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2024年5月

2024年5月29日 (水)

吉原毅・城南信用金庫名誉顧問 お金からみえるもう一つの世界 信用金庫と日本の未来 脱原発自然エネルギー推進静岡・議員の会総会  

 5月26日午後1時半から、静岡市の「アザレア」大会議室で、タイトルの講演会と総会を実施した。吉原さんと議員の会代表の三上元さんとは、共に「原発ゼロ自然エネルギー推進連盟」の会長,幹事の間柄。しかし僕は初対面。初めて吉原さんのお話を聞いた。

 お金の歴史から強欲資本主義、金持ちがさらに金をもうける仕組みの株式会社、世界を金で支配する国際金融資本の話は、吉原さんならではの話で非常に興味深い内容だった。

 早口でこれまで知らなかった世界を話したので、それを要約する能力がない。講演のレジメの紹介で、内容を想像してください。

お金は麻薬 お金は交換、価値保蔵、価値尺度、お金の本質はエゴイズム

助け合いの世界を破壊したのが資本主義社会

資本主義とは、世界の富豪の金儲けシステムのこと

株式会社として登場したオランダの東インド会社は軍隊も持っていた

アダム・スミスは国富論で、株式会社はいかがわしい組織と指摘 会社を売る、人(従業員)を売る

ロスチャイルド家は戦争で莫大な利益を得た

第一次・第二次世界大戦の原因は、本当は戦争で金儲けのためでは???

明治維新は国際金融資本による日本支配だった

江戸時代の藩校教育、塾教育は、一人一人に考えさせる教育だった

明治になり東大を頂点とする「官僚や国民に考えさせない教育」に、専門知識の詰め込み教育に

第2次グローバリゼーションはアメリカの国家戦略

中国、ロシアによるアメリカへの挑戦

ウクライナ戦争は誰が得するのか?

金融自由化(資本市場開放)により、日本植民地化の完成

日本が売られる 外国企業に都合がよい法制度の改正(2015~2019年) 農地法、種子法、漁業法、水道法、農薬、遺伝子組み換え、原発)

原子力ムラの正体は国際金融資本

福島原発事故と城南信用金庫の取り組みーーー原発事故が起き、福島あぶくま信用金庫から従業員を預かってくれとの依頼があり、10人以上を引き受けた。原発は許せないと、城南信用金庫の方針として原発ゼロ宣言をして、「原発に頼らない安心できる社会へ」会社のホームページやツイッターでアピールした。しかし当初はマムコミは無視。しかしその後共感が広がっていった。

脱原発宣言「東日本大震災を契機に『原発に頼らない安心できる社会』の実現をめざして、省電力や代替エネルギーの利用開発に真剣に取り組むことを宣言」

小泉元首相の言葉紹介「右も左も関係ない 国を愛するということは、原発をゼロにするということだ」

原発即時ゼロで未来を拓く 電力会社は利権のために国家を繰る「反社会集団」

世界は自然エネルギーで経済が急成長 風力・太陽光発電は今や原発の3倍に

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 1時40分から3時過ぎまでの短い時間の講演だったので、正直消化不良だが、お金から世界・社会・歴史、戦争、そして原発を考える良い機会となった! 機会を改めてお話を聞きたいと強く思った。

 質疑応答や休憩後、3時40分から議員の会総会。事務局長として司会進行役を務めた。

静岡県知事(○○市長、○○町長)           様

 

       浜岡原発に関する提言・要望書

 

 私たちの会(脱原発自然エネルギー推進静岡・議員の会)は、東京電力福島第一発電所の過酷事故を契機に、浜岡原発でも同じような事故が起きれば、県民・市民・町民の命と健康、生活に大変な事態をもたらすと危機感を抱き、議員として原発の再稼働を議会で止める、また原発に依存せずに再生可能エネルギーで地域の電力を賄えるよう再エネを推進することを目的に立ち上げた会です。

