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2016年4月

2016年4月29日 (金)

5月3日憲法記念日袋井市での取組

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 昨日28日に、宣伝カーで5月3日半田滋さん講演会の案内をスピーカーと 看板で広報した。袋井では超党派で市民のつどい実行委員会をつくり、今年で30回目の取組となる。
 鈴木さん、戸倉さんの後を受け継ぎ、僕が実行委員会をまとめる責を担うことになった。下記はチラシ作成のために書いた原稿。ちらしをアップしたいのだが、僕のパソコン技術では上手くいかないので、原稿をコピーする。
 多くの市民が参加してくれることを期待している。もちろん、市外の方も歓迎します。

2016年憲法施行69 第30回憲法記念日袋井市民のつどい  30周年記念講演会

演題 『 日本は戦争をするのかー集団的自衛権と自衛隊 』

講師 東京新聞論説委員・半田滋さん

日時:53日(火)午後1時半~4

会場:袋井市総合センター4階大会議室

入場無料 事前申し込み不要

講師プロフィール

半田滋(はんだ・しげる)
 1955年(昭和30)年生まれ。東京新聞論説兼編集委員。獨協大学非常勤講師。9 2年より防衛庁取材を担当している。2007年、東京新聞・中日新聞連載の「新防人考」で第13回平和・協同ジャーナリスト基金賞(大賞)を受賞。

 

 安保法制が昨年9月に成立し、法律的には自衛隊が後方支援・駆けつけ警護とはいえ海外で戦争ができる様になりました。しかし日本国憲法9条は、戦争放棄を定めています。

 安保法制と憲法との関わり、今後自衛隊が具体的にどう変わっていくのか、日本は本当に戦争する国になるのか、などについて防衛問題の第一人者である半田滋さんに分かりやすく話していただきます。

 講演は1時間30分。その後質疑の時間を十分とってあります。日本を取り巻く環境並びに日本の政治状況が厳しくなり、今後日本はどうなるのだろうかと不安感をお持ちの方は多いと思います。

 せっかくの休日ですが、多数の皆様方のご来場をお待ちしています。

 

主催 憲法記念日袋井市民のつどい実行委員会

  代表代行  竹野昇  電話 0538-43-3456

後援 袋井市 袋井市教育委員会 中日新聞東海本社 朝日新聞浜松支局

   静岡新聞社・静岡放送 

2016年4月28日 (木)

自分が住む地域の課題  高齢化対策

 僕が住む袋井市駅南の高南地区は、袋井市の中でも高齢化率が高い。40年以上前に、静岡県が住宅地分譲団地として開発した地区なので、当時家を建て住み着いた人は、30~40代がほとんどで、その子供を含めると袋井市でも最も若い世代が集まる活気ある地区だったが、今ではその世代の大半が70代を超え、子どもの世代が都会にでたまま、あるいは二世帯住宅には少し狭い宅地故に地区外に住み、若い世代や子どもが少ないのが原因である。
 僕の家族も同じ。息子・娘が結婚し、浜松市・東京に住んでいる。妻と僕の二人家族。恐らくあと30年後(ひょっとすると20年後かも?)、僕たちが死んだあと、今の家は空き家になるだろう。娘はいわゆる嫁いで行ったので、帰ることはあり得ない。息子夫婦も子どもができ、生活の基盤が東京にできたので、退職後も戻ることはないだろうとみている。
 僕たちと同様な家庭が多いのが、高南地区の特徴である。後10年後、20年後、地域の平均年齢は、80歳から90歳の間となることが予想される。(新住民が入ってこなければ。)
 3年前、ある婦人から「砂本町(僕が住む町)は限界集落。どうすればよいのですか?」と問われ、うまく答えられなかった。
 それ以降色々考え、まとめたのが下記の構想案である。すでに地区の何名かには話してあるが、ボランティアをやってくれそうな人や自治会長などを訪ね説明し、賛同・協力を得たいと考えている。
 

仮称『高南見守りちょいお助け隊』構想案

趣旨 高齢化が進む高南地区で、自力で買い物に行けなくなっても、またゴミ(資源ゴミ含む)出しが困難になっても、遠方に住む子ども世代が帰る見込みがなく一人暮らしになっても、安心して自宅で暮らせるよう、地域のボランティアが「見守り・ちょいお助けする」システムを確立し、互いに支え合って生きる地域を作る。

見守りちょいお助け隊ボランティアの構成

 高南地区の住民で、定年退職者。年齢・性別は問わないが、車の運転ができる方。65歳から75歳までを想定しているが、75以上でも元気な方は歓迎。

「高南見守りちょいお助け隊」のシステム

・ボランティアを募集し、町内事のボランティア名簿を作成。

・手助けが必要な方が、事務局に電話し、要件を伝える。

・事務局が、依頼者の近くに住むボランティアに手助けを要請。

・ボランティアが依頼者に電話し、伺う時間等を互いの都合がよいように調整。

・依頼の作業が終了したら、ボランティアが事務局にその旨電話。

・事務局は日々の活動を記録する。

 

どのような活動ができるか(何を依頼できるか)

・マックスバリューやとれたて倶楽部など、近いお店での買い物支援

・橋本内科など近くの医院への送迎

・ごみ・資源ごみ・ダンボール・新聞雑誌などを出す

・時々お話し相手になる

・散歩に同伴

・見守りが必要で依頼者の希望がある場合、時々電話したり・家庭訪問

・その他あまり時間や労力を要しないお手伝い

 

システムの作り方・位置付け、その他検討課題

・将来的には袋井市に認定され助成金が交付されるシステム(組織)を目指すが、最初は自主的なボランティア組織からスタート。当面は、高南連合自治会に認定され、その下部組織として予算をつけてもらえるように努力する。NPO法人化も検討。

・連合自治会に認められたら、事務局の専用電話を公民館に設置。その際はボランティアが公民館に詰め、電話を受ける。それまでは、個人の自宅に事務局を置く。

・ボランティアは無償であるが、10回活動に参加したら、和の湯の無料入浴券を出せるようにしたい。

・万が一の交通事故などに備え、保険に入るがその費用をどうするかが大きな課題。当面は個人の自動車保険で対応するほかない。

・上記との関連で、買い物・医院の行ける範囲を限定する。例えば高南地区から1キロ以内。

 

 

 

高南地区活性化構想案(高齢化生き残り構想私案)

 

 仮称『高南見守りちょいお助け隊』構想は、当面の対策であり、将来を見据えた広い観点からの高齢化対策が必要である。また『ちょいお助け隊』構想を確実なものにし、永続させるために、高南地区の活動・事業を袋井市のモデル事業化(モデル地区指定)を目指す。

 

【健康寿命85歳以上!を目標に、高齢者が自らの心身の健康を保つ努力をする】

 

 見守りやお助けの世話にならず、介護保険を使うことなく、また家族の世話にならず、生活が自立できる、健康で元気・いきいき(生き活き)と自宅でいつまでも暮らせるのが、誰もが願う幸せ。そのことは、本人はもとより家族、地域、袋井市、静岡県、日本全体の幸福度を高めることにつながる。

 

具体的方法  食生活・運動・他者との交流・知的好奇心・ボランティア活動

 

 あ)食生活  バランスの取れた食生活

 

 い)運動   町内のラジオ体操・ウオーキング・各自にあった運動・体を動かす

 

 う)他者との交流   人とおしゃべり・引きこもらない・歌や将棋囲碁トランプなどを他者と行う・町内の祭りやイベントに積極的に参加

 

 え)知的好奇心=チャレンジ精神   今までやったことがない新しいことに取り組もうとする

 

      気持ちを失わない・パソコン・スマホ・公民館の講座参加など

 

 お)ボランティア活動  高南見守りちょいお助け隊の活動に参加・ 他のボランティア活動に積極的に参加。  人の役に立っている・まだ自分が社会・地域に貢献できるとの自覚が、人間を若々しく活性化させ、生きがいにつながる。

 

【個人の努力以外の活性化案】

 

 あ)町内の集会所を活用   集会所を「たまり場・サロン」に活用。飲み物やお菓子類を各自持参し、おしゃべりや囲碁・将棋・かるた・トランプなどゲーム、さらには皆で歌を歌ったり、カラオケなどを自由に楽しめるようにする。

 

 い)小笠沢川堤防を整備   車いすやベビーカーなどで散策できるように堤防の道を舗装。段差をなくす。転落の恐れがある箇所にフェンス設置。支援学校の北側からコメリの裏側につながる道を整備(橋が必要)して、高南地区南側小笠沢川1周ウオーキング道に整備。

 

 う)シニアカーでもマックスバリューへ買い物に行けるよう、道路の整備と、車の速度30ないし40キロ以下のスピード制限厳守徹底。

 

空き家・さら地対策=外からの移住促進案】

 

