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2016年10月

2016年10月29日 (土)

沖縄・高江現地の最新情報・見たこと・聞いたこと・感じたこと その2

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 薄暗い写真なのは、撮影が早朝6時過ぎ故。N1裏テントにて、13日撮影。僕は前日夜8時ごろ、このテントに到着して、3日間ここで寝た。
 高江の座り込みは、9年間、県道70号線に面したところで行われてきた。しかし、N1,H,G地区に作られる4つのヘリパッド建設を止めるには、山側からの座り込みも必要になり、また県道側には大勢の人間を収容するテントの設置が困難であるので、泊まり込みも可能なテント村ができていた。
 ここは工事が始まるまではとてののどかで静かなところだった。統一連の持ち場で、いつも寝泊まりして監視活動している糸数さんや比嘉さんが守ってきたところである。
 今も彼らはここで頑張っている。12日の夜は比嘉さんがおられた。テントで寝泊まりしている人は僕がいた3日間は、5人前後。近くに止めた車で寝泊まりする人は3~5人ぐらい。
 各地から集まる人たちの集合場所・朝の集会は、ここN1裏テントになっていた。テントの責任者は旧知のPさん。彼は朝5時に皆のためご飯を炊いてくれた。その量は半端じゃない。
 米5キロ!  巨大な釜で炊く。米は洗わなくてもよい米。水はペットボトルの天然水。ガス窯で、なんと5キロのご飯が30分足らずに出来上がる。
 それを皆でおにぎりにする。手で握るのは時間がかかり、衛生面の問題もあるので、茶碗にビニールを敷き、そこにご飯を入れて丸める。ご飯にはあらかじめ塩やふりかけなどをかき混ぜておく。極めて簡単なやり方だが、量が多いので大変。
 山城博治さんの方針で、来てくれた人にはひもじい思いをさせない・売店もない山の中・朝早く来る人におにぎりぐらい準備するのは当然ということで、毎日やっているとこのこと。
 山に入って工事に抗議する人は、そのおにぎりが昼食となる。僕も当然手伝った。3日目はご飯炊きの当番もやった。
 早朝の集会の後、山に入る人、県道70号線でダンプカーを止める人の2つのグループに分かれた。僕はこの日は県道側へ。
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 機動隊が工事車両を守るので、ダンプを止めるのは極めて困難だ。
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 車は上の写真のように動けなくさせられる。車でダンプの通行を阻止するのを、阻止する狙いだ。
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 人間も完全にブロックされる。公道を歩く自由、車で自由に移動することを許さない警備には、何ら法的裏付けがない。
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 大勢に機動隊にこちらは少数。残念ながら人が少ないと、工事は止められない。くやしさがつのる。

2016年10月28日 (金)

沖縄・高江現地の最新情報・見たこと・体験したこと・感じたこと その1

 本土のマスコミからは高江で起きていることはほとんど伝わらない。無視・切り捨てられている。
 そこでこのブログを通して、高江の最近の状況を報告したい。
『 人がたくさん集まれば、工事をストップできる。』
 人間の力は大きい。たくさん集まれば、無法・違法・理不尽を食い止めることができる。警察権力も大勢の人間に手を出すことができない。
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 10月15日土曜日。250人以上の人が、N1表工事ゲート前に集まった。これだけの人が集まると、機動隊は出てこない。工事車両も入れない。完全にまる1日工事をストップさせた。
 現地では水曜日と土曜日は特別な行動日と定め、沖縄本島各地から車やバスで高江に人が集まる。
 思いは皆同じ。「もうこれ以上基地は作らせない」 「沖縄の民意を無視する大和の政権に黙ってはおれない」 「沖縄人の誇りにかけて、この無法・理不尽に抵抗する意思を示したい。」
 僕が滞在した12日(着いたのは夜だが)、15日、19日(10時に現地を離れ、那覇空港にむかった)は、こうして工事車両が山に砂利を運び入れるのをストップさせることができた。
 大勢の人が集まれば工事を止めることができる(遅らせることができる)。警察権力も衝突を恐れ、手を出すことができない。
 沖縄の人々は闘いの中からこのことを学び、最低限水曜日と土曜日は自分の生活を犠牲にして高江に駆けつけている。
 同じ沖縄本島でも那覇からだと3時間かかる。工事車両は8時前に来るから、現地での座り込みは7時半。7時過ぎから続々人が集まる。
 皆さん朝早く起きて駆けつける。辺野古は今工事が止まっているが、工事が再開されれば辺野古にも行かねばならない。現地の負担は大変である。
 もっと大変な人々の存在を紹介したい。現地に泊まり込み、あるいは車で1時間ぐらいのところに住んでいる人は、「場所取り」のため現地に6時過ぎには集まる。
 「場所取り」とは、工事ゲート前に座り込む 場所の確保である。警察・機動隊の多くは、7時過ぎにやってくる。彼らが来る前に座り込む場所を確保しないと、ゲート前を機動隊の車両と警官が取り囲み、我々が座り込むスペースが無くなってしまうからだ。
 日曜日を除いて毎日、朝早くからこうした活動が続けられている。 大和の政府は沖縄の人々にこうした負担をかけていることを忘れてはならない。

