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2015年8月

2015年8月31日 (月)

戦争法案廃案!安倍政権退陣! 8.30国会包囲10万人行動参加レポート

昨日、東京の集会に参加した。午後1時ごろ国会議事堂正門前に着いたが、人・人・人で、その場に立っていることができなく、人の流れに押されて憲政記念館のゲート前(ゲートは封鎖されていた)で、3時間半ぐらい当日の行動に参加した。

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 これらの写真は2時前に撮影。正門前のステージから主催者の司会の声や政党代表の挨拶がスピーカーを通して聞こえるが、姿は全く見ることができない。正門前の状況も分からない。ところが家に帰り、フイスブックで流れる写真や今朝の新聞で、2時ごろから4時ごろまでの状況が分かった。

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 なんと正門前の車道に人があふれている! 恥ずかしながらこの現場から100メートルも離れていないところにおりながら、警察がブロックしていた車道が解放され、巨万の人々が正門前にいたとは知らなかった!

 主催者が参加者数12万人と発表したが、おそらくそれぐらいはいたと思う。ただ同じ場所に集まっていないので(国会周辺にいるので)、大変な集会に参加している高揚感・一体感・感動を味わうことができなかったのは残念だった。

僕の周りの状況は(3時ごろ)このようだった。

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 ステージでの発言者の名前や内容は新聞が詳しいので省略する。現場で感じたこと、感想のみを報告したい。

 僕は12万分の1に過ぎない。周りの人々も、動員されてきたわけでなく、個人の意思で来ている。皆同じ12万分の1に過ぎない。しかし同じ思いで参加している。「主権者として、この法案は絶対に認められない!」と。

 一人一人の力は小さいが、こうして多数集まると大きな力=政治を動かす力になりうる。そのために僕らは足を運び、ここにいる。

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 4時15分ごろ全体の行動が終わった。このあと、シールヅ主催の取組があると放送されたので、正門前へ移動したかったが、あまりにも人が多くあきらめ、地下鉄「永田町」へ向かう途中、ハンスト中の若者がいた。若者よ、頑張れ!ただし、無理はするなよ!

2015年8月30日 (日)

福島レポート  浪江町の現状 請戸地区 浪江町役場 浪江駅 希望の牧場

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 27日、警戒区域である浪江町に入った。今も立ち入りには許可証が必要である。上のマイクロバスは浪江駅前に放置されて5年目となる。

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 原発事故がなければ、人々は自分の家・店・事業所に戻り、生活を再建できる。しかし放射能に汚染され、今も浪江町は3.11当時のまま。

 田端さんの知り合いで静岡県富士市に避難されている堀川さん宅を訪れた。

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 地震で散乱し、原発事故で緊急避難した当時のままの室内にあぜんとさせられる。

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 上は請戸小学校。以下内部写真。

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 我々は浪江町教育委員会の許可をもらって入った。

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 体育館の床が腐り、陥没している。中に入って床が抜け事故があれば、浪江町の責任を問われる恐れがあり、また黒板に落書きも増えてきたので、町当局は今後立ち入りができない様措置をとることを検討している。

 今は立ち入らないことを求める掲示だけで、見学者の自己責任で中に入れる。請戸地区は地震・津波・原発の複合災害を受けた象徴的地区だけに、多くの見学者が訪れる。

 町でも災害遺構として保存するかどうか検討している。当時の子ども達は先生方の適切な指導で全員無事に避難している。最近「請戸小学校ものがたり」の紙芝居や絵本もできている。

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 音楽教室のピアノ。2階は水に浸かっていないから、調律すればまだ使えるだろう。広島の被ばくピアノのように、心ある人が調律してコンサートで使えるようにしてほしい。

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 請戸地区は助かる命が助からなかった地区でもある。原発事故のため、3月12日、救助が打ち切られ全員緊急避難命令がでたからだ。まだ家に取り残された人々もいたが、助けることができなかったことを、町の人々は今も悔いている。

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 白い車は僕たちの車。雨のため写真がぼやけているが、このあたりの家屋586戸が流され、死者182名、今も行方不明は32名である。

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 上の建物は浪江町役場。町では復興の拠点と位置づけ、職員を置いている。

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 町並みの写真は役場内に掲示されていたものだが、被災以前のもの。請戸漁港から田んぼまでの人家は今はない!

 この後、希望の牧場の現状と吉澤さんを紹介するつもりだったが、長くなったので次回としたい。

今日は30日。安保法案廃案・安倍政権退陣・全国一斉100万人行動が取り組まれる。僕はこれから東京の国会包囲10万人集会に参加する。

2015年8月29日 (土)

福島訪問レポート 浪江町

 浪江町に関して色々報告したいこと、書きたいことがたくさんある。仮設住宅訪問報告の追加から始める。

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 昨日紹介した自治会長・天野淑子さんは、毎日集会所に詰めるのが仕事のようだと笑っておっしゃっていた。住民がいつでも気楽に来て、おしゃべりをしたり、古着のリメイク作業が出来るように開けておくためだ。

 集会室に昨年度のイベント報告が月ごと写真入りで掲示されていた。旅行、運動会、餅つき大会、芋煮会、ボランティア団体との交流会など、たくさんのイベントを実施されている。外国人の訪問もある。

 僕はこれまで郡山市にある双葉町の仮設、川内村の仮設住宅を訪問したことがある。2つの仮設の自治会長になにかイベントをされていますかと尋ねると、やっていないとのことだった。3年前に訪れた双葉町の仮設を2年前に訪問しようとしたら、自治会長のなりてがいないので、無理だと断られた。

 皆さん、先行きが見えず、心身ともに疲れ、自分のことで精いっぱいで、とても他人の世話までできない、それが自治会長不在の理由だった。

 天野淑子さんの個人的事情は全く知らない。彼女は自分がにこやかにふるまい、色々な客を面倒がらずに受け入れ、交流を楽しむ、自治会の行事や古着のリメイク作業などを皆と一緒にやる、そのことが住民を活性化させると思っておられる。