 今年元旦の夕方に発生した能登半島大地震は、日本に衝撃を与えました。地震や津波に襲われた原発は大事故につながる危険性が高いことを改めて確認させられました。

 石川県志賀原発は停止中だったので事故にはなりませんでしたが、核燃料棒保管のプール冷却が40分間停止、電源変圧器の油漏れ、防潮壁数センチの傾き、防潮壁基盤の一部数センチ沈下、発電所内の道路に段差、港物揚場でコンクリート沈下最大35センチの段差、放射能測定モニタリングポスト数か所が測定不能など、トラブルが多数起きています。

 北陸電力は当初珠洲に原発を計画したが、住民の反対で志賀町にできました。もし珠洲市に原発があれば津波と地面隆起で原子炉本体が損傷して大災害が起きていたと思われます。

 原発災害では道路が損壊し広域避難も計画通りにはいかない、被爆を避けるための屋内退避も家屋が損壊して不可能であることを、能登半島大地震は教訓として教えています。

 これにより原発に対する国民の意識が大きく変化しています。地方紙20社が合同で毎年行っている原発アンケートによると、昨年は、原発維持対廃炉の比率が10対11,4とわずかの差だったが、今年は10対18,4と廃炉を選択した人が大きく増えています。

 加えて静岡県民意識調査で、南海トラフ地震に非常に関心がある、と答えた人は昨年12月には62%でしたが、今年1月には82%と大幅に増えています。

 浜岡原子力発電所は、2つの特徴があります。1つは、原発から50キロ圏内人口が約210万人と世界一です。もう一つは、震源域の真上に立ち、日本一・世界一危険な原発と言われている点です。

 浜岡原発の再稼働を認めると言うことは、大変な危険を冒すことになると私たちは考えます。原子力規制委員会が将来合格を出しても、再稼働を認めないことが最大の安心安全につながると確信します。

 住民の生命・健康・生活、産業基盤の安定を守る立場にある自治体首長として、将来再稼働問題が具体化した際に、賢明な判断を取られることを要望します。

 地球温暖化防止・二酸化炭素排出削減が自治体の共通した大きな課題です。再生可能エネルギーの普及がカーボンニュートラルに貢献します。この面で積極的な施策の実行を希望します。

 

脱原発自然エネルギー推進静岡・議員の会 代表 三上元

上の案文に対して出席議員から色々な意見を出してもらった。三上さんの原案を基に僕が作成した文だが、世話人会を開く余裕がなく、詰めてないので、多様な意見が出て、でた意見を取り入れた内容の文章を世話人会で詰める、知事との面談や記者会見、御前崎市長と新知事には直接会って要望書を手渡しする、議員の会員がいる市町の長には直接面談して手渡しする、それ以外の市町には郵送で送ることを確認して総会を終えた。

2024年5月26日 (日)

77歳の誕生日

 昨日は77歳の誕生日だった。多忙で祝う余裕がなく、妻と共に訪れた掛川市にある加茂花菖蒲園で、お茶と団子でささやかな祝いをした。

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 ここにはこの時期毎年訪れている。花菖蒲が満開。室内の温室ではアジサイも満開。

 元庄屋屋敷内にカフェがあり、静かな空間で、お湯を冷まし、急須でお茶を飲みながら、団子を食べ、ささやかな誕生会とした。

人生100年時代。昨日で77歳。まだこれからの人生がたっぷりとは言えないが、恐らく10年ぐらいは残っている。やりたいことがいっぱいある!

 ピースボートで3回目の世界1周。日本国内知らないところを可能な限り旅行したい。地域作り(最後まで自宅・地域で生活できる地域)に本腰を入れたい。5月3日憲法記念日には、著名な方をお招きし、少なくとも静岡県内では最高レベルの憲法記念日袋井市民のつどいを継続して続けたい。

 昨日、岸本聡子・杉並区区長に手紙を出し、来年5月3日の講演依頼を行った。

2024年5月22日 (水)

#浜名湖花博・伊江島デー 伊江島につぃて

 5月18日、19日は、浜名湖花博に伊江島の特産物販売やハイビスカスの展示・販売、19日にはステージで伊江村紹介、琉球舞踊(かぎやで風)、二才踊り、知念こずえ民謡ライブが、伊江島デーとして催された。