2016年10月26日 (水)

沖縄・高江現地から見る大和(本土) その2 松井一郎大阪府知事の対応が象徴する沖縄差別

 松井一郎大阪府知事は自身のツイッターで、「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」と、「土人」「シナ人」と発言した警察官をねぎらった。
 さらに記者会見では、「相手側もひどいことを言っている」と、警官が不適切な発言をしたのは反対派のせいでもあるかのような発言をしている。
 僕は「維新の会」代表でもある松井大阪府知事のこうした対応に、大和(本土)の沖縄差別=沖縄無視=沖縄無理解を感じる。
 もし大和(本土)内で、ある地域の市民運動=住民の政府に対する反対行動があったと仮定し、その地域に派遣された他府県の機動隊員が同様な差別発言をした場合、松井知事のような対応があるだろうか?
 あり得ない! 警官がヤマト(本土)の人間に「土人」「シナ人」呼ばわりをすることもあり得ないし、その警官を擁護する知事なんて考えられない!
 もしそのようなことがあれば、激しい批判の嵐で、辞任ものだ。マスコミも連日批判キャンペーンをするだろう。
 『問題の本質 1 』
 松井知事だけでなく政府も官僚も、沖縄の新基地建設を容認するすべての政治家や大和(本土)の経済人や一般大衆は、「何故、沖縄の人々が高江のヘリパッド建設に反対するのか、辺野古新基地建設に反対するのか」、根本的なことを理解していない。
 大半の大和(本土)の人間は、「日米の信頼関係」「米軍の抑止力が日本(大和)を守る」「そのために沖縄に新基地建設をするのは、やむを得ない」、と考えている。
 
 翁長沖縄知事をはじめ選挙で選ばれた国会議員・県会議員・市町村長を先頭に沖縄の8割以上の住民が、「これ以上米軍基地を作ることは認められない。これまで沖縄は自ら米軍に土地を差し出したことはない。沖縄の米軍基地は住民から土地を強奪して作られた。今、大和(本土)の政府が、新たな基地を米軍のために作ろうとしている。これでは半永久的に沖縄は軍事基地を押し付けれる。
 子や孫、これから生まれてくる子孫のために、沖縄戦を体験したわれわれの世代=大人の責任として、新基地を作らせない!」
 「選挙で我々はこの民意を示してきた。日本は民主主義の国である。沖縄の民意を無視するのは、沖縄差別である。大和(本土)で、このようなことがあるだろうか?」
 「あらゆる手段を行使して、抵抗する。未来に負の遺産を残さない。」
 上記の沖縄の人々の思いを、少しでも理解=共感していたら、松井大阪府知事のような対応はあり得ない。
 『 問題の本質 2 』
 松井知事をはじめ本土の人間は、沖縄に派遣された機動隊(若い警察官たち)が何をやっているのか知らない。
 本土のマスコミは大きな事件がない限り、沖縄での米軍基地がらみのことは報道しない。従って、今沖縄で何が起きているのか、大半の人は知らない。
 大和(本土)から派遣された警察官がやっているのは、違法な交通規制や身体拘束であり、排除の際の暴力である。
 米軍を守り、基地建設業者を守り、反対する住民運動を弾圧するのが、「一生懸命命令に従っている職務」である。
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 工事車両を先導するパトカー。
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 女性を取り囲み、自由な行動(トイレに行く。公道を歩く。 )を1時間以上規制する。時には3時間近くになる時もある。
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 大阪府警の指揮官。N1表工事車両が入るゲートは、大阪府警が担当。
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 反対派住民を機動隊の壁で取り囲み、拘束(人間のオリに入れる)。
 令状なしの拘束はできない。しかしここは無法地帯。警察はやりたい放題。これが松井知事がいう「出張ご苦労様」の実態である。
 基地を作るためなら沖縄で何をやっても、何を言っても許される。これが大和(本土)の対応だ。
*公務員は市民に対し、丁寧な言葉を使わなければならい。市役所の窓口で、いくら暴言を吐かれても、相手にけんか腰で暴言を吐くことはあり得ない。もしあったとすれば、監督者(市長や行政のトップ)は、職員をたしなめ、市民対応の教育をするのが務めである。
 松井知事は 、監督者として失格である。まして今回は差別発言だ。差別解消が行政の責務。その責務を彼は自覚していない。
 

2016年10月24日 (月)

