事に出した要請書に対する回答が、まとめて、3月27日に県庁危機管理センターにおいて行われた。

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 UPZに対しては、かなり誠実に答えてくれた。今日朝早く旅立つので、内容を報告する余裕がないが、5月23日自宅に戻ったら、きちんと報告したいと思っている。

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 それに先立って、県政記者室で、県議選立候補者への浜岡原発の再稼働に関するアンケート結果を、報道に公表した。自民党・公明党の候補者の大半は、アンケートに回答することを拒否。民主系の候補者もあいまいな態度。

 

 今回の県議選での有権者の関心は、浜岡原発をどうするのかであるが、最も大切な問題で自分の意見を述べないのは、政治家になる資格がない!

初孫誕生

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 2015年3月25日、待望の初孫誕生!  28日,伊東市の病院へ、初孫に会いに妻と行ってきた。

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 息子も、嫁さんも、初パパ、ママ。僕たちも初ジジイ、ババ。伊東市のご両親も赤ちゃんの誕生に、心からうれしそうだった。

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 韓国に旅立つ前に、赤ちゃんが誕生してくれて、感謝、感謝!

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 あかちゃんを抱くのは、30年数年ぶり。落としてはいけないので、おっかなびっくり。命の誕生に、ただただ感激した。

2015年3月26日 (木)

海上自衛隊最大の護衛艦「いずも」は、何のために?

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 全長248メーター、ヘリコプター9機を搭載可能な巨大戦艦が、海上自衛隊に配備された。乗組員以外にも。500人収用できる。オスプレイも搭載できる。建造費は1,200億円!

 海外からは、空母の指摘も出ている。防衛省は空母の機能がないと言っているが、これだけ長い甲板があれば、戦闘機の発着も可能だと言われている。垂直離着陸機のハリアーも搭載できる。

 このような巨大な戦艦が、専守防衛を国是とする自衛隊に必要なのだろうか。防衛省は、沖縄の離島防衛に役立つ、中国などの外国武装勢力が離島に上陸した際、島を奪還するのに役立つと弁明しているが、信じることができない。

 これは明らかに海外に展開するためである。来年自衛隊がオスプレイ19機を購入する。そして今、沖縄の反対を無視して、辺野古基地を作ろうとしている。辺野古新基地には、270メートルの岸壁が作られる。

 集団的自衛権行使容認閣議決定、それを裏付ける安保法制を今国会で通そうとしているのも、自衛隊が米軍と共に世界中どこでも軍事力行使ができるようにするためである。

 安倍首相が答弁で、ポロリと、「日本軍」と口走ったのも、頭の中には、こうした想定があるからに他ならない。

 日本は今、大きな岐路に立たされている。

2015年3月25日 (水)

21世紀の朝鮮通信使友情ウオーク

3月30日にソウルへ向けて旅立つ。。4月1日から始まる表題のウオークに参加するため。帰宅は5月23日。長期不在のため、やるべきことが多く、目が回るほど忙しい。

 じっくり書く余裕がないので、ウオークに関した書類を下記にコピーする。

 

21世紀の朝鮮通信使友情ウオーク・静岡県内情報、及び取材依頼

 

 4月1日ソウルー5月22日東京ゴールの21世紀の朝鮮通信使友情ウオークも今年で第5次となりました(2年に一度実施)。

 

 徳川家康の平和外交により、豊臣秀吉による2度にわたる朝鮮侵略・7万5千人余の何の罪もない朝鮮の人々の日本への拉致という負の歴史を乗り越えて、江戸時代12回に及んだ朝鮮通信使の道をたどるウオークです。

 

 静岡県では、このウオークを通して、日本と隣国の人々、また在日の人々との友好・親善・信頼関係を深めるため、静岡市・静岡市商工会議所・韓国民団静岡県本部・静岡文化の風・NPO法人AYUドリームなどの団体、市民が協力して様々な取組をしています。

 

