5月3日、第35回憲法記念日袋井市民のつどいに、元文科省事務次官・前川喜平氏に、「政治家・官僚と憲法尊重擁護義務」と題してたっぷり2時間お話をいただいた。講演に先立ってミニコンサートも。いづれも大好評でした。








最後の写真2枚は、5日の中日新聞記事。ミニコンサートでは、寺田菜々美さんピアノ演奏で、ヨハンシュトラウスの「春の歌声」「さとうきび畑」を、安間鮎子さんが歌ってくれた。僕はさとうきび畑を聞きながら、沖縄に思いをはせ、2度と沖縄を戦場にさせないと誓った。
前川さんは質疑の時間が取れないほど、たっぷり2時間話され、その内容を報告するのは大変なので、ごく簡潔に記憶に残っていることを、簡略にレポートします。前川さんが話した内容を、準不同で、僕なりのまとめ方になっていることをご容赦願います。
・憲法は権力・公権力(政治家・公務員)に憲法を守らせるものである。国民が守るものと取り違えている人が多いが、これは誤り。今、大学で教えているが、ほとんどの学生は憲法は国民が守るものと考えている。
・憲法が国民に要求しているのは、12条(この憲法が国民に保証する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。)、26条②(すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。)、30条(国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う。)、この3つだけである。後は全て国(公権力)に、こうすべきだ、こうしてはいけないと、命じている。
・だから権力は憲法の縛りが邪魔となり、憲法を無視したり、変えようとする。都合のよいように、解釈改憲する。
・15条②(すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない) 公務員には選挙でえらばれる政治家、袋井市なら市長や議員も含まれる。政治家は、地元のため・地域のためと、全体の奉仕者でなく一部の奉仕者に成り下がる例が多い。支援してくれる業界・組合のために働く政治家や、わが県のために頑張るという国会議員がいるが、国会議員は国全体のために働くべき。日本に住んでいる外国人のためにも働くべきだ。ところが選挙では票にならないので、外国籍の人のために働く(人権や入管法改悪問題など)政治家は少ない。
・官僚は選挙で選ばれない公僕であるが、政治家にないものを持っている。知識・情報・専門性である。
・官僚と政治家は緊張関係にあるべき。政治家の政策が法に則しているかを判断したり、政治家のやりたいことを政策として取りまとめるのが官僚である。
・自分の体験で政治家に抗えることができなかったことがある。下村文部科学大臣が、教育勅語は教材に入れるべきと言った時だ。自分は教育勅語は国民主権に反すると考えている。戦後失効している。ところが下村大臣に、教育勅語は現代でも通用する内容があると押し切られ、そのような答弁を書かせられた。
・日本はドイツから学んだほうが良い。共に敗戦国だが、ドイツは日本より一歩進んでいる。ドイツは民主的なワイマール憲法を持っていたが、民主主義から独裁(ナチス)が生まれた経験を持っている。歴史を繰り返させない思いが強い。2019年、メリケル首相は、新たに入隊した兵隊に、「上官の命令に従わないことも権利である。」と訓示している。
・人権件の乱用で、官僚を恐怖支配したのが、菅首相だ。ふるさと納税に批判的だった総務省の幹部が次期事務次官になる予定だったが、見せしめ的にはづされている。安倍首相も、集団的自衛権を認めさせるために、内閣法制局長官を都合の良い人間に変えている。
・内閣法制局は従来内閣の中にありながら独立性を持っていた。法制局の中で経験を積み上げた人(参事、部長、次長)が、長官となる慣例が続いてきた。憲法解釈に一定の整合性を保つためである。長官が憲法上それはできませんと、歯止めになってきた。
・2015年、安部首相が閣議決定で集団的自衛権を日本が持てると閣議決定した際、自分はこれは憲法違反だと国会前デモに参加した。
岸田政権は、敵基地攻撃能力を保有すると閣議決定したが、これは違憲である。専守防衛を飛び越えている。抑止力を言い出したら、きりがない。相手を攻撃できる武器を持てば、相手はそれを上回る武器を持つ。際限なく、軍拡が続く。9条が瀕死状態である。
・憲法に緊急事態条項を入れると、ドイツの例のように政権が全てを決め、立法府が立法府でなくなる。
・9条2項にに自衛隊を明記すると、9条が否定される。
・教育基本法は2006年に改正されたが、まだよいものが残っている。日本国憲法の理念・基本は、残っている。学問の自由や、教育は不当な支配に屈することなくも。
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