沖縄・高江現地から見る大和(本土) その1

 10月12日から19日まで、沖縄県北部の高江に身を置いた。そのレポートだが、今回はタイトルを「沖縄・高江現地から見る大和(本土)」にした。
 大和(本土)の沖縄無理解・無関心・無知・差別がはなはなしい。それを明確に露呈させたのが、若い警察官2名による「土人」「シナ人」発言であり、松井大阪府知事の対応である。
 まず事件?が起きた18日現場の状況を写真で報告する。
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 僕たちは朝7時過ぎから集まり始める。この写真は7時半過ぎ撮影。
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 大阪から派遣されている機動隊がでてくるのは、8時前後。
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 暴力的なごぼう抜きが20分前後続く。
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 僕たちを排除すると工事用の砂利を積んだダンプカーが、ゲートから山に入る。僕たちはこのダンプを止めるため座り込むが、人数が少ないと機動隊の数の力で、排除され、人間のオリに入れられ、外に出れなくなる。
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この状況で問題の差別発言が出た。写真に収めてないが、その現場は上の写真の山側、道路から10メートルぐらい上がったところ。
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 上の写真は13日に撮影。18日この金網の中にいた警察官が外側にいた沖縄の人に対して、問題の差別発言をした。たまたま目取真さんがビデオをとっていたので、発覚。
 下側にいた大勢の僕たちには聞こえなかったので、分からなかった。
   『 問題の本質  差別と無知 』
 普通、現代の日本人は「土人」という人を見下した言葉を使わない。戦前・戦後まもなくは、東南アジアの島々に人々に対して使う人もいたが。
 いわば死語に近い言葉を、何故若い警官が使ったのか、検証する必要がある。一方、「シナ人」という差別語は、元東京都知事石原氏をはじめ意識的に使う人がいる。ネットでも飛び交っている。若い警官がそうした影響を受けていたものと思われる。
 しかし、高江で座り込んいる僕らは中国人ではない。おそらく警官はそのことは分かっていたはずだ。
 ではなぜ「シナ人」呼ばわりをしたのか?
 右翼が辺野古や高江で座り込みをしている人々を、「中国の手先」「中国から金をもらってやっている」と、誹謗中傷している。ネットでもそのようなデタラメが飛び交っている。
 僕が高江にいる間にも2回右翼が来て、マイクのボリュームを上げてがなり立てた。
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17日に右翼の街宣車が2台来た。
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若い警官は、右翼の影響を受け、あるいは家庭でそのような差別語を使う人の影響を受けて、「シナ人」発言をしたものと思われる。
 こうした発言をした公務員である警察官を擁護する、松井大阪府知事の責任は重い。こちらのほうが大問題。松井知事の対応に、大和(本土)の沖縄差別・無知が見て取れる。
次回もう少し掘り下げて書きたい。

飯舘村写真展

 沖縄・高江レポートは連載になるので、先に昨日から始まった「飯舘村写真展」について。
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 会場は袋井市役所2階市民ギャラリー。僕たちがここで写真展を開催するのは2回目。2年前、パート1をやった。
 市役所に用事で来たついでに、立ち寄ってくれる人が多い。市の職員も昼休みの休憩時に来てくれる。
 昨日23日は日曜日だったので、午前準備、午後4時まで受付にいたが、来場者は少なかった。
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 長谷川健一さん撮影の写真展だが、これは本人の還暦の祝いのもの。
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 線量は高い! 
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 この9月、3度目の飯舘村訪問をして、長谷川健一さんに村を案内してもらったが、菅野村長は国側の立場で、長谷川さんたちの申し立てに足を引っ張っているとのこと。紛争解決センターの和解調定は進んでいない。
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上の支援のお願いちらしは、長谷川さんから送ってもらい、会場においてある。
下の写真は誤って同じものをアップ。消し方がわからない。。。。。。
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写真展は31日午後3時まで開催しています。県西部の方は是非お出かけください。また遠くの方で、写真展を開催したいなと思われる方も、どんな写真展なのか見に来てください。

2016年10月23日 (日)

朝日新聞に投稿した内容が掲載された

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 10月13日付けの朝日新聞全国版に、上記の投稿が掲載された。日本軍の性の奴隷にされたハルモニ(おばあちゃん)たちに関し、昨年12月末の日韓合意を受け、投書したのは3回目。
 1回目は今年1月。

新聞投稿

 慰安婦問題が年末に日韓政治決着した。しかしそれは政府間の妥結に過ぎない。韓国内からは日本の法的責任を明確にすべきとの声が、日本側からは日本大使館前の慰安婦少女像移転がなければ、10億円を出すなとの声もでている。

 私は元慰安婦の方が暮らす「ナヌムの家」を2度訪問したことがある。美空ひばりが好きだと言うおばあちゃんと仲良くなり、一緒に歌を歌ったり、2度目の訪問の時は居室に招かれて昼食をごちそうになった。

 昨年ソウルの少女像を見学に行き、抗議活動をしている韓国の若者と一緒に、1時間像のそばに立った。

 日韓両政府の合意は問題があるにせよ、もうこれ以上の進展は期待できない。今回の合意を誠実に履行して、元慰安婦の方や支援団体の理解を得るのが現実的だと考える。

 政府は像の移転に関わらず、10億円を拠出し、安倍首相の手紙を添えて政府のしかるべき人が、心身に傷を負った方々を訪問すべきだ。

 相手の心に響く言葉と行動で、加害者側が誠意を示すべきだと思う。

 

 

 掲載してくれなかった。文章を修正し、毎日新聞にも投稿したが、ボツだった。
 2回目は、韓国から戻った9月、安倍首相にお詫びの手紙を書いてほしいとの投書を朝日新聞東京本社に送った。

元慰安婦へ安倍首相からの手紙を求める

 

 韓国政府が、日韓合意に基ずく日本政府からの基金10億円で立ち上げた癒し財団から、元慰安婦にされた方々に医療や福祉など生活支援金を渡す際、安倍首相の手紙を添えたいと日本政府に要望していることを知りました。