 自治会長の姿勢で、雰囲気が全く異なる。

 午後訪れた郭内公園仮設住宅で、こんな話を聞いた。「住民の絆が薄い」 「仮設には浪江町の色々な地区の人が入っている。もともと知らない人ばかり。4年たてば、家を建てたり、アパートに入居したりして、一人また一人と仮設を去っていく。しかし、挨拶無しで去っていく人が多い。住民の絆がこんなにも薄いのかと寂しくなる。」

 この話をされたのは、60代の品のよい女性だった。彼女は仕事をされておられる。交流会が始まる前、少し早めに来ておられたので、お話を伺うことができた。

 郭内の集会所に集まってくれたのは8人。おそらく見知らぬ他県の人間と交流するのは気がおっくう、それが仮設の住民の気持ちだと思う。集会所に集まってくれる方は、元気がある(相対的に)方だ。

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 浪江町役場の拠点は二本松市にある。午後4時過ぎに馬場町長に会うため訪問した。仮設の役場は、周りに人家がない寂しいところにあるのに驚いた。浪江町の住民は全国各地に避難している。おそらく直接ここに来れる住民はほんの一部だろう。

 馬場有町長から、『浪江町が受けた原発災害と現状 「明けない夜はない」 』と題した資料をいただき、それを使いながら約30分色々お話を伺った。

 原発事故が起きても情報が全く国・東電・県から入らなかった。避難先もどこに逃げてよいのか指示もない。スピーディによる拡散情報も教えてくれなかったから結果的に線量の高い津島地区に避難し、住民が被曝した。3.11の夜、警察官や自衛隊は防護服を着ていたが、我々には何も教えてくれなかった。原発の状況は報道で知るほかなかった。

 当時は原発災害時の避難計画はなかったので、住民はそれぞれの判断で逃げた。町の指示で津島支所に避難したのは、約8000人(当時の人口21,434人)。

 避難指示が解除されてもすぐ戻るのは2,500世帯5,000人ぐらいと想定している。昨年夏実施した帰還意向調査では、①戻らない 48.4%  ②判断つかない 24.6%  ③戻りたい 17.6%  ④無回答 9.4%。

 復興に向けて、自宅再建者向け分譲地と公営住宅を整備している。もらった資料では、・津波被災地での防災集団移転を促進、共同墓地を移転 ・働く場、生活の場をつくる ・医療施設、各種サービスの配置検討と担い手の確保 ・多様な業種の事業再開を働きかけ  ・思い切った税の減免措置などの優遇措置の整備を国へ要望  ・犠牲者を追悼し、原発事故の教訓を伝える復興祈念公園を整備、が町作り計画に入っていた。

 次回のレポートは無人の浪江町の様子や請戸小見学、希望の牧場・吉澤さんのお話になるが、復興に向けての課題の大きさ・困難さを感じざるを得ない。

2015年8月28日 (金)

1年ぶりの福島訪問レポート 1 浪江町の仮設住宅集会室を訪れて

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 8月26日午前、福島県二本松市平石にある浪江町から避難されている方たちの仮設住宅を訪問した。今回は藤枝市の田端さんが毎月実施している「警戒区域支援視察」に参加しての福島訪問だった。

 上の写真の女性は自治会長の天野淑子さん。積極的に訪問客を受け入れ、住民との交流に力を入れておられる。古着の着物をリメイクし、写真のような小物袋やバッグを仮設の仲間と作っておられる。

 とても色合いといい、大きさも手ごろだ。ティッシュ入れ・ビニール入れ・つまようじ入れ・カード入れ・バッグなど、多彩の物を制作している。(お別れの時、10人の参加者に土産(記念品)として、小物入れをくださった。)

 福岡県の方が指導してくれたそうだ。たまたまこの古着の着物は、磐田市の山田さんが送ったものだった。

 浜岡原発を考える袋井の会では、毎年福島応援物産販売を「ふらっと祭り」でやっているので、役員会で提案して、是非天野さんたちの作品の販売をしたいと思う。また古着の着物を送る活動もしたい。

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 こちらから手つくりの紙で作った飾り物をプレゼントしたり、手品を披露して一緒に手品で遊んだり、吹き矢ゲーム、鉄砲ゲーム(これらの遊びは藤枝市の橋本さんが用意し、指導してくれた)、紙芝居など、用意した物で、仮設の人たちと短いひと時を共に過ごした。

 また用意してくれてあったなしや、かぼちゃの煮たもの、漬物などをいただきながら、お話をする機会もあった。プライバシーもあるので、内容はカットするが、比較的お元気だったので、救われた思いがした。

午後、二本松城を外から見物して、郭内公園仮設住宅を訪問した。

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 こちらの仮設住宅集会室でも午前と同じようなことをやり、住民の皆さんと短いひと時を過ごした。遊びや折り紙などで時間を要し、お話を伺う時間がなかったのは残念だった。

 

 

2015年8月25日 (火)

島ぐるみ会議全国キャラバンin静岡報告

 昨日23日、静岡市で表題の集会があり参加した。

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 カメラを持参したが、電池が切れていたので、写真はちらしをとったもの。「沖縄からの訴え」と題し、島ぐるみ会議事務局の島袋純・琉球大学教授が、島ぐるみ会議の目指すもの、沖縄の米軍基地が作られてきた歴史的経過などを話してくれた。

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 辺野古新基地建設を阻止できなければ、日本の立憲主義が死滅する、その時は沖縄独立・自治州(県)にすべきだと熱く語ってくれた。

 今晩から夜立ちで福島に行くので、講演の詳しい内容を報告できないのが残念。9月12日には、静岡からバスを仕立てて、東京の国会包囲行動に参加する。

2015年8月24日 (月)

安保関連法案廃案に向けて  浜松でのイベント報告

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 8月22日、浜松市で2回目のLOVE&PIECE MUSIC パレードのイベントがあり、娘と娘が結婚した先のお父さんの3人で参加した。上の写真は、この日誕生したばかりの「浜松ママの会」。

