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経済・政治・国際

2017年9月22日 (金)

衆議院解散総選挙は党利党略許されない暴挙

 突然の安倍首相=自民党による衆議院解散・10月選挙の話。誰の目にも、大義なき、党利党略の打算が働いた選挙だ。
 選挙費用が約600億円。先日の袋井市議会総務委員会で、原田市長も「忙しいなか行政としても準備しなければならないし、迷惑に感じている。」と、あいさつの中で述べていた。
 8月に内閣改造を行ったばかり。”仕事人内閣”が、仕事もせず、解散とはあきれる。
 北朝鮮のミサイル・核兵器開発の脅威をあおり、民主党が離党者続出・党内ごたごた、野党共闘に消極的な党首誕生、森友・加計疑惑逃れの好機=今だ!チャンスだ!と、計算したのだろう。
 この国政の私物化に、国民=主権者である我々がどう対応するのかが問われている。

2017年9月14日 (木)

2017年夏 韓国レポート 最終回 写真編

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2017年夏 韓国レポート 最終回 文章編

 韓国の旅で報告したいことはいっぱいあるが、今日で議会一般質問が終わり、その報告やら他に書きたいことがたくさんあるので、ここらで一区切りにしたい。
 例によって写真と文章を掲載しようとしたら、全部消えてしまった。文章と写真編の2回で終わりとしたい。
 27日、タブコル公園を久しぶりに訪れた。ここは1919年3月1日、日本の植民地支配から独立しようと、この地で独立宣言をした場所として有名である。僕は1995年8月15日、日本から解放されて50年の節目の光復節の日に、友人のユンさんと共にここを訪れている。
 政府主催の大きな式典は景福宮前で行われ、そこにも参加したが、タブコル公園での民衆レベルの催しのほうが、喜びを爆発させているように感じた。
 その後何度もここを訪れている。日本人を見かけたらこの公園の案内をしている柳(ユ)さんとは2回この地で会っている。
 今回久しぶりに訪れて、驚いたことがある。朝早く行ったので、門は閉じられていた。以前は自由に入れたと記憶している。大通りから見えない公園の塀のあたりに、いわゆるホームレスの人たちを10数人見かけた。朝からマッコリを飲んでいる人もいる。
 韓国の経済発展は著しいが、同時に格差も生み出している。9時に開門となったが、その人たちは中に入ってこない。公園の中はきれいに整備されていた。以前はお年寄りがたくさん集まり、将棋をさしたり、だべったり、木陰で休んでいたりと、とにかく老人が集まる公園だったが、今はその面影が全くない。
 
 豊かになった老人たちは、なにもここに集まらなくても行くところはたくさんある。地下鉄やバスは無料となっている。
 僕は独立宣言の碑を見ながら、沖縄に思いを寄せた。大和政府による強権支配から、沖縄の自治・独立を願う人々が増えている。
 民主主義による選挙で選ばれた知事・国会議員・市長が、辺野古新基地建設反対を訴えても、全く耳をかさない日本政府。植民地支配と同じ構造に置かれている沖縄の人々が、独立を志向するのは当然だと思う。
 タブコル公園には独立闘争の過程で日本軍に弾圧され・殺されるレリーフがたくさんあり、僕はそれらを丁寧に見ながら、再度沖縄に思いを寄せた。辺野古キャンプシュワーブゲート前での、また海上での権力による弾圧は、このレリーフのように残虐ではない。
 しかし、いつか本当に独立を求める大きな運動が盛り上がり、集会やデモとなった時、どうなるだろうかと恐ろしくなった。
 25日、ヨンイン市の法輪寺訪問についてはレポートしたが、午後他に3か所見学した。1つは、農村体験施設。大都会ソウルの子どもたちに自然や農村の生活、生き物・作物などを見学・体験させる施設だ。
 ここから寝姿の仏で有名なお寺に行こうとして、タクシーを施設の人に呼んでくださいとお願いしたところ、タクシーがここまでは来てくれないと分かり、その事務職員が自分の車でお寺まで送ってくれた。カムサハムニダ!
 寝姿の仏さんのお寺の門前に高級なレストラン(カフェ)があり、しばらくそこで休憩した体験。
 中年の奥さんたち4名が、楽しそうに食事をしながらしゃべっている。都会から車でこの地に集まり、食事と会話を楽しむ光景を見て、韓国の豊かさを実感した。
 最後はエバーランドにあるホアム美術館を見学。サムソンの創始者が立てた美術館。広い庭園が立派。落ち着いた雰囲気。ソウルの喧騒から逃れ、心を洗うことができるところだ。
 この美術館のさらに奥にゴルフクラブがあり、入ってくるのは高級車ばかり。サムソンの関係者なのかな?
 エバーランドは遊園地。夏場は夜でも営業している。僕が帰るのと入れ違いに、大勢の家族連れがやってきた。
 北朝鮮との緊張はみじんも感じられない普通の週末(この日は金曜日)の光景だった。

