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2016年2月13日 (土)

2016年1月末~2月上旬 辺野古・高江レポート その6 国際的な高江テント

 1月30日午後、高江N1テントに行った。防衛局の工事は完全にストップしていて、相変わらずのどかなで心休まる高江だった。

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 辺野古の座り込みには大勢の人が駆けつけるが、高江は動きがないので、訪れる人は少ない。それだけに訪問客とテントの中でゆっくり話せる。座り込みに参加している常連さんとも、色々な話ができ、僕はその会話から多くのことを学んでいる。

 30日(土)は、台湾の若者3人が来てくれた。最初日本人と間違うほど日本語が上手な若者が、テント当番の琉球大学生と話をした。彼らの会話を聞いていると、その若者は1年間琉球大に留学した経験があり、大学の先生で日曜日にテント当番をしてくれているA先生から高江のことを聞き、ときどき高江に足を運んでいることが分かった。

 今回は、台湾の友人と一緒に沖縄旅行に来て、高江に寄ってくれたのだった。彼ら(女性一人を含む)の写真を撮り忘れたのが残念。

 台湾は民主化が進み、原発の反対運動も盛んに行われている。浜岡原発再稼働を認めないで署名をお願いしたら、快く署名してくれた。

 元琉球大留学生以外の若者は日本語は話せないが、英語で色々なことを話すことができた。難しい内容は、通訳してもらった。

 現在の沖縄の状況・沖縄の闘い・日本政府の狙いなど、かなり突っ込んだ説明ができたと思う。

 夕方5時半過ぎに韓国の友人「イルカ」君が子どもさんを伴ってやってきた。彼らは車の中で監視当番をしてくれる。明日那覇に戻り、韓国に帰ると言うのに、ぎりぎりまで高江のために活動してくれる「イルカ」君親子に頭が下がる思いだ。

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 僕は6時ごろ高江を離れ、夕食を済ませて宿の「海と風」に夜8時半ごろ戻った。大勢の人たちがテレビのあるリビングルームにいる。今晩はと挨拶をすると、今晩は、と返事が返ってきたので、そのグループの人たちは日本人だと思い込んでいた。

 お風呂に入ってから、ビールを飲むためにリビングルームに行き、話しかけると日本語が通じない。英語で話しかけると、香港から自転車のツーリングを楽しむために沖縄を回っている一行だと分かった。

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 左すみでカンビールを手にしているのが僕。写真を見ただけでは全員日本人のように見える。

 香港の中国人は大陸の中国人と違い、民主化が進み、政治意識も高いだろうと、辺野古の基地問題や沖縄の米軍基地問題を話したが、彼らはあまり興味がない様子。サイクリングを愛する普通の香港人だった。

 とても話しやすく、日中友好に繋がると思い、楽しくおしゃべりを楽しんだ。僕も以前はサイクリングを楽しんでいたので、彼らの自転車について質問したところ、香港から持ち込んだものでなく、那覇でレンタルしたとのこと。翌朝彼らの自転車を見ると、新品で本格的なサイクリング用自転車だった。

 日本人の僕が、沖縄で本格的サイクリング自転車をレンタルできることを知らなかった!

 そういえば、高江でも辺野古でもテント前を通過するツーリストをよく見かける。自分の自転車を持ち込んでいると思っていたが、飛行機に持ち込むのは大変だ! おそらく多くの人たちは、レンタルバイクを利用していたのだ。

 僕も座り込む必要が無くなったら、のんびり自転車で伊江島や久高島、もちろん沖縄本島一周をしたいものだ。

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