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2024年2月

2024年2月29日 (木)

2月議会一般質問 1 大災害に備える

 2月28日、2月議会一般質問で、大災害に備えると題し、能登半島地震を教訓に、南海トラフ巨大地震への備えに関して多岐に渡り質問した。

 以下はその時の読み上げ原稿。

2024年2月議会 一般質問 1 大災害に備える 読み上げ原稿     竹野昇

 質問に入る前に、この度の能登半島地震で亡くられた方たちのご冥福をお祈り申し上げます。また家やお店、事業所を焼失・倒壊し、大被害を受けた方たち、今なお避難生活を強いられておられる全ての方たちに、お見舞いを申し上げます。

 大項目 1 大災害に備える

 今回の能登半島地震で改めて日本は地震列島であり、私達袋井市民はこの被害を教訓に、南海トラフ巨大地震に備える必要があると痛感し、袋井市のこれまでの対策の状況、今後の取り組みなど、私の提案も含め、多岐に渡り質問します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(1)における一般家屋、アパート・マンション・ビルなどの耐震化率は何パーセントか。

(2)まだ耐震化していない家屋などの中で、当局としてこのままでは危険だと心配している建物はあるか。あれば所有者に対し、どのように対処しているか。

(3)道路の液状化や陥没、亀裂,隆起などで、避難や救助、支援物資搬入などに支障が生じる恐れがある道路はあるのか。心配だと思われる道路がある場合、今後どのような対策を講じるのか。

(4)水道管破損による断水が能登半島地震では深刻な問題となった。袋井市の耐震水道管設置状況を問う。

(5)避難所運営で色々な課題があることが、過去の地震、津波大災害、能登半島地震で分かってきた。具体的な課題と対策について問う。

ア)    要支援者(赤ちゃん、幼児、病人、障がい者、自力では歩けない高

 齢者など)は、体育館などで一般の避難者との共同生活に無理がある。

袋井市指定の避難所には、あらかじめ要支援者用のスペースを確保してあるのか。確保が難しい場合、その地区の別の施設を要支援者用の避難所に指定しておく必要がある。今後その施設確保に向け、当局は具体的にどのように取り組むのか。

イ)    冷たい床に雑魚寝になって寝ることによる健康への悪影響を回避するために、簡易ベッドやダンボールベッド、仕切りなどを備蓄する必要があるが、それぞれどのぐらい備蓄してあるのか。今後不足分を購入してそれぞれの避難所の倉庫に保管する対策を、年度計画を立て講じてほしいが、当局の今後の対策方針を問う。

ウ)    トイレ問題も大きな課題である。避難所の中、外に、女性や要支援者が安心して使用できるトイレを用意する必要がある。また汚物を一時的に保管する場所を避難所の外に確保しなければならない。トイレ対策を具体的にどうするのか、当局の今後の方針を問う。

エ)    避難所運営は市職員にとり大きな負担となる。原則はそれぞれの地域の者が運営することになっているが、避難所開設から数日は、どうしても各地域担当職員に依存するケースが多いと予想される。各地域担当職員が固定されておれば、避難所と倉庫の実体、地域の自治会長・コミセン館長、避難所施設の管理者などとの人的つながりができ、避難所運営がスムーヅに運び、運営を早く地元にまかせ、本来業務に戻れる。そのため、今後、各地域担当を固定化することを提案するが、当局の見解を問う。

オ)    ペットの問題や個人事情などで、車で避難生活を送りたい人がどうしても出てくる。その場合、避難所周辺に駐車スペースがあれば、あらかじめ避難者仮駐車場として指定しておけば混乱が避けられる。食料や飲み物、衣類など支援物資の配布や受取、トイレ・風呂なども、車生活避難者にとり、便利となる。今後、各避難所周辺に避難者仮駐車場確保に向けて取り組んでほしいが、当局の見解を問う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(6)片付け、避難所運営、支援物資分類・配布など、大規模災害では多くのボランテイアの力が必要となる。その受け入れ体制をきちんと準備する必要がある。

ボランテイアの受け入れは、社会福祉協議会があたるが、社協が入る総合健康センターには、大勢のボランテイアを受け入れるスペースがない。駐車場の確保、泥かきや清掃用の用具・支援物資の保管場所、一人一人またはグループでの支援者に対応するスペースの確保など、課題がたくさんあると思う。具体的に当局としてボランテイアの受け入れ体制に関し、総合健康センターにどのような課題があると認識しているかを問う。またその課題をどう解決するのか、対策方針について問う。

対策方針に関し、提案がある。

袋井市南部地域のボランテイア受け入れは、浅羽支所を活用すべきだと考える。2階の災害対策本部(防災機器と畳の部屋、広い会議室や倉庫もある)を残し、また2階の広い空いたスペースを食堂・カフェ・サロンにすることにより、災害時にはそのスペースがボランテイア対応出来る。炊き出しや休憩スペースにもなる。1階の社協浅羽支所、シルバー人材センター浅羽支所、浅羽笠原まちづくり協議会生活支援ネットワーク事務局が2階に移転すれば、災害時の住民の要望聞き取り、ボランティアとのマッチングなど、現地災害対策本部と連動して、機動的なボランティア受け入れ体制ができる。あそびの杜基本計画見直しと絡むが、私の提案に対し、当局の見解を伺う。

(7)避難所にペットと一緒に避難できるスペースも必要だが、その対策の取り組み状況を問う。

(8)一次避難所にいつまでもいるわけにはいかない。学校、体育館などできるだけ早く通常業務に戻れるようにするには、2次避難場所確保が課題となる。仮設住宅は時間が要する。みなし仮設住宅として空いているアパートや市営住宅、空き家など、また福祉避難所として福祉施設などでどれだけの人数を受け入れられるのか、事前に調査し、協定を結ぶ必要もある。この対策で具体的にどのように取り組んでいるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 大災害に備える (9)読み上げ原稿

 

 地震・津波・原発事故の複合災害の場合の対策は、正直に申し上げますと対策が取れません。当局の皆様、市職員の皆様に具体的にこれこれの対策を取ってほしいと要望するのは無理だと考えています。

 能登半島地震で分かったことですが、半島の付け根のあたりに、北陸電力志賀原発があり、幸いにも東京電力福島原発のように爆発・大量の放射能汚染・広範囲の住民避難という最悪の事態は起きなかったのは、2011年以降浜岡原発同様に停止しており、核燃料が十分冷却されていたからだと言われています。

 新聞情報や原子力資料情報室共同代表の伴英幸(ばん・ひでゆき)氏の見解によると、志賀原発は地震により外部電源を取り入れる変圧器の油漏れで、一時的に冷却不可能になっています。放水塔の鉄製の防潮壁が数センチ傾いたり、水タンクからの漏洩(ろうえい)も確認されています。

 また原発周辺の放射能汚染を調べる116あるモニタリングポストのうち18が通信障害で計測不能になっています。道路損壊で奥能登の住民は金沢方面に避難するのも困難になり、自宅も全壊や半壊で住めなくなり、放射能が500マイクロシーベルトになるまでは自宅待機となっている原子力防災計画が全く機能しないことが、今回の能登半島地震で分かりました。