2017年9月10日 (日)

韓国レポート その7 写真編

 カンキホンさんの続きを写真でレポートします。
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韓国レポート その7 知人カン・キホンさん

 8月26日、ソウル市庁地下鉄駅で、知人のカンキホンさんと待ち合わせをして、近くの食堂でお昼を食べながら色々なお話をした。
 彼とは4年前の第5次21世紀の朝鮮通信使友情ウオークで、静岡から東京まで一緒に歩いて親しくなった。東京にある韓国文化院の院長、さらには韓国観光公社の副社長を歴任され、退職してからのウオーク参加だった。日本語が堪能で、日本人の友人・知人も多い。
 大統領をめぐる韓国の激動について尋ねたら、彼もろうそく集会に何回か参加したとのこと。パククネ元大統領やサムソントップの逮捕、さらにサムソントップへの有罪判決に対し、それは当然、国家に損害を与えたと、明快な答えが返ってきた。
 北朝鮮との緊張について尋ねると、「我々は慣れている。これまで何度も北朝鮮の挑発があった。しかし戦争になるとは思っていない。」と、これまたさばさばした答え。
 僕が彼との会話で驚いたのは、カンキホンさんは日本に徴用され亡くなった身元の分からない韓国人の遺骨返還運動に関わっていたことだった。
 今年8月に、東京東村山市にある国平寺に安置されていて身元が分かった遺骨が、韓国に里帰りし、カンキホンさんはその式典に参加されておられた。写真を見せてくれたが、雨の中、そのセレモニーが執り行われていた。
 国平寺の住職は、北朝鮮籍とのこと。機会があればその寺を訪れ、住職にお会いしたいと伝えたところ、後日メールでその資料が送られてきた。
 25日にヨンイン市にある法輪寺を訪問し、帰郷祈願碑にお参りしてきた話と、黒田福美さんのことを話した。
 すごく興味を持ってくれ、その場でスマートフォンを取り出し、黒田福美さんのフェイスブックにアクセスし、確認。10月の法要のことも調べてくれた。是非行ってくださいとお願いした。
 韓国でヒットしている長崎軍艦島の映画のことも話題に上った。僕は24日夕方宿の近くの映画館でその映画を観た。フィクションと歴史的事実が入り混じる映画だが、フィクションのほうが多い。スリルとアクションに満ち、上手に作られれているが、誤った認識がされないか心配になる映画でもある。
 このことを彼に伝えると、「韓国人は映画はフィクションであることを理解している。自分も観たが、娯楽として見ている。」との答えが返ってきた。
 ソウルに今年できた徴用工の像を見たいと伝えると、帰りの電車の途中駅(ヨンサン駅)広場にあるから、一緒に行こう、自分もまだ見ていないと、うれしい提案。
 真新しい像は、ヨンサン駅広場のバス停近くに立っていた。このあと続編で写真をアップします。
 今、日本と韓国政府の間で、この問題がホットになっている。日本政府は解決済みの立場だが、僕はそうは思わない。個々の被害者及びその遺族に、日本政府としての謝罪と補償がなされていないからだ。
 これは軍慰安婦・日本軍兵士として死亡した人々に対しても、日本政府の立場は一貫して冷淡だ。
 国家の政策として筆舌に尽くしがたい苦痛と被害を与えたことを、まずもってその責任を認め、謝罪し、補償するのはまっとうな国家として当然なすべきである。
 それをせずに、逆にその歴史的事実をゆがめる発言を政治家がやっている。教科書からもどんどん記述が少なくなっている。日本の裁判所は被害の事実は認めるが、政府に補償・謝罪をしろとの判決は出さない。この種の裁判では、全て原告が敗訴。
 このようなことを繰り返すから、日本と日本人は信頼されないと思う。この点、ドイツを見習うべきだ。
 

2017年9月 8日 (金)

韓国レポート その6 続き 写真編

 黒田福美さんの取組が、朝日新聞8月25日付け夕刊が報道している。それを読んでくれたら、理解が進む。
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韓国レポート その6 黒田福美さんの努力と熱意・思いを現地で想う