 あ)袋井市以外、特に大都市の定年退職者が高南地区の空き家・さら地を購入し、移住してもらえるよう、先ずは情報発信する。次に、市当局と話し合い、以下は政策化・予算化が必要になるが、移住者に一定期間の減免や市民農園の貸し出し、和の湯入浴券(10回分)の支給、可睡斎・油山寺の無料入館券や法多山団子無料購入券の支給などを検討する。

 

 い)市民農園を造成するため、袋井駅から高南地区の間の荒れ地や休耕田を市に地主から借り上げてもらい、多少広めの市民農園を作る。耕作者の意欲により土地の広さを選べるよう、30,40,50,60,100坪までの区画を整備。移住者は1年間無料も検討。元から住んでいる住民も安く借りることができる。

 

 う)子育て世代の移住者には、さらに移住支援金(助成金)を支給できるよう、市に要望。

 

 え)袋井駅南口から小川町までの農道を、大雨が降っても冠水しないようかさ上げ。さらに車・自転車・歩行者が安心して通れる程度まで拡幅し、交通の利便性を図るため、高南連合自治会として市に要望。

 

 え)袋井市・高南地区の魅力を市外・県外に積極的に情報発信する。市のホームページ活用。

 

《 移住者を増やす高南地区魅力・宣伝の売り(セールスポイント) 》

 

1) 交通の利便性  日本のど真ん中。駅・高速道路・新幹線駅に近い

 

2) 自然環境  周辺に田んぼ・農地、小笠沢川、小笠山、原野谷川があり、空気がきれい。   散策・ウオーキング・サイクリングに適している。

 

3) 文教地区  近くに幼稚園から小・中・高・大学、支援学校、看護学校がある。

 

4) 地価が安い  都会の家や土地を売って、新たに土地・家を購入しやすい。

 

5) 地域福祉(見守りちょいお助け隊)が充実

 

  紅紫萩やあんしん館など福祉施設もある。

 

6) 近くに温泉やプール、体育館、グランド、スポーツジム

 

7) 文化施設(労働者福祉センター・高南公民館)で文化活動や、自分の特技を活かした定年退職後の生きがい活動ができる

 

     知識・特技を活かし、上記2つの施設で文化講座を開く。小・中・高・支援学校の部活や学習支援のお手伝い。体育館やプールでスポーツインストラクチャー。

 

8) 市民農園で家庭菜園、土いじりを楽しむ

 

 

 

 

 

2016年4月26日 (火)

4月23日広瀬隆講演会及び避難の権利を求める全国避難者の会リレートーク報告 続続

 夜の懇親会

 

 17:30より、会場を労政会館5階展示室に変え、約2時間、全国避難者の会の人たちとの懇親会が開かれ参加した。最初に今年1月に94歳で亡くなられた長野榮一さんをしのぶ映像が流された。静岡県で最も長く、最も熱心に浜岡原発と闘ってこられた先輩の懐かしい映像を見て、彼の意思を受け継ぎ、再稼働を絶対に阻止しなければならないとの決意を新たにした。

 

 長野さんへの献杯の後、ビールを飲みながら歓談。僕の席は中手さんと堀川さんの間だったので、色々おしゃべりすることができた。

 

 後半は話したい人が簡単なスピーチ。それぞれ取り組んでいることや思いを話した。僕は「自分は福島の人々や皆さん方のように避難されている人たちに何もできないが、静岡県民の責任として浜岡原発の再稼働をストップさせたいと考えている。」と延べ、静岡県における運動の紹介をした。

 

 最後は参加者全員の記念写真を撮った。

 

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「原発事故被害者の救済を求める全国運動 請願署名」について

 

 講演会の前に、福島市から京都に避難されている宇野朗子さんが署名の協力アピールを行った。今手元にその署名用紙がある。よく読むと彼女がその共同代表。さらに9月いわき市を訪問する際、お話を伺う予定の佐藤和良さんも共同代表とある。

 

 実は23日当日会場で署名を集めていたが、片づけの手伝いをしていて署名ができなかった。署名用紙はコピーでは無効とあるので、その署名用紙を取り寄せ、協力したいと考えている。5月に県ネットの世話人会があるので、そこでも皆に提起したい。

 

 請願項目

 

1. 原発事故避難者の無償住宅支援の継続を求めます。

 

2. 住民の意向を無視した、早期の避難指示区域の解除と賠償の打ち切り方針の撤回を求めます。

最低限、国際的な勧告に基づく公衆の被ばく限度である年1ミリシーベルトを満たすまで賠償や支援を継続すべきです。

 

3. 福島県内外における健診の充実・拡大と医療費の減免を求めます。このため「原発事故子ども・被災者支援法」第13条第2項第3項の具体化のための立法措置を求めます。

 

 

 宛先は衆議院議長、参議院議長、内閣総理大臣、復興大臣。要求項目は当然の内容だと思う。我々静岡県民も浜岡原発事故が起きれば、同じ状況に置かれる。福島の切り捨てを傍観したら、その結果は自分たちにも降りかかる。

 

 署名の問い合わせは、国際環境NGO FoE Japan

 電話 03-6909-5983  ファックス 03-6909-5986

 メール info@foejapan.org

 

 関心のある方は是非上記に連絡して署名集めに協力しましょう。

*今日26日はチェルノブイリ原発事故から30年になる日。現地では原子炉を覆う石棺が崩壊熱でボロボロになってきたので、さらに石棺を覆うドームの建設が進んでいる。

 放射能で汚染された村や町は、今もゴ-ストタウン。原発事故がいかに恐ろしいか、いわば歴史の生き証人となっている。

 福島原発事故から5年が過ぎた。後25年後、つまり事故から30年後、福島県の浜通りはどうなっているのだろうか?

 

4月23日広瀬隆講演会及び避難の権利を求める全国避難者の会リレートーク報告 続き

長谷川克己さんーー郡山市から富士宮市へ家族4人で。郡山で福祉施設を経営していたが、子どもを守るため施設をたたみ避難している。肉親も含めて周りから色々なことを言われた。「故郷を捨てるのか」と。しかし子供を守るために避難を決断した。

 自主避難者への住宅支援が来年打ち切られようとしている。この理不尽に屈するわけにはいかない思いで、全国避難者の会立ち上げに関わった。

 政府・福島県は信用できない。

 【 長谷川さんはリレートークの司会をされた。3・11アクションでは、堀川さんと共に、県政記者室での記者会見・知事公室での再稼働に同意しないことを求める要請行動・中電への抗議行動を、私たちと一緒にやってくださった。静岡県内に避難されている方の中で、最も積極的に声をあげ、対政府交渉や東電の責任を追及する活動をされている。富士宮でも福祉施設を経営されているので、公私ともに忙しい生活を送られている。

 6月26日、袋井にお招きし、お話を伺うことになっている。 】

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  上が長谷川さん。

 

中手聖一さんーー福島市から札幌へ。長崎大の山下教授は放射能を恐れることはないと、福島で安全キャンペーンを繰り広げたが、全くウソ。今彼は福島県で講演をできる状況ではないが、しかし裏で画策している。

 政府の住宅支援打ち切りは、自主避難者に『被ばくか貧困を選べ』と言っているに等しい。福島県では除染で大きな金が動き、「放射能がアヘン」のようだ。故郷が変わってしまった!

 このような現状になっていることに対し、子ども達に申し訳ない思いから積極的に発言するようにしている。

 【 中手さんは全国避難者の会の共同代表。講演会に先立ってあいさつもされた。夜の懇親会の際、席がたまたま僕の隣だったので、色々お話をすることができた。自主避難者は全国に散らばっているが、札幌に一番たくさん避難者が住んでいる。北海道に戻ったら、札幌の避難者の集まりを持ちたい、と話された。】

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  中手さん。とても雄弁な方だ。

 

 夜の懇親会

 

 

 

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 内容は次回報告します。

2016年4月25日 (月)

4月23日広瀬隆講演会及び避難の権利を求める全国避難者の会リレートーク報告

4月23日広瀬隆講演会・「避難の権利を求める全国避難者の会」リレートーク

     参加レポート

 

 静岡労政会館6階大ホールで、午後1時半から開催された上記の講演会とリレートークに参加した。広瀬さんの講演会に先立って、湖西市長・三上元氏の挨拶があった。

 『 原発は戦争になったら、真っ先に狙われる。もし原発がミサイルで攻撃されたら、日本はめちゃめちゃになる。安全保障の観点からも、日本は原発をやめるべき。』 三上節がさく裂したが、全くその通りだと思う。

 広瀬隆さんの講演はパワーポイントを使い、分かりやすくかつ江戸っ子弁で歯切れがよかった!

