韓国旅行 鉄道で友人に会いに 続き
約束通り、ノ・キョントウさんが車で迎えに来てくれた。直ぐ彼の家に。
写真はノ・キョントウさん。戦車の前での撮影については、後で説明。彼の家は高層アパートの2階だ。韓国はどんな地方都市に行っても、ニョキニョキ高層アパートが林立している。地震が無いから高層になるのは理解できるが、何故日本と違い1戸建ての家が少なく、高層アパートが多いのか、その理由が良く分からない。
彼の説明では、ハンガンの奇跡・高度経済成長時代以降、農村部から若者が都会に出て、彼らの住宅が大量に必要になったから。さらに最近では自分の家がある中年以上の年代でも、農村部は不便だから商店街に近いアパートを好むとのこと。
僕はアパートは賃貸しだと思い込んでいたが、買い取りがほとんどとのこと。日本のマンション購入にあたる。
内部は広く、きれいだ。
友人宅の居間。台所・キッチンと繋がっており、広々した空間。20畳以上あるだろう。夫婦の部屋、子供部屋が2つ、トイレバス、広いベランダもある。
夕食までかなり時間があるので、友人が郡山(クンサン)を案内してくれた。真っ先に行ったのが、米空軍基地。
写真を撮ったら、韓国人警備人が飛び出してきた! 「カメラ禁止」と注意し、フィルムを取りあげようとする。ノ・キョントウさんが対応してくれたので事なきを得たが、
僕一人だとどうなっていただろうか?
沖縄の米軍基地を守る軍警と同じように、韓国の警備人も確か腰に銃を持っていた! 心はアメリカ人。
このゲートは、韓国人業者が出入りする。差別を感じた。
戦闘機が数機入る格納庫。きちんと数えなかったが、20個以上あると思われる。基地は広大だ。
この空軍基地は、今では韓国を守るだけでなく、中国・台湾・ロシアにもにらみを利かせている。沖縄の嘉手納基地ともリンクしている。
拡張計画がある用地。コプラというヘリ基地になる予定。農民の土地を奪い、造成された。元は豊な田んぼだった。
白い建物が、米兵の宿舎。写真では分からないが、立派なホテルと間違うほどのきれいな外観をしている。誰の金で建設したのだろう?
1970年代、朴大統領が、全国の米軍基地の近くに、米兵相手の盛り場を人工的に作った。バー、食堂、喫茶、ゲームを楽しむ店、衣料品店、車販売店などが集中し、ベトナム戦争のころは栄えたそうだ。買春も。
「国際文化村」。 売春やバーが文化だろうか? 友人の説明では、韓国全ての同様な村(地域)の入り口に、この名前
の看板が立っているそうだ。
このクラブの中で、ミュジシャンたちが演奏の練習をしていた。中にはさびれた店もある。廃墟に近い店も。
最近米兵はソウルまで遊びに行く。そのために金曜日の夕方、無料のバスが出る。月曜の朝早く戻ってくる米兵もいるそうだ。
沖縄と似ている。辺野古の集落の米兵相手の店もさびれている。嘉手納空軍基地前の歓楽街も、かつての面影は全くない。
ノ・キョントウさんは、植民地時代に日本人が作った町並みを見学させてくれた。町の作りが、碁盤の目状に、きれいに整備されている。日本式家屋は残っていなかったが。
クンサンの港を訪れた。日本人が植民地時代に作った浮桟橋が今も使われている。
港は遠浅。潮が満ちないと、船が接岸できない。潮が満ちると、桟橋が浮上し、大きな船が接岸できるようにした。
歴史を知らない人は、日本も植民地時代にいいことをしたと言う。この港から、大量のコメが日本に運ばれた。貧しい農民から農地を奪い、小作人にして、納めたコメを日本に供出したのだ。そのために考案されたのが、この浮桟橋である。
港の一区画が軍事公園になっていた。ベトナム戦争で使われた米軍の兵器や韓国軍の船が展示され、市民や子ども達に愛国心を植え付ける装置だ。自衛隊の展示施設とよく似ている。
写真の船はベトナムに韓国兵を何度も派兵したときに使われ、今は有料で中に入ることができる。ノ・キョントウさんが、受付で日本人の友人と来たと告げると、僕らは無料で入館できた。
友人の小学校は遠足でここには来ていないが、多分クンサンの小学生たちは遠足で来るものと思われる。友人は沖縄の米軍基地建設に反対しているぐらいだから、子どもたちへの軍事教育に反対の立場に立つ。
どこの国でも悲しい現実がある。
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