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 先月も挨拶した文化芸術大4年の渡部さん。8月6日、広島に若者たちが集まり、どうしたら平和を作ることができるのか、皆で話し合いまとめた「若者会議メッセージ」を読み上げてくれた。

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 袋井市でも5月3日に講演してもらった小笠原里香弁護士が、分かりやすく安保法制の問題点を説明。彼女は「浜松ママの会」のメンバーでもある。

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 今回は3組の子ども達がダンスを披露してくれた。子ども達が出演してくれることは、安保法案反対の若い世代の親がいるということ。憲法9条の会中心の集会では、60代以上が多いが、学生や若いママさんたちが中心に企画したイベントは幅が広がり楽しい。

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 浜松は楽器の街。色々な音楽愛好家グループも出演。

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 僕も今回はパレードの時、太鼓をたたくグループに入った。

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 午後5時から始まり、解散地点の浜松駅に到着したのは7時過ぎ。参加者は500名。次回は9月5日(土)16:30~東ふれあい公園(浜松裁判所隣)。

 今日の新聞に23日全国で若者たちの取組の様子が報道されているが、静岡県でも若者主体のイベントが盛んになることを期待している。


2015年8月22日 (土)

川内原発冷却トラブル これは浜岡でも起きる 地元同意をさせないために

 九州電力川内原発で、20日、海水で蒸気を冷やして水に戻す復水器に海水が入るトラブル「レベル2」の事故が発生した。

 復水器内の細管は7万8千本以上あり、1本の細管に穴が開き、海水が混入したようだ。機器は時間と共に腐食する。

 中電浜岡原発は震源域の真上にあり、巨大地震が起きれば、復水器の細管だけでなく、原子炉内外の無数のパイプが、損傷、切断(折れる)し、冷却機能が失われることが分かっている(中電は安全だと言っているが、5号機は駿河湾地震により海水が原子炉内に入り、いつ完全に修復できるのかメドが立っていない。)。

 再稼働すれば、必ずやこうしたトラブルが発生し、大地震が起きれば参事が免れない。僕たち浜岡から31キロ圏内の市民団体は、再稼働を絶対に阻止するために、地元同意に関して、下記の要望書を県知事に提出する準備を進めている。

 これはまだ原案段階である。31日、菊川市で作業部会を開き、皆さんに検討してもらうことになっている。

 

川勝平太静岡県知事様                     2015年 月 日

 

 

 

 浜岡再稼働にあたっての「地元同意」に関する要望並びに質問書

 

 

 

 私たちは浜岡原発から31キロ圏内にある市民団体で構成する「UPZ市民団体交流会」です。福島原発事故の後、UPZ圏内全ての自治体に脱(反)原発市民団体が誕生し、浜岡原発の再稼働を許さないためまとまって運動していこうと、3年前に結成しました。各地域持ち回りの交流会をすでに12回開いています。これまで5市2町中電との安全協定締結や原発災害広域避難計画に関わる要望及び質問書を出しています。

 

 今回は「地元同意」に関する要望及び質問書を提出する次第です。

 

 UPZ圏内市町当局のほうでも中電との安全協定締結に向けて話し合いが進んでいますが、行政も私たち市民も最大の関心事は、再稼働に際し「地元同意(事前了解)」の地元とはどこまで入るのか、磐田市から焼津市まで5市2町も含まれるのかどうかです。

 

 鹿児島県川内原発においては、地元は薩摩川内市のみとされ、残念ながら県知事と薩摩川内市の同意で再稼働されてしまいました。報道では、31キロ圏内自治体の避難計画は実効性に欠けること、老人ホームや入院患者・災害弱者の受け入れ先が決まっていないこと、見切り発車の再稼働であること、火山災害の影響が考慮されていないことなど、問題が多いと批判が高まっています。

 

 静岡県では掛川・島田両市長が、「実効性ある避難計画が策定できなければ、再稼働は認められない」と議会で言明されています。袋井市の防災監も個人の考えと断っていますが、同様な見解を市民団体に語っています。

 

 浜岡の再稼働が具体化するのは来年秋以降と思われますが、私たちUPZ圏内に住む住民は(行政も含めて)、最終的に知事が再稼働の是非を決断する際地元の意向をどこまで考慮してくれるのか、大いなる関心と不安を持っています。

 

 知事は昨年11月の記者会見で、UPZ圏内7市町の同意も必要になるとの考えを示されていますが、県議会では同様な発言はされてはいません。

 

 そこで、万が一事故が起きたら避難を強いられる当事者である私たちは、下記の点について要望と質問をします。

 

 

 

1. 「地元同意」の地元に31キロ圏内全ての自治体の同意を含んでください。またこの点に関し、改めて公的な場(県議会や記者会見)で明確に知事のお考えを示してください。

 

 

 

2. 自治体の意向は首長と議会だけでしょうか。市民団体や市民の意見はどのように考慮されるのでしょうか。

 

 

 

3. 地元自治体の意見が分かれた場合、御前崎市の意向が最優先されるのでしょうか。それとも

 

   同意・不同意の自治体の数を考慮して、知事の最終判断が下されるのでしょうか。

 

 

 

4. 以上の要望並びに質問に対し、直接私たちの代表(各団体の代表)に会ってお答え願います。

 

 

 

5. 公務などで直接会ってのお答えが困難な場合は、文書でお答えください。

 

 

 

 UPZ市民団体交流会 

 

 

 

2015年8月21日 (金)

郡上八幡紀行

 レポートが遅くなったが、7月25,26日、岐阜県郡上八幡市を訪れた様子を、写真でレポートする。水と郡上踊りのこの素敵な街を多くの人に旅してほしい。

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 郡上踊りは誰でも参加できる。踊りの実演がある施設で15分ぐらい映像と実演を見て、夜僕も参加してみた。

 見よう見まねでなんとかなる。よく見ると、地元の若者がたくさん踊っている。一般に盆踊りなどは、中年以上の人が多いが、ここは中学生や高校生、20代の若者もたくさん参加している。

