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2016年10月 4日 (火)

福島スタディツアーレポート 8 浪江町西病院の元医師・菅野さん

 希望の牧場を見学した後、浪江町のたったひとつしかないコンビニ前で、菅野千代子さんご夫婦にバスに乗ってもらった。
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 ご主人の菅野医師。実は奥さんの千代子さんには2年前のツアーで案内してもらったのだが、今回はご主人が静岡の皆さんに是非話したいとの申し出があり、好意に甘えた。
 菅野ご夫妻は、 現在那須に住んでおられる。2年前は福島市に住んでおられたが、引っ越しされたようだ。
 バスの中での菅野医師の話。
・町役場職員は、浪江町の外に土地や家を買い求めているが、町民には帰ろう・帰ろうと言っている。
・3.11のとき、西病院には80人の入院患者がいた。3月14日にまず10人が避難したが、避難命令を知ったのは、その後。順次避難し、運びきれない患者は自衛隊のヘリが来て、20人を運んでくれた。14日中に全員脱出。
・病院には電気がきていた。防災無線は役に立たなかった。
・ 独身の職員が最後まで残ってくれ、患者さんが死亡することはなかった。
・甲状腺がんは疑いを含めて174人でているが、放射能との因果関係はないとは言い切れない。結論はこれから。文明国の日本はデータをきちんととる必要がある。(検査を続け、きちんと調べないと)世界に恥じることになる。
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 バスの中で話を聞いた後、請戸小学校へ。
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 学校に入る道は雨水がたまっていたので、中に入ることはできなかった。2年前は校舎の近くに高いがれきの山があったが、現在はほとんど片づけられていた。校舎の中にはこれまで2回入ったことがあるが、恐らく同じ状態だと思われる。災害遺構として保存すするかどうかは、まだ結論が出ていないようだ。
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 海岸近くにがれき類を焼却して容量を小さくする工場が立てられ、浪江町のがれき類はここで処分される。飯館村にも同様な焼却炉があった。1つの工場建設に数百億円 。
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 津波と原発事故のせいで助けられなかった犠牲者の慰霊碑と卒塔婆。
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 それぞれ黙とうした後、様々な思いの参加者。
御殿場市から同乗してくれた石井さんの自宅跡は海岸部にあるが、 バスでそこまでは行けなかった。
 菅野ご夫妻の自宅は浪江町の中心部にそのまま残っているが、道が狭いのでやはり見学できなかった。
 

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