 日本の負の歴史はたくさんある。さらにその被害を受けた国・人々は多岐にわたる。歴史に向き合い、間違いを認め、謝罪し、補償し、その間違いを繰り返さないために、教科書にもきちんと書き込み、日本の未来を担う子供・生徒たちに伝える・考えさせることは、とても大切だと思う。
 日本会議に連なる政治家や学者・評論家などが、「それは自虐史観。教科書検定を厳しくし、青少年に日本の歴史に誇りを持たせるべきだ」、と主張し、残念ながら彼らの意図が教科書や教育委員会に反映している。
 負の歴史・事実を伝える教科書を採択した私立学校に、組織的に抗議が集中する時代になってしまった。(灘中・高)
 軍慰安婦や強制連行問題は解決済みと、日本政府は主張するが、韓国を訪れると全く違う。
 このレポート6では、日本の植民地時代に日本兵または軍属として戦死・刑死した韓国人の霊を慰める「帰郷祈願碑」を建てた黒田福美さんの努力・熱意・熱い思いを、現地で見てきた報告をしたい。
 写真を入れると記事が全部消える恐れがあるので、写真は後でアップ。
8月25日、僕はその碑がある法輪寺へ向かったが、まずその前に韓国の人が黒田福美さん及びこの碑のことをどれぐらい知っているか23日二人の人に尋ねた。一人は知人のチェヨンウさん。夜食事をともにし、この寺の話をしたところ、彼は碑のことは知らなかったが、黒田さんと法輪寺は知っていた。
 もう一人は、韓国観光公社の日本語対応の職員。法輪寺はソウルから南のヨンイン市にある。行ったことがないので、法輪寺の情報を含めて他に見るべきところの情報を得るために、観光公社を訪問した。
 彼女は黒田さんを知っていたが、碑のこと・法輪寺は知らなかった。しかしネットですぐ調べてくれ、タクシーの運転手にこれを見せろと韓国語で書かれた法輪寺の案内をコピーしてくれた。
 さらにヨンイン市の地図(日本語で書かれている)もくれた。この地図のおかげで、法輪寺だけでなく、他に3か所も見学できた。
 さて、法輪寺は立派なお寺だった。事務所を訪れ、碑を見たいと告げたが、応対してくれた方は英語も日本語も通じない。僕は韓国語ができない。資料を見せ、こちらの意図は理解してくれたようだが、どこかに電話し、対応に困っている様子。
 10分ほど待って、事務所の女性がお寺を案内してくれた。すぐ碑のところに行かずに、本殿やお寺の創始者の慰霊堂など3か所を見せてくれた。
 中に入り、まず韓国式の拝み方を教えてくれた。3回、頭を床につけ拝む方法だ。まず立ったまま拝み、座って頭を床に、両手を前に添え拝む。立ち上がってそれを繰り返す。彼女と一緒にそれを三か所でやると、互いに親近感がわいてきた。
 お寺の内部の装飾や彫刻・絵、もちろん仏像は立派だった! 僕は時間をかけ、それらを見学させてもらった。内部は写真撮影禁止。
 お寺の素晴らしさを身振りで彼女に伝えた。外に出て、お寺と自分を写真に撮ってもらった。
 最後に碑があるところに案内。 そこはお寺の駐車場の下に公園のようなきれいなところがあり、そのはずれに碑があった。しかし案内が無ければ、誰も気づかない。
 その碑は、黒田福美さんのフェイスブックにあるように倒されていた。地面に寝た状態。落ち葉も少し降りかかっていた。
 僕は盛んに身振りで、この碑は本来建っているべきだと彼女に伝えた。この碑の由来を日本語とハングルで書いた掲示板があった。さらに寝かされた碑とは別に戦死者の霊を慰めるモニュメントもあり、僕は手を合わせた。
 日本兵・軍属として戦死された方たちは、日帝に協力した親日派として、韓国社会ではきちんと戦争犠牲者と位置づけされていない。
 黒田福美さんは、この扱いを悲しみ、故郷を思いながら異国で死んでいった韓国人の霊を慰める慰霊の建立に奔走された。
 しかし、紆余曲折の末、法輪寺の住職の理解でこの地に建てることができたが、このような碑を建てるのはけしからんと倒された。それでこの碑は寝た状態になっている。
 黒田さん・その碑が慰める霊の哀しみを、複雑な感情で想った。韓国の人々に理解してもらうことの大切さを考えた。僕ができることは、知人の韓国人にこの碑の存在を伝えること。彼らの手で世論を高め、碑が元通りになるように、側面から努力したいと思った。
 この後お昼の時間となり、昼のサンドイッチをあらかじめ買ってあったが、彼女は身振りで食堂で食べましょうと誘ってくれた。
 以前韓国のお寺を訪問した時、訪問者は誰でもお寺が提供する食事をいただけるのを知っていたので、彼女と一緒にいただいた。日本でいえばバイキング方式。各自順番に食べたいものを盛り付ける。
 美味しかった! 葉っぱの天ぷらがことのほか美味しかった。マシイッソヨ! 僕を案内してくれた女性はとても優しそうな方で、色々話をしたかったが言葉ができないのが本当に悔やまれた。韓国語をしっかり勉強しなくちゃ!
 