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 下手な観光客が加わっても、誰も嫌がらない。自然にその場に打ち解ける雰囲気がある。阿波踊りなど有名な踊りは、踊る人・見る人と別れているが、郡上踊りは見ている人が少ない。皆が踊るのである。

 翌日町の人に聞いたところ、郡上一揆で農民の力を恐れた殿さま(一揆を鎮圧した殿さまはお家断絶、後に入った殿さま)が、民衆の人気を得るため、そして不満のはけ口として、誰でも参加できる踊りを推奨し、盛んになったとのこと。

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 郡上はきれいな水が豊かな街。いたるところ清流が流れている。飲むこともできる。民家はほとんどが木造で、古い家が多く、風情がある。高山や倉敷は観光ずれして、きれいではあるのだが生活感がないが、郡上は普通に暮らしている街が、日本情緒いっぱいだ。

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 上は宿泊した高畑館(温泉旅館)の玄関にあった書。「だれにでも心の笑顔でごあいさつ」   つくり笑顔でなく心の笑顔が気に入った。全てに通じる心掛けだと思う。

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 たまたま入った施設で、木彫りの芸術家・須甲さんに出会った。哲学的な方で、僕と話が合い、彼の作品を見乍ら30分以上お話を聞いた。木の線がやさしい。須甲(すこう)さんは、郡上からさらに山奥で育ったので、木を命ととらえている。生命体である木に、彼の生命哲学を彫っている。素晴らしい作品が多い。展示場では写真撮影ができないので、紹介できないのが残念。

 市内に彼の作品を売る店(娘さんが開いている)があるとのことなので、帰る前に訪れた。愛と題した手頃な作品があったので、孫娘(名前が愛)のために購入した。

 時間の関係で山頂のお城を見学できなかった。またゆっくり訪れたい。

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2015年8月20日 (木)

韓国ドラマ「ホ・ジュン」にはまった!

 BS4で午後1時半から2時半まで、韓国ドラマ「ホ・ジュン」を流している。7月に偶然見て、次第にはまってしまった!

 今では放送される月から金曜日のその時間帯が、僕のささやかな楽しみとなった。時代背景は、1500年代末の朝鮮王朝時代。ホ・ジュンという医者が主人公。

 彼を尊敬し恋する医女、彼の奥さん、お母さん、彼のライバルの医者たちが、主人公を含めて好演技をしている。はらはらさせるストーリー、この後どう展開するのか視聴者を引き付けるドラマの筋立て、一人一人のセリフに共感し、笑い、納得させられる。純粋なホ・ジュンの生き方がさわやかである。

 日本のドラマでこれほどはまったのは、NHK朝ドラの「まっさん」と「あまちゃん」ぐらいだ。今週から「ホ・ジュン」は、豊臣秀吉の朝鮮侵略が関係する展開になってきた。

 さてどうなるのか、明日の午後1時半が楽しみである。

2015年8月19日 (水)

超高齢化社会と認知症、高齢者入居施設

 昨日、畑を借りているTさんが入っている高齢者入居施設「袋井安心館」を訪れた。Tさんのお見舞いのため。

 Tさんが所有する農地を多くの人が借りている。言ってみれば市民農園だ。僕は20年前に元茶畑だった畑約60坪を借り、今も耕作している。

 Tさんは現在81歳。昨年末に借地代を払いに行ったら、息子さんが出てきて、母は健康の不安があるので老人施設で暮らしているという。その後、人ずてに安心館に入居していることを知った。

 行こう行こうと思っていたのだが、忙しさを理由にお見舞いに行ってなかった。そのことが心の負担になっていたので、思い切って訪れた次第である。

 Tさんは入居施設に併設するデイケアにいた。大きなテーブルを囲んで同年齢ぐらいのおばあちゃんが5人、介護のスタッフが2人いた。

  僕の名前や住んでいるところは忘れたようだが、僕の顔は覚えていてくれるようだ。借りている畑のことや、彼女の息子さん、お嫁さん、お孫さん、実の娘さんのことなど、色々話してくれる。

 表面上はとても認知症だとは思われない。表情も明るい。自宅にいた時よりも元気そうだ。ときどき、僕の年齢や住んでいるところを訪ねる。すぐ忘れてしまうところが、認知症だと気づかさせられる。

 かみあわないおしゃべりが楽しい。施設のスタッフの方が別の部屋で話したらどうですかと声をかけてくれたが、Tさんがここでよいというので、大きなテーブルで30分ぐらいおしゃべりをした。

 テーブルに小学生が持っている漢字帖があった。認知症の進行を食い止めるための学習作業だと分かった。

 漢字の読みに関しては、ほとんど問題がない。例えば、「モーツァルトに心酔している」の心酔を正確に読むことができる。心酔の意味を訪ねると、大体理解している。

 漢字を書くのは困難のようだ。もっともその練習帳にあった漢字は、僕も自信をもって書けるのが少なかったが。

 たこまんのお菓子を持っていったら、とても喜んでくれた。彼女は自宅よりもこの施設で暮らすほうが、本人もご家族も安心できているように思われた。

 この施設は老人ホームとは違い、サービス付きの高齢者入居施設である。確か入居費が月15~16万円と聞いている。食事つき、個室である。

 超高齢化が進む社会では、このような施設の必要性がますます高まるだろう。安心館のスタッフは若い人が多く、入居者への対応がよいように思われた。

 帰る時、スタッフの女性がTさんを玄関まで伴って見送りに来てくれた。予期していなかったので、うれしかった!

