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2023年10月

2023年10月31日 (火)

#沖縄辺野古現地レポート その6 代執行裁判 司法は国の指導どおり即日結審 三権分立は機能せず 沖縄の苦悩 イバラの道を堂々と歩む決意が裁判所前の集会で語られた

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 30日午前は辺野古座り込みに参加してから、上の写真にある裁判所前集会に参加した。裁判の結果や集会の様子を報告する前に、座り込み現場に島袋文子さんと名護市議・大城さんが参加され、お会いして少し会話を交わしたのを報告したい。

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 お二人は辺野古座り込みの象徴的な存在であられる。大城議員は現在83歳。島袋文子さんは正確でないが90歳以上。しかし元気に皆の前に顔を出す。

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 座り込み初期からお二人は参加されておられる。僕がたまに行っても必ずお会いできた。沖縄戦体験者として、戦争につながる基地は認められないと、体験を交えながらテント集会では参加者やマスコミに語られ続けておられる。久しぶりにお会いできてうれしかった!

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 この日の参加者は10数名。いつもの排除が繰り返されるが、粘り強く現場の闘いが展開されている。テント集会では少しお話をさせてもらった。

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 ゲート前には大きな真新しい看板が設置されていた。11月5日と23日の大規模集会の準備が進んでいる。不当な司法判断・国の沖縄を戦場にする計画に対し、沖縄の怒りと民意が示される重要な集会となる。

 午後1時からの裁判所前集会に間に合うように辺野古を離れ、レンタカーで那覇市へ。

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 12時45分にはすでに国会議員を始め沖縄の指導者たちが勢ぞろいして、玉城デニー知事激励のために駆けつけていた。

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 報道陣やデニー知事を支えたいと集まった参加者たち。

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 法廷に入る前に、弁護団の加藤弁護士とデニー知事が短く決意を語られた。玉城デニー知事は沖縄の民意を伝えると簡潔な挨拶を。加藤弁護士は国が県を相手どっておこした訴訟の問題点を分かりやすく解説してくれた。

 2時から裁判が始まったが、傍聴者以外は公園の周辺で待機。法廷で、知事と弁護団が意見陳述をしているのを頭に浮かべながら、僕は思った。

「沖縄は何故このような裁判を強いられるのか? 争いは国が原因。沖縄の民意を尊重して、新基地建設を断念すれば、即時に解決するはずなのに、無理難題を沖縄に押しつけてくる。翁長知事そして玉城デニー知事は、県民の代表故に矢もとに立たされ、苦悩を強いられ、翁長さんは多分ストレスからガンを患い亡くなった。

2時45分ぐらいに弁護団と傍聴者が公園に現れ、報告集会が始まった。知事は県庁での記者会見があるので、公用車で僕らに見送られて裁判所を後にした。

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 法廷に入った北上田さんが渋面を浮かべながら、即日結審を報告。

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 参議院議員で憲法学者でもある高良氏が、「司法はみずからの役割を捨てた。これでは国と司法が一体であり、裁判足りえない。」と裁判長を批判。

 今日の朝刊が今届いたので、沖縄タイムスの紙面を紹介します。

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 沖縄は平和な島を取り返すため、これまで同様にイバラの道を歩む。僕は自分に出来る範囲で、沖縄のことを伝え、玉城デニー知事や現場で闘っておられる人たちを応援したい。もちろん、時間が許せば、現場に駆け付け、沖縄の人々と共にスクラムを組みたい。

 今日31日は、飛行機の関係で8時過ぎには辺野古を後にして静岡県に戻ります。

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 上の写真は、満月祭りで買い求めたCDの写真です。若い女医の桑江優稀乃さんが、このようなサインをしてくれた。

「沖縄の自然 美しい人々・文化 一緒に守っていきましょう ご活躍ありがとうございます 」

 彼女は病院に勤務する前に世界を見たい、色々な体験をしたいと、コスタリカを訪問したことをステージで話してくれた。コスタリカは軍隊を捨てた国、自然が美しい国。その国を自分の目と体で知りたい思いで行ってきた。

 軍隊がなくても平和を維持している。美しい自然は、沖縄も同じ。コスタリカが出来て、沖縄ができないわけがない。心を合わせ、基地を無くし、軍隊がない島にしたい。              CDにはそんな彼女の思いが詰まっている。袋井にもどってから聞きます。

2023年10月30日 (月)

#沖縄辺野古現地レポート その5 満月祭り

29日は、日曜日なので、辺野古座り込み活動は無し。しかし、辺野古の運動とリンクして、満月祭りが当時夕方開催されるので、クッションに宿泊している若者3名と僕は宿の管理人・稲葉さんの要請で、会場準備や片付け、たこやき、そば、焼き鳥、ようよう、トウモロコシを焼いて販売などを手伝った。主催者の名護市議・東恩納琢磨さんの要請で、カンビールやお茶の販売も手伝った。結構忙しかったが、観月祭りに出場する方たちの歌や演奏、おどりも楽しんだ。

 満月祭りは今回で22回目。写真のまよなかしんやさんが、始めた。満月の夜に、大浦湾では魚が卵を産み、命が誕生するそうだ。命の海を守る思いで、イベントを通して辺野古新基地建設の問題を多くの人に知ってもらうのが目的。

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 暗くてよく見えないが、光るのが満月。下は砂浜。真ん中の白っぽいのは月明りの波。カメラがデジカメで写りが悪くてすみません。本当は、とてもきれいな光景でした。ここは、大浦湾の反対側の瀬嵩の浜。埋め立てられる予定の大浦湾側が良く見える地点です。

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 大きな船は埋め立て土さを運ぶ船。その後ろは米軍基地・キャンプシュワーブ。フロートは工事のための制限区域をしめす浮き。過大に制限区域を設定し、海上抗議活動のカヌーやサポート船が入れないようにしている。この海域は水深が深く、60~70メートルもある。軟弱地盤が見つかり、防衛局が埋めたて設計を変更余儀なくされ、それを知事が承認しないので、知事権限を取りあげる代執行裁判が30日始まった。裁判については今日30日に那覇の裁判所に行ってきたので、明日レポートします。

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 現役の大学生と、大学を出てこれから病院で働く予定の若い医師のコラボによる三線と歌、手話パフォーマンスの写真。右側の大学生は難聴の障害があり、手話を通して相手の話を理解する。自らの意見を述べるのは問題ない。友人の歌の内容を手話パフォーマンスで芸術的に難聴者に伝える活動をしている。

 2人は自然や平和を守りたい思いも話してくれた。若者の話は、とても新鮮に聞こえた。

 若い女医さんはcdを制作したばかり。僕は早速買い求めた。cdにサインをしてもらうとき、直接話す機会があった。彼女の歌の内容や人物紹介は、後日します。

 

 

 

#沖縄辺野古現地レポート その4 玉城デニー知事を沖縄中が応援している デニ知事頑張れ!

 29日の報告は次回にして、28日夜、名護市港で屋良朝博衆議院議員の返り咲きを祝福し次回の衆議院選挙でも当選を確実にするための国政報告会があり、そこに玉城デニー知事がお祝いの言葉と激励に駆けつけると聞き、当初の予定になかったが参加した。

 今日30日は福岡高裁那覇支部で代執行訴訟があり、玉城デニー知事が国の無法・理不尽な訴えに対し、鋭く反論される。那覇裁判所前で激励集会があり、今日そこに駆けつけるが、28日夜の集会報告をすることで、沖縄の人々がいかにデニー知事を信頼し、応援しているか、またデニー知事の決意も紹介したい。

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 真ん中がデニー知事。左が屋良朝博衆議院議員。右が応援に駆け付けた小沢一郎衆議院議員。

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 玉城デニー知事は30日にむけての決意をこのように話された。「 自分は衆議院時代、小澤一郎先生から多くを学んだ。政治家は筋を通すことが一番大切だと学んだ。辺野古反対の私の公約に対し、2度の知事選で県民の皆さんの賛成・支持をいただいている。

 埋め立てを認めない・防衛局の設計変更を認めないのは、政治家として当然の判断だ。地方自治法には、地方自治体は国と対等の関係であると書かれている。意見が違えば対話で解決するのが、地方自治法の精神だ。なんでも国の言いなりでは民主主義国と言えない。

 沖縄の自然、ジュゴンが生息できる海の環境を守るのは、県知事の責任だ。今回、国が代執行という知事権限を取り上げる暴挙を行おうとしているが、これを認めると、全国に波及する。例えば、核廃棄物処分場をここにすると国が決め、自治体が従わなければ、代執行で強引に住民の反対を無視して、核廃棄物最終処分場を作ることも可能になる。

 このようなことを認めることはできない! 裁判で堂々と何故不承認なのか、意見を表明したい。」

 会場はわれんばかりの拍手、拍手、もちろん僕も歓声の輪に加わった。

 沖縄選出の国会議員も駆けつけ、先ずは屋良氏へのお祝いと激励、最後にデニー知事応援の言葉が続いた。

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 赤嶺衆議院議員。新崎衆議院議員も駆けつけ挨拶されたが、うっかり写真を撮り忘れ。

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伊波参議院議員。

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 高良参議院議員。

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 最後に屋良朝博さん。彼は前回の衆議院選でおしくも2位に食い込んだものの落選。長崎補欠選に1位の方が出馬し、辞任したので、繰り上げ当選を果たしたばかり。今回で二期めの衆議院議員となる。

 記者生活が長く、基地問題は伊波さん同様に全国会議員中、最も詳しくいわば専門家だ。辺野古や南西諸島軍事要塞化に取り組む決意を語られた。知事を国会の場でも支え、新基地断念を国側にせまる。みんなでデニー知事を支えていこうと声を張り上げると、盛大な拍手が起きた。

 会場は満席。司会や後援会長・稲峰進氏などの発言も含め、熱いデニー知事頑張れの沖縄の声を受け止めました。

2023年10月29日 (日)

#沖縄辺野古現地レポート その3 海からのアピールと埋め立ての現状

 28日は、海上行動があり、カヌーに乗って、「代執行許すな デニー知事とともにガンバル 海上抗議行動」に参加した。

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 海に出る準備をしている。この浜は、辺野古漁港の隣にあり、さらにこの浜はキャンプシュワーブ基地と鉄条網で仕切られているがつながっている。