 首相が心のこもった手紙を書いてほしいと心から願います。私はこの夏3回目のナヌムの家訪問で、90歳前後の元慰安婦3人と面会してきました。1,2回の訪問でお会いし仲良くなったペ・チョンヒさんはすでに亡くなられており、墓参りをさせていただきましたが、元慰安婦の方はどんどん高齢化しています。

 生きている間に、大変なご苦労をおかけしたお詫びの気持ちを、是非首相から手紙で表してください。

 3人とお別れするとき一人の方が、「また来てくださいね」と言ってくれました。私は来年この方たちと再会するため、ナヌムの家を訪れる予定ですが、国を代表する首相からの手紙が被害者の心を慰めることにつながると思います。

 

 しかしこれも不採用。
 10月に入り、 再度同様な内容だが字数を増やし、下記の文章を投稿した。

投稿 元慰安婦問題の解決に関して

 

 韓国政府が安倍首相に元慰安婦(正確な表現は日本軍の性奴隷)への「おわびの手紙」を要請したが、3日の国会で首相は、「毛頭考えていない」と答弁した。昨年12月の日韓合意に首相の手紙といった措置が明記されていないのは事実であるが、「韓国政府と被害女性に冷たい」首相の答弁に、心が痛む。

 同時に、野党も含め日本の政治家や文化人、マスコミからも、「10億円の金を出しただけでは解決にならない。首相のおわびの手紙を出すことが被害者の心をやわらげ、ひいては日韓合意に反対する韓国の人々の反発を軽減する。」との声が全く出てこないのに、日本人の冷たさを感じている。

 私は被害にあわれた女性たちが暮らす「ナヌムの家」を3回訪問したことがある。すでに平均年齢は90歳。1,2回めの訪問で親しくなった女性は、この夏訪問した時には死亡されていた。存命中に被害者にお詫びしなければ、被害者が受けた苦痛・悲しみ・怒りをやわらげることにはならない。

 この夏初めてお会いしたナヌムの家で暮らす老婦人と別れる際、「また来てくださいね」と日本語で声をかけられた。訪問することが少しでも心の癒しにつながるのなら、来年また訪問してハルモニ(おばあちゃん)たちに再会したいと思っている。

 韓国政府の立場にも配慮し、安倍首相に心のこもった「おわびの手紙」を書くことを求める。

 

 うれしいことに担当の記者から電話があり、掲載したいとの連絡があった。

 13日に掲載する。ただし文面は少しこちらで修正したいがよいかとの電話だった。僕の訴えの趣旨が多くの人に届くことが大切なので、「いいです」と答えて、無事掲載される運びになった次第である。

 

つぶやき

19日夕方、沖縄・高江から戻った。ブログをしばらく休んだので、20日午前、久し振りに沖縄レポートを書いた。ところが高江で頑張っている知人から、山城博治さんに関するブログは掲載しないでほしいとの電話があり、削除。
 21日は、2時間かけて、大阪府警の若い警官2名による差別発言「土人」「シナ人」問題、さらにはそれを擁護するかの松井大阪府知事批判、さらには根深い本土に住む側からの沖縄差別・無視について、現地での体験を踏まえながら苦労して書いた記事が、最後のところで突然消えてしまった!
 悪戦苦闘して、書いた記事がパソコンに残っていないか探してみたが見つからず、結局2時間かけて作成した内容が水の泡となった。がっくり。
 パソコンには泣かせられる。ワードで文章を作成するときは問題がないが、ブログを作成中、あるキー(間違って押したキー)に指が触れると、画面が突然消えてしまうときが時々ある。
 記事を再び画面に戻せる時もあるのだが、操作を間違うと復元できない。つくづく自分のパソコン技術の未熟さを痛感させられる。
 沖縄レポート作成は時間がかかるので、別の記事をこの後書くことにする。

2016年10月12日 (水)