 浜岡原発の再稼働を認めないで署名の協力を施設長さんにお願いしようと、「施設長さんはいますか?」とそのスタッフの方に尋ねると、なんとその方が施設長だった。まだ若い。にこにこしながら、デイケアでお年寄りの足をきれいにする作業をずーとしていたから、僕とTさんの会話を聞いていた。

 僕を信頼してくれたのか、署名の協力依頼を受け止めてくれた。署名が集まったら、またその施設を訪ねるので、Tさんや施設長に会うのが楽しみである。

 

2015年8月18日 (火)

安保法制(戦争法案)廃案・安倍政治を許さない全国一斉100万人行動

 東京で8月30日、総がかり行動10万人国会周辺集会デモが呼びかけられてから、それに呼応する形で、全国各地で8月30日100万人行動の準備がされている。

 静岡県でも、浜松・静岡市で30日総がかり集会とデモが予定されている。静岡市では当初29日に1000人委員会主催の集会が予定されていたが、全国的な運動の高まりにより、30日に超党派でやったほうが効果的だとの判断で、総がかり行動となったようだ。

 誰がどの団体が主導的にやるのか、以前は党派の利害やメンツで一緒にやるのが困難で別々にやる(趣旨は同じでも)ことが多かったが、ようやく本土でも共同行動が取り組まれるようになったことを喜びたい。

 憲法違反の安保法制を廃案に、安倍政治にNO!を、その個々人の思いを8月30日、様々な形で、様々な地域で、外に出す(社会に訴える)、その行動がつながって100万人行動となる意義は大きい。

 僕自身は東京の集会に参加(今年初めて)するが、袋井憲法9条の会としては浜松市の集会に参加するよう、会員に呼びかけたい。

 またインターネットやフェイスブックでつながっている人たちに情報を発信して、住んでいる地域や参加しやすい会場での集会・デモに参加しましょうと呼びかけたい。

2015年8月16日 (日)

戦後70年の夏に思う 僕の決意

 昨日15日、日本全国で戦後70年の色々なイベントが行われた。僕も2つのイベントに参加し、決意を新たにした。

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 袋井市戦没者戦災死者追悼・平和祈願式に参加した。この種の式にはこれまで一度も参加したことがなかったが、広島に派遣された中学生の感想を聞きたかったのと、12日駅前行動で配布したチラシ「戦後70年の夏 平和を守るにはどうしたら良いか共に考えましょう!」が50枚程度残っていたのでその配布も兼ねて参加した。

 喪服を着た遺族の方や市議会議員、自治会役員、中学生とその保護者など、皆さんちらしを受け取ってくれた。会場メロープラザの入り口で配布したが、主催者の市側からクレームもなく、全て配布し終えた。

 原田市長は式辞の中で、安保法制について少し触れていた。「憲法の平和主義の理念がゆらいでいると、国民の中に懸念する人々もいる。国会では慎重に審議されることを望む」と。

 このような式辞のなかで安保法制に懸念を表明した原田市長を大いに評価したい。

 広島平和式典に参加した中学生は24名。今年初めて市が派遣した。代表男女2名の感想は、中学生らしく新鮮だった。

 来年度も是非、中学生広島派遣事業を継続し、若者たちの出席及び意見発表を続けてもらいたい。

 核兵器廃絶平和都市宣言を参加者一同唱和したのも評価できる。

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 午後は浜松市で半田茂さんの講演会があり参加した。主催は「浜松・憲法9条の会」。会場の浜松地域情報センターホールは満員。200名ぐらい参加。

 半田さんは袋井でも講演してもらったが、とても歯切れがよい。講演内容を紹介する余裕がないが、改めて安保法制の危険性を認識させられた。

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 自衛隊の活動を紹介する映像は講演の最後に流された。安保法制が制定されていなくても、現場では実質的に集団的自衛権行使につながる活動がどんどん進められている。

 沖縄でのヘリ着艦事故で、自衛隊の特殊部隊が米軍と共同訓練を実施していたことが暴露されたが、半田茂さんには次回、日米軍事同盟の実態・変貌する自衛隊をテーマに映像を流しながら講演してほしいと願う。

 2つの集会に参加し、またテレビの特別番組を見て、改めて以下の決意を新たにした。

『 戦争の悲劇・過ちを繰り返さないため自分にできることは、安保法制を廃案にする運動に主体的に参加すること。世論を高める活動を粘り強くしたたかにやること。沖縄の新基地建設を阻止する闘いに参加すること。本土でもその世論を高める努力をすること。 』

 傍観者でなく、歴史を作る一人でありたいと願う。

2015年8月14日 (金)

安保法制を廃案にするために 袋井駅前行動のちらし原案

 袋井憲法9条の会は本当に小さい組織で、実際に街頭に自分の顔をさらけ出して活動できる人は限られているが、6月からJR袋井駅前で安保法制反対・廃案を市民に訴える活動を続けている。

 8月20日に配布するちらし原案を作成した。1週間ごと違った内容の文章を作成するのは大変だが、受け取る側のことを考えると、同じ内容ではつまらない、もう読みたくなくなる、受け取り拒否したくなるのも無理からぬなので、努力したいと考えている。

 大都市と違い、昇降客が少ないので、大体約1時間で150枚ぐらいちらしを受け取ってくれる。時間は6:40から7:40まで実施。人数は3~4名の時が多い。

 

自衛官やその家族の立場から安保法制を考える

 

 

 

 憲法違反の安保法制が万が一成立した場合、首相の命令で実際に海外に出るのは自衛官である。その立場から、さらには自衛官の家族の立場から、この安保法制がどんなに危険で間違っているのかを考えよう。

 

 『 出動を決定し命じる側は、決して危険な現場には出ない 』

 

首相や閣僚、国会議員は、自衛隊の海外派兵を決めても、決して自ら危険な現場に出ることはない。行くのは自衛官である。それも自衛隊のトップや高級幹部は安全な国内にとどまり、実際に海外に出されるのは、一般隊員とその上の隊長クラスである。

 

 

 

 『 自衛官は命令を断ることはできない 』

 

 国家公務員である自衛官は、辞職する覚悟がなければ命令を拒否できない。海外派兵のその命令がたとえ間違ったものであっても、憲法に違反するものであっても、断れない弱い立場に置かれているのが、自衛官である。(裁判闘争をすれば勝てるがそこまでやるには勇気がいる。)

