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2024年3月

2024年3月31日 (日)

入院日記 その3 大腸がんは早期発見・手術はそんなに怖くない

 28日午後手術を終えてから、今日31日で3日目。今朝の食事も美味しかった! お腹もの痛みもない。血便も出ていない。体調は良い。この調子だと予定通り、4月2日に退院できる。ありがたい。

 29日のレポート。食事が出なかった。点滴で栄養剤を体内に入れているので、お腹がすいた感じもなかった。28日から心電図モニターをつけている。トイレに行くのも自販機や新聞を置いてある所に行くのにも、点滴の機材と心電図モニターをぶらさげてだから、移動するのが厄介。しかし夜、看護師が外してくれた。

 看護師が温かいタオル2枚を持ってきてくれたので、それで体を拭いたら気持ちよかった。やることがないので、ひたすら読書に精を出した。27日から29日までに、和田秀樹医師の「80歳の壁」「90歳の幸福論」を読み終え、中村哲さんの「中村哲 思索と行動」を読む。

 30日からお粥中心の食事が出るようになった。量が物足りないが、嬉しい。美味しい。この日も体調に問題なく、妻が新聞などを持ってきてくれたので、1階まで降りて行った。久しぶりに少し長く?歩いたが、ふらつくことはなかった。

 昼食、夕食も美味しく、体温や血圧を測りにくる看護師からも、順調に経過していると言われた。夜には点滴も外してくれた。今日31日は、夜風呂に入ることもできる。

 僕の場合、早期手術だったから、経過が良いのだろう。手術同意書を見ると、下部消化管内視鏡的粘膜下層剝離術、とある。大腸の表面のポリープを切除する手術だった。

 これがガンが進行して腸の壁(5層ある)の5層まで転移していると、内視鏡では切りとれず、後日、お腹の開腹手術でがん細胞を切りとるそうだ。

 ただ安心できないのは、今回切りとったのは2つあるポリープの1つで、もう一つのポリープは細胞の一部を切り取りその検査結果はまだ出ていない。

 退院する日もその結果はまだわからないと言われている。

2024年3月29日 (金)

入院日記 その2 手術うまくいった

 28日午後1時過ぎが手術室に入る予定だった。午前中に大腸の中を空っぽにする必要がある。検査の時も体験したが、これが大変。3月25日から食事制限。28日朝から水かお茶以外は全てダメ。看護師が朝6時に病室に来て、腸菅洗浄剤モビレップの大きな容器を寝台の台に置き、15分間隔で、モビレップ250ccを2回、水かお茶250ccを1回、その後同じ要領で4回繰り返し、便が透明の液状になったら完了と説明。

 前回検査と違うのは、便が出るたびにナースコールをして看護師が便の状況を確認する。250ccの液体を15分間隔で飲み干すのは一苦労。そのうち腸菅洗浄剤が利いて、頻繁にトイレに駆け込む。既定の回数では完全に透明の状態にならなかったので、2回余分に飲む始末だった。

 厄介だが、きれいな状態で手術をしてもらいたので、しかも2日目の体験だったこともあり、精神的には楽だった。

午後1時すぎに看護師がやってきて、準備が遅れ待ってくれとのこと。結局手術が始まったのは2時頃。痛み止めの麻酔をかけられたので、手術の時は眠っていたが、終わりごろに目が覚めた。

 医者や看護師が何やら話している。正確には聞き取れなかったが、どうやら手術はうまくいったようだ。何故か分からないが、カメラを何回か出し入れする際、便が出そうで、これには困った。手術中に便を出せば、ベッドが汚れるし、恥ずかしい。後で看護師に説明を受けたが、カメラの出し入れの際、そのような感覚になるそうだ。

 医者からは詳しい説明は無し。とにかくうまくいったと安心した。歩いて病室に戻れると思ったが、病室に戻るときは寝台でとの規定があり、1階から8階の病室まで寝台で運ばれた。

 戻ったのは午後4時半ごろ。お腹の痛みもなく、その後の体調は問題ないように感じた。何も食べれないし、読書とテレビで時間を過ごし、9時には眠った。

大腸がんで中東遠総合医療センターに入院 入院日記 その1

 3月27日午後から、掛川市・袋井市が共同して立ち上げた中東遠総合医療センターに入院している。子どもの頃、扁桃腺で伊賀の岡波病院に、1泊2日で入院したことがあるが、それ以来の入院体験。しかもがん手術のための入院で1週間病院生活を送る。