 19日は自治会の仕事があったので、18日に会場の浜名湖ガーデンパークに妻と共に行ってきた。

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 うっかりハイビスカスの花の写真を撮り忘れた。上の写真は、ハイビスカスを販売しているテントでもらったパンフと特産品販売のテントでもらった伊江島ガイドブックです。まるい茶色のお菓子は伊江島特産黒糖豆。実はこの販売テントに行った際、黒糖豆が欲しいが手荷物が増えるので後で買いに来ますと約束して午後に行ったら売れ切れていた。この黒糖豆(落花生)は販売用でなく、多分伊江島から来られたスタッフが自分たちで食べるために持ってきたものだと思う。販売している人たちとおしゃべりをする中で僕が3回伊江島を訪問したことや、伊江村と関係がある「緑十字機・緑語会」に自分が関係していること、たまたまその場にいた伊江村役場福祉課課長の島袋さんが昨年8月に磐田市に来られて僕と会っていることなどで、特別にお土産としていただいたものです。2袋もらい、1袋はすでに食べてしまったが、とても美味しいです!

 ハイビスカスの花は自宅で育てるために購入してきました。花が咲いたら、写真に撮り、アップします。

 伊江島ガイドブックに歴史めぐりのコーナーがあり、ヌチドウタカラの家が紹介されている。阿波根しょうこうさんの反戦平和資料館です。僕は3回そこを訪れている。僕にとり伊江島は、米軍基地拡張・ナイキ配備に反対した島ぐるみ闘争=今の辺野古新基地建設反対島ぐるみ闘争の原点になった島です。非暴力で体を張って権力と闘った阿波根しょうこうさんを思い出す島です。

 来年、時間が許せば訪れたいと思っています。

2024年5月19日 (日)

#与那国島の町長・糸数健一氏とエマニュエル駐日アメリカ大使の面談、映画「戦雲」を見ての感想

 17日、三上智恵監督最新作「戦雲」(いくさふむ)をシネマイーラで見た。その映画で与那国島の自衛隊駐屯地問題が大きく取り上げられている。僕が知らなかった与那国町長・糸数健一氏の素顔も丁寧に描かれている。

 映画の中で、糸数町長は明確に自衛隊歓迎の姿勢を露わにしている。その糸数氏が17日、与那国島自衛隊駐屯地を訪問したエマニュエル駐日米大使と映画でも紹介された台湾に一番近い島の西端で会っている写真が、18日の新聞に出ていた。

 その糸数町長が、5月3日、東京での憲法改正を求める「憲法フオーラム」(岸田首相もメーセージを送る改憲派の集会)で、とんでもない発言をしている。

 本土の新聞には報道されていないが、「ノーモア沖縄戦 命どう宝の会 メルマガ254号」に糸数氏の発言全文が紹介されている。要約ーー

『 私の住む与那国島は国防の最前線。自衛隊が来てくれて安心できる。台湾を守ることは旧宗主国の日本の責務。日本国憲法はアメリカのマッカーサーと一部の卑屈な日本人が作った。自衛隊明記と緊急事態条項は最低限入れるべき。9条2項は国の交戦権を求めると改めるべき。』

 映画では、与那国島の大きなイベント「ハーリー」に自衛隊員も島に住む住民として参加し、それを心から嬉しそうに見守る町長の素顔が描かれている。

 人口が少ない島(わずか1700人)・若者が沖縄本島に出ていく離島の町長にとり、確かに屈強な自衛隊員の存在はありがたいのは良く理解できる。200人の自衛隊員とさらに家族を入れると、島にとり買い物など消費面でも大きな貢献をしている。