 

 よくテレビのインタビューなどで、安保法制について質問された自衛官が、「命令があれば、国のため行きます」と答えているが、そう答えるほかない立場にいる。

 

 

 

 『 奥さんやご両親、お子さんの気持ちを想像してみよう 』

 

 純粋に自国のため、不当に日本を侵略する外国軍と闘うためなら、家族の方も心配があっても納得されるだろう。しかし日本を遠く離れたところで、外国の軍隊の後方支援という形で、戦争に参加するのを、納得して送り出せるだろうか? 万が一戦死した場合、どう心の整理がつけられるだろうか? 国民の多くが反対している安保法制に基ずく命令を、仮に自衛官本人が命令だから仕方がないと思っても、家族は反対するだろう。

 

 

 

 『 命令とはいえ、実際に人を殺し傷つけた場合、どうなるのか?』

 

 民間人を誤射するケースもありうる。米軍は誤射しても殺人罪その他の罪に問われないが、日本の法律ではそのようなことを想定していない。罪に問われるケースもありうる。

 

 

 

 『 戦場のトラウマ、心の傷は深い 』

 

 イラクやインド洋に派遣された自衛官の中には、自殺したりうつ病になったり、心身を病むものが多い。実際に戦闘がおこなわれていない地域に派遣されても、戦争状態にある海外に派遣された場合、ストレスが大きいことが実証されている。安倍首相や安保法制に賛成する国会議員は、自衛官の心のリスクは全く考えていない。無責任である。

 

 自衛官を危険にさらす安保法制を世論の力で廃案にしましょう!

 

         袋井憲法9条の会

 

2015年8月13日 (木)

さだまさしの魅力

 妻がさだまさしのファンで、僕も巻き込まれてファンになってから、20年ぐらいになる。長崎・広島・奈良・山中湖・島原・名古屋・東京、もちろん地元浜松でのコンサートに足を運んでいる。

 彼の本が原作の映画も全て見ている。8月11日、日本武道館で行われた東北応援のチャリティーコンサートにも、妻と共に出かけた。

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 コンサートは撮影禁止のため、まさしの写真は無い。 僕がさだまさしが好きな理由はいくつかある。

①歌詞がよい。自分の感情や日頃思っていることに結びつく内容だから。友情出演の加山雄三さんも言っていたが、「案山子」の曲を聞くと、遠く離れたところに暮らす子供を思う親の気持ちに泣けてくる。

 「ああ、僕の親もこのような気持ちで、僕のことを心配していてくれたのだなあ」と。49年前、僕は三重県伊賀上野から九州の大学へ行った。

 ただうるさい親から離れたい、狭い故郷から遠く離れたところで一人気楽に暮らしたいとの自分中心の願望から。

 父・母は、農業をしながら授業料と生活費を仕送りしてくれた。父は農閑期土方をして、農業だけでは足りない家計を支えてくれた。

 毎月の仕送りは、現金書留め封筒で送られてきた。その中に必ず、父からの手紙が入っていた。僕も必ずお礼と近況を記した短い手紙を送るのが習慣だった。

 今はもう父・母は天国で暮らしているが、まさしの「案山子」を聞くと父母のことが懐かしく思い出される。

②さだまさしの平和を愛する気持ちに共感。 一般に芸能人は戦争や平和について、テレビやコンサートで語らない。しかしまさしは違う。ストレートではないが、きちんと核兵器廃絶や戦争反対の思いを語る。日本武道館でのコンサートでも、安保法制という言葉は出さなかったが、日本の国の将来を案じる思いや観客へのメッセージを伝えていた。

 長崎には彼の思いを発信する「ナガサキピースミュージアム」がある。

③演奏が素晴らしい。11日は佐渡豊さんや渡辺俊之さんが指揮するフルオーケストラ演奏(東京フィルハーモニー交響楽団)で特別だが、平常のコンサートでも彼のバンドは一流のミュージシャンが演奏している。倉田信夫さんのピアノ演奏は特に秀でている。

④トークが面白く、かつ内容がある。コンサートの四分の一ぐらいは、まさしのおしゃべり(トーク)。笑えて、励まされる。命や人間の生き方に関してのメッセージがよい。

⑤小説もよい。どこにそんな時間があるのだろうと思うが、どんどん小説を書いている。そのほとんどが映画化されているが、作家としての才能も見上げたものだ。

 こんなわけで、僕はさだまさしにはまっている。

2015年8月12日 (水)

川内原発再稼働の後に浜岡再稼働は絶対阻止する 静岡での取組

 11日、残念ながら川内原発は再稼働されてしまった! 静岡県に住む僕たちは、浜岡再稼働を絶対に許さないため、色々な取りくみをしている。

 その一つが、浜岡原発から31キロ圏内にある反原発団体のまとまり、UPZ市民団体交流会の活動である。

 8月8日、掛川市で12回目の交流会を持った。

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 結論から報告したい。①地元合意がポイント。川内原発では薩摩川内市のみ地元とされたが、静岡では浜岡から31キロ圏内にある11市町を地元にすべき。

 この地元の定義は法律に無く、知事の裁量・判断にかかっている。そこで川勝県知事に、UPZ市民団体交流会として、地元の範囲に関する要望・質問書を出そう、そしてこの件に関する話し合いを求めよう、ということになった。

 そのための作業部会を8月31日菊川市で持つ、文章の原案は僕が作成することになった。

 ② 原発災害広域避難計画に関して、再度県当局に要望・質問書を出すことも決まった。ペットの避難をどうするのかを新しく出す提案も了承された。

 この原案も僕が作成し、31日に検討してもらう。 避難計画に関しては、「実効性ある避難計画が策定できない限り、再稼働は認められない」、これを11市町自治体首長・議会・市民の合意事項にまで持っていきたいと考えている。

 すでに松井掛川市長、染谷島田市長、袋井市の防災監が、この認識を表明している。

2015年8月10日 (月)

