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2017年9月

2017年9月28日 (木)

安倍首相が衆議院解散を「国難突破解散」と名付けたことについて

 北朝鮮のミサイル開発・核実験、そして日本上空を飛ぶミサイル発射を、「日本の危機=国難」と、国民に不安・恐怖心を煽り立て、そしてついに衆議院解散の大義の一つを、「国難突破」にした安倍首相の狙いは、戦前の軍部と同じやり口で大衆をだまそうとするものである。
 国内の諸問題から目をそらし、とにかく今は「国難だ」、北朝鮮の脅威から国民を守るのは防衛費を増額し、憲法9条に自衛隊をきちんと位置付ける憲法改正を目指す自民党以外にないと、世論を誘導する戦略だ。
 本当に北朝鮮のミサイル開発が、「日本の国難」だろうか? 確かに言葉ではトランプと金ジュンウンは火遊びをしている。戦争につながりかけない物騒な脅しあいが続いている。
 しかしそれは北朝鮮とアメリカ両指導者の愚かな非難応酬に過ぎない。北朝鮮のミサイルは日本上空、宇宙空間を飛ぶにすぎない。
 ミサイル発射の失敗は、打ち上げ直後であり、日本上空の宇宙空間を飛んでいる状態では、慣性によりそのまま飛び続ける。途中、日本列島に落下する確率はゼロに近い。
 イージス艦やパック3で撃ち落とすことも不可能な高高度で飛ぶミサイルは、アメリカを標的にしている。まだ正確にアメリカ本土の大都市を攻撃できるまでに至っていないから、北朝鮮はミサイル発射実験を繰り返している。
 アメリカの軍事攻撃を恐れる北朝鮮は、国防は核兵器とアメリカを攻撃できるミサイルを保有することだと信じている。
 軍事バランス=核抑止論である。これは全ての核保有国がその理論に基づき、核を保有し続けている。全ての核保有国が国連の核兵器禁止条約に背を向けているのも、核兵器が使えない兵器となれば、核抑止論が崩れるからに他ならない。日本が被爆国でありながら、核禁止条約に署名しないのも同じ理由である。
 意図的にありえない恐怖をあおり、「国難突破」を選挙戦略にする安倍自民党のもくろみを破たんさせるには、冷静な判断力を国民が持つことにあると考える。
 

2017年9月25日 (月)

友寄さん講演会の写真

友寄さん講演会の写真
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沖縄の心こそーー沖縄の歴史と現実 友寄隆静さん講演会

 23日、デンマーク牧場のまきばの家で、「沖縄の心こそー沖縄の歴史と現実ー」と題して、沖縄市にある光の子保育園園長・友寄隆静(ともよせりゅうせい)さんの講演会があった。
 沖縄に心を寄せる人間としてどんなに忙しくともこれは参加すべきだと出席した。僕にとり友寄さんは初めての方だったが、参加してよかった。
 沖縄はなぜ辺野古新基地建設に反対するのか、その心を、歴史と沖縄が置かれている理不尽な現実の両面から、分かりやすくお話してくださった。
 沖縄差別・侵略・米軍への譲渡・軍事支配下の数々の悲劇に関するお話の中で、僕にとり最も印象に残っているのは、1947年昭和天皇がマッカーサーに宛てたいわゆる天皇メッセージである。
 友寄さんは1947年生まれ。僕も同年生まれである。5月3日、現在の日本国憲法が施行された。憲法は天皇の政治的行為を禁じている。
 にも関わらず、昭和天皇はこの年9月に、アメリカと日本を守るために沖縄の米軍基地をそのまま使ってくれと、マッカーサーに手紙を出している。
 これは憲法で禁じられてる政治行為であり、しかも領土分割支配につながる最高度の政治的メッセージである。
 沖縄の歴史は天皇メッセージにより、異民族支配=米軍支配=軍事基地拡張=核兵器の持ち込み=基地被害につながってきた。
 友寄さんは昭和天皇による憲法違反の事実を、御厨東大教授に指摘したが答えは返ってこなかったそうだ。
 大和=日本の憲法学者で、昭和天皇の憲法違反を指摘する人はいない。少なくとも僕はそのような指摘・発言をする学者の存在を知らない。
 沖縄に何度も足を運び、色々な沖縄の方の話を聞いているが、このような指摘は初めてだった。
 友寄さんは、昭和天皇の行為を許せないと明確に述べられた。僕は深く共感する。
 海勢頭豊さんの「月桃」の歌を保育園で歌っているお話も心に残っている。会場で月桃のcdを聞かせてくれた。
 太田昌秀元知事や島袋文子さん、阿波根さん、瀬永亀次郎の生きざまに触れながら、「戦争につながるものを拒否」 これが「沖縄の心」と結ばれた。
 クリスチャンとして物静かな優しい語りが、心にすとんと入る素晴らしい講演会だった。
写真は例により文章が消える恐れがあるので、次回にアップします。

2017年9月23日 (土)