 町に入る基地交付金も無視できない。映画では基地交付金については触れてはいないが、恐らく小さな町財政にとり、原発交付金同様、打ち出の小槌になっているだろう。

 日米政府は、対中国の戦略的重要拠点として、与那国島を位置づけている。自衛隊とアメリカ海兵隊の共同訓練がこの与那国島でも行われている。

 本当に台湾有事になれば、島民は九州に避難することになる。国民保護法でそのことが明記され、自衛隊の飛行機や艦船で輸送される計画になっている。

 沖縄戦では与那国島に日本軍が駐屯していなかったので、米軍の攻撃は全くなかった! 軍隊・基地があれば、そこが戦場になる! 沖縄の人々は身をもってそのことを味わった。

 しかし今日、県民の分断が進んでいる。一部の保守的な人々は、日米の軍隊・基地・ミサイルが抑止力となり、自分たちを守ってくれると信じている。

 映画では、自衛隊駐屯地・ミサイル基地・弾薬庫新設に反対する与那国島や石垣島、宮古島の人々が丁寧に描かれている。しかし残念ながら少数派である。沖縄本島のような反対運動は展開されていない。それでも素朴に島の要塞化に疑問を持ち、声を上げる人たちの表情や思いは強く伝わってくる。

 僕は40数回以上沖縄に行っているが、まだ南西諸島には一度も行ったことがない。辺野古や高江の座り込み参加で精いっぱいだ。しかしこの映画を見て、島で声を上げる人たちに直接会って、また島々に展開されている自衛隊基地を自分の目で見たい思いが強くなった。

 今年は自治会の仕事もあり無理だが、来年は是非行きたいと思う。

2024年5月17日 (金)

#5月15日沖縄が日本復帰した記念日、現地では祝う日でなく、米軍に代わり日本政府に支配されるようになった日と位置づけされている

 5月15日は、タイトルにも書いたが、沖縄では祝日でなく、米軍基地を固定化・自衛隊基地拡張・新設、中国との戦争を想定したミサイル基地化、弾薬庫拡充・新設、要するに軍事要塞化を進める日本政府への抗議・怒りを表す日となっている。

 このままでは沖縄が戦場になる! 本土に住むヤマトンチュウ(僕たちのこと)とウチナンチュウ(沖縄の人々)との戦争になるとの危機感の落差は大きい。

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 三上智恵さんの本「戦雲」いくさふむ、を映画化した「戦雲」の上映会が、今日17日から、浜松市のシネマイーラで始まる。全国各地で上映会が開かれ、やっと浜松市でも見れる。

 すでに本は読み終えている。この映画に出てくる与那国島・石垣島・宮古島の軍事要塞化の実体とそれに抗う人々の闘いの様子は、この2月に袋井市役所市民ギャラリーで写真展を開催して、市民に紹介している。

 映画はさらにリアルに迫力をもって、僕たちに訴える力を持っている。今日、映画を見に行きます。

下の写真は市役所での写真展で展示したものの一部です。

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2024年5月14日 (火)

農業・家庭菜園・有機野菜、地方都市の贅沢

 何度か、借りている畑で家庭菜園を楽しんでいる(草刈は大変だが。。。。)様子をブログに書いてきた。5月に入り、本格的に草刈をし、畑を耕し、色々な夏野菜を植えた様子を写真で表します。

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 大好きなゴーヤ。沖縄辺野古に行くと、必ずゴーヤチャンプルーを食べる。健康に良いし、美味しい。酒を飲むのに、ちょうどいいおかずににもなる。袋井でも自分で育てて食べたいと、10数年前からこの時期になると必ずゴーヤの苗を買ってきて植える。失敗したことはほとんどない。

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 パセリ、ナス、ピーマンを植えた畝。これらの作物も、先ずは順調に育ち、収穫を楽しめる。

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 パブリカの苗。昨年初めて植えたら、そこそこ実った。パブリカは大好きなので、成長・収穫が楽しみ。

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 昨年収穫してまだ食べきれていないさつまいもを植えた。通常は苗を植えているが、種芋として自分が栽培したさつまいもの残りを植えた。畝のスペースにゆとりがあるので、苗も近日中に植える。サツマイモも育てるのが楽ちん。先ず、失敗がない。紅芋は美味しい!