安保法制案を廃案にすることが平和を作る

 「僕の平和への思い」というブログを始めて7年目となる。平和への思いは人一倍あるが、今ほど危機感がつのるときはない。

 これは日本中の平和を愛する人々に共通すると思う。ひとたび安保法制が成立すれば、それを廃止させることは容易でない。国会の論議でも明らかになってきたが、時の内閣・首相の判断で(現場の自衛隊の判断もありうる)、何でもありになる! 核兵器やミサイル、クラスター爆弾まで後方支援で運ぶことも、法律は禁じていないとの答弁はその恐れを証明している。

 だからこそ憲法違反の法案を廃案にするほかない。8月30日東京で10万人集会が呼び掛けられている。もちろん参加するが、地域での活動を積み重ねての参加が大切だと思う。

 12日、袋井憲法9条の会として、5回目の駅前行動を行うが、そのためのちらし原案を作成した。

 

戦後70年の夏、平和を守るにはどうした良いか共に考えましょう!

 

 

 

 70年前の8月、広島・長崎に原爆が落とされ、さらにソ連が対日参戦し、万事休すの形で日本は敗戦を迎えました。政府は安保法制を成立させることが日本の平和と安全に必要だと主張していますが、「果たして軍事力で、自衛隊が海外で戦争ができるようにすることで、平和が守れるのか?」、共に考えたいと思います。

 

 

 

『全ての戦争は自衛のため、国民の平和と安全を守るため、という名目で行われる』

 

 侵略戦争をやるから協力しろという国・政府・政治家は、世界中どこにもありません。日本もかつての戦争は自衛のため、国民の生命と財産をまもるためと主張しました。

 

 外国の軍隊が自国に攻めてくる(侵略される)状況なら、それは説得力があります。しかしかつての戦争は日本軍が外国に攻め込んで引き起こされた戦争(侵略戦争)でした。

 

 今日米軍がやっている戦争もアメリカ本国ではなく、遠く離れた外国で行われています。

 

 

 

『自国を離れた海外で行う戦争は、自衛のための戦争ではない! 罪のない外国の市民さらには自国民も殺し・傷つけ、決して平和につながらない!』

 

 戦後アメリカが行ってきた戦争(ベトナム戦争、イラク・アフガニスタン戦争)は、大義名分もない無法な戦争です。罪の無い多くの外国市民を殺傷し、戦争に動員されたアメリカ兵士も死亡・負傷さらには心に傷を負う悲惨な戦争です。

 

 今も中東で対テロ戦争と称して戦争を続けていますが、果たして武力行使で平和がもたらされたでしょうか? 結果は全く逆です。

 

 

 

『安保法制は米軍を守り・支援すれど、日本の平和につながらない』

 

 安倍首相は、切れ目なく米軍を支援できるようにする、自衛隊の役割(軍事的)を拡大することが抑止力になる、それが積極的平和主義であると言っていますが、戦争=軍事力では紛争の解決=平和につながらないことは、歴史が証明しています。

 

 

 

『話し合い=外交、隣国や世界の国々との友好関係が平和を守る』

 

 中国や韓国との間には、領土問題や歴史認識問題など解決すべき課題がありますが、それらは話し合い=外交交渉で解決すべきです。世界は紛争が絶えないのも事実ですが、日本は軍事力以外の分野で貢献できる得意の分野をたくさん持っています。武器を持たない人間による積極的平和主義で、世界の平和と安定に貢献することが、日本の安全・平和につながると考えます。

 

 

 * 今日でアクセスが30万640回となった。多くの方に読んでもらえる内容のブログを続けたいと思っています。そしてそれ以上に大切なのは、平和を実現する(守る)行動だと考えています。

2015年8月 8日 (土)

ブログ「僕の平和への思い」

今朝ブログを書こうとして自分のブログ「僕の平和への思い」を開いたら、アクセス数が 299,853 に達していた。 もうすぐ30万になる!

 息子にホームページを作ってもらったのが、3年前の5月。それ以前にも同じ名前のブログをつづっていたが、アクセス数は忘れた。多くの方にアクセスしていただき、うれしいです。

 書きたいことが山ほどあるが、作成には時間と気力が必要で、特に最近は猛暑で気力が減退し、更新するためパソコンに向かうときには自分にカツを入れながら作業を進めています。

 今日はUPZ市民市民団体交流会と、遠州の花火大会があり、まとまったことを書けそうにありません。

2015年8月 6日 (木)

辺野古移設作業1か月中断 政府と沖縄県との話し合いの報道に接して

 非常に複雑な思いで、この報道を受け止めている。正直、「何か罠があるのでは?」「翁長知事はどこまで持ちこたえられるのだろうか?」と、心配が先立つ。

 政府の辺野古移設方針は、そう簡単に変わらないと思う。その政府と話し合って、どのような展望を切り開けるのか? 仲井真知事の埋め立て承認を取り消す決断を固めているなら、早く踏み切ってほしい。おおらく沖縄の仲間も同じ思いであろう。

 裏で何かあるのでは?  政治は妥協も必要だが、基地建設を認めるかどうかは、妥協の余地がない。辺野古に作ることを認めるなら、今までの苦労は一体何だったのだろう、と、悪いことを考えてしまう。

 しかし翁長さんを信じたい気持ちがある。オール沖縄を背負っている以上、翻意はないだろうと。今は、様子を見るほかない。

 辺野古のボーリング調査が1か月ストップするのは、うれしくもある。仲間たちも休憩できる。工事が遅れることは、歓迎だ。

 辺野古から少し北に行ったところ(基地ができれば騒音にさらされるところ)に、カヌチャリゾートホテルがある。Img_4015


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 大浦湾を見下ろす素晴らしい景色が楽しめる立地に立っているが、辺野古新基地ができれば頭上をオスプレイや米軍の戦闘機が飛び交う。下の写真はカヌチャリゾートから撮った写真(7月6日撮影)。

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 望遠レンズがついていない僕のカメラでも、大浦湾に張られたフロートやキャンプシュワーブがよくとらえられている。つまりそれほど近い。

