5月3日、私が代表を務める”憲法記念日袋井市民のつどい実行委員会”主催、袴田ひで子さん講演会を、袋井市教育会館4階大会議室で行われた。今回で38回目。
当初200名ぐらいを予想し、イスや受付が配布資料を200としたが、約250人の参加をいただき、イスや資料が足らなくなり、申し訳ない事態になった。お詫び申し上げます。



予想以上の来場者だけでなく、袴田巌さんが会場に来て下さり、あいさつをするハプニングもあった。挨拶をされるときの巖さんはもっと良い表情をされていたが、撮りそこなかったので、上の写真はひで子さんのお話を眠るように聞いている巖さんです。
ひで子さんは本当に元気はつらつで、講演会終了後よせられたアンケートの多くは「ひで子さんに元気をもらった」と書いた人が多かったです。
イスが足りなくなり、僕もずっと立ったままだったので、下記の質問に対するひで子さんのお話のメモを取れませんでした。印象に残ったひで子さんのお話を紹介します。
袴田ひで子さんに話していただくための質問へのお答え
1)全く関係ない一家4人殺害・放火事件に巻き込まれた家族として、裁判が始まる前までのお話をしてください。
【 巖が働いている工場での事件に驚いたが、巖がそんなことをするはずがないと思ったので、最初は関係ないと思った。しかし、その後新聞報道で、巖が疑われているのを知ったが、それは従業員全てだろうと、特に心配しなかった。浜北の実家に巖が時々帰ってきたが、特に変わった様子もなく、家族は安心していた。ところが巖が逮捕されたと報道で知り、これは大変なことになったと思った。】
2)逮捕されている清水署で、弟の巖さんに面会した時の巖さんの様子、その時の
ひで子さんの感想を思い出す限りお話し下さい。
【 巖は元気そうで、自分はやっていないと話し、母と一緒に面会したが、私たちは巖から元気をもらった。】
3)巖さんが犯人にされ裁判で有罪になった証拠は警察による捏造でした。家宅捜査を含め、証拠捏造についてお話し下さい。
【 5点の衣類が発見されたが、DNA鑑定で巖の血液が検出されず、安心した。(竹野補足 この鑑定は再審公判で出されたものです。浜北の実家に警察が事件から1年以上経ってから、ミソ樽から血染めの5点の衣類発見後、家宅捜査に入り、タンスからズボンの切れ端が出てきたことには、ひで子さんは触れませんでした。)】
4)1968年9月11日、静岡地裁で、死刑判決が下った際の心境はいかがでしたか。5)死刑判決の2か月後、お母さんが死亡され、さらに翌年お父さんが亡くなられた際のお気持ちをお聞かせ下さい。
【 巖がやってもいない事件で死刑判決が出て、母は大ショックで元気を失い亡くなりました。私は母親への親孝行として、絶対無実を晴らさなければと自分に誓いました。】
6)死刑判決を下した熊本典道裁判官が退職してから、2007年に語った
「自分は巖さんはやっていないと思ったが、他の2人の裁判官が犯人だと判断し、多数決で死刑となった。主任裁判官の自分があのような判決文を書かざるを得なかったことを悔いている。袴田さんに申し訳ない」という言葉を、新聞などで知った時のお気持ちと、その後ご本人に面会された時のことをお話し下さい。
【 熊本さんに九州まで会いに行き、ご本かどうか確認してその話を直接聞き、本当にうれしく思いました。】
7)ひで子さんが勤めていた会社の社長や社員は、ひで子さんに理解があったそうですが、世間の目はどうでしたか? 新聞・テレビ・週刊誌が、袴田巖さんが強盗・放火・一家4人殺人事件の犯人と騒ぎ立てたので、さぞつらい思いをされたと想像します。そのころのお気持ちを話してください。
【 私は嫌な報道を見たくも聞きたくもなかったので、死刑判決後は一切報道に接していません。同級会にも行かず、世間から自らを閉ざす生活をしました。酒を飲むようになり、アルコール中毒寸前になったこともあります。】
8)色々な方や団体が裁判の支援をしてくださり、それが完全無罪判決に繋がっていると思います。裁判支援についてお話し下さい。
【支援はありがたいです。浜北市の渥美さんが署名活動などをやってくださり、励まされました。再審開始から全国的に支援の輪が広がり、そうしたことが無罪判決につながったと思っています。】
9)巖さんの拘禁反応や巖さんの様子についてお話し下さい。
【 最高裁で死刑判決が確定してから、独房に移され、巖が変な事を言うようになりました。それは、釈放後も変わっていません。家に戻った当初は、家の中をぐるぐる歩き回っていました。そのうち一人で外を歩くようになりました。最近は足が弱り、支援者の車でドライブをしています。食事は何でも食べています。】
10.再審から完全無罪判決まで長い時間がかかりました。再審請求してから
2025年静岡地裁で完全無罪判決を勝ち取るまでの長い裁判闘争について
お話し下さい。
【 本当に長い時間がかかりました。再審がもっと早く開かれていたらと思います。】
11.日本国憲法とひで子さんたちの闘いの関連について質問します。私たち“憲法
記念日袋井市民のつどい実行委員会“では、ひで子さんたちの闘いを、憲法
11条・13条で保障された「生命、自由、幸福追求という基本的人権」を
勝ち取る闘いだったと認識しています。また12条では「この憲法が国民に
保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければ
ならない」と書かれていますが、ひで子さんたちはまさに血のにじむ思いで
頑張り、死刑囚の恐怖から解放され、自由と人間の尊厳を勝ち取り、基本的
人権を回復されました。すごいことだと頭が下がります。
これまでの長い闘いを振り返って、憲法を意識されたことはありましたか。
【 無罪を晴らすのに必死で、憲法を読んだこともなかったです。憲法に書かれていることを国はその通りにやってもらいたいです。】
12.最後の質問、再審制度見直しについてです。巖さんの無実を晴らすのに長い
時間がかかったのを教訓として、今、再審制度見直しが大きな問題となってい
ます。
ひで子さんは色々なところに出かけ、再審制度見直しを強く訴えておられま
ますが、改めてお考えをお話し下さい。
【 巖は無罪になるまでこんなにも時間がかかりました。法務省の案でなく、検察の抗告を禁止して早く再審裁判ができる様にしてほしいです。証拠も全て出すようにしていただきたいです。】
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