2017年9月 6日 (水)

韓国レポート その5 水曜集会 続き

 写真の説明と8月22日水曜集会に参加した感想。
昨年と雰囲気は全く変わっていた! 参加者の多様化と国際化、明るい雰囲気が今年の特徴。もっとも1日だけの参加なので、断定できないが。。。。。。
 雨にも関わらず、150名ぐらいの人が参加。修道女の姿と外国人ジャーナリストの姿が目立った。
 香港からと日本からの参加者がステージで挨拶。若者グループによるダンスパフォーマンスや別のグループによる歌もあり、言葉は分からないが、良い雰囲気の集会だったと思う。
 警備の警官も少なく、政権交代の影響かとも思う。少女像は記念写真を撮る人たちで、人気のスポットになっている。
 日本大使館は新築工事の最中で、まだ基礎段階。近くのビルに仮事務所を設けている。
 おそらく、日本政府がきちんと歴史的事実を認め、被害にあった女性たちに謝罪をしない限り、この水曜集会は続けれるだろう。少女像もこの地に存在し続けるだろう。

韓国レポート その5 水曜集会

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2017年9月 3日 (日)

韓国レポート その3 ナノムの家

 8月24日、今回の最大の目的、ナノムの家を訪問した。4回目の訪問だが、地下鉄、バス、タクシーを乗り継いで、韓国語ができない人間が一人で行くには多少の苦労がある。
 今回バスで苦労した。タクシー乗り場があるバスターミナルへの直行便バスでなかったので、途中ここで降りろと運転手に降ろされ、バス停で別のバスに乗ることになった。
 どのバスに乗ったらよいのか分からない。いっしょに降りたおばさんたちにナノムの家のパンフレットを示し、僕がそこへ行きたいことを伝えたところ、こちらの意図は理解してくれた。
 20分ほどしてやってきたバスを見て、おばさんがこれに乗れと言う。同時に運転手に僕が日本人でバスターミナルで降ろしてやってくれと伝えてくれた。おかげて何とかタクシー乗り場まで行くことができ、無事目的地に辿り着くことができた。
 実はこのようなトラブルがあるかもと7時40分と早めに出発したので、伝えてあった訪問時間に間に合った。しかし途中、お墓参り用の花を買うことはできなかった。
 まず事務所で、昨年お会いした所長の安シンコンさん、日本語通訳のチョ・ヘギョンさんにお会いした。
 その後、ハルモニたちが暮らす生活館で、昨年お会いしたハ・ジョムヨンさんとパク・オクソンさんと再会。イ・オクソンさんは残念ながら入院されておられるとのこと。
 ハルモニたちはどんどん高齢化し、認知症になられておられる方が増えている。ハ・ジョムヨンさん・パク・オクソンさんも初期の認知症になっていた。
 しかしハ・ジョムヨンさんは僕を覚えていてくれたようだ。お土産を渡すと喜んでくれ、ありがとうと覚えている日本語で答えてくれた。
 その場にもう一人のハルモニ・ジョンポクスさんがおられた。こちらの方は車いす生活。かなり認知症が進んでいて、職員とのやりとりもちぐはぐ。
 幸い僕は認知症の方と日本で何回も「会話」しているので、ある意味言葉が分からなくても笑顔で相手の言葉に対応することができた。
 しかしナノムの家の帰路、深い悲しみに襲われた。もうきちんと言葉を交わせる知っているハルモニがいなくなってしまった。来年どうしようか? また来るべきか? その答えはまだ出せないでいる。
 花を買うことができなかったが、昨年同様ペ・チュンヒさんのお墓参りをした。ナノムの家ではいつもきれいな花がお墓に活けられている。
 今年亡くなられた金・君子さんの真新しいお墓にも手を合わせた。
 24日は日本人の訪問が多かった。僕が着いた時には別の日本人が来ていて、通訳のヘギョンさんが対応していた。
 所長と話しているとき、「たびせん・つなぐ」という東京の旅行会社の社長がやってきた。何度も客を案内してここへきているそうだ。
 午後遅い時間には、長崎にある岡正治記念館のグループが来ることになっていた。実はこのグループとは前日の23日に、日本大使館前水曜集会でお会いし、彼らが来ることは知っていた。
 前回もそうだったが、今回も職員やハルモニたちが食べる食堂で昼食をいただいた。つい僕はご好意に甘えてしまう。
 たびせん・つなぐの現地社員とヘギョンさんが日本語通訳できるので、食事の時、色々な話をすることができた。
 僕は沖縄で慰安婦に関して直接地元の方から聞いた話を伝えた。ガマの入り口、つまり米軍の攻撃に会う一番危険なところに慰安婦がいたこと。夕方慰安婦所があるところに通う日本兵たちの会話を聞いたことがあると地元の方に聞いたこと。ここが慰安婦が暮らす家だったと座間味島でその家を地元の人の案内で見たことがあることなどを。
 写真を添付したいが、この文章が消えてしまうのが怖いので、写真はその4でアップします。

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