 袋井市は原発事故の際、三重県に、複合災害の場合は福井県に避難することになっています。浜岡原発が稼働中に南海トラフ巨大地震が起きれば、もう考えられないほどの大災害となり、その備えをするのは全く不可能です。

 再稼働をさせない、止めたままにしておくのが、最大の対策だと考えます。そこで具体的な質問です。

 再稼働するには地元自治体と県知事の同意が必要です。事前同意の地元自治体は御前崎市だけでなく、避難を強いられる原発から31キロ圏内の周辺自治体も含まれ、周辺自治体と協力して明確な事前同意権を獲得しておく必要があります。それは中電と新安全協協定を締結することにつながるのですが、事前同意権の獲得について当局のお考えを伺います。

*当局の回答は次回報告します。

 

2024年2月26日 (月)

100歳でお元気な中学時代の恩師

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 写真は、中学校の同級生が、100歳の長寿を迎えた恩師宅を訪問し、お祝いの鯛や赤飯など僕たちの気持ちを表す粗品をプレゼントしたことを報告する資料と先生の写真を送ってくれたものを写真に収めたものです。

 先生の礼状もコピーして添えられていました。

去る1月31日、近頃にない心底からの幸福感にしたることが出来ました。厚くお礼申し上げます。

「徳川家康」山岡荘八(講談社)に、家康は「人生とは重い荷物をを負って遠い道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えばさして不自由ないもの」と言ったとか。私達にも言えるのではないか。

 神仏から授かった自分の命運を大切に、しっかり頑張って参りましょう。

 指先が震えて文字がまとめに書けません。判読ください。令和6年2月6日   井上文明

*しっかりした字です。指先が震えていいるとは思えないほど達筆です。先生のお手紙と写真を見て、僕のほうが心底嬉しくなりました。すごい。中学生時代、色々悪さをして先生を困らせたが、その先生がこんなにも長生きをされ、しかもお元気に過ごされているのを知って、僕のほうが喜びにしたりました。 20名の同窓生有志がささやかなお祝いの品を送ったのですが、地元の幹事がやってくれたことに感謝しています。

2024年2月23日 (金)

中村哲医師写真展を終えて アンケート集計 僕の感想

 2月11日から20日までの写真展を終え、ペシャワール会からお借りした写真パネルを、昨日宅急便で送った。アンケート集計は今日まとめ、やっと肩の荷が下りた感がする。

 来場者は約180人前後。受付でカウントせず、来場者に自分で年齢に合う箇所にシールを張ってもらった。その数が163人。中にはシールを張らずに帰った人もいるので、大体の数です。来場者の年齢世代は、80歳以上、11人。70歳代、65人。60歳代、37人。40~50歳代、30人。20~30歳代、11人。10代、3人。10歳以下、6人。

 アンケート回答者は、76人。その集計結果は下記の通り。

中村哲医師その後最新写真展アンケート結果報告

*今後の反省や参考にさせてもらいますので、ご協力お願いします。合う箇所に○を付けて下さい。

1.お住まいは?

 ア・袋井市64人 イ・磐田市5人 ロ・浜松市6人 ハ・掛川市5人 ニ・

菊川市1人 ホ・その他( 森町2人島田市1人福岡市1人    )

2.ご年齢は?

 ア・10代2 イ・20代2 ウ・30~40代10 エ・50~60代32 オ・70代以上40

3.写真展を何で知りましたか?

 ア・ちらし・ポスター25 イ・知人友人から20 ウ・新聞で6 エ・その他(市役所に来て16,市広報3,メローネット2,江崎書店1,竹野市政便り1,袋井国際交流協会1       )

4.中村哲医師の写真展を見るのは初めてですか?

 ア・初めて 57 イ・初めてではない 27

5.初めてではない場合、どこで見ましたか?

 ア・袋井市15 イ・磐田市6 ウ・掛川市7 エ・菊川市 オ・その他

( 浜松市1、島田市2,ららぽーと磐田1         )

6.写真展に来られての感想を自由に書いてください

・私もいつか世界の人を助けられるような人になりたいと思った。

・中村医師の業績が理解できた。

・説明がとても分かりやすかった。

・事業が継続していることに感動と喜びを感じました。

・支援することの本当の意味を考えるきっかけになった。与えるだけでなく、現地の方のモノにして初めて意味を持つものだと強く感じた。

・亡くなられて本当に残念ですが、意志は永遠に現地にあり続けると思うと希望を感じます。

・中村医師の努力の結晶を見て感動しました。日本人として誇りに思います。

・タリバン政権でPMSの活動は消えてしまったと思っていましたが、事業が根付いていることを知り、希望がふくらみました。

・世界は常に平和であってほしいと強く望みます。

・中村哲さんが亡くなってからの写真が多くあり、新たな用水路建設などの計画があることを知りました。用水路完成後も保守作業が必要であり、困難な作業がなくなることはないと思いますが、それ以上に実りがもたされることは大きな希望だと思います。

・日々の幸せを感謝する気持ちになりました。写真の人のようにはなれませんが、日常のことで役立つ小さな役を行っていきます。

・現在も継承されており、中村医師のやってきたことが地元に貢献できていることはすばらしいと思います。

・受付の方がくわしく説明してくれ、良く理解できました。

・壮大さにびっくりしました。

・写真展ありがとうございました。

・偉大な人物が凶弾に倒れたことを今さらながら悔やまれる。アフガニスタンに末永く遺志を継いで活躍してくれる人が多数出てくれることを祈りたい。そしてアフガニスタンが豊かな国になりますように。

・中村哲先生の成し遂げたことに加えて、その後の様子も知ることが出来て嬉しく思いました。小学校でちらしをもらってきましたが、小学生の入場が伸びておらず残念です。もっと知ってほしいと思いました。

・偉大な先生に色々教えられ、自分の生き方を改めて振り返り、少ない人生を有意義に送りたいと思います。

・緑が戻ってきて人々の顔にも笑顔が戻ってきたのが写真で分かり、感動しました。

・一人の日本人が行った功績は国境を越えて素晴らしいことだと思いました。これからの子どもたちに知ってもらいたい事ですね。

・もっともっと多くの方に観ていただいたらと思いました。

・タリバン政権になってペシャワール会の活動がどうなっているのか気になっていたので、現在を知ることができ良かったです。細かい説明もいただきまして、本当にありがとうございました。

・改めて中村さんがなされたことに感銘を受けました。人の役に立つことをするのは、本当に素晴らしいことだと思われます。

・農業がいかに大切か思いました。私の若いころの時代を思い浮かびます。

・アメリカとタリバンの話は初めてで、興味深いものでした。日本もアメリカの従属国ではなく、独立国になってほしい。

・中村医師が亡くなってもアフガニスタンで様々な事業が受け継がれ、前に進んでいることが本当に良かったと思います。これからもこの事がずっと続くことを願います。

・「平和とは観念でなく実態である」中村哲さんのこの言葉通り、荒れ果てたアフガニスタンの地を現地の人々を奮い立たせて、緑の大地へ変える大きな働きをされ、豊かな農地となり、住民に食料と水の保障がされて、この地に平和と喜びがもたらされたことを教えられました。世界がこのように、本当の平和へと向かうことを願います。