1時間半以上のお話を要約するのは困難なので、印象に残りメモをとった内容のみ報告したい。

 

 ・原発事故は避難できない。浜岡原発から31キロ圏94万人が車で避難したら大渋滞。避難者は同じことを考える。恐らく東名高速に殺到する。2009年8月、マグニチュード6.5の駿河湾地震で東名の路肩が崩壊した。南海トラフ巨大地震ならマグニチュード9以上。液状化・津波・橋崩壊などで、通行不能の箇所がいっぱいできる。皆さんは逃げられない。

 

 ・熊本地震では、タテ1.5メートル、ヨコ2メートルと地盤にずれが生じた。震源域の真上にある浜岡原発は、中電の安全対策工事は何の役にも立たない。原子炉の制御棒が入らない、冷却用水の配管が破断、無数のパイプが損傷し、制御できなくなる。

 

 ・防波壁は津波に耐えられない。津波は巨大な岩のような力で防波壁にぶつかる。その力は東日本大地震による津波で証明されている。東北の防潮堤はいとも簡単に破壊された。津波は引く力も巨大だ。中電が3000億円かけて作った防波壁はとても持たない。

 

 ・浜岡の使用済核燃料の保管場所は、もし再稼働したら後2~3年で満杯になる。持って行くところがない。

 

 ・東海大地震は30年以内に88%の確率で起きる。今すぐ起きるかもしれない。再稼働はあり得ない。

 

 ・電力自由化は一種の「住民投票」。原発を動かそうとする電力会社の電気を選ぶのか、他の新電力を選ぶのかの「住民投票」だ。

 

 発送電分離ができていない現在は、原発の電気も再エネの電気も交じる。2020年発送電分離が実現すれば、状況が変わる。今は様子見の家庭が多いが、信頼できる新電力会社が増えれば、「住民投票」のように、原発に依存する電力会社から新電力を選択する家庭が確実に増える。

 

 ・電力会社の利益の7割が、家庭から。7割の利益を得ている家庭の64%が新電力に契約変更すれば、大手電力会社の利益45%が吹っ飛ぶ!

 

 ・技術革新でガス・石炭をエネルギーとする火力発電の二酸化炭素排出量が減少。コンバインドサイクルによるガス発電所なら、60%が電気や暖房熱などのエネルギーになる。

 

 ・天然ガスの埋蔵量は数百年分あり、産地がカナダ、オーストラリア、マレーシア、中東、アフリカ、ロシアと各地に分布している。安倍首相は中東からの石油輸入を軍事力で守ると、自衛隊が海外で戦争できるようにし、軍事力の増強を図っているが、ガスは一極に集中していないから、安全である。

 来年からアメリカのシェールガスも入ってくる。中国にもアメリカの2倍のシェールガスが眠っており、中国との平和的関係構築が大切。

 

 ・大企業の多くが自家発電を持っており、「全国電力プール」の四分の一を企業が持っている。プロパンガスと都市ガスの比率は1対1であるが、利用者の面積では95%がプロパンガス。全国にたくさんあるプロパンガス会社が企業から電気を買い、電気を販売するようになれば、飛躍的に原発依存の会社から消費者が離れる。

 そうなれば大手電力会社も消費者の動向に従わざるを得なくなる。静岡県では西部のサーラエナジー、中部の静岡ガスやLPガスを販売している鈴与が電気を販売している。

 

 【 筆者注。 僕は静岡ガスの子会社である袋井ガスと先日契約し、5月24日から中電からおさばらする。袋井の友人は、3月にLPガス会社と契約し、すでに中電から電気を購入していない! 】

 

《 避難の権利を求める全国避難者の会 リレートーク 》

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 8名の方がそれぞれ7分、各自の思いや置かれている状況を話された。

 

宇野明子さんーー福島市から京都に自主避難。静岡県の天竜にある国立病院勤務経験あり。三島市であった反原発集会に参加し、原発と向き合うようになった。

 事故前、「廃炉アクション福島」を始めた。原発のことを勉強していたので、事故が起きた時すぐ避難。山口、福岡、そして現在の京都府木津川へ。政府は自主避難者への住宅支援を来年3月で打ち切ろうとしているが、福島に戻るか、避難を続けるのかは、各個人の選択の権利があるはず。

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宍戸俊則さんーー 伊達市から北海道へ。高校の教師をしていたが、生徒に放射能のことを話せない福島県の教育の在り方に怒りを感じ、また本当のことを生徒に話せない状況に絶望し、辞職して北海道に移った。3月12日、全てのマスコミは浜通りから逃げた。従って、原発が爆発した状況の真実は、伝えられていない。歴史の空白となっている。

 浜通りの高校生がオリンピックの聖火ランナーとなることが、マスコミでさも美談であるかのように報道されているが、あれはやらせだ! 高校生のほうから自ら望んだわけでない。

 帰還を促す県当局も自治体の首長も信用できない。マスコミ報道も。妻はPTAの役員だったが、放射能のことを話すと校長から注意を受けた。

 

脇ゆうりかさんーー千葉県松戸から三重県へ。松戸から自主避難しているが、他人は「え、何故?」と不思議がる。変人扱いされる。しかし松戸も汚染されている。特に土壌が。線量が高いところがある。子ども達の甲状腺ガンが心配だが、松戸では甲状腺検査の助成が得られるようになった。9月には、夫の転勤で三重から松戸に戻らなければならない。

 

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堀川文夫さんーー浪江町から富士市へ。塾の先生をしていた。子ども達はバラバラに避難しているが、困難を抱えている。元気を取り戻してもらうために、子ども達と山形県飯田町に保養に行った。飯田町では親切な対応、支援をいただいた。

 福島県庁に子ども達の保養の件で相談したところ、県内でないとダメだと言われた。妻は避難生活でうつ病になり、その件で東京電力と話したが、「勝手に県外に避難したのだから、医療費の助成や支援はできないと非常に冷たい対応だ。

 双葉町に「福島未来学校」ができたが、そこは原発から22キロしか離れていない。県は子どもを利用して帰還を進めている。

 

草野さんーーいわき市から東京へ。今回の総会で8歳の次男と静岡県に来た。子どもはつつじの花の蜜が大好きだが、福島のそれは汚染され、食べさすことができない。しかし静岡ではそれができたのでうれしい! 

 2万人が自主避難している。しかし政府は来年3月でそれを打ち切ろうとしている。福島に戻るか、移住するかその選択を迫っている。内閣府と交渉したが、「戻りたくなければ勝手に移住しろ。政府は支援しない。」と言わんばかりに冷たい対応だ。

 避難の権利を求める運動は、人権を守る闘いだと思う。

 

松本徳子さんーー郡山市から神奈川県川崎市へ。東京の妹から電話があり、娘を東京に避難させた。主人は仕事の関係で郡山市に残っている。娘は鼻血が出た。今は娘と川崎に住んでいる。

 

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この後、長谷川克己さんと中手聖一さんが話されたが、長くなるので、夜の交流会(懇親会)の様子を含め、次回この続きをレポートしたい。

 

2016年4月21日 (木)

原発を止めるのは容易ではない  静岡県の取組

 九州であれほど地震による被害が出ていても、原子力規制委員会及び安倍政権は、川内原発を止めない。
 それどころか運転開始から40年を超えた関西電力高浜原発1・2号機も許可を与え、動かそうとしている。
 原子力規制委員会は、名前を「原子力推進委員会」あるいは「原発再稼働委員会」に変えたほうが良い。
 静岡県浜岡原発にも今年秋以降か来年早々、「規制基準を満たしている」と、再稼働のお墨付きを出すだろう。
 僕たちは何とかして再稼働を阻止すべく、色々な取り組みをしている。その一つが、下記にコピーする「スピーディの活用」と「広域避難計画問題」である。
 写真は4月12日、県庁危機管理部原子力安全対策課とのやりとりの様子。
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 以下の文は県ネットのメーリングリストに投稿するために12日夜から13日朝にかけて作成した物。

4月12日、危機管理部原子力安全対策課に、スピーディの活用に関する要望書提出と、2月25日にupz市民団体交流会が出した広域避難計画に関する要望及び質問書への口頭回答並びに安全対策課との意見交換会の報告。【  】の部分は補足説明と僕の個人的意見・感想です。

 

1) スピーディー

 

1) 静岡県としてスピーディの活用を正式に表明し、それを実際の原発災害広域避難計画に活かしてください。

2) 全国知事会でスピーディの気象庁移管問題を取り上げるよう働きかけてください。

3) 静岡県単独でも、国に対し気象庁への移管を要望してください。

 

《正式な要望書は今日のブログの一番最後にあります。川勝県知事が翌13日の記者会見で、記者の質問に答える形で、「県として活用したい」と答えました!》

 

*応対したのは安全対策課課長の植田氏、課長代理(補佐)の望月氏、課員の小沢氏の3人。

知事あての要望書なので、回答は5月中旬に求めている。職員の感触をさぐるため、以下の質問をした。

「3月上旬、国が、活用を望む自治体があれば認めると決定したが、県庁では活用に関し話し合いが行われたか?」

 課長「やっていない」。日本気象学会のスピーディ活用すべしとの提言書を渡して、簡単に説明したところ、気象庁への移管に関し、植田課長は興味を示した。

 

