#憲法記念日に改めて、戦争放棄・武力による威嚇・武力行使はしないと誓った日本国憲法第9条を考える
今日5月3日は、憲法記念日。平和憲法が施行されたのが、昭和22年(1947年)5月3日。それから78年目を迎える。おりしも僕はその年の5月に誕生した。5月25日に78歳になる。
いわば憲法と共に生きてきた形になる。もちろん、そのような自覚は、少なくとも高校生までは無かった。しかしベトナム戦争が始まり、高校の授業で憲法を学び、【 これが日本の生きる道=国のカタチ、僕らは2度と戦争をしないと誓った国民だ。この憲法は素晴らしい! 】と素朴に思った。
大学生になり、ベトナム戦争が激化、アメリカの空爆が激しくなり、まさに目の前で人々が殺される・傷つく、村が焼かれる,街が破壊される、兵隊が死んでいく現実を、新聞・テレビで見て、反戦思想(優しい言葉では、戦争はイヤだ、戦争はダメ、ヤメロ、してはいけないとの思い・考え)を深く自分の生き方にまで持つようになり、今もその気持ちは変わらない。
1971年に高校教員になってからも、教室では一貫して「平和憲法の理念・戦争を放棄した9条」について、語ってきた。退職後も、市民運動で、その姿勢(生き方)を継続している。
袋井市で5月3日に、「憲法記念日袋井市民のつどい」を継続しているのも、その一貫・延長である。今回で37回目となる「市民のつどい」に、弁護士・新外交イニシアティブ代表の猿田佐世さんを迎える。
昨日彼女から送られてきたパワーポイントの内容(レジュメ)を、メンバー3人で印刷し、ホッチキスで閉じる作業をした。講師とのやり取り、袋井市・教育委員会・新聞社の後援どり、会場とのやり取り、駐車場の確保、チラシ作成・宣伝など、あらゆる準備作業を、メンバーと共にやってきて、今日午後、本番を迎える。
頭の中で、今日の集会であいさつをする内容をどうするのか、あれこれ思いを巡らせている。言葉という形にまとめる必要性に迫られている。
『 今、私たちは残念ながら戦争に時代に生きている。テレビや新聞報道・SNSを通してだが、目の前で、ガザの人々が殺され、傷つき、住む家を破壊され、学校や病院などもミサイルなどで攻撃されるのを見ている。
ウクライナもそうだ。本当に胸が痛む。イスラエルやロシアの戦争指導者には腹の底から怒りが沸く。被害者の泣き叫ぶ映像に、心が痛む。悲しい。何もできない=傍観しているしかない現実が悲しい。
この戦争をきっかけに、世界は軍拡が進んでいる。国を守るには、軍事力増強=より破壊的兵器生産・保有、そのための予算つまり国防費をGDP(国民総生産)の2%以上にする流れになってきた。
日本でもまさに戦争の準備をしている。弾薬が足りない・戦争を継続するため、備蓄する保管庫を国内特に沖縄にどんどん作っている。与那国島・宮古島・石垣島など南西諸島の住民を九州や山口県に避難させる、国民保護計画が策定され、その訓練まで実際に沖縄の離島では実施されている。
中国の戦闘機や軍艦・潜水艦などをまずは探知し、攻撃破壊できる能力さらにその出撃拠点を破壊できる敵基地攻撃能力=長距離ミサイルの製造・保有を、本格的に進めている。
物価高騰で国民生活は苦しくなっている現実がありながら、軍拡の予算が膨らみ、5年間で43兆円もの税金を軍事費に費いやすと政府は発表している。
おかしい。戦争をしない、国際紛争を解決する手段として武力による威嚇・武力の行使は永久にしない、との規定がある憲法がありながら、やっていることは憲法無視・破壊だ。
しかし、この日本の現実を、おかしいとも思わなくなっている人々が増えているのも日本の現実です。ロシアの脅威にヨーロッパの国々も軍拡をしている、中国の脅威に日本も軍拡するのはやむを得ないと考えている人々が増えている感じがします。
これでよいのだろうか? 軍拡が、軍事力増強が、平和を守らないのは、歴史が示している。冷静に、歴史を振り返り、原点、つまり憲法9条の規定に立ち返って、日本は戦争でなく平和外交で国を守る道を模索すべきだ。』
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