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 海兵隊の水陸共用戦車や上陸舟艇などは、金網の向こう側の浜から出入りする。金網が破れている。この件は後で触れる。

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 カヌーに乗るのは4年ぶり。辺野古崎まで漕いでいくのは大変。そもそもカヌーに乗る予定はなく、船に乗るつもりだったが、ヘリ基地反対協の仲本さんから声を掛けられ、一人でも多くの海上抗議メンバーが参加したほうがよいと思い、通常の服装でカヌーに乗った。帽子だけは、日焼け防止の顔を全面隠す黒い大きな帽子は持参していた。靴は倉庫にある古い靴を借りた。

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 別の所にもカヌーが展開している。この写真は、3班と4班チームがカヌーを横につないで、バナー(宣伝用横長の旗)を掲げている様子。僕もこのチームに所属した。

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 マイクで、オール沖縄福元事務局長が挨拶。仲本さんが司会の言葉。船長も思いを述べた。カヌーに乗っている者で、発言する者はこの船の後ろ側に回り、マイクを伸ばしてもらってアピールした。

 テレビ局は来ていなかったが、沖縄のマスコミと赤旗記者が別の船に乗り、取材していた。

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 僕たちのアピールを聞く海上保安官たち。うれしい出来事があった。通常なら、僕たちの抗議の声をかき消すために、マイクで「フロートに近づかないでください。ここは制限区域です。」とがなり立てる。防衛局の職員やマリーン警備会社の警備員も同じ。ところがこの日は、司会の仲本さんの「皆さん聞いてください。30日は代執行裁判で玉城デニー知事が証言に立ちます。埋め立てを認めない・これ以上の基地負担はごめんだ・自然破壊は許されない・県民の総意を代表して証言に立つ玉城デニー知事を応援するために、私達はこうして海上から訴えています。」の声に答えて、彼らは協力してマイクでの妨害はなかった!

 これは長い海上抗議活動の中で、初めての出来事です!!! 新しい局面になったことを彼らも自覚しているのだろうと想像する。ぼくの発言を含め多くの人たちの発言を紹介するのは大変なので、カットします。思いは司会の言葉に集約されています。

 この日に出たサポート船は3隻。カヌーは21隻。参加者は30名弱だった。

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 辺野古崎までの辺野古側の埋め立ては残念ながら完了している。護岸で見えないが、元きれいな海だった美ら海が完全に破壊されている。ジュゴンの藻場やこの海域のサンゴも押しつぶされ殺された。

 埋め立て土さはこの工区に運び込む必要がないのに、防衛局は大浦湾側埋め立て土砂を連日運び込んでいる。これは違法である。知事が大浦湾側埋め立てを承認していない。知事権限を奪う代執行裁判は、10月30日から始まる。この裁判で決着がつき、国が代執行をしたうえで、初めて法律的には土さの搬入が可能となる。沖縄では、日本政府は法律を守らない。違法行為が日常化している! 本土ではありえない!

 沖縄差別・沖縄の民意無視・地方自治法や憲法無視の違法行為がまかり通っている現状を、是非多くの人に知ってほしいです。

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 金網をよく見ると、故意に破られたのか、古くなり穴は開いたのかよくわからない。警備員が来たので聞いたが、彼らも原因は分からいという。だれでも基地内に入れる現状がすでに数日まえから続いていると聞いた。子どもたちが冒険心で中に立ち入ると逮捕される。この現状を意図的に米軍側が放置しているのかどうかは分からない。逮捕者を出し、基地反対運動を押さえる意図があるかも?  

2023年10月28日 (土)

#沖縄辺野古レポート 10月下旬レポート その2

 27日は、安和桟橋の活動に参加した。写真を沢山撮ったので、写真の解説をしながらレポートします。辺野古新基地建設を止める重要や拠点となっているのは、ここが埋め立て土さを海上から運び入れる拠点だからです。

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 名護市から美ら海水族館に行く途中に安和という地区があり、道路の右手の山が削られ、ここの赤土交じりの土さをダンプで琉球セメント安和桟橋に運び、大きな船に積み込んで大浦湾のk9護岸などに持っていき、埋め立て土さを供給している場所です。真ん中の白い細長いものは、本来はセメントを船に積み込んための菅だが、それを土さを船に積み込むために利用している。左手の船がこの日一番目の船で、27日は3隻に土さが積み込まれ、搬出された。

 琉球セメント株式会社は、辺野古ゲートからも生コンを毎日運び入れ、さらに自社の桟橋を防衛局に貸しているので、巨額の利益を得ている。写真の山は以前はもっと大きく緑豊かであったが、無残にも山肌が露わになり、自然破壊されている。

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 右白いのが、琉球セメント工場。

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 安和桟橋土さ運び入れはこの交差点(t交差点)の信号が変わった時に、ダンプが桟橋側に入ってくる。そのダンプの前を人間が牛歩戦術で歩き、運び入れのスピードを少しでも遅らせるために安和での活動が午前7時から午後8時まで行われている。今日は約10名の人が来ていた。

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 辺野古は昨日、3399日だったが、安和でもこの日が1790回めの日だった。辺野古にはたくさんの人が集まるが、ここは最近10人前後と聞いた。しかし一人でもダンプの前を牛歩戦術で歩けば、信号が変わってもたった1台のダンプしか中に入れない。誰も抗議活動をしなければ、青信号で4~5台のダンプが土さ置き場に入る。

 辺野古ゲート前活動も原理は同じ。工事車両が基地内に入るスピードを遅らせるため。海上カヌーチムの活動も同じ。海から土さが運び込まれるスピードを少しでも遅くしたい思いでフロート越えをして船に近ずく努力をしている。実は、安和桟橋でもカヌーチームが船に近づき、出航を遅らせる戦術を取っている。1時間以上遅らせることができている。海上保安官に排除されるが、粘り強く頑張っている。

 ダンプの前を歩くのは歩道を歩くので、威力業務妨害には当たらない。警察車両が桟橋側に入り、何名かの警察官が待機しているが、人間を排除することはない。

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 早くも11月23日県民大会の旗がここにも立てられていた。沖縄の人々は政府の欺瞞・県民無視の基地建設・沖縄の全島軍事要塞化に、黙ってはおれない、尊厳をかけて、平和な島にする闘いを粘り強く展開されている。本土から来て沖縄に住んでいる人たちも一緒に活動に参加している。午後5時過ぎに僕は活動を切りあげたが、一人の女性は8時まで頑張るとダンプの前にたちはだかっていた。

 たまにしか活動に参加できない僕は、現場を離れる際、いつも申し訳ない想いになる。帰り際、きれいな花が咲いていた。

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 ハイビスカスの花です。蝶々がたくさんハイビスカスの周りを飛んでいた。

2023年10月27日 (金)

#沖縄辺野古の現状 2023年10月下旬レポートその1

 26日から辺野古ゲート前座り込みに参加した。うれしいことに、参加者が多い。正確に数えたわけでないが、30名以上が参加。SNSで毎日辺野古から送られてくる情報では、10名前後の日が多いが、この日はうるま市・恩納村・北谷・西原・嘉手納など沖縄各地から大勢の人たちが集まった。

 本土からも、愛知県・神奈川県・熊本県・東京・岡山県・静岡県などから参加。座り込みの数が多いと、例によって機動隊の排除も時間がかかる。

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 いくら大勢集まっても最終的には工事車両を基地内に入れるため、暴力的に排除される。現場はこの繰り返し。とことん排除に抵抗すると、「威力業務妨害」で拘束される恐れがあるので、僕らは抱えて排除される。自ら立って排除される場合もある。

 非暴力不服従、ガンジーの精神で、巨大な国家権力と闘っている。この座り込みが、26日で、3399日となった。勝つまであきらめない!

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 沖縄の皆さんは長い基地反対運動の経験から、悲壮感・激烈で緊張を強いられる運動は、長続きしないと考え、歌を歌ったり、三線などの演奏、時には踊りなどを取りいれ、明るく粘り強くしなやかな運動を継続されている。

 ゲート前でこの日歌われたのは、「沖縄今こそ立ち上がろう」「座り込めここへ」「沖縄を返せ」「月桃」などだった。リーダー格の人は歌が上手。皆で歌うと元気が出る!

 工事車両が入るのは、1日に3回。午前9時過ぎと11時過ぎ、午後3時頃。午前はテント集会があり、先ずは沖縄の参加者の発言がある。僕は沖縄の人々の生の声・想い・考えを理解するために、時にはメモしながら耳を傾けるようにしている。箇条書きに印象に残った言葉を紹介します。

・最近運動に参加する人を落とし込めるウソ・意図的な偽情報が、SNSで拡散されている。ある集会では、堂々とこのようなことを言う者がいた。「あんたたちはお金をもらって運動に参加しているのでしょう」 SNSでは、「連中は中国から金をもらって座り込みに参加している。1日、2万円の日当をもらっているそうだ」

 調べるとどうも基地内からフェイクニュース=偽情報が流されている。米軍の関連団体が、組織的に意図的にこうしたウソの情報を流し続け、沖縄の人々や本土の人間に運動への偏見を持たせるようにしている。

・我々は乏しい年金生活をしている。この1日2万の日当が払われているニセ情報がその通りなら、何百回以上も通い続けている私などは、数百万も稼いだことになる。

・辺野古基金が残り2千万ぐらいと底をついてきた。那覇から毎日辺野古往復のバスを出し、特に本土からくる人や那覇市の車を持たない人への便宜を図ってきたが、乗る人が少ない月曜日と木曜日は、11月から運航をやめざるを得ない。本当に残念です。月・木のバスが無くなることを知らずに、県庁前に来る人もいるかもしれないので、当面は車を出し、万が一乗車したい人が来たら対応します。皆さん、SNSで、月・木の那覇バスが無くなる情報を拡散してください。

・うるま市では、ミサイル配備反対の署名活動を始めた。戸別訪問を午後3時から5時半までやっている。玄関に出てくれる人はほとんど署名をしてくれる。若い世代の人たちも説明すればきちんと理解して署名してくれる。