 【 実は気象学会の貴重な資料はすでに昨年末に危機管理部に渡してある。11日、危機管理部に電話し、新しい課長やメンバーにその存在を知らせてほしいと神村さんに頼んでおいたが、3人の新しい課員はもっていなかった。そこで、3人分の資料を渡した。取材に来てくれた2社とフリージャナリストにも渡した。

 インターネットで「日本気象学会」を検索すれば、彼らの提言全文を見ることができます。昨年3月にも、同様な意見書を公表しています。

 国や原子力規制委員会は、スピーディを使わない方針です。しかし自治体が使うのは拒まないという。問題は、避難指示は国が出し、それに基づいて県・市町が実際の避難指示を出す、現在のやり方です。これでは、スピーデーにより、この地域が危ない、早く住民に避難指示を出したいが、県が住民の被ばくを避けるため早く避難指示を出せば、県または自治体が勝手に避難命令を出したことになります。

 役人は責任逃れを求めるのが常です。恐らく、滋賀県がはやばやとスピーディを使わないと表明したのも、ここに原因があると思います。

 実際、なくす会の林さんたちが3月に危機管理部と話し合いを持った時も、拡散予測が間違っていたら責任問題になると、役人はそのことを恐れていたようです。

 しかし、気象庁がモニタリングポストによる実測値と気象状況による予測を入力すれば、かなり正確な拡散情報が出せます。気象学会の専門家はこの点、かなり自信を持っています。県の役人の責任問題もかなり解消されます。

 

 この問題は、単に静岡県の問題だけでなく、全国問題です。気象庁移管は、全国の原発を抱える県・自治体・市民団体が、国に対し粘り強く要望を出さなければ、実現しません。先ず、静岡県内の各自治体が川勝県知事に活用要望をあげるよう、各市民団体が市町に働きかけてほしいと願います。5月中旬に県知事の回答が出る予定なので、できるだけ早いほうが良いです。】

 

 この後、前回の要望書に沿って、話し合いを進めました。冒頭、植田課長のほうから、今回は口頭でするが、後で文書で回答したい、今日私が話すことと文書回答が若干違うかもしれないことを了承してほしいとの発言あり。今回は意見交換が主な目的なので、こちらも了解しました。

 

2)

  浜岡地域原子力災害広域避難計画に関わる要望及び質問書(その4)

 

 

1.被曝せずに避難できる計画の作成を改めて要望します

 

県の避難計画案は住民の被曝を前提とした実測避難になっており、私たち住民とりわけ子どもや若い世代に受け入れられるものではありません。このような計画は住民の不信を招き、万一事故が起きた時は大混乱になって、被害をより大きくします。

 年間1ミリシーベルトの法定線量限度を超える被曝を強いることは、明らかに人権侵害であり、住民が被曝しないで事前避難できる計画を作成するよう要望します。もし作成が無理だとの認識なら、その理由を示してください。

 被曝せずに避難できるようにするにはスピーディの活用が不可欠ですが、前回の質問に「県としては、予測の有効性を認識しているところであり、スピーディ等予測的手法の活用については、全国知事会等を通じて、他都道府県とともに国に要請をしていきます」と回答をいただきました。この要請課題は進展していますか。もし進展していない場合、その理由をお答え下さい。

 

*掛川の主婦から500マイクロシーベルトに達するまで屋内退避、被ばくしながらの避難は到底認められない、この点県の職員はどのように考えているのか個人的な意見でよいから聞いてほしいとの要望があり、それも伝えました。

 

課長「 事故が発生したとき、プルームがまうので、外にいるより屋内退避のほうが被曝を避けることができる。500マイクシーベルトの問題は、100がよいのか、200が良いのか、500の中間がよいのか、バナナの叩き売りのようで、その線引きは難しい。」

 

2. 県が出している避難計画案の下でのシミュレーションの実施、さらには最悪事態を想定したシミュレーションの実施を要望します

 

  1月27日県が示した避難経路で、さらには東西16か所での避難退域時検査及び除染(スクリーニング)を実施して、1家族車1台3000台毎決められた順番で、要援護者は主として行政が用意したバス等で、18歳未満の子どもがいる家庭は市町がヨウ素剤を配布する場所まで取りに行き子供に服用させたうえ、当座の食料・衣類・貴重品をまとめて避難することを条件に、31キロ圏外に避難するのにどれぐらい時間がかかるか、シミュレーションを実施してください。

 福島県では子どもの甲状腺がんが167人(疑い含む)発見されています。子ども達が(妊婦を含め)被曝することなく、安全に避難できる体制を作るには、上記のシミュレーションが不可欠だと考えます。

 また津波・地震・原発事故の複合災害を想定したシミュレーションも求めます。津波で通行不能な道路、橋が滑落する恐れがある道路、液状化などで通行不能の恐れがある道路なども考慮し、さらには風向きにより東西2方向に避難できない最悪事態を想定したシミュレーションを実施してください。

 もし、シミュレーションを行なわないと回答されるなら、その根拠・理由を示してください。

 

課長「シミュレーションは委託する。県ではできない。費用の問題がある。」

 

3.避難退域時検査・簡易除染(スクリーニング)に関してお答えください

 

現在所有するスクリーニング機材を用い、県が予定している16か所で、11市町の住民と車を全て検査、必要に応じて除染する場合、一番早く終えられると見込める地点で所要どれぐらいかかるのか、対象者・車両が多く一番時間が要すると想定される地点でどれぐらいの時間がかかるのか、教えてください。

 9日の学術会議で、スクリーニングの箇所を増やすことを検討していると話されましたが、いつごろまでにそれは決まるのですか。

 3月公表される避難計画案には、具体的検査・除染場所が示されますか。

 私たちは風向きにより、避難経路を変えるべきだと考えます。従ってスクリーニング場所もその時の状況で変えたほうがより実効性があると思いますが、県はどのように考えますか。

 浜松市、静岡市でスクリーニングをする際、両市の職員も検査要員となるのですか。

 また、別紙原子力複合災害時の避難退域時検査・簡易除染に関する質問用紙にお答え下さい。

 

課長「現在検討中であり、今答えられる状況にない。」

 

*こちらから「検査を受けなかった住民は、避難所に受け入れてもらえないのか?また自主避難者として補償の対象から外れるのか?」との質問を出した。

 

 課長「検査を受けていなくても避難所で受け入れないことはない。受け入れる。補償の問題は管轄外なので答えられない。」

 

 

4.事業者(中部電力)の避難計画への具体的協力を教えてください

 県が策定中の避難計画には、事業者(中電)が避難退域時検査及び簡易除染に具体的にどのような協力をするのか明記されていません。スクリーニング機材を提供するのか、検査要員を派遣するのか、事前の職員研修に協力するのか、また県が具体的に中電に要請していることがあれば、教えてください。  私たちは中電が引き起こす事故に伴う避難対策・対処には、事故に責任がある中電が費用負担すべきだと考えますが、県はこの点どのように考えていますか。

 

課長「中電に県が金を出せと要求することない。原子力安全対策課が、(スクリーニング資機材購入の)金を中電からもらえばおかしなことになる。」

 

5.要援護者避難のバスが何台必要で、何台用意できるのか、運転手の確保ができるのか教えてください

 

   病院の入院患者、社会福祉施設の入所者、在宅の要配慮者で家族の支援が受けられない人、学校等で家族に引き渡しができない児童らの避難につき、それぞれの施設で必要な車両が確保できない場合、県及び市町がバス・福祉車両等を確保することになっています。自家用車で避難できない要援護者も含め、具体的にバスが何台必要で、県内で何台確保できるのか、福祉車両が何台必要で、県内で何台確保できるのか、また運転手が確保できるのかも教えてください。

   また、バスはどの段階で当該施設に配置されるのですか。

 

課長「検討中」

 

 

6.住民参加の避難計画を要望します

 

   行政が一方的に避難計画を策定しても実際に避難するのは住民です。住民の理解・協力なしでは、混乱なく速やかな避難、さらには受け入れ先での秩序ある避難生活が到底見込めません。

   イ)4月以降市町の避難計画策定にあたり、住民参加の避難計画策定となるよう、県の指導を要望します。

   ロ)また、内閣府が地域防災計画の充実に向けた今後の対応として、原子力発電所の所在する地域ごとに、課題解決のためのワーキングを速やかに設置し、(中略)避難計画の充実化を支援するとしていますが、このワーキングは御前崎市だけに設置されるのか、UPZ圏内全てに設置されるのか教えてください。

   ワーキングに住民の代表が入れるよう要望します。

 

課長「住民の中にも個人により考えに違いがあり、難しい。」

 

 

7.計画に沿った避難訓練の実施を要望します

 

   2月3日の原子力防災訓練はわずか300人が参加しただけで、これでは実際の避難時に94万人がヨウ素剤の配布、放射能汚染検査・除染をうけて、混乱なく速やかに31キロ圏外、さらには指定された避難先に避難できるかどうかは分かりません。