高齢者の定義見直しを求める

 18日の「敬老の日」に合わせ、総務省が『 65歳以上の高齢者人口は、3,514万人 』と発表した。
 総人口に占める割合が、27,7%。 2040年には、35,3%になるとの見通し。
 寿命が延び、少子化社会にあって、この数字は当然。驚くに当たらない。問題は、65歳以上を高齢者にしている統計の取り方と、高齢者の定義を何歳からにするかだ。
 僕は今年70歳。僕の周りの人を含め、「自分は高齢者」と思っていない。皆元気に、色々な活動やら仕事をしている。
 「高齢者」などとひとくくりにされるのは、まっぴらごめんだ。
 年金や介護、医療の分野では、「高齢者」線引きは重要だ。その分野での年齢の線引きと、社会的な高齢者というイメージの微妙な違いや当事者の認識を、分けて考えたらどうだろうか。
 社会保障にかかわる線引きは、軽々しく言えないので、ここでは社会的なイメージとしての高齢者の定義(年齢の線引き)を問題にしている。
 家族や社会が「この人は高齢者だから、配慮する必要がある」と認識する線引きは、その対象が何らかの見守りやサポートが必要になる時期でよいと思う。
 それは個人差があり、80歳以上でも配慮が不要の人もいるが、男性の平均寿命が80歳であることを考慮すると、75歳以上を「高齢者」と定義したらどうだろうか。
 「敬老の日」に、高齢者として行政からお祝いしてもらう年齢が、年々上がっている。僕が住む町内では、77歳以上がその対象となった。
 65歳から75歳までの人間を、高齢者とひとくくりせず、社会に貢献する重要な年齢層として、新しい表現(ネーミング)を考えることを提唱したい。

2017年9月22日 (金)

衆議院解散総選挙は党利党略許されない暴挙

 突然の安倍首相=自民党による衆議院解散・10月選挙の話。誰の目にも、大義なき、党利党略の打算が働いた選挙だ。
 選挙費用が約600億円。先日の袋井市議会総務委員会で、原田市長も「忙しいなか行政としても準備しなければならないし、迷惑に感じている。」と、あいさつの中で述べていた。
 8月に内閣改造を行ったばかり。”仕事人内閣”が、仕事もせず、解散とはあきれる。
 北朝鮮のミサイル・核兵器開発の脅威をあおり、民主党が離党者続出・党内ごたごた、野党共闘に消極的な党首誕生、森友・加計疑惑逃れの好機=今だ!チャンスだ!と、計算したのだろう。
 この国政の私物化に、国民=主権者である我々がどう対応するのかが問われている。

2017年9月17日 (日)

袋井市議会 9月 一般質問

 9月13日、下記の内容の一般質問をした。質問の書式内に市長の回答要旨及び僕の注釈を竹野注、という形で入れてあります。
                                   
 

 

 
 

 

 

 

 
 

一問一答・一括

 
 

代表質問 ・ 一般質問  通告書

 
 

質問事項(大項目)

 
 

具体的な質問事項(小項目)

 
 

 

 

商工会議所に駅北口市有地と貸与する計画と、それに伴う総合センター商工会持ち分42%を将来買い取る問題

 

 

 

 

 
 

 

 

この計画は市幹部から「駅前活性化・賑わい作りのため、駅北口駐輪・駐車場の利活用を考えてほしい」と、当時の商工会トップに話があり、商工会として検討した結果、駅前にホテルを建設し、その中に商工会が入る計画が作成された。

 

 

 

1. この話を持ち掛けた市の幹部は誰か

市長: 平成19年度に、市の玄関口となる袋井駅前の商店街を中心とした今後のまちづくりを示す「中心市街地活性化基本計画」の素案を作成する中で市と商工会議所とで意見交換を行い、袋井市には、ホテルなどの宿泊施設が不足していることが双方の認識であり、そのことが駅北口市有地の協議の始まりであったと認識しております。」

竹野注: 実際には市側から(市長サイドから)3年前具体的な市有地利活用を持ちかけているが、意図的に回答をぼかしている。

 

 

 

2. 駅前に商工会が移転し、ホテルやコンベンションホールが完成したとして、それで駅前北口に賑わいと活性化、特に北口商店街に活気が戻るか

市長: 駅北側の商店街を含めたまちの活性化を期待するものである。

 

3. 駅南田端商業地区土地区画整理事業が、平成33年に完成した場合、買い物客や人の流れが新しい施設に向かい、駅北口活性化と賑わい・特に駅前商店街に大きなマイナスの影響が出ることが心配される。

 

   この点、市長はどう考えているか。

 

 

市長: 駅南北の交流を推進する。  南北の回遊性をもたせ

    ることで、相乗効果を期待する。

 

 

4. 商工会は駅北口市有地の無償貸与を希望している。市長は、無償有償どちらを考えているのか。

市長: 事業計画書において、ホテルの宿泊者数や多目的ホールの利用者数の見込み、これに伴う駅周辺の商店・飲食店などへの経済波及効果など公益性や駅前活性化への寄与の度合いなどを確認し、市有地の貸与方法を判断する。

 

 

 

 

5. 市有地貸与は、市の財産処分に関わることであり、議会の同意が必要である。市長副市長が6月にこの問題で商工会幹部と意見交換を行っている。ボーリング調査が8月下旬に実施され、事業が動いているように見える。しかしこの計画は議会で承認されていない。議会の承認なしに動くのは、議会軽視と思われるが、どう認識しているか。

市長: 本年6月の建設経済委員会において、商工会議所からボーリング調査の現地作業を実施したいとの意向が出されていること、駐輪・駐車場の利用者に影響のない範囲で認める旨、報告している。

