2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

« 朝鮮通信使記念シンポジウム レポート 続きその1 | トップページ | 明日から福島へ »

2016年9月16日 (金)

朝鮮通信使記念シンポジウム レポート 続きその2

 仲尾宏先生のお話。先生には、昨年大津市でお会いしていたので、シンポが始まる前ご挨拶し、受付で配布してもらう友情ウオーク関係の資料を直接渡してあった。
Img_5868
 「歴史から学ぶ日韓関係の展望」
  ・対馬とプサンの距離はわずか50キロ。晴れた日には見えるほど近い。この至近距離が、歴史的に日本と韓国の一衣帯水の関係を形成。渡来人と言われる多くの人々が、日本列島にやってきた。
・朝鮮通信使は、平安時代にもあり、朝鮮国王と対等の関係で外交が行われた。江戸時代の朝鮮通信使は、最初はイムジンウエラン(豊臣秀吉の朝鮮侵略=文禄・慶長の役)の戦後処理が目的。
・外交関係があったから、文化交流が行なわれ、相互理解が進んだ。共通の漢字文化があったことも、交流に役立っている。
・対馬藩を通して、貿易も行われた。生糸や銀など。
・朝鮮通信使世界記憶遺産登録の申請は、日本は縁地 連が窓口、韓国はプサン文化財団が窓口となり、申請の発議はプサン文化財団。
 双方に学術委員会を設置し、10回の合同学術委員会を開催した。(仲尾宏先生は日本側委員長)
 ユネスコに認められるためには、申請物件が本物でなければならない。日韓双方で慎重に審議し、外交文書・旅程の記録・文化交流記録合計111点、333点を選んだ。
・清見寺にはほんものがたくさん残っている。私も清見寺に調査・確認に来ている。40数物件が清見寺のもの。清見寺には扁額がたくさんあるが、これは申請対象ではない。朝鮮通信使の書いた詩文を、木の板に彫ったものであり、本物は実際にかかれた紙の物件。収蔵庫に保管されているものを申請した。
・申請されたものは、両国間で合意されたもののみ。合同会議では、「侵略か、出兵か、対馬藩の宋義智の評価など」、議論が交わされた。宋は、小西行長と共にプサントンネ侵略に参加しており、宋関係の物件は議論の末はずした。共通の理解ができたものが申請された。
次回は、東郷和彦氏のお話をレポートします。

« 朝鮮通信使記念シンポジウム レポート 続きその1 | トップページ | 明日から福島へ »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/586735/64210045

この記事へのトラックバック一覧です: 朝鮮通信使記念シンポジウム レポート 続きその2:

« 朝鮮通信使記念シンポジウム レポート 続きその1 | トップページ | 明日から福島へ »