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2016年6月 7日 (火)

朝鮮学校で18年間保健体育を教えた日本人教師

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 5月28日、静岡労政会館で、写真にある静岡朝鮮学校・友の会主催 人権平和講座第2回 「私にとっての朝鮮学校」と題する藤代隆介(りゅうすけ)さんのお話を聞いた。
 藤代さんは、昨年18年間勤務した北海道朝鮮初中級学校を退職し、現在JFAアカデミー福島U13コーチ。今年日本サッカー協会により、S級コーチライセンスを認定された。S級ライセンスを保持していると、Jリーグクラブや日本代表監督も務めることができる。
 現在の肩書が示すように、彼はバリバリのサッカーマンだった!  とてもさわやかな方で、依頼があれば公民館や日本の学校で朝鮮学校で教えた体験を語っておられるそうだ。
 僕を含め聴衆は、彼が何故どういう経過で朝鮮学校の先生になったのか? そして18年間どのような体験をしたかに興味があった。
 経過は以外と簡単だった。帝京高校時代に全国大会優勝、卒業後体育総合専門学校・ルネス学園金沢校でサッカーを専攻し、そこで出会った在日3世張(チョー)さんが、 北海道の朝鮮学校に就職し、彼から来ないかと誘いを受けたそうだ。
 藤代さんはその誘いを受けるまで朝鮮学校や在日朝鮮人のことはほとんど知らなかったそうだ。
 ただ小・中・高時代に在日の子ども達や朝鮮学校の生徒たちとサッカーの試合をし、彼らが強いという認識は持っていた。
 朝鮮学校の先生になることに、当初母親は反対。父親は認めてくれた。好きなサッカーの指導ができるということで、札幌にある朝鮮学校で教え始めたが、担当したサッカー部は試合では負けてばかり。強くなれないことにあせりがあったが、校長先生がよく出来た人で救われたそうだ。
 対外試合では、朝鮮学校の生徒に対する日本人生徒による差別発言があった。「国へ帰れ」。 相手校の監督に抗議したが、結局その後その監督はうやむやにもみ消した。
 2002年、拉致問題が表面化したとき、学校への「生徒を殺すぞ」といった電話も経験している。
 藤代さんのお父さんがガンで死亡し、母親もガンになり、北海道に母親を引き取って一緒に暮らしたが、藤代さんがサッカーの遠征などで家を空ける時は、在日の方たちが心配して母親に食事を持ってきてくれることもたびたびあったとのこと。
 結婚は日本人の女性としたが、その結婚祝いを学校の食堂で先生方がしてくれた話は、ほほえましかった。
 S級ライセンス取得に200万円必要だが、彼の給料からはその費用が賄えない。学校のOBが資金集めをしてくれたとのこと。
 S級ライセンス取得には海外のチームで3か月学ぶ必要がある。彼は韓国のチーム(名前を聞いたが出てこない)を選んだが、その時朝鮮学校で身に着けた朝鮮語が大いに役立った。彼の経歴や人柄をそのチームが評価してくれて、チームの寮に入れてくれ寮代はタダ、食事代も無料にしてくれたそうだ。
 現在Jリーグの在日出身サッカー選手は20名以上。日本サッカー協会は、ヘイトスピーチ・差別を許さない体制になっていると聞いて、うれしくなった。
 朝鮮学校に理解あるサッカーコーチ・藤代さんの今後の活躍に期待したい。
 
 

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