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2023年11月 5日 (日)

#沖縄辺野古現地レポート その8 最終回 読谷村訪問記 その他

 読谷村は、山内徳信さんが村長時代に、アメリカ政府と直接粘り強く交渉して、広大な米軍基地(読谷補助飛行場)を取り返し、村役場に憲法9条の碑を建てたことで有名です。

 僕は山内徳信先生の自宅を訪問したり、高校教員時代に修学旅行で沖縄に来た時、生徒に講演してもらったこともある。参議院選に立候補した際には、静岡県内で友人たちと応援するグループを作り、一生懸命に当選に向けて奮闘した。ポスター張りから、各地での講演会も企画した。

 山内徳信先生は高校教員時代に島田高校で本土派遣教員として教えたこともあり、静岡県とつながりがある。本土復帰前の頃だ。少女が米軍補助飛行場で吊り下げ訓練のトラックに押しつぶされ殺された事件が起き、村の教え子でもある背年たちが「先生、村が大変だ! 直ぐ戻ってきてくれ!」と懇願するので、派遣教員の仕事を事情を話して途中で打ち切り、村に戻り、青年たちに担がれて村長になった。

 確かまだ40歳前後で村長になったと記憶している。米軍との戦いでは、村長自ら訓練阻止の現場に座り込み、銃剣を突き付ける米兵たちとにらみ合った体験を持っている。村おこしにも力を入れ、米軍から取り戻した農地で紅芋栽培を奨励し、今では「紅芋タルト」が沖縄名物となっている。僕も土産に買って帰った。

 やむちんの里(陶芸家を村に招き、陶芸の窯がたくさんある。芸術の村にする事業)も、徳信先生の発案だ。伝統の機織りも復活させ、産業振興にも力を入れた。それらの事業が成功し、今日の読谷村がある。

 もちろん平和教育や憲法教育にも熱心だった。村長の応接室には、憲法99条の全文が書かれた大きな衝立屏風がある。天皇以下国務大臣などは憲法を尊重擁護する義務があると明記した条文だ。

 憲法に基ずく村政、これが山内徳信先生の理念であり、参議院時代にもその理念に基づいて活動された。この精神はうりずんの会に所属する沖縄選出国会議員全員に受け継がれている。

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 残波岬灯台。うえに上ると素晴らしい景色が広がる。

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 下に降りて残波岬公園を散策した。

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 ごつごつした岩石は、何億年前、さんごの海底が隆起したもの。巨大な石は波の力で押し上げられた。その説明文は下の写真。

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 風化して全文が読めない。観光振興に力を入れておれば、直ぐ新しい説明文を設置すべきだ。灯台に続く歩道が一部舗装されていなくて、車いすの方や高齢者、ベビーカーの幼児連れの若い世代には、歩き辛い。転ぶ危険性もある。

 アイスクリームを販売している「金城パーラー」さんの看板に、この地で50年とあったので、紅芋アイスを購入してから、舗装されていない歩道は危ないですね、と話しかけた。店の方は以前からそれに気づき村役場に訴えたところ、幸いにも予算がついて、来年度舗装されるとのことだった。

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 琉球王国のグスク「座喜味城跡」、世界遺産にもなっている。

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 読谷村は文化財の宝庫でもある。新しくできた「ユンタンザミュージアム」。素晴らし施設だ。読谷村の歴史や文化、産業なども理解できる。

 食堂に向かう途中、奇妙な施設と看板に気づいた。

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 この施設のそばの家に、猛烈に僕に向かって吠える犬が2匹いた。2階のベランダで洗濯物を干している女性がいたので、「何の施設ですか?」と尋ねたが、分からないとの答え。おそらくこの女性は知っているが、雇われている米軍将校のメイドさんと想像されるので、そのように答えたと思う。後で食堂の方に尋ねたら、トリイステーション(機密情報を探るレーダー設備を有するグリーンベレー部隊の施設)の関連施設ではないかと説明してくれた。

 看板の説明に怒りが沸いた。「ここは日本政府提供の施設。基地内に許可なく立ち入ると法律により罰せられます。」と通常は書かれている。こうした看板にもここはアメリカでない!日本だ!と怒りが沸くが、この看板は「米国官有資産」との表現になっている。沖縄の米軍基地全ては、戦争で勝利した米軍が県民の土地を無断で取り上げ、作り上げられた。米軍からすれば奪い取った土地だが、1972年の沖縄日本復帰以降は、日本政府が地主に借地代を支払い、米軍に提供している。

 読谷村のトリイステーションの中の施設はアメリカ政府の金で作られたものだが、こうも露骨にアメリカ政府の資産だから立ち入るなと書いた看板はこれまで見たことがない! いまだに占領意識が残っている証拠だ。時間があれば、村役場に電話して、看板を書き換えるよう要求してほしいと依頼するつもりです。山内徳信先生は元気だったら烈火のごとく怒り、直ぐ米軍に抗議されるが、現在かなり体が衰弱されておられ、4年前自宅にお会いしたいですと電話したところ、息子さんが出て、父は体が弱っていて見舞の面会を全てお断りしているとのことだった。

 長々とレポートを書いてきたが、今回で現地レポートを終えます。もちろん、沖縄に関して特に知事の権限を奪い取り大浦湾埋め立てを強行しようとする問題などは、引き続き書きます。

 

 

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