   学術会議でも「実際にやってみないと分からない」という指摘がありました。県が策定した避難計画が機能するか実証するために、原子力災害広域避難大規模訓練の実施を要望します。

 

課長「2月(来年)に実施する。参加者が1000人が良いのかそれ以上が良いのか、まだ決めていない。」

 

 

8.3月末県が公表する『広域避難計画』をもって、『避難計画策定完了としない』ことを要望します

 

   2月9日の学術会議でも県の担当者が3月の策定で完了とせず、4月以降改良を加えていくと言明されました。牧之原市、菊川市、掛川市、袋井市、磐田市にはいまだ避難先の提示がありません。すでに提示があった市町にも、大規模地震など複合災害時の県外避難先の提示はありません。

   仮に3月の公表時に提示があっても、11市町の担当者が相手先と協議するのは4月以降です。受け入れ先と十分な協議、相互の信頼に基づく協力体制構築なしに、避難先発表で原子力災害広域避難計画策定完了とはなりえません。

   川内原発、高浜原発は、鹿児島県・福井県の実効性なき避難計画策定で、再稼働されました。

   この愚を繰り返さないため、静岡県においては『11市町の実効性ある避難計画(住民が納得できる、要援護者を抱える施設側が納得できる)が策定されない限り、県当局として広域避難計画策定が完了していない』と理解してよろしいでしょうか。

 

課長「現時点で完了したとは考えていない。3月31日の公表の際、マスコミから避難先が決まっていないのに避難計画の公表をすることを問題視する指摘があったが、県としては現段階でこうだと情報を公開することが大切だと考えている。」

 

*「防災会議に出す時点が計画完了か?」との問いに、課長「それは報告であり、そこで決定するわけではない。その後も見直しはあり得る。」

 

**:* 色々なやり取りの中で、問題発言が飛び出した! 課長「避難計画と再稼働は別である。実効性ある避難計画というと、それを逆手に取られる。」

【 恐ろしい認識だ。実効性ある避難計画が策定できなくても、それは再稼働の是非を判断するのに、関係ないと、課長は考えている。

 植田課長は、3・11事故が起きた時、危機管理部に所属していたと、冒頭の自己紹介で述べた。従って原発のことは知っているかのように、自信たっぷりに僕たちに応対した。とても饒舌で、関係ないことまで長々としゃべる。僕は本能的に、「この男は危険だ。かなり手ごわい。この男なら県庁内部で、再稼働容認を進めるかもしれない。」と、危機感を抱いた。 

9.安定ヨウ素剤の配布・服用に関して

 

   イ)県の計画では、国の指示に基づき又は独自の判断で、直ちに安定ヨウ素剤を服用するよう住民に指示する、とありますが、「独自の判断」とは県当局のみをさすのですか?避難する自治体当局の独自判断も含むのですか、あるいは各施設・家庭の独自判断も含むのですか?

   ロ)平日の事故で全面緊急事態に至った場合、児童生徒の甲状腺がんを防ぐには、保護者に引き渡す前に薬剤師等専門家を学校に派遣して児童生徒に服用させたほうが効果があり、保護者も安心できると思われます。

   このため、前回(その3)でも要望しましたが、保育園・幼稚園・学校に安定ヨウ素剤を備蓄し、教職員が服用の指導ができる体制について、教職員らと十分な協議を重ねることを要望します。

 

 

   ハ)またUPZ圏内の成人も含む希望者には、事前配布を要望しますが、県はどのように考えますか。

 

課長「検討中。この問題は担当の課が違うこともあり、答えられない。」

 

10.避難者(対象)の範囲について

 

   今回示された「避難単位」によりますと、11市町の全住民が避難するとはなっていないと思われます。これはUPZの範囲を、全域とした市町と、31キロ圏とした市町の違いによると思われますが、そのため31キロ超については、市町によって避難する者と避難しない者が生ずることになります。  例えば、同じ31キロ超の住民は、掛川市と焼津市は避難するが、藤枝市、磐田市、森町は避難しないことになります。

   このことについてのお考えを説明してください。なお、2014年11月27日の回答では、藤枝市を例に出し「全人口で考えている」とのことでした。

 

*課長はこの件は理解しておらず、小沢という職員が主にこの問題を提起している片山さんとやりとりを交わした。一番詳しい菊川の会の片山さんから、後日詳しく報告されることを期待している。

 

その他の意見交換

Upz「避難先が決まらない障壁は何か?」

 

課長「駐車場の確保の問題である」

 

Upz「袋井市の原田市長が三重県の自治体と協議すると発言しているが、県が先に避難先を決めるのでは?」

 

課長「袋井市の意向を確認したい。県が市町にそちらで探してくれと丸投げすことはない。しかし、自治体独自で、相手先と協議することは拒まない。」

 

Upz「10条通報に基づく情報の伝達や手順について、県の避難計画書にはかかれていないが?」

 

課長「事故があれば直ちに中電から電話及びファックスで通報が来ることになっている。(携帯電話を示しながら)この電話に連絡が来る。自分は寝る時もこの携帯を話さない。常に持っている。

 計画書5ページに、原子力災害対策特別措置法10条に基づく通報の手順を具体的に書いていないのは、これは我々内部の手順であり、分かりきっていることである。一般に公表する必要がないので、載せていない。」

 

Upz「通報は中電と安全協定を結んでいる4市だけにか?」

 

課長「upz市町にも通報する。また、報道機関にも。皆さん方は市町の同胞無線やマスコミの報道で知ることになるだろう。」

 

Upz「県は同心円状に避難を考えているが、風向きなどにより避難方向は柔軟に考えたほうが良いのでは?」

 

課長「放射性物質の拡散状況により、upzの全ての市町が避難するわけではない。一方向に避難する場合もあり得る。」

 

いろいろなやり取りの中で記憶の残る発言。

 

課長「停止中の避難計画はプチ計画でよい。停止中で仮に冷却できなくなっても、バケツで水を入れることもできる。避難する時間的余裕がある。運転中と停止中とでは、けた違い」

 

【 課長自ら、浜岡は現在停止中であり、仮に大地震が生きてもなんとか避難できるだろうし、大惨事に至らないとの認識を持っている! 我々としては、だから県民の安全・安心のため、再稼働してはならないと、県民に伝えていく必要がある。】

 

*5月中旬ごろ、文書で2つの要望書に対する回答があります。

 

 

                                2016年4月12日 

静岡県知事 川勝平太様

 UPZ市民団体交流会

 

SPEEDI(スピーディ)の活用に関する要望書

 

 3月11日、原子力閣僚会議がスピーディを自治体がみずからの責任で活用できるようにした決定は、川勝静岡県知事や泉田新潟県知事など全国知事会の皆様の熱心な国への働きかけが実ったものであり、高く評価すると同時にそのご努力に感謝しています。

 私たちは浜岡原発から31キロ圏内の住民として、今回の国の決定を歓迎すると同時に、具体的に今後この決定がどう活かされていくのか、大きな関心と期待を持っています。

 そこでまず、静岡県として原発災害が発生した場合、スピーディを活用すると、公的な場(記者会見や議会)で表明してください。

 放射性物質の拡散予測には、正確な気象観測データの入力が不可欠です。浜岡原発周辺・静岡県全体の過去の気象データ、放射性物質が大気中に放出される当日の気象データ、さらには数日後の気象予測データを持っているのは、気象庁です。

 日本気象学会が平成26年12月17日付けで、「原子力関連施設の事故に伴う放射性物質の大気拡散監視・予測技術の強化に関する提言」を公表し、国に対してスピーディを文部科学省から気象庁に移管するよう要望しています。スピーディシステムの予測信頼性を高めるには、気象関連の専門家集団を擁する気象庁にその管理・運用をゆだねるのが適切だと考えますので、それを全国知事会や国に働きかけてください。

 原子力規制委員会はスピーディの活用に対して、「信頼性がない」「住民が大混乱する恐れ」を理由に否定的ですが、福島第一原発災害では40キロ以上離れた飯館村が放射性物質に汚染され、今も全村避難しています。風向きや気象条件により、静岡県でもUPZ(31キロ圏内)以外の地域も避難する必要が生じることも考えられます。静岡県民が被ばくせずに避難するには有効なスピーディの活用が絶対不可欠です。

 

 上記の理由から以下3点を要望します。

 

1) 静岡県としてスピーディの活用を正式に表明し、それを実際の原発災害広域避難計画に活かしてください。

2) 全国知事会でスピーディの気象庁移管問題を取り上げるよう働きかけてください。

3) 静岡県単独でも、国に対し気象庁への移管を要望してください。

 

 上記の要望に対し、もし可能なら私たちに直接会ってお答えください。公務等で無理でしたら、文書でお答えください。出来ましたら、5月中旬ごろまでに回答をお願いします。

 

 UPZ市民団体交流会参加団体

 

 さよなら浜岡原発・焼津市民の会(焼津市)