・うるま市で9月27日に「ミサイル配備断念を求める市民大集会」を開いた。520名余の参加者があり、熱気あふれる集会になった。大学生から、うるま市ミサイル配備反対署名活動をテーマに卒論を書きたいので、今日午後その学生からインタビューを受けることになっている。若い人が関心を持ってくれるのはうれしい。

・恩納村で原発反対・福島原発処理水放出反対の署名活動をしている。ある住民から、「反対している貴方たちは中国の味方か」と言われた。政府の宣伝が浸透している。

・キャンプシュワーブ基地内の弾薬庫に通じる道路建設で、遺跡が見つかり文化財発掘調査が行われ、白骨が見つかっている。名護市に調査結果公表を求めたら、「米軍と調整しないと公表はできない」と言われた。植民地と同じであきれた。

・辺野古埋め立て工区1,2,3区は、大浦湾埋め立て用の土さが積み上げられている。辺野古側の工区は完成したのだから、これは違法である。防衛局は大浦湾側埋め立てが知事の不承認で認められていない、裁判もこれからなのに、違法なことをしている。法治国家と言えない。

・大浦湾側埋め立て工区に軟弱地盤が見つかり、県知事不承認の大きな理由となっているが、それ以外にも滑走路予定地が耐震性に問題がある。大浦湾側は港湾建設基準で地盤の強度が問題になっているが、滑走路建設基準はもっと厳しい基準となっている。県当局はこれも問題視して、不承認の理由に挙げ、裁判闘争をするべきだ。土木専門家・奥間さんの発言)

・愛知県から初めて辺野古に来た学生です。現地に来て沖縄の皆さんの息づかい・想いが伝わり、色々なことを勉強させてもらっています。

・岡山県で夜間中学をやっています。現地に来てひどいことが行われているのを知り、ショックを受けています。

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 午後3時半過ぎまで現場の活動に参加したら、疲れが出て夜はおしゃべりを楽しむ余裕がなくなり、直ぐ寝ました。このブログは27日早朝に書きました。

 

2023年10月25日 (水)

沖縄・辺野古座り込みプラス海から抗議活動に参加

 今日25日、中部国際から那覇に飛び、レンタカーで辺野古に行きます。海上からの監視と抗議活動やゲート前座り込みは、明日から。31日に戻ります。

 高江のオスプレイヘリパッド建設反対から、活動のため沖縄に通い続けています。退職して時間的余裕が出てきて、現地の活動に参加してかれこれ15年目に入ります。

 個人的な沖縄スタディーツアーや修学旅行引率、ピースボートで知り合った人たちを案内しての沖縄めぐり、その中の一人の結婚式参加など、恐らく40回以上、沖縄に通い続けています。

 大好きな沖縄、きれいな海、温かい人々、美味しい食べ物、独特の文化や景観など、観光としても何度も行きたくなる沖縄です。その沖縄が米軍基地があるがゆえに戦後一貫して基地被害を受け続け、基地負担軽減どころか基地強化、そして今や戦場にされる危険性が具体化してきました。

 日本政府とアメリカ政府・米軍の2重支配=植民地扱いに、沖縄の人々は粘り強い反対運動=沖縄のことは沖縄が決める=自治を取り返す闘いを、戦後78年になる今も「勝つまであきらめない!」不屈の精神で、運動を続けています。

 僕ができるのは時々現地に行き、沖縄の人々の闘いに参加する、沖縄の情報をSNSで伝える、袋井でも写真展を開催し美しい海が基地建設により破壊されつつある現状を知ってもらうことぐらいです。

 大変なのは地元の人々です。その地元の人々と共に、座り込みや海上抗議行動に参加することで、本土の人間の責任を果たしたい思いです。

 できたら毎日、現地辺野古・沖縄レポートを、ブログに書きますので、関心がある方は生の沖縄情報を読んでください。

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 7月に撮影した写真です。このクッションに泊まります。

2023年10月23日 (月)

里山の管理は大変です

 昨日は終日、掛川市遊家(ゆけ)の道楽山の草刈に精を出した。色いろな樹木を植樹し、地域の里山でもある。セイタカアワダチソウが花をつけ、大きくなりすぎて、草刈を早めにやらないと大変になるとの危機感から、夕方5時半まで作業をした。

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 写真は道路に面した側。ここまで伸びると、通常の草刈の2倍以上の労力を要する。16年、管理をしているので草が伸びると大変なのは承知しているが、忙しくて結局後回しになり、毎年苦労をしている。

 草刈り機にツルが絡み、また刈り取った後の長い草が邪魔になり、作業の効率がすこぶる悪い! 斜面は足場も悪く、けがをしないように慎重にやる必要がある。

 小さな草刈機の燃料タンクに混合油を入れ、燃料が尽きるまで大体1時間ぐらいだが、伸びて茎が太い草を刈り取る場合は、余計に燃料を食い、45分ぐらいで作業をいったん終える。

 疲れをいやす休憩が待ちどおしい。水筒2本を持参し、容易したおやつを食べながら、お茶を飲む。鳥のさえずりが聞こえ、秋風もさわやか。ストレスはゼロ。昼食はコンビニで買ったおにぎりと持参したバナナと柿1個。ラジオを聞きながら木陰で食べる。昼寝は小屋で。

 里山の管理は大変だが、楽しい。作業を終えた後の達成感もよい。

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 まだ未完だが、とにかく仕事を終えた達成感を味わえる。

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 柿が一つ取り忘れてあった。ミカンは青いのを残して4個もいだ。ミカンはしばらく時間を置いたほうが美味しくなるので、食べるのは少しお預け。柿は今朝食べます。

2023年10月22日 (日)

中村哲医師写真展に使う写真の一部紹介

 昨日、写真展の構想について書きました。具体的に使用する予定の写真を掲載します。

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 写真が暗くてすみません。全て会報157号掲載の最新写真です。PMS支援室から実際に送られてくる最新写真が楽しみです。

2023年10月21日 (土)

#中村哲医師写真展、磐田市での具体的な内容 展示したい写真

 11月11,12日のららぽーと磐田での写真展、12月26日から1月7日までの磐田市中央図書館での写真展の構想がまとまってきた。具体的に展示したい写真も含めて、ペシャワール会PMS支援室に送ってほしい写真要望の文章を作成したので、それをコピーします。次回は会報157号に掲載された写真をデジカメにおさめ、それをブログにアップします。なお、この写真展は、来年2月、袋井市役所2階市民ギャラリーでも10日間開催します。

PMS支援室様

 11月ららぽーと磐田、12月末~1月上旬磐田中央図書館での中村哲医師写真展で使用するパネル及びラミネート写真に関する要望

 

 会報157号に「この灯りを絶やしてはならないーーペシャワール会の40年」と題して、PMS総院長(ペシャワール会会長)村上優氏が書かれた文章を参考に、写真展の具体的な構想を考えました。下記の順と枚数を参考に、写真展資材を送ってください。

  • 1983年から1990年まで

  ペシャワール会発足。北九州市での壮行会写真。中村医師が現地に赴任するきっかけとなったパキスタン・ティリチミール山の写真。1984年、ペシャワール・ミッション病院ハンセン病棟での治療写真。1986年、サンダル工房写真。1987年、パキスタンのアフガン難民キャンプ巡回診療写真。その他説明文パネルを含め、初期の様子が分かる写真と上に書いた写真合わせて10枚。

  • 1991年から1999年まで

  1991年ダラエヌール診療所写真。1992年、アフガニスタン・クナール州に開設されたダラエピーチ診療所写真。1994年に開設したダラエワマ診療所写真。アフガニスタン・ヌーリスタン州のワマ村写真。1996年、チトラール郡ラシュト村にロバに乗って向かう中村医師と医療チーム写真。1998年、現地活動15年目に建設されたPMS病院全景写真。1999年、パキスタン・コーヒスタン郡に建設されたドベイル診療所写真。

 上記の写真以外で支援室が選んだ写真4枚、合計10枚。

  • 2000年から2010年まで

  旱魃、水不足、井戸掘り、2001年アメリ軍による空爆、タリバン政権崩壊、戦時下の写真。クナール川から水を引いて用水路建設。緑の大地計画に基づく工事作業。アフガン・緑の大地計画(書物)に掲載されている、2005年スランプール岩山に立つ中村医師の写真。2007年4月24日、通水後写真。2009年、マリワリード用水路写真。2010年、砂漠で田植えができるようになった時の田植え写真を含め、たくさんある写真の中から支援室が選んだ合計10枚。

  • 2011年から2019年まで

  書物緑の大地計画掲載の、2011年ガンベリPMS農場小麦畑写真。緑の畑と黄色く色づき麦刈りをしている写真。2014年サトウキビ収穫写真。2014年、牛舎写真。2016年、ガンベリ農場に実った桃写真。2017年、事業地域4か村自治会の人々と中村医師が合同祝賀会で微笑んでいる写真。2018年、カマⅡ堰改修後の通水式写真。2018年、ミラーン訓練所で講義する中村医師の写真。2018年、ガニ大統領から勲章を胸につけてもらうときの写真。その他、支援室が選んだ見て感動する・喜びを分かち合える写真、合わせて15枚ないし20枚。

  • 2019年12月4日、中村医師死亡。福岡での葬儀・追悼式写真。2020年から今日まで。

  ガンベリ農場内の美しい中村医師記念公園写真。ジャララバード市内に2022年現地当局の手で作られた大きな中村医師記念碑写真。現地の人々が用水路にたまる土砂・泥を除去している写真、新たに用水路や堰を建設している写真、さらに広がる緑地風景写真、2022年末から今年9月にかけて、ペシャワール会代表村上氏や技術者、PMS支援室の藤田さん・山下さん・赤沢さんらが現地を訪問して撮影した最新の写真及び現地ジャララバード事務所から送られてきた多数の写真をラミネート写真にしたもの。合計枚数は多いほうが良いです。ラミネート写真は詰めてたくさん展示できるので。

これまで静岡県西部では袋井・磐田・掛川・菊川で中村哲医師写真展を開催しているので、「先生がお亡くなりになってから、現地がどうなっているのか? タリバン政権になってからのマスコミが伝えないアフガニスタンの本当の姿・人々の生活はどうなっているのか?  PMS緑の大地計画が安定的に現地の人々の手で継続されているのか? 」