竹野注: 報告しているからよしとし、議会軽視の質問には答えず。

 
 

 上記のとおり通告します。

 

  平成 29 年 9 月 4 日

 

 袋井市議会議長 髙木 清隆 様

 

 

 

議席番号  5  番

 

氏  名  竹野 昇

 
 

 

 

 

 
 

角丸四角形: 記載例

 
 

一問一答・一括

 
 

代表質問 ・ 一般質問  通告書

 
 

質問事項(大項目)

 
 

具体的な質問事項(小項目)

 
 

 

 

 

 
 

 

 

6. 上記に関連し、6月1日の商工会幹部との意見交換で、どのようなやりとりがあったのか。

 

 

市長: 3days  worker's  office  構想や産業経済懇話会、まちの国際化など今後の市政運営について説明した。

 駅北口市有地活用事業について、商工会議所内の議論の状況の説明を受け、今後まちづくり会社が作成する「事業計画書」をもとに、協議を重ねていくことを改めて確認した。

 

 

7.商工会が総合センターの土地建物持ち分42%を市に売却する(市に買い取ってもらう)ことを希望している。もし買い取る場合、その費用はどれぐらいと予想しているのか。またその支出は一般財源で賄えるのか、新たに借金(市債の発行)となるのか。

市長: 今の段階で具体的な金額を示すことはできない。

    今後、取得する場合の価格について、適正な価格となるよう不動産鑑定を基本とし、固定資産税評価額などの公的評価も参照したうえで算定したい。

    財源については、建設を伴わない、土地・建物の取得であるので、現制度では起債対象とならず、一般財源で予算措置を行うことになる。

竹野再質問に関する注:

 質問時間が30分。最初の1から7の質問の際、説明に時間を割き、24分使う。残り6分だったので、2と3に絞り、市長の見通しは甘い、駅前・北口商店街の活性化につながらない、再度市長の見解を問うと、再質問をしたが、市長でなく担当課長が答えにならない答弁をした。

  時間切れで鋭い再質問ができなかったことが悔やまれる。

 
 

 上記のとおり通告します。

 

 

 

  平成29  年  9月 5 日

 

 袋井市議会議長 高木 清隆 様

 

議席番号 5 番

 

氏  名 竹野 昇 

 

2017年9月15日 (金)

袋井商工会議所駅前市有地に移転する計画を市議会で取り上げるにあたって、事前に市政便りを発行

 市議会一般質問の報告をする前に、9月10日市内全域新聞折り込みで配布した「竹ちゃんの市政便り第3号」のこの問題に関わる部分をコピーします。

竹ちゃんの市政便り3

はじめに

 

『1』 市政便り3号発行にあたって

 

 6月に発行した2号に対し、市民の皆様から様々な反響がありました。大半は好意的な声ですが、「みつかわ夢の丘公園」についての私の記述に関し、「こんなところに」との表現が地元の人々に不快な思いをさせ、誠に申し訳ありませんでした。深くお詫びいたします。

 

『2』今回発行「商工会議所駅前市有地への移転問題」についての特集にあたって

 

 多くの市民の皆様は、この移転計画の具体的内容をご存じないと思います。私も議員になるまでは、新聞報道でそのような計画があることを知っていましたが、詳しい内容は全く知りませんでした。

 

 この問題は駅前の一等地である市有地(現市営駐輪・駐車場)を無償で商工会議所に貸与するこことの是非や、現総合センター内の商工会議所建物・土地を市が買い取る問題です。議員として集めた情報を市民の皆様に提供し、共に考えるために、今回特集しました。

 

商工会議所駅前北口市有地(市営駐輪・駐車場)への移転計画について

 

『ア』 民間の団体が民有地に移転するなら取り上げません

 

 商工会議所が自らの判断で民有地に移転するなら、議会便りで取り上げたり、議会一般質問で取り上げることはあり得ません。

 

 問題の本質は、市民の大切な財産(JRから8億2,506万円で購入した土地)に関わることであり、総合センターの商工会議所持ち分42%を買い取るには、市民の貴重な税金が使われることです。

 

 さらに、このことが市民の利益になるかどうか、駅前活性化・賑わいにつながるのかどうかが、重要なポイントです。

 

『イ』 移転計画の概要

 

 駅前市有地に20億円の事業費でホテルを建設し、その中に商工会議所が入る。ホテルには会議・パーティなどが催せる多目的ホール(コンベーションホール)を作る。飲食店も入る。

 

 現在の市営駐輪・駐車場(自転車バイク1,143台。車86台)は解体。ホテル建設に合わせ、約800台収容の駐輪場・約110台収容の駐車場を作る。

 

 商工会議所並びに「どまんなか袋井まちづくり株式会社」(商工会と役員企業が出資)が、共同してこの事業を推進する。

 

 上記会社に、袋井市が市有地を無償貸与。(無償かどうかは正式には決まっていない。ただ新人議員研修会で配布された資料及び商工会議所の内部文書には無償貸与と書かれている)

 

 「まちづくり株式会社」が20億円を銀行から借り入れ、ホテル本体・駐輪・駐車場を建設。

 

 ホテルや飲食テナントは、ホテル運営会社へ賃貸する。

 

 新しく建設される駐輪・駐車場は、商工会が専門業者に維持管理を委託し、市営ではなくなる。

 