 ここで体験していることを、「入院日記」のタイトルでブログに投稿します。27日午後2時過ぎに入院手続き、3時前に8階西館の4人部屋に案内された。入院手続きの際、2人部屋を希望したところ、病棟の看護師にその旨伝えてと言うので、8階の病棟で2人部屋が空いて居れば入りたいと言ったが、コロナ患者用に空きを用意する関係で、ダメと言われ、4人部屋に入った。

 コートや厚手の服をロッカーにかけようとして、戸を開いたところ、ハンガーがない。積み重ねて入れ、後で看護師に聞いたら、個室にはハンガーの備えがないとのこと。

 入院時に唾液をとった容器を出したが、1時間半ぐらいしてコロナの疑いがあるので鼻から粘膜を採集すると看護師が言う。「またか!」とがっかりした。

 実は1月10日に、睡眠障害で、同じ中東遠総合医療センターに入院した。その時も唾液検査で陽性の反応が出た。朝体温を測って行ったが、平熱の36,3度。病院に入口に自動で体温を測る機械がある。そこでは36,1度。朝・昼家で食べた食事は美味しく、味覚に問題なし。咳も無し。いたって元気。

 しかし医者がやってきて、コロナ陽性だから入院できないと、追い返された。狐にだまされた感じで、家に戻った。妻が、「病院がコロナというのだからあなたは家で隔離生活だ」と言われ、書斎に閉じこもる生活を余儀なくさせられた。もちろんその間、体温を測ったが、平熱の36度3分ぐらい。書斎で一人寂しく食べる食べ物は美味しく感じられ、味覚に全く問題がない。本人は元気そのもの。追い返されて3日目に検査キットで調べたら、陰性。家での疑いが晴れ、4日目からマスク着用で外出。通常の生活をした。

 1月15日に、昨年から内視鏡検査の予約をこの病院に取ってあった。聖隷病院人間ドッグで大腸にポリープが見つかり、紹介状をもらい精密検査を受ける日が15日。

内視鏡センターの受付では体温も聞かれなかったが、こちらから正直に10日コロナ陽性の疑いをかけられた事、検査キットでは陰性だったと証拠の検査キットを見せて自分の体は正常ですと話した。

 受付の人が奥に戻り、別の男性が、「コロナ陽性の方は陰性になってから10日経過しないと、内視鏡検査はできない」と言う。次回の予約をとってからお帰り下さいと言う。内視鏡検査を受ける3日前から食事制限があり、野菜・海藻類・豆類など食べれず苦労したのに、またやり直しになった。

 予約の窓口に行ったところ、また医者の面談を受けてもらわないと次回予約が出来ないと言う。これには納得できないので、「10日追い返されたときに、陰性になって10日経過しないと診察できないと説明を受けていない。単なる次回予約はできるはず」、とかなり強く主張した。

 抗議が実り、1月25日に内視鏡検査と決まり、実際に25日検査してもらったら、1個の小さいポリープはカメラについているメスで切り取り、ガンではないが、他に2つ大きなポリープがあり、そのうちの一つはガンの疑いが濃厚、入院して1つは切り取り、もう一つは細胞の一部のみを切りとり調べると、宣告された。

 そんな訳で3月27日に入院した次第だが、またコロナ疑い。また1時間してから看護師が、鼻から採集した結果が出た、「まえのコロナの跡が出て、完全に陽性ではないが陰性とも判断できない。手術は予定通り翌日行う。ただし病室は1人部屋に入ってもらう。荷物をまとめてくれ」と言う。3月1日に7回目のコロナワクチン接種をしている。この病院の判定はいいかげんだと思う。

 案内された個室は特別室だった。中にキッチン、トイレ、シャワー室、応接室のような別室にソファーとテーブルまである。大型テレビがあり、使えませんとの掲示。服を収納するボックスが2つあり、別室のボックスにはハンガーが2個ある。病室のボックスにはついていない。

 パソコンを持参したので試しに使ったら、接続ができない。入院パンフレットにはワイファイで接続可能とあるので、看護師に接続に必要な情報を欲しいと言ったら、パンフレットを持ってきてくれた。その情報で無事パソコンを今使っているが、こちらが催促しないと持ってこない。本来は病室にスマホ・パソコン接続情報を備えておくのが普通だ。

 夕食を持って来てくれたが、椅子がない。ベッドの台では食べにくい。ソファでも食べにくいので、小さなイスが欲しいと看護師に伝えると、特別室はソファ―があるので、本来は用意していないと不服そうだったが、持ってきてくれた。今その椅子に座り、パソコンに向かっている。

 ともあれ初日に無事入院でき、翌日の手術に備え、9時に床についた。

2024年3月26日 (火)