・なぜか涙が出て、話ができませんでした。

・写真展による広報活動は大変良いことだと思います。

・袋井での写真展を楽しみにしていました。ありがとうございます。

・写真がきれいでした。教科書の展示がよかったです。

・とても心に残りました。素晴らしい方がいらした事忘れないようにしたいと思います。

・初めて知ったことがたくさんありました。

・中村哲さんが写真の中で生き返った様で、とてもうれしかったです。新しい映画、必ず見に行きます。

・医療以外にも土木工事・用水路を作ることも大規模にプロ並みに活動されていたことを今回知りました。後継者育成に尽力されていることにつよく感銘を受けました。

・子どもたちに中村医師の存在と事業について広く知ってもらいたいと思いました。

・ニュースで知っただけで詳しいことは知らなかったが、写真展を拝見して改めて偉大さがわかった。

・多くの写真には男性が多くみられますが、女性たちや女の子の様子がもう少しわかるとありがたいです。

・自分は年ですが、子どもや孫たちに話したいと思います。

・考えるより行動する所が勉強になった。

・私も人のためにできることをやりたい。力をもらいました。人は地球に育てられることを改めて思いました。命の大切さ。思いやり。一生懸命に生きる!

・残酷な死によって次の世代の方が受け継いでくれていることに、光が見えてくる気がする。ちっぽけな一人である私だが、素晴らしいものを見せていただき、展示を支えてくださる方に感謝したいです。

・中村先生の志が伝わってくる写真展でした。

・イデオロギーを超越した信念のようなものを感じます。

・日本では考えられないくらしの差を少し教えてもらいました。

・素晴らし宝物を人々に残してくれたんだと感動しました。

・この活動が国際貢献のモデルとして、広く世界に理解・認知され、真の平和へと向かって行くことを願います。

・水の大切さ、その偉大さが分かった。

7.中村哲医師に関する企画で希望されることは?

 ア・藤田千代子PMS支援室長の講演会12 イ・仮題「中村哲医師の記録映画を世界に」映画上映会48 ウ・DVD上映会12 エ・写真展6 オ・その他1

 *自由記述をまとめながら感じました。やってよかった! まだまだ中村医師の活動が詳しく知られていず、初めて写真展を見る人が多かったので、そのような人に知る機会を与えることができた。

 2019年末に亡くなられてからその後現地がどうなっているのか分からず、特にタリバン政権になってからアフガニスタンに関する報道が否定的なものばかりで、もうペシャワール会の活動が出来なくなっているのではと思っている人もおり、そのような人に、事業が続いている、アフガニスタンの人々がやる気を出し、事業を継承している事実を伝えることができたのは、大きな成果だと思う。

 写真を見て、自分の生活や人生のありかた、将来の生き方などを考えた人も少なからずいた。熱心な中村哲医師ファンの方たちも来てくれ、中村医師の志がアフガニスタン人に根付いている写真を見て、心から喜んでおられた。

 教育委員会にお願いして、小・中学校にちらしを配布してもらったが、そのチラシを見て中学生が一人であったが来てくれ、とてもうれしかった! 

        

2024年2月21日 (水)

名古屋市教育委員会が校長会や教育学部がある大学同窓会から金品をもらっていたニュースに触れての感想

 校長会や教頭会などが次年度の校長・教頭の推薦名簿を作成して名古屋市教委に出していたことも、僕には驚きだ。静岡県の高校教員を38年間務めたが、そのような話は一度も聞いたことがなかった。個々の学校の教頭は、その学校の校長が教委に推薦して決められるのが普通だと思う。校長は教委の幹部が選んでいたと思う。

 最近はどうなっているかは知らないので、校長会や教頭会が推薦名簿を作成して教委に出しているかどうかは、調べたいと思う。推薦問題よりも、金品を教委に送る慣例はわいろに相当して深刻な問題だと思う。

 さらに深刻なのは、それを受け取る教育委員会である。人事で金品をもらうのは、収賄罪に当たる。出すほうも受けとるほうも、犯罪だ。児童・生徒たちに教える資格がない連中が、教育界の幹部になっているのは、名古屋市の恥だと思う。

 人事案を承認する「学校づくり推進監」という部長級の幹部は、個人で18年度から200数10万円も受けとっていたと報じられているが、異常だ。即刻辞任すべきだ.

2024年2月18日 (日)

#中村哲医師その後最新写真展in袋井レポートその3

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 写真が暗くてよく見えませんが、16日の試写会終了後に、英語版製作監督の谷津賢二氏が挨拶された時のものです。映画はまだ英語の翻訳が入っていず、日本語の字幕説明と日本語のナレーションでした。2時間以内にまとめるのが大変で、どこをカットするか検討中だそうです。映画の内容は素晴らしく感動的です。中村医師の10歳の息子さんが死亡されたときの映像は涙をこらえながら見ました。今年中に完成させ、来年から海外で上映される予定です。日本国内でも来年には上映できるようにしたいとのことです。

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 袋井市教育委員会から借りた小学6年生道徳の教科書。左は東京書籍。右が光文書院。

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 うれしいことに袋井市では、この4月に6年生になる子どもたちが、学校で中村医師について学ぶことができるようになります。静岡県内では過半数の小学6年生が中村医師の活動を知る機会が与えられます。

 4年間同じ教科書を使うことになっていますが、多分令和10年度には全ての教科書会社が中村医師を取り上げるだろうと思われます。全国の小学生が学ぶ機会が早く来ることを願っています。

2024年2月16日 (金)

#中村哲医師その後最新写真展in袋井市 レポートその2

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 用水路のおかげで緑の大地が拡大し、地元の人々が農業で暮らせる生活基盤が出来てきた写真のコーナーに、「支援を受ける人々が自力で生きられる環境を作るのが真の国際貢献活動です」 「日本・世界の国際貢献モデルケース」 という言葉を表示した。

 海外支援活動には、国の利害が絡んでいる場合が多い。民間のNGO団体などによる支援も、自分たちの価値観に基ずく支援が多く、本当に地元の人々の要望に基づいていないケースが多く、援助団体が引き上げたらそれでストップし、事業が継続しない場合が多い。

 中村医師及びペシャワール会・PMSの医療・井戸掘り・用水路建設・農地拡大・農業支援活動は、地域の必要性・要望を受け、地元の人々と共に事業を展開し、支援を受ける人々がやる気を出して、自力で生きる力を生み出している。

 中村医師の志を地元の人々が受け継ぎ、政権が変わろうが関係なく、事業が継続されている。僕はこれは日本・世界の国際貢献活動のモデルケースだと考えている。成功事例でもある。