 こうした不安や知りたい情報をできるだけ多くの写真を展示して、皆様方に今後も関心を持ち続け、安心感を持って頂き、支援を続けていただける写真展にしたいと念願しています。

                            竹野昇

 

  

2023年10月20日 (金)

議員として自分の政策(市政への考え)を市当局にいかに反映・取り入れさせるか

 昨日のブログに中村哲医師写真展の具体的なことを書きますと書いたが、その前に、昨日18日、袋井市長・2人の副市長・市幹部による「令和6年度予算編成に関する提言・要望事項」会派別聞き取りがあったので、その内容を書きます。

 袋井市は一人会派でも多人数会派でも公平に、予算要望・政策提言ができる。僕はこの制度を最大限活用している。一般質問とあわせ、市政に対する自分の考え、税金を市民のために使う具体的事業政策提案を行っている。

 9月末から10月初めに所定の用紙に必要事項を書き提出。その後、今回のように市長らに直接その内容を伝える機会がある。ただ、大きな会派は時間が長く、一人会派は持ち時間わずか15分。

 翌年1月に回答が文書であり、予算説明会が会派ごとにある。さらに2月にもほぼ固まった予算案説明を会派ごとにやってくれる。

下記が提出した文書。

 

令和6年度 予算編成に関する提言・要望事項

会派名 無会派 竹野昇              

 

 

 

提言・要望事項

 

 

市政全般

言葉だけでなく実行性ある具体的な政策とその裏付けになる予算化を望む。

 

 

政策別

政策1 子供がすこやかに育つまちを目指します(子育て・教育分野)

・給食は食育でもある。農産物・海産物・山の幸などを育て収穫する人々の苦労や課題を知る学習メニュー、栽培や収穫体験、食材を提供する農場見学、給食センター見学などフィールドワークを全ての児童生徒に与える9年間のスケジュール作成を望む。

・いじめ、差別などは基本的人権を侵す重大な問題行為であるとの自覚・認識を、保・幼・小・中の一環教育を通して、全ての子どもたちが持てるよう、年代毎のカリキュラム作成を望む。外部講師が派遣できるよう予算措置も望む。

 

 

政策2 健康長寿で暮らしを楽しむまちを目指します(健康・医療・福祉・スポーツ分野)

・人生100時代。自分の意思で好きな時間に行きたい目的地に移動できる足の確保が、健康長寿の基盤つくりである。地域タクシーを市内全域で利用できるよう、自治会・タクシー会社と何度も協議し、令和6年度中に、運行できる見通しを立て、令和7年度から実施できるようにしてもらいたい。

・家庭菜園は90歳を超えても楽しむことが可能。政策4の所で詳しく触れているが、農地を持たない市民が手軽に農が楽しめる環境の整備を望む。

・マイナンバーカードを所持しない人が健康保険証で医療機関にかかれるように配慮してほしい。

・体に障がいがあっても、認知症になっても、社会と繋がり、その人なりに出来る仕事や役割がある。障がい者の仕事を増やす方策、認知症の方が堂々と生きられる環境整備を従来の発想から抜け出して考えてもらいたい。

 

政策3 快適で魅力あるまちを目指します(都市・環境分野)

・川を活かした魅力あるまちつくり政策を、県内遠くの地域や県外、海外の人も呼び込めるように庁内横断的な検討チームを作り、色々なアイデアを出し合い立案してほしい。河川でつながる掛川市・磐田市・森町関係部署や観光協会とも携協議して、先ずは堤防を活用したつながるウオーキング道の整備、県管理の河川では県とも協議して、楽しめる景観作りのための花植えや植樹も予算化して進めてもらいたい。広い堤防では自転車・歩行者が共に利用出来る歩道の整備の予算化を望む。

・連携する市町の観光情報も含め、整備した歩道を紹介するプロモーションも必要である。

・環境に配慮した容器(プラ製でないもの)を使うよう、市内の店舗に協力を求める。市役所自動販売機はペットボトル

容器飲料を売らない。給食はプラストローを使用しない。

政策4 活力みなぎる産業のまちを目指します(産業分野)

・世代を問わず、農業に親しみを持ち、家庭菜園つくりや耕作放棄地で農業ができる基盤つくり、市外特に都会の人が袋井市に移住して農を楽しみながら生活する、本格的に農業で食べていける起業をする環境を整える。夢未来みどり塾が10年前から実施している体験農園を、他の地権者も開設できるよう行政の後押しを望む。広報にも、袋井市市民農園情報だけでなく、体験農園や農家個人がやっている市民農園情報も掲載し、市内各地で家庭菜園ができることを市民に周知して、農業に愛着を持つ市民を増やしたい。体験農園や市民農園開設者に補助金を出し、耕作放棄地解消に役立ててもらいたい。

・ 国が有機農業を推進している。ヨーロッパでは有機農業が主流になりつつある。国内でも健康で安心な食材をまずは給食で児童生徒に提供する自治体が増えている。袋井市も有機農業を目指す農家が増える方策(補助金支給含む)を検討してほしい。

 

 

政策5 安全・安心に暮らせるまちを目指します(危機管理・交通安全・防犯分野)

・袋井駅南新幹線ガード下に信号機が令和6年3月までに設置される。それに伴い新幹線南側の歩道が真っすぐ北側に延びるよう、JRのガード下部分の土地を買収するための予算措置を望む。

・小川町郵便局から新幹線ガード下までの歩道が狭く、自転車と歩行者がぶつかる危険性がある。3メートルぐらいに拡幅できるよう予算措置を望む。

・中心市街地の歩道がぼこぼこしていたり、車道側にやや傾斜がある箇所もあり、自転車やシニアカーなどの安全通行に問題がある。改善が図れるよう予算措置を望む。

・原子力災害広域避難計画について一般市民はほとんど内容を知らない。連合自治会単位で、避難計画の概要住民説明会を開催してほしい。 

・オートバイ駐輪場の改善。

政策6 市民がいきいきと活躍するまちを目指します(協働・地域・歴史・文化・国際交流・共生分野)

・年齢や経験を問わず、袋井市民全てが人材ととらえ、活用を色々な分野で活かせる方策を、庁内横断的検討チームを

作り、そこに希望する市民や議員も加わる会議を年数回開催してほしい。市民や議員は希望者参加故、予算化は不要。

 具体的には、国際交流の分野、袋井市の文化・伝統・芸能・歴史・祭典・自然などの語り部・披露できる人材を発掘して

郷土資料館近藤記念館コミセン学校などで多世代の人々に伝える事業、福祉施設・高齢者施設で多世代のボランティアが

活躍できるよう受け入れ側と間に入る社協の協議をしたうえでのボランティア推進事業などを考え、実行に移す。必要なら

予算化する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 説明時間が短いので、個別に各課・担当課を回り、僕の意図や政策及び予算要望補足説明をします。

2023年10月18日 (水)

#中村哲医師の生き方・行動・哲学に学ぶ写真展開催 ペシャワール会発足40周年

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 ペシャワール会の会報が届き、その中に始めて見る写真が掲載されている(上の写真)。説明文「1983年9月、中村医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的でペシャワール会が発足。写真は翌年5月、現地へ出発間際に『アジアを考える会北九州』が主催した走行会」

 ペシャワール会は当初中村医師の友人や同窓生、医療関係者、山仲間、教会などの関係者82名が発起人となり、622名の会員が集まり、パキスタンでの中村哲医師の活動を応援する目的で、会報の発行や、資金集めなどの活動を開始した。

 中村哲医師及び彼を支援する関係者は、アフガニスタンにおける井戸掘り・水路建設・農場作り・緑の大地計画まで活動が広がるとは予期していなかった。

 しかし漠然と、「中村君ならパキスタン・ペシャワールのキリスト教病院での医療活動だけに終わらないだろう」との思いが友人たちにあり、ペシャワール会が発足したと、会報に記載されている。

 僕は学生時代を北九州市で過ごした関係で、中村哲医師のお母さんが若松出身・祖父が沖仲司をまとめる親分玉井金五郎・叔父が火野葦平(麦と兵隊の作家)ということを以前から知っており、中村哲さんには個人的親しみと関心をかなり前から抱いていた。

 静岡県での中村哲医師講演会には3回参加している。しかし講演会の時にカンパする程度で、ペシャワール会の会員にはなっていなかった。

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 本気で中村哲医師の事業を継承する・この活動を多くの人々に伝え・アフガニスタン緑の大地計画を推し進める、そのために自分もそれを支える一員になりたいと決意したのが、不幸にも中村哲医師が死亡した後です。

 2020年初めにペシャワール会の会員になり、袋井市役所内市民ギャラリーで中村哲医師写真展を7月に10日間開催。8月に中村哲医師の著作全てを購入し、読みふけった。

 以来、中村哲医師の志・思想・哲学・想いが、僕の心と行動に大きな影響を与えている。

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 この写真は今年7月に撮影されたと会報の説明文にある。右上 ガンベリ農場のサツマイモ畑。右下 ツルの成長具合を確認する農業責任者アジュマルジャン。左 農場ではいくつかの植え方が試みられている。写真は水平に掘った溝にツルを寝かせるように植え付けている。サツマイモの評判は昨年試食した女性たちにも上々で、今年はツルを予約したシエイワ郡、カマ郡、ソロフロッド郡の30名に配られ、試験栽培が行われる。

 僕もサツマイモを栽培しているから、よくわかる。美味しい。土壌が良くなくても育つ。飢え対策にもなる。旱魃・食糧難で苦しむアフガニスタンに適した作物だと思う。

 故伊藤和也さん(掛川市出身、磐田農業高校、県立農林短期大学校【現在は県立農林環境専門職大学】卒業)が現地で栽培指導した作物でもある。

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 伊藤和也さんのことを多くの県西部の人たちに知ってもらう目的で、今年3月に磐田市立中央図書館で磐田市の友人たちと写真展を開催した。

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 左の青年が伊藤和也さん。彼はペシャワール会の現地活動=PMS(ピース・メディカル・サービス・ジャパン)で初めての犠牲者となった。中村先生はこの事件以後、日本人として一人現地に留まり、この事業継続は現地の人々が中心になってやれるよう、現地指導者を育成した。