 商工会議所は、総合センターの土地建物を市に売却。ホテル棟内に、商工会議所会館を区分所有。

 

 事業収支計画は、30年間に黒字となることを目指す。

 

『ウ』 移転計画の経過

 

(A) 3年前市幹部より、駅前活性化・にぎわい作りのため北口駐輪・駐車場の利活用を考えてほしいと、当時の商工会会頭豊田富士雄氏に申し出があった。

 

(B) 商工会は3年前、4千万円をかけ空調設備を改修したが、今後建物が老築すればメンテナンス費用もかかり、市幹部からの話をうけ移転を含む駅前活性化を検討する「まちづくり委員会」を平成26年に設置。

 

(C) 正副会頭・部会長会議や常議員会議、まちづくり委員会で、事業内容の検討を重ねる。

 

(D) 今年3月に常議員総会が開かれたが、これまでの議論でリスクが大きいとの慎重論や疑問点が多々出ていたので、事業内容の説明にとどめ、事業承認の採決は行われなかった。

 

(E) 今年4月12日の常議員会議で、執行部提案の事業計画が了承される。

 

(F) 今年6月1日、市長・副市長と商工会正副会頭・専務理事が意見交換。

 

(G) 市議会では、昨年11月議会本会議でこの問題に関する一般質問があり、原田市長は「駅前活性化につながり公共性があるので、市として前向きに協力したい」旨の答弁。

 

(H) 市議会建設経済委員会では、事業内容の説明は行われているが、市有地無償貸与是非の議論は行われていない。

 

(I) 市議会本会議でも、この問題についての議論はなされていない。市の財産処分・取得、公金支出は議会の承認が必要だが、まだ計画段階にあるので議論・承認の段階にいたっていない。

 

『エ』 私が問題だと思うこと・疑問に思うこと

 

市民の財産(8億円以上もの税金で購入した一等地)を、議会や市民の了解もなく、市の幹部が商工会幹部に「駅前活性化・にぎわい作りのために、無償で貸す」と申し出ていること。この申し出から、移転計画が始まりました。

 

商工会が駅前に移転し、ホテルができて、それで果たして駅前活性化につながるのか?賑わいにつながるのか?

 

市営駐輪・駐車場の収入は、25年度5,99万円、26年度5,024万円、27年度4,437万円。管理委託料を差し引くと実収入はもっと少ないですが、今後その収入は市の会計には入らなくなる。

 

総合センターの商工会持ち分42%を市が買い取るには、新たな税金支出が必要となる。金額は現段階では分かりませんが、恐らく億を超えるものと思われます。

 

 総合センターは平成元年3月に完成。築28年経過しているが、法定耐用年数は50年で、まだまだ使用可能。商工会議所も直ちに移転しなければならない必然性はないと思います。

 

 市営駐輪・駐車場は、平成610月に、7,926万円の税金を投入して開設。完成して13年しか経っていない。取り壊し、新たに作るのは、お金と資源のムダ使いと思います。

 

 ホテルができても潤うのはコンビニと飲食店のみ。駅前商店街の活性化に結びつくとは思えません。

 

 そもそもホテル経営が成り立つか疑問。ホテル運営会社が採算が合わないと撤退すれば、商工会(どまんなか袋井まちづくり株式会社)は大きな負債を負うリスクがある。

 

 会議やパーティなどが催せる多目的ホール(コンベンションホール)が無くても、会議には総合センター4階大会議室や公民館、50~150人程度のパーティ・宴会なら市内の施設で対応できる。

 

 総合センターの近くには市役所・警察署・郵便局があり、2年半後には消防署・防災センターが警察署の向かい側にできます。市の重要機能が集まり、駐車場も周りにたくさんある現在地のほうが便利だと思います。

 

 市営駐輪場は1,143台収容可だが、商工会移転で800台に減少。駐車場は86台収容可が110台と増えますが、ホテル利用者・商工会関係者も利用するので、市民が利用できる台数は減少するものと思われます。

 

 新たな駐車場はホテル東側に4階建てのループ形式のものが作られますが、高齢者には使い勝手が悪くなります。

 

『オ』 今後どうなる?

 

 この問題の担当課は、産業政策課。今後の見通しについて質問したところ、商工会から詳しい事業計画が提出されるのを待っている段階であり、正式な事業計画が出た後、市議会に市有地貸与・現商工会議所建物・土地の買い取りについて説明し、承認を求めるとのこと。

 

 議会が承認すれば、この事業は具体化します。

 

『カ』 一議員として思うこと 議員の責任

 

 私は税金の使われ方や街作りに大いなる関心を持っています。税金の使われ方をチェックするのが、議員の最大の仕事・任務だと思っています。

 

 議員になる前は自分の意見を述べるだけで済みましたが、これからは責任を伴うことを自覚しています。市当局から出される案件を承認するかどうかの判断基準は、市民の利益に結び付くかどうかを大切にしたいと考えています。

 

 袋井市政の主人公は袋井市民だと思います。市民の皆さん方が市政に関心を持ち、おかしいなと感じ・疑問を持ったら、市当局や議員に聞いてください。

 

 議員は市民の皆様方のご意見や考え要望・つまり世論を踏まえて、判断すべきだと思っています。そこで市民の皆様方に、先ず情報を提供し、考えていただくために今回の特集を組みました。