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 ジア医師が現地PMSの代表。彼のもとに、建設工事の技師や会計責任者、ジャララバード事務所所長など、アフガニスタン人スタッフがしっかりしていて、日本から送られてくるお金を大切に活かし、事業を継続・発展させている。

 ペシャワール会の会報には、毎号、現地からの報告が掲載され、現地スタッフの頑張りが良く理解できる。会報を読むたびに、嬉しい気持ちになる。

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 上の写真は、日本電波ニュース社の谷津監督が、世界中の人々に中村医師の活動を知ってもらうために、これまでとりだめた1000時間に及ぶ映像を2時間に再編集し、英語版を制作する新聞記事です。

 「荒野に希望の灯をともす」監督の谷津賢二氏と上田未生プロデューサーがタッグを組み、一からわかるな中村医師・アフガニスタン・PMSの活動を、予備知識のない世界の人々に届ける新たな映画が今年中に出来ます。

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 実は今日、2月16日午後1時から東京渋谷の映画美学校で試写会があり、クラウドファンディングに協力した関係で試写会の招待ハガキが届き、ほぼ完成の英語版映画を見てきます。映画の感想は後日レポートします。

2024年2月14日 (水)

#中村哲医師その後最新写真展in袋井

 11日から、「中村哲医師その後最新写真展」を、袋井市役所2階市民ロビーで開催している。主催は、「袋井国際交流協会」。今回、ペシャワール会に最新の写真を作成してくださいと依頼して、これまで公開されていない写真も多く展示している。2019年末に亡くなってからの写真が29枚。会報の掲載されている写真も、独自にカラーコピーして掲示した。

 ストーリーを作り、一番最初の写真が下の写真。

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 この写真の説明で、誰もいないのに、護衛が銃を所持して見張っているのは何故かを必ずするようにしている。2019年秋ごろから、不穏な情報が入り、PMS現地スタッフが中村先生を守るために護衛を付けたいと強く懇願し、中村先生もやむを得ず、ジャララバードの宿舎から作業現場に行く際に、護衛を付けるようになった。

 それでも12月4日には、残念ながら護衛の4名、運転手1名,計5名のアフガニスタン人と中村医師が、パキスタンのならず者集団に射殺された。犯人は捕まっていないので、事件の背景は闇だが、水利権(用水路の水を取っているクナール川の下流がパキスタンに流れているので、水を奪われていると思った一部のパキスタン人が中村医師に敵意を持ち、犯人グループを差し向けたのでないかと推測されている)が絡んでいるようだ。

 しかし、不幸な事件の後、現地がどうなっているのか、また2021年のタリバン政権復活の後、現地の事業が継続されているのかを知ってもらうのが、今回の主要な目的です。

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 中村医師死亡後の翌年2020年5月にはダラエヌール診療所がコロナ禍の中で患者の診療を始めている。

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 水害が起きたら、現地PMSスタッフが補修作業をしている。

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 上はガンベリ試験農場の敷地内の公園に、現地スタッフが中村医師を永久に忘れないための立てた記念塔。PMSスタッフだけでなく、ジャララバードの市民、近隣の住民が今も大勢この公園を訪れ、中村医師への感謝の気持ちを新たにしている。

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 2021年8月15日にタリバンが首都カブールに入り、それ以降タリバン政権がアフガニスタンを統治するようになった。PMS事務所があるジャララバード市内は混乱もなく秩序が保たれ、バザール(市場)が開かれ、にぎわっている。

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 ジア医師がPMSの代表となり、彼のもとにディダール技師や

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 ファヒーム技師らが現地の責任者として、用水路補修工事や新たな工事をどんどん進めている。

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 中村医師の緑の大地計画(用水路を伸ばし、アフガニスタンの人々が農業で家族そろって生活できる基盤作り)が、現地の人々に受けつがれ、継承されている。その結果として豊かな実りがもたらされている。

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 最新写真全てをアップしていないが、2023年11月までの写真を展示しています。

 下の写真の所では、伊藤和也さんのサツマイモ作り指導や彼の取った写真も掲示。

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 最新写真の次は、これまでの中村医師の活動を振り返る医療・井戸掘り・用水路建設・農地拡大・豊かな農業の写真を展示。

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 ここまでが最新写真コーナーで医療は次です。

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 まだありますが、次回に色々な写真をアップします。

 

2024年2月11日 (日)

#地域医療に専念する小笠原望(のぞみ)医師

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 小笠原望医師は、1997年から高知県四万十市の大野内科診療所で、地域医療に専心されている。彼の存在を知ったのは、朝日新聞社が購読者むけに出している「スタイルアサヒ」による。

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 月に1回、新聞と共に購読者に届く無料の雑誌です。このアサヒスタイルに毎回、小笠原望医師の文章が「診療所の窓辺から」に掲載される。僕は彼の文章を読むのが楽しみで、真っ先にスタイルアサヒの美しい四万十川の写真と共に届く彼の言葉を読む。

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 横になってしまったが、この写真は今年3月号に掲載されている。「いのちを抱きしめる、四万十川のほとりにて」。「みんな旅人、同じ旅なら驚いたり楽しんだりの毎日がいい」。

 この言葉の中に、小笠原望医師のお気持ち・お考えがよく表れている。地域の人々、特に在宅医療を望む高齢者のいのちを抱きしめながら、患者さんとの出会い・会話に驚いたり楽しんだりしながら、都会の大病院でなく、四万十川のほとりで生き・働くことに喜びを感じられておられる。

 自分の住む袋井市にこのような立派な医師がおられたらなあと、いつも思う。いつか、彼を袋井市にお招きして、直に小笠原望医師のお話を聞きたい。

 

2024年2月 9日 (金)

#袴田巌さんの姉秀子さん91歳の誕生日

 昨日が無実の袴田巌さんのお姉さんの91歳の誕生日だった。テレビのニュース、今朝の新聞でも取り上げている。

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 弟の完全無罪判決をもらうまで、91歳でも92歳でも頑張るとお話された。この笑顔、若々しい表情に、本当にすごい人だなと、頭が下がる。静岡県ではどのマスコミも袴田巌さんは無実という認識で報道している。裁判官も世論を意識して、勇気ある判決を出してほしい。

 逮捕直後はマスコミ報道は、逆だった。殺人犯の家族・姉の汚名を着せられ、つらい思いをされている。我慢、我慢を重ね、再審にこぎつけ、今年夏の判決言い渡しを待っておられる。

 祈るような気持ちで、権力犯罪を認め、無罪判決が出ることを期待しています。

2024年2月 7日 (水)

#さだまさしから届いた見えない贈り物 本を読んでの感想と記憶に残る言葉の紹介

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 上の本を一気に読んだ。面白い! 元気と生きる勇気や力がもらえた! この本は、あの人に送りたい!と思える本だ。今日、書店に2冊注文する予定。多くの人に知ってもらいたい、読んでほしい。そのような思いで紹介します。