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 会報に寄せられたPMS副院長・ジャララバード事務所所長ジア医師の文。全てを紹介できないが、ジア医師は中村先生と共に24年間行動を共にし、彼の心・活動に中村哲医師の魂が生きているのが良くわかる。

 会報157号には、ダラエヌール診療所看護師モハマッド アーベットさん、この方は37年間中村先生と共に活動をされている。さらに、ダラエヌール診療所医師マミドッラーさん、この方は34年間中村哲医師の下で医者として活動を支えてこられた。他に、PMSジャララバード事務所スタッフ・ヌール モハマッドさん、この方は1994年から中村先生の活動を支えている。

 彼らの文章を読むと、心から中村先生を尊敬し、中村先生の志を引き継ぎ、事業を継続する、自国の民のために働くのが自分たち残されたものの義務だとの思いが良く理解できる。

 関心のある方は、是非、ペシャワール会事務局(電話092-731-2372 ファックス092-731-2373)(メール pesyawar@kkh.biglobe.ne.jp )に連絡して会報を取り寄せてください。

 11月11,12日、ららぽーと磐田で、中村哲医師その後写真展(ペシャワール会の活動紹介)をやります。これについては次回書きます。

 

2023年10月16日 (月)

秋祭りと戦争 ガザ・ウクライナに思いを寄せながら地域の祭典に参加

 袋井市の中心部は、10月13,14,15日が、秋祭り。恐らく昔は豊作祈願と米の収穫感謝、および人々の娯楽、地域の団結などを目的に、地域にある天皇制や伊勢神宮を頂点とする神道と結びつかない自然崇拝の神社・村人と地域を守ってくれると信じている神社に五穀豊穣を祈願し、実りを祭壇にお供えして、神社の境内で、村人が平等に楽しめるお祭りが行われてきたと思われる。

 これは全国共通の日本の伝統文化と言えるかもしれない。新興住宅地として開発された袋井駅南の住宅街に住む僕たちは、そうした日本古来の伝統と関係なく、子供たちの楽しみと町内のまとまり・親睦のために、40年ほど前から、中心部の祭典期間に合わせて秋祭りを実施している。

 個人的にはただ騒ぐだけの祭りは好きではないが、町内の人々と顔を合わせ、話す機会が大切なので、毎年参加している。今年は順番で祭典委員になったので、3日間参加した。準備も含めると4日間。本当は今日午前片付けの仕事があるが、病院診察日なので、片付けは免除してもらった。

 祭りは子どもや祭り青年が中心。子どもが出ると、若いママやパパも出る。孫が出ると祖父母も出る。中老と言われる60代以上の人々も交通係や屋台の安全、お酒など飲み物をリヤカーに積み、色々な役があり参加する。

 人々の笑顔を見ながら、僕はガザの人びとやウクライナの人々に思いを寄せた。恐怖・絶望・悲しみ・怒り。祭典どころではない。日本と遠い地域の戦争の恐怖にさらされている人々との落差をいやというほど感じながら、祭りに参加した。

 何も手助けはできない。戦争反対の意見表明をSNSで発信しているだけ。苦しん状況の人々に申し訳ない想いで3日間の祭典を終えた。

2023年10月14日 (土)

#イスラエルによるガザ空爆、ハマスせん滅のための地上戦準備、パレスチナ人110万人に避難しろと警告 大量殺戮攻撃を前にして

 恐ろしい事態が起きる。イスラエルのネタニヤフ首相が、ガザに住むパレスチナ人に南部地区に避難しろ、北部に留まる者はハマス支持者とみなすと警告。狭いガザ地区に逃げ場はない。安全なところはない!

 一体どのような根拠(国際法)で、外国の首相がそのような命令を発することができるのか? これから攻撃する=戦争をするから、お前らは死にたくなければ逃げろ・避難しろとできないことを言っている。

 世界の歴史は悲しいことに戦争の歴史だが、このような警告を発して、公然と攻撃する(今はその前夜段階)国が有史以来あっただろうか?

 自分たちが正義で、選挙で選ばれたガザ地区管理者のハマスは悪でありせん滅するとイスラエル政府が公式に表明する。その国をアメリカ・イギリスが支持・支援する。

 確かにハマスによる突然の攻撃・イスラエル住民殺害・住民を人質にとり連れ去るのは、僕も支持しない。間違いだと思う。イスラエルの人々が怒るのも理解できる。

 しかし、パレスチナ人は1948年のイスラエル建国以来、国・故郷を暴力で奪われ、それ以来難民生活を強いられている。イスラエルの攻撃で、何人殺されただろうか? 負傷者は何人に上るだろうか? 家・アパート・学校・病院などが何棟破壊されただろうか?

 正確な数字を持ち合わせていないが、パレスチナ側の被害はイスラエル側の被害に比べて、比較にならないぐらい大きい。軍事力・経済力・政治力が圧倒的にイスラエルが上回り、1の攻撃に対し、10倍の報復攻撃をイスラエルは繰り返してきた。

 今後の展開は具体的にどうなるのか予断を許さない。ネタニヤフ首相自身が戦争は長期化すると言っている。彼は本気でハマスを壊滅するまで、ガザ地区地上戦を継続する腹を固めている。

 すでに避難しようとしている住民が空爆で多数殺されている。安全に110万人もが2日以内で避難できるわけがない。むちゃむちゃだ。

 第二次世界大戦が終了するまでは、ユダヤ人は住んでいた地域を追われ、迫害・差別され、苦難の歴史を刻んできた。ナチスによるユダヤ人虐殺は600万人に上った。僕たち日本人は、ユダヤ人に同情し、杉原千畝外交官の国の指示に反して日本行きのパスポート発行を誇りに思っている。ユダヤ人もそのことを感謝・評価し、日本に好感を持ってくれている。

 苦しい歴史を持つユダヤ人が、イギリスの二枚舌外交で手にしたのが現在のイスラエル国だ。資金面で戦争に協力すれば、パレスチナの土地に建国できると期待し、イギリス・アメリカに住むユダヤ系財閥が両国の戦争継続・勝利を資金面で支えた。

 1948年、イスラエル建国は、パレスチナ人にとり大惨事=ナクバとなり、これ以来、互いに相手を認めない・憎悪する・敵対関係が続いている。

 イスラエル対アラブ諸国との中東戦争では、アメリカの軍事・経済支援がイスラエルの勝利をもたらし、戦争のたびにイスラエルは国際法に違反し、占領地を拡大してきた。

 アメリカ・イギリス政府は、イスラエルの不法・人権蹂躙に目をつぶってきた。彼らの民主主義や人権重視という価値観は、二重基準である。

 恐らく今後、イスラエルのやりすぎは批判・非難するだろうが、基本的にハマスせん滅戦争を支えるだろう。それはなぜか?

 ユダヤ系のアメリカ人・イギリス人が、両国の金融を支配し、経時的に国家財政を支えているからだ。政界やマスコミ・大学への影響力も絶大。アメリカのIT大企業創業者は、ほとんどがユダヤ系の人々である。

 彼らは極めて優秀・働き者である。僕はこの事実を認め、評価している。実力で世界的企業を作り上げてきた。学問の分野もそうだ。ピースボートで知りあった東大に学ぶアメリカ人は、ユダヤ系の人だった。彼はピアノが上手で、船上平和イベントを企画した際、素晴らし演奏でイベントを盛り上げてくれた。

 袋井高校に英語助手=ALTとして勤務した女性の先生もユダヤ系の方だったが、本当に素敵な心優しい人だった。僕の勤める磐田西高校のALTと友人の関係で、お二人を妻籠馬籠高山旅行に誘い、一緒に3日間の旅を楽しんだことがある。

 個人的にはユダヤ系の人々を尊敬している。しかし国家としてのイスラエルに住むユダヤ人は、あまりにもアラブ人特にパレスチナ人に対しては、ひどい対応をしている。非人道的なふるまいをしている。攻撃で何人の人が死傷しても、報復攻撃は当然との価値観を持っている。

 もちろんそうしたことを恥じ、政府を批判する立派な方たちもいる。恐らく、今回のハマスの攻撃に怒りを覚えても、行き過ぎた政府のやりかたに心を痛めておられることだろう。しかし公然と政府を批判できる状況ではないだろう。非国民扱いになるからだ。

 根本的解決は、互いを国家として認め、共存する道しかないと思っている。パレスチナ側は苦しい選択になるので、それを国際社会が強制することはできない。

 

2023年10月13日 (金)

パレスチナ イスラエル 戦争の激化を恐れる

 ガザ地区からの攻撃に端を発し、イスラエルの空爆が激しくなってきた。昨日の朝日新聞夕刊記事によると、イスラエルが挙国一致政権を発足させ、本格的な戦闘継続(恐らくガザ侵攻地上戦)のための戦時内閣を作ったと思われる。

 ネタニヤフ首相は、ヨルダン川西岸パレスチナの土地を国際法に違反してイスラエル人入植地拡大を続けてきた超保守派。恐らく、ハマスの軍事力と戦闘員・指導者を完全に抹殺・破壊する好機ととらえ、ガザ地区への戦闘部隊侵攻の体制を準備している。

 ガザ地区は福岡市ほどの面積しかなく、周りを完全にイスラエルに封鎖されている。海に逃げようとしてもイスラエル海軍に攻撃され、船は沈没させられる。

 電気・水道・ガソリンなど燃料供給も完全に止められ、人道支援の食料すらもガザ地区に運ぶことができない。国連事務総長グテーレス氏によると、約22万人のパレスチナ人が国連パレスチナ難民救済事業機関の92教育施設に避難している。

 連日連夜の激しい空爆でアパートなどが破壊され、安全に生活できる場がなくなりつつある。恐らく死者は増え続けるだろう。負傷者はイスラエル側の負傷者をはるかに上回っている。

 アメリカやイギリス政府は、明確にイスラエル支持・支援を表明している。国内のユダヤ系国民向けのメッセージだ。この事情は次回に書きたい。

 僕はピースボート船旅で、ヨルダンのパレスチナ難民キャンプを訪問したことがある。故郷を追われ、狭い地域に密集して生活してる現状に心を痛めた。

 今、ガザ地区に住む人々が苦境に置かれている。これ以上の戦闘激化がないことを祈るばかりで、何もできないのが無念です。 

2023年10月12日 (木)