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2月にジャガイモを植えた。収穫は6月。ジャガイモも失敗は無いが、大きなジャガイモを収穫するのはそう簡単でない。追肥(油粕)を施し、土かけを何回かしてやらないと、大きなジャガイモにはならない。忙しさを理由に手抜きしているので(今回は1回だけやった!)、さあどうなるやら?

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 たまねぎ。これまで大きく立派な玉ねぎを収穫したことはない。土壌のせいかもしれないし、肥料(鶏糞)の量が少ないせいかもしれない。

今回は2回、鶏糞をまいてあげたが、やはり量が少ない。6がつに収穫するが、結果はどうなるやら、怖い。

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 カボチャの苗。消毒をしないので、葉っぱが虫に食われ、生息吐息の状態。2つ苗を植えたが、もう一つの苗も同じ状態。フローラの液肥をかけてやるとよいのは知っている。3年前に購入した液肥が残っているはずだが、小屋のどこかに隠れてまだ見つけられないでいる。

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 アオジソ。7月ごろになると、昨年引き抜いたアオジソの種子が土の中に残っていて、勝手に芽を出し、成長するアオジソだが、今年は早く欲しいので、苗を植えた。そうめんを食べる時に大活躍。アオジソは手がかからず、ありがたい作物だ。

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 草に埋もれたニンジン。間引きをしていないので、あまり大きなニンジンの収穫は期待できない。そろそろ何本か引きぬく予定。

写真を取り忘れたが、ミニトマトも植えてある。昨日雨がかなり降ったので、しばらく水やりから解放される。無農薬・有機栽培で、自分が作ったものを食べるのは安心だし、満足感が得られる。約65坪の借地代は、年にわずか3000円。地方都市に住んでいると、土地代が安く、周りが緑が多く、都会では味わえない贅沢を味わえる。

2024年5月11日 (土)

認知症との方との対応例

 個人的な体験です。これからも続きます。Aさん。彼とは教員時代からの長い付き合い。彼の義母が認知症だった。奥さんのお母さん。10数年前、僕が主催する集会に、彼は認知証になった義母を連れてきた。

 その義母と会ったのは、その時が初めてだった。挨拶をしたが、うなずくだけ。集会の間、その義母はただ黙って、座っているだけ。後でAさんはこう説明した。彼の奥さんも教員。部活の関係で、休日だが母親を見守ることができないので、Aさんに見守りを託したとのこと。彼の家庭では、日常的に認知症になった母親を外出する際積極的に外に連れ出すようにしているとのこと。

 最初は、家に一人で留守番をしてもらったこともあったが、進行してきて夫婦が外出する際は、どちらかが連れて行くようにしたそうだ。集会に連れてきたのはそのような事情だった。

 Aさんに詳しく義母への対応を聞いた。外食や旅行も必ず、認知症の母親と一緒にしているとのこと。自然に家族が行動されていることを知り、いいなあ、と思った。

 時間が過ぎて、今度はAさんが軽度の認知症になった。互いに退職してから、彼を含む中の良いメンバー計4名とは年に一度食事会をしている。ある時、Aさんが同じことを繰り返し話すようになった。その時はただ加齢による(彼は僕より10歳上)と思った。

 翌年の食事会からは奥さんが同行するようになった。車の運転免許を自主返納しており、この時は温泉に入浴してからその施設で食事会となっていたので、心配だから自分も送り迎えを兼ねて、食事会にも参加したいと幹事役の僕に事前に電話があった。

 今年の食事会も同じ温泉施設で食事会をやったが、奥さん同伴だ。Aさんはにこにこしながら、一緒にふろに入り、食事をし、僕たちと教員時代の思い出や自分の日常を話してくれた。

 同じ話を繰り返すが、それをこちらが我慢すれば、何の問題もない! 奥さんのサポートがあれば、多分来年も食事会で一緒におしゃべりできるだろう。

 4月28日に磐田市で憲法に関係する集会、この時は「戦争落語」の会があった。驚いたことに、Aさんと奥さんが参加していた。ロビーで彼が僕に話かけた時、マスクをしているのでAさんとは分からなかった。すごく元気そうで、健康そのもの。すごいことだと思う。Aさんの奥さんは、自分の母親に対してしたように夫にも対応している。散歩も必ず一緒に毎日やっているとのことだ。