 今年は戦後70年、韓国との国交正常化50年の節目の年です。今回、韓国から静岡県入りするメンバーの中に、1607年、第1回通信使(正式には回答兼刷還使。467名)の正使・呂祐吉(ヨ・ウギル)の11代目の子孫・呂運俊(ヨ・ウンジュン)さんが含まれています。

 

 ヨ・ウンジュンさんは、ソウルから東京まで歩きます。正使・呂祐吉の残した扁額が清見寺(静岡市興津)にあることが分かり、408年ぶりに祖先の扁額と対面します。

 

 この様子も含め、静岡県内でのウオークイベントの取材、よろしくお願いします。なお、市役所表敬訪問では、朝鮮通信使世界記憶遺産登録(来年、日本と韓国が共同申請)の理解を深めるため、幟旗を市長に贈呈します。

 

 

 

   静岡県での日程

 

5月11日夜7時、宿泊先(開春楼)で浜松民団支部・浜松平和と人権による歓迎ミニイベント

 

12日午後2時ごろ 浜松市役所表敬訪問 民団関係者の出迎え

 

  13日午前10時ごろ 磐田市役所表敬訪問、11時ごろ見付宿で接待

 

     午後1時ごろ、袋井ど真ん中茶屋で接待、 2時過ぎ袋井市役所表敬訪問

 

  14日午前出発式で掛川市長の挨拶予定

 

  14日午後5時半ごろ、15日午前8時ごろ、藤枝市役所及び市民の出迎え・送迎

 

  15日午前10時半ごろ、岡部宿で接待。午後2時半ごろ、安倍川橋弥勒公園で民団の出迎え・接待

 

  16日午前9時半~11時半、清見寺見学

 

     午後1時半、静岡市役所裏青葉イベント広場で、歓迎セレモニー

 

 

 

    歓迎セレモニープログラム(13:30~15:00)

 

 18人の通信使の服装を身に着けた韓国からの参加者を含むウオーカー41人が、民団チャンゴ教室による演奏に迎えられ、会場に入る。

 

 国書を渡すセレモニー  ソン・サンギュ正使(韓国側隊長)が国書にみたてたプサン文化財団理事長からのメッセージを読み上げ、徳川家康公に扮した静岡市長に渡してから、挨拶。それに対して静岡市長が歓迎の挨拶を述べる。

 

 歓迎のパフォーマンス  静岡朝鮮学校の子ども達約15名が、チャンゴ演奏と合唱。学校の先生が横笛演奏。

 

 朝鮮通信使・国書・国書を運ぶ輿・徳川家康公の平和外交についての説明

 

 ウオーク参加者挨拶

 

遠藤靖夫日本側隊長,副使役の韓棟基韓国側副隊長、江戸時代第1回通信使(当時は回答兼刷還使)呂祐吉の11代目の子孫・呂運俊さん、千葉県から参加の在日韓国人李さん、日本人参加者1名。

 

 ウオーク参加者の紹介

 

 

 

主催は徳川家康公顕彰400年記念事業静岡部会事業実施本部。

 

(静岡市役所家康公四百年祭事業推進本部内)

 

16日夜、歓迎パーティー (17:30~20:30、会場は労政会館5階展示室)

 

     約60名参加予定。主催は民団・静岡文化の風。

 

 

 

 17日9時半ごろ、清見寺山門で記念写真。11時ごろ富士山が見える薩田峠で記念写真。

 

    午後4時半ごろ、富士市役所表敬訪問予定

 

 18,19日、吉原、三島、箱根でのイベントは未定。

 

 

 

*時間は16日を除き、ウオーキングの関係で若干ずれることがあります。

 

 

 

*竹野は3月30日、ソウルへ。4月1日ソウルから東京まで歩きます。第3次は韓国内を歩きました。2次・4次は静岡県内全てを歩いています。

 

 

 

 情報提供・問い合わせ 21世紀の朝鮮通信使友情ウオーク静岡県内世話人・竹野昇

 

2015年3月23日 (月)

安倍政権の安保法制化にNO

 安倍政権は戦後最悪の政権だ。公明党もひどい。平和の党?の看板が完全にはがれた。先日、袋井憲法9条の会の会報のために、下記の文章を作成した。

 

安倍政権の暴走を許すな! 憲法無視=武器使用・地理的制約解除=世界中どこでも武力行使できる国、米軍と共に戦争ができる国へ  今こそ9条の会の真価が問われている!