浜岡原発を再稼働させない・永久停止・廃炉にさせるための努力

 今日11時に家を出て、高江のヘリ基地建設阻止のため沖縄に向かう。今年4回目の沖縄行となる。
 現地の状況は厳しい。安倍政権は辺野古の工事を本格化させる前に、高江をかたずけようと、全国から機動隊500名と防衛局職員をたくさん集め、自然破壊・基地建設に反対する住民・市民を力で排除・弾圧している。
 作業員を警察車両で運んだり、工事用重機を自衛隊のヘリで運んだり、なりふり構わず工事を強行している。高江はいわば戒厳令状態・無法状態に置かれている。そこに大勢の市民・報道機関が集まらなければ、監視機能が働かない。
 現地からは「とにかく来てくれ」のSOSが連日発せられている。ここ袋井・静岡県でやるべきことがたくさんあるが、仲間が頑張っているのに忙しいからと行かないのは、僕のポリシーが許さない。
 帰宅は19日の予定。それまでブログはお休みします。
 昨日第26回の浜岡裁判が静岡地裁であり、原告として参加した。
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 法廷では写真が撮影できない。上は弁護士会館での記者会見の様子。いつもの広い会議室が先約があり、狭い部屋だったので僕ら原告や裁判支援者は廊下に。
 裁判そのものは弁護士同士のやり取りで、正直面白いものではない。細谷裁判長は女性。訴訟指揮はいまのところ、中電寄りではない。まずまずの裁判長だ。
 裁判の後、別室で進行協議が行われ、僕たち原告も参加できる。原告側の弁護士が中電の裁判引き延ばしを指摘。裁判長も争点整理を双方に求めており、結局来年4月の裁判で、争点整理を終えることになった。
 裁判日程は、来年1月12日、4月13日、7月6日、いずれも午前10時30分開始。
 10月22日午後1時半から、浜岡原発の再稼働を許さない静岡県ネットワーク全体交流会を開催する。
 世話人の一人として、9月、10月、世話人会でその準備をしてきた。沖縄の闘い同様に、僕たち静岡県民は浜岡原発に息の根を止める活動が重要だ。自分の足元の重要問題に背を向けて、他の課題に取り組むのはおかしいと日ごろ感じている。また自分たちの課題だけやればよいという考えにも賛成しかねる。どちらかに比重を置きながら、可能な限り日本の将来がかかる重要問題に真剣に向き合いたい。
 下記の文章は僕が原案を作り、世話人会で修正された22日の交流会用のものです。

県ネット全体交流会 意見交換内容

 

1. 県知事に再稼働の是非を問う県民意識調査の実施を求める要望書

 

2. 再稼働認めないで署名の集約時期と提出時期、さらにたくさん集めるためにどうすればよいか

 

3. 県内各市町議会に再稼働不同意請願書を出す準備

イ) 請願書案

ロ) 提出賛同団体・個人をいかにたくさん集めるか

ハ) 提出時期

ニ) 可決させる戦略

ホ) 県議会はどうする

 

4. 再稼働反対世論を盛り上げるために

イ) 県下一斉街頭宣伝活動と統一ちらし

ロ) マスコミも注目する面白い方法は?

ハ) 目立つ看板・ポスター

ニ) 来年重要局面で1万人規模の大集会・パレードを実施する準備

ホ) 金曜アクション・スタンディングなど注目を集めている活動実施団体報告

 

5. 原発災害広域避難計画問題を、再稼働できる状況でないと世論形成する戦略

イ) 各団体の取組報告

ロ) 全県で取り組むには

 

6. 今後各地の原発関連映画会・講演会・学習会・写真展・福島を忘れないイベントなどの取組報告と、地域間協力

 

7. 来年7月知事選どうする?

 

8. 原発労働者の被ばく問題

 

9. 原発マネー問題

 

10.その他

 

 

                             2016年  月  日

 

静岡県知事川勝平太様

 

                     浜岡原発の再稼働を許さない静岡県ネートワーク

 

 

 

浜岡原発再稼働の是非を問う県民意識調査の実施を求める要望書

 

 

 

 中部電力浜岡原発の地元同意を迫られる時期は未定ですが、来年度後半にも再稼働の動きがあるかもしれません。

 

 県知事川勝平太殿はこれまでの記者会見で、再稼働の是非を判断する際、住民投票(県民投票)の必要性を語られていました。

 

 全ての有権者の意識を調査するに住民投票は確かに有効な手段ですが、県議会の壁があります。10億円前後の経費も掛かります。

 

 私たちは県知事のリーダーシップで実施可能な『浜岡原発再稼働の是非を問う県民意識調査』の実施を要望します。実施時期は来年度を希望します。

 

 浜岡再稼働の是非=地元同意か不同意は、多角的な面から判断する必要性があります。UPZ圏内自治体の判断も重要です。再稼働認めないで署名も県民の声・意見として大きな重みがあります。

 

 県民意識調査も最終的に県知事が判断するうえで、重要な要素だと考えます。県民に寄り添う県知事として、県民の意識を調査することは大切ではないでしょうか。

 

 なお調査項目や質問は、簡潔明瞭に「浜岡原発の再稼働に賛成ですか、反対ですか、その理由を書いてください(理由の選択肢に○を付ける方法もあり)」に絞ることを希望します。

 

 この要望書は、私たち「浜岡原発の再稼働を許さない静岡県ネットワーク」が中心となり、下記の賛同団体の連名で提出します。

 

 なおこの要望書へのご回答は、来年3月までにお願いします。もし可能でしたら、県知事が直接私たちに会ってご回答くださることを希望します。

 

 

                             2017年  月  日

 

○○議会議長○○様

 

 

 

  浜岡原発再稼働不同意の請願書を議会で議決することを求めます

 

 

 

 私たち住民は安心して暮らせる地域社会を守るため、下記の請願書を議会に提出します。慎重に審議の上、議会での採択を要望します。

 

 

 

  浜岡原発再稼働不同意を求める請願書(案)

 

 

 

 福島原発事故原因もいまだに解明されず、汚染水は海洋に漏れ続け、東京電力福島第一原子力発電所の原子炉底部に熔け落ちた核燃料の取り出しの見通しは、全く立たない絶望的な状況にあります。

 

 避難を強いられた住民はいまだ安心して故郷・我が家に戻れない。手術で甲状腺がんが確定した子どもは135名、ガン疑いを含めると174名。今後も甲状腺がんの患者が増えるものと思われます。福島県民の苦難は続いています。