 

 9月議会ではこの問題に関し一般質問をする予定です。

 

2017年9月14日 (木)

2017年夏 韓国レポート 最終回 写真編 続き

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2017年夏 韓国レポート 最終回 写真編

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2017年夏 韓国レポート 最終回 文章編

 韓国の旅で報告したいことはいっぱいあるが、今日で議会一般質問が終わり、その報告やら他に書きたいことがたくさんあるので、ここらで一区切りにしたい。
 例によって写真と文章を掲載しようとしたら、全部消えてしまった。文章と写真編の2回で終わりとしたい。
 27日、タブコル公園を久しぶりに訪れた。ここは1919年3月1日、日本の植民地支配から独立しようと、この地で独立宣言をした場所として有名である。僕は1995年8月15日、日本から解放されて50年の節目の光復節の日に、友人のユンさんと共にここを訪れている。
 政府主催の大きな式典は景福宮前で行われ、そこにも参加したが、タブコル公園での民衆レベルの催しのほうが、喜びを爆発させているように感じた。
 その後何度もここを訪れている。日本人を見かけたらこの公園の案内をしている柳(ユ)さんとは2回この地で会っている。
 今回久しぶりに訪れて、驚いたことがある。朝早く行ったので、門は閉じられていた。以前は自由に入れたと記憶している。大通りから見えない公園の塀のあたりに、いわゆるホームレスの人たちを10数人見かけた。朝からマッコリを飲んでいる人もいる。
 韓国の経済発展は著しいが、同時に格差も生み出している。9時に開門となったが、その人たちは中に入ってこない。公園の中はきれいに整備されていた。以前はお年寄りがたくさん集まり、将棋をさしたり、だべったり、木陰で休んでいたりと、とにかく老人が集まる公園だったが、今はその面影が全くない。
 
 豊かになった老人たちは、なにもここに集まらなくても行くところはたくさんある。地下鉄やバスは無料となっている。
 僕は独立宣言の碑を見ながら、沖縄に思いを寄せた。大和政府による強権支配から、沖縄の自治・独立を願う人々が増えている。
 民主主義による選挙で選ばれた知事・国会議員・市長が、辺野古新基地建設反対を訴えても、全く耳をかさない日本政府。植民地支配と同じ構造に置かれている沖縄の人々が、独立を志向するのは当然だと思う。
 タブコル公園には独立闘争の過程で日本軍に弾圧され・殺されるレリーフがたくさんあり、僕はそれらを丁寧に見ながら、再度沖縄に思いを寄せた。辺野古キャンプシュワーブゲート前での、また海上での権力による弾圧は、このレリーフのように残虐ではない。
 しかし、いつか本当に独立を求める大きな運動が盛り上がり、集会やデモとなった時、どうなるだろうかと恐ろしくなった。
 25日、ヨンイン市の法輪寺訪問についてはレポートしたが、午後他に3か所見学した。1つは、農村体験施設。大都会ソウルの子どもたちに自然や農村の生活、生き物・作物などを見学・体験させる施設だ。
 ここから寝姿の仏で有名なお寺に行こうとして、タクシーを施設の人に呼んでくださいとお願いしたところ、タクシーがここまでは来てくれないと分かり、その事務職員が自分の車でお寺まで送ってくれた。カムサハムニダ!
 寝姿の仏さんのお寺の門前に高級なレストラン(カフェ)があり、しばらくそこで休憩した体験。
 中年の奥さんたち4名が、楽しそうに食事をしながらしゃべっている。都会から車でこの地に集まり、食事と会話を楽しむ光景を見て、韓国の豊かさを実感した。
 最後はエバーランドにあるホアム美術館を見学。サムソンの創始者が立てた美術館。広い庭園が立派。落ち着いた雰囲気。ソウルの喧騒から逃れ、心を洗うことができるところだ。
 この美術館のさらに奥にゴルフクラブがあり、入ってくるのは高級車ばかり。サムソンの関係者なのかな?
 エバーランドは遊園地。夏場は夜でも営業している。僕が帰るのと入れ違いに、大勢の家族連れがやってきた。
 北朝鮮との緊張はみじんも感じられない普通の週末(この日は金曜日)の光景だった。

2017年9月10日 (日)

韓国レポート その7 写真編

 カンキホンさんの続きを写真でレポートします。
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韓国レポート その7 知人カン・キホンさん