春は遠い 愛知県香嵐渓のカタクリと三州足助屋敷を見学しての感想

妻がカタクリが大好きで、毎年3月下旬に、愛知県豊田市足助町のカタクリを見に行く。今年は3月23日に行った。あいにく雨が降り、気温も冬にもどったかのように寒い日だった。

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 本来は花びらを大きく開けてきれいなカタクリの花を楽しめるのだが、あいにくの気候のせいで、下を向き、花びらを閉じていた。見物客は僕たち夫婦のみ。斜面の遊歩道は一部ぬかるんでいた。例年なら、大勢のアマチュアカメラマン・ウーマンが押しかけ、遊歩道は人でいっぱいだが、この日は静かなたたずまいで、いわば独占してうつむいた可憐なカタクリを堪能した。

 香嵐渓は5月新緑の頃と秋の紅葉の季節が、一番にぎわう。

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 足助屋敷の和傘を制作している女性が作ったアイヌ人形。とてもきれいな作品だ。この建物内には、ひな人形や土で作った様々な人形が展示されているが、毎年、漫画やアニメで話題になる人形を和傘つくりの女性がお母さんと共に制作して展示している。

 今回、足助屋敷の写真は1枚しかとらなかったが、江戸時代や明治・大正・昭和初期の頃にタイムスリップしたかのように、鍛冶屋、桶屋、和紙制作所、藍染め屋、竹製品屋などがある。草鞋つくりや機織りをしているところもある。牛や鶏も飼育しており、のどかな世界を楽しむことができるところです。

 

 

2024年3月23日 (土)

水俣病原告敗訴の数を修正します 

 朝、ブログに投稿した際、1000人以上の原告の訴えを裁判所が却下と書きましたが、間違いでした。正確には熊本訴訟の原告1400人のうち、今回の判決の対象者は第1陣、第2陣の144人の原告に対する判決でした。

 新聞に掲載されている判決骨子

・原告144人の請求を棄却

・25人は水俣病に罹患しているが、損害賠償請求権は除籍期間の経過により消滅

・水俣病の潜伏期間はメチル水銀暴露からおおむね10年以内。除籍期間の起算店は発症時

・民間医師による共通診断書の所見だけでは信用性に乏しく、公的検診などで同様の症状が現れている必要性がある

僕の感想・コメンント

 不法行為による損賠賠償請求権は20年で消滅と旧民法ではあるが、2020年改正民法では、被害救済の観点からやや緩和されている。国や県、原因企業のチッソが、被害者の損害賠償請求に応じないから司法に訴えているのだから、責められるべきは国や熊本県・チッソであり、被害者救済の温かい気持ちがあれば、請求棄却にはならないはずだ。

 要するに、被害者の立場・弱者の立場に立つかどうかが、判断の分かれ目だと思う。4年前に初めて水俣を訪問し、関係者からお話を伺い、チッソ工場の水銀を排出した水門を見学した。亡くなった方たちの慰霊塔も見学し、黙とうをささげた。

 この時、当時の水俣市の議員は被害者の立場に立ったのだろうかと大きな疑問を抱いた。市民を守る、市民を救済するのでなく、加害企業を守ることが水俣市を守ると考えたのではないかと思った。

 当時の議員が具体的にどう動いたか、資料を持っていないのでひょっとすると少数の良心的な議員がいたかもしれないが、大半は患者の側に立たなかったと思う。

 行政、司法、議会、医療、大学、全ての分野で、誰のために仕事をするのか、権力を持つ側のために仕事をするのか、対象にしている人々のために仕事をするのか、自分の立身出世のために仕事をするのかが問われていると思う。

冷たい行政・裁判所  暖かい行政・裁判所  心温まる社会にしたい

 昨日の新聞で、熊本地裁が水俣水銀被害者で認定を求めていた原告1000人以上に、不認定取り消しはやむを得ないとして、原告の訴えを却下したことを知った。

 冷たい判決だと思う。一人一人の原告(被害者)の苦しみを無視した裁判官に怒りを覚える。

 メール情報で、福島県当局が、東京に自主避難して国家公務員住宅に住んでいる住民に、立ち退きを迫り、立ち退きができない住民(福島県民)に対し、立ち退き訴訟を起こし、裁判が終わっていないにも関わらず、強制立ち退き代執行に踏み切っていることを知った。

 県民を守るべき行政がここまでやるのかと、唖然とする。

 私が住む袋井市では、市営住宅の入居に際し、保証人を必要としている。保証人が見つからない人は、民間の保険に入ることを義務付けている。国が、公営住宅入居希望者は近年高齢化し保証人を確保できない実情から、保証人なしでも良しとするよう指導しているにも関わらず、それを無視している。一般質問でこの不合理をただすよう求めているが、当局の姿勢は変わらない。

