歴史の目撃者ーーー平和憲法・9条改悪の加速化
今、保守政党、保守的国会議員、それを支持する全国の政党支部や事務所の中心的な人々、保守的なマスコミ、学者、エセ文化人などが、憲法改悪の世論形成に、ウクライナ戦争を最大限利用している。
目の前の戦争は、人々を不安にさせ、声高く「国を守る」「国民の命と財産を守る」「平和な生活を守る」「安心安全な日常生活を守る」と主張する改憲論者に騙される一般大衆を作り出す。
各報道機関の憲法改正に関する世論調査がそれを証明している。ウクライナ戦争が9条に自衛隊を明記することを支持賛成する数字を押し上げている。緊急事態条項を憲法に書き込むのを支持賛成する数字を押し上げている。
自民党及び日本国民会議の戦略は、効を奏している。実際に戦争が起きているのだから、日本もウクライナのようになりうる。国を守るには、きちんと自衛隊を憲法に明記するのは当然でしょう。非常時に、国会で長々論じて何かを決定するなんてそんな時間的猶予はないでしょう。内閣がタイムリーに緊急事態に対応できるように、法体系を整えるのは当たり前でしょう。
自然災害もいつ起きるか分からない。戦争も同じ。国家と国民の非常時=緊急事態時に、それに備える法律を整備する=憲法に明記するのは、責任ある政党=国民に責任を負う政治家として、当然の責務でしょう。
それをやらない、反対する政党・国会議員・学者連中は、無責任・無能力だ!
こうした世論を改憲派は時間をかけて形成してきた。今がチャンスと7月の参議院選挙で、改憲派の国会議員を4分の三以上に増やそうと、全国各地の政党支部・事務所は彼らなりの”努力”をしている。
それに対して、憲法を守る立場の政党は、遅れに遅れを取っている。戦略がない。立憲民主党は一枚岩でない。本気で9条を守る意欲に燃える国会議員や立候補者はどれぐらいいるのだろうか?
共産党は党組織はしっかりしているが、支持の広がりはない。社民党は、党組織そのものが脆弱。地域で手足となり活動できる運動家は、極めて少ない。頼れる労組も皆無。今回の参議院選で2%の投票率を確保できなければ、党そのものが国の交付金を受ける対象でなくなる。政党の要件を満たさない政党の烙印を押される。
連合も危うい存在になりつつある。自民党にすり寄りつつある。労働者=働く人たちの権利や賃金・待遇・人権を、本当に守る組合でなくなりつつある。ウクライナ戦争が連合首脳=ダラ幹部=組合貴族の連中の憲法順守感覚を忘れさせている。いやもともとそのような考えを持っていなかったのかもしれない。憲法を体現した現場での労働運動の経験がないからだ。
今、僕らは極めて危機的な状況にある。それを目撃している。しかし目撃して何もしないわけにはいかない。色々なやり方がある。立ち場により、能力により、置かれた状況により、できることをやればよい。
僕は5月三日袋井市での池内了講演会で、先生から「憲法に自衛隊を書き込むことは、次に自衛隊法を改正して、自衛隊員が海外の戦闘で外国人を殺傷しても、一般の裁判でなく軍事法廷で裁かれるようにするだろう。現行の法体系では、それができない。自衛隊は法律的には軍隊ではない! しかしいったん憲法に自衛隊を明記すると、軍事法廷設置が可能となる。」「憲法学者はなぜこのことに触れないのか不思議だ。」と教わり、眼から鱗だった! そうなんだ。安部が自衛隊明記を叫ぶ狙いはここだ! 改憲派は絶対にこのことを言わないのは、言えば不都合な真実が国民に伝わり、憲法改悪の機運に水を差すことを知っているからだ。この重大なことを、池内了先生から学んだ。
護憲派の僕たちは、軍事裁判=軍法会議に道を開く憲法改悪反対をもっと声高く訴える必要がある。戦前の大日本帝国陸軍・海軍は、まさに軍法会議により守られてきた歴史的事実がある。軍人が時の首相を襲っても、中国で東京の軍司令部の許可なしに中国軍を攻撃して天皇を激怒させても、軍規律=軍の法律違反を犯した軍人の責任はあいまいなままにされた。それが軍人の特権を支えた。やりたいほうだいを許したのが軍法会議である。
逆に、国の方針=軍の方針に批判的な軍人は、軍法会議で裁かれた結果、悲惨な刑罰を受けた。人権は守られず、弁護士もつけられず、軍人の裁判官に裁かれた。
その再現が、憲法に自衛隊を明記する結果起こりうる危険性を、僕たちは多くの人に伝え、訴え、憲法改悪反対の運動を、草の根的に広げる必要がある。
僕は中村哲医師写真展を静岡県内各地で開催するよう、色々な人たちに働きかけているのも、まさに中村哲さんの生き方、やってこられた活動=平和憲法を体現したアフガニスタンでの苦闘と緑の大地を蘇えさせ、65万人の平和で安定した生活を保障させている実績を、多くの人たちに知ってもらうことが、草の根護憲運動につながると確信しているからである。
今、それと並行して、沖縄に関する企画を立案し、まず親しい人たちに相談している。色々ブログに書きたいことがあるので、いつか、仮称{沖縄チャンプルー展ーー沖縄復帰50年を問う}企画案と実際にその企画がどこまで進んでいるのかについて書きます。 この企画も草の根的にやります。 「歴史の目撃者」はひとまず修了します。
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