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2015年8月29日 (土)

福島訪問レポート 浪江町

 浪江町に関して色々報告したいこと、書きたいことがたくさんある。仮設住宅訪問報告の追加から始める。

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 昨日紹介した自治会長・天野淑子さんは、毎日集会所に詰めるのが仕事のようだと笑っておっしゃっていた。住民がいつでも気楽に来て、おしゃべりをしたり、古着のリメイク作業が出来るように開けておくためだ。

 集会室に昨年度のイベント報告が月ごと写真入りで掲示されていた。旅行、運動会、餅つき大会、芋煮会、ボランティア団体との交流会など、たくさんのイベントを実施されている。外国人の訪問もある。

 僕はこれまで郡山市にある双葉町の仮設、川内村の仮設住宅を訪問したことがある。2つの仮設の自治会長になにかイベントをされていますかと尋ねると、やっていないとのことだった。3年前に訪れた双葉町の仮設を2年前に訪問しようとしたら、自治会長のなりてがいないので、無理だと断られた。

 皆さん、先行きが見えず、心身ともに疲れ、自分のことで精いっぱいで、とても他人の世話までできない、それが自治会長不在の理由だった。

 天野淑子さんの個人的事情は全く知らない。彼女は自分がにこやかにふるまい、色々な客を面倒がらずに受け入れ、交流を楽しむ、自治会の行事や古着のリメイク作業などを皆と一緒にやる、そのことが住民を活性化させると思っておられる。

 自治会長の姿勢で、雰囲気が全く異なる。

 午後訪れた郭内公園仮設住宅で、こんな話を聞いた。「住民の絆が薄い」 「仮設には浪江町の色々な地区の人が入っている。もともと知らない人ばかり。4年たてば、家を建てたり、アパートに入居したりして、一人また一人と仮設を去っていく。しかし、挨拶無しで去っていく人が多い。住民の絆がこんなにも薄いのかと寂しくなる。」

 この話をされたのは、60代の品のよい女性だった。彼女は仕事をされておられる。交流会が始まる前、少し早めに来ておられたので、お話を伺うことができた。

 郭内の集会所に集まってくれたのは8人。おそらく見知らぬ他県の人間と交流するのは気がおっくう、それが仮設の住民の気持ちだと思う。集会所に集まってくれる方は、元気がある(相対的に)方だ。

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 浪江町役場の拠点は二本松市にある。午後4時過ぎに馬場町長に会うため訪問した。仮設の役場は、周りに人家がない寂しいところにあるのに驚いた。浪江町の住民は全国各地に避難している。おそらく直接ここに来れる住民はほんの一部だろう。

 馬場有町長から、『浪江町が受けた原発災害と現状 「明けない夜はない」 』と題した資料をいただき、それを使いながら約30分色々お話を伺った。

 原発事故が起きても情報が全く国・東電・県から入らなかった。避難先もどこに逃げてよいのか指示もない。スピーディによる拡散情報も教えてくれなかったから結果的に線量の高い津島地区に避難し、住民が被曝した。3.11の夜、警察官や自衛隊は防護服を着ていたが、我々には何も教えてくれなかった。原発の状況は報道で知るほかなかった。

 当時は原発災害時の避難計画はなかったので、住民はそれぞれの判断で逃げた。町の指示で津島支所に避難したのは、約8000人(当時の人口21,434人)。

 避難指示が解除されてもすぐ戻るのは2,500世帯5,000人ぐらいと想定している。昨年夏実施した帰還意向調査では、①戻らない 48.4%  ②判断つかない 24.6%  ③戻りたい 17.6%  ④無回答 9.4%。

 復興に向けて、自宅再建者向け分譲地と公営住宅を整備している。もらった資料では、・津波被災地での防災集団移転を促進、共同墓地を移転 ・働く場、生活の場をつくる ・医療施設、各種サービスの配置検討と担い手の確保 ・多様な業種の事業再開を働きかけ  ・思い切った税の減免措置などの優遇措置の整備を国へ要望  ・犠牲者を追悼し、原発事故の教訓を伝える復興祈念公園を整備、が町作り計画に入っていた。

 次回のレポートは無人の浪江町の様子や請戸小見学、希望の牧場・吉澤さんのお話になるが、復興に向けての課題の大きさ・困難さを感じざるを得ない。

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コメント

「結果的に線量の高い津島地区に避難し、住民が被曝した」胃や肺のレントゲンでも被曝します。それで何か起こったのですか?地球上にいれば日々、被曝していますがな。
「3.11の夜、警察官や自衛隊は防護服を着ていたが、我々には何も教えてくれなかった」何処へでも行って良い人と、わざわざそこに送り込まれ留まる事を義務付けられた人との違いでしょう。海保の海猿もウエットやドライスーツを着ていますが、助けられる人は着の身着のまま。同じ事ですな。

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