 つい最近、静岡県住宅供給公社が国の指導を受けて、県営住宅において保証人なしで入居できるように改善措置をとるとの情報を得た。ところが3月21日、袋井市議会全員協議会報告事項で、「市営住宅のあり方検討会の結果について」が議員のタブレットに入っていたので、「県では保証人なしでも良しとするのに、袋井市ではまず新規入居希望者に対し、家賃債務保証業者による機関保証への加入を求める。それが困難な場合は、連帯保証人の確保っを求める。その他の所で、現状は高齢者世帯も多く、今後孤独死や要介護者などの増加が考えられる。障がい者世帯の入居もあることなど、福祉部局との連携とともに、福祉施策における対応が必要。」とあるのをとらえて、このように質疑した。

 今後福祉施策として孤独死を防ぐ対策を取り、死後1か月もたてば畳が腐り、対処に金がかかることのないようににすれば、この検討会の提言通りにしなくても良くなる。9月条例改正のスケジュールとあるが、他市の動向も見ながら、福祉の観点から債務保証なし・保証人なしで入居できるように検討するのか?」と尋ねた。

 当局の答は、「債務保証業者の機関保証」に入ってもらう、だった。 わずかな年金暮らしで民間のアパートやマンション、一戸建て借家に入れない高齢者に対し、非常に冷たい当局の姿勢に怒りが沸く!

 スマイルシティ袋井を掲げる大場市政だが、看板が泣いている。6月議会でこの問題を取り上げ、県営住宅並みになるよう改善を求めて行きたい。

2024年3月20日 (水)

自然の恵み・土の恵みを得るための努力・労力==農業

 多忙の中、借りている畑や道楽山の草刈など、農作業もやっている。春の作物の恵みを得るため労働です。大変だが、楽しくもある。自然の恵みを得るための人間の労力だと実感しています。

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 大根の葉っぱを刈り取り、土を被せて、3月いっぱいは美味しく食べられるようにした。引き抜いて、穴を掘り、土をかぶせるのが一番良いが、その作業は大変なので、簡略した方法です。

 今年は大根が豊作で、毎日、大根の煮物や大根おろしを食べている。結構美味しい! 食べきれないので、近所の方にあげたりも。

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 ジャガイモを植えた畝。写真はこれだけだが、実際には他の箇所にも全部で約60個、男爵やメークインの種芋を植えた。昨年晩秋に植えたホウレンソウやニンジン、カブはあまり実らず、成長も悪かったので、それらを引き抜き、畑を耕して、種芋を植えたが、結構時間を要した。多分、6月ごろにジャガイモの収穫ができる。楽しみです。

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 掛川の道楽山斜面にわらびが出る。わらびの恵みを得るために、草ぼうぼうの斜面をきれいにした。多分4月15日ぐらいからわらびの収穫ができる。目を出し、伸びきらないうちに収穫するには、時々車で約20分の山に行く必要があるのが難点だ。

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 道楽山にはみかん、栗、柿、梅など果樹の恵みを得るため植樹してあるが、上は正式な名前を忘れたが柑橘類の恵みです。完熟して落ちていたものの中で、腐っていないものを収穫した。

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 南高梅の小さな実。6月中旬に収穫できる。この南高梅は毎年たくさんの実をつける。木の下にもみ殻をまいてあげた。

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 こぶしの花。モクレンの写真は取り損ねたが、もう散りかけていた。

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 最後の写真は玉ねぎを植えた畑の写真。草ぼうぼうの中で、玉ねぎの成長が阻害されいる。草を除去して、鶏糞をまいてあげる作業はこれからです。

 

 

2024年3月18日 (月)

静岡同胞和合・韓日親善 春の集い2024 に参加して 来年日韓国交60年になるのを記念してイベント企画構想を考えた

 昨日17日に、韓国民団静岡県本部主催の春の集いに参加した。

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 挨拶しているのは、静岡県議の天野一さん。彼は静岡県と韓国が徳川家康の時代からいかに朝鮮と深い良好な関係にあるかを話した。天野さんは、朝鮮通信使研究会の会長。友情ウオークでも度々お世話になっている。

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 挨拶の女性は、韓国餅研究家の野原由美さん。民団主催の韓国料理教室の講師をされておられる。韓国のテレビでも紹介され、彼女が作ったお餅が参加者のお土産になっていた。僕は会場で1ついただいたがとても美味しかった!

