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2015年7月29日 (水)

沖縄・高江・辺野古レポート 再開編  

 7月9日に沖縄から戻り、その報告をきちんとまとめるつもりだったが、安保法制関連の記事が多くなり、レポートが中断していたので、再開したい。

 本土のマスコミは辺野古のことはたまに取り上げるが、高江のことは全く報道しないので、今日は高江の現状をレポートする。

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 この写真は7月3日、高江N1テントで撮影。実は7月1日に静岡空港へ行ったが、悪天候のため飛行機が飛ばず、翌2日夜、高江に着いた。遅れを取り戻すため、2日の夜はテント前の泊まり込み監視活動に参加。レンタカーで寝た。

 3日の朝起きて気づいたのだが、車で泊まり込んでいたのは他に女性2名がいた。僕が車で着いたのは分かったそうだが、車の外に出ると危険なので(米兵かも? 女性を狙う悪い男かも?)、朝まで車の中にいたそうだ。

 高江には今年3月にも行ったが、前回と状況が少し違うのは、防衛局がこのテントと工事阻止のためフェンス前に止めてある車2台を排除するため、県道の路肩(白い線が引いてある部分)を米軍提供区域にしようとしている点である。

 県道は米軍基地内を走っている! 本土の人間には驚きだが、沖縄の人々の生活道路(観光客も通る幹線道路)県道70号線は、米軍のお情けで沖縄県が使わせてもらっている。

 ここは沖縄。この土地は沖縄の土地である。明治以前は琉球王朝が所有する広大な森林(やんばるの森)だった。明治政府による琉球処分で、琉球王朝が廃止させられ、土地は全て国有林に編入された(大和の政府に盗られた!)。

 沖縄戦で米軍が沖縄を占領し、戦後沖縄が日本から切り離され(昭和天皇がマッカーサーに沖縄を使ってくれと言ったのは、有名な話である。)、軍事植民地とされた時代に米軍基地拡張の一環として、この広大な北部訓練場が作られた。

 北部訓練場はあまりにも広大なので、鉄条網に囲まれていない。どこからでも立ち入ることが可能である。県道70号線はそのような時代背景・環境の中で、今では国頭村・へと岬に東から行く幹線道路として機能している。

 県民の生活のために米軍と協議して県道70号線としたその路肩部分を、米軍に帰す(米軍提供区域に戻す)というのだ。

 道路の管理は車道部分だけでなく、路肩の管理も重要である。排水溝の管理や路肩部分の草刈りも必要である。また路肩の白線から山側の空き地は、交通事故を避けるためのスペースとして重要である。

 防衛省・防衛局は、何が何でもN1地区に新たな2つのヘリパッド(オスプレイが離発着できる直径70メートルのヘリコプター着陸帯)を作るため、工事を阻止しているテントと車を排除しようとしているのだ。

 さらには僕たちが工事阻止のために米軍提供区域に立ち入り座り込んだら、日米地位協定により逮捕出来るように狙っている。

 しかし県道であるがゆえ、防衛局も勝手にはできない。沖縄県との協議が必要である。幸いにも、まだ県に対し国側からこの件での正式な協議申し入れはない。

 

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