 

 

 

 公明党の予想された屈服(安保法制、自公合意)により、安倍政権は5月中旬にも集団的自衛権閣議決定を裏付ける安全保障関連法案をまとめて国会に提出する。

 

 この安保法制が国会で通過したら、憲法9条を改正せずして、日本は国際紛争の解決に武力行使=戦争ができる国となる。

 

【自衛隊法改正】

 

 ・米軍及びそれ以外の外国軍の武器等の防護  ・武器使用=武力行使要件の緩和

 

 ・海外の日本人救出のため、武器使用を伴う自衛隊派遣を可能にする

 

【周辺事態法の改正】

 

 ・日本周辺という地理的制約をなくし、世界中どこでも米軍支援ができるようにする

 

 ・米軍に武器弾薬提供  ・発信準備中の米軍戦闘機などに給油

 

PKO協力法の改正】

 

 ・国連決議がなくて自衛隊を派遣できるようにする

 

 ・正当防衛のみ認めている必要最低限の武器使用制限を緩和。他国軍が攻撃されたら支援できるようにする

 

【恒久法の整備】

 

 ・政府が必要と判断すれば、いつでも自衛隊を海外に出せるようにする

 

 

 

 ヒトラーはドイツ憲法を改正せずして無茶苦茶をやったが、今安倍政権がやろうとしていることも同じではないでしょうか。これを座視して許せば、私たちは何のために「市民のつどい」を28回も続け、また「袋井憲法9条の会」を何のために作ったのでしょうか。

 

 

 

 今、私たちに何が求められているのでしょうか? 私たちは国会内の闘いはできません。しかし、国会議員に危険な法案に賛成しないよう、世論を盛り上げることはできます。国会外でも、あらゆる手段=方法で、安保関連法案をつぶす運動ができると思います。

 

 

 

 そのため、まずは学習・関心を持つことです。理解できたら、行動です。5月3日、第29回袋井市民のつどいに来てください! 「日本国憲法と平和主義」と題した、小笠原里夏弁護士のお話を聞いてください! 安倍政権が国会に出そうとしている安保法制がいかに憲法と矛盾しているか、戦後まがりなりにも歩んできた平和国家としての日本の在り方が、今、根本的に変えられようとしている恐るべき事態を共に学習しましょう!

 

《日本弁護士会の署名に協力しましょう》

 

 同封の「集団的自衛権の行使等を容認する閣議決定を撤回し 関連法律の改正等を行わないことを強く求めます」署名を、ご家族や親せき・友人などに協力してもらい集めてください。出来ましたら、5月3日市民の集いの時、持ってきてください。

 

 

 

 

2015年3月22日 (日)

沖縄レポート 8 高江

 3月2日、久しぶりに高江に行った。辺野古のゲート前で朝6時半から抗議行動に参加していたら、高江に行きたいという女学生が2名いたので、僕のレンタカーで案内した。

 この日は高江N4ゲート前で緊急集会があり、大勢の人が集まった。カメラを忘れたので、下の写真は新聞記事から。(すでにこのブログで以前掲載しましたが。。。)

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 北部訓練場の過半の返還が行われていないのに、すでに日本政府はN4地区2か所のヘリパッドを米軍に使用させている。

 このため、オスプレイを含む各種のヘリコプターによる低空飛行訓練、着陸訓練、また武装米兵の森の中での訓練が、激しくなっている。海兵隊のトラックや車両の出入りも、以前と比べものにならないぐらい増加している。