楽しみ 癒し さだまさし 猫がやってきた 孫もやってきた

 日頃固いこと・難しいこと・許せない出来事・政治の劣化・戦争など、心が折れそうになったり、不愉快になったり、気持ちが休まらないことを直視し、考え、文章を書き、それを自分の出来える範囲でいい方向に向かう=改善(特に袋井市政関連分野)しようとしている。

 しかし、それでは疲れる。たまには、楽しい事や心が和むことも必要なので、一番手軽な僕の癒しは近くの温泉に行くことです。

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 自宅から車で2分の所に、「和の湯」という温泉施設があり、息子夫婦や孫たちが3連休を利用して、我が家にやってきた猫を見に帰省したので、二日連続で心と体を休めに湯につかった。

 息子や孫たちも気に入っていて、袋井の実家に来ると必ず「和の湯」に行く。露天風呂、サウナ、水風呂、岩盤浴など色々あり、湯から上がると広い休憩室(畳の大広間、倒して寝ることもできるリクライニングチェアもある)で、テレビを見たり、読書、仮眠もとれる。食堂もあり、時間があれば1日過ごすこともできる。

 袋井・磐田・掛川方面に来る機会があれば、是非利用してください。支配人は、僕の教え子です。

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 10日、さだまさしコンサートがアクトシティ浜松大ホールであり、妻とさだまさしの世界を楽しんだ。さだまさしはデビューしてちょうど今年が50周年。 50th Anniversary コンサートツアー 2023 ~なつかしい未来~ 

 午後6時から8時40分ぐらいまで、休憩なしで、グレープでデビューしたヒット曲から新曲まで、たっぷりさだフアンを満足させる素晴らしいコンサートだった。

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 新しいアルバムを購入したら、さだまさし直筆の色紙が入っていた。新曲の中にも、この言葉が入っている。トークでも、この言葉について話してくれた。人間、皆、夢がある。しかし夢は待っていてもかなえられない。自分のほうから夢を獲得するためにアクションを起こしましょうとの意味だ。

 まさしの新刊本も購入した。長いタイトルーーーさだまさしが聞きたかった「人生の達人」タキ姐のすべてーーーしおりの言葉

日本を代表する社会運動家・女性代議士加藤シズエの娘として生まれ、アーティスト・コーディネーターという職業をつくり、オードリーヘップバーンはじめ世界的スターと個人的親交を結び、78歳の今も淡々と飄々と、そして凛として生きる。加藤タキが伝える、とらわれず自由に生きるヒント

 まさしが加藤タキさんにインタビューしたふたりの対談を本にまとめた内容。読むのが楽しみです。

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 妻が知人から預かってくれと頼まれ、一時的に保護した捨て猫ちゃん。可愛いので譲渡会に出さずに、我が家で飼うことにした。

名前は、マル。孫がつけた名前。猫の容姿は丸々していないが、呼びやすい名前。孫は自分が考案したので、大喜び。子猫なので、じっとしていない。じゃれる。色々なものに飛びつく。足にまとわりつく。靴下をはいていないと足が痛い。もう大変。ケージから出ると、運動会だ。

 大き目のケージに入れると、そこが寝どころと理解したのか、おとなしくしている。

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 ハンモックをとりつけたら、そこで寝る様になった。我が家の家族になり、今では主人公。人気者で、拾った人やその知人が見に来る。昨日もこの子猫を見つけた方が、猫の餌を持って猫の様子を動画におさめるために我が家にやってきた。子猫が幸せそうに暮らしているのを見て、嬉しそうだった。

 

 

2023年10月10日 (火)

働く人=労働者の権利を守る組合 遠州労働者連帯ユニオン第20回定期大会に出席して感じたこと

 8月の定期大会が天候の関係で延期され、10月10日午後3時から、浜松市民協働センター内の会議室で開催され、組合員として参加した。遠州労働者連帯ユニオンは、一人でも、退職していても、労働者の権利を守りたい・組合を応援したいと思う人なら、誰でも加入できる。もちろん外国籍の労働者も。

 教員だったころは日教組につながる静岡県内の教員組合に加入していた。ストライキも経験している。定年退職してから、静岡県西部地方をカバーする現在の組合に加入している。

 外国人労働者からの解雇・賃金不払い・労災・雇止めなどの権利侵害・不当労働行為に関する依頼が多い。僕自身は、裁判傍聴・会社との断交参加程度で、たいした活動はしていない。組合費(年12,000円)を払うことが組合支援と考えている。定期大会に参加したり、忘年会に参加する程度です。

 昨年初めて、袋井市在住のペルー国籍労働者から依頼を受け、掛川市の派遣会社と交渉を何回か重ねた。派遣先の工場で負傷し、治療費支払いや雇止めが問題であった。組合が絡むことで、会社側はいい加減な対応ができない。なんとか依頼者が有利になる形で、交渉を終えた。

 定期大会でも、委員長からの報告は外国人労働者からの依頼に対する対応が多かった。日本の会社は外国人労働者を使い捨て扱いしている。個々の事件・事案は本当にひどい!

 外国人労働者を大切にしない企業は、日本人労働者に対しても賃金を低く抑え、長時間労働を強いる傾向がある。雇う側は、本質的に儲け=利潤を得るのが目的であり、社会福祉事業をやっているのではない。企業側を有利にしようとするのは、ある意味当然だ。

 強い立場の会社・経営者と対等な関係=すくなくとも弱い関係にならないために、組合に入り団結して会社側と交渉する=権利=賃上げ=働く条件改善などを勝ち取る。

 働く側つまり労働者にとり当たり前の考え・心得が、日本では広く浸透していない!学校でも教えない! 実は僕自身も生徒にきちんと労働者の権利について語らなかった。英語の授業だから話題にしにくい事情もあったが、今となっては反省している。

 親からも先生からも周りからも、就職したら組合に入りなさい・それが貴方の権利を守るのですよ、と言われたことがない若い人々は、就職する際、この会社は組合があるのかどうかなど、考えたことがないだろう。少数だがそのような考えがあっても、入社した会社には組合がない場合が多い。あっても存在感がない組合が多く、入らなくても仕事に関係ないと思う。 だから組合に入らない人が圧倒的だ。

 この負の連鎖の結果、日本人の賃金は、20年間低い状態に据え置かれ、今では韓国人労働者のほうが賃金が上だ! 韓国は組合が強い。戦う組合に労働者は期待して、加入率は日本に比べて高い。この違いが、日本で働く人々の労働条件を劣悪なままにしている。

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 定期大会では、組合加入者を増やそうが、今年度最大の目標に据えられた。

2023年10月 9日 (月)

総務委員会行政視察研修レポート最終回 高松市 まとめの感想 副産物?

 10月2日、高松市を訪問。僕たちが学びたいことは、「フリーアドレスシティたかまつFACT」の具体的な内容。担当課は、デジタル戦略課。高松市は人口が40万以上あり、市議会議員も40名と、袋井市に比べると大都市。ちょうど議会が開かれており、対応してくれたのは担当課の職員1名。

 あらかじめ僕たちの質問事項を送ってあり、またデジタル戦略課から「フリーアドレスシティたかまつFACT」のかなり詳しい文章が送られてきてあった。

 僕たちは全員タブレットを持参し、送られてきてある文章を見ながら、説明を受けた。悲しいことに、職員のお話はタブレットの文章と全く同じ。これでは、わざわざ遠路高松市まで税金を使い、時間をかけてくる必要がないと感じた。

 高松市「スーパーシティ構想」の概要

市民全員が未来に夢を持ち、幸せになれるまち  誰もが公平にチャンスがあり、選択できるまち  いつでも、どこでも、誰とでもつながれるまち

 この目標をデジタルを通して実現したいというのが、概要。要するに今はやりの、国が推し進めるスーパーシティ構想だ。そのためあゆ分野でデジタル化を推し進め、便利な都市にしたいという内容です。

 僕は袋井市議会総務委員会でも市のデジタル化について、「デジタル化は手段であり、それが市民の幸せ・満足度に直接つながるわけではないと思うが、当局の認識を問う」「職員もデジタル化で忙しくなり、必ずしも仕事量軽減=働き方改革につながっていないように思われる。高齢者など、パソコンやスマホを自由に扱えない人も多数おり、窓口対応や電話のほうが便利だと感じている人が多い」と、発言している。

 FACTは、Free  Address City Takamatsu  の略語  英語でfactは事実を意味するがそのfactと関係ない。 デジタル化を進める担当課は、やたらと横文字を好んで使う。結果として市民に分かりにくい。専門用語も多く、英語の元教員だった僕も、面食らうことが多い。

 放課後FACT-ory   放課後×デジタルキャリアパスポートで、子どもの「やりたい!」をサポート  というこれだけでは何のことか分からい項目がある。GIGAスクール端末を持つ子ども  学校にいてもまちにいても  放課後の時間を子どものゴールデンタイムを  好きな学びや体験を選べる ワクワクした毎日を提供 自ら描く未来がカタチに

 説明文も分かりづらい。 子どもや保護者も、何を市が提供してくれるのか、さっぱり理解できないだろう。 担当職員の説明を聞き、ある程度理解できたので、確認のために次の質問をした。 「高松市の子どもたち全員が、タブレットを利用して、放課後を過ごす内容(本を読む、スポーツをする、昔の遊びを体験する、宿題をするサポートをしてくれる場、勉強を教えてくれる場、自然観察をする場、自由に安全に遊べる場など)を調べ、好きな所(場)に行って過ごす。そのために、あらかじめそのような場を提供する人やその内容を子どもを受け入れる側が登録し、その内容が先生や保護者にも分かり、子供がここで過ごしますとタブレットで親と先生にメールすると、学校側や保護者が子どもが放課後どこで過ごしているか把握できる仕組みなのですね。」と尋ねた。

 その通りですとの回答。このシステムは良い・参考になると思う。

 全体をとおしての感想。確かに時間と金を使って訪問すると分からないことが直接聞けて、勉強になる。ただ僕はインターネットの時代、3日も税金と時間を費やさなくても目的は達成できると考えている。情報は担当課に連絡・お願いすれば、パソコンで得られる。どうしても理解できない・もっと詳しく知りたい際は、直接伺うのもよいが、出来るだけ遠方を避け、時間と税金を節約する努力が議会側に求められていると思う。

 副産物?  これは訪問した3つの市には、水城があった。観光目的ではないので、昼間の時間帯はお城に行けないのは当然。僕は日頃から早朝ウオーキングを楽しんでいるので、高松城も見学した。5時半過ぎは門が閉まっていたが、6時から開門。受付に聞くと入場料は200円。お金は持っていないと言うと、65歳以上の方は無料とのことだった。

 お城や建物内には入れないが、庭園やお城跡(展望できる高台)は自由に散策でき、水城について勉強した。要するに守りを海の水を利用して固める築城だ。大洲城は海の水でなく、肘川の水だが、巧みにお堀に水を引き、敵を寄せ付けない手法は共通している。石垣は高い。それぞれ地域の石を利用している。石の芸術だと思われるほど、大きな石、小さな石を組み合わせ、地震に備えている。

 高松城は瀬戸内海側から見るのが一番美しいとのこと。次回、是非、観光で高松城・今治城・大洲城めぐりをしたい。

2023年10月 8日 (日)

#玉城デニー知事応援 辺野古代執行は民主主義に反する 無理して作る必要性が無い!