 8月26日、ソウル市庁地下鉄駅で、知人のカンキホンさんと待ち合わせをして、近くの食堂でお昼を食べながら色々なお話をした。
 彼とは4年前の第5次21世紀の朝鮮通信使友情ウオークで、静岡から東京まで一緒に歩いて親しくなった。東京にある韓国文化院の院長、さらには韓国観光公社の副社長を歴任され、退職してからのウオーク参加だった。日本語が堪能で、日本人の友人・知人も多い。
 大統領をめぐる韓国の激動について尋ねたら、彼もろうそく集会に何回か参加したとのこと。パククネ元大統領やサムソントップの逮捕、さらにサムソントップへの有罪判決に対し、それは当然、国家に損害を与えたと、明快な答えが返ってきた。
 北朝鮮との緊張について尋ねると、「我々は慣れている。これまで何度も北朝鮮の挑発があった。しかし戦争になるとは思っていない。」と、これまたさばさばした答え。
 僕が彼との会話で驚いたのは、カンキホンさんは日本に徴用され亡くなった身元の分からない韓国人の遺骨返還運動に関わっていたことだった。
 今年8月に、東京東村山市にある国平寺に安置されていて身元が分かった遺骨が、韓国に里帰りし、カンキホンさんはその式典に参加されておられた。写真を見せてくれたが、雨の中、そのセレモニーが執り行われていた。
 国平寺の住職は、北朝鮮籍とのこと。機会があればその寺を訪れ、住職にお会いしたいと伝えたところ、後日メールでその資料が送られてきた。
 25日にヨンイン市にある法輪寺を訪問し、帰郷祈願碑にお参りしてきた話と、黒田福美さんのことを話した。
 すごく興味を持ってくれ、その場でスマートフォンを取り出し、黒田福美さんのフェイスブックにアクセスし、確認。10月の法要のことも調べてくれた。是非行ってくださいとお願いした。
 韓国でヒットしている長崎軍艦島の映画のことも話題に上った。僕は24日夕方宿の近くの映画館でその映画を観た。フィクションと歴史的事実が入り混じる映画だが、フィクションのほうが多い。スリルとアクションに満ち、上手に作られれているが、誤った認識がされないか心配になる映画でもある。
 このことを彼に伝えると、「韓国人は映画はフィクションであることを理解している。自分も観たが、娯楽として見ている。」との答えが返ってきた。
 ソウルに今年できた徴用工の像を見たいと伝えると、帰りの電車の途中駅(ヨンサン駅)広場にあるから、一緒に行こう、自分もまだ見ていないと、うれしい提案。
 真新しい像は、ヨンサン駅広場のバス停近くに立っていた。このあと続編で写真をアップします。
 今、日本と韓国政府の間で、この問題がホットになっている。日本政府は解決済みの立場だが、僕はそうは思わない。個々の被害者及びその遺族に、日本政府としての謝罪と補償がなされていないからだ。
 これは軍慰安婦・日本軍兵士として死亡した人々に対しても、日本政府の立場は一貫して冷淡だ。
 国家の政策として筆舌に尽くしがたい苦痛と被害を与えたことを、まずもってその責任を認め、謝罪し、補償するのはまっとうな国家として当然なすべきである。
 それをせずに、逆にその歴史的事実をゆがめる発言を政治家がやっている。教科書からもどんどん記述が少なくなっている。日本の裁判所は被害の事実は認めるが、政府に補償・謝罪をしろとの判決は出さない。この種の裁判では、全て原告が敗訴。
 このようなことを繰り返すから、日本と日本人は信頼されないと思う。この点、ドイツを見習うべきだ。
 

2017年9月 8日 (金)

韓国レポート その6 続き 写真編

 黒田福美さんの取組が、朝日新聞8月25日付け夕刊が報道している。それを読んでくれたら、理解が進む。
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韓国レポート その6 黒田福美さんの努力と熱意・思いを現地で想う