 昨年9月に訪れたときには、N4ゲート前の通路は閉鎖されていた。しかし今は米軍車両が出入りできるよう、鉄パイプとコンクリートブロックで封鎖されていた頑丈な障壁が取り除かれ、簡単な立ち入り禁止用の障壁があるのみ。

 驚くべきことに、住民の会のテントが米軍により、2月中旬無断で撤去され、中にあったものなどがフェンス内の森に散乱していた。

 米軍車両が簡単に出入りできないよう、住民の会・高江連絡会のほうで車を1台駐車して、ブロックとしている。写真で示すことができないのは残念。

 N1地区の工事を食い止めるための車2台とテントは、健在だった! 今回愉快だったのは、ヘリコプターが高江集落に来るのを阻止する(妨害する)ため、また日米政府と米軍に抗議の意思を表すため、アドバルーンが高くあげられていたことだ。

 高江連絡会(僕もその会員)が揚げたものだった。これも写真がないのは残念。住民の会の人たちも含めて、いつも高江で頑張っている人たちに再会できたのもうれしいことだった。昨年9月、そして今回は辺野古中心なので、申し訳ない思いでいっぱい。

 今後の高江の運動は、N1地区のテントや車を撤去させないことが大きな焦点になる。姑息にも米軍と防衛省は申し合わせて、県道の路側帯を米軍提供地にしようとしている。そして、路側帯に黄色い線を引き、その中に入ったテントや車の撤去を狙っている。更には、工事阻止の座り込みができないことを狙っている。

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 上の写真は2年前に高江N1地区で撮ったもの。この道路は通常沖縄県民が使用している県道であるが、実は米軍に提供した北部訓練場に含まれている!

 本土の人間には信じられないことであるが、沖縄県民は米軍提供の土地を使わせてもらっている格好になっている。沖縄県が米軍と共用する形で、県道としているに過ぎない。路側帯も含めて営繕(補修)は県民の税金で賄っている。

 軍事植民地とはこういうことだ! 本来自分たちの土地・道路・海・空が、支配者に奪われている。自由に使用できない!  日本政府がそれを許している。今では米軍・アメリカ政府とぐるになって、安倍政権が沖縄の土地・道路・海・空を奪おうとしている!

 これに抵抗・抗議するのは、当然の権利である。黙っているほうがおかしい。本土の人間が無関心で、この無法・差別・支配を放置することは、結果として日米政府がやろうとしていることを認めることにつながる!

 どうか多くの人が今沖縄で起きていることに関心を持ち、家族や友人・知人に話しをしてほしい。そしてできたら、現地に足を運んでほしい。僕のように座り込みだけで沖縄に行かなくても、観光や基地見学を兼ね、1時間でも2時間でもゲート前に来てほしい。辺野古の海も見てほしい。

 米軍と日本政府(防衛省・防衛局・海上保安庁・保安官・警察機動隊など)の実態と、それに抵抗している人々の真実が分かるはずだ。

 

2015年3月19日 (木)

沖縄レポート7  沖縄の新聞報道と軍港

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 今回はウエットスーツを持たないので海にでなかったが、辺野古の海では海上保安官たちが相変わらず暴力的に、サンゴを守りたい=辺野古の海を守りたい=理不尽な工事を何とか阻止したいと願う市民に襲い掛かっている。

 彼らは国家公務員である。僕たちの税金で生活している。海を守るのが本来の業務である。しかし、辺野古の海でやっていることは、海の破壊に手を貸している。米軍の手先と化している。

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 僕がいる間は、ボーリング調査は行われていなかったが、その準備がされていた。上の写真(記事)がそれを伝えている。

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 これが米軍の強襲揚陸艦。全長270メートル。オスプレイなどのヘリコプター、海兵隊員、武器弾薬、敵前上陸する船など、戦争に必要な物全てを輸送できる。