 著者は、さだまさしの元マネジャーの松本秀男さん。松本さんは高校1年生の時に、さだまさしに年賀状を出し、予期せずさだまさしから自分の家に遊びに来いと返事が届き、それ以来、9歳年上の国学院高校落語研究会の先輩であるさだまさしにかわいがってもらい、マネジャーになった人である。詳しいいきさつは本を読んでほしい。

 このグログでは記憶に残したい・紹介したいさだまさしの言葉について書きます。

・恩返し 恩送り  *恩を受けた人に恩返しができない場合が多い。しかし人から受けた恩を、他者に送ることはできる。

・人生の重荷を一度下ろしてみる。 まあいーか さてと  *人生は厳しい・辛い状況が来る時もある。そのようなときに「まあいーか」といったんその重荷を下ろして、「さてと」とどうするか考える。

・昨日までの自分は死んだ。明日からの自分で生きてみよう   *昨日までの自分は失敗続き。落ち込み、絶望的な状況。しかし必ず夜が明け、明日が来る。昨日までの自分をリセットし(なかったものとし)、明日から新しい気持ちで生きていこうと考える。

・これからの生き方が、これまでの人生を決める   * 上の言葉と連動する。これまでの人生は失敗だらけで、情けない生き方を送って来た。しかしこれから胸が張れる生き方を送れば、これまでの人生も新しい生き方を作る大切な経験となる。無駄ではない。

・人生とは80個のビー玉を集めていく旅   *人生を80歳まで生きるとすると、キラキラ輝く80個のビー玉を集め、つないでいくようなもの。人生の途中でキラキラ輝く時期が無くても(ビー玉が多少欠落しても)どうってことはない。

・仕事は誰かの喜びになるもの  皆役割がある  どのような仕事も誰かの笑顔・幸せのため

・この命の使い方 誰にもきっとできることがある 自分にしかできないこともある  自分でもできることがある

   *使命という漢字は命を使うという漢字。命を誰かのために、自分のために惜しみなく使い切る。

・本当に価値あるものは見えないものにある    *愛、元気,勇気、優しい心、想像力など。

・かけがえのないささやかな幸せ  小さな幸せ  当たり前な暮らし   *戦争は災害は人々の家族そろってささやかにいきる小さな幸せを奪う。

・ご飯は身体を作る 勉強は自分を作る

・人生という図書館  *たくさん本を読めば、たくさんの人生・生き方を学ぶことになる。図書館には参考となるものがいっぱいある。人も人生を送る中で、自分の中に経験や知識がいっぱい詰まった図書館を持っているようなもの。 読書から他者の人生から多くを学ぶことができる。

・元気と勇気は使えば増える 分ければ増える    *前の言葉はさだまさしがコンサートでいつも話している。元気と勇気は使えば使うほど、元気になり勇気が沸く。後の言葉は松本さんの言葉。まさしが歌やトークを通じて、人々に元気と勇気を分けている。そのことでまさしが元気が増えている。決して元気と勇気は減ることはない。

 この本は青春出版社から。定価本体1500円です。

2024年2月 5日 (月)

#桜井勝延元南相馬市長を静岡市に招いて、お話を聞いた報告

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 講演会の主催は、「浜岡原発の再稼働を許さない静岡県ネットワーク」。僕は司会進行を担当した。桜井さんのプロフィールを先に紹介します。

 1956年生まれ。現在67歳。原町高校卒業。岩手大学農学部卒業後、原町に戻り酪農を営む。2000年、産業廃棄物処分場反対運動開始。2003年、原町市市議会議員初当選。2006年、合併して南相馬市となった市議会議員に当選。2010年、南相馬市市長選当選。2期市長を務める。2018年、南相馬市市長選惜敗。2022年、南相馬市市議会議員に。

 先ず、桜井氏は原発事故時の状況を「ホントの話」として説明してくれた。2011年、3月11日、東日本大地震発生。南相馬市の海岸部は20,8メートルの津波が襲い、大被害を受ける。3月12日、福島原発が爆発したらしいと警察から電話あり。しかし、政府や東京電力からは何の連絡もない。

 18:25、テレビで爆発の状況、20キロ圏内避難呼びかけを始めて知り、市長判断で避難を呼びかけた。20キロ圏内の小高区には、1万人以上の住民がいる。一晩で南相馬に避難するのは大変。1カ所の避難所に2000人の所もあった。

 3月14日、3号機爆発。南相馬市の住民を避難させるために、バス会社に連絡したら、市内全てのバスは宮城県に避難していた。福島市に受け入れを頼み、市民は車で避難した。政府・東電から放射能汚染状況の説明は全くなく、実は福島市は南相馬市の3倍放射能に汚染されていた。 自衛隊は津波被害の行方不明者捜索・被災者救援で南相馬市に入っていたが、14日に突然姿を消し、避難した。オバマ大統領の指示で、アメリカ人は福島県から逃げたが、自衛隊もアメリカ情報からそれに従ったようだ。

 自分は、市役所に寝泊まりし、陣頭指揮を執った。地震・津波の大災害に当初は日本のマスコミがたくさん取材に来たが、原発が爆発したら、日本のマスコミ記者も避難して、だれも取材に来なかった。

 南相馬の現状を伝えるために、ユーチューブで被害の実態を伝えた。するとその情報が世界中に伝わることになり、外国の報道陣が取材に来るようになった。5月、タイム誌が世界の注目すべき100人に私を選んだのはそのような背景がある。

 市外に緊急避難した約6万人の市民は、その後自宅に戻ったが、避難先で色々な差別を受けた。放射能に汚染されているから、風呂に入るなと言われたり、県内でも差別された実態がある。

 津波で636人の死亡者が出たが、その後の避難生活で、災害関連死が南相馬市は全国最大の520人。2年間で大半の方が亡くなっている。2か月で亡くなった方が、200人。

 除染で出る汚染物の仮置き場で、住民説明会を各地で開いた。出席者から政府の役人に怒りが爆発。役人が答えられないので、私が安全に住むためには除染が必要と、住民を説得した。私にも怒りの矛先が向けられたが、粘り強く説明に心がけた。

 現在、南相馬市の仮置き場に保管されていた汚染物は全て、大熊・双葉町に移されている。原発事故前の人口は、7万人だったが、現在は56000人。20代から40歳代の若い世代の市民が以前に比べ減少している。

 原発に関しては、政府の言っていることはデララメ。信じられない。安全神話を信じたら、バカを見ることになる。原発は絶対にダメ。南相馬市は必要な電力の100%以上を再生可能電気発電している。これからの日本は、原発に頼らなくても、十分やっていける。静岡県の皆さん方、浜岡原発を再稼働させない運動、頑張ってください。

 *非常にリアルなお話だった。改めて、原発事故が地震・津波などの自然災害と異なり、どれほど大変かを実感しました。

2024年2月 3日 (土)