 翁長さんが政府に負けたら、このリゾートホテルには客が来なくなるだろう。皆の期待がかかっている。翁長知事の踏ん張りを祈るばかりである。

 もし完全勝利したら、家族で是非このホテルに宿泊したいと思っている。

2015年8月 4日 (火)

安保関連法案を廃案にするために 礒崎首相補佐官の罷免を求める

 昨日(3日)の参院特別委員会で、礒崎氏は「法的安定性は関係ない」発言を撤回、陳謝したが、辞任を否定した。安倍首相も更迭を否定している。

 謝れば済む次元の問題ではない。下記の文章は3日前に作成し、明日袋井駅前で配布するちらしの原稿であるが(事務局のほうで、チラシらしくなるように修正。実際に配布するものではなく、そのもとになるもの)、内容的には3日後の今でも通用するので、掲載する。

 

首相補佐官「法的安定性は関係ない」発言は安倍政権の本音

 

 

 

 『礒崎首相補佐官の罷免を求める』

 

 7月26日講演で、「考えないといけないのは、我が国を守るために必要な措置がどうかで、法的安定性は関係ない」と話した礒崎首相補佐官(自民党衆院議員)は、議員としても首相補佐官としても失格であり、罷免されるべきである。

 

 

 

 『安倍政権は憲法無視、法的安定性無視』

 

 礒崎氏のように行政・憲政に関わる資格無しの発言が飛び出すのは、決してうっかり発言・失言次元の話でなく、安倍政権の本質・本音を表している。

 

 

 

 歴代の自民党政権・首相・内閣法制局長官は全て、「憲法上、日本は集団的自衛権の行使は許されない」「自衛隊は専守防衛であり、海外での武力行使は憲法が禁じている」との立場を堅持してきた。法的安定性を重視するからである。

 

 自衛隊が米軍等と共に海外で武力行使が出来るようにするには、憲法改正の手続き、つまり国民投票でその是非を問わねばならない、というのがこれまでの常識であった。

 

 しかし安倍政権はそのハードルが高いから、国民の賛同が得られないのを知っているがゆえに、昨年閣議決定で「集団的自衛権は行使できる」と勝手な憲法解釈をし、今国会で安保法制関連法案を強引に可決させようとしている。これはいわば“憲法クーデター”である。

 

 

 

 『憲法は国の最高法規、憲法違反の安保法制案を廃案に』

 

 憲法99条で、国会議員は憲法を尊重し擁護する義務があると定められています。明確に憲法違反の安保関連法案を廃案にするのが、国会議員の務めだと私たちは考えます。

 

 

 

                袋井憲法9条の会

* 安保法案をつぶすために、礒崎氏を辞任させ、安倍政権の憲法無視・立憲主義否定政治を、徹底的に追及していこう。野党は国会で、僕たち市民は街頭で。東京渋谷での高校生たちによる安保法制反対の街頭アピール活動には、5000人が集まった。近年にはない出来事である。

 あきらめずに、粘り強く、それぞれができえる範囲で、戦争法案を廃案にするアクションを起こしていこう。

 

2015年8月 1日 (土)

沖縄・高江・辺野古レポート 再開編 その3 出会い・再開続き

 「元ピースボートスタッフが高江・辺野古で活躍!」

 7月4日、高江住民の会の「デイゴの家」(ここで僕は宿泊)に、オートバイに乗った若い娘さんがやってきた。彼女はデイゴの管理人の田丸さんの車で、N1テントに来た。僕は面識がなかったので、デイゴの家でちらと見かけた時には、ただ少女のような若い人も参加しているのかと、うれしく思っただけだった。

 N1テントで話しているうちに、彼女がピースボートのスタッフをしたことがあることを知った。62回クルーズでの体験を、「僕の地球1周の船旅  ピースボート光と影」と題する本にまとめ、その本がピースボートを運行している会社「ジャパングレイス」に社員研修用に50冊買い上げられたので、その本を知っていますかと尋ねたところ、「知っている」との返事。

 彼女は63回クルーズの乗客として初めてピースボートに乗船し、クリッパー・パシフィック号≪62回クルーズでも使われ、船底に穴が開き、フロリダのタンパにアメリカ国境警備隊に強制ドック入りさせられた思い出の船》がギリシャで完全ダウンし、別の船に乗りかえた体験を持っていた!

 世間は狭い! トラブル続きの同じ船に、しかも僕らが下船したすぐ後に乗った人と高江で出会うとは。 

 彼女は今では沖縄に住み、辺野古・高江の運動を支えている。6日、辺野古に行ったときには、彼女はテントのスタッフとして活躍していた。

 『 修道女の方たちとの再会 』

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 土曜日は修道女の方たちが座り込みに定期的に参加している。今年3月にお会いした方が僕を覚えていてくれ、声をかけてくれた。互いに元気で高江で再会できるのは喜びである。

 この修道女の方たちが属する教会は、全国の仲間の教会に呼びかけ、昨年は多額の寄付金を寄せてくれた。昨年9月に高江に行ったとき、上の写真で説明している住民の会の育子さんが、今日びっくりするほど多額の寄付金をいただいたと話していた。

 また全国の教会で、高江・辺野古のためにお祈りもしているそうだ。青い綴じ込みファイル(写真真ん中)には、彼女らのメッセージがたくさん寄せられている。

 昨日写真がうまくアップできなかったが今日は順調なので、その2で紹介したTさんご夫婦をN1裏に案内し、一緒に撮った写真を掲載する。

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 常時座り込み・監視活動を続けているメンバーや高江の住民、辺野古や高江で何度も見かける人たち、辺野古のカヌー隊(ヘノコブルー)で活躍しているTさん、その他大勢の人々との再会、また新しい人々との出会いがあった。

 新しい人で、若い子連れの夫婦(名護に移住)との出会いも新鮮だった。プライバシーの関係で詳しくは紹介できないが、またきっと高江で会えるだろう。

 

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