戦禍のウクライナに車椅子
写真が横になってしまったので見にくいが、日本のNPO法人「希望の車いす」が中心となり、日本各地から寄贈された車いすをボランティアが修理したり新品どうように磨き上げ、戦争で車いすが不足しているウクライナへ送る記事だ。
5月末で計500台を送る。輸送費は日本郵船や商船三井など日本企業が負担。車いす生活を余儀なくさせられているウクライナの負傷兵や傷ついた市民にとり、良いニュースだと思う。マスコミは美談として報道している。
僕はこの記事を複雑な思いで読んだ。さらに夜のテレビで、ゼレンスキー大統領が「いよいよロシアに対する反転攻勢の命令が下された」と全世界に伝える映像を見て、本格的な激しい戦闘が始まれば、もっとたくさんの車いすが必要になる。新聞の記事にもウクライナから追加の500台を送ってほしいとの要望に応えて、ボランティア団体が募金を呼びかけ、追加支援の準備をしていると書かれている。
車いすだけでなく、義足や義手も必要になるだろう。膨大な負傷した人々への治療薬品や手術に必要な器具類も不足するだろう。善意で、人道の観点から、困っているウクライナを支援することを僕は否定しない。
しかしそれでよいのだろうか?と根源的な疑問が抱いている。欧米諸国が大量に送った武器・弾薬・ミサイル・攻撃ドローン・戦車など、さらに戦闘機などを使い、これからウクライナの反転攻勢が始まる。「頑張ってください」と戦争拡大を支援する。今でも大変な犠牲者が出ている。ロシア側も同じだろう。殺され、傷つくのは普通の市民・兵士だ。
戦争を止めるのでなく、戦争継続の支援が、「何か平和のため」、「ロシアによる不正義の侵略を跳ね返すウクライナ応援」の美しい支援になっている。
車いす寄贈は、銃後の支援になる。日本政府は負傷兵の治療を引き受ける方針を決めている。戦闘が激化したら、ますます銃後の支援が必要となる。そして美談のニュースが流れる。
絶対に戦争をしないと誓った日本国憲法の精神が、忘れられつつある。僕はこの点を憂いている。
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