 日本の負の歴史はたくさんある。さらにその被害を受けた国・人々は多岐にわたる。歴史に向き合い、間違いを認め、謝罪し、補償し、その間違いを繰り返さないために、教科書にもきちんと書き込み、日本の未来を担う子供・生徒たちに伝える・考えさせることは、とても大切だと思う。
 日本会議に連なる政治家や学者・評論家などが、「それは自虐史観。教科書検定を厳しくし、青少年に日本の歴史に誇りを持たせるべきだ」、と主張し、残念ながら彼らの意図が教科書や教育委員会に反映している。
 負の歴史・事実を伝える教科書を採択した私立学校に、組織的に抗議が集中する時代になってしまった。(灘中・高)
 軍慰安婦や強制連行問題は解決済みと、日本政府は主張するが、韓国を訪れると全く違う。
 このレポート6では、日本の植民地時代に日本兵または軍属として戦死・刑死した韓国人の霊を慰める「帰郷祈願碑」を建てた黒田福美さんの努力・熱意・熱い思いを、現地で見てきた報告をしたい。
 写真を入れると記事が全部消える恐れがあるので、写真は後でアップ。
8月25日、僕はその碑がある法輪寺へ向かったが、まずその前に韓国の人が黒田福美さん及びこの碑のことをどれぐらい知っているか23日二人の人に尋ねた。一人は知人のチェヨンウさん。夜食事をともにし、この寺の話をしたところ、彼は碑のことは知らなかったが、黒田さんと法輪寺は知っていた。
 もう一人は、韓国観光公社の日本語対応の職員。法輪寺はソウルから南のヨンイン市にある。行ったことがないので、法輪寺の情報を含めて他に見るべきところの情報を得るために、観光公社を訪問した。
 彼女は黒田さんを知っていたが、碑のこと・法輪寺は知らなかった。しかしネットですぐ調べてくれ、タクシーの運転手にこれを見せろと韓国語で書かれた法輪寺の案内をコピーしてくれた。
 さらにヨンイン市の地図(日本語で書かれている)もくれた。この地図のおかげで、法輪寺だけでなく、他に3か所も見学できた。
 さて、法輪寺は立派なお寺だった。事務所を訪れ、碑を見たいと告げたが、応対してくれた方は英語も日本語も通じない。僕は韓国語ができない。資料を見せ、こちらの意図は理解してくれたようだが、どこかに電話し、対応に困っている様子。
 10分ほど待って、事務所の女性がお寺を案内してくれた。すぐ碑のところに行かずに、本殿やお寺の創始者の慰霊堂など3か所を見せてくれた。
 中に入り、まず韓国式の拝み方を教えてくれた。3回、頭を床につけ拝む方法だ。まず立ったまま拝み、座って頭を床に、両手を前に添え拝む。立ち上がってそれを繰り返す。彼女と一緒にそれを三か所でやると、互いに親近感がわいてきた。
 お寺の内部の装飾や彫刻・絵、もちろん仏像は立派だった! 僕は時間をかけ、それらを見学させてもらった。内部は写真撮影禁止。
 お寺の素晴らしさを身振りで彼女に伝えた。外に出て、お寺と自分を写真に撮ってもらった。
 最後に碑があるところに案内。 そこはお寺の駐車場の下に公園のようなきれいなところがあり、そのはずれに碑があった。しかし案内が無ければ、誰も気づかない。
 その碑は、黒田福美さんのフェイスブックにあるように倒されていた。地面に寝た状態。落ち葉も少し降りかかっていた。
 僕は盛んに身振りで、この碑は本来建っているべきだと彼女に伝えた。この碑の由来を日本語とハングルで書いた掲示板があった。さらに寝かされた碑とは別に戦死者の霊を慰めるモニュメントもあり、僕は手を合わせた。
 日本兵・軍属として戦死された方たちは、日帝に協力した親日派として、韓国社会ではきちんと戦争犠牲者と位置づけされていない。
 黒田福美さんは、この扱いを悲しみ、故郷を思いながら異国で死んでいった韓国人の霊を慰める慰霊の建立に奔走された。
 しかし、紆余曲折の末、法輪寺の住職の理解でこの地に建てることができたが、このような碑を建てるのはけしからんと倒された。それでこの碑は寝た状態になっている。
 黒田さん・その碑が慰める霊の哀しみを、複雑な感情で想った。韓国の人々に理解してもらうことの大切さを考えた。僕ができることは、知人の韓国人にこの碑の存在を伝えること。彼らの手で世論を高め、碑が元通りになるように、側面から努力したいと思った。
 この後お昼の時間となり、昼のサンドイッチをあらかじめ買ってあったが、彼女は身振りで食堂で食べましょうと誘ってくれた。
 以前韓国のお寺を訪問した時、訪問者は誰でもお寺が提供する食事をいただけるのを知っていたので、彼女と一緒にいただいた。日本でいえばバイキング方式。各自順番に食べたいものを盛り付ける。
 美味しかった! 葉っぱの天ぷらがことのほか美味しかった。マシイッソヨ! 僕を案内してくれた女性はとても優しそうな方で、色々話をしたかったが言葉ができないのが本当に悔やまれた。韓国語をしっかり勉強しなくちゃ!
 

2017年9月 6日 (水)

韓国レポート その5 水曜集会 続き

 写真の説明と8月22日水曜集会に参加した感想。
昨年と雰囲気は全く変わっていた! 参加者の多様化と国際化、明るい雰囲気が今年の特徴。もっとも1日だけの参加なので、断定できないが。。。。。。
 雨にも関わらず、150名ぐらいの人が参加。修道女の姿と外国人ジャーナリストの姿が目立った。
 香港からと日本からの参加者がステージで挨拶。若者グループによるダンスパフォーマンスや別のグループによる歌もあり、言葉は分からないが、良い雰囲気の集会だったと思う。
 警備の警官も少なく、政権交代の影響かとも思う。少女像は記念写真を撮る人たちで、人気のスポットになっている。
 日本大使館は新築工事の最中で、まだ基礎段階。近くのビルに仮事務所を設けている。
 おそらく、日本政府がきちんと歴史的事実を認め、被害にあった女性たちに謝罪をしない限り、この水曜集会は続けれるだろう。少女像もこの地に存在し続けるだろう。

韓国レポート その5 水曜集会

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2017年9月 4日 (月)

韓国レポート その4 写真のみ

前回のナノムの家訪問の様子を写真で紹介。写真を入れると全て消えてしまうトラブルがあるので、説明なしの写真です。
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2017年9月 3日 (日)