 

 私たちは福島原発災害の深刻さを他人事だとは思われません。静岡県は浜岡原発を抱えているからです。中部電力は原発無しで電気を十分供給できるにも関わらず、利益追求のため、再稼働をあきらめてはいません。原子力規制委員会の審査合格は見通せませんが、合格通知があれば直ちに再稼働に向けての手続きに入るものと思われます。

 

 原発事故災害の影響は、31キロ圏に留まることはあり得ません。静岡県全体、風向き次第で関東圏や中部圏も深刻な影響を受けます。

 

 実効性ある原発災害広域避難計画の策定は、極めて困難な状況です。県外への具体的避難先はいまだ確定していません。スクリーニング実施場所も特定できていません。書面で計画ができたとしても、机上の空論にすぎません。入院患者や老人ホーム入居者、障がい者や寝たきり老人・赤ちゃんを抱える家庭は、体育館や公民館など一般の避難所生活は不可能です。特別な施設での受け入れが絶対必要となります。

 

 そうした災害弱者の避難先や輸送手段の確保もメドが立っていません。さらに深刻なのは、福島のように避難生活が長期化することです。

 

 震源域の真上に立地する日本一危険な原発を動かし、東海地震・南海トラフ巨大地震が発生して原発事故が起きれば、私たちの生活・命・健康・生業が脅かされ、故郷・我が家を追われ、大変な事態になります。

 

 私たちは安心して暮らすため、地域の生活・産業を守るため、浜岡原発の再稼働を議会が認めないことを求めます。

 

 住民の安心・安全な生活を守る使命が議会にあります。以上の理由により、浜岡原発再稼働不同意の請願書を提出し、議会で可決することを求めます。

 

 

 

 22日は会議終了後、懇親会も開く。オール沖縄にならい、僕たちはオール静岡で、浜岡原発の再稼働にストップをかけたいと願っている。 

 

 

 

 

 

2016年10月11日 (火)

福島スタディツアーレポート 12 最終回

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 9月のいわき市議選で5000票以上でトップ当選したばかりの佐藤和良さんに約1時間お話を伺った。
 佐藤さんは東電幹部を刑事告訴した裁判の支援団団長もされている。以下お話の要点 。
・強制起訴に追い込んだが、まだ公判は開かれていない。支援団参加は現在6000人。1万人を目標にしているので、是非支援団に入ってほしい。
・福島は今も非常時にある。日本国憲法は、福島には適用されていない。2重基準だ。国の年間被曝限度基準は1ミリシーベルト。しかし福島は20ミリシーベルトに引き上げられた。
・福島は分断と差別の状況にあり、モノ言えば唇寒し。
・避難者は疲れている。
・東電は汚染水を海に流そうとしている。コバルトやトリチウムは取り除くことができない。 しかし東電は処理水として、海洋に流そうとしているが、県漁連は風評被害を恐れ、反対している。
・東電や国の情報隠蔽や安全神話は今も続いている。
*メモが十分に取れてないので、佐藤さんのお話はこれぐらいにとどめる。
 12時過ぎ、小名浜漁港の観光施設「ら・らミュウ」で昼食を取った。
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 海鮮どんぶりは美味しかった。食事の後、魚売り場へ。
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 表示をよく見ると、福島産は一切無し。ノルウエー・チリ・中国・韓国など外国産が多い。もちろん国内産も販売しているが、静岡・三重・岡山産など、比較的福島から遠い地域の魚が目立った。
 3年前個人でここに来たとき、福島産は無かったが、宮城・岩手・茨城・千葉・青森など近海ものが多かったように記憶している。
 消費者には福島の海から遠いほうが好まれるのかもしれない。地元の魚を売れない現実に、魚屋さんたちは悲しい思いに違いない。
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 上の写真は震災を忘れないための県の展示施設 。3年前に比べて明るい雰囲気。原発災害の写真は全くない。復興に向けて頑張っていることが強調されているように感じた。
 2泊した宿の食事風景や交流会の様子もレポートしたい。
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 17日、二本松市の男女共生センターの夕食。1200円だが、意外にたくさん料理が出て、美味しかった。スープやソフトドリンクはフリー。二本松城に近く、この施設はきれいで安く、お得です。
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 いわき市の新舞子ハイツでの夕食交流会の様子。温泉大浴場に入った後のビールは美味しかった。一人一人に感想を話してもらった。 歌も飛び出し、和やかな交流会となった。
 帰りのバスでも、参加者全員に3日間で感じたこと、今後浜岡原発再稼働をさせないため自分は何ができるのかなどを話してもらった。 NHKで放映された原発関連の映像録画を参加者が持ってきてくれたので、皆で試聴。良い勉強になった。
 東京に近づくと道路は大渋滞。予定より2時間近く帰宅が遅れたが、内容的には充実した福島スタディツアーになったと思う。

2016年10月 9日 (日)