 なくそう浜岡原発 命とふるさとを守る藤枝市民の会(藤枝市)

 避難者を支援する志太榛原住民の会(藤枝市)

 浜岡原発はいらない島田の会(島田市)

 安心して暮らせる島田を創る市民の会(島田市)

 浜岡原発をなくそう・吉田町民の会(吉田町)

 浜岡原発を考える牧之原市民の会(牧之原市)

 浜岡原発の危険から住民を守る会(菊川市・御前崎市)

 浜岡原発はいらない・命を守る菊川市民の会(菊川市)

 浜岡原発を考える会(御前崎市)

 掛川金曜アクション有志の会(掛川市)

 原発いらない掛川の主婦たち(掛川市)

 浜岡原発を考える袋井の会(袋井市)

浜岡原発はいらない磐田の会(磐田市)

 明るい未来を!磐田(磐田市)

 

UPZ市民団体交流会連絡先 

 437-0035 袋井市砂本町2-10  竹野昇(浜岡原発を考える袋井の会)

 

 

 

 

 

 

2016年4月20日 (水)

辺野古座り込みレポート 2月下旬~3月上旬 11回(最終回)

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 3月8日、この日は沖縄を離れる日。朝6時半にキャンプシュワーブゲート前に行った。この日は70名ぐらい集まっていた。
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 和解を受け工事が中止なので、作業用車両の動きがないので、弾薬庫があるゲート前に座り込んだ。米軍が世界中で戦争をするための弾薬を沖縄から出させないために。
 弾薬庫前での座り込みには米軍が神経を尖らしている。 日本の警察に直ぐ連絡し、米軍車両出入りが確保できるよう、警備要請をする。警視庁・沖縄県警も、我々が通路を塞いで座り込むと排除にかかる。
 こちらも無理はせず、完全に車の出入りをストップ させる戦術は現段階ではとっていない。あくまでも何かあれば、弾薬輸送を止めるぞ、とのこちらの意思を表すために行っている。
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  上の写真は、弾薬庫ゲート近く の山の斜面。人が入れるよう草や灌木が刈り取られている部分の上部は、やがて埋め立て工事に備えて防衛局がこの山からベルトコンベアで弾薬庫側の基地(キャンプシュワーブ)へ土を運び入れる 起点になる。
 今は和解で工事が止まっているが、やがて決裂したら、このあたりが工事阻止の重要地点になる。国道をまたぐベルトコンベアを作らせない闘いの現場となる。安倍政権は、参議院選が終われば、和解をかなぐり捨て、裁判で勝てば、直ぐここでベルトコンベア設置のための工事を始めるだろう。
 上の写真の人は僕らの仲間だが、すでに工事に向けて作業員が測量などで入っているから、このように通路?ができている。
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 弾薬庫ゲートから正門ゲートに戻り、米軍・アメリカ政府と日本政府・防衛局への抗議のための座り込みを行った。
 僕は飛行機の関係で10時にここを離れなければならない。山城博治さんにその旨伝えると、すごく寂しそうな顔をする。 僕は「これから帰ります」と山城博治さんに伝える時、本当に申し訳ない思いがする。一人でも現場に多く座り込んでほしいと願っている彼の期待に応えられないのが心苦しい。
 現地で長期間滞在して頑張っている本土の人間を除き、僕たち本土の人間(沖縄からみればヤマトンチュウ)は、ほんの短期間(短時間)しか一緒に座り込み活動に参加できない。そのことが沖縄の人々に本当に申し訳ない思いがする。
 現在僕は浜岡原発の再稼働を阻止する活動と、5月3日憲法記念日袋井市民のつどい・半田滋さん講演会の準備に専念している。
 3日の集会が終わっても、再稼働を認めないで署名集めに専念するため、当分沖縄に行くことができない。申し訳ないが、工事が止まっている間は、静岡での活動に集中するつもりである。
 長々書いてきたが今回で最終回としたい。今回も色々な人との出会いがあった。印象に残る人たちとの出会いについても書きたいが、長くなるしプライバシーもあるので、省略させてもらいます。

2016年4月17日 (日)

辺野古座り込みレポート 2月下旬~3月上旬 その10 

昨日レポート その8 としたが、間違っていた。その9になる。従って今日はその10。
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 伊江島に行けば、城山(グスク。地元の人は、タッチュウと呼ぶ。)に登りたくなる。3月7日、朝早く起きだし、宿から歩いて城山に向かった。この写真は伊江島を離れる前10時ごろに撮影したものがだ、宿を出た4時半過ぎは真っ暗。沖縄は本州と時差があり、30分から1時間ぐらい、朝が明けるのが遅い。
 これまで2回も登ったこととがあるので、道は大体見当がつく。城山の登山道入口についたのは、午前5時半ごろ。まだ朝が明けづ暗い。
 しかしここまで来たのだからと、構わず登ることにした。少し危険な個所もあったが、なんとか登頂できた。しかし景色は見えない! うっすらと海が見える程度。
 せっかく苦労して登ったのに景色が見えないのは残念なので、山頂でラジオ体操や体を動かして、夜が明けるのを待った。
 ようやくあたりが白々として来て、周りの景色が見えるようになってきた。城山山頂からの展望は、360度のパノラマ。素晴らしい!
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 この写真は帰りのフェリーから撮影。登山は駐車場 がある登山道入口から歩いて20分ぐらい。伊江島に行ったら、是非城山に登ってほしい。
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 宿(イエマリーンホテル、いやイエマリーンハウスかも。メモを取らなかったので、正確でないかも。)は、海の近くにあり、食事は朝食しか出さないが、とても清潔で快適な宿だった。朝食の食材は基本的に伊江島産のもので美味しい。ボリュームいっぱい。ダイビングやシュノーケルをやりに来る人たちが主に利用する宿で、機材も借りることができ、インストラクターもいる。上のビーチは宿を離れる前に散歩して撮影。
 午後2時ごろ、辺野古の座り込みに参加した。
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 工事中止が決まった翌週にも関わらず、約150名が座り込んでいた。皆意気盛ん。喜びにあふれていたが、警戒を緩めず、引き続け座り込みを 続けようとの発言が続いた。
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 修学旅行で訪れた高校生も発言。若い世代が、戦争も軍事基地もない沖縄・日本にしていきたいと 語る言葉は、とてもさわやかである。
 午前カヌーで海に出た知人が、皆の前で海の状況を報告。和解の影響か、フロートを越え中に入っても海保はカヌー隊を拘束せず、「スパッド台船やビーチには上がらないで」とマイクで言うのみ。 (この状況は4月に入っても続いている。)

2016年4月16日 (土)