 親戚のBさんが最近認知症になった。去年あたりから症状が出てきたそうだ。コロナ禍もあり、ここ4年は一緒に食事会がやれないでいる。今年こそやりたいと電話したが、先方の家族は消極的でまだ実現できていない。残念。

 同じ町に住むCさん、Dさんとは、路上で会話をしただけの体験。かなり進行していて、明らかにかなり進行した認知症だとすぐわかった。積極的に僕のほうから話しかけた。会話が成り立たなかったが、相手の話すことにうなずき、ちんぷんかんな会話に付き合った。

 その後お二人は施設に入り、お会いできていない。

2024年5月 9日 (木)

#認知症 2040年に584万人 認知症について考える 自分・家族・社会の幸せ

 軽度認知障害も含めて、2040年今から16年後には、日本社会は584万人が認知症を抱えた高齢者社会になると、厚生省が8日に公表した。65歳以上の3人に1人の割合の数字になる。

 僕はある意味、超高齢化社会になるとこれは別に不思議な数字ではないと思う。悲観する必要もない。大変だ!、とは思うが、どう対処するかが大切。

 認知症と向き合う=正しく認知症を理解する=本人・家族・地域社会が認知症を受け入れ、個人の尊厳を大切にする・その人のやれることを最大限やってもらう、恥ずかしいとの誤った観念を捨て、自分は・家族が認知症だと堂々と告白し、うまくやれないことを周りの人に支えてもらう、こうしたことを自然にやれるようにすることが、対策だと思う。

 もちろん、認知症にならないように先ず個々人が努力することが一番大切だ。75歳以上になると誰でも認知症になりうる。80歳以上だとその確率が高くなることを自覚する。

 家にこもらず、出来るだけ外に出る。他者と会話する。社会的なつながりを持つ。家庭・地域で置かれている環境でやれることを見つけ、自分から積極的に進んでやれることをやる。

 車の運転、家事(洗濯、料理、食器洗い、庭いじり、掃除、風呂洗い、窓ふき、買い物などなど)、地域の集まり(会合、公園の草刈などなど)、地域の公民館で行われている講座・健康体操などにも参加する。

 公職は無理してやることはないが、順番で回ってくる自治会の班長ぐらいは引き受ける。ボランティア活動もよい。新聞・テレビ・ラジオ・音楽も脳の刺激に良い。

 要するにできることをやる。認知症になっても、出来ることはいっぱいある。周りはそれを奪わない。できる限り、本人にやってもらう。認知症になった人に助けてもらう!

 次回は認知症になった僕の周りの人たちと、僕の対応について書きます。

 

2024年5月 5日 (日)

#5月3日憲法記念日落合恵子さん講演会レポート

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 袋井市月見の里うさぎホールは、ほぼ満席約380人のご来場があり、ミニコンサートや憲法前文唱和の後、落合恵子さんは約1時間45分、「ここから、いまから、『わたし』から」と題してお話してくださった。

 心にしみる感動的なお話、冒頭での鋭い現政権への批判、憲法への想いなど、参加者一同うなづきながら聞き入った。多岐に渡りお話しされたので、メモを基に箇条書きでレポートします。

・自身の髪型について。ポスター・ちらしでも長い髪(やんばると彼女は言われた)だったが、今は短くした。トレードマークのように長くしていたのは、深い理由が有ってのことでなく、母の介護で時間がなく、長くしていただけ。利点は帽子がいらず暖かかった。切ったら涼しく感じられ、今日は帽子をかぶってきました。

・言葉は思いを伝える大切なもの。しかし、政治家の言葉は軽い。

・突然の知事選で、静岡県は今、大変ですね。リニア、原発、いらないですね。

・能登半島地震で、志賀原発が動いていたら大変なことになっていた。地震が多い日本で原発再稼働の政府はおかしい。珠洲原発建設計画を止めた珠洲の人達は立派。あそこに原発があれば、大惨事になっていた。

