#沖縄辺野古現地からのレポート 1
昨夜遅く、那覇に着き、レンタカーで午後11時半過ぎに何とか無事に宿舎の辺野古集落入り口にある「平和サポートセンター」が運営する宿所「クッション」にたどり着いた。主の稲葉さんが寝ていたので、電話で起こし中に入ることができた。
今朝23日、琉球新報や沖縄タイムスを読んだ。3月23日は、80年前、米軍が沖縄戦の端緒を切った記念日であり、本格的沖縄攻略の前哨戦として、南西諸島や慶良間諸島、沖縄本島にも空襲攻撃を仕掛けた日であることを、地元の新聞はきちんと伝えている。
沖縄本島に上陸すると思っていた慶良間諸島の日本軍は、住民に手りゅう弾を渡し、米軍が島に上陸して来たら、潔く自決するように伝達した。さらに那覇の首里城地下司令部の32軍司令官は、敵に特攻攻撃(飛行機と水雷艇)を仕掛ける様に命じた。これがその後の日本軍による自爆攻撃=特攻攻撃の始まりであったと、地元紙は伝えている。
現地に身を置くと、豊富な沖縄戦関連や米兵犯罪・基地問題の情報が自然に入ってくる。22日は米兵の飲酒運転があり、沖縄県警が逮捕したことも報道されている。
今ブログを書いている「クッション」の宿泊人から貴重な話を聞いた。
僕に復帰前の沖縄の状況を話してくれた方は、宮古島に生まれ、那覇市近郊の西原に住んでおられる方。年齢は70歳ぐらい。朝食を食べながら、テレビが大相撲のニュースを伝えていた。自分たちは復帰前に、このような大相撲ニュースに触れることはなかった。学校の教育は日本語教育であり、本土と変わりなかったが、当時沖縄はアメリカが支配していたので、NHKの放送は禁じられていたので、全く大相撲の中継を見たことが無かったそうだ。
植民地支配は、文化も遮断する。今までそのような話を聞いたことが無かったので、本当に驚いた!
トイレに掲示されている表示がユニークだ。宿の主のメッセージです。




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