辺野古座り込みレポート 2月下旬~3月上旬 その8 伊江島二日目

 3月6日、わびあいの里学習会2日目。
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 2日目は8時45分から琉球朝日放送制作「国に訴えられた知事」(50分)を 全員で鑑賞。本土でもこのようないいドキュメンタリー番組を放送してほしいと強く思った。
 この後、参加者からの報告・発言。真っ先に金城実さんがマイクを握った。すこぶる元気。日米地位協定の不平等さ、改定を強く訴えた。
 様々な人が発言し、僕も浜岡原発再稼働阻止の闘いを報告したかったが、残念ながらその時間はなかった。
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 同じ宿に宿泊した、良心的軍事費拒否の会の田中良子さん。クリスチャンでもある。袋井のデンマーク牧場のことも知っており、翌朝宿の朝食の時間に色々お話ができた。東京上野公園入口で、毎月1回、「沖縄に軍事基地を押し付けるな!」と写真のアピール姿で、沖縄に連帯する活動をされている。
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 写真はフィナレーだが、この前に阿波根昌鴻資料調査会の岡本直美さんが、資料調査活動報告を行った。阿波根さんが残した膨大な資料を、整理し、マイクロフィルムに保存したり、パソコンに記録する根気のいる活動を全国の若い研究者や資料保存の専門家たちが、ボランティアでやってくれている。報告された方は、同じ宿に泊まっていた方だった。
 午後は、わびあいの里が村役場のバスをチャーターして、希望者を島案内してくれた。あいにく雨模様だったが、個人で回るのと違い 良い学習になった。
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 米軍が上陸してきたとき、住民が避難した洞窟(千人ガマ)。
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 戦後基地拡張の抵抗拠点だった、「団結小屋」。島の人々が再びここを拠点に基地撤去・危険な軍事演習反対に立ちあがる日はいつ来るだろうか?
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 新たに日本の金で作られた通信施設。しかし、実態は伊江島で訓練する際の米兵宿泊施設。2年前、伊江島に行ったときは工事中(まだ整地の段階)だったが、作業員に「何ができるのですか?」聞いても、「分からない」との返事だった。
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 上の雨交じりの広い土地は、今もなお米軍が手放さない補助飛行場。誰でも入ることができる! この日は地元の子どもたちによる自転車のイベントが行われていた。
 下の赤い枠の部分が、米軍基地。フェンスがなく、補助飛行場以外は農地や牧草地。民家や公民館もある。左端の部分のみが、金網が張られ、「基地らしく見える?」。F35戦闘機が空母にみたてた滑走路で離発着訓練を行っている。オスプレイの訓練も島の西端で行われる。
 しかし、ここ以外は金網やフェンスがなく、のんびりした島の風景。
 5年前、初めて伊江島を訪問した時、「これが基地の島?」とは到底思えなかった! 訳が分からない!  それが正直な感想だった。
 読谷村の山内徳信さんが村長だったとき、使われていない補助飛行場の返還を粘り強く求め、ついに今では取り返している! 伊江島では何故村をあげて基地撤去運動をしないのだろうか?
 2年前の伊江島レポートにも書いたが、残念ながら基地交付金と軍用地代のためである。「金がなる土地?」
 原発立地自治体と全く同じ構図。危険と隣り合わせの「打ち出のこづつみ?」。阿波根さんはきっと天国で悲しい思いをされていると思う。
 僕は2年前の伊江島レポートで、基地がなくても経済的に伊江島は観光・農業・漁業で十分やっていけるとの見通しを書いた。その思いは今も変わらない。
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 天気が悪いので海がきれいに見えないが、伊江島の海はエメラルド色の海。ここは「ワジイ」といわれる名所。断崖の下にきれいな水が湧く泉がある。
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この農地の下に雨を受ける地下ダムがある。数百億円をかけて国費で作られ、工事は完了している。これも基地がらみの事業だが、この地下ダムの農業用水で、伊江島の農業は発展できると確信している。
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 午後4時からわびあいの里で、「花こま」という民族歌舞団のショーがあるので、見に行った。
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安倍と翁長知事のやりとり。仮面を被った人は演技のみ。別の人が笑わせるせりふを言う。
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 徹底的に安倍首相をこき下ろす愉快な仮面劇だ。静岡にも呼びたい。 この後、餅つき大会。これも彼らのショーの一部。観客を巻き込むいいアイデアだ。餅つきのボランティアを募ったので、僕も参加。餅つきには自信を持っている! 実際、僕が一番上手だった。
 見学者につきたての黄な粉もちと、しょうゆで食べる白いもちが配られた。美味しい! 無料! たくさん食べた! 今回は彼らが自主的にわびあいの里の学習会に参加してくれたので、無料だったが、何だか申し訳ない思いがした。
 機会があれば、静岡に招きたい。

2016年4月14日 (木)

辺野古座り込みレポート 2月下旬~3月上旬 その8 伊江島

 3月5日(土)、本部町からフェリーで伊江島に向かった。阿波根さんの「ゆずり合い 助け合い 学び合う会」に参加するために。
 わびあいの里・反戦平和資料館に午前10時半過ぎに着き、資料館を見学。今回で3回目の訪問になるが、何回見学しても伊江島の人々の苦難と阿波根さんの偉大さに胸がいっぱいになる。
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 今日でも島の3分の1が基地に占領され、オスプレイやF35戦闘機の激しい訓練が続けられている。
 お昼はわびあいの里自慢のカレーをいただいた。謝花悦子さんに挨拶することもできた。
午後1時半から伊江村改善センターの庭園で、「米軍演習場の機能強化に反対する抗議集会」が開かれた。
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 挨拶をされる謝花悦子さん。
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 地元の村議会議員と訓練監視を続けている平安山(へんざん)さんから、基地機能強化の実態と訓練による被害などの報告があった。
 急に雨が降ってきたので、集会は建物の中で続けられた。発言したのは、辺野古から安次富浩さん、高江から間島さん、反戦地主会会長の池原さんら。
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 学習会は15時に始まった。挨拶はわびあいの里理事で、元沖縄県教祖委員長の石川さん。
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 続いて石原昌家さんが、「阿波根昌鴻人物像」と題して講演。
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16時30分から、今回の学習会のメインである、『 朗読劇 花さ美らさ ~阿波根昌鴻「伊江島の闘いを語る~ 』が上演された。1時間半。
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 左が主演・笹岡洋介さん。阿波根さんになりきって、素晴らしい演技。さすが東京芸術座のプロの俳優だけに、阿波根さんの人間性が伝わってきた。
 右の女性が、わびあいの里スタッフの安保由紀子さん。彼女の朗読や演技、三線の演奏も素晴らしかった。
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 辺野古や高江で闘っている知人たちもたくさん出演し、劇を盛り上げてくれた!
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 劇の後、夕食をとり、夜はこの劇の脚本を書き、舞台監督をした相澤喜久治さんや主だった出演者たちの挨拶、感想を聞く会も持たれた。
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 この方が相澤監督。素晴らしい劇を作っていただき、ありがとうございました!

2016年4月11日 (月)

辺野古座り込みレポート 2月下旬~3月上旬 その7 権力の弾圧

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 3月4日は沖縄三線の日。ゲート前には早朝から(6時半撮影。まだ暗い。)、沖縄各地の三線奏者が集まってきた。
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 三線に合わせて、琉球舞踊の踊り子も登場! この踊り は祝いの時などに披露されるそうだ。
 6時45分に演奏が始まり、6時50分に踊りがスタート。ところが7時になったら、突如、機動隊が200名ぐらい出てきた。
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  青いジャケットを着ているのは、この企画責任者の伊波さん。機動隊が出てきても、踊り・演奏を続けた。
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 しかし、機動隊は座り込んでいる僕たちだけでなく、演奏者や踊っている人たちまでに襲いかかり、排除(ごぼう抜き)を始めた!
 上の写真で赤い衣装の女性は、踊りの師匠さん。沖縄では有名な方だそうだ。小柄な彼女までも機動隊が無理やり踊りをやめさせ排除する光景に僕の胸は締め付けられ、なんとも言えない悲しみに襲われた。
 『 沖縄では米軍支配が終わっても本土政府がこのようなむき出しの弾圧を続けている。全く非暴力で三線を演奏している人々や伝統の踊りを踊っている女性たちさえ、このような権力による弾圧を受けている。沖縄の文化さえ、大和政府は無視し、新基地建設を強行し用としている。
 
 沖縄の人々はこの弾圧に、どんなに悔しく悲しい思いでいるだろうか。米軍支配の時は、おそらくもっと厳しい弾圧があっただろう。しかしそれに耐え、米軍基地拡張反対闘争を島ぐるみで闘ってきた歴史を持っている。
 本土に復帰して直接の米軍支配から脱したが、大和の政府は沖縄の人々を無視して、強権による支配を貫こうとしている。今、僕が目にしている光景はまさにそうだ!』
 僕自身も機動隊にごぼう抜きにされ、「オリ」の中に入れられ一時的に自由を奪われたが、機動隊に抱えられ同じ「オリ」に入れられ ようとしている踊りの先生を見ながら、上記のような思いを抱いたことを、今でもありありと覚えている。
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 この後、機動隊に守られ、工事用トラックやダンプカーがゲートの中に入ってきた。
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 工事用車両が入った後の抗議集会で発言する金城実さん。
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 色々な方の発言が続いた。
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 この日12時から、読谷村で三線の日のラジオ中継があるので、それに合わせて再度昼前から37名の演奏者と10数名の踊り子が集まり、演奏と踊りが始まった。
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 僕はこれを見ながら、『 沖縄の不屈  』を感じた。どんなに弾圧されても負けない。しなやかに粘り強く闘う。 表面上は、山城さんのように強い闘志を見せないが、心の底に秘めた『不屈の精神 』を見た。
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 演奏と踊りが終わった12時45分ごろ、照屋かんとく衆議院議員が挨拶の中で、国が和解に応じ、工事を中止するとの、驚くべき報告があった。
 このことは以前早い時期にこのブログで書いている。午前の弾圧があっただけに、参加者一同、とにかく一時的であれ工事がストップするニュースに、歓喜した。
 僕はあれからひと月以上も経ってからこの時の様子をブログに書いているが、こうして静岡で浜岡原発再稼働を阻止するための活動に専念しながらブログが書けるのも、工事がストップしているおかげである。(もちろん、現地では毎日座り込みの闘いが続いているが。)

2016年4月 6日 (水)

辺野古座り込みレポート その6  2月末~3月上旬

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 愛楽園のビーチから撮った写真。時間は6時ぐらい。とてもきれいだ。

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 上の料理は、「海と風」のオーナー成田正雄さんお勧めの食堂、「ゆきの」で食べた”シーバイ汁定食”。 初めての沖縄料理に挑戦しようと注文した。美味しかった! この食堂は地元では、「名護曲」と並び有名で、メニューがたくさんあり、今度また来たくなる食堂だった。

 後から入ってきたおばさんが僕が頼んだシーバイ汁定食を見て、同じものを注文した。1200円。お腹いっぱいになる満足感が良い。

 ちなみに「ゆきの」は名護市の野球場(プロ野球のキャンプ地)の近くにある。21世紀の森公園を過ぎ、美ら海水族館方面に少し行ったところ右手のホテル裏側にある。

辺野古座り込みレポート その5  2月下旬~3月上旬

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 3月3日、辺野古での活動が4時に終わったので、急いで車を飛ばし、屋我地島にある「愛楽園」に行った。ここへは10数年前、高文研の沖縄平和学習ツアーで訪れたことがある。元患者さんから直接、戦時中の人権差別(堕胎や子どもを産めなくする手術など)体験を聞き、衝撃を受けたのをいまだに記憶している。

 愛楽園は、かつてハンセン病患者が隔離された施設である。たまたまここで美術展をやっているちらしをいつも行く食堂で見つけ、天候も良かったので急きょ行った。

 美術展の案内には最終入場が4時半となっていたが、着いたのは4時45分。受付の女性に「遅くなったが入ってもいいですか」と聞いたところ、快く入れてくれた。

 美術展そのものは良く分からない作品もあり、あまり記憶に残っていないが、会場である「沖縄愛楽園交流会館」は素晴らしい施設であった!