・会場の人達に手を上げてもらって、年代ごとの参加者を確認された。20代、30代、40代は少ない。60歳代、70歳代が圧倒的。80歳以上の方も、中には90歳代の方もおられた。80,90歳代の方に、「戦争を知っているあなた方は、やはり戦争は絶対にダメと伝えてください」と。

・私は今、79歳。1945年生まれ。第9条のおかげで、戦争がなく生きてこられた。憲法9条にありがとうと感謝したい。

・アメリカの作家の言葉に、「私から年齢を奪わないでください」がある。生きて、生きて、生きて、獲得した年齢。(僕の解釈――色々苦難があったが、それを乗り越え、ここまで周りの支えもあり、生きてこれた。この年齢まで生きていることに感謝しよう。ありがとうと、親や家族、周り、自分に感謝。年齢に誇りを持ちましょうと、落合恵子さんは80歳以上の方たちを励ましてくれた。)

・今、この瞬間にもガザの子どもたちの命が奪われている。(この文脈のお話はキチンとメモしてないので、レポートは不十分です。すみません)

・政治家は税金を使ってこの連休に海外に行っているが、その金は庶民のために使うべき。つつましい生活をしている人たち、介護の現場を政治家は知らなすぎる。能登半島の被災者の現場に足を運ぶ、税金をその人たちのために使うべきだ。

・日本の政治はひどい。平和主義の憲法を持ちながら、軍拡を進め、敵基地攻撃能力保有のためアメリカからトマホークを爆買いする。しかし、この現状に、あきらめたら終わり。おかしいことはおかしいと声を上げることが大切。

・私の母は、1人で私を生んだ。当時母は22歳。母のプライバシーもあり、どうして父と分かれたのかは聞かず分からないが、必死に生き、働き、私を育ててくれた。

・私は母が大好きで、小学生の時に作文で母について書いたら、それが金賞となり、校長が児童のまえでその作文を読んだ。すると、その後周りの友達の私を見る目が変わり、友達があってくれなくなった。差別、いじめだった。

・私が14歳になって、どうしてお父さんがいないのと尋ねたことがあった。母は、大好きな人と大好きな人が出会って、貴方が生まれたのよ、と答えてくれた。私はそんな母が大好きです。自分で言うのが恥ずかしいが、母を尊敬している。

・この国は、生産力がある人を大切にし、老人を大切にしていない。高齢者に優しい社会は、子どもにも優しい社会になる。

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.上の本を紹介しながら、人はつらい時は思いっきり泣いたほうが良いとのお話。小説との文脈はしっかりメモを取っていないので、うまく説明できない。この本の紹介で心に残る言葉ーー人生は1冊の本。だれの人生も1冊の本になる内容の人生がある。

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・アフリカ系アメリカ人の絵本を落合恵子さんが翻訳された本の紹介。ママが子どもに、生きるルールを教える。お店でガムを買ったら、レシートを捨てずに持っていなさい。(万引きの疑いを晴らすため。)ポケットに手を入れてはいけない。(銃を隠くし持っていると疑われるから)ジャケットのフードをかぶってはいけない。(怪しい人間だと疑われるから)

・上の絵本を理解するために、詩人の石川逸子さんの作品「風」を紹介してくれた。【遠くの出来事に、人は美しく怒る。】 しかしと落合さんはこう話された。私たちは近くの差別には黙る。いつか在日の人達のことを絵本にしたいと思っている。

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・この本の紹介で「わたしを生きる」という言葉が強く心に響いた。自分を生きる。(いつわりの人生、自分が本当にやりたいことを出世や打算・利益のためにあきらめ、自分を偽る人生でない生き方)

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・落合さんは福島への思いが強い。福島原発事故以来、「いいね」という原発問題を扱う本を採算を度外視して、70号まで出しておられる。講演では、アルプス処理汚染水について話された。

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・メモ無しなので、説明はできません。しっかり本を読みたい。