土地区画整理法 行政権力 大和ハウス工業本社 との 小さな闘い

 静岡県袋井市での土地(農地)を守る闘いを、議員となって4年間継続している。今年で5年目になる。極めて厳しい状況にあるが、私有財産を守り、農民の権利を守り、水害から住民を守るために、困難な闘いをしている。

 経過を1月22日に市内全域に新聞折り込みで配布した「竹ちゃんの市政便り」を引用して説明します。

【 大和ハウス工業の工場移転のため、土橋工業用地開発計画を、土地区画整理事業で進めようとしている問題点 】

  • 予定地のほぼ真ん中に水田を所有し米作りをされておられる地権者を無視して事業を進めようとしている.②県企業局が断念した計画を、土地区画整理事業で進めようとしているが、民間企業の工場用地整備にこの手法は使うのは無理がある。公共事業でないから不同意地権者の土地を強制収用できない。③13ヘクタール以上の水田を埋め立てると、下流域の木原地区が道路冠水や床下浸水被害の恐れがある。④大和ハウス工業は、現在の自社所有地で問題なく操業しており、工場建て替えは現敷地内で実施可能。単なる工場移転は、新規事業者の進出でないので、袋井市への財政的貢献は、現在と変わらない。⑤土橋地区の埋めたて予定地に近い住民にとり、景観や風の流れが悪くなり、環境が悪くなる。⑥予定地の水田は、農業振興地域であったが、その指定除外を地権者・耕作者に知らせずに行った。⑦農地転用を、転用を望まない地権者を無視して行った。

*私は以前からこの事業を問題視し、議会一般質問でも度々取り上げています。地権者に寄り添い、農業と農地を守っての食料安保・水害防止の観点からもこの事業に反対し、事業の断念を求めていきます。

 難しいのは、土地区画整理法に基づき、既に仮換地指定が反対地権者が持つ農地約1100㎡に対してされ、今までのように米作りができないようにされている点だ。この問題を下記の文章で説明します。個人情報保護のため、氏名・住所はカットしてあります!

静岡県知事川勝平太様

袋井市土橋土地区画整理組合による仮換地指定通知に不服があり、審査請求書を提出します

請求人 Aさん

 2023年10月18日に、袋井市土橋土地区画整理組内 理事長 大庭哲夫氏から、私が所有する水田に対して、仮換地(街区番号2

画地番号4 地籍 636,10㎡ )を指定する通知が届きました。

 私は従前から大和ハウス中部工場の移転を目的とする本事業に反対しており、整理組合にも入っていません。勝手に仮換地を用意し、令和5年10月19日より、従前の土地を使用し、収益することができない、と通知されて困惑しています。

 私は、自分の所有する水田で米作りを50年以上続けてきました。ここでの所有地は1128㎡と広くはありませんが、南側隣接する水田を所有者からの依頼で50年以上耕作しており、大型農機具を購入し、また肥料などを入れ、愛着を持って丁寧な耕作を続けています。

 土橋工業用地開発計画は、2018年に市当局から出てきました。地元から出ている有力議員と、予定地を所有しているが他者に耕作してもらい自らは耕作していない地権者らが市当局と一体となり、計画を進めてきました。

 知事に知っていただき事項があります。① 予定地は農業振興地域に指定されている優良農地です。弥生時代から米作りが行われてきた水田です。袋井市は、農地転用には地権者全員の同意が必要であるので地権者の同意を得やすくするため県企業局に依頼して、県企業局の事業として地元に降りてきました。

 ② 13ヘクタール以上の水田を実際に耕作している地元の農民はごく少数で、大半は耕作していないので、開発で農地が売れればありがたいと皆さん賛成し、公に同意しないのは私1人となりました。保守的な狭い地域で人間関係もあり、公然と反対できない人もいます。また土橋地区の住民ではありませんが、大規模耕作者が予定地水田の多くを借りて耕作しており、予定地に耕作放棄地はありません。埋め立て事業が行われなければ、今後も優良水田であり続け、静岡県の食料供給地として公益性を発揮できます。

 ③ 予定地は、静岡県と袋井市が治水対策で協議して、保全すべき水田に指定されています。半世紀以上前の七夕豪雨で太田川が氾濫し、袋井市は大変な水害を被りました。またそれ以降も予定地の蟹田川が水の流れが悪く、土橋地区だけでなく下流の木原地区や、磐田市側の一部地区も度々水害を受けてきました。

 国土交通省も流域治水の考えを取り入れ、水田を緑のダムと位置付けています。近年の線状降水帯による豪雨で、全国的にも水害被害が発生していますが、袋井市は度々床上・床下浸水被害、道路冠水被害を受けています。予定地が全て埋め立てられ大半がコンクリートで覆われたら、周辺地域の水害はもっと酷くなるものと思われます。小さな遊水池公園や工場駐車場予定地地下に遊水池を作っても、被害軽減にさほど役立たないと思われます。

 ④ 大和ハウス工業は袋井市内の広大な自社所有地に工場を持っており、現在も問題なく事業を展開しています。新規工場を建設したいとの意向があるようですが、自社の敷地内で計画的に工場を建て替えていけば、土地買収費用も発生せず、問題なく今後も袋井市で事業継続できるものと思います。

 ⑤ 私及び家族は、この工業用地開発計画に翻弄されてきました。市当局のやり方に不信感と怒りを持っています。2018年3月に、産業政策課の幹部職員が自宅にやってきて、「あなた一人が反対しても、周りが全部埋め立てられれば自分の田んぼに行くことができなくなり、耕作できなくなりますよ」と脅されました。

 2019年1月に担当課職員2名が自宅に押し掛け、土地を売ることへの同意を迫りました。地域でもこの件で会合がもたれ、不同意を続ける私及び家族への圧力が強まってきました。

 同年3月に市職員が自宅に来て、代替耕作地を用意したから、この書類に同意の印を押してくれ、これは正式の同意書でなく、仮の同意書だと言うので、市当局に対して弱い立場である私は、不承不承、判を押しました。東京の桑原弁護士に書類を送り相談したところ、「これは仮の同意書ではない。仮という字がどこにも入っていない。本物です。」と指摘を受け、ショックでした。市職員が市民にウソを言うのは反社会的行為です。3月18日に妻と共に市役所に出向き、同意書取り消しの考えを直接伝えています。

 自分たち夫婦でだけで市と向き合うのは不安なので、3月末に市議会議員竹野昇氏に相談しました。それから度々竹野議員と会い、詳しい経過や私達家族の思いを伝え、強力な後ろだてが出来たので、弁護士と相談して、同意書取り消しの通知を市役所に出しました。すると市職員から度々の電話や自宅訪問が続きました。

竹野議員が6月議会一般質問でこの問題を取り上げる通告書を市議会事務局に出したら、その内容が地元議員に伝わり、一般質問の直前の日に、地元市議会議員・工業用地推進の地域有力者が1時間半にわたり、同意書取り消しを撤回しろと迫り、2人が見ている前で「同意書取り消しを撤回します」と市に電話しろときつく言うので、泣く泣く担当課の職員にその旨電話させられました。