 この巨大な艦船が辺野古新基地の岸壁に接岸できるようになる。

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 今、スパッド台船がボーリング調査をやろうとしている大浦湾は、水深が深い。大型の艦船が入港、接岸できる。現在米軍は”ボノム・リシャール”という全長270メートルの強襲揚陸艦を持っているが、これが接岸できるようになる。

 これがため、米軍は日本政府になんとしても新基地建設を強行させようとしている。びた一文、自分たちの金を使うことなく。

2015年3月18日 (水)

沖縄レポート 6 ゲート前に来る人々 続き

 キャンプシュワーブゲート前には、実に多様な人々が来る。

①日本山妙法寺の若いお坊さんや信者の女性。昨年、高江でも会った人たちだ。辺野古近くに道場をかまえ、毎日ゲート前で太鼓をたたきながら、平和を祈念している。

②普天間爆音訴訟のメンバー。中心的な赤嶺さんは、ほぼ毎日、爆音訴訟の会の車で、ゲート前からトイレに行く人の送迎をしている。彼はオバマ大統領にはがきを出すプロジェクトの事務局長をされていた。

③うるま市の小橋川さん。彼は上記のはがきを出すプロジェクトの代表だった。今ではゲート前の重要人物。ゲート前集会を盛り上げるため、歌と踊りで皆を楽しく元気にさせてくれる。

④静岡県から来ているIさん。テント生活が長い。テント設営や管理の中心的役割を果たしている。昨年9月から辺野古での活動を継続している。

⑤東急バスの5人の若い人々。2月26日やってきた。沖縄バスとの交流で来たとのこと。

⑥ガマに取り残された沖縄戦犠牲者の遺骨を探し、霊を弔む活動をされている具志堅さん。彼に連れられてきた、韓国の若者2人。北海道に強制連行され、亡くなった方の遺骨を探すプロジェクトで知り合ったとのこと。日本語が上手なチェさんに、朝鮮通信使友情ウオークで韓国に行きますと話しかけた。

⑦金城実さん。読谷村に住む有名な彫刻家だ。かれの挨拶で記憶に残っていること。

 

 ・沖縄の闘いは全て戦争の歴史をしょっている。 ・私たちの闘いは文化を大切にし、品格のある闘いである。民衆のプライドをかけた戦いである。 ・権力は人間のプライドを傷つける。それがどれほど人々の怒り・闘う気持ちを大きくするか、権力側は知らない。

⑧詩人の川渕さん。ご自身が作られた伊佐浜闘争の詩を朗読してくれた。

⑨大きなジュゴンの親子人形を作って東京から来ている4人の人たち。防衛省前でも月に1回抗議アクションをやっている。

⑩京都からと地元沖縄芸大の学生約10名。夜テントのそばで、西谷立教大学教授の野外授業?を熱心に聞いていた。僕も少し講義?を聞かせてもらった。中東情勢、特にイスラム国(IS)がどうしてできたのか、その説明に説得力があった。

 

 ⑤から⑩は全て26日にやってきた人たち。

⑪ゴスペルを普天間基地のゲート前で週に一度歌っているグループ。10人ぐらい。普天間でも歌を聞いたことがあるが、辺野古でもきれいな讃美歌などを歌ってくれた。(27日)

⑫沖縄国際大、琉球大学自治会の学生さん。僕がいる間、ほぼ毎日顔を合わせた。

⑬富士ツアーの一行15名。以前、高江にも来たことがあるが、富士ツアーが単なる観光ツアーでなく、沖縄の闘いの現場や基地などをめぐるツアーを企画している。

⑭”寝袋議員”と呼ばれている地元名護の女性市会議員。可能な限り、夜テントに泊まり込んでいる。

 彼女の印象に残った言葉。「ゲートに入ってくる基地授業員には『恥ずかしくないのか!』などと、怒りをぶつける言葉や罵声を浴びせないでください」  その通りだと思う。生活のため、キャンプシュワーブで働いているが、新基地建設には内心反対している人が多いと思われる。実際、ゲート前では、海上保安官や沖縄防衛局の人間には、また米兵には、激しい言葉を使うときもあるが、単なる通常業務の作業員や基地授業員には、何も言わない。

⑮稲嶺進名護市長。皆を激励してくれた!