福島スタディツアー レポート10 いわき市の放射能市民測定室「たらちね」訪問

 町内の祭典の関係で、レポートが中断してしまった。9月19日ツアー最終日、いわき市の放射能市民測定室「たらちね」を訪問した。
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 事務局長の鈴木薫さんがたらちねの活動の概略を説明してくださり、後半は僕たちの質問に答えてくださった。
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  以下お話の要点。
・市民から野菜や果物・魚など食品、さらには土壌の測定依頼を受けている。料金は1000円~3000円。通常なら25万円かかる。
・放射能ボディカウンターもあり、体の汚染も測定する。
・協力してくれる医師が土・日にここにきてくれ、甲状腺の診察を実施している。来年度、ここに診療所開設予定。
・こうした経費は全て市民と企業・団体からの寄付金で賄っている。民間のファンド・生協・デイズジャパン・東京ライオンズクラブなどが協力してくれている。                (竹野感想ーーーたらちねの事務所はいわき市のほぼ中心部のビルの3階にある。この事務所の家賃だけでも大変だが、高額な測定器の購入・維持管理費など、相当な経費が必要。
 行政の助成金なしに全て市民と企業・団体からの協力で運営しているのは、すごいことだと頭が下がる。)
・広野町や楢葉町などに帰還希望される方のサポート事業も実施。
・子どもの精神ケアも。
・甲状腺の検査は難しい。エコー検査は医師の力量が必要。
・たらちねに協力してくれる甲状腺専門医師は、北海道と島根県から来てくれる。全てボランティで。
・福島県での甲状腺検査のデータは、国や福島医大が吸い上げるだけで、医療機関に情報を下ろしていない。
・放射能の線量は、いわき市は低いが、中通り(福島市や郡山市など)は高い。母親の不安が子供に影響する。
・薬を服用している子どもが多い。
・給食に福島産のコメが使用されているが、心配な母親はお米だけは弁当で持参させている。給食を食べづに自宅から弁当を持たせようとしたら、子どもが他の子どもと一緒のほうがいいと、断る場合が多い。
・大熊町の男性の死亡率が高い。白血病やケイガンなど。放射能の吸い込みが原因だと思われる。
・県当局への不信感が強くなっているが、一方大人の無関心も。
・福島の漁業は、相馬漁協は試験操業に熱心だが、原発に近いいわき漁協は慎重。原発から20キロの外洋で、試験操業をしている。
・台風が来ると海が汚染されることを、福島県民は知っている。
・三陸わかめから、ストロンチウムが検出された。
・静岡のお茶も線量が高い。しかしお茶の線量は、お湯を注いで飲む状態で測定されるから、基準値以下となっている。
 
・デイヅジャパンの「るみの里」子ども達とお母さんの保養プロジェクトに協力している。毎回30人から50人送りだしている。( 僕はデイヅジャパンの創刊号からの愛読者なので、るみの里保養プロジェクトはよく知っている。たらちねにそのチラシがあたので、参加者に配布した。)
 どのように参加者を集めているのか、具体的なことを聞き忘れたのが残念。
 鈴木薫さんのお話は9時20分から10時50分まで。この後、同じ場所で、いわき市議の佐藤かずよしさんにお話を伺った。このレポートは次回にします。

2016年10月 5日 (水)

福島スタディツアーレポート 9 浪江町からいわき市まで、国道6号線を行く

 浜通りの幹線・国道6号を車窓の景色を見ながらいわき市の宿舎に向かった。双葉町の線量は、1,16マイクロシーベルト。
 東電の第一原発がある付近は、2マイクロ以上。道路のモニタリングポストがあり、線量が分かるようになっている。
 大熊町に差し掛かると、道路左右の民家はバリケードが張り巡らされていた。立ち入り禁止措置だ。
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 この写真では分かりにくいが、前方左右の柵がバリケード。道路から家には入れないようにしてある。
 双葉・大熊町は、汚染土の置き場となるが、道路からはフレコンバッグの山は見えなかった。政府は30年後には、最終処分場に移すと言っているが、どこに汚染土を引き受けてくれる市町があるだろうか?
 30年後には、双葉・大熊町を一時保管場所と決めた責任者たち=政治家・政府の役人たちは、退職している。亡くなっている人もあるだろう。誰も責任を足らない! 恐らく永遠に、この地にフレコンバッグの山=汚染物質が置かれ続けるだろう。
 誰もすめない町。廃墟のような町。これが30年後の双葉・大熊町の未来だと思う。双葉・大熊町に住んでいた人たちは故郷を奪われた。
 これが原発災害。この悲劇に目を背けて、政府・電力会社・財界は、原発の再稼働を進め、海外に原発を輸出しようとしている。
 電力は足りている。原発が無くても、日本経済は回っている。国民誰一人、電力不足で困っていない。
 にも関わらず 、原発にしがみつくのは、 金儲けのためと、核武装のためだ。
 ビジネスの世界は悲劇を金儲けのチャンスにする。富岡町・広野町に入ると、真新しいアパートが たくさん建てられていた。コンビニやランドリー店、食堂も目に付く。
 廃炉作業を担う作業員や除染作業員の宿舎や生活のためだ。土地を所有する地元の人も潤うが、一番設けているのは大手建設会社。財界は巨額の税金が投入されている廃炉作業と除染作業で、つまり僕たち国民の金で儲けている。
 軍需産業もそうだが、産業界は倫理感や正義感とは無縁。利益を生み出すものなら、なんでもとりつく。自民・公明の政治家や政府の高級官僚は、彼らが利益を上げる手助けをすることが仕事=使命だと思っている。
 エセ文化人も同じ。バスのトイレ休憩で寄った「道の駅ならは」に、ハッピーロードの事務所があった。
 ハッピーロードという団体は、原発事故で汚染された地域を貫く6号線の沿道に桜を植え、高校生をかりだして道路わきのクリーン作戦をやったり、東京オリンピックの時には聖火ランナーを走らせることを目指している。その顧問が櫻井よしこ。事務所に張られたポスターに、彼女の名があった。