 妻は夜、担当市職員の自宅に電話して、「納得して取り消した訳でない」と伝えました。

竹野議員には「ご本人が同意書取り消しを撤回したので、この問題は一般質問から除いてほしい。」」と市役所で市議会議長から伝えられ、事情が分からない竹野議員はやむを得ず、一般質問のこの件に関する項目は通告書から除外して、一般的な埋め立ての問題点を翌日の議会で取り上げてくれました。その後私達夫婦は勇気を出して、「電話で同意取り消しを撤回すると伝えたが、同意書取り消しの通知文書は今も生きている。圧力を受けて口頭での取り消し撤回は法的に効力がないと弁護士先生からアドバイスをもらっている。」と、担当課に電話で土地を売るつもりはない、この事業には不同意である考えは変わっていないと伝えました。

すると其の後も度々市職員が自宅に押しかけ、不当な圧力が続きました。当時、私は部農会の地区会長をしていましたが、部農会の会合でも「貴方一人の不同意のため、皆が困っている。地域の発展のためにも同意してくれ。」と皆から圧力が加えられ、地域で暮らすのが苦しくなってきました。部農会役員が、農業振興地域からの除外に同意してくれ、農地を売却してくれと、度々自宅に押し掛けるようになり、部農会の会長を辞めさせる圧力も強くなり、たまりかねて私は部農会会長を年度末に辞任しました。

副部農会長が繰り上げで会長となり、農業振興地域の除外について私が納得していないにも関わらず、全員が賛成しているとの文書を作成して、県に提出しました。このようなやり方にも怒りと不信感を持っています。

⑥ その後竹野議員が県企業局に何回か行ってくれて、私の気持ちをきちんと伝えてくれた結果、令和2年度予算に当初土地取得費11億4,6000万円を計上してありましたが、農地転用ができない、事業たりえないと、県企業局が当初予算をゼロにする補正予算案を2月議会に出し、令和3年3月にその案が承認され、事業から撤退しています。

⑦ その後推進派の地権者と地元議員が市当局に働きかけ、土地区画整理事業と言う手法で意地でも開発計画を達成する準備を進め、今日に至っていますが、私の決意・考えは変わっていません。地域の新住民の方たちは、水田が埋め立てられると景観が悪くなり、涼しい風も来なくなって、最近の地球温暖化のせいで高温がつづいているのに埋め立てで地域の温暖化が進む、さらに水害の心配もあり、土地区画整理事業に賛成しているわけではありません。

⑧ 2023年6月末、大場袋井市長が地権者に事前の相談無く、市長権限で、農業振興地域の解除を県に申し出て、県担当課が同意したので、現在予定地13ヘクタール強は、青地から白地に変わっています。農業委員会で農地転用の審議はまだやっていませんから、現在地はあくまでも農地です。

私だけでなく予定地で耕作している農民にとり、耕作者に無断で農業振興地域から除外する行為は、理解に苦しみます。農業を袋井市は重視していないと受け取れます。食料安保と言われますが、危機的な世界情勢にあって、農地をつぶすための除外は、食料自給率を高めようとする国策にも反すると思います。

竹野議員が情報公開請求で、農業振興地域除外に至る経過が市の会議録などにあるはずだからと公開を求めたところ、市当局が令和5年4月14日から5月15日まで市役所農政課で「農業振興地域整備計画の変更案及び変更理由書」を縦覧した事実が判明しました。地権者誰一人にも通知を出さずに、市の広報にも縦覧告知をせず、密かに形式的な縦覧をやっていました。これでは、農業振興地域からの除外に対する意見書を出せるわけがありません。市当局は県担当者に、意見書を出したものはいない、反対者はいない旨伝え、県は農振地域除外を認めています。

⑨ 私が持つ耕作権(50年以上、地権者の依頼に基づきその方のたんぼを耕作している。)は、大きな課題です。私は耕作権を手放すつもりはありません。

⑩ 最後に、日本国憲法第29条は、財産権はこれを犯してはならないと定めています。土地区画整理事業の法令よりも上位の憲法が、私有財産権を保障しています。

土橋土地区画整理事業は、単なる民間企業の移転のための事業であり、公益事業ではありません。このため、土地強制収容はできません。私は憲法が財産権を認める私有地で将来にわたり、米作りを続ける決意です。後継者もおります。

 私有財産権を犯す今回の仮換地指定には到底納得がいきません。以上の理由で、不服審査請求をする次第です。

なお、この審査請求書を出すにあたり、県景観まちづくり課に問い合わせ、審査請求に当たり必要な書くべき事項を教示してもらいました。

        2023年11月 22 日

 上記の文章はAさんの依頼を受け、僕が作成し、県知事あてに送ったものです。

 これに対し、土地区画整理組合側から反論書が届き、それに対する反論を作成し、担当課に送ったものが下記です。

総括審理員 影山 浩一 様            令和6年1月19日

審理員   神谷 拡寿 様

 

 袋井市土橋土地区画整理組合の弁明書への反論

 

弁明書4. 審査請求書に記載してある事項の認否 の下段、「審査請求人は、袋井市土橋土地区画整理の施工区域内の土地の所有権を有しており、袋井市土橋土地区画整理組合の組合員であることをご理解願います。」と記載されているが、私は不服審査請求書の冒頭に記載してあるように、整理組合の組合員ではありません。

 組合に入る同意書も出していません。準備段階も含め組合の会合案内通知は自宅に届いたことがありません。私が組合員であると言うのなら、会合案内を出さないのは理解に苦しみます。弁明書の記載内容に納得できません。

 

 土地区画整理法 第3節 仮換地の指定 第98条 3 に、従前の宅地の所有者(中略)の同意を得なければならず、とあり、私は仮換地に同意していません。

 一方的に仮換地を指定してきても、組合員でもなく、また同意もしていない私が、仮換地で米作りをする必要性がありません。

審査請求書⑩の所に、憲法第29条、財産権はこれを犯してはならない、を引用して、「私は憲法が財産権を認める私有地で将来にわたり、米作りを続ける決意です。」と自分の意見を述べています。土地区画整理組合の弁明書には、仮換地で米作りができるとありますが、私は土地の交換をする意思がなく、どのようなことがあろうとも私有地を売る考えはありません。今回の事業は単なる民間企業の工場移転用地開発計画であり、公共事業ではありません。強制収用はできません。土地区画整理組合が事業を完成するために、どのような手段で私の土地を所有するつもりなのか、不明です。

この問題を組合が明らかにすべきです。土地の完全取得ができない・事業が完成できないのに仮換地を指定するのは、おかしいと思います。このような理由で、審理員におかれましては、仮換地指定を認めない採決をお願いします。

                                    袋井市土橋 A

 書面でのやりとりがしばらく続く。先日この問題で浜松市の弁護士事務所を訪問し、相談した。弁護士でも最初は、仮換地指定されてしまったら指定された農地で耕作するほかないと言う。僕は憲法で保障されている財産権を盾に、Aさんの土地は民間企業が事業者になっているのだから、絶対に土地を取得できないはずだ、農地でなく宅地にされてしまっているので農業用水は利用できなくなるかもしれないが、自分の土地で野菜つくりなどはできるはず、と主張し、弁護士が土地区画整理法を解釈する専門書で調べてくれた。

 公共性のある建物などを作る予定の土地に所有地を持っている場合は、自分の土地であっても自由にできないとあるが、今回のように民間企業の工場建設の場合の例に関しては記載がない。

 実は国土交通省の担当課に電話して弁護士に相談する前に聞いているが、今回のケースは珍しい、土地の取得に関しては「民と民」の問題になると教えてくれた。土地区画整理法をインターネットで調べた。仮換地指定に従わない場合にどうするかは、記載がない。公益ある事業なら、強制収用できるからだ。色々調べて分かったことがある。

 権力を持つ行政が、事業をやりやすくする法律が、土地区画整理法であることを。反対地権者がいても、8割以上の地権者が賛成すれば、事業ができる仕組みになっている。しかし、法律をよく読めば、権利が守られることも分かった!

