福島の現実 大熊町会津若松出張所訪問レポート
大熊町役場訪問報告 無会派 竹野昇
下記はあらかじめ質問項目を役場に出しておいた内容です。それに、回答・説明があった内容を書き加えました。【 】内は回答・説明・私の感想・説明など。
A) 役場職員の方に
・2011年3月、町民が避難を開始した時の全体状況
・要支援者(老人ホーム入居者・障害者・寝たきりの方・車を持たない人など)の輸送
【 パワーポイントで説明。その内容を印刷したものを参照してください。 】
・安定ヨウ素剤の配布をめぐって 【 していない。 】
・国・県・東電からの情報は、迅速的確であったかどうか
【 3月11日夜の時点で、原子炉が危機的状況にあり、緊急避難の準備が必要であるにもかかわらず、国・東電は、情報を提供してくれなかった。翌日朝、町役場に、茨木交通のバスが配車され、国から念のための避難といわれ、町役場として全住民に避難命令を出した。その結果、何も持たず皆バスに乗り込んだ。そのバスも遅く配車されたものがあり、長く待たされた。家に衣類や食料品その他避難生活に必要な物を取りに帰るような指示は国・県から出されなかった。皆直ぐ帰れると思っていた。 国の対応に怒りを感じる。 】
・緊急避難をした避難先とその後の避難先
【 田村町。会津若松市。 】
・避難先での食糧確保や防寒対策、避難所運営などでの問題点(困ったこと)
【 何も持たずに避難したため、大いに困った。怒りで避難所は暴動が起きるかの状況であった。会津若松では、市民たちが色々なものを提供してくれ、やっと一息付けた。 】
・会津若松市に仮役場を置いてからの問題点(町民との情報共有・連絡、仮役場ゆえの不便さなど)
【 今では福島県内だけでなく、全国色々なところに住民が散っているので、問題点が多々ある。】
・町役場の財政(収入)
【 国・県からの助成金が収入の大半。 】
・復興計画
【 別紙資料参照 】
・町民の健康問題 原発関連死 甲状腺がん患者 ストレスによる不眠やうつ症状
【 健康問題を抱えている人は多い。関連死もある。甲状腺ガンについては、県から町の住民が何人ガンが見つかったのか、またその後手術をしたのか情報がないので、全く分からない。】
・東電に対する補償問題
【 個人で補償を求めて裁判やADRに訴えている人もいるが、町としては請求していない。 】
・浜岡原発から31キロ圏内の袋井市が、浜岡原発事故により全市避難もあり得るが、その時の対策のためアドバイスできること
【 時間の関係で、ここまで言及はなかった。 】
B 学校職員に (仮設小学校訪問を希望)
・仮設の教室(学校)を開設した1年目の全体状況
・2年目~6年目の児童生徒の状況(学習・運動・健康・精神面など)
・現在の児童数と今年4月からの児童数、及び教職員数
・保護者との対応 事故以前と事故後でどのような違いがあるか
・会津若松市の子どもたちと、大熊の子どもたちとの人間関係はうまく行っているか
・今後学校はどうなるのか
【 教育委員会が上記質問に答える資料を作成してくれたので、資料を参照してください。 】
C 仮設住宅に住む町民に (出来れば2か所、仮設住宅を訪問し、自治会長からお話を伺うことを希望しています。)
・緊急避難時の状況
・最初の避難先とその後転々とした避難先
・仮設住宅に落ちつくまでで、苦労したこと(困難だったこと)
・仮設住宅の自治会活動と活動を続けるうえでの困難点(問題点)
・皆が元気を出す・絆を深めるため、どのようなイベントをやっているか
・当初、どのようなボランティを受け入れたか。現在もボランティアが来るのか
・住民の年齢構成
・住民の健康問題
・地域の人たちとうまく行っているか
・大熊の自宅に戻ったことはあるか 自宅の状況
・家族はまとまって会津若松市に来ているか
・今後どうされるのか
【 午後、仮設住宅のいくつかや復興公営住宅を、町役場職員と町の議員さんが公用車で案内・見学させてくださった。自治会訪問は不可。そもそも仮設は大半の住民が退去し、自治会はない。
今、仮設に残っている人の大半は高齢者。デイサービスが必要な方もいた。家族はバラバラ。公営住宅に住む老人は、家族が来てくれないと嘆いていた。住民に集まってもらい、話を聞く機会が無かったので、上記の質問項目の大半の答えは分からない。 】
感想 会津若松市当局と市民の受け入れはよいように感じた。戊辰戦争で官軍に敗北し、現在の青森県のへき地(耕作が極めて困難な地域)に藩ごと追いやられた経験があるので、避難されている大熊町の人々への同情心が強いのが理解できた。
しかし、元の大熊町から遠距離にあるため、現在では多くの人がいわき市や郡山市・福島市に住んでいる。原発災害で、町・地域・家族がバラバラ・崩壊。町の復興は極めて困難だと思われる。
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