2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

« #地域から民主主義を作るため、自治会便り第1号を発行。情報の公開・共有が民主主義の第一歩 | トップページ | #浜名湖花博2024 浜松市フラワーパークの藤の花 »

2024年4月29日 (月)

#4月28日は、沖縄にとり屈辱の日と認識している本土の人はどれぐらいいるだろうか?

 4月28日は沖縄が日本から分離され、アメリカが統治(支配)するようになった節目の日です。1952年、サンフランシスコ講和条約により、アメリカを中心とする連合軍が日本を占領下においていたのを、日本が占領から解放され独立した歴史的記念日が4月28日です。

 しかし、沖縄はアメリカが沖縄戦で多数の死傷者を出して占領した土地であり、冷戦下、中国、北朝鮮に近い軍事的戦略拠点として、日本の施政権が及ばない地域にされてしまいました。

 アメリカ側の強い要求があったのは事実ですが、本土の政府は強く抵抗せず、沖縄を日本から切り離したのです。マッカーサーに対し、昭和天皇は琉球を日本から切り離してもよいとの提案をしたのは有名な話です。

 当時の多くの本土に住む人々は、琉球(沖縄)に対し、日本と一体であるとの認識を持っていませんでした。二等国民扱いの認識でした。だから、本土防衛のため、沖縄は捨て石にされ、悲惨な沖縄戦となったわけです。

 徹底抗戦、負けが分かっていても降伏しない、民間人の犠牲は一切考慮しない。時には沖縄の人をスパイ呼ばわりして、殺害する。ガマ(自然の地下壕)に避難している沖縄の人を追い出して、日本軍が中に入る。食料を奪う。

 県民の4人に一人が死んだ沖縄戦を体験している沖縄の人々は、戦争は絶対にダメ、「命どう宝」(命が一番大切)の考えが浸透しています。1952年から日本復帰する1972年まで、米軍支配下に置いて、人権を蹂躙され、土地を奪われ、自治を奪われ、民主主義の国とされているアメリカの2重基準(植民地では、何をやってもかわまない)により、辛酸をなめました。

 その苦悩の原点が、4月28日、サンフランシスコ講和条約でした。琉球新報、沖縄タイムスは、毎年4月28日には屈辱の日として特集記事を書いています。

 しかし、本土の新聞でそのような記事は見当たりません。今朝29日の新聞はまだ読んでいないが、ひょっとすると沖縄での昨日の集会の報告記事が出ているかもしれない。しかし小さな記事でしょう。

 この落差が、辺野古埋め立てにおいて、知事の権限を奪う代執行に繋がっています。現在においても、沖縄の地方自治を認めない、アメリカ軍が何をやっても日本政府はきちんと抗議しない、黙認する状態が続いています。

 

« #地域から民主主義を作るため、自治会便り第1号を発行。情報の公開・共有が民主主義の第一歩 | トップページ | #浜名湖花博2024 浜松市フラワーパークの藤の花 »