 辺野古新基地建設反対座り込み運動に初期の頃から関わる一人として、民主主義に基づく沖縄県知事選挙で再度知事に選ばれ、県民投票で埋め立て反対が多数の沖縄県民の意思を尊重して、国が求める大浦湾側埋め立て計画設計変更申請を認めない玉城デニー知事の判断を支持し、応援します。

 そもそも防衛省=政府=裁判所を含む国家権力機構が、沖縄に対してとっている態度・姿勢は、異常である。上から目線=沖縄を見下し=国に従うのは当然との思い上がり=根底にある沖縄差別が透けて見える。

 言葉では、普天間基地の危険性を早く無くすため?、沖縄の基地負担軽減?、のため、辺野古新基地建設が唯一の解決策と言う。しかしこれは全くのウソ!!!!!!

 普天間移設を日米が合意してから27年が経つ。この間、普天間基地は滑走路の強度を増す工事が行われ、移設どころか逆に永久使用される恐れが出ている。理由は簡単。米軍は、大浦湾側埋め立て工事は何年かかるか分からないことを見通し、完成しなくても困らないように普天間基地を強化しているのだ。

 騒音や危険性が増しているが、日米政府は沖縄県民の犠牲に目をつぶり続けている。植民地の住民扱いだ。特に腹ただしいのが、日米地位協定を改定しようとせず、アメリカの言いなりになっている日本政府と国会だ。具体的には外務省はアメリカに従うのが国益にかなうと信じ込んでいる。防衛省は、日米軍事同盟強化をまず沖縄で実行し、米軍基地・自衛隊基地を双方が自由に使えるようにすることが基本戦略になっている。

 いくら国民の税金がかかろうとも、意にかいしない。辺野古新基地建設は自衛隊のためでもあると認識している。事実、キャンプシュワーブ基地(辺野古にある)の弾薬庫を改修・新設工事を現在行っているが、自衛隊が米軍と共用することになっている。そのため弾薬庫に通じる新しい道路建設工事もやっている。

 最近、米軍の戦略が変わってきた。沖縄は中国に近すぎる。戦争になれば沖縄に配備した戦闘機が真っ先に攻撃され破壊される。そのため、グアムやハワイ、本国に分散配備する戦略を取っている。

 沖縄の米軍基地の役割が変化しているのだ。日本政府が作ってくれるから辺野古新基地はいらないとは言わない。しかしできなくても困らない。

 沖縄駐留海兵隊は本国の戦略変化に危機感を抱き、沖縄本島だけでなく、与那国島・石垣島・宮古島など南西諸島など各地を展開する戦略を取っている。中国のミサイル攻撃を、移動しながら避け、太平洋に出ようとする中国の戦艦をミサイル攻撃する方針だ。

 アメリカ本国の空軍・海軍・陸軍にとり、海兵隊は時代遅れで重視されていない。そこで焦った海兵隊は、離島を含む沖縄で生き残り戦略を立てている。その利害と自衛隊の利害が一致して、沖縄各地で新たな基地が作られ、全島軍事要塞化しつつある。今、台湾有事になれば、一番危険にさらされるのが沖縄である。沖縄が戦場になる!

 政府は安全保障環境整備のために、辺野古新基地完成が急がれると言うが、県民の反対を無視して、玉城デニー知事の権限を奪ってまで、埋め立てを強行する必要性は、実はない!!!!!1!

 岸田政権・自民公明与党・辺野古反対を言わない維新や国民民主党は、米軍戦略変化を正確に理解していない。  地方自治を尊重する立場から、辺野古新基地建設を断念する決断を下しても、日米関係は揺らがない。恐れる必要はない。このことも理解していない。

 日本の安全保障を真剣に考えるなら、中国を敵視せず、経済・政治・文化・観光・若者交流など、多角的に中国との友好親善関係を構築すべきだ。

 憲法を守り、日本は専守防衛に徹する。言葉の遊びでなく、軍事予算を増額しない。海外の国に脅威を与える兵器は購入しない・持たない・開発もしない。税金は国民生活を本当の意味で豊かにするために使う。こうした政策を内外に示す。実行する。これが日本の国益にかなうと信じる。結果として、沖縄の民意を尊重して、きっぱり辺野古を断念する! それが日本の民主主義を定着・強化することにつながる。美ら海を守ることにもつながる。

 アメリカから旧式のトマホークミサイルを200発前倒して来年度にも購入配備すると報道された。最終的には計400発、2000億円以上の税金を浪費する。自前の敵基地攻撃能力を持つミサイルも日本の軍事産業育成を兼ねて開発する。中国がこの日本の方針に反発するのは当然。軍拡は軍拡に繋がり、際限なく拡大する。

 日本の国益・民主主義・沖縄県民のことを冷静に考えれば、今、岸田政権がやっていること・やろうとしていることは、愚策であり、国民の利益に反すると僕は考えます。

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 今年7月に撮影。今の日数は増えています。10月末、今年2回目の座り込み参加のため、沖縄に行く予定です。

 

2023年10月 7日 (土)

総務委員会視察研修 愛媛県大洲【大洲】市訪問レポート 防災・避難がテーマ

 10月3日午後、大洲市を訪問。危機管理課が対応してくれた。「災害・避難カード作成と自助を促す共助の取り組み」がテーマ。肘川(肱川)が度々氾濫して、この町は江戸時代から水害被害を受けてきた。大洲城は内陸部にありながら、日本三大水城の一つになっている。

 住民に災害から命を守るための災害・避難カードをあらかじめ作成してもらい、肱川の水位に応じて、どこに緊急避難するのか、要支援者の避難支援を誰がやるのかなど、きめ細やかに記入したカードを家の良く見えるところに掲示しておき、そのカードの指示を頼りに避難する仕組みを構築している。

 数年前には洪水で全壊・半壊の被害件数が300件以上も出る大災害を経験しているが、この避難カードにより、死者はゼロだった。カードは首からかけられるようになっており、また字も大きく、避難の道しるべになる。参考になる良い取り組みだと思った。

 市役所の前に原子力災害に備えるモニタリングポストがあった。

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 大洲市は伊方原発に近い。危機管理課の通路に自由にもらえるチラシ類があった。「原子力災害に備えて すぐに逃げる必要はありません。太郎くん・花子ちゃん家族の屋内退避」と見出しがついた内閣府作成のちらしだ。

 まんがで、緊急事態が発生しても落ち着いて屋内退避しましょうと呼びかける内容。役所を出る時、対応してくれた職員に原子力災害避難計画は袋井市も作成しているが、実効性がない話をした。大洲市は佐多岬側でなく、松山・高松方面に避難することになっているそうだ。

 大洲市は盆地状になっており、周辺の山やまの水が肱川に集まる。土さ災害の危険個所もある。瀬戸内海から和歌山県・三重県・静岡県沿岸に延びる地震帯が大洲市海岸部沖を走っており、地震災害の心配もある。

 原子力災害・避難カードも作成したらよいと思うが、この提案はしなかった。袋井市もそうだが、具体的な避難場所が決まっていないから、作成できないのだ。

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 説明してくれた職員はとてもやさしい方だった。総じて四国の人々は、訪問した人への対応は親切・やさしい!

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 役所玄関前に、高齢者優先駐車スペースが2カ所あった。袋井市でもあればよいと参考になる。是非当局に提案したい。

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 今治市にもあったが、人権尊重宣言都市であることを示している。高齢者への配慮も、こうした宣言が役立っていると思った。袋井市にも同和地区があるが、残念ながら人権尊重宣言都市ではない。いつか、女性・外国籍住民・性的マノリティの人・障がい者・社会的弱者などを含む全ての住民の人権を尊重する条例ができたらなあと思う。

 大洲市は城下町だったので、古い町並みが残り、見どころがたくさんある。大洲城も見学したい。四国が大好きなので、議員を辞めたら時間的余裕が生まれるので、伊方原発に反対している団体との交流も兼ねて、またこの地を訪問したい。

2023年10月 6日 (金)

今治市未来戦略 行政視察報告続き

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 左が、デジタル社会になったから、今治で心と体を癒しながら仕事・生活をしませんか、と、移住者や2拠点で仕事や生活をする人を呼び込むための宣伝パンフ「IMABARI WORKATION CASE BOOK 2023]。 下の写真はこのパンフの中の写真。しまなみ海道と島々、瀬戸内海、サイクリングの魅力を紹介している。他にも「こんなところで生活したい、移住したい、短期間でもここで仕事して、心と体をリフレッシュして、拠点の自分の家・オフィスでまた新しい気分で仕事をしたい」と思いたくなる写真がいっぱい掲載されている。

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 右が「今治ワクワク ミリョク 100名鑑」。 下の写真は横になってしまったが、大三島のいちごを紹介。自然豊かなこんな素晴らしいところで栽培されたいちごですと、上手に宣伝している。この100名鑑には今治で生産される食べ物、飲み物、海で獲れた魚介類、今治タオル、今治城を始め訪れてみたい観光地・施設、特色ある企業の紹介もある。