 地権者Aさんは、どんなことがあっても土地を売らない決意を固めている。大和ハウス工業が事業を完成するのは無理だ。行政権力の問題は、下記の文章を参照してほしい。

袋井市農業委員会

委員長永田様

 農地転用に関する要請書

 

 12月18日に農業委員会が開催されると聞きました。私は土橋地区に水田約1128㎡の農地を所有しています。また隣接する水田を50年以上も所有者からの依頼で耕作しており、その水田は私が耕作権(小作権)を持って居るものと考えています。

 袋井市当局は、大和ハウス工業の工場移転地確保のため、約13ヘクタールの優良農地を埋め立て開発する計画を立てていますが、私は自分が所有する農地で米作りを継続したいと考えており、農地の転用を望んでおりません。

 また隣接する水田もこれまで同様に耕作をしたいと考えています。後継者もいます。水田を埋め立て開発すると、蟹田川下流の木原地区や西側磐田市の一部地区も水害の恐れがあり、流域治水の観点からも緑の田んぼダムを残すことが大切と思っています。

 以上の理由で、私の農地と隣接する農地を農地転用しないでください。

                    令和5年12月13日

 

農地利用課様                 2024118

 

 農地法第4条第63号の解釈についての問い合わせ

 

 袋井市議の竹野です。袋井市土橋地区の農地13ヘクタール余の農地転用がすでに認められていると鷹野正幸班長から聞きました。

 農地法を調べ、転用が納得できないので、問い合わせをします。

農地法第4条第63

 申請に係る農地を農地以外のものにする行為の妨げとなる権利を有する者の同意を得ていないこと その他農林水産省令で定める事由により、申請に係る農地の全てを住宅の用、事業の用に供する施設の用その他の当該申請に係る用途に供することが確実と認められない場合

 

 上の条文に、A氏と彼の私有財産である土地1128㎡が該当すると思います。

 「行為の妨げとなる権利を有する者」とは、強制収用できない土地を所有するA氏です。彼は農地転用に同意していません。

 彼が所有する土地は、大和ハウス工業の工場移転のほぼ真ん中にあり、「申請に係る農地の全てを、事業の用、施設の用に供することが確実と認められない場合」とある条文に、今回のケースは当てはまります。不退転の決意で大庭功氏は絶対に土地を売らないと申しております。工場を建てる用地全てを土地区画整理組合は確実に取得できません。

 以上の理由で、私は農地転用を認めたのは、農地法の解釈を誤っていると思いますが、釈明を求めます。文書で1月末日までに回答をお願いします。

 

 回答送付先 437-0035 袋井市砂本町2-10  竹野昇

*こうした文書を地権者のために作成し送ったが、農政課の担当者は、農地転用を求める出された書面が問題がなければ、粛々と手続きを進め、問題なしと回答してきた。

 沖縄辺野古埋め立て問題でもそうだが、行政の権限でこれは問題ありと判断して無謀な事業・工事を止めることができると思うが、行政はそうしない。住民・市民に寄り添い、権利・環境・自然・大きな意味での公益を守ろうとはしない。

 だからこそ、あきらめずに、粘り強く、闘うほかない。

 

 

2024年2月 1日 (木)

沖縄を戦場にするな! 「武力攻撃」沖縄12万人避難想定図上訓練は、恐怖をあおり、沖縄を軍事要塞化する政府の隠された意図がある

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 上は1月31日の朝日新聞記事。30日に、政府と沖縄県が他国の武力攻撃の恐れが生じたとの想定で、先島諸島の住民らを九州・山口県に避難させる図上訓練を沖縄県庁で実施したことを伝えている。

 沖縄県全域を「要避難区域」に想定して、与那国・宮古・石垣島などの住民11万人と、観光客1万人を、船や飛行機で避難させる訓練だ。民間の港や空港を最大限活用するとしている。

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 横になってしまったが、上は三上知恵さんの著作「戦雲」(いくさふむ)の表紙。この本を読み、新聞の記事を読んで、いよいよ本格的に沖縄を戦場にして自衛隊が米軍と共に中国と戦争する準備を進めていることが良く理解できる。

 三上さんの本で、与那国島,宮古島、石垣島の住民が、自衛隊ミサイル部隊配置の基地建設・弾薬庫建設反対運動を粘り強く展開している様子が紹介されている。

 自然・文化・住民の助けあいなど、経済的には豊でなくても生活・人々の心が豊かで幸せに暮らしてきた島じまが、軍隊が来ることで一変しつつある現状を、住民へのインタビューを通して、分かりやすく・感動的に紹介している。

 軍隊が駐留しなければ、ミサイル基地がなければ、弾薬庫がなければ、攻撃されることがないことを、80歳以上の住民は沖縄戦からよく知っている。日本軍がきたから、マラリアが発症する島に疎開させられ、多数の住民が死亡した。日本軍が戦闘を継続するのに、住民が足手まといになる。食料確保の意図もあり、住民を避難させた歴史がある。

 何故、沖縄の人々が自然災害でなく戦争で、故郷・我が家・生業・生活を奪われ、九州・山口に避難しなければならないのか? 12万にもすぐに避難できるのか? 避難先の受け入れ態勢があるのか? 病人や要支援の高齢者・赤ちゃん・障がい者らを、安全に避難させられるのか?

 新聞記事でも、「現実的とは思えない」との県関係者の言葉を伝えている。原発事故でも住民の避難計画は実行性が無い。避難が長期化する。放射能に汚染された我が家・故郷に戻るのは極めて困難なのは、福島の現状が教訓として伝えている。

 戦争になったら、爆撃・砲撃で家や集落・街が破壊され、戦争が終結して戻っても、復興が大変。一からやり直しを強いられる。外交で戦争にならないように努力するのが政府のつとめ・仕事だ! それをやらずに戦争の準備・軍拡・ミサイル基地化をどんどん進行させている政府が、その理由・正当化をアピールするのが、今回の図上訓練だ。騙されてはいけない。

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