 愛楽園の歴史の展示や、ハンセン病患者さんたちがどんな生活を強いられたのか、戦争が彼らにどんな犠牲を強いたか、分かりやすく理解できる展示室があり、是非多くの人に来てほしいと思った。

 帰る時受付の女性と10分ぐらい話した。通常5時に閉館するのに、時間を気にせず応対してくれた。開かれた施設として色々な企画をしているとのこと。

 辺野古や高江に来る人たちに、是非ここにもよってほしいと、たくさんのパンフレットをもらい、会った人たちに配布した。

2016年4月 4日 (月)

辺野古座り込みレポート その4  2月下旬~3月上旬

 3月3日は動きがあった。水曜日だけでなく、木曜日も多くの人を集めるようになったので、朝7時には約200名が結集。機動隊も工事車両の動きもなし。

 そこで工事用ゲートから弾薬庫がある第2ゲートに移動して集会をやっている間に、8:45、工事車両3台が入るのを許してしまった。油断も隙間ない。

 さらに午後2時ごろ、人が少なくなった時間帯に、機動隊が出てきて、我々を排除し、ダンプカー3台が入った。防衛局はこちらの動きをよく見ている。隙があれば、業者と警察に連絡し、工事を進めようとする。だからこそ、現地での座り込み、それも多人数での阻止行動が必要になる。

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 下の写真は午前8時半ごろのもの。第2ゲート前。

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 下の写真は集会の様子。

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 アメリカの学者で、核兵器廃絶の活動をしている。長崎大学の招きで来日。

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 スコットランド出身で在沖縄21年になるリンダさんとその息子さん。息子さんは無農薬で農業をしている。

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今回宿泊した 「辺野古の家」 で一緒になったOさん。彼女は中国の大学で日本語を教えている。自分が子供のころ、母に「どうして戦争を止めれなかったの?」と聞いた。今度は、自分が子供に問われている。戦争につながる基地建設を止めたいと、思いを語ってくれた。

 彼女は今回はトイレ送迎のスタッフとして活躍していた。夜、辺野古の家で神奈川県から参加した若い女性を交え、3人で色々話した。Oさんは、バイオリンを持参し、その練習を辺野古集落の公園でやっていたら、子ども達が集まってきて、色々会話したとのこと。子どもの口から、新基地に反対しているおばさんがいると、家族にも伝わっていると思われる。

 Oさんは出来れば辺野古集落にアパートを借り、子ども達に勉強を教えたいとも話してくれた。地元の人たちに受け入れてもらういい方法だと感心した。是非この構想を実現してほしいと願う。

2016年4月 2日 (土)

辺野古座り込みレポート その3  2月下旬~3月上旬

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 2月29日月曜日の辺野古キャンプシュワーブゲート前。早朝6時半ごろから座り込んだが、60人ぐらいだと残念ながら機動隊に排除される。挨拶しているのは、東京から「辺野古リレー」で参加し、今日帰る学生さんたち。

 「辺野古リレー」は若い人たちを交代で派遣している。このような団体が日本中で結成されることを願う。静岡県では、「沖縄を語る会」がときどき辺野古に人を送っているが、人数と継続性では、「辺野古リレー」にかなわない。

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 上の写真は3月2日水曜日に撮影。1日の写真はどういうわけかない。記憶では月曜日とほぼ同じ状況だった。

 しかし水曜日は違う。議員行動日なので人がたくさん集まり、工事車両を阻止できる。この日も150名集まり、機動隊も工事車両も出てこれない状況を1日中作ることができた。

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挨拶をする県議会議員や市町村議員。

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全国港湾労働組合は組合として、辺野古新基地建設反対を掲げている。委員長が力強く挨拶された。
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 真ん中は静岡市出身の稲葉さん。かれはテント村の中心人物として頑張っている。歌が上手い。

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 トランペット奏者の方は、国会前の集会でも見事な演奏を聞かせてくれたのを覚えている。

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 上3枚の写真は第2ゲート前。工事車両侵入を阻止できる余裕があるときは、弾薬庫がある第2ゲート前に移動する。山城博治さんの左側でマイクを握っているのは、「森の映画社」監督の藤本さん。「圧殺の海」に続く映画が5月に完成するとのこと。

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 北上田さん。土木工事の専門家。カヌー隊を支援する船の船長でもある。この日は、辺野古の海を埋め立てる土砂搬入について、防衛局側の計画を詳しく解説してくれた。山側から道路の上をまたぎ、長さ50メーター、幅13メーターのベルトコンベアを作り、我々の頭越しに、土を基地内に運び入れる計画だ。

 北上田さんによると、大浦湾に投下される最初の土が弾薬庫側から運び入れられる。従って、このベルトコンベアを作らせない闘いが重要となる。

2016年4月 1日 (金)

辺野古座り込みレポート その2  2月末~3月上旬

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 2月28日(日)、辺野古キャンプシュワーブゲート前に立った。この日は日曜日なので、工事車両の出入りもなく、大きな動きはなかった。

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 普段はアメリカで活動している住職の安田じゅんさん。1月末辺野古で会ったアメリカ人・ジェスンさんのことも知っていた。

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 メインゲート前のテントにて。

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 米軍は、地元対策として、沖縄県民参加の色々なイベントを実施している。愛される米軍? 僕はそうしたイベントに参加したことがないから、実態は知らないが、自衛隊の似たようなイベントに本土の若者が参加するように、沖縄でも若者(子ども)の参加はあるのかもしれない。

 辺野古の浜の状況を見に行った。

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  静岡県から来た人たちが取り付けたバナー。これらのバナーは2週間ともたない。誰かが(米軍と思われるが)、勝手に取りさるからだ。

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 上の写真は、浜のテント内に掲示されているもの。キャンプシュワーブ全景。一番先の岬が、辺野古崎。この先端あたりに新基地が作られようとしている。

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 斜めの線が入っている区域が、防衛局が勝手に立ち入り禁止区域にして、フロートが設置されている。和解?で工事が中止されているのだから、現在ではフロートを撤去すべきだが、そうはなっていない。

 しかし、和解後、カヌー隊がこの区域に入っても、海保は見ているだけで、拘束はしないようになった!

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 テント村で会った人たちと高江方面に行ったときの写真。右端はトイレ送迎のスタッフをされていた福田さん。3月26日東京の全国集会でもお会いした。上の写真は、高江の住民の会が所有する「でいご家」。1泊、500円で宿泊できる。辺野古と高江の中間地点の東村平良にある。

 上の写真の人たちは高江に行ったことがないと言うので、僕が案内して一緒に高江に行った。車は僕のレンタカーでは全員乗れないので、福田さんのレンタカーで行った。

 途中、カヌチャーリゾートに宿泊している警視庁機動隊の車両写真を撮影した。

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 ナンバープレートは品川。
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 カヌチャーリゾートと向こうは大浦湾。この日は辺野古への出動がないので、リゾートの中で機動隊がどう過ごしているか様子を見に行ったが、私服を来ているから、誰が機動隊員か分からなかった。

 高江では写真を撮らなかったのでアップできないが、今回も琉球大学のAさんが説明してくれた。昨年11月、今年1月末とこれで3回、連続してAさんに説明してもらった!

 高江はのんびりしていた。工事はこの2年間、完全に阻止している。3月からノグチゲラなどの繁殖期に入るので、6月末までは工事はない。

 3月中旬に勝利の集会を開くそうだ。

* 3月末、高江から届いた情報によると、和解後、高江で防衛局が動き出した。中谷防衛大臣が、沖縄県当局に、高江の車が違法駐車されているので、道路管理者として何とかしてほしいと要請し、それを受けて、防衛局が車両撤去の掲示を張りに来た。

 辺野古から山城博治さんたち60名が急きょ駆けつけ、その張り紙を防衛局にとらせたとのこと。

 辺野古が休戦状態なので、高江に動きが出てきた。安心していられない。

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