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2024年2月 5日 (月)

#桜井勝延元南相馬市長を静岡市に招いて、お話を聞いた報告

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 講演会の主催は、「浜岡原発の再稼働を許さない静岡県ネットワーク」。僕は司会進行を担当した。桜井さんのプロフィールを先に紹介します。

 1956年生まれ。現在67歳。原町高校卒業。岩手大学農学部卒業後、原町に戻り酪農を営む。2000年、産業廃棄物処分場反対運動開始。2003年、原町市市議会議員初当選。2006年、合併して南相馬市となった市議会議員に当選。2010年、南相馬市市長選当選。2期市長を務める。2018年、南相馬市市長選惜敗。2022年、南相馬市市議会議員に。

 先ず、桜井氏は原発事故時の状況を「ホントの話」として説明してくれた。2011年、3月11日、東日本大地震発生。南相馬市の海岸部は20,8メートルの津波が襲い、大被害を受ける。3月12日、福島原発が爆発したらしいと警察から電話あり。しかし、政府や東京電力からは何の連絡もない。

 18:25、テレビで爆発の状況、20キロ圏内避難呼びかけを始めて知り、市長判断で避難を呼びかけた。20キロ圏内の小高区には、1万人以上の住民がいる。一晩で南相馬に避難するのは大変。1カ所の避難所に2000人の所もあった。

 3月14日、3号機爆発。南相馬市の住民を避難させるために、バス会社に連絡したら、市内全てのバスは宮城県に避難していた。福島市に受け入れを頼み、市民は車で避難した。政府・東電から放射能汚染状況の説明は全くなく、実は福島市は南相馬市の3倍放射能に汚染されていた。 自衛隊は津波被害の行方不明者捜索・被災者救援で南相馬市に入っていたが、14日に突然姿を消し、避難した。オバマ大統領の指示で、アメリカ人は福島県から逃げたが、自衛隊もアメリカ情報からそれに従ったようだ。

 自分は、市役所に寝泊まりし、陣頭指揮を執った。地震・津波の大災害に当初は日本のマスコミがたくさん取材に来たが、原発が爆発したら、日本のマスコミ記者も避難して、だれも取材に来なかった。

 南相馬の現状を伝えるために、ユーチューブで被害の実態を伝えた。するとその情報が世界中に伝わることになり、外国の報道陣が取材に来るようになった。5月、タイム誌が世界の注目すべき100人に私を選んだのはそのような背景がある。

 市外に緊急避難した約6万人の市民は、その後自宅に戻ったが、避難先で色々な差別を受けた。放射能に汚染されているから、風呂に入るなと言われたり、県内でも差別された実態がある。

 津波で636人の死亡者が出たが、その後の避難生活で、災害関連死が南相馬市は全国最大の520人。2年間で大半の方が亡くなっている。2か月で亡くなった方が、200人。

 除染で出る汚染物の仮置き場で、住民説明会を各地で開いた。出席者から政府の役人に怒りが爆発。役人が答えられないので、私が安全に住むためには除染が必要と、住民を説得した。私にも怒りの矛先が向けられたが、粘り強く説明に心がけた。

 現在、南相馬市の仮置き場に保管されていた汚染物は全て、大熊・双葉町に移されている。原発事故前の人口は、7万人だったが、現在は56000人。20代から40歳代の若い世代の市民が以前に比べ減少している。

 原発に関しては、政府の言っていることはデララメ。信じられない。安全神話を信じたら、バカを見ることになる。原発は絶対にダメ。南相馬市は必要な電力の100%以上を再生可能電気発電している。これからの日本は、原発に頼らなくても、十分やっていける。静岡県の皆さん方、浜岡原発を再稼働させない運動、頑張ってください。

 *非常にリアルなお話だった。改めて、原発事故が地震・津波などの自然災害と異なり、どれほど大変かを実感しました。

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