 今治市長徳永繁樹氏の発案だそうだ。山本課長の説明によると、このガイドブックは業者委託でなく、市職員が作ったとのこと。ガイドブックの後ろに編集後記と制作した職員名が記載されている。「今治ワクワクミリョク100プロジェクトチーム」に参加した市職員9名が、自分たちで生産者やお店に出向き、話を伺い、地域の魅力を発見しながら、100の魅力あるモノを写真と文で紹介している。

 多分このチームに加わった市職員は、自分たちの今治市にこのような素晴らしいところがあるんだと初めて知った所やお店、生産物・生産者を発見し、ワクワク楽しみながら取材して写真を撮り、このガイドブックを制作したと想像する。

 自分が行きたい・食べたい・体験したいと感じたモノは、自然に他者にその気分・魅力・感動が伝わる。

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 私が住む袋井市の職員はほとんどを民間委託する。僕は議会でも「自分たちでやれよ!」と、一般質問で取り上げたことがある。情報公開請求をして、2021年度全ての民間委託事業を調べた。驚くほど多い。1000近くある。企画を練るのに民間委託をする。基本構想や基本計画もほとんどが民間委託して作っている。

 業者はプロだからグラフや統計・図・イメージ写真をふんだんに掲載して、いかにも魅力ある事業に思わせる基本構想案や基本計画案を作成する。それがタブレットで議会に出される。僕はいつもいら立つ。空々しい。具体的な内容がない。きれいな言葉が躍っているだけ。袋井市の現状が反映されていない。市職員がチームで何度も話し合い、自分たちで新しい事業を構想し計画する姿勢が見られない。

 今治市における事業企画及び基本構想や基本計画案全てが職員自らで作り上げているかどうかは、知らない。しかし山本課長の説明を聞きながら、袋井市との違いを大いに感じた。

 市民を真ん中にすえる、この発想は本当に素晴らしいと思う。冷静に考えると、「当たり前・当然」だ。行政は市民サービスが仕事。国・都道府県・市町村職員は、皆さんの税金から生活のための報酬をいただく。税金を使って様々な事業をするが、それは誰のためにやるのか?

 納税者及びその家族、生活困窮者・弱者が安心して暮らせる環境を作るためであるべきだ。法人税を納める企業が儲けるための事業であってはならない。もちろん企業・事業者が安定的に仕事が継続できる基盤つくり・インフラ作りも必要である。しかし日本の政治それを反映する公務員の仕事意識と実際の事業は、大企業や強い団体に有利になるように配慮されている。

 高級官僚だけでなく国の役人は、果たして「国民を真ん中に」に据えて仕事をしているだろうか? 国会議員は言葉では国民のためというが、国民を大事にしてない政府の政策・事業を厳しく監視して税金を国民のために使わせる仕事をきちんとやっているだろうか?

 僕は高校教員時代、生徒を真ん中にすえて仕事をした。校長や教頭などになりたい・出世したいと一度も思わなかった。生徒とその背後にいる保護者を意識し、大事にした。

 議員になっても市民のために働くを基本にしている。当局のこの政策・事業案は、市民のためになるかを判断基準にしている。今治市を訪問して、得るものが多かった!

 

 

2023年10月 5日 (木)

愛媛県今治市デジタル未来戦略ーーミライバリDXプランについて総務委員会行政視察をして学んだこと・感じたこと

 10月2日から昨日4日まで、袋井市議会総務委員会として、今治市ほか2市を訪問して、防災やデジタル化の取り組みを研修してきた。今回は一番印象に残り、かつ勉強になった今治市の取り組みを紹介したい。

 訪問場所は市役所でなく、BEMAC格式会社「驀進ベース」の施設内にある「今治市総合政策部 未来デジタル課 サタライトオフィス」だった。

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 この施設で僕たちを迎えてくれ、丁寧に説明かつ施設の案内までしてくれたのが、写真左端の山本浩二課長。彼は車いすを利用されている。概要を紹介したい。今治市は広域合併により「しまなみ海道」沿いの島嶼部を多く抱え、市民が市役所まで来て色々な手続きや相談などをするのは極めて困難。

 そこで、どこに住んでいても市民が住んでいる地域で行政サービスが受けられる(単に住民票・戸籍謄本などがスマホ・タブレットなどデジタル機器を使用して申し込み取得できるだけでなく、各課にまたがる内容の相談や手続きも可能な限り本庁に行かなくても、11ある支所で済ませるように、デジタルを手段として利用する。デジタル化が目的でなく、中にはデジタルを自分一人では利用できない人もいるので、そうした特に高齢者にも配慮してアナログも排除しない。市民と親しみのある関係を重視する。

 そのため市政の基本方針として、「市民が真ん中」の視点で、市民や企業が主役となる暮らしをつくる。驚いたことに、「市民が真ん中課」という課を設け、その課の渡辺課長も同席し、僕たちの質問に答えてくれた。

 24時間いつでもどこからでも手続きできるオンライン市役所を目指し、その窓口が「市民が真ん中課」。昼間の時間帯は、電話とオンラインでなんでも相談できる体制を構築。支所や郵便局に市役所とつながるタブレットを置き、操作を支所職員や郵便局職員が手伝う。支所では、スマホなどデジタル機器の学習会が開かれ、苦手な人も使えるように努力している。

 ワンストップで市民が手続きや相談ができるよう、あらかじめ予約しておけば、家族が死亡した場合の手続きや生活保護、介護サービスの受け方、子育て支援サービスなど、市民がたらいまわしにされることがない。生活している地域で何事も完結できることを目指している。

 書かない窓口を目指し、あらかじめ電話やスマホで例えば市営住宅入居手続きをしたいと伝えておけば(予約)、必要な書類など準備するものを教えてくれ、予約した時間にタブレットで市役所につながると、書類を手で書かなくても職員の手助けで必要事項を入力して手続きが完了する。印鑑を押す必要もない。

 都会や他県から若い人々・家族・起業を目指す人・リモートで働く・ワーケーションで移住者を呼び込みため、デジタルを活用。今の時代、さらに未来の時代には、どこにいてもパソコン一つで仕事ができる。瀬戸内海の景色や田舎のゆったりとした生活、美味しい魚や有機農業で栽培された野菜などを日常味わえる、都会にない魅力を情報発信している。

 オンライン移住ツアー、ワーケーションモデルツアー、バーチャル移住体験なども実施。そのため、オンライン移住相談会開催、ガイドブック制作、ホームページでの移住情報発信など、積極的に今治市の魅力を伝えている。起業や移住への支援・補助金なども整備している。

 感想ーーー山本課長はデジタル課ができる前の室長をされ、現在課長。庁内のこの部門の第一人者。市内企業・事業者との付き合い・連携も深く、とても有能で熱心な方だった。多分彼の発案と思うが、「やめるべきことをやめ、やるべきことを高度化します」このキャッチフレーズが印象的。古い役所の慣習、役に立たない文書作りなどを見直し、不必要と判断したらやめる勇気を持っている。逆に新しいことに挑戦する気概がある。

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 これはこの施設のオーナー「驀進ベース」社長がドイツ人作家の作品を会社の理念に会うと施設中央部に設置した芸術作品。コンセプトーー

社員は同じ船に乗る家族。航海は危険もある。冒険を楽しむことができる。世界に羽ばたく会社。

 今治市は造船業・海運業・いまばりタオル製造で有名。村上水軍・海賊でも有名。独立・新しい事への挑戦気風に満ちた土地柄。社長がとても多いそうだ。

 新しくできたサーカーチームののぼりばたに、「突き進め」という言葉が躍っている。いいと思ったら、なんでも取り入れ、「ばくしんする」。色々不都合が生じても直ぐ修正する・見直す、とにかく前に突き進めという気風は、サーカーチームだけでなく「驀進ベース」の社長など幅広く市民に共有されていると感じた。

2023年10月 2日 (月)

健康長寿のための同窓会 伊賀市での中学校同窓会に参加して

 昨日1日に三重県伊賀市で昭和38年度卒業大成中学校同窓会が開かれ、故郷へ電車を利用して帰省した。お酒を飲むので車を使わず、関西本線で伊賀上野駅まで行った。

 実は関西本線を利用するのは高校生の時東京オリンピック開会式に行くときに乗って以来初めて。近鉄線のほうが大阪や伊勢・鳥羽に行くには便利だし、通常は車で静岡―三重を行き来している。

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亀山駅から伊賀上野までは、一両電車だった。伊賀に入るまでは、山の中を走る。家康の伊賀越えを思い出させるほど、伊勢の国から伊賀の国に入るには、山の中を行く。伊賀流忍者の里いりを感じさせられた。

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 伊賀上野駅で撮影。伊賀市中心部までは、伊賀線を利用する。同窓会は伊賀上野駅すぐ近くの会場だったので、伊賀線は利用していない。故郷紹介の写真です。

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 99人の卒業生中、18名が参加。立って挨拶しているのが幹事。

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 皆同じ歳、昭和22年生まれ。中学を卒業して、60年経っている。同窓会に出てこれる人は、皆元気だ。それぞれ地域や家庭で活躍されている。趣味やウオーキング・山登り・農業・ゴルフやゲートボールなどを楽しんでいる。隣に座った女性は、中学卒業以来初めて再会した。右から3人目の女性。麻雀やパチンコもやっているとのこと。

 99名の卒業生の中で、残念ながら他界した人や連絡が取れない人が25名と幹事から報告があった。地元の幹事ができる人たちが複数おり、当番制で幹事をやってくれており、名簿作りも丁寧だ。全員の名前と、連絡が取れている人の住所一覧表を毎回参加した人に配布してくれる。僕は2016年2月の同窓会に参加して以来の久しぶり参加だった。

 昨日で14回目の同窓会だった。僕はこれまで5~6回ぐらいの参加で、都合がつけば行く程度だったが、同窓会を楽しみに元気を維持している人が多い。同窓会参加が健康長寿=ボケない=とにかく元気に暮らす目標になっていることに、気づいた!  後期高齢者にとり、健康・長寿が全員の共通課題になっている。互いに、暮らしぶりを話し合い、元気をもらえる場が同窓会の役割だと認識を新たにした。

 来年の幹事が決まり、来年も集まろうと約束し、皆と分かれた。

*今日2日から4日まで、総務委員会の視察研修で四国に出張します。ブログは4日までお休みになります。

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