 来年、朝鮮通信使友情ウオークがあるので、会の終了後、名刺交換し、来年の接待のために作ってくださいと早くも予約した。

 駐横浜大韓民国副総領事のイ・ウオンシク氏があいさつの中で、「来年は日韓国交回復60年に当たる。今、日韓関係は良くなってきたが、さらにこの静岡から友好を深めていただきたい。」と話された。

 韓国民団団長のユン・ホンジョさんや民団中央本部の金氏も来年60周年に当たる節目の年にさらに親善を深めていこうと話され、それを聞いて、心が動いた。

 何か有意義なイベントを企画したいと思い、天野一県議に相談すると、県の予算を取るには今年8月中に企画書を出さなければ間に合わないと教えてくれた。

 そこで出席している関係者(民団団長、事務局長、静岡商工会議所事務局長及び役員、日韓親善協会静岡会長及び富士会長、文化の風代表、アユドリーム代表、民団浜松支部長ら)に、来年に向けてまずそれぞれの団体で何ができるか、何をしたのか考え、今年6月か7月に相談会を持ちましょうと個別に話しかけた。

 50周年の際には事前に十分な準備をすることなく、「辛淑玉(シンスゴ)さん講演会」を僕が主催する形で実施したが、今回は関係団体や個人・行政に働きかけて、大きな実行委員会を作って規模の大きなイベントを企画したい。

 帰りの電車内で、アイデアが浮かんだ。姜尚中(カン・サンジュ)さんの講演会と若者に人気があるk-ポップの音楽・ダンス会。春の集いで民団が23年度活動報告を映像で流したが、その中に韓国のk-ポップ高校の生徒が静岡市に来て日本の若者と音楽交流する場面があった。

 民団が向うの高校とつながりがあるようだから、面白い企画が立てられるかもしれない。

2024年3月16日 (土)

戦闘機輸出を自民・公明党が合意、政府はこれまで認めてこなかった戦争に直結する武器までも海外に輸出できるようにするーー平和国家の国是がまたも崩れる

 戦後日本は、平和国家として国際社会で生きるため、自衛隊の海外派兵や武器の海外輸出を認めてこなかった。それは、歴代の保守政党でさえも守ってきた国是であった。

 しかし、{平和国家}は名ばかりで、音を立てて崩れつつある。憲法の解釈改憲で自衛隊を海外派遣(派兵)するようになり、武器輸出も「防衛装備移転三原則」という分かりにくい用語で、日本が軍事同盟を結ぶアメリカ、そのアメリカと軍事同盟や軍事協力関係にある国に、色々な兵器になりうるものを輸出できるようにしてきた。

 そして今回は戦闘機だ。三原則など名目だけ。もう何でもありきだ。歯止めがない! 私達の国は【平和国家】ですと、外国の方に誇らしげに自称できなくなった。

 これでよいのかと、警鐘を鳴らし、世論を高めていきたい。

 

2024年3月14日 (木)

2月議会レポート最終回 浅羽支所利活用 提案型質問

袋井市当局の案に対する対案として、答弁から何かを引き出すことを重視するのでなく、こちらの主張を公の場で展開し、広く市民に知ってもらう・考えてもらうための質問をした。そしてその内容を3月25日市内全域新聞折り込みで家庭に配布する「竹ちゃんの市政便り」を通して、市民に知ってもらいます。

 以下は市政便りの原稿ですが、それをブログでの報告に替えます。

【 2.浅羽支所利活用・あそびの杜基本計画の見直し提案 】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

議員や地元浅羽の市民からも、あそびの杜基本計画案に色々な意見や疑問が出されている。当局のほうも策定に時間が必要、半年から1年ぐらい時間が欲しいと全員協議会で答弁している。根本的に見直しが必要だが、その見直しに向けての提案をします。

問 子どもの施設は1階のみにしてはどうか。ワンフロアーだと子供たちの安全確認がやりやすく、スタッフを2階3階と置く必要がなくなり、運営費が縮小できる。ゼロ歳から3歳の幼児は、メロープラザの親子交流広場で十分対応できる。4歳児から小学6年生までの児童対象の子どもの施設を作るのに1階ワンフロアーで十分だと思う。

 

答 天候に左右されず体を動かせる機能、多彩な文化との触れ合いにより、子どもたちの想像力や好奇心を育む機能、豊かな心を育む本と触れ合える機能などを持つ施設を実現するため、1階と2階を最大限に活用したい。

