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2017年9月 3日 (日)

韓国レポート その3 ナノムの家

 8月24日、今回の最大の目的、ナノムの家を訪問した。4回目の訪問だが、地下鉄、バス、タクシーを乗り継いで、韓国語ができない人間が一人で行くには多少の苦労がある。
 今回バスで苦労した。タクシー乗り場があるバスターミナルへの直行便バスでなかったので、途中ここで降りろと運転手に降ろされ、バス停で別のバスに乗ることになった。
 どのバスに乗ったらよいのか分からない。いっしょに降りたおばさんたちにナノムの家のパンフレットを示し、僕がそこへ行きたいことを伝えたところ、こちらの意図は理解してくれた。
 20分ほどしてやってきたバスを見て、おばさんがこれに乗れと言う。同時に運転手に僕が日本人でバスターミナルで降ろしてやってくれと伝えてくれた。おかげて何とかタクシー乗り場まで行くことができ、無事目的地に辿り着くことができた。
 実はこのようなトラブルがあるかもと7時40分と早めに出発したので、伝えてあった訪問時間に間に合った。しかし途中、お墓参り用の花を買うことはできなかった。
 まず事務所で、昨年お会いした所長の安シンコンさん、日本語通訳のチョ・ヘギョンさんにお会いした。
 その後、ハルモニたちが暮らす生活館で、昨年お会いしたハ・ジョムヨンさんとパク・オクソンさんと再会。イ・オクソンさんは残念ながら入院されておられるとのこと。
 ハルモニたちはどんどん高齢化し、認知症になられておられる方が増えている。ハ・ジョムヨンさん・パク・オクソンさんも初期の認知症になっていた。
 しかしハ・ジョムヨンさんは僕を覚えていてくれたようだ。お土産を渡すと喜んでくれ、ありがとうと覚えている日本語で答えてくれた。
 その場にもう一人のハルモニ・ジョンポクスさんがおられた。こちらの方は車いす生活。かなり認知症が進んでいて、職員とのやりとりもちぐはぐ。
 幸い僕は認知症の方と日本で何回も「会話」しているので、ある意味言葉が分からなくても笑顔で相手の言葉に対応することができた。
 しかしナノムの家の帰路、深い悲しみに襲われた。もうきちんと言葉を交わせる知っているハルモニがいなくなってしまった。来年どうしようか? また来るべきか? その答えはまだ出せないでいる。
 花を買うことができなかったが、昨年同様ペ・チュンヒさんのお墓参りをした。ナノムの家ではいつもきれいな花がお墓に活けられている。
 今年亡くなられた金・君子さんの真新しいお墓にも手を合わせた。
 24日は日本人の訪問が多かった。僕が着いた時には別の日本人が来ていて、通訳のヘギョンさんが対応していた。
 所長と話しているとき、「たびせん・つなぐ」という東京の旅行会社の社長がやってきた。何度も客を案内してここへきているそうだ。
 午後遅い時間には、長崎にある岡正治記念館のグループが来ることになっていた。実はこのグループとは前日の23日に、日本大使館前水曜集会でお会いし、彼らが来ることは知っていた。
 前回もそうだったが、今回も職員やハルモニたちが食べる食堂で昼食をいただいた。つい僕はご好意に甘えてしまう。
 たびせん・つなぐの現地社員とヘギョンさんが日本語通訳できるので、食事の時、色々な話をすることができた。
 僕は沖縄で慰安婦に関して直接地元の方から聞いた話を伝えた。ガマの入り口、つまり米軍の攻撃に会う一番危険なところに慰安婦がいたこと。夕方慰安婦所があるところに通う日本兵たちの会話を聞いたことがあると地元の方に聞いたこと。ここが慰安婦が暮らす家だったと座間味島でその家を地元の人の案内で見たことがあることなどを。
 写真を添付したいが、この文章が消えてしまうのが怖いので、写真はその4でアップします。

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