⑯大城名護市議。市が作成した辺野古新基地のパンフレットをたくさん持ってきて、参加者に配布。10年以上前から辺野古新基地建設に反対している、10期当選のベテラン議員。僕がスピーチしたら、向こうから握手を求めてきた。

⑰影山あさ子・森の映画社監督。海上保安官に馬乗りにされた被害者。昨年7月から辺野古の海で記録映画を撮り続けている。

⑱「辺野古リレー」のTさん。彼とは何回か高江で出会い、昨年は一緒に伊江島に行った。カンパを集め、東京から若者を送り出す活動をしている。すでにこの1月から13名を派遣している。

⑲東京新聞記者のSさん。うれしいことに彼は浜松出身。さらに朝鮮通信使に関連する記事を書いていて、静岡での歓迎イベントの取組を説明した。東京新聞で僕たちの友情ウオークを取材してくれることになった。

2015年3月15日 (日)

沖縄レポート 5 ゲート前に来る人々

 2月25日から3月3日午前まで、キャンプシュワーブゲート前にいたが、実に多彩な人々がゲート前に足を運んでくれた。日時・曜日関係なく、思い出す人や団体をあげたい。

 1) 目取真俊さん。 彼は高江の座り込み依頼の知人。芥川賞作家でもある。昨年からは、辺野古のカヌー隊で頑張っている(今年からカヌー隊の名称は”辺野古ブルー”)。昨年9月、僕がカヌー隊に入った時、いろいろ漕ぎ方のコツを教えてくれた。

 ブログ「海鳴りの島」で、常時辺野古の闘いを情報発信している。基本的に彼は海に出ているので、僕が滞在中、1回しか会っていない。

 その彼が3月13日付朝日新聞全国版のオピニオンに、一面大きく出ていたのには驚いた。

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 2) 朝日新聞論説委員の萩一昌さんも来られた。彼は、社説で山城議長逮捕の不当性を書いた人だった。最近辺野古の問題を朝日が大きく取り上げるようになったのは、彼のおかげと思われる。まだ若い印象を受けた。今日の社説でも翁長知事の中止要請を無視する安倍政権を鋭く批判している。

 目取真さんへのインタビューは、僕がゲート前でお会いした前後に行ったようだ。

 3)仲里衆議院議員   沖縄の自民党の重鎮だった人で、仲井真前知事を支えた人だったが、辺野古移設に反対し、自民党とたもとを分かった人だ。オール沖縄を象徴する重要な人物の一人である。

 彼の話で印象に残ったこと。 ア)自分の父は戦争犯罪人と思う。青年学級で、父は銃剣の指導をし、若者を戦場に送った。 イ)自分の原点は沖縄戦。 ウ)教科書検定で、日本政府が集団自決の原因が日本軍の指導であることを否定した時点で、保守ではあるが大和政府に不信感を覚えるようになった。 エ)辺野古新基地は、自衛隊が米軍との共用を狙っている。

 4)糸数慶子参議院議員  彼女の話からご主人のことを知った。なんとキセンバル闘争で、実弾射撃訓練反対の座り込みを砲弾が落ちる演習場で行い、逮捕された方だった。

 そのご主人も別の日にうながされてマイクを握った。辺野古に来るときは朝5時過ぎに来るようにしているとのこと。

 5)今帰仁村長以下今帰仁村の人々47人。バス1台ですいか・たまご・タンカンの差し入れを持ってきてくれた! JAの職員や青年も。

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 6)読谷村から50人。島ぐるみで辺野古新基地建設をストップさせるため、ある女性が村に手紙で読谷村としての取組を訴えたところ、村当局として週に一度定期的にバスを出している。