2016年10月 4日 (火)

福島スタディツアーレポート 8 浪江町西病院の元医師・菅野さん

 希望の牧場を見学した後、浪江町のたったひとつしかないコンビニ前で、菅野千代子さんご夫婦にバスに乗ってもらった。
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 ご主人の菅野医師。実は奥さんの千代子さんには2年前のツアーで案内してもらったのだが、今回はご主人が静岡の皆さんに是非話したいとの申し出があり、好意に甘えた。
 菅野ご夫妻は、 現在那須に住んでおられる。2年前は福島市に住んでおられたが、引っ越しされたようだ。
 バスの中での菅野医師の話。
・町役場職員は、浪江町の外に土地や家を買い求めているが、町民には帰ろう・帰ろうと言っている。
・3.11のとき、西病院には80人の入院患者がいた。3月14日にまず10人が避難したが、避難命令を知ったのは、その後。順次避難し、運びきれない患者は自衛隊のヘリが来て、20人を運んでくれた。14日中に全員脱出。
・病院には電気がきていた。防災無線は役に立たなかった。
・ 独身の職員が最後まで残ってくれ、患者さんが死亡することはなかった。
・甲状腺がんは疑いを含めて174人でているが、放射能との因果関係はないとは言い切れない。結論はこれから。文明国の日本はデータをきちんととる必要がある。(検査を続け、きちんと調べないと)世界に恥じることになる。
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 バスの中で話を聞いた後、請戸小学校へ。
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 学校に入る道は雨水がたまっていたので、中に入ることはできなかった。2年前は校舎の近くに高いがれきの山があったが、現在はほとんど片づけられていた。校舎の中にはこれまで2回入ったことがあるが、恐らく同じ状態だと思われる。災害遺構として保存すするかどうかは、まだ結論が出ていないようだ。
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 海岸近くにがれき類を焼却して容量を小さくする工場が立てられ、浪江町のがれき類はここで処分される。飯館村にも同様な焼却炉があった。1つの工場建設に数百億円 。
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 津波と原発事故のせいで助けられなかった犠牲者の慰霊碑と卒塔婆。
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 それぞれ黙とうした後、様々な思いの参加者。
御殿場市から同乗してくれた石井さんの自宅跡は海岸部にあるが、 バスでそこまでは行けなかった。
 菅野ご夫妻の自宅は浪江町の中心部にそのまま残っているが、道が狭いのでやはり見学できなかった。
 

2016年10月 1日 (土)

福島スタディツアーレポート 7 希望の牧場 吉沢正巳さん

 18日午後、希望の牧場へ。
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 事務所で希望の牧場代表・吉沢正巳さんのお話を伺う。僕は三度目の訪問だが、初めての参加者は食い入るように吉沢さんの歯切れのよい話に耳を傾ける。
 現在飼育しているのは、330頭。10頭に白い斑点が出ている。政府は殺処分を命じたが、この牛たちは原発事故の生き証人(牛)。いくつかの大学の獣医学部と提携して、放射能の影響を調べてもらっている。
 牛のエサの確保が大変。汚染された草をもらい、食べさせている。飼料代はタダだが、ここまで運ぶ輸送費は全国の皆さんのカンパで賄っている。
 浪江町に原発を作る計画があったが、自分たちが反対してつぶした。しかし原発事故で浪江町は全町民避難。政府・福島県・町当局は、帰還宣言を出して住民を戻す計画だが、戻る住民は少ないだろう。
 安倍政権は東京オリンピック(2020年)の時には、原発事故が完全に収束して福島は復興したと世界に宣伝したい方針だが、事故原因も分からない・放射能汚染水は漏れ海を汚染し続け・戻る住民は少ない。
 メルトダウンした核燃料はどこにあるかもわかっていない。再爆発を防ぐために、永遠に水で冷却しなければならない。地下水流入を防ぐ凍土壁対策は破たんしている。現場は地獄である。
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 いつまた大事故が起きるか分からない。日本は時限爆弾 を抱えている。オリンピックどころでなないことを訴えるために、赤いモリモを作った。そう言って、吉沢さんは赤いマリモを見せてくれた。
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 白いバスは僕たちが乗ってきたバス。白いロールが積まれているが、中に乾燥草が入っている。吉沢さんが指さししているのは、九州大学の先生が制作して提供してくれた原発事故を告発する牛のモニュメント。
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 赤い垂れ下がっているものは牛が血を出していることを表している。夜は電球がつく。吉沢さんはこの牛のモニュメントを軽トラに乗せ、全国を回っている。
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