韓国レポート その3 ナノムの家

 8月24日、今回の最大の目的、ナノムの家を訪問した。4回目の訪問だが、地下鉄、バス、タクシーを乗り継いで、韓国語ができない人間が一人で行くには多少の苦労がある。
 今回バスで苦労した。タクシー乗り場があるバスターミナルへの直行便バスでなかったので、途中ここで降りろと運転手に降ろされ、バス停で別のバスに乗ることになった。
 どのバスに乗ったらよいのか分からない。いっしょに降りたおばさんたちにナノムの家のパンフレットを示し、僕がそこへ行きたいことを伝えたところ、こちらの意図は理解してくれた。
 20分ほどしてやってきたバスを見て、おばさんがこれに乗れと言う。同時に運転手に僕が日本人でバスターミナルで降ろしてやってくれと伝えてくれた。おかげて何とかタクシー乗り場まで行くことができ、無事目的地に辿り着くことができた。
 実はこのようなトラブルがあるかもと7時40分と早めに出発したので、伝えてあった訪問時間に間に合った。しかし途中、お墓参り用の花を買うことはできなかった。
 まず事務所で、昨年お会いした所長の安シンコンさん、日本語通訳のチョ・ヘギョンさんにお会いした。
 その後、ハルモニたちが暮らす生活館で、昨年お会いしたハ・ジョムヨンさんとパク・オクソンさんと再会。イ・オクソンさんは残念ながら入院されておられるとのこと。
 ハルモニたちはどんどん高齢化し、認知症になられておられる方が増えている。ハ・ジョムヨンさん・パク・オクソンさんも初期の認知症になっていた。
 しかしハ・ジョムヨンさんは僕を覚えていてくれたようだ。お土産を渡すと喜んでくれ、ありがとうと覚えている日本語で答えてくれた。
 その場にもう一人のハルモニ・ジョンポクスさんがおられた。こちらの方は車いす生活。かなり認知症が進んでいて、職員とのやりとりもちぐはぐ。
 幸い僕は認知症の方と日本で何回も「会話」しているので、ある意味言葉が分からなくても笑顔で相手の言葉に対応することができた。
 しかしナノムの家の帰路、深い悲しみに襲われた。もうきちんと言葉を交わせる知っているハルモニがいなくなってしまった。来年どうしようか? また来るべきか? その答えはまだ出せないでいる。
 花を買うことができなかったが、昨年同様ペ・チュンヒさんのお墓参りをした。ナノムの家ではいつもきれいな花がお墓に活けられている。
 今年亡くなられた金・君子さんの真新しいお墓にも手を合わせた。
 24日は日本人の訪問が多かった。僕が着いた時には別の日本人が来ていて、通訳のヘギョンさんが対応していた。
 所長と話しているとき、「たびせん・つなぐ」という東京の旅行会社の社長がやってきた。何度も客を案内してここへきているそうだ。
 午後遅い時間には、長崎にある岡正治記念館のグループが来ることになっていた。実はこのグループとは前日の23日に、日本大使館前水曜集会でお会いし、彼らが来ることは知っていた。
 前回もそうだったが、今回も職員やハルモニたちが食べる食堂で昼食をいただいた。つい僕はご好意に甘えてしまう。
 たびせん・つなぐの現地社員とヘギョンさんが日本語通訳できるので、食事の時、色々な話をすることができた。
 僕は沖縄で慰安婦に関して直接地元の方から聞いた話を伝えた。ガマの入り口、つまり米軍の攻撃に会う一番危険なところに慰安婦がいたこと。夕方慰安婦所があるところに通う日本兵たちの会話を聞いたことがあると地元の方に聞いたこと。ここが慰安婦が暮らす家だったと座間味島でその家を地元の人の案内で見たことがあることなどを。
 写真を添付したいが、この文章が消えてしまうのが怖いので、写真はその4でアップします。

2017年9月 1日 (金)

韓国レポート その2

 26日ミサイル発射された日のソウルの様子。漢江にて。
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韓国レポート

 韓国から27日夜戻り、そのレポートを5回書こうとしているが、毎回途中で突然記事が消えてしまうトラブルにあっている。写真をアップした後、そうなる。そこで6回目のトライは写真無しにする。
 僕が訪問している間、北朝鮮のミサイル発射と韓国軍・米軍の共同演習で緊張が高まっているときだった。
 特に日本では過剰なまでの北朝鮮脅威キャンペーンが今も続いているが、韓国社会のそれへの対応について書きたい。
 いたって冷静。日常生活は何ら変わらない。テレビの報道も抑制的。26日、知人のカン・キホンさんにお会いし、この問題についてどう思っているか聞いた。彼は東京にある韓国文化院の元院長。その後韓国観光公社の副社長も歴任されている。日本語はペラペラ。
 『 韓国は慣れています。いままで何度も北朝鮮の軍事挑発があり、今回の北朝鮮の挑発に特に驚いていない。戦争にならないと思っています。』
 彼の言葉通り、韓国の日常生活はいたって冷静・普通。なんらこれまで(僕は20回以上韓国を訪問している)と変わりなかった。
 26日、北朝鮮が3発ミサイルを日本海に打ち込んだが、この日の夕方、漢江のクルーズに乗りたくて、乗船場に行った。そのあたりは広い河川公園になっており、夕涼みの市民ですごい人・人だった。
 面白いのはかやのようなテントを張り、その中で食事したり、おしゃべりを楽しんでいる風景。家族で来ているグループや恋人同士が多い。
 26日昼食を知人のカン・キホンさんにごちそうになった。彼はと東京にある韓国文化院の元院長。その後韓国観光公社の副社長も歴任されている。
 北朝鮮問題でどう思うか聞いた。カン・キホンさんの答え。 『 韓国はこれまで何回も北朝鮮の軍事挑発を受けている。砲撃事件もあった。もう慣れています。戦争にはならないと皆思っています。』
 韓国の対応に比べ、日本社会は異常だと思う。29日には太平洋上にミサイルを発射されたが、学校が休校になったり、列車が一時運行を見合わせたところが出たりした。
 新聞の号外も出され、テレビはそのニュースばかり。北朝鮮の脅威が叫ばれた。
 この日韓の違いを冷静に分析すべきだと思う。北朝鮮の脅威をあおって、それが社会に何を、民衆の意識に何をもたらすのかを。

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