 この日は(27日)は城間副議長が挨拶をされた。手紙を出した女性も小さな二人の子どもを連れて来ていた。この女性は日曜日もやはり子供を連れてきてくれた。

 7)南風原町平和ガイドの皆さん20数名。

 

 8)うるま市から島ぐるみ会議のバスで約40名。沖縄市からの島ぐるみ会議のバスも。

 9)那覇市からは毎日島ぐるみ会議のバスで。

 次回も訪れる人々やグループ・団体を紹介したい。

2015年3月12日 (木)

沖縄レポート 4 テント撤去の権力側の脅しの滑稽さ

 国家権力は、権力の意思に反対する者・反対派の活動拠点を、あらゆる手段を使って排除しようとする。辺野古では、海上保安官・警察機動隊・基地警備員が物理的な排除の手先となっているが、その排除を正当化するために、防衛局や内閣府沖縄総合事務所・北部国道事務所が、ここは制限区域だとか、国道だから通行の邪魔になるとか屁理屈をつけて、勝手にフロートを張り巡らせたり、ロープやフェンスを張り巡らせたりする。また撤去の警告文を張ったり、口頭でその警告文を読み上げたりする。

 僕が滞在中もそれはあった。 下の写真は前回も掲載したが、権力のやり口をよく表しているので、再度掲載する。

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 この事件?は2月25日夕方に起きた。キャンプシュワーブゲート側のテントを自主撤去して(この日は一部のみ撤去した)、反対側の草地(歩道に面した緑地帯。通行に全く支障がない!)に新たなテントを立てたところ、警察機動隊と作業員、内閣府沖縄総合事務所職員、北部国道事務所職員、計70人以上が突然やってきて、歩道と草地の境界に写真の柵を立て始めた。

 午後の集会も終わり、この時間帯に残っていたのは10人ぐらい。山城さんが不在で、反対派が少ない時間帯を狙っての柵設置である。僕たちが阻止しようとすると、警察が僕たちを取り囲み、外に出さない。その間に、作業員たちは柵を張り廻らせた。

 彼らの目的は緑地帯は国の物だから、中にテントを設置させない、中に入らせないためである。

 前回のレポートでテントをたたむからこの柵も撤去しろとの山城さんの提案で、たたまれたと報告したが、現場には柵やその他設置資材はそのまま置かれてあった。

 26日、北部国道事務所の大城副所長とこちら側とで、話し合いが行われたが、権力側は両方のテントの撤去を要求。こちら側は、「フェンス側は撤去する。しかし全国から支援物資がたくさん届いており、また寝袋や毛布等の倉庫として新たなテントは必要だ」と、交渉は決裂。

 フェンス側のテントをそのままにし、緑地帯のテントを補強したり、さらに広げることにした。また権力側がテント撤去できないよう、こちら側でテントと緑地を取り囲む簡単な仕切りを作った。

 そうすると、彼らは「ここにテント等設置することを禁止する」という看板を設置にやってきた。写真がないのは残念。

 滑稽なのはこれから。この看板を守るため(我々が撤去しないよう)、15分ごとに総合事務所・国道事務所職員がチームを組み、パトロールを始めた。可愛そうに夜もである。僕は9時半過ぎに現場を離れたが、テントに泊まり込んだ人に聞くと、深夜もパトロールしていたとのこと。

 このパトロールは 僕が3月3日辺野古を離れる時も続いていた。そして時々向こうの責任者が、テントを撤去してくださいと警告を告げにやってくる。

 26日、27日は、彼らの車は国道に駐車してあったが、28日からはなんと米軍基地内(ゲートの中)に駐車。ゲートから国家公務員である彼らが3~4名のチームで出てきて、僕らのテント前をうろつくようになった。顔を見られるのが恥ずかしいとみえて、全員マスクをしている。

 普段は事務職としての仕事をしている彼らが、警備員のような仕事をやらせられている。管理職以外は、労働組合の組合員でもある。その組合は平和運動センターにも加盟している(山城博治さんはその議長!)