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・このCD付絵本は、クレヨンハウスが東日本大震災・原発事故で被災した福島県の子どもたちを応援するために出版した。落合恵子さんは、作詞・新沢としひこ、作曲・中川ひろたか、編曲・クニ河内のCD「空より高く」を高く評価して、この本を紹介ししてから講演の最後に、CDを会場に流してくれた。色々な人に思いを寄せるため、心を空より高く、海より深く、つまり広い心を持ちましょうとのメッセージと受け止めた。この本の売り上げの一部は福島の子どもたちに送っているとのこと。

*会場で書籍販売をしたら、送られてきた本85冊のほとんどがなくなり、残部はわずか7冊。落合恵子さんはサイン会で購入者と笑顔で話されながら、丁寧にサインをしてくれた。

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落合さんの人柄に触れるとても良い講演会でした。

 

2024年5月 2日 (木)

花博 色々な花を見ての感想と、ある考察

 花博で色々な花を楽しみながら、不思議な想いをしている。「きれい!」と感動する。来てよかったと満足感を得る。しかし、その感動や満足感はその日は残っても、消える。花の命は短いが、感動や満足感も永続少なくとも数週間や数年も続かない。

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 フラワーパーク、ガーデンパーク共に、見事な花を用意して、来場者を楽しませてくれている。花を植え、手入れや作業をしている職員の苦労も良く理解できる。お金も相当かかっているだろう。

 この場に身を置き、感動し、喜び、来てよかったと大きな満足感を得る。しかし、それはその時だけ、あるいはその日だけで、続かない。それは何故だろうと、不思議に思う。花の鑑賞体験をしているが、その体験から得る深い満足感の記憶が続かない。

 それは何故だろう。色々考えた。絵画や彫刻など、美術館で見た体験の満足感・感動も続かない。人間の深い感動や満足感は、見るだけではダメだと気付いた。自分の体を使い、労力を使い、頭を使い、主体的に何事かをやる体験、そこから得るものは、忘れることはない。いったん忘れていても、思い出す。満足感は消えない。

 花を見る・楽しむ喜び、感動そのものは、何度も体験したい。人生の楽しみ・喜びの一つである。

 

 

2024年5月 1日 (水)

#浜名湖花博2024 浜松市フラワーパークの藤の花

静岡県と浜松市の協働事業として、3月23日から6月16日まで(浜名湖ガーデンパークは6月2日まで)、浜名湖花博2024,が開催されている。妻が花が大好きなので、ガーデンパークのパスポート券を購入し、これまで3回行ってきた。フラワーパークのほうは2回。

 29日撮影した花の様子。最初は浜松市フラワーパークのものです。

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 ちょうどフラワーパーク理事長・塚本こなみさんの「藤の世界」と題するトークをやっていた。藤色、紫色の藤の花の魅力を角度から(紫式部の時代、学問的、栽培方法、足利の藤園との違いなど)、豊富な知識と体験に基ずくお話を聞かせてくれた。

 藤の漢字から藤原姓が日本に多いことの関連にも話題が広がった。佐藤という姓名にも藤が使われていると。要するに、彼女が言いたいことは「日本人は藤の花、藤色が大好き」ということだ。

 言われてみると、赤やピンク、白、黄色の花も素敵だが、藤色の花は品が良く感じられる! 高貴な色とも言える。山に自生する藤について、面白い話をしてくれた。藤の木のつるは丈夫で、古代から大きな石が運んだりするのに、綱(ロープ)として使われてきたそうだ。

 ツルは他の木に巻き付き、木を絞め殺すとも。自然の山では、上に伸びないと花は太陽光の恩恵を受けることができない。そこで、藤の成長は早いそうだ。確かに近所の山の藤は高いところに咲いている。つるが他の木に絡まっている。

 昔の人達は自然界の物を上手に利用してきた。藤のつるの皮から丈夫な繊維が取れる。藤の繊維で布地を作り、色々な服も作ってきたそうだ。

 今が見ごろです。他県の人達にお勧めのホットスポットです!

 

 

 

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