問 2階の文化財係事務スペースと歴史文化館は残すことにより、近藤記念館及び郷土資料館が手狭にならなくなり、充実できる。

答 郷土資料館と近藤記念館に機能を集約することで、利用者の利便性を高め、サービスの向上につなげることができる。

問 3階の旧議場をボルダリングや滑り台などの子どもの施設にすることに関して、多方面から疑問が出ている。やめたほうが賢明です。茶文化資料館はそのままでよいと思うが、移転そのものには反対していない。将来他の施設に移るとしたらの仮定の話だが、3階に保管してある文化財や資料などを、旧議場に移したら、3階にいくつかの空き部屋が出る。支所の相談室や地元の人々や浅羽南部会議の会議室

 

 

 

教育長

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

にも利用出るようになる。広い旧議場を改修せず、棚や保管用ロッカー設置だけで、支所や本庁の重要書類保管、図書館の蔵書保管なども可能になる。

答 「冒険の世界」としての旧議場の整備は再考するよう意見を頂いた。今後検討していきたい。

 

問 屋上の利活用は太陽光パネル設置で十分だと思う。災害時の停電対策になるし、2050年カーボンゼロ目標にも貢献できる。PPA方式なら設置費は事業者負担で、市の負担にならない。

答 検討したい。

問 1階から3階に上がる大階段は景観を悪くし、経費も掛かり、地震などで崩落したら危険でもある。支所を3階に移転しなければ、外に大きなエレベーターも設置する必要がない。大規模災害対策に多額の支出が必要です。あそびの杜構想絡みで、13億円から17,4億円もの支出予定を大幅に削減して思い切った計画見直しをすることを提案する。

答 大階段については、3階の活用計画が変更された場合には、要否について改めて確認したい。

問 基本計画のにぎわいの広場案は、現在の駐車場を無くし、多くの樹木も無くなる。芝生の広場は、近藤記念公園にあり、そこでイベントも可能である。大型の遊具を設置すれば、子供たちの遊び場としてにぎわう。基本計画のにぎわいの広場は不要だと考える。

答 あそびの杜内部の機能と一体的に活用され、これまで以上に周辺施設と連携したにぎわい作りに資する。

問 計画の見直し検討のため、地元の人々や子育て世代の人々、子育て施設の関係者らから構成されるワーキングチームを作り、原案を作成提案してもらうことを提言したい。

答 よりよい基本計画となるよう広く、様々な方からのご意見を伺いながら、策定作業を進めていきたい。

 

 今後、出来るだけ多くの浅羽地域に住む人たちやこの問題に関心がある人たちに会って、地元から、市民から、基本計画見直しの声を上げてもらうつもりです。

2024年3月11日 (月)

東日本大震災・東電福島第一原発事故から13年の3月11日に想う

 あれから13年。死亡された方、その遺族、被災された方たち、原発事故で我が家・故郷・生業・それまでの生活を根こそぎ奪われ今なお避難生活を送っておられる方たちに思いをはせながら、3月11日を迎えています。

 自然の脅威を忘れず、被害を教訓にして、生きていきたいと思います。人間は自然の中で、地球という大自然の中で生きているという事実を忘れずに、謙虚に生きていきます。

 日本列島は火山・地震列島。この事実を日々の生活に、日常生活で忘れることなく、自然災害に備えたいと思います。現在、地方議員という立場なので、行政に協力して、被害を最小限にとどめる対策、被災した場合の対策を真剣に考えて行きたいと思っています。

 原発事故の教訓は、原発を止める・再稼働をさせない・永久停止・廃炉しか選択肢は無いと思います。原発は人間が作ったもの。その事故は人災です。逆に考えると、人間の手で、事故を防げます。その対策は、原発を止めるしかありません。

 しかし世界や日本の現状は、逆の方向に向かっています。この流れをどう止めるのか、今、私達に具体的にどうするかが問われています。色々な方法があり、反原発・脱原発団体は粘り強く世論形成のための努力を継続しています。

 静岡県では、3.11アクションとしてこの日前後に街頭宣伝活動や集会・デモ・アピール行動をやっています。僕も所属する「浜岡原発の再稼働を許さない静岡県ネットワーク」は、今日、県庁で記者会見、知事宛て質問・要請文提出、県庁から中電静岡支店前までのアピール行進、中電社長あての質問状提出を行います。

 アクションに参加できなくても、先ずできることがあります。福島を忘れない。自己を起こした福島第一原発が現在もなお絶望的な状況にあることを知ることが大切だと思います。

 避難生活を送っておられる方たちの状況を知る努力も重要です。事実を知れば、おのずと脱原発=原発を止めようという認識になると確信しています。

2024年3月 9日 (土)

