川越市の唐人揃いを見学して 文字編
写真編を見ていただいた方はお分かりだと思うが、川越のパレードは朝鮮通信使の衣装を身に着けた行列だけではない。
参加団体・グループは実に多彩だ。世界の民族衣装を身に着けた団体、ベトナムのアオザイを着たグループ、アイヌのグループ、沖縄のエイサーをパフォーマンスする団体、埼玉朝鮮初中級学校の児童生徒たち、ベリーダンスのグループ、着物を着たグループ、などなど多文化共生である。
見物人も地元の人・観光客入り乱れ、外国人の見物人も多い。
川越唐人揃いのパンフを読んで、その理由が少し理解できた。川越は江戸時代商業が栄え、大商人たちは江戸にも店を構えていた。
朝鮮通信使の行列を江戸で見物した川越の大商人・榎本弥左衛門は、その見物した様を文書に残している。
彼が住んでいた本町では、川越祭りに祭礼のねりものとして朝鮮通信使の仮装行列である「唐人揃い」を始め、江戸時代から川越の祭りは国際色豊かだった。
「唐人」という言葉は、江戸時代、「外国」を意味した。当時の川越の人々は、外国文化を受け入れ、隣国との平和友好が繁栄につながると考えていたようだ。
このパンフレット、正式名称は「今よみがえる唐人揃い 川越と朝鮮通信使」の最後のほうに、関東大地震の際の出来事が書かれている。
当時川越には、18人の朝鮮人と2人の中国人が住んでいた。関東大震災では6000人もの朝鮮人や中国人が虐殺されている。
川越でもデマを信じた一部の民衆が、その20人を襲撃しようとした。その時、彼らを守るため、川越市役所の市長室裏庭と警察署に彼らをかくまい保護している。おそらく市の幹部が警察と相談し、このような措置を取ったものと思われる。当時の記録に「金具ノ寄贈、被服ノ給与」とあるから、騒動が収まるまで彼らに生活のためのお金や服などを与えたのだろう。
これはすごいことだと思う。パンフには、昭和30年代まで、9月1日になると、朝鮮や中国の人々から感謝の書簡や物品が届いたとある。
このような歴史の上に、川越の多文化共生の唐人揃いがある。見学に行って本当に良かったと思っている。
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