防衛費6兆7848億円 軍拡・軍事大国化を急ぐ岸田政権 安全保障とは?
今年の予算が国会で可決された。過去最大の6兆7848億円もの巨額防衛費。昨年度より、1,4兆円も増えている。岸田政権はアメリカの要請に答えて、5年後にはGDP2%の国防費を目指す。5年間で43兆円。2027年には国防費が11兆円を超える。
ウクライナ戦争や中国の軍拡、北朝鮮のミサイル開発を理由に、抑止力を高めることが国を守るとの理屈だが、これで本当に僕たちは安心・安全・平和な生活を送ることができるのだろうか?
岩手県一関市の弁護士・千田廣さんから、第30巻 戦争の放棄(その26)-安全保障問題 と題する冊子が送られてきた。千田さんの言葉を紹介します。
「安全保障とは 『人命と人権を戦争から守る』ということです。ですから一番いい安全保障は『戦争をしない、させない』ということになります。」
僕たちの目の前で行われているウクライナ戦争、過去全ての日本を含む全ての国の戦争を見れば、国を守ると称して行われた戦争は、人命と人権を破壊しただけであった。国家や国の指導者・権力者は生き延びても、そのもとで、民衆の人権は踏みにじられ、命は奪われた。
人権の際たるものは、生きる権利だ。それを奪うのが戦争。何も悪いことをしていなくても、武器を持って戦っていなくても、空爆で、ミサイルで、砲撃で、子どもたちが・女性たちが・老人たちの命が奪われる。生きる権利を奪う行為は、殺人であり、平時では処罰される。僕は死刑に反対だが、国によっては一人の生きる権利を奪ったら、死刑になる。それほど人を殺す行為は許されない犯罪だ。
ところが、戦争ではそうはならない。たくさんの人を殺したら、英雄扱い。誤って民間人を殺しても責任を問われることが少ない。少ないどころか、不問。
人権の次の重要な内容は、平和に生きる・幸せに生きる権利である。家族そろって平和に生きる・仕事や学業、家事など平凡な日常生活を送る権利だ。それが人間の幸せの最低条件だと思う。
しかし、戦争はその最低条件を根こそぎ奪う。
戦争をしない、させない。これを国の在り方に規定したのが、日本国憲法第9条。僕たちの憲法は、国の指導者つまり政権を担う政府に戦争をさせないことを要求する権利がある。
政府は軍事力を高めることが他国が日本を攻撃しない・攻撃を思いとどませることになる、抑止力を高めることが、安全保障になるとの考えだが、この論理は冷静に考えたら、破綻している。人間の歴史は全て同じ論理=国を守るために軍事力を高めるだった。そして自国を守るため、やむを得ずと国民をだまして、自国の軍隊を海外に出し、海外・他国と戦争をして来た。
歴史を学べば、海外・他国での戦争は、全て侵略戦争や他国の政権を倒すための戦争であり、その過程で、自国及び他国のおびただしい人命を奪い、平和に生きる権利を奪ってきたことが分かる。
軍拡による抑止でなく、対話・外交で戦争を防ぐべきだと考える。
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