2月議会レポート 大災害に備える その2

問  地震・津波・原発事故の複合災害の場合の対策は、正直に申し上げますと対策が取れません。当局の皆様、市職員の皆様に具体的にこれこれの対策を取ってほしいと要望するのは無理だと考えています。

 能登半島地震で分かったことですが、半島の付け根のあたりに、北陸電力志賀原発があり、幸いにも東京電力福島原発のように爆発・大量の放射能汚染・広範囲の住民避難という最悪の事態は起きなかったのは、2011年以降浜岡原発同様に停止しており、核燃料が十分冷却されていたからだと言われています。

 新聞情報や原子力資料情報室共同代表の伴英幸(ばん・ひでゆき)氏の見解によると、志賀原発は地震により外部電源を取り入れる変圧器の油漏れで、一時的に冷却不可能になっています。放水塔の鉄製の防潮壁が数センチ傾いたり、水タンクからの漏洩(ろうえい)も確認されています。

 また原発周辺の放射能汚染を調べる116あるモニタリングポストのうち18が通信障害で計測不能になっています。道路損壊で奥能登の住民は金沢方面に避難するのも困難になり、自宅も全壊や半壊で住めなくなり、放射能が500マイクロシーベルトになるまでは自宅待機となっている原子力防災計画が全く機能しないことが、今回の能登半島地震で分かりました。

 袋井市は原発事故の際、三重県に、複合災害の場合は福井県に避難することになっています。浜岡原発が稼働中に南海トラフ巨大地震が起きれば、もう考えられないほどの大災害となり、その備えをするのは全く不可能です。

 再稼働をさせない、止めたままにしておくのが、最大の対策だと考えます。そこで具体的な質問です。

 再稼働するには地元自治体と県知事の同意が必要です。事前同意の地元自治体は御前崎市だけでなく、避難を強いられる原発から31キロ圏内の周辺自治体も含まれ、周辺自治体と協力して明確な事前同意権を獲得しておく必要があります。それは中電と新安全協協定を締結することにつながるのですが、事前同意権の獲得について当局のお考えを伺います。

答 浜岡原発の再稼働に関しては、危機管理対策が万全に講じられ、市民の安全・安心が担保されることが最優先であると考えている。

 県及び本市を含めた周辺5市2町と中部電力において、「浜岡原子力発電所の周辺市町の安全確保等に関する協定」を締結している。再稼働に関する事前了解の記述はないが、解釈書において【 通報措置要領に基づいて中部電力から事前に通報され、浜岡原発への立ち入り調査の同行や、措置の要求に係る通報を通じた事前協議により、実質的に事前了解が担保されている県・4市協定に準じた安全体制を確保できる」と記載されており、事前了解に関しては、解釈書が示すとおりと理解している。

 僕のコメント  解釈書の理解が甘い。事前了解に関しては、4市(御前崎・掛川・菊川・牧之原)と中電との協定でも全く担保されていない。御前崎市は立地自治体は御前崎市であり、県知事と御前崎市の了解があれば再稼働できるとの考えだ。中電も同じ考え。市長は他市町に働きかけて明確な事前同意権を確立する考えがないから、このような答弁になっている。粘り強く、市民団体が事前同意権を持てるよう、行政に働き続ける必要がある。

2024年3月 7日 (木)

2月議会レポート その1 大災害に備える 袋井市当局の答えと私のコメント

 1 問 袋井市の耐震化率は

   答 95.9%   コメント 静岡県は石川県に比べて進んでいる。しかし倒壊はしないが、マグニチュード9ぐらいの最大規模の大地震が起きれば、地盤の弱い袋井市の木造住宅はかなりの損害を受けるものと思われ、安心できない。我が家も築46年の木造だから、半壊し住めなくなるかもしれないと覚悟して生きている。

2 問 耐震水道管設置状況は

  答 基幹管路の耐震適合率は、49.2%  コメント 市内あちこちで下水道管の更新と合わせて工事をしている。巨額の費用がかかり、100%になるまでは時間を要する。上下水道特別会計の枠内でやっているので予算が限られている。一般会計から充当できるようにすべきだ。また国が交付金措置をすれば、耐震化は進む。

3 問  要支援者の避難所確保対策は

 答  避難所となる学校の特別教室やコミュニティセンターの和室などを活用したり、間仕切りや個室となるテントを設営して最低限のスペースを確保するよう計画している。  コメント  自分が住む地区では具体的に学校のどの教室を要支援者用にするのか、コミセンの和室は赤ちゃん・妊婦用に限定するのか、細部は決まっていない。これからの課題だ。