 なんともおかしく悲しい!  大和政府の菅官房長官に沖縄総合事務所や国道事務所の所長が東京に呼び出され、「テントを撤去しろ! お前らは反対派に何もできないのか!」と、どやされ、はっぱをかけられたと新聞報道で知った。

 しかし、権力はテントに手を出せない状況が続いている。

2015年3月 8日 (日)

沖縄レポート 3  沖縄の新聞報道

 辺野古・高江の闘いは、沖縄では大きく報道されている。しかし静岡に帰ると、ほとんどテレビ・新聞も報道しない。この落差は大きい。

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 僕まで新聞の写真に出てしまった。(右端のブルーのカッパ姿)

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 沖縄にいると、仮に辺野古・高江の現場にいなくても、今、何が行われているのかが良く分かる。

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 上は3月2日、高江の集会の様子。真ん中のセーター・ジーパン・白い帽子のおっさんが僕。

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 今日は浜松で反原発集会・パレードがあり参加し、少し疲れているので簡単な報告にとどめます。

2015年3月 7日 (土)

沖縄レポート 2 山城博治さん

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 2月22日に米軍に雇われている(給料は僕たちの税金)日本人警備員(銃を携帯している)に、基地内に引きずりこまれて、手錠をかけられ、その後、名護警察署に拘置された山城博治さんは、相変わらず元気そのものだった!

 23日夜に解放され、25日朝、ゲート前で再会した。 キャンプシュワーブゲート前では、朝6時半から、海上保安官と防衛局員を海に出さないよう、監視活動が行われている。8時ごろには基地内から彼らが出てくるので、その車もチェックし、見つけたら「入れない・出さない」「海上作業をやめろ・米軍の手先となるな!」 と抗議活動をしている。

 車をわれわれが取り囲むと、基地内に配備されている機動隊が出てきて、われわれを排除し、車を通す。この繰り返しであるが、自由に基地内に入れないので、一定の効果がある。

 8時15分過ぎから、ゲート前デモが行われる。山城博治さんの掛け声に合わせ、参加者がゲート前を行ったりもどったりのアクションである。いつもやっているので、新聞の写真がないのは残念。

 その休憩し、9時過ぎから集会。昼食休憩を挟んで、午後も座り込み集会が行われ、県内各地からの参加者の発言、本土から来た人の紹介と発言、その合間に、歌。時には楽器演奏。基本的には午後5時には全て終了するが、テントの撤去がいつ行われるか分からないので、一部の人たちはテント村に泊まり込む。

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 現在では上の写真のテント内に泊まり込みが行われている。この時は(26日)はまだ未完成で、2月27日はもっと横に大きなテント村ができている。

 僕は友人のアパートが名護にあるので、夜はテントに泊まらなかった。

2015年3月 4日 (水)

沖縄レポート 1  失敗

 2月24日から3月3日にかけて、沖縄へ行った。町内の親しい方の葬式が入り、当初22日出発、28日に帰る予定だったが、変更した。

 旅立ちの準備は当日の朝、1時間足らずでやって、静岡県庁知事公室に行ってから飛行機に乗ることになったので、うっかりカメラをバッグに入れるのを忘れてしまった!

 沖縄についてから気づいたが、後の祭り。したがって今回のレポートは写真無しとなる。その代り、琉球新報と沖縄タイムスの新聞記事や写真をカメラに納めて、それをブログに掲載しようと思う。まだカメラに撮っていないので、今日は簡単な報告、つまりカメラを忘れたレポートになってしまった。

 僕が滞在中、色々なことがあり、報告すべきことがたくさんある。これから児童養護施設の子どもの勉強のお手伝いに出かけるので、詳しいレポートは明日からとなります。

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