4 問 簡易ベッドやダンボールベッド、間仕切りなどの備蓄状況は

  答 簡易ベッドは約1,000台。ダンボールベッドは15台。間仕切りのパーテイションは3,300帳備蓄してある。ダンボールベッドは、市内でダンボール製品を製造している会社と「災害時の物資の供給の協定」を締結しており、災害発生後にすみやかに調達できる体制をとっている。  コメント 少し安心した。ただもっと備蓄しておかないと、15台では心もとない。製造するのに時間がかかるものと思われる。工場が被災して製造できない事態も考えられる。再質問で聞くべきだったが、時間がなく、もっとたくさん備蓄するよう働きかけたい。

 

5 問 トイレ対策は

  答  男性より女性用トイレを多めに設置する。人目につきやすい場所への設置や、照明を設置するなど配慮する。し尿(汚物)は、回収が始まるまでの間は、避難所生活場所から離れた場所で、できるだけ密閉した状態で保管するようマニュアルで定めている。

 コメント 実際には各避難所のどこにトイレを設置するのか、照明をどうするのか、汚物の一時保管場所をどこにするのかは、決まっていない。今後の大きな課題です。

6 問 避難所運営を市職員から地元の人に早くまかせるには、各地域担当職員を固定化して、避難所と倉庫の実体(何がいくつ入っているか等)を把握しており、地域の人との人的つながりがあれば、運営を地元に任せるのがスムーズにいくが。

 答 可能な限り同じ職員が同じ支部へ残れるような人員配置に努めていく。

 コメント うれしい答弁です。これまでは、2~3年で担当職員が変わり、地域の実体、避難所の実体などを知らない職員が多かったので、大きな改善だと思う。

7 問 ボランティア受け入れ体制についての質問と提案

 答 受け入れ活動拠点となる総合健康センターにおける課題と解決策だが、駐車場の確保、用具・支援物資の保管場所については市内の事業所や社会福祉法人等に協力を依頼し、支援活動ができる体制を整えている。ボランティア対応スペースは、総合センター会議室を活用する。ボランティア事前登録制として混雑を避ける。災害ボランティアの宿営地の確保については、総合センターの会議室や旧袋井市民病院看護師宿舎など5カ所を確保している。なお、ご提案の浅羽支所1階と2階の活用については、仮称「袋井市こども交流館あそびの杜整備に係る基本構想」の内容を実現するため、子どもたちの遊びの場、学びの場、体験の場として整備する予定です。

 コメント 総合健康センターでの受け入れ体制については、今後現場に行き、社会福祉協議会の責任者に確認します。浅羽支所利活用に絡む僕の提案は、残念ながら当局は受け入れないことがはっきりした。これでよいのか、地元の人達と話し合いながら、粘り強く、子どもの施設は1階で十分、2階を災害時には有効に活用できる現地対策本部、食堂、カフェ、サロン、1階にある社協浅羽支所・シルバー人材センター浅羽支所・生活支援ネットワーク事務局を2階に移転する僕の提案を実現できるよう、努力していきたい。

 *続きは次回その2に。

2024年3月 2日 (土)

沖縄うるま市の住民運動が、陸上自衛隊の新たな基地(訓練場)建設計画を全面見直しに追い込んだ

 一般質問の当局の回答を書くつもりだったが、見出しのテーマを優先します。辺野古座り込みにうるま市の方たちが毎週バスで参加しています。住民運動のリーダーから、昨年11月に直接聞いていましたが、地元自治会を巻き込み、全市ぐるみで新たな自衛隊基地建設に反対する署名活動を始めていました。

 それが大きなうねりとなり、保守的な自治会長や連合自治会長、議員も反対の立場になり、県議会でも地元の声を尊重して自民党県連幹事長の議員が白紙撤回を訴えをする事態となった。

 政府・防衛省もこのままでは来年の県知事選を戦えないと、見直しをするとの新聞報道が昨日流れた。うれしいニュースです。この背景には、保守革新問わず、軍拡・南西諸島・沖縄本島軍事要塞化を進める政府・防衛省・米軍の動きに、これでは沖縄が再び戦場になる!との危機感が、沖縄の人々に広がっている表れだと見ています。

 島ぐるみ、オール沖縄の住民運動で、政府の強権に立ち向かい、闘えば勝てるということを表しています。まだ油断ができないが、この動きが辺野古新基地建設反対運動に良い効果を与えることを期待します。昨日、最高裁が沖縄県の訴えを却下して、国の代理署名を正当化する不当な判決が出たが、勝つまであきらめない、粘り強く戦うことが、最後にいい結果をもたらすと確信します。

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